花間集訳注解説 (95)回目韋莊二十二首-4《巻二31 浣溪沙五首其四》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8132
(95)回目韋莊二十二首-4《巻二31 浣溪沙五首其四》
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| 2017年2月7日 | の紀頌之5つの校注Blog | | ||||
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花間集訳注解説 (95)回目韋莊二十二首-4《巻二31 浣溪沙五首其四》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8132
(きれいな谷間が春のきれいな水でさらした反物を干す砂浜にいっぱいになる早春の出来事、春の行楽の事を詠う。)
渓谷の砂浜に布地を干す季節が来て、柳のみどりは色よくしてきた、鶯の姿は見えないけれどまさしく鶯が鳴いているのがきこえてくる。柳の枝は琴絃のように垂れて、清明節にブランコに乗って歌われるわらべ歌の「白銅堤」に合わせて柳の絃を拂っているし、草の絨毯がが生い茂る江畔では筝曲「弄珠」を奏でている。日暮れになって飲んで帰るのはどこのおかたであろうか。美しく刺繍に飾られた鞍の駿馬にのられて、講談の一下りを話されているのだろう、その時は全身に最高のお香「蘭麝」にひたっていて酒も酔いどれてもう泥のようになっている。
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| 花間集 巻二 | |
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| 花間集 教坊曲《浣溪沙五首》韋莊 | |
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『浣渓沙五首』 其一 ---・079
浣溪沙五首 其一
(また、春が訪れ、寒食、清明、科挙の合格発表、春の行楽を待ち望んでいるが、やはりお声はかからなかったそれでも寵愛を受けられるように準備をして待つ毎日だと詠う。)
淸曉妝成寒食天,柳球斜嫋間花鈿,捲簾直出畫堂前。
寵愛を失ったとはいえ、清明節が近くなり、行楽にお声をかけてもらって出掛けたいと心躍らせて朝早くから起きだして、化粧をととのえ、寒食の日を迎える。柳花球が左右になまめかしくゆらゆらと揺れ動いていて、額の花鈿も艶めかしい。そして、すだれを巻き上げて、庭に直接出て、少し歩くと美しく彩色してある雅堂の前にくる。
指點牡丹初綻朶,日高猶自凭朱欄,含顰不語恨春殘。
ボタン花がはじめてほころんだばかりの枝を指で差して数えて歩く。やがて、日が高くなってくると、もうお声はかからないと思うものの、なお、朱色の欄干に寄り添って遠くを見つめ、昔を思い出す。寂しくて眉をひそめることが癖になってしまい、移ろいゆく春の名残を惜しんで臨み、だけど、恨み言を口にすることができないし、どんな時でも寵愛を受ける事だけ思って生きていく人生なのだ。
(浣溪沙五首 其の一)
淸曉に妝成す 寒食の天,柳球 斜嫋【しゃじょう】して 花鈿を 間【へだ】つ,簾を捲き 直ちに出づ 畫堂の 前。
指 點【さ】す 牡丹の初めて綻【ほころ】べる朶【えだ】,日高きも 猶自【な】おも 朱欄に 凭【よ】り,顰【ひん】を含み 語らず 春殘を恨むを。
(改訂版)-2韋荘80《巻2-30 浣渓沙五首 其二 (欲上鞦韆四體傭)》二巻30-〈80〉
浣渓沙五首 其二
(また、春が訪れ、寒食、清明の行事でブランコを用意してもらったものの、乗る気にならない。ただ漠然と時は過ぎてゆく。科挙の合格発表、春の行楽を待ち望んでいるが、やはりお声はかからなかったそれでも寵愛を受けられるように準備をして待つ毎日だと詠う。)
欲上鞦韆四體傭、擬教人送又心忪、畫堂簾幕月明風。
春の到来を祝う寒食と清明節にはブランコに乗ろうと思ったのに四肢・五体がだるくてしかたがない。あのお方からの連絡もないので心が不安だらけになっていて、こちらからの使いの者を遣わしたいと思っているけれどできないでいる。美しく彩色に描かれた高堂にかかっている簾や帷幕に月影を映し、そこに風が抜けて時は過ぎてゆく。
此夜有情誰不極、隔墻梨雪又玲瓏、玉容憔悴惹微紅。
此の夜こそ、情けを受けたいとしても誰もいないのも極まりがない程であり、中庭を隔てて垣根沿いに春の盛りに梨の花がゆきのようにさいている、妃嬪は宝玉が透き通るように美しいだけで、心を痛めていて、やせおとろえ薄紅を付けたその顔も涙で崩れている。
(浣渓沙五首 其の二)
鞦韆【しゅうせん】に上らんとして四体慵【ものう】し 人をして送らしめんと擬【ほっ】するも又心 忪【おどろ】く、畫堂の簾幕に月明らかに風ふく。
此の夜情有るを誰か極めざらん、墻【かき】を隔てて梨雪又玲瓏【れいろう】たり、玉容憔悴して微紅惹【みだ】る。
(改訂版)-3韋荘81《巻2-31 浣渓沙五首 其三 (惆悵夢餘山月斜)》二巻31-〈81〉
浣渓沙五首 其三 ----081
(選ばれて後宮に入ってきたが、毎夜、寵愛を受けるため、お香を朝霧がただよったかのように焚いているが、全く寵愛を受ける事は無い、妃嬪は、家柄もいいとされた美人であってもそのまま年老いていくとある日の早春の妃嬪を詠う。)
惆悵夢餘山月斜、孤燈照壁背窗紗、小樓高閣謝娘家。
恨めしくて毎夜夢を見てしまう、うとうととして外を見ると名残の下弦の月が山に傾いている。一つだけ燈火が部屋の壁に影がゆらめき、その向こうの絹布窓にも影を映す。後宮に小殿の離れがあり、その高樓のある部屋に選ばれて此処に来た、貴族の娘の生娘がいる。
暗想玉容何所似、一枝春雪凍梅花、満身香霧簇朝霞。
ここに来てから、あのお方のことをひそかに思うだけ、これほどの美しい顔と姿はどこを探してもいないほどで、春未だ来のあの枝に咲いた一輪の花のようであり、春先の雪のようであり、早梅の花は凍りつくほど寒い朝、雪のように咲き誇るようである。ここでは、寵愛だけを考え、寵愛を受けるため全身に香を浴び、その部屋にはお香を一杯にして、朝霧のようにお香を焚いていて、それでも、寵愛を受けることもなく、時は過ぎ去ってゆく。
(浣溪沙五首 其の三)
惆悵す 夢の餘【あと】 山月斜なり、孤燈は壁背の窗紗を照らす、小樓 高閣 謝娘の家。
暗かに想ふ 玉容 何所に似たるや、一枝 春雪 梅花を凍らし、満身 香霧 朝霞簇【むら】がる。
(改訂版)-4韋荘82《巻2-32 浣渓沙五首 其四 (緑樹藏鶯鴬正啼)》二巻32-〈82〉
浣渓沙五首 其四
(きれいな谷間が春のきれいな水でさらした反物を干す砂浜にいっぱいになる早春の出来事、春の行楽の事を詠う。)
緑樹藏鶯鴬正啼、柳絲斜拂白銅堤、弄珠江上草萋萋。
渓谷の砂浜に布地を干す季節が来て、柳のみどりは色よくしてきた、鶯の姿は見えないけれどまさしく鶯が鳴いているのがきこえてくる。柳の枝は琴絃のように垂れて、清明節にブランコに乗って歌われるわらべ歌の「白銅堤」に合わせて柳の絃を拂っているし、草の絨毯がが生い茂る江畔では筝曲「弄珠」を奏でている。
日暮飲歸何處客、綉鞍驄馬一聲噺、満身蘭麝醉如泥。
日暮れになって飲んで帰るのはどこのおかたであろうか。美しく刺繍に飾られた鞍の駿馬にのられて、講談の一下りを話されているのだろう、その時は全身に最高のお香「蘭麝」にひたっていて酒も酔いどれてもう泥のようになっている。
(浣渓沙五首 其の四)
緑樹は鶯を藏すも鶯は正に啼く、柳絲は斜に拂う「白銅」堤、「珠を弄ぶ」も江上は草萋萋【しげり】たり。
日暮れ 飲み歸るは 何處の客ぞ、綉鞍の驄馬【あしげ】一聲嘶く、満身の蘭麝醉うこと泥の如し。
韋莊
(836―910)、字は端己、京兆の杜陵(陝西省西安市の南郊)の人。中唐の詩人韋応物の玄孫で、宰相韋見素の孫。父母を早く失い、家は没落、貧に苦しんだ。五十代に入ってから、数年間、広く長江の中、下流域を渡り歩き、何度も科挙に落第した末、昭宗の乾寧元年(894年)、59歳でようやく進士に及第(高等文官試験)に合格し、校書郎に任じられた。66歳で四川省にいた王建が叛乱を起こしたので、朝廷では李詢を正使、韋荘を補佐として宣撫に赴かせたが、ほどなくして唐が亡び、王建が前蜀の帝を称えると、韋荘はそのまま王建に仕え、王建が前蜀王朝を建てるのに協力して、吏部侍郎・同平章事に任ぜられた。宰相にまで昇進している。前蜀の都は成都にあり、韋荘はその郊外の、かつて杜甫が住んでいた浣花草堂を修復して、自分の庵にした。温庭筠と並んで温韋と併称され、晩唐期を代表する詞人である。韋莊の詞は率直明快さを特色とし、『花問集』 には48首の詞が収められている。
4韋荘82《巻2-32 浣渓沙五首 其四 (緑樹藏鶯鴬正啼)》二巻32-〈82〉
『浣渓沙五首 其四』 現代語訳と訳註
(本文) 浣渓沙五首 其四----082-0232
緑樹藏鶯鴬正啼、柳絲斜拂白銅堤、弄珠江上草萋萋。
日暮飲歸何處客、綉鞍驄馬一聲噺、満身蘭麝醉如泥。
(下し文)
(浣渓沙五首 其の四)
緑樹は鶯を藏すも鶯は正に啼く、柳絲は斜に拂う「白銅」堤、「珠を弄ぶ」も江上は草萋萋【しげり】たり。
日暮れ 飲み歸るは 何處の客ぞ、綉鞍の驄馬【あしげ】一聲嘶く、満身の蘭麝醉うこと泥の如し。
(現代語訳)
(きれいな谷間が春のきれいな水でさらした反物を干す砂浜にいっぱいになる早春の出来事、春の行楽の事を詠う。)
渓谷の砂浜に布地を干す季節が来て、柳のみどりは色よくしてきた、鶯の姿は見えないけれどまさしく鶯が鳴いているのがきこえてくる。柳の枝は琴絃のように垂れて、清明節にブランコに乗って歌われるわらべ歌の「白銅堤」に合わせて柳の絃を拂っているし、草の絨毯がが生い茂る江畔では筝曲「弄珠」を奏でている。
日暮れになって飲んで帰るのはどこのおかたであろうか。美しく刺繍に飾られた鞍の駿馬にのられて、講談の一下りを話されているのだろう、その時は全身に最高のお香「蘭麝」にひたっていて酒も酔いどれてもう泥のようになっている。
(訳注) ----浣渓沙五首 其四----
浣渓沙五首 其四
62.(きれいな谷間が春のきれいな水でさらした反物を干す砂浜にいっぱいになる早春の出来事、春の行楽の事を詠う。)
63. 寒食、清明節のころの春の行楽、男女のようすを詠う新しい形の詩。
64. 唐の教坊の曲名。『花間集』 には五十七首所収。韋莊の作は五首収められている。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で⑦⑦⑦/7⑦⑦の「AAA/AA」詞形をとる。
浣渓沙五首 其一
淸曉妝成寒食天 柳球斜嫋間花鈿 捲簾直出畫堂前
指點牡丹初綻朶 日高猶自凭朱欄 含顰不語恨春殘
浣渓沙五首 其二
欲上鞦韆四體傭 擬教人送又心忪 畫堂簾幕月明風
此夜有情誰不極 隔墻梨雪又玲瓏 玉容憔悴惹微紅
●●○○●●○ ●△○●●○○ ●○○●●○△
●●●○○△● ●○○●●○○ ●○○●●○○
浣渓沙五首 其三
惆悵夢餘山月斜 孤燈照壁背窗紗 小樓高閣謝娘家
暗想玉容何所似 一枝春雪凍梅花 満身香霧簇朝霞
浣渓沙五首 其四
緑樹藏鶯鴬正啼 柳絲斜拂白銅堤 弄珠江上草萋萋
日暮飲歸何處客 綉鞍驄馬一聲噺 満身蘭麝醉如泥
この詞は花間集巻二所収の浣溪沙其四である。
緑樹藏鶯鴬正啼、柳絲斜拂白銅堤、弄珠江上草萋萋。
渓谷の砂浜に布地を干す季節が来て、柳のみどりは色よくしてきた、鶯の姿は見えないけれどまさしく鶯が鳴いているのがきこえてくる。柳の枝は琴絃のように垂れて、清明節にブランコに乗って歌われるわらべ歌の「白銅堤」に合わせて柳の絃を拂っているし、草の絨毯がが生い茂る江畔では筝曲「弄珠」を奏でている。
65・白銅堤 古代襄陽境內漢水堤名。・白銅蹄 六朝時代に襄陽に流行した童謡の題。内容は斉の東昏侯の失政に対して、ヨウ州(治所は襄陽)にいた梁の武帝がクーデターを起こすことを予言したもの。白は方位学で金性に属し、西を意味する。西の騎馬が、東の都・康京を占領する「襄陽白銅蹄、反縛揚州兒」後に武帝自ら詞をつくり、沈約に曲をつけさせた。 李白『0412 襄陽曲四首其一』「襄陽行樂處、歌舞白銅鍗。江城回淥水、花月使人迷。」(嚢陽はたのしい行楽の場所だ。人びとは、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったりする。江にのぞむこのまちは、うつくしい水にとりまかれ、なまめかしい花と月とが、人の心をまよわせる。)あるいは六朝の宋の隋王寵が作ったといわれる「嚢陽楽」という歌謡に、「朝に嚢陽城を発し、暮に大隄の宿に至る。大隄の諸女児、花顛郡の目を驚かす」とある。《隋書》卷十三《音樂志上》「 初武帝之在雍鎮,有童謠云:「襄陽白銅蹄,反縛揚州兒。」識者言,白銅蹄謂馬也。白,金色也。及義師之興,實以鐵騎,揚州之士,皆面縛,果如謠言。故即位之後,更造新聲,帝自為之詞三曲。又令沈約為三曲,以被絃管。帝既篤敬佛法,. 又令沈約為三曲,以被絃管。」(初めて武帝の雍鎮に在るや,童謠有りて云く:「襄陽白銅蹄,反縛揚州兒。」と。識者言う,白銅蹄は馬を謂う也。白は,金色なり。義師の興るに及び,實に鐵騎を以てす,揚州の士,皆 面縛すること,果して謠言の如し。故に即位の後,更めて新聲を造る,帝 自ら之が詞 三曲を為す。又 沈約をして三曲を為らしめ,以て絃管に被らしむ。)
66・弄珠 筝曲の名。玩珠。漢皋の二女が鶏の卵ほどの真珠以て遊んだという故事のきょくの事を歌った曲。(真珠など宝石。 美しいもの、すぐれたもの、尊いもののたとえ。特に芸術作品にいうことが多い。)
・ 玩珠。指 漢皋の二女の事を歌った曲。《文選·張衡》:“耕父扬光於清泠之渊,游女弄珠於 漢皋之曲。” 李善 注引《韩詩外傳》:“ 鄭交甫 将南適楚 ,乃遇二女,佩両珠,大如荆鶏之卵。” 唐 李白 《2132 峴山懐古》诗:“弄珠见游女,醉酒怀 山公 。《北史·百濟傳》:“有鼓角、箜篌、筝竽、篪笛之乐,投壶、摴蒲、弄珠、握槊等杂戏。”
26 《峴山懷古》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<126> Ⅰ李白詩1308 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5088
日暮飲歸何處客、綉鞍驄馬一聲噺、満身蘭麝醉如泥。
渓谷の砂浜に布地を干す季節が来て、柳のみどりは色よくしてきた、鶯の姿は見えないけれどまさしく鶯が鳴いているのがきこえてくる。柳の枝は琴絃のように垂れて、清明節にブランコに乗って歌われるわらべ歌の「白銅堤」に合わせて柳の絃を拂っているし、草の絨毯がが生い茂る曲江畔では筝曲「弄珠」を奏でている。
67・白銅堤 古代襄陽境內漢水堤名。・白銅蹄 六朝時代に襄陽に流行した童謡の題。内容は斉の東昏侯の失政に対して、ヨウ州(治所は襄陽)にいた梁の武帝がクーデターを起こすことを予言したもの。白は方位学で金性に属し、西を意味する。西の騎馬が、東の都・康京を占領する「襄陽白銅蹄、反縛揚州兒」後に武帝自ら詞をつくり、沈約に曲をつけさせた。 李白『0412 襄陽曲四首其一』「襄陽行樂處、歌舞白銅鍗。江城回淥水、花月使人迷。」(嚢陽はたのしい行楽の場所だ。人びとは、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったりする。江にのぞむこのまちは、うつくしい水にとりまかれ、なまめかしい花と月とが、人の心をまよわせる。)あるいは六朝の宋の隋王寵が作ったといわれる「嚢陽楽」という歌謡に、「朝に嚢陽城を発し、暮に大隄の宿に至る。大隄の諸女児、花顛郡の目を驚かす」とある。《隋書》卷十三《音樂志上》「 初武帝之在雍鎮,有童謠云:「襄陽白銅蹄,反縛揚州兒。」識者言,白銅蹄謂馬也。白,金色也。及義師之興,實以鐵騎,揚州之士,皆面縛,果如謠言。故即位之後,更造新聲,帝自為之詞三曲。又令沈約為三曲,以被絃管。帝既篤敬佛法,. 又令沈約為三曲,以被絃管。」(初めて武帝の雍鎮に在るや,童謠有りて云く:「襄陽白銅蹄,反縛揚州兒。」と。識者言う,白銅蹄は馬を謂う也。白は,金色なり。義師の興るに及び,實に鐵騎を以てす,揚州の士,皆 面縛すること,果して謠言の如し。故に即位の後,更めて新聲を造る,帝 自ら之が詞 三曲を為す。又 沈約をして三曲を為らしめ,以て絃管に被らしむ。)
68・弄珠 筝曲の名。玩珠。漢皋の二女が鶏の卵ほどの真珠以て遊んだという故事のきょくの事を歌った曲。(真珠など宝石。 美しいもの、すぐれたもの、尊いもののたとえ。特に芸術作品にいうことが多い。)
1. 玩珠。指 漢皋の二女の事を歌った曲。《文選·張衡》:“耕父扬光於清泠之渊,游女弄珠於 漢皋之曲。” 李善 注引《韩詩外傳》:“ 鄭交甫 将南適楚 ,乃遇二女,佩両珠,大如荆鶏之卵。” 唐 李白 《2132 峴山懐古》诗:“弄珠见游女,醉酒怀 山公 。《北史·百濟傳》:“有鼓角、箜篌、筝竽、篪笛之乐,投壶、摴蒲、弄珠、握槊等杂戏。”
26 《峴山懷古》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。<126> Ⅰ李白詩1308 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5088
69・江上 長安曲江のほとり。長安の曲江池、楽游原などの景勝の地。「春薪踏青」参照。
日暮飲歸何處客、綉鞍驄馬一聲噺、満身蘭麝醉如泥。
日暮れになって飲んで帰るのはどこのおかたであろうか。美しく刺繍に飾られた鞍の駿馬にのられて、講談の一下りを話されているのだろう、その時は全身に最高のお香「蘭麝」にひたっていて酒も酔いどれてもう泥のようになっている。
何處客 どこの人たちと行楽に行って正体不明になるほど酔いつぶれた人をいう。
70・噺 【話、咄】①話すこと。口に出して語ること。②話された内容。③話題。④うわさ。評判。⑤話し合って決めるべき事柄。㋐相談ごと。㋑交渉ごと。⑥人に語り聞かせる,ある内容や筋をもった事柄。㋐昔ばなしや説話など。㋑講演。演説。㋒落語。小咄。㋓談話。⑦物の道理。⑧いきさつ。事情。⑨つくりごと。うそ。⑩(形式名詞のように用いて)こと。ことがら。
71・蘭麝 蘭の花と麝香(じゃこう)の香り。また、よい香り。【蘭奢待】香木の一種。正倉院宝物の香薬中,目録に黄熟香(おうじゆくこう)と記されている3貫500匁,5尺1寸の香木を香道家は蘭奢待と呼ぶ。木所(きどころ)は伽羅である。目録では薬物に分類され,鎮静,去痰の薬効があるという。芯の部分は朽ちて空洞となっている。数ヵ所に截香の跡がある。黄熟の語義は明らかでないが,中国明代,倪朱謨(げいしゆばく)の《本艸彙言》によれば,木肌が熟して黄色をおび佳香を発するところから名づけられたという。
72・綉 繍:えぎぬ。刺繍。縫い取り。美しく飾る。
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0229 | 浣渓沙五首 其一 | 淸曉妝成寒食天、柳球斜嫋間花鈿、捲簾直出畫堂前。 指點牡丹初綻朶、日高猶自凭朱欄、含顰不語恨春殘。 |
0230 | 浣渓沙五首 其二 | 欲上鞦韆四體傭、擬教人送又心忪、畫堂簾幕月明風。 此夜有情誰不極、隔墻梨雪又玲瓏、玉容憔悴惹微紅。 |
0231 | 浣渓沙五首 其三 | 惆悵夢餘山月斜、孤燈照壁背窗紗、小樓高閣謝娘家。 暗想玉容何所似、一枝春雪凍梅花、満身香霧簇朝霞。 |
0232 | 浣渓沙五首 其四 | 緑樹藏鶯鴬正啼、柳絲斜拂白銅堤、弄珠江上草萋萋。 日暮飲歸何處客、綉鞍驄馬一聲噺、満身蘭麝醉如泥。 |
0233 | 浣渓沙五首 其五 | 夜夜相思更漏殘、傷心明月凭欄干。想君思我錦衾寒。 咫尺畫堂深似海,憶來唯把舊書看。幾時攜手入長安。 |
73・春薪踏青(ハイキング)
正月十五日以後から三月の清明節の前後にかけて、人々は盛んにハイキングをしたり、野宴を催したりして楽しんだ。女性も春のハイキングに巻き込まれ、一年の内、最も愉快で自由なめ日を楽しんだ。「長安の男女は春の野を遊歩し、名花に遇えば敷物を広げ、紅い 裾を順番に挿し掛けて、宴の幌とする」、「都の男女は、毎年正月半ば過ぎになると、各おの車に乗り馬に跨り、園圃(農園)あるいは郊野(郊外の野原)の中に帳をしつらえて、探春の宴をする」(『開元天宝遺事』巻下)。こう見てくると、春の野に遊宴を催すとは、何と現代的なことかと思う。長安の曲江池、楽游原などの景勝の地は、ひとたび新春が訪れると女性たちがみな押しょせて見物したり笑い合ったりする場所であり、その他の景勝地もみな同様であった。唐詩の中には女性たちが春を楽しむ情景を歌ったものが少なくない。李華の詩「春遊吟」 に、「初春 芳句(春の野)遍く、千里 藷として職に盈つ。美人は新しき英を摘み、歩歩 春緑に玩る」とあり、また施肩吾の詞「少婦遊春詞」 に、「錦を集め花を轢めて勝遊を闘かわせ、万人 行く処 最も風流」とある。杜甫は「麗人の行」 の中で、貴婦人たちの訪春の情景を「三月三日 天気新なり、長安の水辺 麗人多し」と描写した。張萱の 「虢国夫人游春図」は、さらに生々と唐代貴婦人の游春の情景を再現している。