花間集 訳注解説 巻二-12 (74)回目温庭筠 《蕃女怨二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8006

 巻二-12 (74)回目温庭筠 《蕃女怨二首其一》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017117

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-033卷176_17 送于十八應四子舉落第還嵩山-#2(卷十七(二)一○二一)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8003

 

 

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744年-集05【字解集】 a初出金門・b東武吟・c來日大難・d古風三十八Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7979

 

 

孟浩然

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-20 全唐詩338- 10贈鄭兵曹 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8004

 

 

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806年-018-#6 全唐文551-11-#6喜侯喜至贈張籍、張徹  【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7944

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

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index-5 806年39歳(2)25

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index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

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index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

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韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

757年-65#2 課伐木并序#2 杜詩詳注(卷一九(四)一六三九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8005

 

 

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757年-集-2 【字解集】 園・歸・園官送菜・園人送瓜 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7993

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

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70)回目温庭筠 《清平樂/遐方怨/訴衷情/思帝/夢江南 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7982 (01/13)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・女性

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玉-029 董嬌饒一首 -#3〈〔宋 子侯〕〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8007

 

 

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玉集-04 歌詩一首井序・留別妻一首・羽林郎詩一首【字解集】〈〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7977

 

 

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 花間集 訳注解説 巻二-12 (74)回目温庭筠 《蕃女怨二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8006

(寵愛を失っても妃嬪は寵愛を受けるための努力をするけれど、後宮の宮殿という近くにいるのにまるで、北の辺境にいる男を思う女の気持ち以上に遠くなっていると詠う。)

枝という枝咲き薫る一面のまるで雪のように白い花のすでにひらいている一片には、春の細雨が潤いを与えると、番の燕が飛び交うような季節にかわってきた。宮殿には、螺鈿の琴は蝉模様があり、扇には金の雀の絵柄があり、鳳凰の描かれた梁上に今、燕と顔合わせる。寵愛を取り戻すため季節ごと、努力をするけれど、全く反応がない、まるで、遠い雁門関からの音信が帰って来ることがないというものだ、また季節が変わり、雁はそのまま帰りため飛んでいったのだろう。 

 

 

 

 

 

花間集 巻一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲《蕃女怨》

 

 

 

 

 

 

唐宋の女性の生活

唐代の女性は比較的高い地位と比較的多くの自由を享受していたけれども、しかし結局は、男尊女卑の封建社会から脱出することはできなかった。それゆえ、法律の上でも現実の生活の上でも、また観念の上でも、依然として様々な不平等な待遇を受けた。

まず、法律の上では、男女は全く不平等であった。経済・財産の上では、女性はただわずかな嫁入り費用を分けてもらえるだけで、兄弟たちとちがって財産を相続する権利はなかった。男の相続人がなく「戸絶」(後嗣の絶えた家)と認められた情況下ではじめて、未婚あるいは既婚の女性が財産の相続権に与ることができたのである(楊廷福「唐代婦女の法律上における地位」『法律史論叢』第三輯、法律出版社、一九八三年)。『全唐文』(巻九八〇)に、次のような記載がある。「洛陽の人見諺は、先ず本県から同郷人任蘭の死後に戸絶となった任蘭の住宅一区画を支給された。ところが、任蘭の娘婿の郭恭理から訴えられた。県官は晃諺の所有と断じたが、州官は娘に返せと判決した。しかし鬼諺は服さなかった」という事件である。上級の州の判決文は、「宅及び資産は、近親者たる娘のものである。令式に条文があり、この規定に拠るべきである」というものであった。この事件からみると、たとえ女子が健在であっても、この戸はやはり県官から「死絶」とされたのである。女子の財産相続権は法律で明確に定められているのに、それが認められるまで大変な手間をかけねはならなかったことがわかる。

 

夫婦関係では、夫が妻を棄てても何ら法律上の罰則はなかったが、妻や妾が夫を棄てた場合は制裁を受けねばならなかった。「妻や妾が勝手に夫のもとを去った場合は、二年の徒刑に処し、さらに他人の嫁となったものは二等級二年間)加算する」(『唐律疏議』巻一四)。さらに不平等なことは、夫が妻を殴って負傷させた場合、罪は「一般人の場合より二等級減ずる」、逆に妻が夫にそうした場合は「徒刑一年」、また夫に重傷を負わせた場合は「一般の殴傷より二等級罪を重くする」というのである(『唐律疏議』巻二二)。同じ喧嘩の訴訟でも、量刑の軽重は男女によって異なっており、男は減刑、女は増刑となった。これは男女間の法律上の地位の不平等を示したものであるばかりか、さらに夫婦の間の地位の不平等をも示していた。媵妾の類に至っては、正妻に比べてさらに一等級低かった。男女の差別の上に良民、賎民の差別が加重され、量刑にも軽重の区別がつけられた。この他、女性にはまた「連坐」の刑罰があり、未婚の娘は父の罪に連坐し、既婚の夫人ならば夫と子の罪に連坐する定めであったから、父や夫、子が罪を犯せば、自分に罪がなくても連坐制によって奴稗にされる女性が大変多かった。この法律の規定は、まさに女性を男性の付属品とみなす明らかな反映である。

 

女性は現実の生活でも、さらに多くの不幸に見舞われた。彼女たちは独立した人格をもたない資財であり男の慰み物と見なされたので、常に権勢を持つ人々から侮辱され、掠奪され、そして占有された。こうした不幸は戦乱の時が最も甚だしく、官軍であれ、「胡兵」であれ、常に女性を掠奪、強姦した。杜甫はかつて官軍がほしいままに女性を掠奪するのを非難して、「婦女 多くは官軍中に在り」(杜甫「三絶句」)と詠ったことがある。回紇などの「胡兵」に掠奪された女性はさらに悲惨であった。「生きては名家の女と為り、死しては塞垣(万里の長城)の鬼と作る」(戎昱「苦哉行」)というわけで、永遠に家族と団欒することはできなかった。また、女性は第二等の下賤の輩と見なされていたので、一度戦乱とか変事とかがあった場合には、真っ先に犠牲となった。安史の乱の時、名将張巡は陥落寸前の城を守っていたが、城内の食糧が尽きると、こともあろうに自分の愛妾を殺して将兵に食べさせ、続いてまた城中にいた女性を捜し出して軍糧とし、それを食べ尽くすと老幼の男子の順番とした(『旧唐書』張巡伝)。建中年間、節度使李希烈は汴州(河南省開封市)を攻撃したが攻略できず、ついに女性と輜重(軍事用物資)をもって壕を埋めたてた(『太平広記』巻二六九)。これら血の滴るような惨劇ほど、女性の卑賎な地位と不幸を示しているものは他にない。

 

 

溫庭筠62《巻2-12 蕃女怨 之一》

蕃女怨二首 其一

(寵愛を失っても妃嬪は寵愛を受けるための努力をするけれど、後宮の宮殿という近くにいるのにまるで、北の辺境にいる男を思う女の気持ち以上に遠くなっていると詠う。)

萬枝香雪開已遍,細雨雙鷰。

枝という枝咲き薫る一面のまるで雪のように白い花のすでにひらいている一片には、春の細雨が潤いを与えると、番の燕が飛び交うような季節にかわってきた。

鈿蟬箏,金雀扇,畫梁相見。

宮殿には、螺鈿の琴は蝉模様があり、扇には金の雀の絵柄があり、鳳凰の描かれた梁上に今、燕と顔合わせる。

鴈門消息不歸來,又飛迴。

寵愛を取り戻すため季節ごと、努力をするけれど、全く反応がない、まるで、遠い雁門関からの音信が帰って来ることがないというものだ、また季節が変わり、雁はそのまま帰りため飛んでいったのだろう。

 

(蕃女怨【はんじょえん】二首 其の一)

萬枝の香雪 開きて已に遍ねく,細雨 雙鷰【そうえん】あり。

鈿蟬の箏,金雀の扇,畫梁 相い見ゆ。

鴈門の消息 歸り來たらず,又 飛びて迴る。

 

(蕃女怨【はんじょえん】二首 其の二)

磧南【せきなん】の沙上 驚ける鴈は起つ,飛雪 千里。

玉の連環,金の鏃箭【ぞくせん】,年年の征戰。

畫樓の離恨【りこん】錦屏【きんぺい】空,杏花【きょうか】紅。

 

 

『蕃女怨二首』 現代語訳と訳註

(本文)

蕃女怨二首 其一

萬枝香雪開已遍,細雨雙鷰。

鈿蟬箏,金雀扇,畫梁相見。

鴈門消息不歸來,又飛迴。

 

(下し文)

(蕃女怨【はんじょえん】二首 其の一)

萬枝の香雪 開きて已に遍ねく,細雨 雙鷰【そうえん】あり。

鈿蟬の箏,金雀の扇,畫梁 相い見ゆ。

鴈門の消息 歸り來たらず,又 飛びて迴る。

 

(現代語訳)

(寵愛を失っても妃嬪は寵愛を受けるための努力をするけれど、後宮の宮殿という近くにいるのにまるで、北の辺境にいる男を思う女の気持ち以上に遠くなっていると詠う。)

枝という枝咲き薫る一面のまるで雪のように白い花のすでにひらいている一片には、春の細雨が潤いを与えると、番の燕が飛び交うような季節にかわってきた。

宮殿には、螺鈿の琴は蝉模様があり、扇には金の雀の絵柄があり、鳳凰の描かれた梁上に今、燕と顔合わせる。

寵愛を取り戻すため季節ごと、努力をするけれど、全く反応がない、まるで、遠い雁門関からの音信が帰って来ることがないというものだ、また季節が変わり、雁はそのまま帰りため飛んでいったのだろう。

 

(訳注)

蕃女怨二首 其一

1.(寵愛を失っても妃嬪は寵愛を受けるための努力をするけれど、後宮の宮殿という近くにいるのにまるで、北の辺境にいる男を思う女の気持ち以上に遠くなっていると詠う。)

2. 蕃女怨 未開の種族。野蛮な民族。神の紅い外国から来た女。

遠くから来た妃嬪が寵愛を失ってしまったことを表現した詩である。

温庭筠の創始の曲と言われ、『花間集』には温庭筠の二首のみ所収。単調三十一字、七句四仄韻●二平韻○で、❼❹3❸❹⑦③の詞形をとる。

萬枝香雪開已 細雨雙
鈿蟬箏 金雀 畫梁相

鴈門消息不歸 又飛

  
  

 

 

萬枝香雪開已遍,細雨雙鷰。

枝という枝咲き薫る一面のまるで雪のように白い花のすでにひらいている一片には、春の細雨が潤いを与えると、番の燕が飛び交うような季節にかわってきた。

3. 香雪 梨や杏の白く香しい花を指す。

◎万物が成長する春が来る、寵愛を受けるチャンスが生まれる春という宮殿の景色を表す。

 

鈿蟬箏,金雀扇,畫梁相見。

宮殿には、螺鈿の琴は蝉模様があり、扇には金の雀の絵柄があり、鳳凰の描かれた梁上に今、燕と顔合わせる。

4. 鈿蟬箏 蟬の鈿蟬飾りの琴。

5. 金雀屈 金泥で描いた雀の絵のある扇。

◎この三句は、後宮の宮殿の中ですぐそこに天子がいて、顔を合わすこともあるのにすれ違い、相手にされないことを表している。

 

鴈門消息不歸來,又飛迴。

寵愛を取り戻すため季節ごと、努力をするけれど、全く反応がない、まるで、遠い雁門関からの音信が帰って来ることがないというものだ、また季節が変わり、雁はそのまま帰りため飛んでいったのだろう。

6. 雁門消息木帰來 雁門にいる男からの便りのないこと。雁門は今の山西省の雁門関の西の雁門山。雁は秋にここを発って南に渡ると考えられていた。

7. 又飛迴 ここでは今年の春、雁がまた北へ帰って行くこと。女は夫への便りを手紙の使者である雁に託したい。しかし雁は女性のことなどお構いなしに無情にも飛び帰って行く、といった意味合い。いずれにしても、女への思いが伝わってこないことを云う。

◎この二句は、季節が変わっても便りがないことを、実際にこの詩の中の宮殿のような家に住むものの夫が雁門に行っているわけではなく、寵愛を受けるべく妃嬪も、季節、季節でいろんな努力をしてうったえる。それに対して、全く反応がないことを、雁門に行った征夫の返事がないことに置き換えることで、強調している。

 

8. 唐の有名芸妓

紅桃

『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。楊貴妃の侍女。楊貴妃に命じられて、紅粟玉の腕輪を謝阿蛮に渡した。後に、玄宗が安史の乱の勃発後、長安に帰還した時、楊貴妃の侍女の一人として会合する。そこで、楊貴妃の作曲した「涼州」を歌い、ともに涙にくれたが、玄宗によって、「涼州」は広められた。

謝阿蛮

『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。新豊出身の妓女。「凌波曲」という舞を得意としていた。その舞踊の技術により、玄宗と楊貴妃から目をかけられ、腕輪を与えられた。後に、玄宗が安史の乱の勃発後、長安に帰還した時、舞踊を披露した後で、その腕輪を玄宗に見せたため、玄宗は涙を落としたと伝えられる。

張雲容

全唐詩の楊貴妃の詩「阿那曲」で詠われる。楊貴妃の侍女。非常に寵愛を受け、華清宮で楊貴妃に命じられ、一人で霓裳羽衣の曲を舞い、金の腕輪を贈られたと伝えられる。また、『伝奇』にも説話が残っている。内容は以下の通りである。張雲容は生前に、高名なであった申天師に仙人になる薬を乞い、もらい受け、楊貴妃に頼んで、空気孔を開けた棺桶にいれてもらった。その百年後に生き返り、薛昭という男を夫にすることにより、地仙になったという。

王大娘

『明皇雑録』『楊太真外伝』に見える。教坊に所属していた妓女。玄宗と楊貴妃の前で雑伎として、頭の上に、頂上に木で山を形作ったものをつけた百尺ある竿を立て、幼児にその中を出入りさせ、歌舞を披露する芸を見せた。その場にいた劉晏がこれを詩にして詠い、褒美をもらっている。

許和子(永新)

『楽府雑録』『開元天宝遺事』に見える。吉州永新県の楽家の生まれの女性で本名を許和子と言った。開元の末年ごろに後宮に入り、教坊の宜春院に属した。その本籍によって、永新と呼ばれた。美貌と聡い性質を持ち、歌に長じ、作曲を行い、韓娥李延年の千年来の再来と称せられた。玄宗から寵愛を受け、演奏中もその歌声は枯れることがなく、玄宗から「その歌声は千金の価値がある」と評せられる。玄宗が勤政楼から顔を出した時、群衆が騒ぎだしたので、高力士の推薦で永新に歌わせたところ、皆、静まりかえったという説話が伝わっている。
安史の乱の時に、後宮のものもバラバラとなり、一士人の得るところとなった。宮中で金吾将軍であった韋青もまた、歌を善くしていたが、彼が広陵の地に乱を避け、月夜に河の上の欄干によりかかっていたところ、船の中からする歌声を聞き、永新の歌と気づいた韋青が船に入っていき、永新と再会し、涙を流しあったという説話が残っている。その士人が死去した後、母親と長安に戻り、民間の中で死去する。最期に母親に、「お母さんの金の成る木は倒れました」と語ったと伝えられる。清代の戯曲『長生殿』にも、楊貴妃に仕える侍女として登場する。

念奴

『開元天宝遺事』に見える。容貌に優れ、歌唱に長け、官妓の中でも、玄宗の寵愛を得ていた。玄宗の近くを離れたことがなく、いつも周りの人々を見つめていて、玄宗に「この女は妖麗で、眼で人を魅了する」と評された。その歌声は、あらゆる楽器の音よりもよく響き渡ったと伝えられる。唐代詩人の元稹の「連昌宮詞」に、玄宗時代の盛時をあらわす表現として、玄宗に命じられた高力士が、彼女を呼び、その歌声を披露する場面がある。清代の戯曲『長生殿』にも、永新とともに、楊貴妃に仕える侍女として登場する。

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