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魏承班

花間集 訳注解説 (446)回目《魏承班巻八50菩薩蠻二首 其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10719

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446)回目《魏承班巻八50菩薩蠻二首 其二》

 

 

 

花間集 訳注解説 (446)回目《魏承班巻八50菩薩蠻二首 其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10719

(宮妓の中の妓優であり、妃嬪となるものの秋の夜の興慶宮勤政楼での宴席を詠う。)

薄絹の衣裳の下には金泥の絵模様がほのかに見えている、秋の夜の勤政楼の玳瑁の筵の宴において歌う「琴操」曲の歌があり、優雅な宴はすすめられる。おおらかに声を震わせて独唱して皆、静まりかえりききほれる、艶めかしき眼差し投げかける、翡翠の髪飾りに黄金の簪が黒髪に揺れる。宴もたけなわになると酒に酔って頬も紅く可愛らしく愛嬌に感じられる、眉は遠き秋の山の色にかかれて頬の赤く染まった近くの山ということなのだ。そのあと、刺繍の帳のうちに麝香の煙がひくくただようなかで、誰が知ろう、この時の二人の心のうちを。

巻八50

菩薩蠻二首 其二

13魏承班

(改訂版Ver.2.1

《花間集》402巻八50

全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7274

 

 

 

 

魏承斑(生卒年未詳、およそ九三〇年前後に在世)

前蜀の詞人。字、出身地ともに未詳。魏承斑の父親の魏宏夫は、前蜀の王建の養子となり、王宗弼の名を賜り、斉王に封じられた。蜀承斑は鮒馬都尉(皇女の婿に与えられる官職)となり、官は大尉に至った。その詞は、専ら抒情を主とし、淡白にして明噺で、人々は好んでその詞を模倣したと言われ、薛昭蘊や牛橋には譲るが、毛文錫には勝ると評価されている。『花間集』には十五首の詞が収められている。全唐詩によりなお六首を補うことができる。詞風は溫庭筠に近い。

 

 

花間集 巻八 魏太尉承班二首

花間集 巻九 魏太尉承班十三首

 

 

菩薩蠻二首

 

菩薩蠻二首 其一

(秋も深まり、菊と月を愛でる宴において、結ばれることになった妓優からひひんになって初めて寵愛を受けることに)

羅裾薄薄秋波染,眉間畫時山兩點。

うす絹の裾から足元が透けて見えてきて秋景色の波はずっと色濃くしている。女の眉の間には花鈿が綺麗に点々と画かれて化粧を整えている。

相見綺筵時,深情暗共知。

秋を愛でるきれいな宴の花筵に互に見つめ合う二人がいる、愛し合う心はますます深くなり、ますます二人だけの世界に入っていくことを知る。

翠翹雲鬢動,斂態彈金鳳。

女は翡翠の羽を高く掲げるほど有頂天になって雲型の黒かにを動かしていく、服の乱れを整えて、金の鳳凰の飾りを奇麗に弾いて髪を調える。

宴罷入蘭房,邀入解珮璫。

やがて宴も終る、そして、蘭の香りの閨に入ってゆく、すべてを迎い入れ、佩び玉と耳飾りをといて、はじめて結ばれる。

(菩薩蠻二首 其の一)

羅裾 薄薄として秋波染め,眉間 畫時 山兩點たり。

相い見る 綺筵の時を,深く情す 暗く共に知るを。

翠翹して 雲鬢動き,態を斂めて 金鳳を彈く。

宴罷み 蘭房に入る,邀えて入る 珮璫を解く。

 

菩薩蠻二首 其二

(宮妓の中の妓優であり、妃嬪となるものの秋の夜の興慶宮勤政楼での宴席を詠う。)

羅衣隱約金泥畫,玳筵一曲當秋夜。

薄絹の衣裳の下には金泥の絵模様がほのかに見えている、秋の夜の勤政楼の玳瑁の筵の宴において歌う「琴操」曲の歌があり、優雅な宴はすすめられる。

聲戰覷人嬌,雲鬟裊翠翹。

おおらかに声を震わせて独唱して皆、静まりかえりききほれる、艶めかしき眼差し投げかける、翡翠の髪飾りに黄金の簪が黒髪に揺れる。

酒醺紅玉輭,眉翠秋山遠。

宴もたけなわになると酒に酔って頬も紅く可愛らしく愛嬌に感じられる、眉は遠き秋の山の色にかかれて頬の赤く染まった近くの山ということなのだ。

繡幌麝煙沉,誰人知兩心。

そのあと、刺繍の帳のうちに麝香の煙がひくくただようなかで、誰が知ろう、この時の二人の心のうちを。

 

(菩薩蠻二首 其の二)

羅衣 隱約たり 金泥の畫,玳筵【たいえん】一曲 秋夜に當る。

聲 戰【ふる】え 人を覷ること嬌かし,雲鬟 翠翹 裊【ゆ】れる。

酒醺 紅玉輭【やわら】かに,眉翠 秋山遠し。

繡幌【しゅうこう】麝煙 沉み,誰れ人か 兩心を知らん。

 

 

『菩薩蠻二首 其二』 現代語訳と訳註

(本文)

菩薩蠻二首 其二

羅衣隱約金泥畫,玳筵一曲當秋夜。

聲戰覷人嬌,雲鬟裊翠翹。

酒醺紅玉輭,眉翠秋山遠。

繡幌麝煙沉,誰人知兩心。

 

(下し文)

(菩薩蠻二首 其の二)

羅衣 隱約たり 金泥の畫,玳筵【たいえん】一曲 秋夜に當る。

聲 戰【ふる】え 人を覷ること嬌かし,雲鬟 翠翹 裊【ゆ】れる。

酒醺 紅玉輭【やわら】かに,眉翠 秋山遠し。

繡幌【しゅうこう】麝煙 沉み,誰れ人か 兩心を知らん。

 

(現代語訳)

(宮妓の中の妓優であり、妃嬪となるものの秋の夜の興慶宮勤政楼での宴席を詠う。)

薄絹の衣裳の下には金泥の絵模様がほのかに見えている、秋の夜の勤政楼の玳瑁の筵の宴において歌う「琴操」曲の歌があり、優雅な宴はすすめられる。

おおらかに声を震わせて独唱して皆、静まりかえりききほれる、艶めかしき眼差し投げかける、翡翠の髪飾りに黄金の簪が黒髪に揺れる。

宴もたけなわになると酒に酔って頬も紅く可愛らしく愛嬌に感じられる、眉は遠き秋の山の色にかかれて頬の赤く染まった近くの山ということなのだ。

そのあと、刺繍の帳のうちに麝香の煙がひくくただようなかで、誰が知ろう、この時の二人の心のうちを。

 

(訳注)

菩薩蛮二首其二

(宮妓の中の妓優であり、妃嬪となるものの秋の夜の興慶宮勤政楼での宴席を詠う。)

後段、宴も終わった時には、彼女は酔って顔を紅く染め、男と香の煙なびく自室の帳の内に戻るが、二人の胸の内を知る者は誰一人いないと言う。

長く宮中に住む宮妓の他に、玄宗の時代から長安と洛陽の宮殿にほど近い街区に、左右二つの芸妓養成のための外教坊が設けられた。ここでも多数の芸妓が養成されたが、この芸妓は宮廷の専用に充てられ、官官によって管理された。彼女たちが宮妓と異なるのは、宮中には住まず、必要な時に呼び出され宮中の御用に供された点にある。記録によれば、右教坊の芸妓の多くは歌がうまく、左教坊のものは舞いが上手だったという。

彼女らも、芸を売ることだけだったということではなく、歌、踊りの後天子のものとでその夜を過すということは当然あった。富貴の者の家に置かれた芸妓たちも同様であり、軍隊や地方官庁に置かれた官妓も同じであった。

この詩の中ではもっとも高貴なものの酒宴であったので、天子の御手が着いたということであろう。

たとえば、『楽府雑録』『開元天宝遺事』に見える。吉州永新県の楽家の生まれの女性で本名を許和子と言った。開元の末年ごろに後宮に入り、教坊の宜春院に属した。その本籍によって、永新と呼ばれた。美貌と聡い性質を持ち、歌に長じ、作曲を行い、韓娥李延年の千年来の再来と称せられた。玄宗から寵愛を受け、演奏中もその歌声は枯れることがなく、玄宗から「その歌声は千金の価値がある」と評せられる。玄宗が勤政楼から顔を出した時、群衆が騒ぎだしたので、高力士の推薦で永新に歌わせたところ、皆、静まりかえったという説話が伝わっている。
安史の乱の時に、後宮のものもバラバラとなり、一士人の得るところとなった。宮中で金吾将軍であった韋青もまた、歌を善くしていたが、彼が広陵の地に乱を避け、月夜に河の上の欄干によりかかっていたところ、船の中からする歌声を聞き、永新の歌と気づいた韋青が船に入っていき、永新と再会し、涙を流しあったという説話が残っている。その士人が死去した後、母親と長安に戻り、民間の中で死去する。最期に母親に、「お母さんの金の成る木は倒れました」と語ったと伝えられる。清代の戯曲『長生殿』にも、楊貴妃に仕える侍女として登場する。

『花間集』には魏承斑の作が二首収められている。双調四十四字、前段二十四字四句二仄韻二平後段二十字四句二仄韻二平韻で、❼❼⑤⑤/➎➎⑤⑤の詞形をとる。

菩薩蠻二首 其一

羅裾薄薄秋波,眉間畫時山兩

相見綺筵,深情暗共

翠翹雲鬢,斂態彈金

宴罷入蘭,邀入解珮

○○●●○○●  ○△●○○●●

△●●○○  △○●△○

●△○●●  ●●△○●

●△●○○  ○●●●○

菩薩蠻二首 其二

羅衣隱約金泥,玳筵一曲當秋

聲戰覷人,雲鬟裊翠

酒醺紅玉,眉翠秋山

繡幌麝煙,誰人知兩

○△●●○△●  ●○●●△○●

○●●○△  ○○●●△

●○○●●  ○●○○●

●●●○○  ○○○●○

興慶宮沈香亭
 

羅衣隱約金泥畫,玳筵一曲當秋夜。

薄絹の衣裳の下には金泥の絵模様がほのかに見えている、秋の夜の勤政楼の玳瑁の筵の宴において歌う「琴操」曲の歌があり、優雅な宴はすすめられる。

7 隠約 ほのかかなさま。①はっきりと見分けがたいこと。②言葉は簡単でも意味が奥深いこと。また、あからさまに表現しないこと

8 玳筵 玳瑁の筵。玳瑁は海亀の一種で、甲羅が半透明なところから珍重される。ここでは豪華な宴席、興慶宮勤政楼を指す。

 

聲戰覷人嬌,雲鬟裊翠翹。

おおらかに声を震わせて独唱して皆、静まりかえりききほれる、艶めかしき眼差し投げかける、翡翠の髪飾りに黄金の簪が黒髪に揺れる。

9 聲戰 おおらかに声を震わせて独唱する。

唐の玄宗が楊玉環のために作ったとされる曲。霓裳羽衣の曲は玄宗が婆羅門系の音楽をアレンジした曲と言われる。玄宗は愛妾である楊玉環のお披露目の際、この曲を群臣に披露し、群臣に楊玉環が特別な存在であると意識させた。

『霓裳羽衣舞』は唐代舞踊を代表する演目で、「霓裳」とは虹のように美しいもすそ(スカート)、「羽衣」は鳥の羽のように軽い衣のこと。唐の玄宗皇帝が夢のなかで天上の月宮に遊び、仙女が舞っていた調べをもとに作った。

楽史「楊太真外伝」によると、玄宗が三郷駅に登り、女几山を望んだ時に作曲したものである説と、玄宗が、仙人の羅公遠に連れられ、月宮に行き、仙女が舞っていた曲の調べをおぼえて作らせた説双方が記されている。楊貴妃もこれに合わせて、舞うのを得意としたという。しかし、玄宗期に起こった安史の乱以降、この曲は国を傾けた不祥の曲であると忌まれ、楽譜も散逸してしまった。 白居易の「長恨歌」にも曲名が登場する。「漁陽鼙鼓動地來、驚破霓裳羽衣曲。」(漁陽の鼙鼓【へいこ】 地を動【どよ】もして来たり、驚破す 霓裳羽衣の曲。)

 

酒醺紅玉輭,眉翠秋山遠。

宴もたけなわになると酒に酔って頬も紅く可愛らしく愛嬌に感じられる、眉は遠き秋の山の色にかかれて頬の赤く染まった近くの山ということなのだ。

10 紅玉輭 ここでは酒に酔って紅くなった歌妓の頬のこと。

11 秋山 ここでは女の眉を指すが、遠き山であり、紅く染まった頬は色づく秋の山である。眉と女がよこになったシルエットを山で喩える姿をいう。屏風と山は女体を意味する。

 

繡幌麝煙沉,誰人知兩心。

そのあと、刺繍の帳のうちに麝香の煙がひくくただようなかで、誰が知ろう、この時の二人の心のうちを。

12 麝煙沉 麝香の煙が低くなびくこと。

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