70)回目温庭筠 《清平樂/遐方怨/訴衷情/思帝鄉/夢江南 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7982

 70)回目温庭筠 《清平樂/遐方怨/訴衷情/思帝/夢江南 【字解集】》

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017113

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

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744年-集05【字解集】 a初出金門・b東武吟・c來日大難・d古風三十八Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7979

 

 

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744年-集05【字解集】 a初出金門・b東武吟・c來日大難・d古風三十八Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7979

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-19 全唐文551-11-#6至鄧州北寄上襄陽於相公書 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7980

 

 

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806年-018-#6 全唐文551-11-#6喜侯喜至贈張籍、張徹  【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7944

 

 

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韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

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index-9[815年~816年 49歳57

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index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

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index-13 821年~822年 22

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韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

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757年-64 園人送瓜 #2 杜詩詳注(卷一九(四)一六三八)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7981

 

 

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757年-集-2 【字解集】 園・歸・園官送菜・園人送瓜 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7993

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

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70)回目温庭筠 《清平樂/遐方怨/訴衷情/思帝/夢江南 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7982 (01/13)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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玉-028 怨詩一首井序 -#1〈〔班 婕妤〕〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7983

 

 

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70)回目温庭筠 《清平樂/遐方怨/訴衷情/思帝/夢江南 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7982

 

 

 

1. 清平樂二首其一

唐の教坊曲、『花間集』には清平樂は九首溫庭筠の作が二首収められている。双調四十六字、前段二十二字四句四仄韻、後段二十四字四句三平韻で、❹❺❼❻/⑥⑥6⑥の詞形をとる。

上陽春  宮女愁蛾
清平思同  爭那長安路
鳳帳鴛被徒  寂寞花鏁千
競把黃金買賦  為妾將上明

  
  
  
  

唐太宗位之初后の時の女は実に三千人,であった。百年後玄宗のときには侍女は八千人になった。『新唐書』「宦者傳」、「開元、宮嬪はおおよそ四万に至る。」と、玄宗の時の宮女の数を示している。杜甫は、「先帝侍女八千人」といい、白居易も「後宮の佳麗三千人」李百薬は「無用の宮人は数万に達する」といっている。女たちは皇帝の妻妾であり、錦衣を着て山海の珍味を食し、ひとたび呼ばわれば百人の下稗が答える、最も高貴にして最も権勢の高い人々であった。しかし、その運命は逆にまた最も不安定であり、いつでも天国から地獄に堕ち、甚だしい場合には「女禍」(皇帝を色香により惑わせた罪)の罪名を負わされ犠牲の羊にされた。あるいは、皇帝がひとたび崩御すると、后妃たちの財産、生命、地位はたちまち何の保障もなく、天下の母の鏡と尊ばれながら、じつは常に他人に運命を翻弄され、吉凶も保障し難い境遇にあったのである。宮人は、身を九重(天子の宮殿)に置き、はなはだ高貴であるように見えるが、じつはただの皇帝家の家碑に過ぎず、衣食の心配がなくたいへん幸福のように見えるが、じつは人間性を最も残酷に破壊された人々であった。宮廷においては、少数の地位の高い后妃の他は、万単位で数えられる普通の宮人であり、唐代では「官女」「宮城」「宮脾」などとも呼ばれていた。彼女たちは長安にあった三大皇宮(太極宮、大明宮、興慶宮)と東都洛陽にあった大内(天子の宮殿)と上陽の両宮殿、及び各地の離宮、別館、諸親王府、皇帝陵にそれぞれ配属されていた。

 

皇帝がひとたび崩御すると、后妃たちの財産、生命、地位はたちまち何の保障もなくなるので、早くから考えをめぐらせた人たちもいた。男子を生んだ后妃は、いうまでもなくあらゆる手段を講じてわが子を皇太子にし、その貴い子の母たる地位を手に入れようとした。こうして跡継ぎを決めることも、后妃たちの激しい競争となった。玄宗はすでに趨魔妃の生んだ子を皇太子にしていたが、武恵妃が玄宗の寵愛を受けるようになると、現皇太子の位を奪って我が子寿王を皇太子に立てようと画策した。まず彼女は皇太子を廃するため罠をしかけて、〝宮中に賊が出た〞と言って皇太子と二人の王子に鎧を着て来させ、その後で玄宗に三人が謀反を起したと告げた。それで、太子と二人の王子は処刑された。男子のない后妃、あっても皇太子になる望みのない后妃は別に出路を求め、皇太子かその他の皇子たちにとりいって自己の安全を図ったのである。高祖李淵が晩年に寵愛したダ徳妃、張捷好などは子がなかったり、あっても助かったので、すでに勢力をもっている他の何人かの皇子と争うことはたいへん難しかった。そこで彼女たちは皇太子の李建成と互いに結びあい、利用しあって建成の即位を助け、高祖の死後のわれとわが子の不測の運命にそなえたのである。后妃たちは表面的には高貴で優閑な生活を送っていたが、裏では緊張に満ちた活動をしており、それは彼女たちの別の生活の大きな部分をなしていた。こうした様々な手段は決して公明正大なものとはいえない。しかし、政治の変動と後宮の生活が彼女たちにもたらす残酷無情な状況を見るならば、そしてまた天下の母の鏡と尊ばれながら、じつは常に他人に運命を翻弄され、吉凶も保障し難い境遇にあったことを考えるならば、彼女たちが自分の運命を変えようと少しあがいたからといって、どうして厳しく責めることができよう。

白居易 上陽白髪人

上陽白髮人白居易

天寶五載已後,楊貴妃專寵,後宮人無復進幸矣。六宮有美色者,輒置別所,上陽是其一也。貞元中尚存焉。

 

上陽人,紅顏暗老白髮新。
綠衣監使守宮門,一閉上陽多少春。
玄宗末
初選入,入時十六今六十。
同時采擇百餘人,零落年深殘此身。


憶昔吞悲別親族,扶入車中不教哭。
皆雲入
便承恩,臉似芙蓉胸似玉。
未容君王得見面,已被楊妃遙側目。
妒令潛配上陽宮,一生遂向空房宿。


秋夜長,夜長無寐天不明。
耿耿殘燈背壁影,蕭蕭暗雨打窗聲。
春日遲,日遲獨坐天難暮。
宮鶯百囀愁厭聞,梁燕雙棲老休妒。


鶯歸燕去長悄然,春往秋來不記年。
唯向深宮望明月,東西四五百回圓。
今日宮中年最老,大家遙賜尚書號。
小頭鞋履窄衣裳,青黛點眉眉細長。


外人不見見應笑,天寶末年時世妝。
上陽人,苦最多。
少亦苦,老亦苦。少苦老苦兩如何?
君不見昔時呂向《美人賦》,【
【天寶末,有密采艷色者,當時號花鳥使。呂向獻
《美人賦》以諷之。】〉

又不見今日上陽白髮歌!

 

(上陽白髮人)

上陽の人、紅顏暗く老いて白髪新たなり

綠衣の監使宮門を守る、一閉上陽多少春  一たび上陽に閉ざされてより多少の春。

玄宗の末 初めて選ばれて入る、入る時十六今六十。

同時に採擇す百余人、零落して年深く 此の身を殘す。

 

憶ふ昔 悲しみを吞みて親族に別れ、扶けられて車中に入るも哭せしめず。

皆云ふ 入すれば便ち恩を承くと、臉は芙蓉に似て胸は玉に似たり。

未だ君王の面を見るを得るを容れざるに、已に楊妃に遙かに側目せらる。

妒(ねた)みて潛かに上陽宮に配せられ、一生遂に空房において宿す。

 

秋夜長し、夜長くして寐ぬる無く天明けず。

耿耿たる殘燈 壁に背く影、蕭蕭たる暗雨 窗を打つ聲。

春日遲し、日遲くして獨り坐せば天暮れ難し。

宮鶯百たび囀ずるも愁へて聞くを厭ふ、梁燕雙び棲むも老いて妒むを休む。

 

鶯は歸り燕は去って長へに悄然たり、春往き秋來して年を記さず。

唯だ深宮に明月を望む、東西四五百回 圓かなり。

今日 宮中 年最も老ゆ、大家遙かに賜ふ尚書の號。

小頭の鞋履 窄(せま)き衣裳、青黛 眉を點ず 眉細くして長し。

 

外人は見ず 見れば應に笑ふべし、天寶の末年 時世の妝ひ。

上陽の人、苦しみ最も多し。

少くして亦苦しみ、老いて亦苦しむ

少くして苦しむと老いて苦しむと兩つながら如何せん。

君見ずや 昔時 呂向の美人の賦を、又見ずや 今日 上陽白髪の歌を。

 

上陽の人は、紅顏暗く老いて白髪が新たである、(以下、上陽の人の言葉)

綠衣の監使が宮門を守っています、ここ上陽に閉ざされてどれほどの年月が経ったでしょうか、玄宗皇帝の末年に選ばれて宮廷へお仕えしましたが、その時には16歳でしたのが今は60

同時に100人あまりの女性が選ばれましたが、みなうらぶれて年が経ちわたしばかりがこうして残りました

 

思い起こせば悲しみを呑んで親族と別れたものでした、その時には助けられて車の中に入っても泣くことを許されませんでした

皆は入内すれば天子様の寵愛をうけられるといいました、あの頃のわたしは芙蓉のような顔と玉のような胸でした、だけれどもまだ天子様にお会いできる前に、楊貴妃に睨まれてしまい、妬みからここ上陽宮に押し込められて、一生を遂に空しく過ごしました

 

秋の夜は長い、夜が長くて眠ることもできず空もなかなか明けません、ちらちらと揺れる灯火が壁に影を写し、しとしと降る雨が窓を打つ音がします、

春の日は遅い、日が遅い中一人で坐し得いますが空はいつまでも暮れません、

宮殿の鶯が百度囀ってもわたしは悲しくて聞く気になれません、梁の燕がつがいで巣くっても老いた私には妬む気にもなれません、

 

鶯は故郷へ帰り燕は去ってもわたしは悲しい気持ちのまま、季節が移り変わってもう何年になるでしょうか

ここ深宮で月の満ち欠けを見てきましたが、満月はすでに四・五百回も東西を往復しました、おかげで宮中第一の年寄りになってしまいました、天子様はそんなわたしに尚書の號を賜ってくださいました、

そのわたしときたら先のとがった靴を履いてぴったりとした衣装を着て、黛で眉を描きますがその眉は細くて長いだけ、

 

もしよその人に見られたら笑われるでしょう、これは天宝の昔に流行った御化粧なのです

上陽の人は、苦しみが最も多い、若くしても苦しみ、老いてもまた苦しむ、若くして苦しむのと老いて苦しむのとどちらが辛いだろうか、

どうかご覧あれ、昔は呂向の美人の賦、またご覧あれ、いまは上陽白髪の歌 

2. 清平樂二首其一

(寵愛を失った宮女が姥捨て山ともいえる上陽宮にたくさんいて、美貌や芸では若く新鮮な宮女に負けてしまうもの、そしてそこで一生を終えるのだが、文学に秀でているなら寵愛を取り戻せるかもしれないと詠う)

3. 上陽 洛陽上陽宮

4. 上陽人 《「上陽」は唐代、洛陽の宮城内にあった宮殿の名》上陽宮にいた宮女。楊貴妃が玄宗皇帝の寵愛(ちょうあい)を一身に集めたため、他の宮女が不遇な一生を送ったところから、女性、特に宮女の不遇をたとえる語として用いられる。

唐の玄宗の時,楊貴妃に寵愛(ちようあい)を独占されて上陽宮に移され空しく老いた宮女たち。不遇な宮女。上陽宮の人。白居易「後宮詞」白居易『上陽白髪人』。劉長卿『上陽宮望幸』など多くの作品がある。

白居易「後宮詞」

雨露由來一點恩,爭能遍布及千門? 

三千宮女胭脂面,幾個春來無淚痕!

「三千の宮女 胴脂の面、幾箇か春来りて涙の痕無からん」(白居易「後宮詞」)。古来、宮人は女性のなかで最も人間性を踏みにじられた人々であり、官官とともに君主専制制度の直接の犠牲者であった。一方は生殖器をとられ身体を傷つけられた者、一方は人間性を踏みにじられた者である。宮人は奥深い後宮の中に幽閉されて永遠に肉親と別れ、青春と紅顔は葬り去られ、愛情と人生の楽しみは奪われ、生きている時は孤独の苦しみに、また死んだ後は訪れる人もない寂しさの中に置かれた。それで多くの知識人が、彼女たちの境遇に心を痛め嘆息してやまなかったのである。

彼女たちの痛苦の生活と心情を理解しょうとすれば、白居易の「上陽の白髪の人」ほど真実に迫り、生々と彼女たちの人生を描写したものはない。

5. 清平 世の中が清らかに治まっている・こと(さま)。

6. 同輦 同輦を辞す。班婕妤の故事に基づく。

前漢の時代、成帝(せい)が後宮に来て遊んでいた。そこへ、班捷伃という美しい女性が手押し車に乗ってやってきた。それを見た成帝は、戯れに班捷伃の乗っている手押し車に、一緒に乗ろうとした。班捷伃は辞退して言った「古の絵を見ていますと、賢聖の君にはみな名臣がいて、傍らにいます。しかし、夏・殷・周の最後の君は、お気に入りの女がいます。今同じ車に乗ろうとなさるのはこれに似ておりませんか?」それを聞いた、成帝は、それもそうだと思い、一緒に車に乗ることをやめた。

7. 寂寞 ひっそりとして寂しいさま。じゃくまく。心が満たされずにもの寂しいさま。

8. 鏁 ① 金属製の輪をつないだひも状のもの。   物と物とを結び付けているもの。きずな。

9. 千門 千門万戸。非常に多くの家。

10. 黃金買賦/千金買賦  ①漢武帝陳皇後的故事。漢司馬相如《長門賦》序:"孝武皇帝陳皇後,時得幸,頗妒,在長門宮,愁悶悲思。聞蜀郡成都司馬相如,天下工爲文,奉黄金百斤,爲相如文君取酒,因於解悲愁之詞。而相如爲文以悟主上,陳皇後複得親幸。"  

武帝に疎んぜられた陳皇后が、夫の愛を取り戻すため、司馬相如に「賦」の作成を依頼。その作品は「長門の賦」といわれ、皇后は愛を取り戻した。(『文選』) 史記や漢書によると、この陳皇后は廃されたまま亡くなっている。

11. 明君 賢明な君主。賢明な天子。

 

劉長卿. 709年—780年字は文房。河間(現・河北省)の人。進士に合格して官吏となるも下獄、左遷された。ために、詩には失意の情感や離乱を詠うものが多い。

 

上陽宮望幸 劉長卿 

 玉輦西巡久未還、春光猶入上陽間。

 萬木長承新雨露、千門空對舊河山。

 深花寂寂宮城閉、細草青青御路閑。 

 獨見彩雲飛不盡、只應來去候龍顔。

 

(上陽宮に幸を望む。)

 玉輦西巡久しくして未だ還らず、春光猶ほ入る上陽の間。

 万木長(つね)に承く新雨露、千門空しく対す旧河山。

 深花寂寂として宮城閉ぢ、細草青青として御路閑かなり。 

 独り見る彩雲の飛んで尽きざるを、只応に来去して龍顔を候つべし。

 

12. 清平楽二首

唐の教坊曲、『花間集』には清平樂は九首溫庭筠の作が二首収められている。双調四十六字、前段二十二字四句四仄韻、後段二十四字四句三平韻で、❹❺❼❻/⑥⑥6⑥の詞形をとる。

洛陽愁  楊柳花飄
終日行人爭攀  橋下流水嗚
上馬爭勸離  南浦鶯聲斷
愁殺平原年少  迴首揮淚千

  
  
  
  

13. 清平樂二首其二

(春にはいろんな階層、いろんな人たちが別れの涙を流す、中でも、春の行楽での無礼講での貴公子たちのふるまいにおおくの娘たちが千行の涙を流すと詠う)

14. 【解説】 唐の東都洛陽の町の、終日、柳の枝を手折っては旅立つ人を描写する。前段は、まず第一句で、洛陽が愁い極まる町であることを指摘、三、四句で、洛陽が愁い極まる町である理由が明かされる。そして、平原君のもとに集まった食客というべき貴公子たちは、春の無礼講で多くの娘たちを泣かせるのである。

15. 楊柳花 綿毛の生えた柳の種、柳架。・楊柳 楊柳は男女を示す。また楊は芸妓の色町を示す語である。柳は男性であるが、細柳は女性を示す語として、つかわれる。

16. 行人 ここでは、出征した夫。旅人。行商人。李白『北風行』「倚門望行人、念君長城苦寒良可哀。」 『古風,五十九首之二十四』「鼻息干虹蜺,行人皆怵惕」

17. 爭攀折 「折楊柳」のことで、ここでは、我先にと争って柳の枝をとろうと手を上にあげている様子をいう。古く中国では、旅立ちを見送る際に、無事の帰りを願い、旅立つ人に柳の枝を手折って環にして贈る習慣があった。握った手を離すと、環はまっすぐに元に戻るところから、環と帰還の還をかけて、旅立った人がすぐに戻って来るようにとの縁起をかついで行ったもの。

橋下流水 これは、ベッドで布団の中での事を上から見た時の姿かたちをいう。春の無礼講でナンパされた娘たちの泣く声が、川の流れに交じって聞えるということ。

18. 醉壺觴 酒つぼとさかずき。壺酒は新酒は春の呼び声とともにある。新種の壺酒は油紙のような蓋をして黄色の紐で封印がしてある。

19. 南浦 洛陽城の南の水辺の送別の地。王維《斉州送祖三二首 其二》「送君南浦涙如糸、君向東州使我悲。為報故人憔悴尽、如今不似洛陽時。」(斉州にて祖三を送る 二首其の二)君を南浦(なんぽ)に送れば 涙 糸の如し、君は東州に向かい 我をして悲しましむ。為に報ぜよ 故人は憔悴(しょうすい)し尽くし、如今(じょこん)は 洛陽の時に似ず。

とあるのに基づく。

 

20. 愁殺 愁い極まる。殺は動詞や形容詞の後について程度のきわめて高いことを表す。

21. 平原年少 平原公が食客三千人を抱えていたこと。宗室にかかわる息子たちが平原公たるものとそのもとに貴族の息子たちが食客としている。春の科挙の合格発表、行楽など何度かある無礼講に酒に酔い、群れを成して悪乗りをしている。平原は平原君のこと、戦国時代の都邑。今の山東省平原。食客三千人を養ったと言われる戦国趙の恵文王の弟平原君が封ぜられた地。ここではそれを借りて洛陽の地の意気盛んな若者を指す。

平原君(?~前251 〔平原は号。山東の平原に封ぜられたことから〕 中国,戦国時代の趙の王族。姓は趙,名は勝。趙の恵文王・孝成王に仕え宰相となる。食客は数千人。斉の孟嘗君らとともに戦国の四君に数えられる。戦国四君は、斉の孟嘗君、魏の信陵君、楚の春申君、 趙の平原君をいい、その名声によって君主よりも勢力をもつといわれた宰相で、戦国末期に国際政治及び外交に力を発揮した。

彼らの特徴は自らの能力というよりは、その出身と器量によって多くの食客を養い、その食客をよく使ったということで、いわば人柄であり、人間的魅力に富んだ人といえる。

いわゆる貴公子とか、游侠の若者に詩を贈る。作者の心と若者の心の絡み合うさまを詩にする。 
22.
 少年:若者。年若い者。唐詩で「少年」といえば、
王維 少年行
新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。
相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。 
李白 17少年行
少年行      
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。
杜甫 少年行

馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。
 
王昌齢『少年行』
走馬遠相尋,西樓下夕陰。結交期一劍,留意贈千金。高閣歌聲遠,重門柳色深。夜闌須盡飲,莫負百年心。
いなせな若者や壮士を詠う。

李白は、戦国四君について多くの詩を残している。その一端を下記に示す。

159-#3 《巻02-30 俠客行 -#3》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <159-#3> Ⅰ李白詩7 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5378

160-#2 《巻03-10 幽澗泉 #2》Index-11 Ⅱ―6 -731開元十九年31歳 43首 <160-#2> Ⅰ李白詩1368 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5388

162 《巻03-24 結襪子》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <162> Ⅰ李白詩1358 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5338

163-#2 《巻04-05 白馬篇 #2》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <163-#2> Ⅰ李白詩1372 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5408

164 《巻05-11 少年子》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <164> Ⅰ李白詩1373 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5413

165 《巻05-13 少年行,二首之一》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <165> Ⅰ李白詩1361 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5353

166 《巻05-14 少年行,二首之二》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <166> Ⅰ李白詩1375 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5423

167 《巻05-15 白鼻騧》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <167> Ⅰ李白詩1363 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5363

169 -#1(改訂版) 《巻06-12 梁園吟 -#1》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <169 -#1> Ⅰ李白詩1378 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5438

 

1. 遐方怨 二首之一
(心が通い合わず、どこか遠くへ行ってしまい、悲しみと侘しさに堪えきれず、物憂げに過ごしていたが、思い直してしっかりと生きて行こうと詠う)

2. 遐方 遠方の土地。

夫が家に帰ってこない妻、愛妾の此処も地を詠うものでその夫というのは、①寵愛を失った妃嬪。②浮気性な男の妻愛妾。③行役で遠くの地に赴任したまま連絡してこない高官の妻、愛妾。④旅商人の妻、愛妾。⑤国境の守りにつぃている夫を思う。この詩の場合①~④の可能性がある。当時の状況として、どの場合も、正妻、第一夫人ではないというのは基本である。この詩の雰囲気から、妃嬪、高官の愛妾ということであろう。

3. 遐方怨:唐の教坊の曲名。単調と双調がある。単調は溫庭筠に始まり、双調は、顧夐、孫光憲にはじまった。『花間集』には三首所収。温庭筠の作は二首、顧夐一首収められている。避方怨 単調三十二字、七句四平韻(詞譜二)、3③42⑤⑦5③の詞形をとる。

花半坼 雨初
未卷珠簾 夢殘 惆悵聞曉

宿妝眉淺粉山 
約鬟鸞鏡裏 繡羅

 
  


 

4. 坼 さける、 わかれる、ひらく、 さけめ
「牡丹半坼初經雨,雕檻翠幕朝陽。」「正海棠半坼,不耐春寒。」
「草木半舒坼,不類冰雪晨。」(草木は半ば舒坼(じょたく)し、氷雪の晨に類()ず。)

行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 149

5. 「花半坼・雨初晴」乙女から女になろうと宮中であれば、寵愛を受けるまで、徹底して教育され、練習を重ねて初夜を迎える。芸妓の場合も幼くして,置屋に預けられ十五歳になるまで、教育される。この句は初夜を迎えた時のことを詠っている。

余談だが、芸妓の雛妓(半玉)の「初夜権」は高い値段で買い取られたかった。南曲の半玉、張住住が成人になろうとした時、金持の陳小鳳は大金を出し「その元を取ろう」とした。彼女はすでに処女を失っていたが、手管を使って処女のごとく振舞って陳を騙した。陳は処女を得たと思い、さらに三緡(一緡は銅銭一千枚)を張家にやった。その他、「買断」という決まりもあった。つまり妓女が一人の客に独占されることであり、客が毎日仮母に一緒を払うと、この妓女はもう他の客をとれなかった。

6. 憫帳 憂え悲しむこと。温庭筠『更漏子 一』「惆悵謝家池閣」 謝女というのは晋の謝安が東山の彼を愛した故事から出たもの。過去女もそういう時期もあった。李白『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』「攜妓東山去。春光半道催。遙看若桃李。 雙入鏡中開。」送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287
池閣は、謝霊運の「池塘生春草」
にかけて、池堀に春草の生ずるようになったという春情にかける意がある。

7. 宿妝 宵越しの化粧。岑参《醉戏窦子美人》朱唇一点桃花殷,宿妆娇羞偏髻鬟。
8.
 鸞鏡 背面に鸞を彫んだ鏡。

 

9. 遐方怨
(雨に湿って色濃くし、雨≒男によって妖艶になる海棠花のように妖艶になり、「落籍」され愛妾となったが、瀟湘八景に赴任したきり音信不通、もうあきらめるしかないと詠う)

10. 遐方怨:唐の教坊の曲名。単調と双調がある。単調は溫庭筠に始まり、双調は、顧夐、孫光憲にはじまった。『花間集』には三首所収。温庭筠の作は二首、顧夐一首収められている。避方怨 単調三十二字、七句四平韻(詞譜二)、3③42⑤⑦5③の詞形をとる。花間集にはない 孫少監光憲の遐方怨については文頭に参考に乗せている。

憑繡檻  解羅
未得君書 腸斷 瀟湘春雁

不知征馬幾時
海棠花謝也  雨霏

 
  


 


11.
 繡檻 飾り付けられた欄干。檻は囲われた部屋、檻であるから、束縛された状況にある女性を意味している。

芸妓の雛妓(半玉)の「初夜権」は高い値段で買い取られたかった。南曲の半玉、張住住が成人になろうとした時、金持の陳小鳳は大金を出し「その元を取ろう」とした。彼女はすでに処女を失っていたが、手管を使って処女のごとく振舞って陳を騙した。陳は処女を得たと思い、さらに三緡(一緡は銅銭一千枚)を張家にやった。その他、「買断」という決まりもあった。つまり妓女が一人の客に独占されることであり、客が毎日仮母に一緒を払うと、この妓女はもう他の客をとれなかった。

少し有名な妓女はなじみの客を多くよぶことができたので、豪門や富貴の客から大量の銭と品物が仮母の懐に入った。これらの妓女の生活は一般にかなり裕福であり、賛沢ですらあった。また、ある妓女は仮母に大量の金を儲けさせたが、仮母はいぜんとして彼女にひどく辛くあたった。たとえば楊莱児は仮母にたっぷり金を儲けさせたが、仮母は彼女を虐待した。それで、莱児は身請けされて行く時、仮母を大いに罵り衣を払って去った。やっと鬱憤を晴らしたのである。下層妓女の収入はたいへん少なく、生活はきわめて苦しかった。張住住の家の場合は、抱えている二人の妓女が売れなかったので、置屋は没落し、雑貨を売って生活しなければならなかった。

教坊籍に入らない妓女は官府の統制下になかったので、客から身請けされ堅気となって嫁すことができた。「落籍」の費用は地位によって異なっており、先に述べた王福娘の請け値は 〝一、二百金″であった。これはだいたい中等の値段であり、妓女の標準の値段であった。唐代の小説『李娃伝』の主人公李姓は堅気になろうとして、二十年間の衣食代を自分の貯えた金の中から仮母に返し、身請けされた。この金額は決して少なくはなかったはずである。こうしたことは現実にはそう多いことではなかったであろう。なぜなら、かりに名高い妓女でも普通はこれほど多くのへそくりを工面することは難しかったからである。身請けの大部分は客が見初めたものであって、彼女たちの意志ではどうすることもできなかった。しかし、長安の妓女は総じて地方官妓に比べるといくらか主体性を持っていた。たとえば、王福娘は挙子(科挙受験生)の孫薬を見初め、彼に落籍を頼んだ。また、睦州刺史の柳斉物は名妓の矯陳を好きになった。彼女はそれに応えて「もし科挙に合格して錦帳三十枚をくださるなら、一生お仕えいたします」と答えた。柳斉物は果たして錦帳を数通りそろえて彼女を迎えにきたので、彼女は柳家に嫁いだ(『因話録』巻一。何はともあれ、無理に落籍されたり贈答の具に供されたりするのに比べたらずっとマシであった。

12. 瀟湘 湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖と流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古来より風光明媚な水郷地帯として知られる。
13.
 瀟 水が深くて清い.瀟洒(表情や振舞いが)スマートな,(あか)ぬけした.瀟瀟(1) 風雨の激しい,吹き降りの.(2) (小雨が)しとしと降る,そぼ降る.

14. 征馬 旅に出るときに乗る馬。戦場におもむく馬。

15. 花海棠 花期は4-5月頃で淡紅色の花を咲かせる。性質は強健で育てやすい。花が咲いた後の林檎に似た小さな赤い実ができる。「妖艶」「艶麗」「美人の眠り」。女の盛りを表す花で、雨に湿って色濃くし、雨≒男によって妖艶になるということ

16. 霏霏 雪や雨が絶え間なく降るさま。物事が絶え間なく続くさま。

海棠渓        薛濤
春教風景駐仙霞、水面魚身総帯花。
人世不思霊卉異、競将紅纈染軽沙。

春は風景をして仙霞を駐(とど)めしめ
水面の魚身総て花を帯ぶ
人世(じんせい)思わず霊卉(れいき)の異(い)を
競って紅纈を将(も)って軽沙を染む

春の神様は、風と光に、谷いっぱいの花がすみを送り届けさせたもうた。 清らかな谷川の水に映る花影、泳ぐ魚はまるで花模様を帯びたかのよう。 

世間では、この海棠の霊妙なわざに気がつきもせず、競って赤いしぼりを河原の砂の上に干している

 

 

1. 訴衷情一首
(春、寵愛を完全に失った妃嬪は、辺境より帰らぬ男を思う女の情とまったく同じ心情であることを詠う。)

2. 【解説】

 春、寵愛を完全に失った妃嬪は、辺境より帰らぬ男を思う女の情とまったく同じ心情であることを詠う。

初めに、室外の景を、次いで視線は室内に移る。金糸で帯状に飾った枕、贅を尽くした掛け布団、鳳凰の刺繍の帳。それらが豪華であることは、後宮で一時は寵愛を一手に浴びていたということである。そうであればあるほど、女の悲しみを一層そそるのであるが、妃嬪は。それでも寵愛を受けるための努力をしないといけないのである。垂れ下がった柳の枝は若い妃嬪の細腰、その枝の間を飛ぶ蝶。蝶は細腰の間を飛んでゆく。これではまるで、最果ての守りに出かけた男から便りもなく、夢に帰って来るだけというのとまったく同じではないか、だからもっと努力をして寵愛を取り戻したいと心に思うのである。

唐の教坊の曲名。文頭の表のように『花間集』には十三首所収されている。単調と双調とがある。温庭筠の作は一篇収められている。この詩は単調三十三字、九句六平韻二仄韻で、7③❸❷③ ⑤②⑤③の詞形をとる。ただ、初句7字を❷❷❸と短い句にして考えることもできる。どの場合十一句六平韻五仄韻となる。

鶯語花舞春晝午  雨霏
金帶   鳳凰

柳弱蝶交飛   

遼陽音信稀 夢中

 
  

  

 

3. ・この二句はうとうととしていて鶯の声で起きた。朝からそぼ降る雨が夕方まで続くことを云う。この句によって寂しさの表現を強調することになっている。

4. 金帶枕 金の編み込みの帯のついた枕である。金鏤枕と同じであろう。黄金をちりばめた枕。曹植「洛神の賦」(『文選』巻一九)の李善の注が引く「記」 に、「東阿王(曹植)朝に入り、帝(文帝=曹丕)は植に甄后の玉銭金帯枕を示す」。

「金帶枕」,「宮錦」,「鳳凰帷」部屋にこれだけのものがある女性は妃嬪ということであろう。

5. 柳 蝶は花から花へ、細腰の女から細腰の女へとゆく男性を意味する。女性を意味するのは柳、花が女性を示す。
6.
 依依 依依はそれぞれ柳に依りと蝶に依りが私が生かされるということである。

7. 遼陽 今、遼寧省洛陽県西南にあたる地名、古くから征夫の行ったところとして詩詞にあらわれる。この詩では行ったきりで帰ってこないことの喩えとしている。実際に行ったわけではない

 

1. 思帝郷

(一途に思う女心の詩)

長安と洛陽の宮殿にほど近い街区に、左右二つの芸妓養成のための外教坊が設けられた。ここでも多数の芸妓が養成されたが、この芸妓は宮廷の専用に充てられ、官官によって管理された。彼女たちが宮妓と異なるのは、宮中には住まず、必要な時に呼び出され宮中の御用に供された点にある。記録によれば、右教坊の芸妓の多くは歌がうまく、左教坊のものは舞いが上手だった。彼女たちは宮妓と同じょうに民間から選抜された技芸練達の人々であった。

詩人に詠まれた名歌妓の念奴、「凌波曲」(玄宗が夢の中で龍宮の女に頼まれて作ったといわれる詩曲)をよく舞った新豊の女芸人謝阿蛮(『明皇雑録』補遺)、『教坊記』に記載されている歌舞妓の顔大娘、鹿三娘、張四娘、裳大娘、それに竿木妓の王大娘、および、杜甫の「公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行」という詩に出てくる、剣舞の名手公孫大娘などは、みな長安の外教坊に所属する芸妓であったらしい。というのは、記録によると彼女たちは一般に長く宮中に留まることはなく、行動は比較的自由だったし、特に男女関係は比較的自由であった。これらを題材にしたものが、思帝郷である。

唐の教坊の曲名。『花間集』には四首所収で温庭筠籍の作は一首、韋荘は二首、顧夐が一首収められている。単調三十六字、八句五平韻で、②⑤6③6⑤6③の詞形をと

115 思帝郷 其一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-289-5-#43  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2992

思帝鄕 其二 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-263-5-#17  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2697

2. 霞 夕焼けや朝焼け。朝や夕暮れにかすみがかかるさま。

3. 羅袖画簾腸断 着物の袖、絹の帳、番の画のはいったものは寵愛を受けて、何時までも愛し続けると贈られたものである。その夫婦、つがいの画をみると、別れ去って久しく寵愛をうしなってしまった愛しいお方に対して、思い焦がれる胸の思いと情事の思いが悶々とすることで腸が断ち切られるようにうずくこと。

4. 卓香車 車を停める。卓は停める。香車は香しい車、車の美称。

5. 戦箆金鳳斜 髪に斜めに挿した哲の金の鳳凰飾りが揺れる。戦は揺れ動く。箆はここではカンザシ。

 6. 阮郎 別れ去って久しく帰らぬ愛しい男。後漢の劉展、阮肇は天台山に薬草を採りに入り、道に迷って仙女に出合い、しばらくともに暮らした。しかし家のことが思い起こされ、帰ってみると、既に数世が過ぎ、見知った人は誰もいなかった。そこで再び山に尋ね入ったが、仙女を探し当てられなかったと言う。以来、阮郎、劉部は、別れ去る男や別れ去って久しく帰らぬ愛しい男を指すようになった。

 

1. 夢江南二首其一

(身請けされたというのに、小さな家に捨て置かれている愛妾が怨みに思っていても、それを届けることができないが、きっと空に浮かんだ南に曳く筋雲だけが伝えてくれるだろう。)

2. 解説 教坊の宜春院に属した妓優には江南から選ばれて長安に来ているもの、江南の優雅な楽曲が多く出身者だけでなく多くの人が音楽と舞踊、その他の芸も愛された。教坊の曲には、江南の曲が多くあり、長安から江南に赴任した夫が音信不通になる、あるいは、棄てられた女が調べてみると男は江南に行っているということで、旅に出た男を思う詩ということになるが、ここは、「落籍」(身請け)された妓優が愛妾となったものの、棄てられてしまったということである。

 

教坊籍に入らない妓女は官府の統制下になかったので、客から身請けされ堅気となって嫁すことができた。「落籍」の費用は地位によって異なっており、先に述べた王福娘の請け値は 〝一、二百金″であった。これはだいたい中等の値段であり、妓女の標準の値段であった。唐代の小説『李娃伝』の主人公李姓は堅気になろうとして、二十年間の衣食代を自分の貯えた金の中から仮母に返し、身請けされた。この金額は決して少なくはなかったはずである。こうしたことは現実にはそう多いことではなかったであろう。なぜなら、かりに名高い妓女でも普通はこれほど多くの“へそくり”を工面することは難しかったからである。身請けの大部分は客が見初めたものであって、彼女たちの意志ではどうすることもできなかった。しかし、長安の妓女は総じて地方官妓に比べるといくらか主体性を持っていた。たとえば、王福娘は挙子(科挙受験生)の孫薬を見初め、彼に落籍を頼んだ。また、睦州刺史の柳斉物は名妓の矯陳を好きになった。彼女はそれに応えて「もし科挙に合格して錦帳三十枚をくださるなら、一生お仕えいたします」と答えた。柳斉物は果たして錦帳を数通りそろえて彼女を迎えにきたので、彼女は柳家に嫁いだ(『因話録』巻一。何はともあれ、無理に落籍されたり贈答の具に供されたりするのに比べたらずっとマシであった。

 

以上が長安に生きる妓女のおよその生活状態であるが、東都洛陽や揚州など大都市の妓女の生活も、長安により近かったようである。揚州は娼妓の都市としてたいへん有名なところであり、ひとたび夜になると、「妓楼の上に、常に赤い絹の被いで包んだ夜燈が無数にともされ空中に輝いた。

九里三十歩の広さの街は、真珠、素翠などさまざまな飾りで満ち溢れ、はるか遠い仙境のようだった」(『太平広記』巻二七三)という。この繁華の情景は妓館の多さ、遊廓の繁栄ぶりをよく物語っる。ここは長安の平康里とひじょうによく似ており、妓女たちの生活も長安とほぼ同じだったと思われる。

唐の教坊の曲名。『花間集』には六首あり、溫庭筠の作が二首収められている。夢江南二作品中の第一である。単調二十七字、五句三平韻で、37⑦⑤の詞形をとる。

千萬恨,恨極在天
山月不知心裏事,水風空落眼前

揺曳碧雲

  
  

3. 千萬 限りない。多量を云う。
4.
 恨 うらみ。こころに強く残っているわだかまり。
5.
 恨極 恨みの最たるもの。
6.
 在天涯 天の果てにある。地の果てまでとどく。

7. 山月 山にかかっている月。周りの自然。
8.
 不知 知らない。分からない。
9.
 心裏事 心の中の事。「心中事」としないで、「心裏事」としたのは、中に持っているのではなくそのうらまであふれるほどのものになっている。
10.
 水風 水辺の風。川面を吹き抜ける風。ここも周りの自然。
11.
 空落 むなしくおちる。
12.
 眼前花 目の前の花。

13. 揺曳 雲などがたなびいている。
14.
 碧雲 青雲。
15.
 斜 雲などが渡る時の動きある表現。

 

16. 夢江南 之二
(『買斷』を受けている時には何もすることが無く身支度を整えて大江のほとりの高楼に登って川を眺めてゆっくりとした時を過ごす、でももう中州に白蘋があつまる秋に季節になろうとしている、おんなはいつまでこんな生活をするのだろうかと詠う)

17. 解説 『買斷』とされている間は、妓女にとって、ただ、御主人を待つことだけである。花街において、一人、高楼から川を眺めるというのは、よく見られた光景であった。この時代、女一人というのは、身請けされたものか、買斷によって一定の自由を得たもの以外にはないことである。この詩は、高樓に登り長江を眺めている女妓を旅の作者がこれを詠ったものである。女の身を白蘋に喩えたことも連想させる。買斷に対する金がなくなるまでの事ではあるが、歳を重ねた女妓は出家して道女、尼僧となるということで、それについても、身分と金がついて回るのである。

唐の教坊の曲名。『花間集』には六首あり、溫庭筠の作が二首収められている。夢江南二作品中の第にである。単調二十七字、五句三平韻で、37⑦⑤の詞形をとる。

梳洗罷  獨倚望江
過盡千帆皆不是  斜暉脈脈水悠
腸斷白蘋

  
  

18. 梳洗 くしけずることと洗うことで、朝起きたときなどの身繕いのこと。梳沐。
19.
 罷 おわる。やむ。
20.
 望江樓 河辺に建てられた江を見ることができる高殿」とあった。

21. 過盡 (全てが)通り過ぎてしまったが。
22.
 千帆 多くの帆掛け船。
23.
 皆 みな。
24.
 不是 「是」ではない。そうではない。人生いろいろ、男もいろいろ。
25.
 斜暉 夕陽。斜陽。落暉。
26.
 脈脈 情を含んで(見つめて)いるさま。思いを寄せて尽きないさま。
27.
 水悠悠 自分の心は「脈脈」として切ない思いなのに、それに反して、自然の川の流れは、物に拘泥せずに悠々と流れ去っていく。

28. 腸斷 男性と関係がもてないことへの腸が断たれるほどの辛い思い。
29.
 白蘋洲 蘋は萍で、浮き草。白い花をつけている。それがある川の洲。蘋萍(ひんへい)、萍蘋(へいひん)の小さな中洲。
杜甫『麗人行』「楊花雪落覆白蘋,青鳥飛去銜紅巾。」
白蘋 蘋はあさざの類、白い花のさく水草。
麗人行  杜甫:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 65

 

 

30. 【詩の背景】

 

『買斷』『身請け』『再売買』『献上』など、妓女も若くないとありえないことであった。

 

揚州は娼妓の都市としてたいへん有名なところであり、ひとたび夜になると、「妓楼の上に、常に赤い絹の被いで包んだ夜燈が無数にともされ空中に輝いた。

九里三十歩の広さの街は、真珠、素翠などさまざまな飾りで満ち溢れ、はるか遠い仙境のようだった」(『太平広記』巻二七三)という。この繁華の情景は妓館の多さ、遊廓の繁栄ぶりをよく物語っる。ここは長安の平康里とひじょうによく似ており、妓女たちの生活も長安とほぼ同じだったと思われる。長江中流域にある水陸駅の宿場町、荊門、江夏、漢陽、武昌、鄂州は少し規模が縮小されても揚州と同じように栄えていた。「夢江南二首其二」はこうした辺りが思いうけべられるものである。

 

 

妓女たちは、他のどのような女性に比べでも、男性と親密に交際する機会にめぐまれていたが、しかし、真の愛情や円満な結婚とは無縁であった。彼女たちは身分の卑賎によって、生れた時から、単なる男の玩具にすぎず、男女の平等による真の愛情を手にすることはきわめて難しかった。たとえ彼女たちが真心から人と愛しあったとしても、賎民と良民の身分の隔たりは、恋人同士が最終的に夫婦になりたいという願いを徹底的に断ち切った。

 

 

大多数の妓女の最後の願いは、途中で普通の男に身請けされ結婚することだった。しかし、この結婚も彼女たちが愛情を得て、円満な結婚生活を送れるということを決して意味してはいなかった。

彼女たちが見初めた人に必ずし.も結婚の意志があったり、身請けの金があったりしたわけではない。

また、彼女たちを身請けしようと願い、またその金がある人が、必ずしも彼女たちの意中の人だったわけでもない。

 

 

身請けされたからといって、妓女という賎民身分でなくなり、正常な家庭生活が送れたわけではない。妓女を身請けしたのは大部分が武将、下級官吏、商人たちであったが、身分が賎しいために、彼女たちが正妻になることはきわめて難しかった。一般には彼らの側室とか姫妾になったのである。正室になったものは、史書の記載ではただ一例見られるだけである。それは宰相楊国忠の妻蓑柔で、彼女はもともと「どう蜀(四川)の大娼妓」であった(『太平広記』巻二四〇)。また『李娃伝』に描かれた李姓は鄭生という人物を救い、また彼が科挙に合格するのを助けた後、自分の責任はすべて果したので、貴男は別に高貴な家から正室を迎えるようにと願った。この話は唐代の人々が良民と賤民をいかに厳密に区別していたかを示している。しかし、最後に李姓は鄭生から正室として迎えられ、朝廷の命婦に封じられた。

 

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