54)回目温庭筠 《南歌子七首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7886
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| ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 | | |||||
| Ⅰ李白詩 | (李白集校注) | 744年-026卷180_8 杜陵絕句(卷二一(二)一二一八)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7883 | | |||
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| Ⅲ 杜詩 | 詳注 | 757年-54 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句十二首 【字解集】 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六二九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7885 | | |||
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| ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 | | |||||
| Ⅳブログ詩集 | 漢・唐・宋詞 | 54)回目温庭筠 《南歌子七首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7886 (12/24) | | |||
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| ●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 | | |||||
| Ⅴ.唐五代詞詩・女性 | ・玉臺新詠 | | ||||
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54)回目温庭筠 《南歌子七首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7886
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| 花間集 巻一 南歌子七首 字解集 | |
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南歌子七首
南歌子七首其一
手裏金鹦鹉,胸前繡鳳凰。偷眼暗形相。不如從嫁與,作鴛鴦。
南歌子七首其二
似帶如絲柳,團酥握雪花。簾卷玉鈎斜。九衢塵欲暮,逐香車。
南歌子七首其三
鬓垂低梳髻,連娟細掃眉。終日兩相思。爲君憔悴盡,百花時。
南歌子七首其四
臉上金霞細,眉間翠钿深。倚枕覆鴛衾。隔簾莺百啭,感君心。
南歌子七首其五
撲蕊添黃子,呵花滿翠鬟。鴛枕映屏山。月明三五夜,對芳顔。
南歌子七首其六
轉盼如波眼,娉婷似柳腰。花裏暗相招,憶君腸欲斷,恨春宵。
南歌子七首其七
懶拂鴛鴦枕,休縫翡翠裙。羅帳罷爐熏。近來心更切,爲思君。
(南歌子七首其の一)
手の裏に金の鸚鵡,胸前に鳳凰を綉【ぬひと】る。
偸【ぬす】み眼【み】て暗【ひそ】かに 形相す。
嫁ぐに 如【し】かず,鴛鴦と作【な】らん。
(南歌子七首其の二)
帶【まつわる】に似て、柳を絲の如くす,團く酥【そ】にして雪花【せっか】を握る。
簾 卷き 玉鈎【ぎょくこう】斜なり。
九衢【きゅうく】塵 暮んと欲し,香車【こうしゃ】を逐う。
(南歌子七首其の三)
鬓の垂れ低くして髻を梳く,娟に連ねて細く眉を掃う。
終日 兩つながら 相思う。
君が爲に憔悴し盡す、百花の時を。
(南歌子七首其の四)
臉の上 金の霞 細やかに,眉の間 翠の钿 深し。
枕に倚り 鴛衾を覆す。
簾を隔てて 鶯 百に囀り,君が心に感ず。
(南歌子 七首其の五)
撲蕊【ぼうくずい】黃子【おうし】を添え,呵花して翠鬟【すいかん】に滿つ。
鴛枕【かちん】屏山を映す。
月明 三五の夜,芳顔に對す。
(南歌子七首其の六)
轉盼【てんはん】波眼の如し,娉婷【ひょうてい】似って柳腰【りゅうよう】たり。
花裏 暗【ひそか】に相い招く,君を憶う腸 斷ぜんと欲す,春宵を恨む。
(南歌子七首其の七)
懶拂【らんふつ】して鴛鴦の枕,休縫するは翡翠の裙。
羅帳 爐熏【くんろ】を罷【まか】る。
近來 更なる心は切れ,君を思うを爲さる。
南歌子七首其一
(はじめての曲水の宴席に出た妃嬪が、この日からきっと仲良い鴛鴦の様な夫婦になるだろうと詠う。)
1. 解説 『花間集』巻一38番にある。諸侯の娘が妃嬪として後宮にあがり、曲水の宴で初め招かれ、妃嬪として後宮の生活が始まる(嫁ぐことになる。)流れてきた、鸚鵡貝の形をした金の盃が流れてくるのを手に取る。そしてこっそり、天子の方に流し目をする。その仕草は、これからきっと寵愛を一手に受けるほどの妃嬪と見受けられることだろう。こうした宴席に妃嬪として最初の行事であることから、序列も高い妃嬪であろう。詩は宴席を客観的に見て詠ったものである。
唐教坊曲名。単調二十三字。唐以降の中国王朝における宮廷に仕える楽人や妓女たちに宮廷音楽を教習させるための機関をさす。楽曲や歌舞の習得を主な目的とするが、官妓にあたる妓女を統括する役割もあった。その後の王朝に引き継がれ、清代まで続いたが、雍正帝の時に廃止された。
唐の教坊の曲名。単調と双調がある。花間集』 には十二百所収。温庭籍の作は七首収められている。単調二十三字、五句三平韻で、5⑤⑤5③の詞形をとる。
手裏金鹦鹉,胸前繡鳳凰。
偷眼暗形相。
不如從嫁與,作鴛鴦。
2. 手裏 手の中に。
3. 金鸚鵡 杯。黄金製の酒器、「鸚鵡杯」のこと。鸚鵡貝・阿古屋(あこや)貝など真珠光沢のある美しい貝でつくった杯。曲水の宴などで用いられる。おうむはい。隋唐のころ貴族や文人の間で流行した習俗。3月3日の上巳(じょうし)に郊外や庭苑の水辺に出,招魂・祓除(ふつじょ)を行い,流水に酒杯を浮かべ,一定地点(自分の前など)に流れ着くまでに詩をよみ,宴遊した。李白の『襄陽歌』「落日欲沒峴山西。倒著接籬花下迷。襄陽小兒齊拍手。攔街爭唱白銅鞮。旁人借問笑何事。笑殺山翁醉似泥。鸕鶿杓。鸚鵡杯。百年三萬六千日。一日須傾三百杯。」李白と道教48襄陽歌 ⅰ
4. 胸前 衣服の前面に。
5. 綉 刺繍がしてある。縫いとりがしてある。
6. 偸眼 盗み見る。
7. 暗 ひそかに。こっそりと。
8. 形相 みつもる。目算する。 人相。顔かたち。姿。ここは、前者、動詞の意。
9. 不如 もう…た方がいい。…に及ばない。しかず。
10. 從嫁與 …に嫁ぐ。・從 …にしたがう。…につく。従軍、従父の従。 ・嫁 とつぐ。・與 …に。
11. 作 …となる。
12. 鴛鴦 鴛鴦の夫婦。
南歌子其二
(春の二大遊び、舟遊びと野外に万幕を張っての行楽について詠う。)
13. 【解説】 春になれば、舟遊びで、池に舟を浮かべると、池塘の柳は緑の帯を為す。そこに近づいてみると柳の枝は糸のように長く垂れ下がる、丸く寄り集まった白い柳架が寵愛を受けている妃嬪の美しさを連想させる。郊外に行楽に行っての帰り、夕暮れ間近の都人路を転がり動く情景、その美しさに誰でもその車の後を追うというものを詠う。この季節だけ、妃嬪の車が庶民の前を通ることがある。その情景を詠う。
『花間集』巻一にある。男性の目から見た好ましい、しなやかな細腰、白い肌、良い香りの女性の姿である。
唐教坊曲名。単調二十三字、五句三平韻(詞譜一)。唐以降の中国王朝における宮廷に仕える楽人や妓女たちに宮廷音楽を教習させるための機関をさす。楽曲や歌舞の習得を主な目的とするが、官妓にあたる妓女を統括する役割もあった。その後の王朝に引き継がれ、清代まで続いたが、雍正帝の時に廃止された。
『更漏子』『定西番』は宮廷で歌われたこの教坊曲である。
14. 似帯 遠くから池の端を帯びのようにグルッと柳が緑の帯をする。
15. 如糸柳 近くによれば、糸のように長く垂れ下がった柳の枝。
16. 團酥 きよく滑らかなまるみをもったもの。酥:牛や羊の乳を発行させた乳酸飲料。酒の別名。きよく滑らかなたとえ。また、肉感美女のオッパイのこと。
17. 雪花 雪の白さと艶やかな花の白さ。握雪花は、白い柳絮の大きさが手で雪を握ったほどであることを言う。あるいは、肉感美女の胸をつかむ。
18. 九衢 枝の多く別れたもの。山海経「宣山の上に桑有り。その枝を衢という也。枝交互に四出るなり。」衢:ちまた。四方に通じる大通り。分かれ道。四通八達の大通り。ここでは都大路の意。
19. 欲暮 暮れようとしている。欲は今にも〜しそうだ、の意。
20. 香車 立派な車。行楽に行き交った高貴の人の車。
南歌子七首其三
(寵愛を受けた絶頂時には、髪型・化粧・服装、すべて最高の者を見に着けたが、て、寵愛を失えばげっそりとやせ細り、化粧も、髪型も、服装も劣化していくと詠う。)
21. 【解説】
後宮における頽廃的に過ごすことこそが、国、或は天子の度量の大きさという考え方があり、寵愛を受けている妃嬪には最高の、化粧、服装、髪型が施された。宮女、妓優はやせ形の者が尊ばれ、妃嬪は色白、長身、奇麗、妖艶でぽっちゃり方、肉感的なものが選定された。この条件に合えば、次から次へと後宮に入った
唐の教坊の曲名。単調と双調がある。花間集』 には十二百所収。温庭籍の作は七首収められている。単調二十三字、五句三平韻で、5⑤⑤5③の詞形をとる。
鬓垂低梳髻,連娟細掃眉。 | |
終日兩相思。 | |
爲君憔悴盡,百花時。 |
唐教坊曲。唐以降の中国王朝における宮廷に仕える楽人や妓女たちに宮廷音楽を教習させるための機関をさす。楽曲や歌舞の習得を主な目的とするが、官妓にあたる妓女を統括する役割もあった。その後の王朝に引き継がれ、清代まで続いたが、雍正帝の時に廃止された。
『更漏子』『定西番』『南歌子』は宮廷で歌われた花間集のほとんどは教坊曲である。丹の曲名の同一性からでも60%以上教坊の曲である。実際に選定されたのが、趙崇祚のサロンであること、趙崇祚は玄宗と同じように一芸を為すものを集めたことから、花間集の全詩が、何らかの形で、多少の変化があっても教坊の曲の曲に基づく作品であったのである。それについては、『花間集序』 (1)~(5) 欧陽烱の以下の全訳を参考にされたい。
22. 鬓垂低梳髻 両鬢に雲型に櫛で垂れた髪は鬢付け油固めたもの。髪型は、前後左右にひろく、高く低くと大きいほど高貴であること。唐後期の後宮には頽廃的になり、機能性が全くない髪型になってゆく、一方で、男装が流行する。ここでいうのは、胡の髪型をいう。『髻鬟品』 には、多種多様の髪型が列挙されている。半翻髻【はんほんけい】、反綰髻【はんわんけい】、楽游髻、双環望仙髻、回鶻髻、愁来髻、帰順髻、倭堕髻など。
23. 連娼 眉の三日月形に細長く両頬に垂れた髪に連なるように描かれた眉。十眉図にいう払雲眉(横烟眉)のこと。・娟 女と柔かい意とで、女性のしなやかな意。 【意味】嫋やかで優美な容貌を持つもの。淑やかに振る舞い、上品なさま。 ほのかに見目麗しいさま。 見目好く容姿端麗なさま。
唐の玄宗皇帝が画工に命じて描かせた《十眉図》に見られるように,鴛鴦眉(八字眉),小山眉(遠山眉),五嶽眉,三峯眉,垂珠眉,月稜眉(却月眉),分稍眉,涵烟眉,払雲眉(横烟眉),倒暈眉の10種類であった。唐の末期には〈血曇粧〉といって目の縁を赤紫に彩った化粧がはやった。
24. 両相思 二人が互いに恋し合う。
25. 憔悴 )心配や疲労・病気のためにやせ衰えること。
26. 百花 種々の多くの花、いろいろな花の意。百花繚乱。いろいろの花が咲き乱れること。転じて、秀でた人物が多く出て、すぐれた立派な業績が一時期にたくさん現れること。「繚乱」は花などがたくさん咲き乱れている様子.
古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618-626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。
南歌子 七首其四
(春の夜、寵愛を受けた妃嬪の心情を詠う。ともに過ごした女としての喜びを詠う。)
27. 【解説】
妃嬪は毎夜、天子を迎え入れるために念入りに化粧をする。その日は、一つ枕に身を寄せ合い、いつしか安らかな眠りに入る。気づけば、窓の外では、鶯がしきりに囀り交わしており、改めて愛される喜びを噛みしめるというものである。
実は多くの注釈書、「女が独り春の夜を送る悲しみを詠う」と単純な解釈の者が多くみられるが、妃嬪、家妾にしろ、基本一人で寝るものであるが、毎夜天子、主人が寝牀に来ることを前提に仕度をしているのである。寵愛を失っている語句は一つもない。最後句の「君が心に感ず」 の句にあるように、理解し愛し合っていることを詠っている。であれば、「君が心に感ず(私はあなたの愛に感動しています)」と結ばれる作品を、孤独な夜を送る詞と解するのは不自然であり、儒教者的解釈では花間集は読めないものの典型である。窓の外から聞こえて来る鶯の囀りは、寂しさをそそるものではなく、ここでは、状景の変化からも一人寝の寂しさは感じられず、満ち足りた幸福感を示す心地よさしか感じられないのである。中国の注釈書は元、明、清朝時代に多くの儒学文学者によってきわめて閉鎖的な文化、倫理観が横行した。唐宋期をピークにしてそれ以前はある程度自由な恋愛観の中での一夫多妻制であったこと理解する必要がある。当時の化粧法、服装、装飾品等を考慮しないと本当の理解はできない。
妃嬪の化粧と飾について
―化粧
唐代の女性は、化粧にたいへん気をつかった。普通は、顔、胸、手、唇などに白粉や頬紅をつけ、また肌を白くし、あるいは艶やかにしたが、それ以外に眉を画くことをことのほか重視した。眉毛の画き方はたいへん多く、玄宗は画工に「十眉図」を描かせたことがあり、それらには横雲とか斜月などという美しい名称がつけられていた(『粧楼記』)。ある人は、唐代の女性は眉毛の装飾に凝り、それはいまだかつてなかった水準に達したと述べている。その他、彼女たちは額の上に黄色の粉を塗り、それを「額黄」「花蕊」「蕊黄」といった。また、金箔や色紙を花模様に切り抜いて両眉の間に貼るのが流行り、「花細」、「花子」などと呼んだ。その他、両頬に赤、黄の斑点、あるいは月や銭の図柄を貼るケースもあり、これは「粧靨」靨はえくぼの意)といった。
唐の玄宗皇帝が画工に命じて描かせた《十眉図》に見られるように,鴛鴦眉(八字眉),小山眉(遠山眉),五嶽眉,三峯眉,垂珠眉,月稜眉(却月眉),分稍眉,涵烟眉,払雲眉(横烟眉),倒暈眉の10種類であった。唐の末期には〈血曇粧〉といって目の縁を赤紫に彩った化粧がはやった。
唐の教坊の曲名。単調と双調がある。花間集』 には十二百所収。温庭籍の作は七首収められている。単調二十三字、五句三平韻で、5⑤⑤5③の詞形をとる。
臉上金霞細,眉間翠钿深。
倚枕覆鴛衾。
隔簾莺百啭,感君心。
唐教坊曲。唐以降の中国王朝における宮廷に仕える楽人や妓女たちに宮廷音楽を教習させるための機関をさす。楽曲や歌舞の習得を主な目的とするが、官妓にあたる妓女を統括する役割もあった。その後の王朝に引き継がれ、清代まで続いたが、雍正帝の時に廃止された。
『更漏子』『定西番』『南歌子』は宮廷で歌われた花間集のほとんどは教坊曲である。丹の曲名の同一性からでも60%以上教坊の曲である。実際に選定されたのが、趙崇祚のサロンであること、趙崇祚は玄宗と同じように一芸を為すものを集めたことから、花間集の全詩が、何らかの形で、多少の変化があっても教坊の曲の曲に基づく作品であったのである。それについては、『花間集序』 (1)~(5) 欧陽烱の以下の全訳を参考にされたい。
28. 瞼上 頬から顎にかけて、顏。上は場所を示す接尾辞。
29 金霞細 金細工の飾り、歩くごとに揺れるのを楽しむ。ここでは性交時に男性が揺れるのを喜んだという、頽廃的な喜びは、後宮における頽廃ということと思われる。
30. 翠鈿深 金箔や色紙を花模様に切り抜いて両眉の間に貼るのが流行り、「花細」、「花子」などと呼んだ。その他、両頬に緑色の靨飾り「粧靨」の色の濃いさまを言う。
31. 倚枕 一つ枕に身を寄せ合い、いつしか安らかな眠りに入る。
32. 鴛衾 オシドリ模様のある掛け布団。
33. 鶯百囀 しきりに鳴き噸る。百囀:別の意味として、朝方まで性行為の際の声を発したという意。
34. 感君心 君の心に感ずる。ここでは、寵愛を受ける球に毎夜その準備をしていても、できない日が多いが、この日の様に明け方まで愛してもらったということに関しての奸状に答えたいという意味である。日本でいえば、万葉集の時代である。万葉集にも数多く性的意味の作品が多い。性的な意味をきちんと理解すれば、深い味わいがあるものである
南歌子 七首其五
(春の日に若く美しい妃嬪は華やかな装いで寵愛をうけるが、仲秋の名月に照らされる頃、妊娠の兆候もなく、寵愛を失った、また、あの尊顔を目の辺りにしたいと詠う。)
35. 解説 唐の教坊の曲名。単調と双調がある。花間集』 には十二百所収。温庭籍の作は七首収められている。単調二十三字、五句三平韻で、5⑤⑤5③の詞形をとる。
臉上金霞細,眉間翠钿深。
撲蕊添黃子,呵花滿翠鬟。
鴛枕映屏山。
月明三五夜,對芳顔。
36. 唐宋の美意識《体型》
唐代の絵画、彫像に出てくる女性の姿を見ると、彼女たちはみな確かに顔は満月のようにふくよかであり、からだは豊満でまるまるとしている。そして、あの軍服を着て馬に乗って弓を引く女性は、特に堂々とした勇敢な姿を示しており、痩せて弱々しい姿はほとんど見られない。これはまさに唐代の人々の審美観と現実の生活そのものの反映であった。唐代第一の美人楊玉環(楊貴妃)は豊満型の美人であり、漢代の痩身型の美人趙飛燕と並んで、「燕は痩せ環は肥え」といわれ、美人の二つの典型と称された。
このような美意識は、唐代の社会生活と社会の気風から生れた。というのは、唐代の物質生活は比較的豊かであったから、身体がふっくらとした女性が多くいたのである。また社会の気風は開放的であり、北朝の尚武の遺風を受け継ぎ、女性は家から出て活動することもわりに多く、また常に馬に乗って矢を射る活動にも加わっていた。それで、往々女性は健康的で颯爽たる姿をしていたのである。こうした現実が人々の審美観に影響し、そしてこの審美観と時代の好みとが、逆に女性たちにこの種の美しさを極力追求させたのである。少なくとも「楚王、細き腰を好む」ために、食を減らすといったことはなかった。これによって、女性は健康で雄々しくかつ豊満であるといった傾向が助長されたのである。
審美観と密接な関係がある服装と化粧は、女性の生活の重要な一部分であった。
〔* 『筍子』等に、昔、楚の霊王は腰の細い美人を好んだ。それで宮中の女性は食を減らし餓死したという故事がある。〕
37. 撲蕊黃子 蕊黃は女の額にほどこす黄色の後宮妃嬪を中心に流行した化粧法。額黄ともいい、古く漢代からあったといい、六朝時代をへて唐代までずっと行なわれていた。蕊黃の黄色の粉のこと。額の上に黄色の粉を塗り、それを「額黄」「花蕊」「蕊黄」といった。また、金箔や色紙を花模様に切り抜いて両眉の間に貼るのが流行り、「花細」、「花子」などと呼んだ。その他、両頬に赤、黄の斑点、あるいは月や銭の図柄を貼るケースもあり、これは「粧靨」靨はえくぼの意)といった。
38. 呵花 花が大きく開いたこと。女としての花を開かせること。
39. 翠鬟 (1)カワセミの羽のように麗しい輪型にまいた黒毛のまげ。妃嬪美人の髪型は大きいほど身分の高いことをあらわした。美女の譬え。(2)青々とした山。
唐の玄宗皇帝が画工に命じて描かせた《十眉図》に見られるように,鴛鴦眉(八字眉),小山眉(遠山眉),五嶽眉,三峯眉,垂珠眉,月稜眉(却月眉),分稍眉,涵烟眉,払雲眉(横烟眉),倒暈眉の10種類であった。唐の末期には〈血曇粧〉といって目の縁を赤紫に彩った化粧がはやった。
40. 鴛枕 鴛鴦のように枕した。鴛鴦の絵が描かれた枕に並んで横たえた。
41. 屏山 美女が寝床についてよこ向きになった寝姿を云う。蝋燭の光がシルエットとして山形に移っていることをいう。
42. 月明 夜を明るくしてくれる月明かり。
43. 三五夜 十五夜。女性が最も女性らしいという意味を含む。
44. 芳顔 イケメンのあなた。美しい顔。また、他人を敬って、その顔をいう語。尊顔。
南歌子 七首其五
(寵愛を失って又春が来て、行楽の宴席でいろんな光景を見るが、それでも毎夜寵愛を受ける準備だけはしなくてはいけない。春の宵は恨めしい限りだと詠う)
45. 【解 説】
原始時代の母権制がその歴史的使命を果し、その寿命が尽きた時、「男尊女卑」一夫多妻は誰も疑うことのない人の世の道徳的規範となった。人口の半分を占める女性たちは、未来永劫にわたって回復不可能な二等人となり、ごく最近まで、二度と再び他の半分である男性と平等になることはなかった。(形態の違いこそあれ、未だに真の平等までにいたっていないのかもしれない。)
そうした中で、彼女たちは積極的に恋愛をし、貞節の観念は稀薄であった。未婚の娘が秘かに男と情を通じ、また既婚の婦人が別に愛人をつくることも少なくなかった。女帝(武則天)が一群の男寵(男妾)をもっていたのみならず、公主(皇女)、貴婦人から、はては皇后、妃嬢にさえよく愛人がいた。離婚、再婚もきわめて普通であり、唐朝公主の再婚や三度目の結婚もあたりまえで珍しいことではなかった。こうした風習に、後世の道学先生、ごりごりの儒学者たちはしきりに首をふり嫌悪の情を示した。
妃嬪について、寵愛を失った後、実際にはかなり自由な恋愛があっても、表向きには、貞操を守るというスタイルをとっていたということ、そういったことを踏まえて花間集の詩を読んでいかないと、単に「断腸」の思い、嘆くと解釈してしまうことになる。朱子学、儒学がさらに教条的なものになっていく中世封建制までは、かなり自由恋愛があったということなのである。
唐の教坊の曲名。単調と双調がある。花間集』 には十二百所収。温庭籍の作は七首収められている。単調二十三字、五句三平韻で、5⑤⑤5③の詞形をとる。
轉盼如波眼,娉婷似柳腰。
花裏暗相招,
憶君腸欲斷,恨春宵。
46. 轉盼 流し目を動かす。盼:(1) 切望する,焦がれる切盼切望する.(2) 見る左顾右盼左右を見回す.
47. 波眼 波眼蝶
48. 娉婷 【ひょうてい】(婦人の姿や振舞いが)優雅な,美しい
49. 柳腰 細くてしなやかな腰。多く、美人のたとえ。李商隠『楚宮』「楚管蠻弦愁一概,空城罷舞腰支在。」楚宮詩でいう「腰支在」は妖艶な腰の体つきで舞い姿をみせた。「宮妓」詩に「披香新殿に腰支を闘わす」というように、踊り子の動きの際立つ部位。薄絹をつけて舞う宮廷での踊りは、頽廃的に性欲に訴えるものであった。
楚宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 55
また、同様に細腰について、女性の細い腰。楚の霊王が細い腰を好んだという。『漢書・馬寥傳』の「呉王好劍客,百姓多瘡瘢。楚王好細腰,宮中多餓死。」、『荀子・君道』「楚莊王好細腰,故朝有餓人。」や『韓非子』「越王好勇,而民多輕死。楚靈王好細腰,而國中多餓人。」「楚の霊王は細腰を好み、国中餓する人多し」。
50. 花裏暗相招 行楽というのは花のもとに万幕を張り、花筵が開かれ、無礼講である。
憶君腸欲斷,恨春宵。
あのお方のことを思い続け、寵愛を受けたいと毎夜準備をしているだけで叶わず、下腸など切ってしまいたいと思っている。それにしてもこんな春の宵は恨めしいだけだ。
51. 憶君腸欲斷 妃嬪は天子の為だけのために生きるのであるが、寵愛を失ったものを詩に頻繁に登場するのである。これらの詩は、当時であれば、噂、言い伝えなど我々が知らないこともあろうから、面白い詞であったのではなかろうか。詩人たちのサロンでは面白おかしくこれらの詩を楽しんだことだろう。
南歌子七首其七
(寵愛を受けることが無くなって久しいという状況であっても、いつかまた「寵愛を受ける」という気持ちを持って生きていくと詠う。)
52. 【解説】
寵愛を受けることが無くなって久しいという状況を詠うもので、鴛駕の枕物を憂く払うのではなく、寝牀を整えることから、スカートを裁縫すること、何をするのも物憂いので、翡翠の絵柄のスカート縫うも意味がないからやめてしまった。それでも夜が来ると、寝牀を整えて、寵愛を受ける準備をするのである。ところが、夜が更けてゆくと、新たに香を焚くこともやめて放置してしまう。それでも、あのお方に愛されたいと思って生きていくのである。
後宮の妃嬪、富貴の家妾、多妻女性の悲哀であるが、いつかまた「寵愛を受ける」というモチベーションがなければ、生きていけないということを溫庭筠は読んでいるのである。
唐の教坊の曲名。単調と双調がある。花間集』 には十二百所収。温庭籍の作は七首収められている。単調二十三字、五句四平韻で、⑤⑤⑤5③の詞形をとる。
懶拂鴛鴦枕,休縫翡翠裙。
羅帳罷爐熏。
近來心更切,爲思君。
53. 懶拂 懶: 何かすることを面倒がること。また、そのような性質や人。また、そのさま。ぶしょう。
54. 鴛鴦枕 鴛鴦の絵が描かれた枕。仲良くしていたころのことを想像させる。
55. 休縫 裁縫することを休止する。
56. 翡翠裙 翡翠の襦袢。肌着。スカート。
57. 羅帳 うす絹のとばり。
58. 爐熏 彩画香炉。竹を截頭円錐形に粗く編み,絹で包んだ器。
59. 近來 近頃では。
60. 心更切 心さえも切断している。
61. 爲思君 ただあなたを思うことだけさせられている。