花間集 訳注解説 巻二-23 (86)回目皇甫松十一首 《摘得新二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8078
巻二-23 (86)回目皇甫松十一首 《摘得新二首其一》
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| 2017年1月29日 | の紀頌之5つの校注Blog | | ||||
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花間集 訳注解説 巻二-23 (86)回目皇甫松十一首 《摘得新二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8078
(王子喬のように玉笛を吹こう、大盃一杯の大酒を酌みかわそう、時を逃すことなく、今宵の歓を尽くすべきことを詠む。)【今の一時が新たな事として掴み取って楽しもう、その一】
まず、大盃一杯の大酒を酌みかわす、そこには、王子喬のように玉笛を吹き鳴らさせることが必要である。そうすれば、王子喬のように仙界に行って不老長寿を得るかもしれない。
錦の筵、紅梅のもとに蝋燭ともされたその下で、この時は再びは来ないものだからこの時を逃さず、楽しむことである。春盛り、桃の花もただの一夜の軽やかな風と雨が降って来れば、空しきただの枝となるではないのか。だから、咲き誇っている時にこそ、たのしまねばならないのである。
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| 花間集 巻二 | |
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(改訂版)-73-2皇甫松7《巻2-23 摘得新》
摘得新二首 其一
(王子喬のように玉笛を吹こう、大盃一杯の大酒を酌みかわそう、時を逃すことなく、今宵の歓を尽くすべきことを詠む。)【今の一時が新たな事として掴み取って楽しもう、その一】
酌一巵,須教玉笛吹。
まず、大盃一杯の大酒を酌みかわす、そこには、王子喬のように玉笛を吹き鳴らさせることが必要である。そうすれば、王子喬のように仙界に行って不老長寿を得るかもしれない。
錦筵紅䗶燭,莫來遲。
錦の筵、紅梅のもとに蝋燭ともされたその下で、この時は再びは来ないものだからこの時を逃さず、楽しむことである。
繁紅一夜經風雨,是空枝。
春盛り、桃の花もただの一夜の軽やかな風と雨が降って来れば、空しきただの枝となるではないのか。だから、咲き誇っている時にこそ、たのしまねばならないのである。
(新たにするを得るを摘る【てきとくしん】二首 其の一)
一巵【し】を酌み、須く玉笛を吹かしむべし。
錦筵 紅の蝋燭、来たり遅るること莫かれ。
繁紅 一夜 風雨を経れば、是れ空枝なり。
『摘得新二首 其一』 現代語訳と訳註
(本文)
摘得新二首 其一
酌一巵,須教玉笛吹。
錦筵紅䗶燭,莫來遲。
繁紅一夜經風雨,是空枝。
(下し文)
(新たにするを得るを摘る【てきとくしん】二首 其の一)
一巵【し】を酌み、須く玉笛を吹かしむべし。
錦筵 紅の蝋燭、来たり遅るること莫かれ。
繁紅 一夜 風雨を経れば、是れ空枝なり。
(現代語訳)
(王子喬のように玉笛を吹こう、大盃一杯の大酒を酌みかわそう、時を逃すことなく、今宵の歓を尽くすべきことを詠む。)【今の一時が新たな事として掴み取って楽しもう、その一】
まず、大盃一杯の大酒を酌みかわす、そこには、王子喬のように玉笛を吹き鳴らさせることが必要である。そうすれば、王子喬のように仙界に行って不老長寿を得るかもしれない。
錦の筵、紅梅のもとに蝋燭ともされたその下で、この時は再びは来ないものだからこの時を逃さず、楽しむことである。
春盛り、桃の花もただの一夜の軽やかな風と雨が降って来れば、空しきただの枝となるではないのか。だから、咲き誇っている時にこそ、たのしまねばならないのである。
(訳注)
摘得新二首 其一
54.(王子喬のように玉笛を吹こう、大盃一杯の大酒を酌みかわそう、時を逃すことなく、今宵の歓を尽くすべきことを詠む。)【今の一時が新たな事として掴み取って楽しもう、その一】
王子喬のように玉笛を吹き、鶴に乗って、仙界に雪不老長寿を得た。だから王子喬は年を取ることに気を使わなくても良い人であったが、人の寿命は金石のように不変ではないのだ。いつまでもいきると予測できる命はないのた。軽やかな風と雨が降れば散り去ってしまうのだ。だから、この花が咲き誇っているこのひと時をむだにしてはならない。
唐の教坊の曲名。『花間集』には皇甫松の二首のみ所収。単調二十六字、六句四平韻で、③⑤/5③/7③の詞形をとる。
摘得新 枝枝葉葉春
管弦兼美酒 最關人
平生都得幾十度 展香茵
●●○ ○○●●○
●○△●● ●○○
○△○●△●● ●○○
酌一巵,須教玉笛吹。
まず、大盃一杯の大酒を酌みかわす、そこには、王子喬のように玉笛を吹き鳴らさせることが必要である。そうすれば、王子喬のように仙界に行って不老長寿を得るかもしれない。
55. 巵 四升 〔約7.2リットル〕 入りの大盃。
56. 教 ここでは使役を表す。
仙人と黄色い鶴に関する黄鶴伝説 『列異伝』に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。
錦筵紅䗶燭,莫來遲。
錦の筵、紅梅のもとに蝋燭ともされたその下で、この時は再びは来ないものだからこの時を逃さず、楽しむことである。
57. 䗶燭 「䗶」は蠟の俗字,蠟燭。
58. 莫来遅 時を逃すな、の意。漢の無名氏『西門行』。「飲醇酒、炙肥牛、請呼心所歡、可用解愁憂。人生不滿百、常懷千歳憂。晝短而夜長、何不秉燭游。」(醇酒【じゅんしゅ】を飲み、肥牛【ひぎゅう】を炙り、請する心に歡ぶ所を呼べば、用って愁憂を解く可けん。人生は百に滿たず、常に千歳の憂いを懷う。晝【ひる】短くして夜長く、何ぞ燭游を秉らざるや。)よい酒を飲み、肥えた牛の肉を炙り、自分の心から許せる相手をよびたいのだ、そのうえで初めて心の憂いを解消することが出来るというものなのだ。
人生は百年にも満たないというのに、常に千年後の憂いを心配するおろかなものである。
秋の日は昼は短くして夜は長いのが苦であるなら、明かりを照らし夜を比に継ぎ足して遊ばないのだ。(毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。)
繁紅一夜經風雨,是空枝。
春盛り、桃の花もただの一夜の軽やかな風と雨が降って来れば、空しきただの枝となるではないのか。だから、咲き誇っている時にこそ、たのしまねばならないのである。
59. 繁紅 今が盛りと咲き誇る花。紅はここでは紅梅のこと。
63.この詞と同じような隠遁者の詩。
不老長寿の人間,いわゆる仙人の実在を信じて,みずからも仙術によって仙人たらんことを願った思想。前4世紀頃から,身体に羽が生えていて空中を自由に飛行できる人が南遠の地や高山に住んでいるとか,現在の渤海湾の沖遠くに浮ぶ蓬莱などの三神山に長生不死の人とその薬があるとかいう説があり,そのような人々が仙と呼ばれた。
漢の無名氏《西門行》
西門行
出西門、歩念之、今日不作樂、當待何時。
夫爲樂、爲樂當及時。
何能坐愁拂鬱、當復待來茲。
飲醇酒、炙肥牛、請呼心所歡、可用解愁憂。
人生不滿百、常懷千歳憂。
晝短而夜長、何不秉燭游。
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
人壽非金石、年命安可期。
貪財愛惜費、但爲後世嗤。
西門行 【せいもんきょう】
西門を出で、歩みて之を念う、今日 樂しみを作さずんば、當【まさ】に何れの時をか待つべき。
夫れ樂しみを爲さん、樂しみを爲すには當に時に及ぶべし。
何んぞ能く坐し愁えて鬱を拂いて、當に復た來茲を待んや。
醇酒【じゅんしゅ】を飲み、肥牛【ひぎゅう】を炙り、請する心に歡ぶ所を呼べば、用って愁憂を解く可けん。
人生は百に滿たず、常に千歳の憂いを懷う。
晝【ひる】短くして夜長く、何ぞ燭游を秉らざるや。
仙人王子喬に非らざるより、計會して壽命【じゅみょう】を與に期するを難し。
仙人王子喬に非らざるより、計會して壽命【じゅみょう】を與に期するを難し。
人壽は金石に非らず、年命安くんぞ期す可けん。
財を貪【むさぼ】りて費を愛惜すれば、但 後世の嗤【わらび】と爲るのみ。
歓楽街のある西門を出たのであるが、歩きながらおもいかえしてみる、今日、楽しいことはしていない、こんなことではいったいいつ楽しむことができるというのだ。
そもそも悦楽をえようというのなら、楽しむべき時に逃さないようにしないといけないのだ。
どうして座ったままでくよくよし悶々と苦悩したとしてまさに来年まで待たなければいけないなんてことはあるまいに。
よい酒を飲み、肥えた牛の肉を炙り、自分の心から許せる相手をよびたいのだ、そのうえで初めて心の憂いを解消することが出来るというものなのだ。
人生は百年にも満たないというのに、常に千年後の憂いを心配するおろかなものである。
秋の日は昼は短くして夜は長いのが苦であるなら、明かりを照らし夜を比に継ぎ足して遊ばないのだ。(毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。)
仙人の王子喬ではないから寿命を数えたところで他人と寿命時期を同じようにすることなど難しいのだ。
王子喬のような仙人ではないから、寿命を数えたところでたかが知れたものということだ。
人の寿命は金石のように不変ではないのだ。いつまでもいきると予測できる命ではないのた。
財貨をむさぼり、出費を惜しむことだけをしたとしても、その結果はただ、後世の笑われ草、嗤となるだけのことである。
謝霊運(康楽) 『登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。』 「倘遇浮丘公,長絕子徽音。」
あるいは、もし、山中で浮丘公のような仙人にあうようなことがあったならは、王子喬がそのまま山にとどまったように永久に君のおたよりを貰えぬことになるだろう。
・浮斤公 列仙伝に「王子喬は好んで笙を吹く。道人の浮丘公は接して以て嵩山にのぼる」。周の霊王の太子。笙を吹くことを好み、とりわけ鳳凰の鳴き声を出すことが得意だった。王子喬がある時、河南省の伊水と洛水を漫遊した時に、浮丘公という道士に出逢った。王子喬は、その道士について嵩山に登っていった。そこにいること三十余年、浮丘公の指導の下、仙人になった。その後、王子喬は白い鶴に乗って、飛び去った、という『列仙傳』に出てくる故事中の人物。
李白 《春夜宴桃李園序 》
夫天地者,萬物之逆旅;
光陰者,百代之過客。
而浮生若夢,爲歡幾何?
古人秉燭夜遊,良有以也。
況陽春召我以煙景,大塊假我以文章。
會桃李之芳園,序天倫之樂事。
群季俊秀,皆爲惠連。
吾人詠歌,獨慚康樂。
幽賞未已,高談轉清。
開瓊筵以坐華,飛羽觴而醉月。
不有佳作,何伸雅懷?
如詩不成,罰依金谷酒斗數。
春夜 桃李園に 宴する序
夫(そ)れ 天地は, 萬物の逆旅(げきりょ)にして、光陰は,百代の過客なり。
而(しか)して 浮生は 夢の若し,歡を爲(な)すこと 幾何(いくばく)ぞ?
古人 燭を秉(と)りて夜に遊ぶ,良(まこと)に以(ゆえ)有る也。
況(いは)んや 陽春 我を召くに煙景を以てし,大塊 我に假すに 文章を以てするをや。
桃李の芳園に 會し,天倫の樂事を 序す。
群季の俊秀は,皆 惠連 爲(た)り。
吾人の詠歌は,獨り康樂に 慚(は)づ。
幽賞 未だ已(や)まず,高談 轉(うた)た清し。
瓊筵を 開きて 以て華に坐し,羽觴を飛ばして 月に醉(よ)ふ。
佳作 有らずんば,何ぞ 雅懷を 伸べんや?
如(も)し 詩 成らずんば,罰は金谷の酒斗數に依(よ)らん。
【王子喬】とは。意味や解説、類語。中国、周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙(しょう)を吹いて雲中を飛んだという。
鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。
伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。伊川(いせん)、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公(ふきゅうこう)に誘われ中岳嵩山(すうざん)に入り、帰らなくなった。
それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。
その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。
そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。
古風,五十九首之七 a-#1
客有鶴上仙,飛飛凌太清。
揚言碧雲裡,自道安期名。
兩兩白玉童,雙吹紫鸞笙。
去影忽不見,回風送天聲。
舉首遠望之,飄然若流星。
願餐金光草,壽與天齊傾。
(不老長寿の仙人の安期生にいただいた神仙草を食べ、不老長寿となって生命は天とならび帰服したという思いを詠う。)
五種の鶴の背にのった各仙人がそろって、大空を飛びまわって老子を神とする太清境までおりこえて行こうとしている。
東のあおい空に湧き立つように浮かぶ雲の中から名のりをあげて、わたしは安期生と呼ばれているものであると言われる。
左右の両脇にに、白玉のように美しいお顔の童子をお伴にして、ともに紫檀で鸞のかたちの笙を合奏している。
ところが安期生はで傳説の通りたちまち、姿は見えなくなり、向かい風が吹いてくると今度は手紙ではなく、天上の音楽を送ってきた。
安期生さがして首をのばして遠くを望んでみたが、それまで聞こえてきた天上の調が、流れ星が消えていくように聞こえてこなくなった。
わたしの願いは、安期生から神仙草をいただいて食べることであり、共に不老長寿となって生命は天とならび帰服することにあるのである。
古風,五十九首の七 a-#1
客に鶴上の仙有り、飛飛として 太清を凌ぐ。
揚言す 碧雲の裏、自ら道う 安期の名。
両両 白玉の童、雙んで吹く 紫鸞の笙。
去影 忽ち見えず、回風 天声を送る。
首を挙げて 遠く之を望めば、諷然として 流星の若し。