61)回目 温庭筠 《河瀆神・女冠子・玉蝴蝶 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7928

温庭筠 河瀆神・女冠子・玉蝴蝶 【字解集】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

201713

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年 026-027まで 【字解集】杜陵句・君子有所思行Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7919

 

 

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少年行・白馬篇・白雲歌など【字解集】Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7799

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

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806年-017-#11 巻二 18-#11巻02-19薦士 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7908

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

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韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

757年-60 豎子至 杜詩詳注(卷一九(四)一六三四)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7921

 

 

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757年-54 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首 【字解集】 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六二九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7885

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

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54)回目温庭筠 《南歌子七首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7886 (12/24)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉集-03 雑詩九首【字解集】Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7923

 

 

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61)回目 温庭筠 《河瀆神・女冠子・玉蝴蝶 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7928

 【字解集】1.河瀆神

1. 河瀆神三首 其一

(道女・女僧になることが出来て、後宮の中で出来なかった恋愛が出来る喜びを詠うもの。)

2. 河瀆神三首

唐の教坊の曲名。『花間集』には六首所収。温庭筠の作は三首収められている。双調四十九字、前段二十四字四句四平韻、後段二十五字四句四仄韻で、⑤⑥⑦⑥❼❻❻❻の詞形をとる。

河上望叢  廟前春雨來
楚山無限鳥飛  蘭棹空傷別
何處杜鵑啼不  豔紅開盡如
蟬鬢美人愁  百花芳草佳

  
  
  
  

張泌の作が一首、孫光憲の『河瀆神』参照。河瀆神 一首 張泌【ちょうひつ】ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-359-7-#21  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3342

 

3. 【解説】何らかの不自由なものであった女性が自由な恋愛をすることができるようになったことを意味している。後宮の中で出来なかった恋愛が出来る喜びを詠うもの。
むかし、ここでは「朝雲暮雨」といつまでも男女が結び合うことができた。時を忘れ、ひと時も離れることなく過ごした。離れればどこにでも出向いて恋しい思いを「不如帰」の啼き声で訴えるという。寵愛を受ける事だけを考えて生活していたのが、出家という機会に恵まれて、まだまだ若いこの身に喜びを感じる様に生きてゆくと詠っている。

この詩の出家の女性はどのようなひとであろうか。

妃嬢・公主たちの出家の事情は比較的特殊である。妃嬢の中のある者は、皇帝が死ぬと集団で寺に送りこまれた。たとえば、武媚(後の武則天)などの妃嬢は太宗の死後、盛業寺に送られて尼にされた。

また、ある者は家人が罪を犯したためもはや妃嬢となる資格を失い、やむなく出家せざるを得なかった。たとえば、粛宗の喜妃は長兄が死を賜ったので粛宗と離婚し、宮中にある寺の尼となった。

妓女、姫妾が寺院や通観を最後の拠り所にすることもあった。有名な女道士魚玄機はもともとある家の侍妾であったが、正妻が容認しなかったので道観に入った(『太平広記』巻二二〇)。妓女は年をとり容色が衰えると出家するのが一般的だった。唐詩の中には「妓が出家するのを送る」 ことを題材とした作品がたいへん多い。

宮人・宮妓が通観に入る例も少なからぬ割合を占める。彼女たちは年をとり宮中を出でも頼るべき場所とてなく、大多数が寺院・通観を最後の安住の地とした。

長安の政平坊にあった安国観の女道士の大半は上陽宮の宮人であった(『唐語林』巻七)。

【社交、外出、生活】

その道女・尼たちは、なんでも比較的自由だった。出家した玉眞公主は、玄宗時代には特殊な地位にあって活躍した人物である。彼女は常時宮廷に出入りし、兄玄宗や高官貴顕とよく一緒に出かけて遊んだ。唐詩の中には、当時の近臣たちの唱和の作品に、玉真公主とともに遊んだことを特別に詠んだ詩がある。

尼僧や女道士は常に四方の名山大川を自由に遊歴することができた。それは、道士にならなければできなかったということなのだ。こうした中に生れる恋愛を詩人たちがサロンに集まり、ロマンを詩にしたのである。

後宮の逼塞間のある生活から自由な生活に移行できた彼女らのもとに上流階級のもの、その子弟は集まったのである。

4. 河上 川の上から。

5. 叢祠 木立に囲まれた祠。

6. 楚山無限 楚の山々が果てしなく続くさまを言うと同時に、男の尽きぬ別離の思いを暗示する。戦国期の文人であった宋玉の〈高唐の賦(ふ)〉〈神女の賦〉に登場する神女。もともと天帝の女であったが,未婚のまま死んで巫山の南に葬られ,巫山の神となった。楚の懐王が夢にこの神女と通じ,襄王も彼女と夢の中で会った。神女が,自分は旦(あした)に朝雲となり暮(ゆうべ)に行雨となると説明したことから,男女の交りを後世,雲雨という。この神女伝説の基盤に古い神話伝承があったことについては,聞一多〈高唐神女伝説之分析〉(《神話与詩》)に詳しい。

劉言史の詩「童尼に贈る」 に、

贈童尼(唐·劉言史)七言絶句

舊時豔質如明玉,今日空心是冷灰。

料得襄王惆悵極,更無雲雨到陽台。

(旧時 艶質 明玉の如く、今日 空心 是れ冷えたる灰。

料り得たり襄王 惆悵極まり、更に雲雨の陽台に至る無きを。

7. 蘭棹 木蘭の木で作った棹。ここは舟に華やかな女性が加わった様を云う。この二句は、選ばれた道妓とえらばれない道妓についていう。道妓については韓愈『華山女』李商隠『聖女祠』『重過聖女祠』などあり、場面設定を明確にしないと意味が正しく理解できない。

8. 空傷別離 空傷は空牀であり、だから離れがたいのである。駱賓王が女道士王霊妃に代って道士の李栄に贈った詩に、基づいている。

「此時空牀難獨守,此日別離那可久。」(此の時 空牀 独り守り難く、此の日別離 那ぞ久しかる可けん)『女道士王霊妃に代って道士李栄に贈る』)という一句があった。そのため王霊妃と李栄は仲のいい夫婦になった。これらの詩詞から、女道士や尼たちが異性と仲睦まじい関係をもち、公然と愛し合っていたことが分かるばかりか、それを当時の社会が恥ずべきこととも思わず、かえって文士たちは大いに誉めそやし、風流韻事と見ていたことが分かる。また、容姿、才能の故をもって人から称讃され、あるいは異性と愛し合った結果、再び還俗し夫婦になるなどという女道士や尼も珍しくなかった。侍中となった周宝の妻雀氏はもともと女道士であったが、周宝が塀を越えてこっそりと連れて逃げ夫婦となった(『北夢墳言』巻四)。

9. 【解説】何らかの不自由なものであった女性が自由な恋愛をすることができるようになったことを意味している。後宮の中で出来なかった恋愛が出来る喜びを詠うもの。
10.
 杜鵑
 ホトトギス。中国では古くからホトトギスの鳴き声を「不如帰(帰るに如かず)」または「不如焔去(帰り去るに如かず)」と聞きなしてきた。蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。望帝が百余歳のころ、楚(そ)の国で鼈霊(べつれい)という男が死んだ。ところが、その死体は長江を遡(さかのぼ)り、蜀の都に流れ着いて生き返り、望帝に会いに来た。そこで、望帝は鼈霊を宰相に任命した。おりしも、蜀で大洪水が起こり、鼈霊がまるで禹と同じように活躍し、それを治めた。ところが、この後、望帝は鼈霊の妻と密通してしまい、良心の呵責(かしゃく)にさいなまれて鼈霊に位を譲った。王となった鼈霊は開明帝と称したが、望帝の方は退位後に修行を積んでホトトギスとなり、毎年春が来るたびに鳴いた。蜀の人々はその鳴き声を聞いて望帝をしのんだという。

それを知った杜宇ホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。帰ることが出来ない。)と鳴きながら血を吐いた。ホトトギスの口が赤いのはそのためだ。詳しくは杜甫『杜鵑行』を参照されたい。

不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄、子規、躑躅。李白『宣城見杜鵑花』「蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑」

杜甫『杜鵑行』

君不見昔日蜀天子,化作杜鵑似老烏。

寄巢生子不自啄,群鳥至今與哺雛。

雖同君臣有舊禮,骨肉滿眼身羈孤。

業工竄伏深樹裡,四月五月偏號呼。

其聲哀痛口流血,所訴何事常區區。

爾豈摧殘始發憤,羞帶羽翮傷形愚。

蒼天變化誰料得,萬事反覆何所無。

萬事反覆何所無,豈憶當殿群臣趨?

杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500

浣渓沙 十首 其一 張泌【ちょうひつ】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-339-7-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3242

酒泉子 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-275-5-#29  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2922

天仙子 其四 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-273-5-#27  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2912

楊蘊中 薛濤  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-245-111-#101  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2607

蜀中三首 其三 鄭谷  唐五代詞・宋詩 薛濤-135-7-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2222

菩薩蠻 七』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-7-1-#7 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1644

11. 艶紅開尽如山 伝説によれば、ホトトギスは周末の蜀の望帝が亡き妻を求めて化身した鳥で、鳴き続けて喉から吐いた血がツツジの花になったと逸話もある。男女間の問題で何処でも鳴き続け、血を吐くようなことはあるものだという。

12. 蝉鬢 透明で黒い麹脈の入った蝉の羽のような鬢。薄く梳いた女の鬢の毛をいう。雲型もとあり、流行があったもの。

 

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13. 河瀆神三首 其二

(多くの者が冬の渇水期で風が強く悪天候で水駅に船が足止めされその客中には何処かに妾として嫁ぐ謝娘がいた、その不安な気持ちを詠う。)

前段第一句、孤廟の孤は一つを意味するが、続く句は、棹に身を寄せ、生娘ではじめての男のもとにゆく不安と悲しみに涙をはらはらと流すさまを言う。後段末句は、振り向けば故郷に残したこころ、別離の思いを抱いて、不安な旅立をする。おんなは今からどこかをさまようのであろうと、よくある場面を詠っている。孤の字以外にも、寒、粛歳といった語が女の哀感を高めている。典型的な教坊の曲である。

14. 河瀆神三首

唐の教坊の曲名。『花間集』には六首所収。温庭筠の作は三首収められている。双調四十九字、前段二十四字四句四平韻、後段二十五字四句四仄韻で、⑤⑥⑦⑥❼❻❻❻の詞形をとる。

孤廟對寒  西陵風雨蕭
謝娘惆悵倚欄  淚流玉筋千
暮天愁聽思歸  早梅香滿山
迴首兩情蕭  離魂何處飄

○●●○○  ○○△●○○

●○○●△○△  ●○●○○○

●○○△△○●  ●○○●○●

△●●○○●  △○△●○●張泌の作が一首、孫光憲の『河瀆神』参照。河瀆神 一首 張泌【ちょうひつ】ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-359-7-#21  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3342

15. 寒潮 寒々とした川の流れ。三峡に冬の渇水期の風は、舟の追い風となり、強い風の場合欠航となる。春一番も突風であるから、冬から春先に掛けては船で出発できないことを意味している。杜甫詩に『集千家註杜工部詩集』巻十四には「公自注、市曁夔人語也。市井泊船處、謂之市曁。江水横通、止公處居、人謂之瀼。」(『四庫全書薈要』本、二〇〇五年、吉林出版集団影印)とある。そうした中でも仇注に「原注、峽人目市井泊船處、曰市曁。」とある。但しこれは仇兆鰲なりの整理と解釈が入っていると考えた方が無難である。三峡は、冬期と増水期で水位の差が激しく、船着き場が高い場所にあり、そこが市場にもなっていた。船の航行は難しい時期であったという。

16. 西陵 長江の三峡中の一つ、西陵峡。巫山の雨を連想させる。神女と雲雨は、雨が宋玉「高唐の賦」にある巫山神女の故事によるもので、懷王と交わった後、神女が「暮には行雨とならん」とどんな時でも一緒にいるといった意味を持つ雨である。楚の懐王が巫山の神女と夢のなかで交わった故事をいう

17. 風雨 三峡では、風雨の際、舟が出向する事は無く足止めをされる

18. 謝娘 美女、妓女あるいは、愛妾の棲む家。唐の李徳祐が豪邸を築き、愛妾の謝秋娘を住まわせたことに基づくものであるが、娘が旅行する場合、嫁ぐことしかないし、家族の罪で、流刑される場合、あるいは、主人の詩に伴い出家する場合となる。・謝娘:「あの女性」の意。詞では、若くて美しい女性、乙女という場合もある。また、謝安についての逸話に基づく場合、謝靈運を云う場合もある。

歸國遙二首 其一

香玉,翠鳳寶釵垂菉簌

鈿筐交勝金粟,越羅春水淥。

畫堂照簾殘燭,夢餘更漏促。

謝娘無限心曲,曉屏山斷續。

歸國遙二首 其一 温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-300-5-#54  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3047

・謝娘 おとめ。生娘。韋荘『浣渓沙』其三 

惆悵夢餘山月斜、孤燈照壁背窗紗、小樓高閣謝娘家。暗想玉容何所似、一枝春雪凍梅花、満身香霧簇朝霞。

浣渓沙 其三 (惆悵夢餘山月斜) 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-266-5-#20  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2877

若くて美しい女性を指す。乙女。マドンナ。韋荘『荷葉杯』

記得那年花下。 深夜。

初識謝娘時。

水堂西面畫簾垂。 攜手暗相期。

惆悵曉鶯殘月。 相別。

從此隔音塵。

如今倶是異鄕人。 相見更無因。

荷葉杯 其二 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-258-5-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2672

19. 惆悵 恨み嘆くこと。うらめしい。うらみがましい。

20. 欄橈 枠。蘭(木蘭) は棹を美化する。

21. 玉筋 流れる涙の筋。筋は箸。ここでは、涙の筋を玉の箸に見立てている。

22. 思帰落 曲調の名。季節は早春であるから、ウグイスの鳴き声でこの句は、隋・薛道衡《人日思歸》「入春纔七日,離家已二年。人歸落雁後,思發在花前。」に基づいていると考えるべきで、この句の意味が、詩全体のストーリーをイメージさせるものである。この句をホトトギスの鳴き声とする解もあるが、足止めが長くなり、早梅が咲き香るようになったというもので、晩春から初夏の躑躅ということはうかがえない。

23. 滿山郭 孟春になり、春風にのりうめの香りが広がるということ、水駅の妓女たちが対応に追われ忙しくしていること峡谷の城郭内に一杯に広がる。

24. 兩情蕭索 これまで世話になったところを思う心、故郷に対する思いということと、これまで嫁いでいた世話になった事への思いとこれから先への思いの二つの感情、天候不良で足止めされた不安と寂しさと遣り切れなさの情ということ。

25. 蕭索 もの寂しいさま。うらぶれた感じのするさま。蕭条。

 

 

23. 滿山郭 孟春になり、春風にのりうめの香りが広がるということ、水駅の妓女たちが対応に追われ忙しくしていること峡谷の城郭内に一杯に広がる。

24. 兩情蕭索 これまで世話になったところを思う心、故郷に対する思いということと、これまで嫁いでいた世話になった事への思いとこれから先への思いの二つの感情、天候不良で足止めされた不安と寂しさと遣り切れなさの情ということ。

25. 蕭索 もの寂しいさま。うらぶれた感じのするさま。蕭条。

 

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26. 河瀆神三首 其三

(最高の良い思いの生活をしていた女が、春が過ぎようとしているのに愁いの気持ちでいることを詠う。)

唐の教坊の曲名。『花間集』には六首所収。温庭筠の作は三首収められている。双調四十九字、前段二十四字四句四平韻、後段二十五字四句四仄韻で、⑤⑥⑦⑥❼❻❻❻の詞形をとる。

銅皷賽神  滿庭幡蓋徘
水村江浦過風  楚山如畫煙
離別櫓聲空蕭  玉容惆悵粧
青麥鷰飛落  捲簾愁對珠

  
  
  
  

張泌の作が一首、孫光憲の『河瀆神』参照。河瀆神 一首 張泌【ちょうひつ】ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-359-7-#21  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3342

27. 銅皷 太鼓を敲容れ竜神を呼び出し、雷を起して雨を呼ぶことが、神女の務めである。銅皷は中国南部から東南アジアにわたり広く分布する青銅製の太鼓。楽器としてはゴング類に属する。その鋳造と使用の年代は長く,流伝の地域は広く,関係する民族も多い。銅鼓の起源については,篠製置台上の太鼓を青銅でかたどったとするもの,漢族古楽器の錞于(じゆんう)(銅錞)からの発展とするもの,雲南省のタイ()族,チンポー(景頗)族で今なお使われている木製象脚鼓の写しとするものなど諸説があるが,炊具から変化したとする考えが比較的有力となりつつある。

28. 賽神 神女は「塞の神」であり「道祖神」であるように、中国では「塞」は道路や境界の要所に土神を祀って守護神とすること、転じてそういった「守り」のことである。これが日本神話になると、伊弉諾尊イザナギノミコトが伊弉冉尊イザナミノミコトを黄泉ヨミの国に訪ね、逃げ戻った時、追いかけてきた黄泉醜女ヨモツシコメをさえぎり止めるために投げた杖から成り出た神)邪霊の侵入を防ぐ神=さえぎる神=障の神(さえのかみ)と、いうことになる。

29. 幡蓋 幢幡(どうばん)と天蓋。幢幡:仏堂に飾る旗。竿柱(さおばしら)に、長い帛(はく)を垂れ下げたもの。天蓋 仏具の一。仏像などの上にかざす笠状の装飾物。周囲に瓔珞(ようらく)などの飾りを垂らす。 虚無僧(こむそう)がかぶる、藺草(いぐさ)などで作った深編み笠。 貴人の寝台や玉座、祭壇・司祭座などの上方に設ける織物のおおい。

30. 楚山 愛する男性を思う山の精霊は女性の霊である。『楚辞・九歌(山鬼)』

31. 畫煙開 雨乞いには山焼きをする。煙は雲を呼び天上界のように湧き上がってゆく。

32. 櫓聲 詩的には、いさり歌であるが、ここでは女とわかれていく船の櫓を漕ぐ音というところ。

33. 蕭索 もの寂しいさま。うらぶれた感じのするさま。蕭条。

34. 青麥 春先、麦の若葉が出揃い穂が出るまでのあいだの麦をいう。麦は、秋に種をまき、冬に芽吹き、春、若葉を伸ばし、夏に稔る。まだ春の景色が整わない中、畑一面に萌え出た麦の若葉の緑は目にも鮮やかなものである。小麦、大麦、ライ麦、燕麦などの麦類はイネ科の二年草で、中央、西アジアが原産。晩秋から初冬に蒔かれ、冬を越して晩春には青々とした穂が出る。これが穂麦で、初夏に黄熟し刈り取られる。世界的に栽培される麦類は大麦、小麦、ライ麦、燕麦で、世界の穀物生産の半分近くになる。

35. 落落 度量が大きくてこだわらないさま。物が落ちたり倒れたりしているさま。

 

【字解集】2. 女冠子二首

1. 女冠子二首其一

寵愛を受ける事だけを義務とし、寵愛がなくても毎日準備をする性の束縛から出家することで、解放され、また世俗的な道徳倫理の拘束からも解放され、一気に自由に行動できることになった女道士の風俗を描く。

前段は女道士の性生活を思わせる姿を詠い、後段は自由な性に目覚めた嬉しさで、誰にでも声を掛けたい気持ちになると詠う。「早く出家しなさい」と勧めるさまを描く。

出家した高貴な女性ほど、自由な生活、幅の広い交際の中で、彼女たちは心は清く欲は無く、静かな心境のままでいられるはずはなかった。彼女たちは何ものにも拘束されず自由に愛情を求めたのである。魚玄機は溫庭筠、李翺などの名士との間に愛情関係があった。李季蘭は文士閣伯鈎、朱放などと深く愛し合った。また女道士宋華陽ら三人姉妹は、李商隠と愛情関係があった。これは決して特別な現象というわけではなかった。ある時、宣宗はお忍びでひそかに至徳観を訪ねたが、女道士たちがけばけばしく厚化粧をしているのを見て大いに怒り、彼女たち全員を通観から追い出すよう命じた(裴廷裕『東観奏記』巻上)。女道士の色恋ざたが日常的だったことがわかる。唐詩の中にはどこにでも、詩人たちが女道士や尼と贈答しあった恋の歌、あるいはたわむれに作った戯詩はたくさんある。

2. 女冠子二首

唐の教坊の曲名。女冠は女道士の意。『花間集』には十九首所収。温庭第の作は二首収められている。双調四十一字、前段二十二字五句二仄韻二平韻、後段十八字四句二平韻で、❹❻③5⑤/5⑤5③の詞形をとる。

含嬌含,宿翠殘紅窈

鬢如,寒玉簪秋水,輕紗捲碧

鸞鏡裡,琪樹鳳樓

寄語青娥伴,早求

 
  

 

 

3. 含嬌含笑 艶めかしい眼差しと微笑みを帯びる。

4. 宿翠殘紅窈窕 一夜経て、化粧はくずれたが、依然としてたおやかな姿態を保っている、の意。宿翠は一夜経て色あせた眉。残紅は色薄れた頬紅。窈窕はたおやかなさま。

5. 鬢如蟬 透明で黒い超脈の入った蝉の羽のような髪。雲型の両鬢の薄く梳いた女性の髪の毛をいう。

6. 寒玉簪秋水 秋の水のように冷たく澄んだ.玉の簪が髪にささっていること。本句「簪」と次句とが対をなし、捲の字と対応することから動詞と見なされ「秋雨を簪にする」と金の鎖と水晶とで出来ている者であろうか。この表現で、身分の高い女性の出家で、自由恋愛に目覚めたということがうかがえる。

7. 軽妙捲碧煙 風にひらめく薄衣が碧の霞のように透けて見えること。この服装も、争闘高価な記事であり、身分の高い女性が出家したと考えられ、妃嬪で寵愛を受けていたが、子もできず、天子の死去に伴い出家したということが考えられる。

8. 鸞鏡 鸞鳥の鋳込まれた鋼製の鏡。温庭筠「菩薩蛮」の「鸞鏡」。鏡中鸞 金属製の鏡の背面に彫られた鸞の模様が「双鳳文鏡」であり、離ればなれのつがいの鸞がお互いを求め合う姿を彫刻しているものが多い。「鸞鏡」は、愛し合う(時にはなれねばならない)男女の思いを映し出す鏡をしめす。鸞は理想郷に棲む想像上の鳥。羽の色は赤色に五色を交え声は五音に合うという。白楽天「太行路」に鏡中鸞を引き合いにし男女について詠っている。代人悼亡 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-108-43  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2087温庭筠『遐方怨』之一「花半坼,雨初晴。未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。宿妝眉淺粉山橫。約鬟鸞鏡裏,繡羅輕。」『遐方怨 二首之一』(花半坼)温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-46-15-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1800

『菩薩蠻』「寶函雀金鸂鵣,沈香閣上山碧。楊柳又如絲,驛橋春雨時。畫樓音信斷,芳草江南岸。鸞鏡與花枝,此情誰得知。『菩薩蠻 六』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-6-6 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1640

9. 鸞鏡 鸞鳥を背に彫んだ鏡。ケイ賓(カシミ-ル地方にあった国の名)の王が鷲を飼っていたが三年たっても鳴かなかった。夫人が「鸞はその姿を見たらなく」というので鏡をかけてこれをうつさせたら夜中に鳴き出して死絶したという。よって後世鏡のことを鸞鏡というという。
李商隠『無題』
含情春晼晩、暫見夜蘭干。
樓響將登怯、簾烘欲過難。
多羞釵上燕、眞愧鏡中鸞。
歸去横塘暁、華星送寶鞍。
・鏡中鸞 金属製の鏡の背面に彫られた鸞の模様が「双鳳文鏡」であり、離ればなれのつがいの鸞がお互いを求め合う姿を彫刻しているものが多い。「鸞鏡」は、愛し合う(時にはなれねばならない)男女の思いを映し出す鏡をしめす。鸞は理想郷に棲む想像上の鳥。羽の色は赤色に五色を交え声は五音に合うという。白楽天「太行路」に鏡中鸞を引き合いにし男女について詠っている。

無題 (含情春晼晩) 李商隠 16

10. 琪樹 もともとは仙界の樹木。

11. 靑蛾 美しい女性。靑は五行思想で春を意味する。性に目覚め、寵愛を売るために、女を売ることが義務であったことから解放されたことをいう。

12. 早求仙 早く女道士になりなさい、の意。性の解放が素晴らしいこと、仙は仙界の人のこと。ここでは女道士を指す。

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13. 女冠子二首其二

(出家したものの過去の栄光の生活を思い出して詠ったものである。束縛の無い道女となっても、過去、愛し合った人への思いは忘れられない、道女の思いを描く)。

前段は出家して久しいが美しさは変わらない。拘束された生活は解放され、自由に恋愛ができるようになったものの、後段は本当に愛していたお方へを忘れることが出来ず、過ぎゆく春に、過去への思いと決別して生きて行こうと詠う。

14. 女冠子二首

唐の教坊の曲名。女冠は女道士の意。『花間集』には十九首所収。温庭第の作は二首収められている。双調四十一字、前段二十二字五句二仄韻二平韻、後段十八字四句二平韻で、❹❻③5⑤/5⑤5③の詞形をとる。

霞帔雲,鈿鏡仙容似

畫愁,遮語迴輕扇,含羞下繡

玉樓相望久,花洞恨來

早晚乘鸞去,莫相

 
  

 

 

15. 【解説】

妃嬢・公主たちの出家の事情は比較的特殊である。妃嬢の中のある者は、皇帝が死ぬと集団で寺に送りこまれた。たとえば、武媚(後の武則天)などの妃嬢は太宗の死後、盛業寺に送られて尼にされた。また、ある者は家人が罪を犯したためもはや妃嬢となる資格を失い、やむなく出家せざるを得なかった。たとえば、粛宗の喜妃は長兄が死を賜ったので粛宗と離婚し、宮中にある寺の尼となった。公主が道教に入信することはさらに多く、唐朝の二一二人の公主のうち、出家した者は二十人近くもいた。彼女たちの多くは道教に入っており、仏に仕えたのではなかった。彼女たちは自ら願って女道士の生活に入った。最も有名な玄宗皇帝の妹の玉貴公主と、彼女と同時に出家した金仙公主がこうした例である。彼女たちは女道士になっても公主としての富貴と栄誉を失わず、朝廷は旧来のごとく彼女たちに生活資財を支給したから、生活はかえって公主の時より自由になり、束縛を受けなくなった。女道士の生活は尼僧のそれに比べていくらか自由であったからこそ、公主たちの大半は仏寺に入らず通観に入ったのである。

出家した女性の生活は、きわめで特色のあるものだった。まず第一に、彼女たちは人に頼って生きる階層であり、一般には生業に従事しなかった。国家あるいは施主から衣食がすべて供給された。唐建国当初、高祖は勅令を下して、「およそ戒律を守り、修行に励む僧尼、女冠等の人には、一律に衣食を供給し、欠かさぬようにせよ」(『旧唐書』高祖紀)と命じている。しかし、尼や女道士の生活状況は人によって大変な相違があった。豪奢な生活をし奴僕を使っている上層の者もいれば、清貧の生活をし奴稗に等しい下層の者もいた。上層に属す尼や女道士には、国家が生活物資を支給する以外に、高官貴人も布施などの援助をしたので、彼女たちの生活は往々にして豊かであり賛沢でさえあった。以前の身分、美貌、富貴により、出家後にも違いが出たのである。これが、天子の妃嬪たち、そこに従事した宮女に至るまでが出家すると大変な人数である。そして、そうした妃嬪公主たちと同じように高官の愛妾、富貴の愛妾も同じように出家して、道女になった。特に愛妾になる前、芸妓であったものは、何らかの理由で芸妓になり、身請けされて、愛妾になっているから、出家する以外に行く場所がなかった。

女道士や尼たちが異性と仲睦まじい関係をもち、公然と愛し合っていたことが分かるばかりか、それを当時の社会が恥ずべきこととも思わず、かえって文士たちは大いに誉めそやし、風流韻事と見ていたことが分かる。また、容姿、才能の故をもって人から称讃され、あるいは異性と愛し合った結果、再び還俗し夫婦になるなどという女道士や尼も珍しくなかった。出家した道女は、再び妻となることを夢見ていきてゆくという部分もあったのである。

この詩は、こうして出家したものの過去の栄光の生活を思い出して詠ったものである。束縛の無い道女となっても、過去、愛し合った人への思いは忘れられないのである。

16. 霞帔 古代の女性の刺繍つきの肩掛け.

17. 鈿鏡 黄金のかざりのある鏡。

18. 玉樓 きらびやかに飾られた高楼。女子専用の祠ということ。

19. 花洞 満開の花トンネル。

20. 乘鸞去 春も過ぎようとして鸞鳥に乗って去ろうとしている

21. 莫相遺 あの人への思いをいつまでも引きずっていくことはいけない。

 

【字解集】 3.玉蝴蝶

1.玉蝴蝶
(遠い異国から嫁いで来たのに、長期の行役で家を空けたまま、気が変わって帰ってこないのではないのかと心配でやせ細っても、誰もわかってはくれないと詠う)

2.唐の教坊の曲名。西域の異民族の蝶。『花間集』には二首所収。温庭筠と 孫少監光憲の作、二首が収められている。双調四十一字、前段二十一字四句四平韻、後段二十字四句三平韻で、⑥⑤⑤⑤/5⑤⑤⑤の詞形をとる。

玉蝴蝶 双調四十一字、前段四句四平韻、後段四句三平韻(詞譜四)。

秋風淒切傷  行客未歸
寒外草先  江南雁到
芙蓉凋嫩臉  楊柳墮新
搖落使人  腸斷誰得

 
 
 
 
3.
 蝴蝶 西域の異民族の蝶ということであるが、ここでは高貴、富貴の家に愛妾として嫁いだ西域の公主の女性を云い、その女性が最も輝いているころのことを指している。荘子の夢に出てくる蝶のような女性である。

[荘子斉物論]胡蝶

昔者、荘周夢為胡蝶。

栩栩然胡蝶也。

自喩適志与。

不知周也。

俄然覚、則遽遽然周也。

不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。

周与胡蝶、則必有分矣。

此之謂物化。   

昔者、荘周夢に胡蝶と為る。

栩栩然として胡蝶なり。

自ら喩しみ志に適へるかな。

周なるを知らざるなり。

俄然として覚むれば、則ち遽遽然として周なり。

知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。

周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。

此れを之れ物化と謂ふ。

(荘子が夢で胡蝶になって楽しみ、自分と蝶との区別を忘れ たという故事から)現実と夢の区別がつかないこと。 自他を分たぬ境地。また、人生のはかなさにたとえる。蝶夢。

4. 秋風 秋風は悲愁に結びつく語。宋玉『九辨』、「悲哉秋之為氣也!」
5.
 凄切 さびしくいたましいこと。
6.
 行客 長期の行役をしている旅人。征夫の場合もあるが、高貴、富貴の者でなければこの詩はできない。この聯は完全対句となっているので意味もそれを基本に読み取る。。

7. 寒外・江南 / 草先衰・雁到遲 

8.  雁と書信をかけていう。

中国の穀倉地帯で,稲作が盛ん。4世紀,五胡の侵入によって,東晋(晋)が江南に建国,南北朝時代に開発が進んだ。

江南の橘、江北の枳となる《「韓詩外伝」一〇など諸書に見える中国のことわざから》江南のタチバナを江北に移し植えればカラタチとなる。人は住む所によって性質が変化することのたとえ。棲むところによって性格が変わり、違う女に入り浸っている。

9. 芙蓉凋嫩臉 芙蓉:若々しい女性を象徴するもの。凋嫩臉:精神的苦痛が頬をこけさせることを云う。
10.
 楊柳墮新眉 楊柳:男女の若々しい様子を示すもので男女のいとなみも暗示させる。柳の葉の形の眉も若い女性がした化粧である。この聯は完全対句となっている。

11. 芙蓉 女性の若くて美しい人。女性の顔。女性の性器。

12. 楊柳 楊柳は男女を示す。また楊は男を示す語である。柳は女性であるが、細柳は女性を示す語として、つかわれ、楊柳は性行為を暗示する。
13. 搖落 うらがれること。
宋玉『九辨』、
悲哉秋之為氣也!
蕭瑟兮草木搖落而變衰,

杜甫『蒹葭』
摧折不自守,秋風吹若何?
暫時花戴雪,幾處葉沈波。
體弱春苗早,叢長夜露多。
江湖後搖落,亦恐
蹉跎。

秦州抒情詩(13) 兼葭 杜甫 <298> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1361 杜甫詩 700- 418

断腸は胸のもやもやではなく下半身のもやもやをいう。

    
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