花間集 訳注解説 巻二-21 (84)回目皇甫松十一首 《楊栁枝二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8066
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| 2017年1月27日 | の紀頌之5つの校注Blog | | ||||
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| Ⅲ 杜詩 | 詳注 | | ||||
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| ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 | | |||||
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花間集 訳注解説 巻二-21 (84)回目皇甫松十一首 《楊栁枝二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8066
(避寒の温泉宮に春が訪れ、池端の柳の緑が茂るが、いまはここに誰もいない、何処からか折楊柳の笛曲が聞えてきて、玄宗当時の数万人とも言われた宮女の情をおもい、更に笛の音が聞えてきて堪えがたいと詠う。)
春景色は離宮の庭からの眺める全てに入ってきて、春山の中腹は薄緑色に生える。ここにも侍っていた、唐の玄宗の数万の宮女たちは、香炉に立ち上る一条の紫煙のなかで舞い、儚くきえていった。その離宮行在所もこの頃は、柳がたれるだけで、誰もいない城には鬱蒼とした緑に染まっている笛中の内、楊柳の一曲はだれがふいているのか、行宮の情を起させるのか、更に笛の音が響いてくる。
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| 花間集 巻二 | |
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40.
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| 花間集 教坊曲 『楊柳枝』二十四首 | | ||||
| 溫助教庭筠(温庭筠) | 巻一 | 館娃宮外鄴城西, | | ||
| 巻一 | (改訂)楊柳枝八首之二 | 宜春苑外最長條, | | ||
| 巻一 | (改訂)楊柳枝八首之三 | 金縷毿毿碧瓦溝, | | ||
| 巻一 | (改訂)楊柳枝八首之四 | 御柳如絲映九重, | | ||
| 巻一 | (改訂)楊柳枝八首之五 | 織錦機邊鶯語頻, | | ||
| 巻一 | (改訂)楊柳枝八首之六 | 蘇小門前柳萬條, | | ||
| 巻一 | (改訂)楊柳枝八首之七 | 南內牆東御路傍, | | ||
| 巻一 | (改訂)楊柳枝八首之八 | 兩兩黃鸝色似金, | | ||
| 皇甫先輩松(皇甫松) | 巻二 | 春入行宮映翠微 | | ||
| 巻二 | 爛熳春歸水國時 | | |||
| 牛給事嶠(牛嶠) | 巻三 | 解凍風來末上青, | | ||
| 巻三 | 橋北橋南千萬條, | | |||
| 巻三 | 狂雪隨風撲馬飛, | | |||
| 巻三 | 吳王宮裡色偏深, | | |||
| 巻三 | 裊翠籠煙拂暖波, | | |||
| 張舍人泌(張泌) | 巻四 | 膩粉瓊粧透碧紗, | | ||
| 和學士凝(和凝) | 巻六 | 軟碧瑤煙似送人, | | ||
| 巻六 | 瑟瑟羅裙金縷腰, | | |||
| 巻六 | 鵲橋初就咽銀河, | | |||
| 顧太尉敻(顧敻) | 巻七 | 秋夜香閨思寂寥, | | ||
| 孫少監光憲(孫光憲) | 巻八 | 閶門風暖落花乾 | | ||
| 巻八 | 有池有榭即濛濛, | | |||
| 巻八 | | ||||
| 巻八 | | ||||
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41.
唐代三百年間に封ぜられた后妃のうち、皇后と地位が比較的高いか、あるいは男子を生んだ妃嬢だけが史書にいささかの痕跡を残した。その他の女性は消え去って名も知れない。『新・旧唐書』「后妃伝」 には、全部で二十六人の皇后、十人の妃嫁が記載されている。その他で史書に名を留めているものはおよそ五、六十人である。その内、高祖、玄宗両時代の人が最も多い。高祖には竇皇后の他に、万貴妃、ヂ徳妃、宇文昭儀、莫嬢、孫嬢、佳境、楊嬢、小楊嬢、張捷好、郭妊婦、劉捷好、楊美人、張美人、王才人、魯才人、張宝林、柳宝林などがいた。玄宗には王皇后、楊皇后、武恵妃、楊貴妃、趨麗妃、劉華妃、銭妃、皇甫徳儀、郭順儀、武賢儀、董芳儀、高娃好、柳娃好、鍾美人、慮美人、王美人、杜美人、劉才人、陳才人、鄭才人、闇才人、常才人などがいた。もちろん史書に名を残せなかった人はさらに多い。史書の記載から見ると、高祖、玄宗両時代の妃嫁がたしかに最も多かったようである。
皇甫松5《巻2-21 楊柳枝二首其一》皇甫先輩松(皇甫松)楊柳枝二首
楊柳枝二首其一
(避寒の温泉宮に春が訪れ、池端の柳の緑が茂るが、いまはここに誰もいない、何処からか折楊柳の笛曲が聞えてきて、玄宗当時の数万人とも言われた宮女の情をおもい、更に笛の音が聞えてきて堪えがたいと詠う。)
春入行宮映翠微,玄宗侍女舞煙絲。
春景色は離宮の庭からの眺める全てに入ってきて、春山の中腹は薄緑色に生える。ここにも侍っていた、唐の玄宗の数万の宮女たちは、香炉に立ち上る一条の紫煙のなかで舞い、儚くきえていった。
如今柳向空城綠,玉笛何人更把吹。
その離宮行在所もこの頃は、柳がたれるだけで、誰もいない城には鬱蒼とした緑に染まっている笛中の内、楊柳の一曲はだれがふいているのか、行宮の情を起させるのか、更に笛の音が響いてくる。
(楊柳枝二首 其の一)
行宮に春は入り 翠微に映る,玄宗の侍女 煙絲に舞う。
如今 柳向 空城の綠,玉笛 何人か 更に把み吹く。
楊柳枝二首其二
爛熳春歸水國時,吳王宮殿柳絲垂。
黃鶯長叫空閨畔,西子無因更得知。
『楊柳枝二首 其一』 現代語訳と訳註
(本文)
楊柳枝二首 其一
春入行宮映翠微,玄宗侍女舞煙絲。
如今柳向空城綠,玉笛何人更把吹。
(下し文)
(楊柳枝二首 其の一)
春入り 行宮 翠微に映り,玄宗 侍女 煙絲に舞う。
如今 柳向 空城の綠,玉笛 何人か 更に把み吹く。
(現代語訳)
(避寒の温泉宮に春が訪れ、池端の柳の緑が茂るが、いまはここに誰もいない、何処からか折楊柳の笛曲が聞えてきて、玄宗当時の数万人とも言われた宮女の情をおもい、更に笛の音が聞えてきて堪えがたいと詠う。)
春景色は離宮の庭からの眺める全てに入ってきて、春山の中腹は薄緑色に生える。ここにも侍っていた、唐の玄宗の数万の宮女たちは、香炉に立ち上る一条の紫煙のなかで舞い、儚くきえていった。
その離宮行在所もこの頃は、柳がたれるだけで、誰もいない城には鬱蒼とした緑に染まっている笛中の内、楊柳の一曲はだれがふいているのか、行宮の情を起させるのか、更に笛の音が響いてくる。
(訳注)
42. 楊柳枝
漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。白居易は古い曲名を借りて新たな曲を作った、そのことを宣言した詞。詩の形式は七言絶句体であるが、白居易が新たな曲調を附けたもの。柳を詠い込む唐の都・洛陽の民歌として作っている。やがて、詞牌として数えられる。七言絶句の形式をした例外的な填詞。七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがある。それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なる。また、曲調も当然ながら異なりあっている。これら『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』の平仄上の差異についてはこちら。七言絶句体で、七言絶句とされないものに『竹枝詞』がある。『楊柳枝』と前出『竹枝詞』との違いを強調してみれば、前者『楊柳枝』は、都・洛陽の民歌となるだけに優雅である。それに対して『竹枝詞』は、表現が直截である。巴渝(現・四川東部)の人情、風土を歌ったもので、鄙びた風情とともに露骨な情愛を謡っていることである。相似点は、どちらも典故や格調を気にせず、近体七言絶句よりも気楽に作られていることである。
唐教坊の曲名。単調と双調がある。花間集には二十四首所収(異名の「柳枝」九首を含む)皇甫松の詩は二首で、単調二十八字四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。
楊柳枝二首其一
春入行宮映翠微 玄宗侍女舞煙絲
如今柳向空城綠 玉笛何人更把吹
○●△○●●○ ○○●●●○○
△○●●△○● ●●△○△●△
楊柳枝二首其一
(避寒の温泉宮に春が訪れ、池端の柳の緑が茂るが、いまはここに誰もいない、何処からか折楊柳の笛曲が聞えてきて、玄宗当時の数万人とも言われた宮女の情をおもい、更に笛の音が聞えてきて堪えがたいと詠う。)
春入行宮映翠微,玄宗侍女舞煙絲。
春景色は離宮の庭からの眺める全てに入ってきて、春山の中腹は薄緑色に生える。ここにも侍っていた、唐の玄宗の数万の宮女たちは、香炉に立ち上る一条の紫煙のなかで舞い、儚くきえていった。
43. 行宮 皇帝の、行幸時あるいは、政変などの理由で御所を失陥しているなどといった場合、一時的な宮殿として建設あるいは使用された施設の事を言われる。他に行在所(あんざいしょ)、御座所(ござしょ)、頓宮(とんぐう) .その各所に妃嬪は配属されていた。ここでは避寒の温泉宮、避暑地の離宮をいう。
44. 翠微 ① 薄緑色にみえる山のようす。また、遠方に青くかすむ山。② 山の中腹。八合目あたりのところ。
45. 玄宗侍女 唐太宗继位之初后宫の時の宫女は実に三千人,であった。百年後玄宗のときには侍女は八千人になった。『新唐書』「宦者傳」、「開元、宮嬪はおおよそ四万に至る。」と、玄宗の時の宮女の数を示している。杜甫は、「先帝侍女八千人」といい、白居易も「後宮の佳麗三千人」李百薬は「無用の宮人は数万に達する」といっている。女たちは皇帝の妻妾であり、錦衣を着て山海の珍味を食し、ひとたび呼ばわれば百人の下稗が答える、最も高貴にして最も権勢の高い人々であった。しかし、その運命は逆にまた最も不安定であり、いつでも天国から地獄に堕ち、甚だしい場合には「女禍」(皇帝を色香によ惑わせた罪)の罪名を負わされ犠牲の羊にされた。あるいは、皇帝がひとたび崩御すると、后妃たちの財産、生命、地位はたちまち何の保障もなく、天下の母の鏡と尊ばれながら、じつは常に他人に運命を翻弄され、吉凶も保障し難い境遇にあったのである。宮人は、身を九重(天子の宮殿)に置き、はなはだ高貴であるように見えるが、じつはただの皇帝家の家碑に過ぎず、衣食の心配がなくたいへん幸福のように見えるが、じつは人間性を最も残酷に破壊された人々であった。宮廷においては、少数の地位の高い后妃の他は、万単位で数えられる普通の宮人であり、唐代では「官女」「宮城」「宮脾」などとも呼ばれていた。彼女たちは長安にあった三大皇宮(太極宮、大明宮、興慶宮)と東都洛陽にあった大内(天子の宮殿)と上陽の両宮殿、及び各地の離宮、別館、諸親王府、皇帝陵にそれぞれ配属されていた。
玄宗の時代、ひじょう妃嬪がはなはだ多かったので、「妃嬪たちに美しい花を挿すよう競わせ、帝は自ら白蝶を捕えて放ち、蝶のとまった妃嬪のところに赴いた」。また、妃嬪たちは常に「銭を投げて帝の寝所に誰が侍るのかを賭けた」(『開元天宝遺事』巻上、下)。彼女たちの苦痛を想像することができる。
「長門(妃嬪の住む宮殿)閉ざし定まりで生を求めず、頭花を焼却し挙を卸却す。玉窓に病臥す 秋雨の下、遥かに聞く別院にて人を喚ぶ声」(王建「長門」)、「早に雨露の翻って相い誤るを知らば、只ら荊の簪を挿して匹夫に嫁したるに」(劉得仁「長門怨」)、「珊瑚の枕上に千行の涙、是れ君を思うにあらず 是れ君を恨むなり」(李紳「長門怨」)等々と詩人に描写されている。唐代の人は「宮怨」「婕妤怨」「長門怨」「昭陽怨」などの類の詩詞を大量に作っており、その大半は詩人が后妃になぞらえて作ったものであるが、じつに的確に后妃たちの苦悶と幽怨の気持とを表している。これらの作品を貴婦人たちの有りもしない苦しみの表現と見なすべきではない。これらには彼女たちの、宮中での不自然な夫婦生活に対する怨み、民間の普通の夫婦に対する憧れがよく表現されている。女性として彼女たちが抱く怨恨と憧憬は、自然の情に合い理にかなっている。
46. 舞煙絲 香の煙が糸引いて立ち上る様子をいう。
如今柳向空城綠,玉笛何人更把吹。
その離宮行在所もこの頃は、柳がたれるだけで、誰もいない城には鬱蒼とした緑に染まっている笛中の内、楊柳の一曲はだれがふいているのか、行宮の情を起させるのか、更に笛の音が響いてくる。
47. 如今 今,今どき,近ごろ如今的年轻人近ごろの若者.
48. 玉笛 美人であるか、一芸に秀でていることで後宮に召された。この二句は、李白《2420春夜洛城聞笛》(春夜 洛城に笛を聞く) 「誰家玉笛暗飛声、散入春風満洛城。比夜曲中聞折柳、何人不起故園情。(誰が家の玉笛ぞ 暗に聲を飛ばす、散じて春風に入って 洛城に 滿つ。此の夜 曲中 折柳を 聞く、人か起こさざらん 故園の情。)にもとづいている。