花間集 訳注解説 巻二-19 (82)回目皇甫松十一首 《浪濤沙二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8054

 巻二-19 (82)回目皇甫松十一首 《浪濤沙二首其一》

 

 

 

花間集 訳注解説 巻二-19 (82)回目皇甫松十一首 《浪濤沙二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8054

(今は穏やかな漁村の景色が広がり、波が砂を洗う水際の近くに、むかし瀟湘の二妃のように身を投げた女がいた、去年のことだった、別れた人を思って長江の景色を詠う)

緩やかな流れから、早瀬が始まる河辺りには、か細い葉の草がはえ、疎らな雑木林に続いている。風が強く波が立って、漁船が四隅を竹竿で張った沙網を仕掛け、網は半ば沈みかけようとしている。水際の白鷺が棲みついていかもめは砂地で眠っているところ、昔、水の神が棲んでいた住まいのあたりだろう、入り江の港の方に飛んでいく。去年のことだった、その砂浜で觜宿の星を見て投身した神女は帰ってこない、瀟湘の二妃とおなじような大江の別れの心というものか、もう二度と逢うことはない。

 

 

 

 

 

 

 

花間集 巻二

 

 

 

 

 

 

30. 女道士は、唐代の女性の中できわめて自由奔放な人々であったから、唐代の女道士は娼優に近かったという学者もいる(梁乙真『中国婦女文学史綱』、譚正璧『中国女性文学史話』)。

 彼女たちは深い教養を身につけ、常に宮廷、王府、貴族豪門の屋敷に出入りしては、軍事・政治の大事に参両したり、天文や人事に関する吉凶を占ったので、皇帝・皇后や貴顕から大いに信用された。女道士の許霊素はかつて粛宗の張皇后を助け、偽の詔勅を作り、皇后の生んだ子を皇太子にした(『旧唐書』后妃伝下)。また、尼僧の王奉仙は唐末、節度使間の戦争が激しかった時、朝廷の観察使等の大官や将帥たちの軍師となり、軍中の賞罰、作戦などすべて自ら決した(『資治通鑑』巻二五七、嬉宗光啓三年)。こうした例は決して少なくない。

 彼女たちは、社交、外出、生活などなんでも比較的自由だった。上述の出家した玉真公主は、玄宗時代には特殊な地位にあって活躍した人物である。彼女は常時宮廷に出入りし、兄玄宗や高官貴顕とよく一緒に出かけて遊んだ。唐詩の中には、当時の近臣たちの唱和の作品に、玉真公主とともに遊んだことを特別に詠んだ詩がある。ところで、尼僧や女道士は常に四方の名山大川を自由に遊歴することができた。李白はかつて友人の女道士祐三清が南岳(浙江省呉興県に所在)に遊ぶのを送ったが、その時送別のために詩をつくっている。「呉江の女道士、頭に蓮花巾を戴く、……足下には遠遊の履、波を凌いで素き塵を生ず」(李白「江上に女道士拷三清の南岳に遊ぶを送る」)こうした女道士はなんと自由でロマンチ″クな平とか。女道士は時々道観で人前に顔をさらして経を講じたが、それに惹かれて上流階級の子弟の一群が争って見に行った。

 韓愈は「華山女」(華山は峡西省華陰県にある山)と題する詩の一節で、「華山の女児家道(道教)を奉じ、……汝を洗い面を拭って冠岐(冠と肩かけ)を著け、白咽 紅頬長眉青し。遂に来たって座に陛って真訣(道教の秘訣)を演べ、……観中に人満ちて観外に坐し、後れて至るものは地無くして聴くに由無し。……豪家の少年 壹に道を知らんや、来って遁ること百匝(百周)して脚停どまらず。……仙梯(神仙の世界へのはしご)単じ難くして俗縁重し、浪りに青鳥(西王母の使いの鳥、ここでは華山女を指す)に憑って丁寧を通ず」と歌っている。

 

 このょうな女道士の説法は、多くの男たちを引きつけてやまなかった。彼女たちの行勤はさらに自由奔放であり、高官名士と広く交際して彼らと詩詞の応酬をし、風を吟じ月と遊び、、琴を弾き碁を打ち、同席して酒を飲み、挾を連ねて遊びに出、ふざけあっては談笑し、しないこととてないという有様であった。当時の才女として有名な女道士李季蘭、魚玄機などは社交界の明星であり、近世の社交界の花形のような存在であった。「遊び人はおめかしをし、争って彼女たちと懇ろになろうとし、あるいはまた酒を持参して行く者は必ず琴を弾き詩をつくり、その間冗談を言ってふざけあった」(『三水小噴』緑鮪)。李季蘭は開元寺で文人たちと会合をもち、席上当意即妙に、「山気 日夕佳し」(陶淵明の詩「飲酒」の一句)を借りて、同席の劉長卿の持病である痛気(ヘルニア。山気と痛気は同じ発音)をからかって、満座の爆笑を誘った(『唐才子伝』巻二)。女道士の交際の自由奔放さの一端を知ることができる。

 

 

浪濤沙二首其一

(今は穏やかな漁村の景色が広がり、波が砂を洗う水際の近くに、むかし瀟湘の二妃のように身を投げた女がいた、去年のことだった、別れた人を思って長江の景色を詠う)

灘頭細草接疎林,浪惡罾舡半欲沉。

緩やかな流れから、早瀬が始まる河辺りには、か細い葉の草がはえ、疎らな雑木林に続いている。風が強く波が立って、漁船が四隅を竹竿で張った沙網を仕掛け、網は半ば沈みかけようとしている。

宿鷺眠鷗飛舊浦,去年沙觜是江心。

水際の白鷺が棲みついていかもめは砂地で眠っているところ、昔、水の神が棲んでいた住まいのあたりだろう、入り江の港の方に飛んでいく。去年のことだった、その砂浜で觜宿の星を見て投身した神女は帰ってこない、瀟湘の二妃とおなじような大江の別れの心というものか、もう二度と逢うことはない。

 

(浪濤沙 二首其の一)

灘の頭 細草 疎林に接し,浪惡く 罾舡 半ば沉まんと欲す。

宿鷺 眠鷗 舊浦に飛び,去年 沙觜 是れ江の心なり。

 

浪濤沙二首其二

蠻歌豆北人愁,蒲雨杉風野艇秋。

浪起鵁鶄眠不得,寒沙細細入江流。

(浪濤沙二首其の二)

蠻歌 豆 北人の愁,蒲雨 杉風 野艇の秋。

浪起き 鵁鶄 眠りは得られず,寒沙 細細にして 江に入りて流る。

 


皇甫松3《巻2-19 浪濤沙二首其一》

『浪濤沙二首其一』 現代語訳と訳註

(本文)

浪淘沙二首其一

灘頭細草接疎林,浪惡罾舡半欲沉。

宿鷺眠鷗飛舊浦,去年沙觜是江心。

 

(下し文)

浪濤沙二首其一

灘の頭 細草 疎林に接し,浪惡く 罾舡 半ば沉まんと欲す。

宿鷺 眠鷗 舊浦に飛び,去年 沙觜 是れ江の心なり。

 

(現代語訳)

(今は穏やかな漁村の景色が広がり、波が砂を洗う水際の近くに、むかし瀟湘の二妃のように身を投げた女がいた、去年のことだった、別れた人を思って長江の景色を詠う)

緩やかな流れから、早瀬が始まる河辺りには、か細い葉の草がはえ、疎らな雑木林に続いている。風が強く波が立って、漁船が四隅を竹竿で張った沙網を仕掛け、網は半ば沈みかけようとしている。

水際の白鷺が棲みついていかもめは砂地で眠っているところ、昔、水の神が棲んでいた住まいのあたりだろう、入り江の港の方に飛んでいく。去年のことだった、その砂浜で觜宿の星を見て投身した神女は帰ってこない、瀟湘の二妃とおなじような大江の別れの心というものか、もう二度と逢うことはない。

 

(訳注) 

皇甫松3《巻2-19 浪濤沙二首其一》

浪濤沙二首其一

24.(今は穏やかな漁村の景色が広がり、波が砂を洗う水際の近くに、むかし瀟湘の二妃のように身を投げた女がいた、去年のことだった、別れた人を思って長江の景色を詠う)

花間集には浪濤沙は皇甫松の二首が所収されている。雑曲歌辞、七言絶句形式、二十八字四句三平韻⑦⑦7⑦の詞形をとる。

蠻歌豆北人  蒲雨杉風野艇
浪起鵁鶄眠不得  寒沙細細入江

  
  

皇甫松(生卒年不詳・父皇甫湜が約777~約830とされているので約800~約850と考える。親子とも、隠遁者の為形跡を遺していない)、復姓で皇甫が姓、松が名。一名、嵩とも言う。字を子奇と言い、自ら檀欒子と号した。睦安(今の浙江省淳安)の人。韓愈門下、工部侍郎、皇甫湜の子、宰相牛僧孺の外甥で、晩唐の詞人。『酔郷日月』 『人隠賦』などの著書のあったことが知られており、これらの書名からすると、隠逸的傾向の強かった人物であったことが分かる。花間集では「皇甫先輩松」とある。唐代では、進士を先輩と呼ぶので、進士で、出仕しないで終わったのだろう。『花問集』 には十二首の詞が収められている。

25.《雑曲歌辞》 

浪濤沙 雑曲歌辞であるところの浪濤沙【浪淘沙ろうとうさ】。波が砂をよなげる。この作は、黄河や長江の流れを詠じている。『楚辭』の九歌に擬しているといわれる。九歌は一種の祭祀歌であると考えられる。湖南省あたりを中心にして、神につかえる心情を歌ったものとするのが、有力な説である。九歌と総称されるが、歌の数は十一ある。作者は屈原とされるが、異説もある。王逸は、屈原が懐王に追われて、瀟湘地域に旅した際、土着の祭祀歌があまりに野卑だったので、優美なものに改作して与えたのだとする。同時に、その神に対する心情のうちに、自分の王に対する忠誠を寓意として歌いこんだともいう。

雑曲歌辞:楽府詩の一つ。内容は雑然としており、志を描写するものや感情を発露するものであり、宴遊や歓楽、うらみや別離の情、行役や征戍の苦労を詠ったものがある。

26.浪濤沙:なみが砂を洗う。詞牌・『浪濤沙(浪淘沙)』となる。 ・濤淘:よなげる。米を水に入れて、ゆりとぐ。物を水に入れて、揺らし動かして洗う。

 

灘頭細草接疎林,浪惡罾舡半欲沉。

緩やかな流れから、早瀬が始まる河辺りには、か細い葉の草がはえ、疎らな雑木林に続いている。風が強く波が立って、漁船が四隅を竹竿で張った沙網を仕掛け、網は半ば沈みかけようとしている。

27. 罾 正方形の網の四隅を竹ざおで張った沙網。水底に沈めておいて、時々引き上げて魚をとる。

 

宿鷺眠鷗飛舊浦,去年沙觜是江心。

水際の白鷺が棲みついていかもめは砂地で眠っているところ、昔、水の神が棲んでいた住まいのあたりだろう、入り江の港の方に飛んでいく。去年のことだった、その砂浜で觜宿の星を見て投身した神女は帰ってこない、瀟湘の二妃とおなじような大江の別れの心というものか、もう二度と逢うことはない。

28. 舊浦 この詩は、屈原楚辞九歌に基づいており、瀟湘、黄河の水神を連想させるものである。いかに重要な河であったかは神話や伝説からも十分にうかがえる。 10個の太陽のうち9個を射落としたという伝説を持つ羿は、河伯を弓で射てその妻の雒嬪を奪ったといわれる。河伯とは黄河の神であり、雒嬪とは黄河の支流のひとつ洛水の女神である。瀟湘神:詞牌の一。詞の形式名。『瀟湘曲』ともいう。詳しくは下記の「構成について」を参照。この作品がこの詞牌の起源になる。湘妃と斑竹の、亡き人を偲ぶ故事で、深い味わいを出している。

29. 觜【し】二十八宿の一。西方の第六宿。オリオン座北部の三つの星をさす。とろきぼし。觜宿。付き合いをするには吉とされて始めたものの、別れたというほどの意味になろうか。皇甫松の作品は暗示的な表現が多い。

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