花間集 訳注解説 巻二-16 (78)回目温庭筠 《荷葉盃三首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8030

 巻二-16 (78)回目温庭筠 《荷葉盃三首其三》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017121

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-037卷176_24 送祝八之江東賦得浣紗石(卷十七(二)一○二九)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8027

 

 

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744年-集05【字解集】 a初出金門・b東武吟・c來日大難・d古風三十八Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7979

 

 

孟浩然

李白詩

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司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

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諸葛亮 出師表

 

 

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

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《楚辞九辯》

 

 

 

 

  総合案内

 

 

 

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-22 全唐詩338-_23 #2杏花 -#2 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8028

 

 

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806年-018-#6 全唐文551-11-#6喜侯喜至贈張籍、張徹  【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7944

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

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index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

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index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

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index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-65#6 課伐木并序 杜詩詳注(卷一九(四)一六三九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8029

 

 

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757年-集-2 【字解集】 園・歸・園官送菜・園人送瓜 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7993

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

杜甫詩 全詩 総合案内 

 

 

 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 巻二-16 (78)回目温庭筠 《荷葉盃三首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8030 (01/21)

 

 

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70)回目温庭筠 《清平樂/遐方怨/訴衷情/思帝/夢江南 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7982 (01/13)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-031 同聾歌一首 -#2 〔張衡〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8031

 

 

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玉集-04 歌詩一首井序・留別妻一首・羽林郎詩一首【字解集】〈〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7977

 

 

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花間集 訳注解説 巻二-16 (78)回目温庭筠 《荷葉盃三首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8030

(秋になって夜の採蓮に出た宮女も、年期終えて故郷に帰るのか何処かへ、嫁ぐのか小舟から本船に乗り移って旅立って行く、その顔には涙があふれていると詠う)その三

歌舞の上手い楚国の宮女が年期を終わって南浦の港から帰ろうとしている。旅立ちの朝から雨が降っている。女の紅い頬は愁いであふれる涙にぬれている。旅立つ船に向って渡し船の小舟が櫂に合わせてゆらゆら揺れながら上陽宮の船着き場に入って載せて大船にのり、波を起こして出向する。そして西風に乗って東に下って離れていく。

 

 

 

 

 

花間集 巻一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲《荷葉盃三首》

 

 

 

 

 

 

 

17. 歌舞と音楽 (3

 

唐代は音楽が発達したばかりではない。舞踊もまた黄金時代を現出した。宮中では常時、大規模な歌舞の催しが開かれていた。たとえば、「上元楽」、「聖寿楽」、「孫武順聖楽」等であり、これらには常に宮妓数百人が出演し、舞台は誠に壮観であった。宮廷でも民間でも、舞妓は常に当時の人々から最も歓迎される漬物を演じた。たとえば、霓裳羽衣舞(虹色の絹と五色の羽毛で飾った衣裳を着て踊る大女の舞)、剣器舞(西域から伝来した剣の舞)、胡旋舞(西域から伝来した飛旋急転する舞)、柘枝舞(中央アジアから伝来した柘枝詞の歌に合わせて行う舞)、何満子(宮妓の何満子が作曲し、白居易が作詩し、沈阿翹が振り付けした歌舞)、凌波曲(美人がなよなよと歩く舞)、白貯舞(白絹を手にした舞)等々が白居易は「霓裳羽衣舞」を舞う妓女たちの、軽く柔かくそして優美な舞姿を描写している。

・・・・・・・・・・・・

案前舞者顏如玉,不著人家俗衣服。

虹裳霞帔步搖冠,鈿瓔累累佩珊珊。

・・・・・・・・・・・・

飄然轉旋迴雪輕,嫣然縱送游龍驚。

小垂手后柳無力,斜曳裾時雲欲生。

煙蛾斂略不勝態,風袖低昂如有情。

・・・・・・・・・・・・

 

「案前 舞う者 顔は玉の如く、人家の俗なる衣服を著けず。虹の裳 霞の帔(内掛け」 歩揺の冠、細瓔は累累として珊珊を佩ぶ。.……諷然と転旋すれば廻る雪より軽く、嫣然と縦送すれば游る龍も驚く。小しく手を垂れし後 柳は力無く、斜めに裾を曳く時 雲 生ぜんと欲す。煙き蛾は斂略めて態に勝えず、風はらむ袖は低く昂く 情有るが如し」(白居易「霓裳羽衣歌」)

 

白居易の《胡旋女》

胡旋女,胡旋女,心應弦,手應鼓。

弦鼓一聲雙袖舉,回雪飄搖轉蓬舞。

左旋右轉不知疲,千匝萬周無已時。

人間物類無可比,奔車輪緩旋風遲。

曲終再拜謝天子,天子為之微齒。

胡旋女,出康居,徒勞東來萬里余。

中原自有胡旋者,斗妙爭能爾不如。

天寶季年時欲變,臣妾人人學圜轉。

中有太真外祿山,二人最道能胡旋。

梨花園中冊作妃,金雞障下養為兒。

祿山胡旋迷君眼,兵過黃河疑未反。

貴妃胡旋惑君心,死棄馬嵬念更深。

從茲地軸天維轉,五十年來制不禁。

胡旋女,莫空舞,數唱此歌悟明主。

 

胡旋の女 胡旋の女、心は弦に應じ 手は鼓に應ず。

弦鼓一聲 雙袖舉がり、回雪飄搖し 轉蓬舞ふ。

左に旋り右に轉じて疲れを知らず、千匝 萬周 已む時無し。

人間物類 比すべき無く。奔車 輪緩 旋風 遲し。

曲終り再拜して天子に謝す、天子之が為に微かし齒を(ひら)く。

胡旋の女 康居に出ず、勞して東來すること萬里余。

中原に自ずから有胡旋の者有り、斗妙 爭能 爾如かず。

天寶の季年 時に變はらんと欲し、臣妾人人 圜轉を學ぶ。

中に太真有り 外には祿山、二人最も道ふ 能く胡旋すと。

梨花園中 冊して妃と作し、金雞障下 養ひて兒と為す。

祿山の胡旋 君は眼を迷はし、兵黃河を過ぐるも未だ反せずと疑ふ。

貴妃の胡旋 君が心を惑はし、死して馬嵬に棄つるも 念ひ更に深し。

茲(これ)より地軸天維轉じ、五十年來 制せど禁ぜず。

 

胡旋舞は別の風格がある。これら舞妓のなかから、何人かの出色の舞踊家が出現した。

楊玉環(楊貴妃)、彼女は以千年後百年にもわたって絶世の美人として、また「女禍」として史上有名になった。しかし、人は往々この女性が天才的な舞踊家、音楽芸術家であったことを軽視する。彼女は多方面の芸術的才能を持っており、特に舞踊に長じ、「霓裳羽衣舞」の類いまれな踊り手として、千古の後までその名が伝えられている。彼女はまた胡旋舞等の舞いも踊ることができた。同時にまた音律にも長じ、多種多様な楽器にもよく通じていた。特に撃磐(石製の打楽器の演奏)が最も得意であり、その音声は冷たく清らかであり、またオリジナリティに富んでいて、宮廷の名楽師でも及ばなかった。また琵琶もたいへんL手で、梨園で演奏した時、音色は張りつめ澄みきって、雲外にただよう如くであった。それで、親王、公主、貴婦人たちは争って彼女の琵琶の弟子になろうとした。笛豊た上手であった。ある華、彼女は玄宗の兄賢の玉笛をこっそり借りて吹いたため、玄宗皇帝の不興をかった。しかし、風流文士たちは「梨花の静院に人の見ゆる無く、閑ろに寧王の玉笛を把りて吹く」(『楊太真外伝』に引く張詰の詩句)などといって、きわめで風流なことと褒めそやした。

 

楊貴妃の侍女張雲容も「霓裳羽衣舞」が上手だったので、楊貴妃は詩をつくって彼女の舞姿を誉めそやした。「羅袖 香を動かし 香己まず、紅蕖は嫋嫋 秋煙の裏。軽き雲は嶺上にて乍ち風に揺らぎ、嫩き柳は池塘にて初めて水を払う」(楊貴妃「阿那曲」)。

これと同じ時期、新豊(陝西省臨潼)の女俳優謝阿蛮は凌波曲を上手に踊った。常時、宮廷に出入りし、玄宗と楊貴妃からたいへん愛された。ある時、彼女が舞い、玄宗と楊貴妃が親しく自ら伴奏した。楊貴妃は特別に金を散りばめた腕輪を褒美として贈った(『楊太真外伝』、『明皇雑録』補遺)。

当時、公孫大娘の「剣器の舞」も非常に有名で、その演舞は雄壮で人々の魂まで揺り動かした。

杜甫は次のように詠っている。

 

杜甫《2099觀公孫大娘弟子舞劍器行》767年大曆二年56

昔有佳人公孫氏,一舞劍氣動四方。

觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。

爀如羿射九日落,矯如群帝驂龍翔。

來如雷霆收震怒,罷如江海凝清光。

絳脣朱袖兩寂寞,況有弟子傳芬芳。

臨潁美人在白帝,妙舞此曲神揚揚。

與余問答既有以,感時撫事增惋傷。

先帝侍女八千人,公孫劍器初第一。

五十年間似反掌,風塵傾動昏王室。

梨園子弟散如煙,女樂餘姿映寒日。

金粟堆南木已拱,瞿唐石城草蕭瑟。

玳筵急管曲復終,樂極哀來月東出。

老夫不知其所往,足繭荒山轉愁疾。

【爀は火+霍であるが字書にないため代用する】

 

公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行杜甫

昔 佳人の公孫氏有り、一たび剣幕を舞えば四方を動かす。

観る者は山の如くして色は沮喪し、天地も之が為に久しく低昂す。

爀として羿(伝説の弓の名人)の九日(九つの太陽)を射て落すが如く、矯として群帝(五帝)の龍を驂(二頭だての車)として翔るが如し。

来たるは雷霆の震怒を収むるが如く、罷むるは江海の清光を凝らすが如し。

緯唇 珠袖 両つながら寂寞、晩(晩年)に弟子有り、芬芳を伝う。

臨頴の美人(李十二娘)、はく帝に在り、妙みに此の曲を舞いて神揚揚たり。

余と問答す 既に以有り、時に感じ事を撫して惋傷を増す。

先帝の侍女 八千人、公孫の剣器 初めより第一。

五十年間 掌を反すに似て、風塵は傾動として王室に昏し。

梨園の子弟 散ずること煙の如く、女楽(歌妓)の余姿 寒日に映ず。

金粟堆(玄宗の御陵の名)の南 木己に拱きく、笹唐の石城(白帝城) 草蕭瑟たり。

玳筵(豪華な宴席) 急管(せわしげな笛の音) 曲復た終り、楽しみ極まりて哀しみ来たり 月は東に出づ。

老夫は其の往く所を知らず、足は荒山に繭して(足にたこができて)転た愁疾たり。

 

唐の後期、宝暦二年(826)、浙江東部の地から、飛燕、軽鳳という二人の舞妓が着物として朝廷に献上された。彼女たちの舞姿はあでやかで、歌舞がひと度始まるとあらゆる鳥が台上に集まったといわれる。歌舞が終ると、皇帝は彼女たちが風に吹かれ日にさらされることを心配して宝帳(豪華な天幕)の中に入れた。官女たちは、「宝帳 香は重重、一双 紅き芙蓉」と歌った(『杜陽雑編』巻中)。その他にも、宮妓の粛煉師という女性がおり、柘枝舞が大変上手であり、この舞いで彼女にかなう人はいなかった。また教坊妓の顔大娘、鹿三娘、張四娘等も、みな歌、舞ともに優れていた。

 

唐代にはまた一種の芝居化された歌舞があり、専門家はこれを「歌舞戯」とよんだ。これには少なからざる女芸人が出演した。則天武后はかつて高宗に、「天下の婦女が俳優の戯を行うことを禁ずる」勅令を出すよう願った(『旧唐書』高宗妃上)。当時女性を中心とする演劇がすでに盛んであったことがわかる。女俳優の劉来春は、「陸参軍」という劇を演じるのが最も上手だった(『雲渓友議』巻九)。「踏謡娘」という劇はそれ以上に流行した。これはもともと北斉の時代には男が女に扮していたが、唐代には男女共演となった。この歌劇では主役をやる女性―〔いじめに合う蘇郎中の妻〕―は歌いかつ舞い、それに多くの人々が唱和した。この歌劇は教坊妓の張四娘が最も上手だった。ある唐詩は、女芸人が街頭でこの劇を演じている様子を、「手を挙げて花鈿を整え、身を翻して錦延に舞う。馬は囲みて行処に匝り、人は蔟がり 場を看て円し」(常非月「談容娘を詠ず」)と描写している。

 

また当時、民間には町の横丁で「変文」を語り唱う女性たちもいた。変文とは今日の「評書(講談)」や「大鼓(鼓を打って唱う演芸)」などのように、語り唱う民間芸だった。吉師老は「萄女が昭君に転じ変ずるを看る」という詩一首を書いて、萄女が変文を語り唱う有様を次のように描写している。「妖姫は未だ石梢の裾を著けず、自ら遣う 家は錦水の溝に連なると。檀口(美人のロ)は解き知る 千載の事、清詞は嘆ずるに堪えたり 九秋の文。翠眉聾むる処 楚辺の月、画巻(王昭君出塞234

の絵巻)開く時 塞外の雲」。惜しいことに、これら民間の芸術家たちの姓名は、みな埋没してしまって分からない。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『荷葉盃』十四首

 

 

作者

初句7字

 

 

溫助教庭筠

巻二14

荷葉盃 三首 其一

一點露珠凝冷

 

 

巻二15

荷葉盃 三首 其二

鏡水夜來秋月

 

 

巻二16

荷葉盃 三首 其三

楚女欲歸南浦

 

 

韋荘(韋相莊)

巻二44

荷葉杯二首其一

絶代佳人難得

 

 

巻二45

荷葉杯二首其二

記得那年花下

 

 

(顧太尉

巻七22

荷葉盃九首其一

春盡小庭花落,

 

 

巻七23

荷葉盃九首其二

歌發誰家筵上,

 

 

巻七24

荷葉盃九首其三

弱柳好花盡拆,

 

 

巻七25

荷葉盃九首其四

記得那時相見,

 

 

巻七26

荷葉盃九首其五

夜久歌聲怨咽,

 

 

巻七27

荷葉盃九首其六

我憶君詩最苦,

 

 

巻七28

荷葉盃九首其七

金鴨香濃鴛被,

 

 

巻七29

荷葉盃九首其八

曲砌蝶飛煙暖,

 

 

巻七30

荷葉盃九首其九

一去又乖期信,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

溫庭筠64《巻2-14 荷葉盃 三首 其一》

荷葉杯 其一

(舟遊びで池にf浮かべた船の上で、歓びの時を過ごしたが、今は別れて断腸の思いでいるけれど、水面を抜ける風に当たるとその時と同じような涼しさを感じたと詠う。)

一點露珠凝冷,波影,滿池塘。

この池塘の蓮の葉に一粒の露の玉があり二つの冷えが一つになったものだ、舟が起す波が葉影にきえる、池には蓮がいっぱいに溢れている。

綠莖紅艷兩相亂,腸斷,水風涼。

みどりの茎がのび、紅く妖艶な花は二つながら開き、揺れ合い乱れている。それは舟遊びで喜び合ったことを思い、腸がちぎれるほどにいたむ、ああその時も感じた水面を抜けてくる風は涼しいものだったことを。

 

荷葉杯【かようはい】 其一

一點 露珠 冷を凝り,波影あり,池塘に滿つ。

綠莖 紅艷にして 兩つながら相い亂れ,腸斷つ,水風の涼。

 

溫庭筠65《巻2-15 荷葉盃 三首 其二》

荷葉杯 其二

(後宮の秋の夜の舟遊び、歌舞と採蓮に出た宮女たちのそれぞれが思いやることを詠う)

鏡水夜來秋月,如雪。

後宮の大池の鏡のような水面に映る秋の夜の月は、雪のような景色にかえている。

採蓮時,小娘紅粉對寒浪。

今宵の蓮を採る宴の時、装いした宮女の若い娘はお化粧した紅い頬を冷たい水に差し向けている。もうすでにかなり寒くなり始めた中、白い腕と素足が美しい。

惆悵,正思惟。

採蓮の小娘は家が恋しく、見ている宮女も、胸を痛め、それぞれに怨みを思い、それでもまだ、それぞれ思いを抱いている。

 

(荷葉杯 其の二)

鏡水 夜來の秋月,雪の如し。採蓮の時,

小娘【しょうじょう】の紅粉 寒浪に對す。惆悵として,正に思惟す。

 

 

溫庭筠66《巻2-16 荷葉盃 三首 其三》

荷葉盃 三首 其三

(秋になって夜の採蓮に出た宮女も、年期終えて故郷に帰るのか何処かへ、嫁ぐのか小舟から本船に乗り移って旅立って行く、その顔には涙があふれていると詠う)その三

楚女欲歸南浦,朝雨,濕愁紅。

歌舞の上手い楚国の宮女が年期を終わって南浦の港から帰ろうとしている。旅立ちの朝から雨が降っている。女の紅い頬は愁いであふれる涙にぬれている。

小船搖漾入花裏,波起,隔西風。

旅立つ船に向って渡し船の小舟が櫂に合わせてゆらゆら揺れながら上陽宮の船着き場に入って載せて大船にのり、波を起こして出向する。そして西風に乗って東に下って離れていく。

荷葉杯【かようはい】 其三

楚女 南浦に歸らんと欲す,朝 雨あり,愁紅を濕す。

小船 漾を搖らせ 花裏に入り,波 起し,西風を隔つ。

 

 

溫庭筠66《巻2-16 荷葉盃 三首 其三》

『荷葉杯』其三 現代語訳と訳註

(本文)

荷葉盃 三首 其三

楚女欲歸南浦,朝雨,濕愁紅。

小船搖漾入花裏,波起,隔西風。

 

(下し文)

(荷葉杯三首 其の三)

楚女 南浦に歸らんと欲す,朝 雨あり,愁紅を濕す。

小船 漾を搖らせ 花裏に入り,波 起し,西風を隔つ。

 

(現代語訳)

(秋になって夜の採蓮に出た宮女も、年期終えて故郷に帰るのか何処かへ、嫁ぐのか小舟から本船に乗り移って旅立って行く、その顔には涙があふれていると詠う)その三

歌舞の上手い楚国の宮女が年期を終わって南浦の港から帰ろうとしている。旅立ちの朝から雨が降っている。女の紅い頬は愁いであふれる涙にぬれている。

旅立つ船に向って渡し船の小舟が櫂に合わせてゆらゆら揺れながら上陽宮の船着き場に入って載せて大船にのり、波を起こして出向する。そして西風に乗って東に下って離れていく。

 

(訳注) 溫庭筠66《巻2-16 荷葉盃 三首 其三》

18.荷葉杯 其三

(秋になって夜の採蓮に出た乙女たちの恋しい男を思いやることを詠う)

唐の教坊の曲名。『花間集」一には十四首所収。温庭筠の作は三百収められている。単調二十三字、六句四仄韻二平韻で、❻❷/③❼/❷③の詞形をとる。

荷葉盃 三首其一

一點露珠凝,波,滿池

綠莖紅艷兩相,腸,水風

  

  

荷葉盃 三首其二

鏡水夜來秋,如

採蓮,小娘紅粉對寒

,正思

  
  
  

荷葉盃 三首 其三

楚女欲歸南,朝,濕愁

小船搖漾入花,波,隔西

   

   

094荷葉杯 其一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-279-5-#33  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2942

荷葉杯 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-258-5-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2672

 

楚女欲歸南浦,朝雨,濕愁紅。

歌舞の上手い楚国の宮女が年期を終わって南浦の港から帰ろうとしている。旅立ちの朝から雨が降っている。宮女の紅い頬は愁いであふれる涙にぬれている。

19. ・楚女 戦国時代、秦、燕、斉、趙、魏、韓、楚があり、楚の女性がきれいであったことでこういう。呉楚越の女性は、多く後宮に自薦他薦、貢物とされた。宮女は15歳で試験を受けて後宮に仕える。21歳が年期が終える。歌舞音曲の上手い者でもこの規定になる。適齢期が1518歳であったから、年季明けでは、第一夫人は難しい。寵愛を失って妃賓でも家臣、他家に嫁がせられる場合もあった。それ以外で女性が旅をするというのは難しい。したがってこの女性は、年期を終えた妓優の宮女が洛陽の港から故郷か、あるいは第二夫人、愛妾として旅立つということであろう。

20. ・南浦 長江下流域の江南の港、浙江省、会稽、紹興をいう。ここは洛陽の船着き場。以下の詩に基づくものである。

『楚辞、九歌、河伯』「子交手兮東行、送美人兮南浦。波滔滔兮來迎、魚鱗鱗兮媵予。」(子と手を交へて東行し、美人を南浦に送れば。波は滔滔として來り迎へ、    魚は鱗鱗として予に媵(したが)ふ。汝と手を携えて東に行き、汝を南の川辺に送っていけば、波は滔滔として來り迎え、魚は鱗鱗として私につき従うのだ

河伯とは黄河の神をさす。この歌はその河伯が愛人とのひと時の逢瀬を楽しむさまを歌っている。内容からして祭祀歌とは言えず、むしろ恋愛歌であると受け取れる。南方の楚の人が北方の黄河の神を歌ったのである。

【参考】

李白『陪従祖済南太守泛鵲山湖

水入北湖去、舟従南浦囘。

遙看鵲山傳、却似送人来。

陪従祖済南太守泛鵲山湖 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 202

杜甫夔州《2042憑孟倉曹將書覓土婁舊莊

平居 喪亂  ,不到 洛陽岑 

為歷 雲山  ,無辭 荊棘深 

北風 黃葉  南浦 白頭吟 

十載 江湖  ,茫茫 遲暮心 

牛嶠『感恩多二首其二』

自從南浦別,愁見丁香結。

近來情轉深,憶鴛衾。

幾度將書托煙鴈,淚盈襟。

淚盈襟,禮月求天,願君知我心。

春の東から初夏の南と時間の経過を感じさせる。その時間経過は、女の蕾を女盛りを過ぎようとする時間経過も感じさせる。下句の「西風」で完全に別れてしまったことを感じさせる。
 

小船搖漾入花裏,波起,隔西風。

旅立つ船に向って渡し船の小舟が櫂に合わせてゆらゆら揺れながら上陽宮の船着き場に入って載せて大船にのり、波を起こして出向する。そして西風に乗って東に下って離れていく。

21. ・漾 笑顔がこぼれる.水がゆらゆら揺れる。

22. ・花裏 花裏は上陽宮をさす。

23. ・西風 1 西方から吹いてくる風。にしかぜ。2 寂しい秋の風。秋風。

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2017/01/24 (Tue) 19:37 | EDIT | REPLY |   

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