花間集 訳注解説 巻一48 (58)回目温庭筠 《女冠子二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7910

 巻一48 (58)回目温庭筠 《女冠子二首其一》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20161228

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-021~022まで 【字解集】西岳雲臺歌送丹丘子・羽林范將軍畫讚Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7907

 

 

  LiveDoo

rBlog

少年行・白馬篇・白雲歌など【字解集】Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7799

 

 

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

 

 

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

  総合案内

 

 

 

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-017-#11 巻二 18-#11巻02-19薦士 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7908

 

 

  LiveDoo

rBlog

806年-017-#11 巻二 18-#11巻02-19薦士 【字解集】 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7908

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

757年-58 晨雨 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六三一)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7909

 

 

  LiveDoo

rBlog

757年-54 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首 【字解集】 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六二九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7885

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

杜甫詩 全詩 総合案内 

 

 

 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 巻一48 (58)回目温庭筠 《女冠子二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7910 (12/28)

 

 

  fc2

Blog

54)回目温庭筠 《南歌子七首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7886 (12/24)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-023 雑詩九首其八迢迢牽牛星〈枚乘〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7911

 

 

  LiveDoo

rBlog

玉集-02 古樂府詩六首【字解集】 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7839(12/17

 

 

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

 

 

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

 

 

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

 

 

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

文選

古詩源

花間集案内

 

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

 

 

花間集 訳注解説 巻一48 (58)回目温庭筠 《女冠子二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7910

(出家した高貴な女性ほど、自由な生活、幅の広い交際が一気にひろがり、彼女たちは何ものにも拘束されず自由に愛情を求めることができた喜びを詠う。)

束縛から解放され、自分の思いで好きな人と一夜すごす、それが嬉しくて艶やかな動き、笑みを自然に浮かべている、一夜すごして眉の墨は色褪せ、頬紅の色も薄れていても、嫋やかに接したいとこころからおもう。雲型を高くし両鬢の髪が透けて蝉の羽のような流行のかみがたにし、水晶のたまで、秋雨をおもわせる金細工の細い鎖に金の珠と水晶とでつくられた簪がゆれる、翻る薄絹の衣は艶めかしく肌を透き通らせ碧のお香の煙は艶めかしくゆれる。寵愛を義務としていたことから、こんなにも喜ばしい夜である。 朝がきて、化粧を直す姿は、雪のように白い胸が鸞鏡に美しく映る、愛の暮らしは琪樹のしげるところであり、麗しき鳳凰の高樓の前によりそって進む。そして、堅苦しいところから解放された、嫦娥となって愛に生きることができるということで、木樹にとまっていたお伴の愛の青い鳥にあのおかたにつたえてくれとこっそりと言った、「あなたも早く出家して仙界におはいりなさいな」と。


 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『女冠子』十九首

 

 

溫助教庭筠

巻一

女冠子二首其一

含嬌含笑

 

 

 

巻一

女冠子二首其二

霞帔雲髮,

 

 

韋相莊

巻三

女冠子二首其一

四月十七,

 

 

 

巻三

女冠子二首其二

昨夜夜半,

 

 

薛侍郎昭蘊

巻三

女冠子二首其一

求仙去也,

 

 

 

巻三

女冠子二首其二

雲羅霧縠,

 

 

牛嶠(牛給事嶠)

巻四

女冠子四首 其一

綠雲高髻,

 

 

 

巻四

女冠子四首 其二

錦江煙水,

 

 

 

巻四

女冠子四首 其三

星冠霞帔,

 

 

 

巻四

女冠子四首 其四

雙飛雙舞,

 

 

張舍人泌

巻四

女冠子一首

露花煙草,

 

 

孫少監光憲

巻八

女冠子二首其一

蕙風芝露,

 

 

 

巻八

女冠子二首其二

澹花瘦玉,

 

 

鹿太保虔扆

巻九

女冠子二首其一

鳳樓琪樹,

 

 

 

巻九

女冠子二首其二

步虛壇上,

 

 

毛秘書熙震

巻九

女冠子二首其一

碧桃紅杏,

 

 

 

巻九

女冠子二首其二

脩蛾慢臉,

 

 

李秀才珣

巻十

女冠子二首其一

星高月午,

 

 

 

巻十

女冠子二首其二

春山夜靜,

 

 

 

 

 

 

 

 

 女冠子二首

其一

含嬌含笑,宿翠殘紅窈窕。

鬢如蟬,寒玉簪秋水,輕紗捲碧煙。

鸞鏡裡,琪樹鳳樓前。

寄語青娥伴,早求仙。

 

其二

霞帔雲髮,鈿鏡仙容似雪。

畫愁眉,遮語迴輕扇,含羞下繡帷。

玉樓相望久,花洞恨來遲。

早晚乘鸞去,莫相遺。

 

(女冠子二首 其の一)

嬌を含み笑を含む,宿翠 殘紅 窈窕たり。

鬢は蟬の如く,寒玉 秋水を簪し,輕紗 碧煙を捲く。

雪の 鸞鏡の裡,琪樹 鳳樓の前。

語を寄せ 青娥の伴とし,早に仙を求めよ。

 

(女冠子二首 其の二)

霞帔 雲髮,鈿鏡 仙容 雪に似たり。

畫は眉に愁い,語を遮って輕扇を迴らし,羞を含み繡帷を下る。

玉樓 相い望み久しく,花洞 恨み來る遲れる。

早晚 鸞に乘り去り,相いに遺すこと莫れ。


【出家の動機】

およそ出家の動機は、次のようないくつかの情況に分けることができる。一部は、家族あるいは自分が仏教、道教を篤く信じて出家した人々である。たとえば、宋国公の斎璃は仏教にのめりこみ、娘を三歳にして寺に入れ尼にしてしまった(『唐文拾遺』巻六五「大唐済度寺の故比丘尼法楽法師の墓誌銘」)。

柳宗元の娘の和娘は、病気のため仏にすがり、治癒した後に仏稗と名を改め、自ら剃髪して尼となることを願った(『全唐文』巻五八二、柳宗元「下務の女子の墓碑記」)。こうした人々の大半は貴族、士大夫の家の女子であり、彼女たちの入信は多かれ少なかれ信仰の要素を内に持っていたようである。長安にあった成宜観の女道士は、大多数が士大夫の家の出身であった。しかし、こうした人は少数であり、圧倒的多数はやはり各種の境遇に迫られ、あるいは世の辛酸をなめ尽して浮世に見切りをつけ、寺院や通観に入って落ち着き先を求めた人々であった。その中には、夫の死後再婚を求めず入信して余生を送ろうとした寡婦もいる。たとえば、開元年間、輩県(河南省筆県)の李氏は夫の死後再婚を願わず、俗世を棄てて尼になった(侠名『宝応録』)。焼騎将軍桃李立が死んだ時、その妻は喪が明けると、出家して女道士になりたいと朝廷に願い出た(『全唐文』巻五三一、張貫「桃李立の妻、女道士に充らんとするを奏せる状」)。あるいはまた、家族が罪にふれて生きる道がなく、寺院や通観に人らざるをえなかった者もいる。越王李貞(太宗の子)の玄孫李玄真は、祖先(曾祖父李珍子)の武則天に対する反逆の罪によって父、祖父などがみな嶺南の僻遠の地で死んだ。彼女はそれら肉親を埋葬した後、成宜観に入り信仰の中で生涯を終えた(『旧唐書』列女伝)。睾参は罪にふれて左遷させられた。すると、その娘は榔州(湖南省榔県)で出家し尼になった(『新唐書』睾参伝)。

 

また妓女、姫妾が寺院や通観を最後の拠り所にすることもあった。有名な女道士魚玄機はもともとある家の侍妾であったが、正妻が容認しなかったので道観に入った(『太平広記』巻二二〇)。妓女は年をとり容色が衰えると出家するのが一般的だった。唐詩の中には「妓が出家するのを送る」 ことを題材とした作品がたいへん多い。宮人・宮妓が通観に入る例も少なからぬ割合を占める。彼女たちは年をとり宮中を出でも頼るべき場所とてなく、大多数が寺院・通観を最後の安住の地とした。

長安の政平坊にあった安国観の女這士の大半は上陽宮の宮人であった(『唐語林』巻七)。詩人たちはかつて、「斎素と白髪にて宮門を酢で、羽服・星冠に道意(修行心)存す」(戴叔倫「宮人の入道するを送る」)、「君看よ白髪にて経を詞する者を、半ばは走れ宮中にて歌舞せし人なり」(慮輪「玉真公主の影殿を過ぎる」)などと詠んで嘆いた。最後になったが、他に貧民の家の大量の少女たちがいる。彼女たちはただ家が貧しく親に養う力がないという理由だけで、衣食に迫られて寺院や道観に食を求めざるを得なかった人々である。総じて言えば、出家は女性たちが他に生きる道がない状況下における、最後の出路、最後の落ち着き先になったのである。

一般の女子の出家の状況はだいたい以上述べたようなものであったが、妃嬢・公主たちの出家の事情は比較的特殊である。妃嬢の中のある者は、皇帝が死ぬと集団で寺に送りこまれた。たとえば、武媚(後の武則天)などの妃嬢は太宗の死後、盛業寺に送られて尼にされた。また、ある者は家人が罪を犯したためもはや妃嬢となる資格を失い、やむなく出家せざるを得なかった。たとえば、粛宗の喜妃は長兄が死を賜ったので粛宗と離婚し、宮中にある寺の尼となった。楊貴妃が女道士になった件は、玄宗が息子の嫁を自分の妃にするために弄した策略にすぎず、これで天下の耳目を掩ったのである。公主が道教に入信することはさらに多く、唐朝の二一二人の公主のうち、出家した者は十人にも上る。ただし、彼女たちの多くは道教に入っており、仏に仕えたのではなかった。彼女たち事実上自ら願って女道士の生活に入ったのであろう。最も有名な玄宗皇帝の妹の玉貴公主と、彼女と同時に出家した金仙公主は、おそらくこうした例である。彼女たちは女道士になっても公主としての富貴と栄誉を失わなかった。朝廷は旧来のごとく彼女たちに生活資財を支給したから、生活はかえって公主の時より自由になり、束縛を受けなくなった。また女道士の生活は尼僧のそれに比べ

ていくらか自由であったからこそ、公主たちの大半は仏寺に入らず通観に入ったのである。

 

【女冠子の生活】

出家した女性の生活は、きわめで特色のあるものだった。まず第一に、彼女たちは人に頼って生きる階層であり、一般には生業に従事しなかった。国家あるいは施主から衣食がすべて供給された。

建国当初、高祖は勅令を下して、「およそ戒律を守り、修行に励む僧尼、女冠等の人には、一律に衣食を供給し、欠かさぬようにせよ」(『旧唐書』高祖紀)と命じている。しかし、尼や女道士の生活状況は人によって大変な相違があった。豪奢な生活をし奴僕を使っている上層の者もいれば、清貧の生活をし奴稗に等しい下層の者もいた。上層に属す尼や女道士には、国家が生活物資を支給する以外に、高官貴人も布施などの援助をしたので、彼女たちの生活は往々にして豊かであり賛沢でさえあった。

 

彼女たちは最も独立性に富んだ身分であり、同時にまたきわめて開放的な階層でもあった。なぜなら、彼女たちは家庭と夫の束縛から抜け出しており、また世俗的な道徳倫理の拘束からも解放されていたからであり、なおかつ唐代の宗教教門の戒律もそれほど厳格ではなかったからである。彼女たちのうち、とりわけ女道士は、唐代の女性の中できわめで自由奔放な人々であったから、唐代の女道士は娼優に近かったという学者もいる(梁乙真『中国婦女文学史綱』、譚正壁『中国女性文学史話』)

 

彼女たちは深い教養を身につけ、常に宮廷、王府、貴族豪門の屋敷に出入りしては、軍事・政治の大事に参画したり、天文や人事に関する吉凶を占ったので、皇帝・皇后や貴顕から大いに信用された。女道士の許霊素はかつて粛宗の張皇后を助け、偽の詔勅を作り、皇后の生んだ子を皇太子にした(『旧唐書』后妃伝下)。また、尼僧の王奉仙は唐末、節度使間の戦争が激しかった時、朝廷の観察使等の大官や将帥たちの軍師となり、軍中の賞罰、作戦などすべて自ら決した(『資治通鑑』巻二五七、偉宗光啓三年)。こうした例は決して少なくない。

 

彼女たちは、社交、外出、生活などなんでも比較的自由だった。上述の出家した玉貴公主は、玄宗時代には特殊な地位にあって活躍した人物である。彼女は常時宮廷に出入りし、兄玄宗や高官貴顕とよく一緒に出かけて遊んだ。唐詩の中には、当時の近臣たちの唱和の作品に、玉真公主とともに遊んだことを特別に詠んだ詩がある。ところで、尼僧や女道士は常に四方の名山大川を自由に遊歴することができた。

 

女冠子二首 其一

(出家した高貴な女性ほど、自由な生活、幅の広い交際が一気にひろがり、彼女たちは何ものにも拘束されず自由に愛情を求めることができた喜びを詠う。)

含嬌含笑,宿翠殘紅窈窕。

束縛から解放され、自分の思いで好きな人と一夜すごす、それが嬉しくて艶やかな動き、笑みを自然に浮かべている、一夜すごして眉の墨は色褪せ、頬紅の色も薄れていても、嫋やかに接したいとこころからおもう。

鬢如蟬,寒玉簪秋水,輕紗捲碧煙。

雲型を高くし両鬢の髪が透けて蝉の羽のような流行のかみがたにし、水晶のたまで、秋雨をおもわせる金細工の細い鎖に金の珠と水晶とでつくられた簪がゆれる、翻る薄絹の衣は艶めかしく肌を透き通らせ碧のお香の煙は艶めかしくゆれる。寵愛を義務としていたことから、こんなにも喜ばしい夜である。 

鸞鏡裡,琪樹鳳樓前。

朝がきて、化粧を直す姿は、雪のように白い胸が鸞鏡に美しく映る、愛の暮らしは琪樹のしげるところであり、麗しき鳳凰の高樓の前によりそって進む。

寄語青娥伴,早求仙。

そして、堅苦しいところから解放された、嫦娥となって愛に生きることができるということで、木樹にとまっていたお伴の愛の青い鳥にあのおかたにつたえてくれとこっそりと言った、「あなたも早く出家して仙界におはいりなさいな」と。

(女冠子二首 其の一)

嬌を含み笑を含む,宿翠 殘紅 窈窕たり。

鬢は蟬の如く,寒玉 秋水を簪し,輕紗 碧煙を捲く。

雪の 鸞鏡の裡,琪樹 鳳樓の前。

青娥の伴に語を寄せる,「早に仙を求めよ。」と。

 

女冠子二首 其二

霞帔雲髮,鈿鏡仙容似雪。

畫愁眉,遮語迴輕扇,含羞下繡帷。

玉樓相望久,花洞恨來遲。

早晚乘鸞去,莫相遺。

(女冠子二首 其の二)

霞帔 雲髮,鈿鏡 仙容 雪に似たり。

畫は眉に愁い,語を遮って輕扇を迴らし,羞を含み繡帷を下る。

玉樓 相い望み久しく,花洞 恨み來る遲れる。

早晚 鸞に乘り去り,相いに遺すこと莫れ。

 

 

『女冠子二首』 現代語訳と訳註

(本文)

女冠子二首 其一

含嬌含笑,宿翠殘紅窈窕。

鬢如蟬,寒玉簪秋水,輕紗捲碧煙。

鸞鏡裡,琪樹鳳樓前。

寄語青娥伴,早求仙。

 

(下し文)

(女冠子二首 其の一)

嬌を含み笑を含む,宿翠 殘紅 窈窕たり。

鬢は蟬の如く,寒玉 秋水を簪し,輕紗 碧煙を捲く。

雪の 鸞鏡の裡,琪樹 鳳樓の前。

青娥の伴に語を寄せる,「早に仙を求めよ。」と。

 

(現代語訳)

(出家した高貴な女性ほど、自由な生活、幅の広い交際が一気にひろがり、彼女たちは何ものにも拘束されず自由に愛情を求めることができた喜びを詠う。)

束縛から解放され、自分の思いで好きな人と一夜すごす、それが嬉しくて艶やかな動き、笑みを自然に浮かべている、一夜すごして眉の墨は色褪せ、頬紅の色も薄れていても、嫋やかに接したいとこころからおもう。

雲型を高くし両鬢の髪が透けて蝉の羽のような流行のかみがたにし、水晶のたまで、秋雨をおもわせる金細工の細い鎖に金の珠と水晶とでつくられた簪がゆれる、翻る薄絹の衣は艶めかしく肌を透き通らせ碧のお香の煙は艶めかしくゆれる。寵愛を義務としていたことから、こんなにも喜ばしい夜である。 

朝がきて、化粧を直す姿は、雪のように白い胸が鸞鏡に美しく映る、愛の暮らしは琪樹のしげるところであり、麗しき鳳凰の高樓の前によりそって進む。

そして、堅苦しいところから解放された、嫦娥となって愛に生きることができるということで、木樹にとまっていたお伴の愛の青い鳥にあのおかたにつたえてくれとこっそりと言った、「あなたも早く出家して仙界におはいりなさいな」と。

 

(訳注)

1. 女冠子二首其一

寵愛を受ける事だけを義務とし、寵愛がなくても毎日準備をする性の束縛から出家することで、解放され、また世俗的な道徳倫理の拘束からも解放され、一気に自由に行動できることになった女道士の風俗を描く。

前段は女道士の性生活を思わせる姿を詠い、後段は自由な性に目覚めた嬉しさで、誰にでも声を掛けたい気持ちになると詠う。「早く出家しなさい」と勧めるさまを描く。

出家した高貴な女性ほど、自由な生活、幅の広い交際の中で、彼女たちは心は清く欲は無く、静かな心境のままでいられるはずはなかった。彼女たちは何ものにも拘束されず自由に愛情を求めたのである。魚玄機は溫庭筠、李翺などの名士との間に愛情関係があった。李季蘭は文士閣伯鈎、朱放などと深く愛し合った。また女道士宋華陽ら三人姉妹は、李商隠と愛情関係があった。これは決して特別な現象というわけではなかった。ある時、宣宗はお忍びでひそかに至徳観を訪ねたが、女道士たちがけばけばしく厚化粧をしているのを見て大いに怒り、彼女たち全員を通観から追い出すよう命じた(裴廷裕『東観奏記』巻上)。女道士の色恋ざたが日常的だったことがわかる。唐詩の中にはどこにでも、詩人たちが女道士や尼と贈答しあった恋の歌、あるいはたわむれに作った戯詩はたくさんある。

2. 女冠子二首

唐の教坊の曲名。女冠は女道士の意。『花間集』には十九首所収。温庭第の作は二首収められている。双調四十一字、前段二十二字五句二仄韻二平韻、後段十八字四句二平韻で、❹❻③5⑤/5⑤5③の詞形をとる。

含嬌含,宿翠殘紅窈

鬢如,寒玉簪秋水,輕紗捲碧

鸞鏡裡,琪樹鳳樓

寄語青娥伴,早求

 
  

 

 

 

含嬌含笑,宿翠殘紅窈窕。

束縛から解放され、自分の思いで好きな人と一夜すごす、それが嬉しくて艶やかな動き、笑みを自然に浮かべている、一夜すごして眉の墨は色褪せ、頬紅の色も薄れていても、嫋やかに接したいとこころからおもう。

3. 含嬌含笑 艶めかしい眼差しと微笑みを帯びる。

4. 宿翠殘紅窈窕 一夜経て、化粧はくずれたが、依然としてたおやかな姿態を保っている、の意。宿翠は一夜経て色あせた眉。残紅は色薄れた頬紅。窈窕はたおやかなさま。

  

鬢如蟬,寒玉簪秋水,輕紗捲碧煙。

雲型を高くし両鬢の髪が透けて蝉の羽のような流行のかみがたにし、水晶のたまで、秋雨をおもわせる金細工の細い鎖に金の珠と水晶とでつくられた簪がゆれる、翻る薄絹の衣は艶めかしく肌を透き通らせ碧のお香の煙は艶めかしくゆれる。寵愛を義務としていたことから、こんなにも喜ばしい夜である。 

5. 鬢如蟬 透明で黒い超脈の入った蝉の羽のような髪。雲型の両鬢の薄く梳いた女性の髪の毛をいう。

6. 寒玉簪秋水 秋の水のように冷たく澄んだ.玉の簪が髪にささっていること。本句「簪」と次句とが対をなし、捲の字と対応することから動詞と見なされ「秋雨を簪にする」と金の鎖と水晶とで出来ている者であろうか。この表現で、身分の高い女性の出家で、自由恋愛に目覚めたということがうかがえる。

7. 軽妙捲碧煙 風にひらめく薄衣が碧の霞のように透けて見えること。この服装も、争闘高価な記事であり、身分の高い女性が出家したと考えられ、妃嬪で寵愛を受けていたが、子もできず、天子の死去に伴い出家したということが考えられる。

 

鸞鏡裡,琪樹鳳樓前。

朝がきて、化粧を直す姿は、雪のように白い胸が鸞鏡に美しく映る、愛の暮らしは琪樹のしげるところであり、麗しき鳳凰の高樓の前によりそって進む。

8. 鸞鏡 鸞鳥の鋳込まれた鋼製の鏡。温庭筠「菩薩蛮」の「鸞鏡」。鏡中鸞 金属製の鏡の背面に彫られた鸞の模様が「双鳳文鏡」であり、離ればなれのつがいの鸞がお互いを求め合う姿を彫刻しているものが多い。「鸞鏡」は、愛し合う(時にはなれねばならない)男女の思いを映し出す鏡をしめす。鸞は理想郷に棲む想像上の鳥。羽の色は赤色に五色を交え声は五音に合うという。白楽天「太行路」に鏡中鸞を引き合いにし男女について詠っている。代人悼亡 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-108-43  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2087温庭筠『遐方怨』之一「花半坼,雨初晴。未卷珠簾,夢殘,惆悵聞曉鶯。宿妝眉淺粉山橫。約鬟鸞鏡裏,繡羅輕。」『遐方怨 二首之一』(花半坼)温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-46-15-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1800

『菩薩蠻』「寶函雀金鸂鵣,沈香閣上山碧。楊柳又如絲,驛橋春雨時。畫樓音信斷,芳草江南岸。鸞鏡與花枝,此情誰得知。『菩薩蠻 六』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-6-6 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1640

9. 鸞鏡 鸞鳥を背に彫んだ鏡。ケイ賓(カシミ-ル地方にあった国の名)の王が鷲を飼っていたが三年たっても鳴かなかった。夫人が「鸞はその姿を見たらなく」というので鏡をかけてこれをうつさせたら夜中に鳴き出して死絶したという。よって後世鏡のことを鸞鏡というという。
李商隠『無題』
含情春晼晩、暫見夜蘭干。
樓響將登怯、簾烘欲過難。
多羞釵上燕、眞愧鏡中鸞。
歸去横塘暁、華星送寶鞍。
・鏡中鸞 金属製の鏡の背面に彫られた鸞の模様が「双鳳文鏡」であり、離ればなれのつがいの鸞がお互いを求め合う姿を彫刻しているものが多い。「鸞鏡」は、愛し合う(時にはなれねばならない)男女の思いを映し出す鏡をしめす。鸞は理想郷に棲む想像上の鳥。羽の色は赤色に五色を交え声は五音に合うという。白楽天「太行路」に鏡中鸞を引き合いにし男女について詠っている。

無題 (含情春晼晩) 李商隠 16

10. 琪樹 もともとは仙界の樹木。

 

寄語青娥伴,早求仙。

そして、堅苦しいところから解放された、嫦娥となって愛に生きることができるということで、木樹にとまっていたお伴の愛の青い鳥にあのおかたにつたえてくれとこっそりと言った、「あなたも早く出家して仙界におはいりなさいな」と。

11. 靑蛾 美しい女性。靑は五行思想で春を意味する。性に目覚め、寵愛を売るために、女を売ることが義務であったことから解放されたことをいう。

12. 早求仙 早く女道士になりなさい、の意。性の解放が素晴らしいこと、仙は仙界の人のこと。ここでは女道士を指す。

スポンサーサイト

0 Comments

Leave a comment

テンプレートに関するご質問・不具合のご報告の際はご自身のブログアドレス記載必須です
ご質問の前に必ずお読みください ↓
FC2テンプレート ご利用時のお願い