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字解集

花間集 訳注解説 (16)回目《【字解集】-16》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10726

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 【字解集】-16 花間集巻八 末端部

 

 

花間集 訳注解説 (16)回目《【字解集】-16》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10726

 

 

 

 

 

 

花間集 巻八  孫光憲 (16

 

 

 

孫光憲:陽柳枝四首 

巻八42  楊柳枝四首其一    閶門風暖落花乾,飛遍江城江城雪不寒。獨有晚來臨水驛,閑人多凭赤欄干。

巻八43  楊柳枝四首其二    有池有榭即濛濛,浸潤飜成長養功。恰似有人長點檢,着行排立向春風。

巻八44  楊柳枝四首其三    根柢雖然傍濁河,無妨終日近笙歌。驂驂金帶誰堪比,還共黃鶯不校多。

巻八45  楊柳枝四首其四    萬株枯槁怨亡隋,似弔臺各自垂。好是淮陰明月裏,酒樓橫笛不勝吹。

 

望梅花一首 

巻八46  望梅花一首           枝開與短牆平,見雪萼紅跗相映,引起誰人邊塞情。簾外欲三更,吹斷離愁月正明,空聽隔江聲。

 

漁歌子二首 

巻八47  漁歌子二首其一    草芊芊,波漾漾,湖邊艸色連波漲。沿蓼岸,泊楓汀,天際玉輪初上。扣舷歌,聯極望,槳聲伊軋知何向。黃鵲叫,白鷗眠,誰似儂家疏曠。

巻八48  漁歌子二首其二    泛流螢,明又滅,夜涼水冷東灣闊。風浩浩,笛寥寥,萬頃金波澄澈。杜若洲,香郁烈,一聲宿鴈霜時節。經霅水,過松江,盡屬濃家日月。

魏太尉承班二首

 

巻八49  菩薩蠻二首 其一  羅裾薄薄秋波染,眉間畫時山兩點。相見綺筵時,深情暗共知。翠翹雲鬢動,斂態彈金鳳。宴罷入蘭房,邀入解珮璫。

巻八50  菩薩蠻二首 其二  羅衣隱約金泥畫,玳筵一曲當秋夜。聲戰覷人嬌,雲鬟裊翠翹。酒醺紅玉輭,眉翠秋山遠。繡幌麝煙沉,誰人知兩心。

 

 

 

【字解集】-16 花間集巻八 末端部

42

楊柳枝四首其一

(蘇州水陸駅の風景を詠う)

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花間集』には二十四百所収(同調異名の「柳枝」九首を含む)。孫光憲の作は四首収められている。溫庭筠と同じ単調二十八字、四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

 

閶門風暖落花乾,飛遍江城雪不寒。

呉城の西北門の「閶闔門」から見れば春も終わりの風が暖かく花を落下させやがて乾燥させる。やがて、風が北から偏って吹きはじめると大江のほとりに立つ城郭に雪が降ることるがあっても、寒気に堪えられないほどのものではない(が一人で居るのが耐えられない)

1 閶門 閶闔門、天の門、通常は宮城の門をさすが、ここでは蘇州城(呉城)の西北門で、「閶闔門」(しょうこうもん)が正式の名。この門は運河を舟で来た人が蘇州に入る場合の正門で、城楼から城内を見わたすと、眼下に蘇州一の賑やかな街並みが見下ろせる。門外は渡津になっており、運河を航行してきた舟がひしめき合って停泊する。呉の都の門「陳後宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 53」「茂苑城如畫、閶門瓦欲流。」詩参照。。

河内詩二首其二(湖中) 其二

閶門日下呉歌遠、陂路淥菱香満満。

後渓暗起鯉魚風、船旗閃断芙蓉幹。』

傾身奉君畏身軽、雙橈兩漿樽酒清。

莫因風雨罷團扇、此曲断腸唯北聲。』

低樓小徑城南道、猶自金鞍封芳草。』

閶門 日下り 呉歌遠し、陂路の縁菱 香り満満。

後渓暗に起つ 鯉魚の風、船旗閃断す 芙蓉の幹。』

身を傾けて君に奉ずるも 身の軽き を 畏る、雙橈 両漿 樽酒清し。

風雨にて団扇を罷くることに因る莫かれ、此の曲 断腸するは 唯 北声。』

低楼 小径 城南の道、猶に自(より) 金鞍 芳草に対す。』

 

獨有晚來臨水驛,閑人多凭赤欄干。

一人で居るから夕闇が迫るころになると、水陸駅に入って来る舟を臨む。暇を持て余す人が大勢、同じように紅い欄干に倚りかかって眺めている。

2 水驛 長安を中心とした各地方につながる道路、水路が整備されていった。道路には、30里(約17km)ごとに駅站(駅館、公営の宿)が置かれ、公文書を運ぶ政府の使者や地方へ赴任し、帰ってくる官僚が利用した。駅站の近くには、往々において民間の宿が存在した。宿の名称の最後には、『駅』、『館』、『店』とつくことが多かった。唐全土には1,639もの駅站が存在し、水駅が260、水陸駅が86か所設置されていた。駅站を利用できる政府関係者は、食糧、運送、宿泊が無料であった。また、道路の五里ごとに『里隔柱』という標識が置かれ、十里ごとに別の標識を立てられた。幹線道路沿いには多数の店舗が建ち並び、交通は大いに発達した。

3 凭れる【もたれる/靠れる】人や物に自分のからだの重みをあずける。寄りかかる。「柱に―・れる」「籐椅子に―・れる」食べた物が消化されないで胃に残り重苦しく感じられる。

 

43

楊柳枝四首其二

(離宮の大池のほとりのあずまやに一人妃嬪が佇むが、春が来れば行楽に向かいたいと思うものである。万物春が来ればみんなそうなのだと詠う。)

人日の剪彩

陰暦の正月七日は「入日」 である。この日、宮中でも民間でも、女性は美しい色彩の絹布をとりだして、花、葉、鳥などの図案をはさみで切り抜く。「閏婦は刀を持して坐し、自ら憐む 裁ちて新しきを乗るを。葉は催して情は色を綴り、花は寄せて手は春を成す。燕(燕の模様の努紙)は帖めて敷戸に留め、鶏(鶏の模様の努紙)は謝りて餉う人を待つ。撃ち来って夫婿に問う、何処ぞ真の如からざらん」(徐延寿「人日華麻」)。上手にできれば、それを木に飾ることもあれば、それを空に飛び散らせる人もあった。こうした勢彩は主に節句のめでたさを盛り上げるために行ったのであろうが、また女性たちはこの機会を借りて自分の器用さを人に誇ったのである。

* 人日は一月一日から六日まで各種家畜の成育を占い、七日が人、八日が穀物の占い口であった。これは年頭に豊凶、吉凶を占う習俗であり、古代日本にも伝わった。

 

蕩鞦韆(ぶらんこ漕ぎ)】

この女性の遊びは、毎年、寒食(清明節の前二日の節句)と清明節(冬至から一〇六日目、春の到来を祝う)前後に行われた。「天宝年間、宮中では寒食節に至ると、鍬極を作って宮婦たちを乗せて宴楽とした。これを〝半仙の戯〞(半分仙人気分となる遊び)とよんだ」(『開元天宝遺事』巻下)。民間の女性もぶらんこをして遊んだ。唐詩に、「少年と児女は鍬確を重んじ、巾を盤け帯を結んで両辺に分かつ。身は軽く裾薄く 力を生じ易し、双手は空に向き 鳥の翼の如し。下り来り立ち定まりて 重ねて衣を繋ぎ、復た斜めの風の 高きを得ざらしむるを畏る。傍人 上に送る 那ぞ貴ぶに足らん、終に鳴環を賭け 聞いて自ら起つ。回り回って高樹と斉しかるが若く、頭上の宝欽 従って地に堕つ」(王建「鞭極詞」)。また別の詩に、「五糸もて縄を繋ぎ 塔を出ること遅く、力尽き綾かに隣りと隣の圃を見る。下り来って矯く喘ぎ末だ調うる能わず、斜めに朱関に借りて久しく語無し」(韓健「鞭樗」)とある。これらの詩からみると、少女たちはぶらんこが大好きで大いに勝負を争い、時にアクセサリーまで賭けて、誰が最も高く揚がるか競った。

【闘百草(百草を闘わす遊び)

草花を採ってその優劣を競う遊びで、端午の節句の前後、百草の生い茂る頃に行われた。「帰り来って小姑に見え、新たに放って百草を弄しむ」(劉駕「桑婦」)、「閑来に百草を闘わし、日を度るも敗を成さず」(雀顛「王家少婦」)などと詩に詠われでいる。これは主に少女たちの遊びであろう。

中宗の時代、安楽公主は五月五日の「聞百草」 の時、出し物を豊富にするために、わざわざ人を南海のある寺院まで派遣して、南朝宋の謝霊運が臨終の時に寺に寄進した美害(ほほひげ)を取り寄せて、百草遊びの賭け物とした(『隋唐裏話』巻下)。この「闘百草」という遊びは、恐らく草の品種で勝ち放けを競ったものと思う。それで安楽公主は、謝霊運のほほひげを草の一種のように装って賭け草にするという、奥の手を考えついたのであろう。

 

【端午の節句】に、宮中の女性たちは団子を作り、それを小さな弓で射る遊びもした。「粉団で角黍を造り、金盤の中に貯く。小さな角で弓子を造るが、うっとりするほど繊細巧妙である。箭を架えて盤中の粉団めがけて射かけ、当たれば食べでもよいが、粉団は滑威して射ぬくのは難しい」(『開元天宝達事』巻上)。この遊びは宮中だけで行われたらしく民間には普及しなかった。

 

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花間集』には二十四百所収(同調異名の「柳枝」九首を含む)。孫光憲の作は四首収められている。溫庭筠と同じ単調二十八字、四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

楊柳枝四首其一

閶門風暖落花,飛遍江城雪不

獨有晚來臨水驛,閑人多凭赤欄

○○△●●○○  ○●○○●△○

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楊柳枝四首其二

有池有榭即濛,浸潤飜成長養

恰似有人長點檢,着行排立向春

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有池有榭即濛濛,浸潤飜成長養功。

離宮には大池があり、ほとりに四阿があるが、霧に包まれれば何が何だか分からなくなるし、水につかったり、ずぶぬれになったり、あるいはひっくり返ったり起き上がったり、そうやって長く生物は養われ、育っていくのである。

4 榭 榭とは、屋根のあるうてな、あずまや()、水榭、水ぎわの亭(チン)

5 濛濛 霧・煙・ほこりなどが立ちこめるさま。「―と砂ぼこりをまき上げる」心がぼんやりとしているさま。「木の本に―としてぞ立たりける」

6 飜成 ひっくり返ったり元に戻ったりする。

 

恰似有人長點檢,着行排立向春風。

それは人間の生きていくこと、後宮の妃賓の有様にも似ているものであり、詳しく調べるとそんなものである、旅から戻ってきたり、旅に出ようとするし、一方を排し、他方を立てること、逢うも別れもあるものだし、愛されれていても、捨てられることもあるが、春風が吹いてくれば、万物の成長、行楽への思いは春風に向っての思うものである。

7 恰 [訓]あたかもちょうど。あたかも。「恰好(かっこう)」◇「恰好(かっこう)」「恰幅(かっぷく)」の「恰」の末尾促音は、「コウ(カフ)」の入声(にっしょう)pの変化したもの。

8 點檢 スル 一つ一つ検査すること。くわしく調べること。 「エンジンを-する」 「人数を-する」 「点検」に似た言葉»。檢〔検〕[音]ケン[訓]しらべる[学習漢字]5取り調べる。「検閲・検査・検察・検死・検出・検証・検診・検定・検討/実検・点検・剖検」とりしまる。「検束」検査。

9 排立 二つのものを比べ、一方を排し、他方を立てること。排するとは、押しのける。しりぞける。排斥する。「万難を―・して進む」「反対勢力を―・する」並べる。排列する。「漢字を画数順に―・する」押し開く。

 

 

44.

楊柳枝四首其三

(王子と呼ばれる高貴なお方の息子が手を付けたきれいな女を棄ててどこかに行く、何にもできず待つだけが女のできることと詠う)

貴公子は、好き勝手に遊びほうけていて、女を作っては棄ててゆく、女は、何もすることができずにただ待つだけである。ただ待つというのは、終日笙の笛を吹き、歌っていた王子喬は士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。というのとおなじではないか。

 

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花間集』には二十四百所収(同調異名の「柳枝」九首を含む)。孫光憲の作は四首収められている。溫庭筠と同じ単調二十八字、四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

楊柳枝四首其一

閶門風暖落花,飛遍江城雪不

獨有晚來臨水驛,閑人多凭赤欄

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楊柳枝四首其二

有池有榭即濛,浸潤飜成長養

恰似有人長點檢,着行排立向春

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楊柳枝四首其三

根柢雖然傍濁,無妨終日近笙

驂驂金帶誰堪比,還共黃鶯不校

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○○○●○○△  ○△○○△●○

 

根柢雖然傍濁河,無妨終日近笙歌。

何にも考えず、そぞろ歩くと土手の根元ににごった黄河の水が流れれて東流していくけれど、それなら、王子喬のように一日中、笙を吹いておれば、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り仙人になるかもしれない。

10 根柢 物事や考え方を成り立たせる土台になっているもの。基礎。根本。

11 雖然 にもかかわらず (雖然…但是…,儘管、卻…) N(である)+にもかかわらず な形+なの / な形である +にもかかわらず 普通体+にもかかわらず.

12 濁河 黄河のこと。《西漢會要/65》「夫齊,東有琅邪、即墨之饒,南有泰山之固,西有濁河之限,北有勃海之利。」斉には東に琅邪・即墨の豊穣があり、 南に泰山の堅固があり、西に濁河(黄河)の限界があり、北に渤海の便宜がある。

13 無妨 妨げるものはない。やりたい放題。

14 終日近笙歌 周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋、王子喬の故事。

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

仙人十五愛吹笙,學得崑丘彩鳳鳴。始聞鍊氣餐金液,復道朝天赴玉京。

玉京迢迢幾千里,鳳笙去去無窮已。欲歎離聲發絳脣,更嗟別調流纖指。

此時惜別詎堪聞,此地相看未忍分。重吟真曲和清吹,卻奏仙歌響綠雲。

綠雲紫氣向函關,訪道應尋緱氏山。莫學吹笙王子晉,一遇浮丘斷不還。

○笙歌《古くは「しょうが」》笙に合わせて歌うこと。また、その歌。せいか。吹笙伴歌。「綵雲蕭史駐,文字魯恭留。」蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。『玉臺観二首其一』にものべる。

「人傳有笙鶴,時過此山頭。」 このあたりの人は王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。

鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙を吹いては鳳凰が鳴くような音を出すことができた。伊水、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。

Index-21 #《古風五十九首之七》Index-21Ⅲ― 1-742年天寶元年42歳 <Index-21 #1> Ⅰ李白詩1153 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4313

236-#2 《巻12-7 秋夜宿龍門香山寺,奉寄王方城十七丈、奉國瑩上人、從弟幼成令問 -#2Index-16 Ⅱ―11-736年開元二十四年36歳 <236-#2> Ⅰ李白詩1482 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5958

291 《巻四06鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <291> Ⅰ李白詩1579 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6443

201《巻五 34少年行》「少年游俠好經過、渾身裝束皆綺羅。 蕙蘭相隨喧妓女、風光去處滿笙歌。」638《巻十九游泰山六首其六》「仙人游碧峰、處處笙歌發。 寂靜清暉、玉真連翠微。(仙人 碧峰に遊び,處處に 笙歌發す。寂靜 清暉をみ,玉真 翠微に連る。)」890《巻二十四01題隨州紫陽先生壁》忽耽笙歌樂。 頗失軒冕情。 終愿惠金液。 提攜凌太清。

李白318-#1 《巻十九12遊泰山,六首之六【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》318-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白318-#1> Ⅰ李白詩1630 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6698

 

驂驂金帶誰堪比,還共黃鶯不校多。

もともと皇子は、しんしんと添え馬を並べて行く馬車に護衛のものを載せて、金帯をつけている生活のお人が、このような世俗を離れ仙人の生活に耐えられるものだろうか、それはそれであっても、そのために、高麗鶯のような女がすてられ、また増えていく、王子喬のように30年後に現われる人を仕返しも何もできないままに待って居よというのだろうか。

○驂驂 添え馬を並べて行く馬車。驂は、三頭立ての馬車。富貴の者の護衛に同車するもの。

古代在車旁駕車的兩匹馬。詩經.鄭風.大叔于田:「 執轡如組,兩驂如舞。」楚辭.屈原.九歌.國殤:「 凌余陣兮躐余行,左驂殪兮右刃傷。」

15 金帶 的腰。古代帝王、后妃、文武百官所服腰

16 黃鶯 コウライウグイスの別名。

17 不校 仕返しをしない。孔子《論語·泰伯》:“ 曾子日、以能問於不能、以多問於寡、有若無、実若虚、犯而不校。昔者吾友、嘗従事於斯矣。” 曾子日く、能を以て不能に問い、多を以て寡に問い、有れども無きが若く、実つれども虚しきが若くし、犯さるるも校せず。昔者吾が友、嘗て斯に従事せり。

  曾子が言いました。「才能があるにも拘らず、才能のない人の意見も聞き、知識が豊富であるにも拘らず知識の少ない人の意見も聞く。能力が有るにも拘らず無いかのように振舞い、人徳が充実しているにも拘らず、空虚であるように振舞う。又、他人から嫌なことをされても仕返しをすることが無い。昔、私の旧友はこのように努めていました」と。

 

45.

楊柳枝四首 其四』 現代語訳と訳註

(栄枯盛衰を思わせ悲しい過去を思い出させる呉台であるが、それより、ここで見る月は素晴らしいし、美人が素晴らしい、今この時を楽しむことが大切と詠う。)

 

楊柳枝四首其四

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花間集』には二十四百所収(同調異名の「柳枝」九首を含む)。孫光憲の作は四首収められている。溫庭筠と同じ単調二十八字、四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

楊柳枝四首其一

閶門風暖落花,飛遍江城雪不

獨有晚來臨水驛,閑人多凭赤欄

○○△●●○○  ○●○○●△○

●●●△△●●  ○○○△●○○

楊柳枝四首其二

有池有榭即濛,浸潤飜成長養

恰似有人長點檢,着行排立向春

●○●●●△△  △●○○△●○

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楊柳枝四首其三

根柢雖然傍濁,無妨終日近笙

驂驂金帶誰堪比,還共黃鶯不校

○△○○△●○  ○△○●●○○

○○○●○○△  ○△○○△●○

楊柳枝四首其四

萬株枯槁怨亡  似弔臺各自
好是淮陰明月裏  酒樓橫笛不勝

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萬株枯槁怨亡隋,似弔臺各自垂。

沢山の切り株があり、のこっているのも枯れ木ばかりで怨み、そこからいなくなり、そして堕ちてゆく。昔は呉の国の政治の中心であったものが滅んだのでとむらいをすることのようであり、ここに来たそれぞれのものは自然に首を垂れるのである。

18 槁() かわく、枯れた,(しぼ)んだ枯槁同前.『荘子、齊物論』「槁木死灰。」(枯れ木と冷えた灰)すべてに無感動無関心である.

呉王夫差は国庫の金をつぎ込んで西施のために次々と庭園や離宮を作った。西施のための贅沢な庭園・館娃宮、は春には花が咲き乱れ、夏は冷たい井戸水で水浴びをし、秋には紅葉が目を楽しませ、冬は洞で暖を取る。西施が訪れるたびに大規模な響宴や歌舞が催されます。それを想像させる。

19 隋 祭りの肉の余り。おちる。おこたる。

20 弔 とむらう人の死をいたんで悔やみを述べる。とむらう。「弔意・弔歌・弔客・弔辞・弔電・弔砲・弔問/敬弔・慶弔」

 

好是淮陰明月裏,酒樓橫笛不勝吹

そんなことよりここ淮陰の呉の国でよいことは仲秋の名月が素晴らしいということ、そこにいる楊柳を折って旅立つ人の安全を願った美人が素晴らしいということだ。こんな美人の入る高楼で酒を酌み交わし呉越の「横笛曲」を吹き鳴らすのに勝るものが他にあろうか。

21 好是 ここにあるものこそ素晴らしい良いものだ。

22 淮陰 淮陰の股くぐり男、.韓信。秦代に設置される。南北朝時代になると東魏により懐恩県(または淮恩県)と改称され淮陰郡の郡治とされた。その後北周により寿張県、583年(開皇3年)には淮陰県と改称されたが、大業初年に山陽県に編入された。

667年(乾封2年)、唐朝は再び淮陰県を設置、1273年(咸淳9年)には淮陰県より清河県が分置され、清河軍の軍治とされた。1283年(至元20年)、元朝により淮陰県は廃止され山陽県に編入されている。

23 横笛 漢代の「横笛曲」にある「梅花落」という笛曲。中国古代音楽於いての楽器は、胡琴、古筝、三弦、竪箜篌・琵琶・五絃・笙・橫笛・簫・篳篥・羯鼓・腰鼓・荅臘などによる楽器演奏がある。

和凝『望梅花』

春草全無消息,臈雪猶餘蹤跡。

越嶺寒枝香自拆,冷豔奇芳堪惜。

何事壽陽無處覓,吹入誰家橫笛

(梅花を望む)

春草 全無にして息を消し,臈雪【ろうせつ】猶お蹤跡に餘る。

越嶺 寒枝 香れば自ら拆り,冷豔【れいえん】奇芳 惜しむを堪えん。

何事ぞ壽陽 覓むる處無し 誰が家か「橫笛」の曲を,吹き入るは。

 

楊柳枝四首 【字解】

 

楊柳詞

漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。白居易は古い曲名を借りて新たな曲を作った、そのことを宣言した詞。詩の形式は七言絶句体であるが、白居易が新たな曲調を附けたもの。柳を詠い込む唐の都・洛陽の民歌として作っている。やがて、詞牌として数えられる。七言絶句の形式をした例外的な填詞。七言絶句体の填詞は、填詞の発展といった系統樹でみれば幾つかある根の一になる。七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがある。それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なる。また、曲調も当然ながら異なりあっている。これら『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』の平仄上の差異についてはこちら。七言絶句体で、七言絶句とされないものに『竹枝詞』がある。

『楊柳枝』と前出『竹枝詞』との違いを強調してみれば、前者『楊柳枝』は、都・洛陽の民歌となるだけに優雅である。それに対して『竹枝詞』は、表現が直截である。巴渝(現・四川東部)の人情、風土を歌ったもので、鄙びた風情とともに露骨な情愛を謡っていることである。相似点は、どちらも典故や格調を気にせず、近体七言絶句よりも気楽に作られていることである。

 

 

1 閶門 閶闔門、天の門、通常は宮城の門をさすが、ここでは蘇州城(呉城)の西北門で、「閶闔門」(しょうこうもん)が正式の名。この門は運河を舟で来た人が蘇州に入る場合の正門で、城楼から城内を見わたすと、眼下に蘇州一の賑やかな街並みが見下ろせる。門外は渡津になっており、運河を航行してきた舟がひしめき合って停泊する。呉の都の門「陳後宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 53」「茂苑城如畫、閶門瓦欲流。」詩参照。。

河内詩二首其二(湖中) 其二

閶門日下呉歌遠、陂路淥菱香満満。

後渓暗起鯉魚風、船旗閃断芙蓉幹。』

傾身奉君畏身軽、雙橈兩漿樽酒清。

莫因風雨罷團扇、此曲断腸唯北聲。』

低樓小徑城南道、猶自金鞍封芳草。

閶門 日下り 呉歌遠し、陂路の縁菱 香り満満。

後渓暗に起つ 鯉魚の風、船旗閃断す 芙蓉の幹。』

身を傾けて君に奉ずるも 身の軽き を 畏る、雙橈 両漿 樽酒清し。

風雨にて団扇を罷くることに因る莫かれ、此の曲 断腸するは 唯 北声。』

低楼 小径 城南の道、猶に自(より) 金鞍 芳草に対す。』

2 水驛 長安を中心とした各地方につながる道路、水路が整備されていった。道路には、30里(約17km)ごとに駅站(駅館、公営の宿)が置かれ、公文書を運ぶ政府の使者や地方へ赴任し、帰ってくる官僚が利用した。駅站の近くには、往々において民間の宿が存在した。宿の名称の最後には、『駅』、『館』、『店』とつくことが多かった。唐全土には1,639もの駅站が存在し、水駅が260、水陸駅が86か所設置されていた。駅站を利用できる政府関係者は、食糧、運送、宿泊が無料であった。また、道路の五里ごとに『里隔柱』という標識が置かれ、十里ごとに別の標識を立てられた。幹線道路沿いには多数の店舗が建ち並び、交通は大いに発達した。

隋代からの駅伝制度を発達させ、駅站は整備され、役人の宿泊や馬の確保に使われた。一等の駅は馬75頭が置かれていた。関津制度によって、水陸の要所に関所が置かれ、旅人や荷を検分して、商人から税を徴収した。また、商業のための往来するために、商人は「過所」という通行証明書を、中央では尚書省、地方では州で発行してもらい、所持する必要があった。紛失した場合、審査の上で再発行となった。過所に許された経路を通れば、遠距離でも行くことができたが、不正に通関しようとしたものは罰を受けた。また、安史の乱以降は、人の動きが活発化して、藩鎮の州や県で「公験」という通行証明書も発行された。唐代の関津制度は、賦役逃れや誘拐、外敵の潜入を防ぐために厳格であった。唐代後半には、軍事伝達が余りに頻繁となり、駅站が増大して、駅伝制度は崩れていった。

当時の貴族や官僚は外出には車を使わず、馬に乗り、牛車に乗るのは女性が多かった。牛車はまた、運送に利用された。

3 凭れる【もたれる/靠れる】人や物に自分のからだの重みをあずける。寄りかかる。「柱に―・れる」「籐椅子に―・れる」食べた物が消化されないで胃に残り重苦しく感じられる。

4 榭 榭とは、屋根のあるうてな、あずまや()、水榭、水ぎわの亭(チン)

5 濛濛 霧・煙・ほこりなどが立ちこめるさま。「―と砂ぼこりをまき上げる」心がぼんやりとしているさま。「木の本に―としてぞ立たりける」

6 飜成 ひっくり返ったり元に戻ったりする。

7 恰 [訓]あたかもちょうど。あたかも。「恰好(かっこう)」◇「恰好(かっこう)」「恰幅(かっぷく)」の「恰」の末尾促音は、「コウ(カフ)」の入声(にっしょう)pの変化したもの。

8 點檢 スル 一つ一つ検査すること。くわしく調べること。 「エンジンを-する」 「人数を-する」 「点検」に似た言葉»。檢〔検〕[音]ケン[訓]しらべる[学習漢字]5取り調べる。「検閲・検査・検察・検死・検出・検証・検診・検定・検討/実検・点検・剖検」とりしまる。「検束」検査。

9 排立 二つのものを比べ、一方を排し、他方を立てること。排するとは、押しのける。しりぞける。排斥する。「万難を―・して進む」「反対勢力を―・する」並べる。排列する。「漢字を画数順に―・する」押し開く。

10 根柢 物事や考え方を成り立たせる土台になっているもの。基礎。根本。

11 雖然 にもかかわらず (雖然…但是…,儘管、卻…) N(である)+にもかかわらず な形+なの / な形である +にもかかわらず 普通体+にもかかわらず.

12 濁河 黄河のこと。《西漢會要/65》「夫齊,東有琅邪、即墨之饒,南有泰山之固,西有濁河之限,北有勃海之利。」斉には東に琅邪・即墨の豊穣があり、 南に泰山の堅固があり、西に濁河(黄河)の限界があり、北に渤海の便宜がある。

13 無妨 妨げるものはない。やりたい放題。

14 終日近笙歌 周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋、王子喬の故事。

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

仙人十五愛吹笙,學得崑丘彩鳳鳴。始聞鍊氣餐金液,復道朝天赴玉京。

玉京迢迢幾千里,鳳笙去去無窮已。欲歎離聲發絳脣,更嗟別調流纖指。

此時惜別詎堪聞,此地相看未忍分。重吟真曲和清吹,卻奏仙歌響綠雲。

綠雲紫氣向函關,訪道應尋緱氏山。莫學吹笙王子晉,一遇浮丘斷不還。

○笙歌《古くは「しょうが」》笙に合わせて歌うこと。また、その歌。せいか。吹笙伴歌。「綵雲蕭史駐,文字魯恭留。」蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。『玉臺観二首其一』にものべる。

「人傳有笙鶴,時過此山頭。」 このあたりの人は王子喬のような「笙鶴」伝説があるという。この山の頂上に、時折笙の笛を吹く仙人が鶴に乗って來るという、ここが仙郷ということなのだ。

鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙を吹いては鳳凰が鳴くような音を出すことができた。伊水、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公に誘われ中岳嵩山に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。

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291 《巻四06鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <291> Ⅰ李白詩1579 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6443

201《巻五 34少年行》「少年游俠好經過、渾身裝束皆綺羅。 蕙蘭相隨喧妓女、風光去處滿笙歌。」638《巻十九游泰山六首其六》「仙人游碧峰、處處笙歌發。 寂靜清暉、玉真連翠微。(仙人 碧峰に遊び,處處に 笙歌發す。寂靜 清暉をみ,玉真 翠微に連る。)」890《巻二十四01題隨州紫陽先生壁》忽耽笙歌樂。 頗失軒冕情。 終愿惠金液。 提攜凌太清。

李白318-#1 《巻十九12遊泰山,六首之六【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】》318-#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白318-#1> Ⅰ李白詩1630 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6698

○驂驂 添え馬を並べて行く馬車。驂は、三頭立ての馬車。富貴の者の護衛に同車するもの。

古代在車旁駕車的兩匹馬。詩經.鄭風.大叔于田:「 執轡如組,兩驂如舞。」楚辭.屈原.九歌.國殤:「 凌余陣兮躐余行,左驂殪兮右刃傷。

15 金帶 的腰。古代帝王、后妃、文武百官所服腰

16 黃鶯 コウライウグイスの別名。

17 不校 仕返しをしない。孔子《論語·泰伯》:“ 曾子日、以能問於不能、以多問於寡、有若無、実若虚、犯而不校。昔者吾友、嘗従事於斯矣。” 曾子日く、能を以て不能に問い、多を以て寡に問い、有れども無きが若く、実つれども虚しきが若くし、犯さるるも校せず。昔者吾が友、嘗て斯に従事せり。

  曾子が言いました。「才能があるにも拘らず、才能のない人の意見も聞き、知識が豊富であるにも拘らず知識の少ない人の意見も聞く。能力が有るにも拘らず無いかのように振舞い、人徳が充実しているにも拘らず、空虚であるように振舞う。又、他人から嫌なことをされても仕返しをすることが無い。昔、私の旧友はこのように努めていました」

 

 

【字解集】-16 花間集巻八46

 

望梅花

1.(土塀が月明かりで雪の台の様にみえ その高さに咲く紅白梅の花により、遠くにいるあの人を思い、川の彼方から聞こえて来る笛の音は、「梅花落」の曲であの人を思うと詠う。)

2. 寵愛を失うことを、梅が落ち、辺境の夫、笛の音、・・・・で表現するもの。

3.【解説】前段第二句の「見雪萼紅跗相映」雪の花台の上に紅梅の花がさいていれば、誰だって辺塞への思いを誘うだろう」という。雪は北方の辺境をおもわせる。後段、川の彼方から聞こえて来る笛の音は、「梅花落」の曲である。冬に蕾を膨らませ、霜の中に花を咲かせる、梅を思う詩である。和凝の詩と同じ横笛の曲辞である。橫笛:漢代の「横笛曲」にある「梅花落」という笛曲。中国古代音楽於いての楽器は、竪箜篌・琵琶・五絃・笙・橫笛・簫・篳篥・羯鼓・腰鼓・荅臘などがある。

 

4.『花間集』には二首所収。孫光憲の作は一首収められている。双調三十八字、前段二十一字三句二平韻、後段十七字三句三平韻で、⑦7⑦/⑤⑦⑤の詞形をとる。

數枝開與短牆。見雪萼、紅跗相映。引起離人邊塞

簾外欲三。吹斷離愁月正。空聽隔江

●○○△●○○  ●●● ○△△●  ●●△○○●○

○●●△△  △●△○●△○ △△●○○

 

數枝開與短牆平,見雪萼紅跗相映,引起誰人邊塞情。

低き土塀と肩並べるようにして梅の枝に花が開いている。月の光が照り映えると雪の花台にと紅の梅花がさいてうつくしい。この霜の中で咲く梅の花を見ると誰だって北方の国境警備にいっているあのひとへの思いにかられるものである。

5. 雪萼紅跗 雪のように白い萼と紅の花のうてな。ここでは、雪のように白い花びらと紅の花房とを指す。萼【うてな】1 四方を眺めるために建てられた高い建物。高殿(たかどの)。2 極楽に往生した者の座る蓮(はす)の花の形をした台。蓮台(れんだい)。3 (「萼」とも書く)花の萼(がく)。4 眺望をよくするために、土を積んで高くした所。〈和名抄〉

6. 短牆平 低い土塀というのは、後宮の九重の城郭の中の御殿を仕切る牆であろう。

 

簾外欲三更,吹斷離愁月正明,空聽隔江聲。

閨で眠れぬままに過ごしていると簾の外には、真夜中を知らせる漏刻が聴こえてきはじめた、するとあの人を送り出す前に一緒に聞いていた横笛曲の「梅花落」音に我に戻ってみると愁いは消え、月の光はまさに明るく庭を照らしている、河を隔てた向こう岸の彼方より流れ来る横笛の調べに空しく聴き入るだけなのだ。

7. 欲三更 間もなく夜半になる。欲は今にも〜しそうだ、の意。三更は真夜中。「更漏子」・三更雨  夜を五更に分けた第三の時刻をいう。十二時から二時ごろまでの真夜半。

溫庭筠『更漏子』 ()  

玉爐香、紅蝋涙。偏照畫堂秋思。

眉翠薄、鬢雲殘。夜長衾枕寒。

梧桐樹。三更雨。不道離情正苦。

一葉葉、一聲聲。空階滴到明。

『更漏子 六』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-20-2-#6 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1696

8. 吹断離愁 辺塞にいる夫は角笛により故郷のことを思っているだろう、芸妓は横吹曲の「梅花落」をきいては北域や西域の辺境にいる夫を思う。

9. 花落 横吹曲辞·梅花落 

  盧照鄰「横吹曲」、『梅花落』が奏されていた。

盧照鄰(641680)河北(范陽)の人。初唐の四傑の一人。

梅花落

梅院花初発、天山雪未開。

雪処疑花満、花辺似雪廻。

因風入舞袖、雑紛向牀台。

匈奴幾万里、春至不知来。

梅院の花が初めて発くも、天山の雪は未まだ開かず

雪ふる処は花満つるかと疑い、花辺は雪の廻るに似たり

風に因りて舞袖に入り、紛に雑じりて牀台に向う

匈奴 幾万里、春至るも来たるを知らず

《燕歌行》(七言)江總

楊柳條青樓上輕,梅花色白雪中明。

横笛短簫淒復切,誰知柏梁聲不。 

《班捷伃詠扇》;江淹

紈扇如團月,出自機中素。畫作秦王女,乘鸞向煙霧。

彩色世所重,雖新不代故。竊愁涼風至,吹我玉階樹。

君子恩未畢,零落在中路。

○涼風 秋風。梁の江淹(444505年)の班?妤の詠扇に擬古詩に「窃かに愁う涼風の至り、我が玉階の樹に吹くことを。」とあるのをふまえる。班礎好は漢の成帝劉?(紀元前五紀元七年)の宮妓、趙飛燕に寵を奪われて怨歌行を作った。それに「常に恐る秋節の至るを。」という句が含まれている。

○西頭 後宮の西辺。西は閨を示す。寵愛に秋風ということだ。頭はあたり。

 

  

望梅花

唐教坊曲名。《梅苑》詞作《望梅花令》。

 

單調三十八字,六句六仄韻

和凝

春草全無消。臘雪猶餘蹤。越嶺寒枝香自

冷豔奇芳堪。何事壽陽無處。吹入誰家橫

○●○○○●  ●●△○○● ●●○○○●△

△●○○○● △●●○○●●  △●○○△●

 

雙調三十八字,前段三句兩平韻,後段三句三平韻

孫光憲

數枝開與短牆。見雪萼、紅跗相映。引起離人邊塞

簾外欲三。吹斷離愁月正。空聽隔江

●○○△●○○  ●●● ○△△●  ●●△○○●○

○●●△△  △●△○●△○ △△●○○

此詞用平韻,亦無他首可校。

 

 

以下三體字句迥異,但調名相同,故類列於後。

又一體 雙調七十字,前後段各六句六仄韻

 

蒲宗孟

寒梅堪羨。堪羨輕苞初展。被天人、制巧妝素豔。

⊙○○● ⊙●⊙○○● ●○○ ●●○●●

群芳皆賤。碎剪月華千萬片。綴向瓊枝欲遍。

○○○● ◎●●○○●● ●●○○●● 

小庭幽院。雪月相交無辨。影玲瓏、何處臨溪見。

●○○● ●●⊙○○● ●○○ ○●○○● 

謝家新宴。別有清香風際轉。縹緲著人頭面。

●○○● ◎●○○○●● ●●◎○⊙●

 

蒲宗孟二詞,見《梅苑》,較唐詞迥異。

 又一體 雙調七十二字,前後段各六句四仄韻

 蒲宗孟

一陽初起。暖力未勝寒氣。堪賞素華長獨秀。

●○○● ●●●○○● ○●●○○●●

不並開紅抽紫。青帝只應憐潔白。不使雷同眾卉。

●●○○○● ○●●○○●● ●●○○●●

淡然難比。粉蝶豈知芳蕊。夜半捲簾如乍失。

●○○● ●●●○○● ●●●○○●●

只在銀蟾影裏。殘雪枝頭君認取。自有清香旖旎。

●●○○●● ○●○○○●● ●●○○⊙●

 

此詞前後段第三、五句,不用韻,與前詞異。

 又一體 雙調八十二字,前後段各八句五仄韻

 

 張雨

何處仙家方丈。渾連水、隔他塵坱。放鶴天空。看雲窗小。

⊙●○○⊙● ○⊙◎ ◎○⊙● ◎●○○ ⊙○⊙●

萬幅丹青圖障。憑高望。笑掣金鼇。人道是、蓬萊頂上。

◎●⊙○⊙● ⊙⊙● ●●○○ ⊙◎◎ ⊙⊙◎●

時問葛陂龍杖。更準備、雪中鶴氅。修月剛。收書東老。

⊙●◎○⊙● ◎◎◎ ●○●● ⊙●○○ ○○⊙●

消得百壺春釀。無盡藏。莫傲清閒。怕詔起、山中宰相。

⊙●◎○⊙● ⊙◎● ●●○○ ◎◎◎ ⊙⊙◎●

 

 

 

 

【字解集】-16 花間集巻八47

 

漁歌子二首其一

(半隠のつもりで気ままに、漁夫をしていて帰らなくなってしまった、漁師の歌う舟歌を聞きながら、この夜も、釣り糸を垂れ、詞を詠う)

1 漁歌 若いころの放蕩を改め、風流、興を感じる隠士の生活を詠うものを基本とする。

漁歌子 本来、詩題ではなく形式名(正確には詞に着けられた曲名)だが、唐代に既にあった填詞形式のものを、変化させたもので、填詞の形式に準じてはいるものの、填詞の詞牌ではない。漁歌子など(宋詞以前の)初期のものは本意(詞の本来の意味、詞題の性質)の場合が多い。この作品もそうである。特に、『漁歌子』は、釣りをして暮らすなどの隠逸生活を詠う。中国では伝統的に、漁師や樵人は半仙の雰囲気を漂わせたものとして捉えられている。(『漁父』も、『漁歌子』の同調異名(形式は同じで、名称が異なるだけのもの))。柳宗元『江雪』「千山鳥飛絶,萬徑人蹤滅。孤舟簑笠翁,獨釣寒江雪。」や、劉長卿の『逢雪宿芙蓉山主人』「日暮蒼山遠,天寒白屋貧。柴門聞犬吠,風雪夜歸人。」がある。後世、蘇軾が『浣溪沙』で、「西塞山邊白鷺飛,散花洲外片帆微。桃花流水魚肥。   自庇一身靑笠,相隨到處綠蓑衣。斜風細雨不須歸。」 と表した。

花間集には、教坊曲『漁歌子』は八首所収されている。双調五十字、前後二十五字六句四仄韻、3❸❼❸❻/3❸❼❸❻の詞形をとる。

 漁歌子二首其一

草芊芊,波漾,湖邊艸色連波              

沿蓼岸,泊楓,天際玉輪初    

扣舷歌,聯極,槳聲伊軋知何              

黃鵲叫,白鷗,誰似儂家疏    

●△△  ○●● ○○●●○○△

○●● ●○△  ○●●○○●

●○○  ○●△ ●○○●○△●

○●● ●○○  ○●○○△●

 

草芊芊,波漾漾,湖邊艸色連波漲。

草草はのびて芊芊と茂ってきた、浪は岸辺を溢れんばかりに漾漾と打ち寄せる。湖の岸辺には草は伸びて若草色は連綿と続き、水面は波立って漲っている。

2 芊 芊(芊眠)《書》草木の茂るさま.

3 漾漾 漾とは。意味や日本語訳。[]こぼれる,溢れる酒漾出来酒が溢れる.上漾出笑容笑顔がこぼれる.水がゆらゆら揺れる,たゆとう漾同前.

 

沿蓼岸,泊楓汀,天際玉輪初上。  

岸辺には蓼がしげる中を風がぬけてゆく、湊には船が停泊して、水内際に色づいた楓の木が水面に映す、やがて水平線から満月が昇り始める。

4 泊楓汀 《夜泊楓江》「月落烏啼霜滿天,江楓漁父對愁眠。 姑蘇城外寒山寺,夜半鍾聲到客船。」(月落 烏啼き霜天に滿つ,江楓 漁父 愁眠に對す。 姑蘇城外の寒山寺,夜半鍾聲 客船に到る。)張継「楓橋夜泊」、『中興間氣集』では「夜泊松江」に作る。

5 汀 海・湖などの,波が打ち寄せる所。波うちぎわ。みぎわ。

6 玉輪【ぎょくりん】月の異称。

7 蓼岸 岸辺には蓼がしげる。風に揺れることをイメージさせる。

孫光憲『浣溪沙九首其一』

蓼岸風多橘柚香,江邊一望楚天長,片帆煙際閃孤光。

目送征鴻飛杳杳,思隨流水去茫茫,蘭紅波碧憶瀟湘。

(浣溪沙九首 其の一)

蓼岸【りょうがん】風 橘柚の香多くし,江邊 一望 楚天長しい,片帆 煙際に 孤光 閃く。

目【もく】せば 征鴻を送れば 飛びて杳杳たり,思いは流水に隨い去りて茫茫たり,蘭は紅いに 波は碧く 瀟湘を憶う。

(秋には帰るといって旅立った人を何度も秋を迎えたが帰ってこない。雁が見えなくなるように、川が流れ去るように忘れていくことになるのか、もう死んでしまったのなら、瀟湘の女神にもあこがれる)

岸辺には蓼がしげる中を風がぬけると橘や柚子の香りを運んでくる、大江のほとりから一望すると楚の秋の空ははるかとおくまでつづく、一片の帆影を浮かべて霞む果てには風雨を呼ぶ閃光が一つきらめく。

女の眼は遠く飛び行く雁を消えて飛び去るまで追いかける、遠い先の帰ってこない男への思いは長江の流れとともに忘れ去ってしまう、蘭の花は紅色濃く、波は碧く瀟湘の慕情を偲ばせる。

 

扣舷歌,聯極望,槳聲伊軋知何向。      

月が昇るのを待って漁師が「舷歌」歌いだす、歌が終われば続いて詠いだし、遠く望んで詠うのである。船の水きり音や櫂のきしむ音が歌に和せて舟は何処の港に向かっていくのか歌で知るのだ。

8 扣える【ひかえる・控える】 1㋐用事や順番に備えて、すぐ近くの場所にいて待つ。待機する。㋑目立たないようにしてそばにいる。㋒空間的・時間的に迫っている。近くに位置する。また、近い将来に予定される。2・㋐度を越さないように、分量・度数などを少なめにおさえる。節制する。㋑自制や配慮をして、それをやめておく。見合わせる。㋒空間的・時間的にすぐ近くにある。近い所に持つ。あまり時を置かないで予定している。㋓忘れないように、また、念のため書きとめておく。㋔衣服などを、おさえつかんで、行かせないようにする。引きとめる。㋕引く。引っぱる。

9 舷歌 漁父が船端を叩きながらうたった舟歌。

韓愈『湘中』

猿愁魚踊水翻波、自古流傳是汨羅。

蘋藻満盤無塵奠、空聞漁父叩舷歌

(湘中) 

猿愁え魚踊って水波を翻【ひるがえ】し、古【いにし】え自【よ】り流伝す走れ汨羅【べきら】たりと。

頻藻【ひんそう】盤に満つるも奠【そな】うる処無く、空しく聞く漁父の舷【ふなばた】を叩いて歌うを

猿は悲しげな鳴き声をあげ、魚ははねて、川の水は波をわきたたせている。昔からの言い伝えによれば、ここが旧羅なのだという。

水草は皿いっぱいに盛ったが、さてどこにそなえて屈原の霊を祭ったものだろう。屈原に対して漁父が船端を叩きながらうたった舟歌がいまはむなしく聞こえてくる。

10 槳聲 船の水きり音。

 

黃鵲叫,白鷗眠,誰似儂家疏曠。  

舟歌に合わせたように、鵲が叫ぶ、黃の鵲が啼けば、近しい親族に会えるというけれど、叫んでいるからすぐ会えるとはいうものの、白鷗はもう岸辺で眠ってしまったのだろうし、我が家は遠く、廣く、疎ましくなってしまったことは益々隠遁者となってゆく、誰が似てしまったのだろうか

11 誰似 隠遁の生活に慣れて、半隠であったものがますますこの生活に浸ってゆく、これまでいろんな隠棲する詩人がいたが、誰に似ているのだろうかというほどの意。

12 疏曠 水路を分けて通す。「疏水・疏通」関係が分け離れる。うとくなる。「疏遠」粗末な。「疏食(そし)事柄の筋を分けていちいち説明する。

 

 

 

 

 

【字解集】-16 花間集巻八48

 

漁歌子二首其二

(船の旅情を詠うもので、江南の多くの湖をつなぐ運河を抜けて太湖・湖州、松江を抜けて我が家に帰る旅である。)

1 漁歌 若いころの放蕩を改め、風流、興を感じる隠士の生活を詠うものを基本とする。

漁歌子 本来、詩題ではなく形式名(正確には詞に着けられた曲名)だが、唐代に既にあった填詞形式のものを、変化させたもので、填詞の形式に準じてはいるものの、填詞の詞牌ではない。漁歌子など(宋詞以前の)初期のものは本意(詞の本来の意味、詞題の性質)の場合が多い。この作品もそうである。特に、『漁歌子』は、釣りをして暮らすなどの隠逸生活を詠う。中国では伝統的に、漁師や樵人は半仙の雰囲気を漂わせたものとして捉えられている。(『漁父』も、『漁歌子』の同調異名(形式は同じで、名称が異なるだけのもの))。

 

花間集には、教坊曲『漁歌子』は八首所収されている。双調五十字、前後二十五字六句四仄韻、3❸❼3❸❻/3❸❼3❸❻の詞形をとる。

 漁歌子二首其一

草芊芊,波漾,湖邊艸色連波              

沿蓼岸,泊楓,天際玉輪初    

扣舷歌,聯極,槳聲伊軋知何              

黃鵲叫,白鷗,誰似儂家疏    

●△△  ○●● ○○●●○○△

○●● ●○△  ○●●○○●

●○○  ○●△ ●○○●○△●

○●● ●○○  ○●○○△●

漁歌子二首其二 双調五十字、前後二十五字六句三仄韻、3❸❼33❻/3❸❼33❻の詞形をとる。

泛流螢,明又,夜涼水冷東灣              

風浩浩,笛寥寥,萬頃金波澄    

杜若洲,香郁,一聲宿鴈霜時              

經霅水,過松江,盡屬濃家日    

●○○  ○●● ●△●△○○●

△●● ●△△  ●△○○○●

●△○  ○●● ●○●●○○●

△●● △○○  ●●○○●● 

 

 唐・張志和  《漁子 四首》 

其一 西塞山前白鷺,桃花流水鱖魚。青箬笠,綠簑,斜風細雨不須

○●○○●●○  ○○○●△○○ ○●●  ●?△ ○△●●△○○

其二 釣臺漁夫褐為,兩兩三三蚱。能縱棹,慣乘,長江白浪不曾

其三 霅溪灣裡釣漁,蚱為家西復,江上雪,浦邊,笑著荷衣不歎

其四 蟹舍主人,菰飯篿羹亦共,楓葉落,荻花,宿醉漁舟不覺

 

泛流螢,明又滅,夜涼水冷東灣闊。      

水に浮び流れるように蛍が飛び交う、その光を付けたり、消したりしながら飛んだりとまったりして、日中は暑かったが夜には水面をかすめた風は東の入り江に涼しさを運んできて、広がる。

13   広くゆとりがある。「闊達・闊歩・闊葉樹/寛闊・広闊」間があいている。うとい。「迂闊 (うかつ・久闊」[名のり]ひろ・ひろし。

 

風浩浩,笛寥寥,萬頃金波澄澈。  

風は水がみなぎり広がっている太湖の上を抜けてきて、横笛曲がひっそりとしてもの寂しい中聞えてくる。見渡す限りの広々とした水面に日が射し、金色に輝く、水は底まで見えるほど澄み切っている。

14 浩浩 水がみなぎり広がっているさま。果てしなく広々としているさま。

15 寥寥【りょうりょう】ひっそりとしてもの寂しいさま。また、空虚なさま。「―たる荒れ野」数の非常に少ないさま。

16 萬頃【ばんきょう】〔「頃」は百畝の耕地の意。アール〕 地面または水面が広々としていること。 

17 澄澈 ①水清く底まですみわたるさま。 ②清亮で明るくひろがろさま。月光澄澈|澄澈如 ③明白であること。

 

杜若洲,香郁烈,一聲宿鴈霜時節。      

杜があるところは長江の中洲の砂がもりあがっているようで、そこからお香の強烈な匂いが流れてくる。霜の降りる季節になると、雁も飛んできて、ねぐらで、大きく一聲する。

18 郁烈 香気が強烈にさかんなさま。文化の非常に高いこと。とても暖かい。はっきりとした綾模様。 《文選‧曹植<洛神賦>》: “踐椒塗之郁烈, 步蘅薄而流芳。” 李善注: “郁烈, 香氣之甚。・:香気がさかんなさま。文化の高いこと。暖かい。綾模様。・勢いがはげしい。「烈火・烈日・烈震・烈風・烈烈/苛烈(かれつ)・強烈・激烈・熾烈(しれつ)・峻烈(しゅんれつ)・鮮烈・壮烈・痛烈・熱烈・猛烈」2気性が強く、

19 宿鴈 雁も飛んできて、ねぐらにす。

 

經霅水,過松江,盡屬濃家日月。  

湖州の霅溪を過ぎ、舟は進んで松江を下ってゆくと、川沿いには我が家のように見える人家がつぎつぎあって、ああ、風流の旅、今度はどのくらいの期間過せるのだろうか。

20 霅水 即ち江南東道湖州の霅溪。霅の意味や日本語訳。ピンインZhà((方言)) 名詞 川の名に用いる.用例霅溪=浙江省にある川の名.

21 松江 751年(天宝10載)、唐朝により松江府府治として設置された華亭県を前身とする。1656年(順治13年)に婁県が分割設置されたが、1912年(民国元年)に華亭県に統合、1914年(民国3年)には松江県と改称された。1958年に江蘇省より上海市に移管、1998年に市轄区に昇格し現在に至る。

濃家 人家が多くある。

 

 

 

 

 

【字解集】-16 花間集巻八4950

 

菩薩蛮二首其一

(秋も深まり、菊と月を愛でる宴において、結ばれることになった妓優からひひんになって初めて寵愛を受けることに)

 

『花間集』には魏承斑の作が二首収められている。双調四十四字、前段二十四字四句二仄韻二平韻、後段二十字四句二仄韻二平韻で、❼❼⑤⑤/➎➎⑤⑤の詞形をとる。

菩薩蠻二首 其一

羅裾薄薄秋波,眉間畫時山兩

相見綺筵,深情暗共

翠翹雲鬢,斂態彈金

宴罷入蘭,邀入解珮

○○●●○○●  ○△●○○●●

△●●○○  △○●△○

●△○●●  ●●△○●

●△●○○  ○●●●○

 

羅裾 薄薄秋波染,眉間畫時山兩點。

うす絹の裾から足元が透けて見えてきて秋景色の波はずっと色濃くしている。妃嬪の眉の間には花鈿が綺麗に点々と画かれて化粧を整えている。

1 羅:絡み織を用いた、目の粗い絹織物の一種。 もともと羅とは鳥や小動物などを捕獲するための網を意味する言葉だったが、絹で織った網のような薄物を指す言葉にもなった。2 :膝から下という意味。転じて、衣服の下の方。

3 眉間山兩點 花鈿をかくこと。

 

相見綺筵時,深情暗共知。

秋を愛でるきれいな宴の花筵に互に見つめ合う二人がいる、愛し合う心はますます深くなり、ますます二人だけの世界に入っていくことを知る。

 

翠翹雲鬢動,斂態彈金鳳。

妃嬪は翡翠の羽を高く掲げるほど有頂天になって雲型の黒かにを動かしていく、服の乱れを整えて、金の鳳凰の飾りを奇麗に弾いて髪を調える。

4 翹《意味》あげる。鳥の尾羽のように、高くかかげる。つまだてる。つま先だって背を高くする。 特に秀でた人。また、特にすぐれているさま。ぬきんでる。 【翹楚】ぎょうそ大勢の中でとびぬけてすぐれていること。また、その人。 「楚」は、特に丈の高い木。

5 斂態彈金鳳 服の乱れを整えて、金の鳳凰の飾りを奇麗に弾いて髪を調える。斂態:服の乱れをまとめること。

酒泉子三首其三

斂態前,裊裊雀釵頸。

鷰成雙,鸞對影,耦新知。

玉纖澹拂眉山小,鏡中嗔共照。

翠連娟,紅縹渺,早粧時。

12孫光憲《巻八19酒泉子三首其三》『花間集』371全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7127

 

宴罷入蘭房,邀入解珮璫。

やがて宴も終る、そして、蘭の香りの閨に入ってゆく、すべてを迎い入れ、佩び玉と耳飾りをといて、はじめて結ばれる。

6 珮璫 佩び玉と耳飾り。・珮:① 身につけるもの。腰にさげる装飾品。  奈良時代,礼服(らいふく)に用いた装飾品。組み糸に玉を通し,胸の下から沓(くつ)のところまで垂らし,歩くときに鳴るようにしたもの。おんもの。玉佩。・璫:耳珠・冠飾。〔「木尻」の意〕  刀剣の鞘(さや)の末端。また,そこにはめる金物。  〘建〙(「木尻」とも書く)部材の先端の総称。主として,破風板・垂木などの下方の端。

 

 

 

菩薩蛮二首其二

(宮妓の中の妓優であり、妃嬪となるものの秋の夜の興慶宮勤政楼での宴席を詠う。)

後段、宴も終わった時には、彼女は酔って顔を紅く染め、男と香の煙なびく自室の帳の内に戻るが、二人の胸の内を知る者は誰一人いないと言う。

長く宮中に住む宮妓の他に、玄宗の時代から長安と洛陽の宮殿にほど近い街区に、左右二つの芸妓養成のための外教坊が設けられた。ここでも多数の芸妓が養成されたが、この芸妓は宮廷の専用に充てられ、官官によって管理された。彼女たちが宮妓と異なるのは、宮中には住まず、必要な時に呼び出され宮中の御用に供された点にある。記録によれば、右教坊の芸妓の多くは歌がうまく、左教坊のものは舞いが上手だったという。

彼女らも、芸を売ることだけだったということではなく、歌、踊りの後天子のものとでその夜を過すということは当然あった。富貴の者の家に置かれた芸妓たちも同様であり、軍隊や地方官庁に置かれた官妓も同じであった。

この詩の中ではもっとも高貴なものの酒宴であったので、天子の御手が着いたということであろう。

たとえば、『楽府雑録』『開元天宝遺事』に見える。吉州永新県の楽家の生まれの女性で本名を許和子と言った。開元の末年ごろに後宮に入り、教坊の宜春院に属した。その本籍によって、永新と呼ばれた。美貌と聡い性質を持ち、歌に長じ、作曲を行い、韓娥李延年の千年来の再来と称せられた。玄宗から寵愛を受け、演奏中もその歌声は枯れることがなく、玄宗から「その歌声は千金の価値がある」と評せられる。玄宗が勤政楼から顔を出した時、群衆が騒ぎだしたので、高力士の推薦で永新に歌わせたところ、皆、静まりかえったという説話が伝わっている。
安史の乱の時に、後宮のものもバラバラとなり、一士人の得るところとなった。宮中で金吾将軍であった韋青もまた、歌を善くしていたが、彼が広陵の地に乱を避け、月夜に河の上の欄干によりかかっていたところ、船の中からする歌声を聞き、永新の歌と気づいた韋青が船に入っていき、永新と再会し、涙を流しあったという説話が残っている。その士人が死去した後、母親と長安に戻り、民間の中で死去する。最期に母親に、「お母さんの金の成る木は倒れました」と語ったと伝えられる。清代の戯曲『長生殿』にも、楊貴妃に仕える侍女として登場する。

『花間集』には魏承斑の作が二首収められている。双調四十四字、前段二十四字四句二仄韻二平後段二十字四句二仄韻二平韻で、❼❼⑤⑤/➎➎⑤⑤の詞形をとる。

菩薩蠻二首 其一

羅裾薄薄秋波,眉間畫時山兩

相見綺筵,深情暗共

翠翹雲鬢,斂態彈金

宴罷入蘭,邀入解珮

○○●●○○●  ○△●○○●●

△●●○○  △○●△○

●△○●●  ●●△○●

●△●○○  ○●●●○

菩薩蠻二首 其二

羅衣隱約金泥,玳筵一曲當秋

聲戰覷人,雲鬟裊翠

酒醺紅玉,眉翠秋山

繡幌麝煙,誰人知兩

○△●●○△●  ●○●●△○●

○●●○△  ○○●●△

●○○●●  ○●○○●

●●●○○  ○○○●○

興慶宮沈香亭
 

羅衣隱約金泥畫,玳筵一曲當秋夜。

薄絹の衣裳の下には金泥の絵模様がほのかに見えている、秋の夜の勤政楼の玳瑁の筵の宴において歌う「琴操」曲の歌があり、優雅な宴はすすめられる。

7 隠約 ほのかかなさま。①はっきりと見分けがたいこと。②言葉は簡単でも意味が奥深いこと。また、あからさまに表現しないこと

8 玳筵 玳瑁の筵。玳瑁は海亀の一種で、甲羅が半透明なところから珍重される。ここでは豪華な宴席、興慶宮勤政楼を指す。

 

聲戰覷人嬌,雲鬟裊翠翹。

おおらかに声を震わせて独唱して皆、静まりかえりききほれる、艶めかしき眼差し投げかける、翡翠の髪飾りに黄金の簪が黒髪に揺れる。

9 聲戰 おおらかに声を震わせて独唱する。

唐の玄宗が楊玉環のために作ったとされる曲。霓裳羽衣の曲は玄宗が婆羅門系の音楽をアレンジした曲と言われる。玄宗は愛妾である楊玉環のお披露目の際、この曲を群臣に披露し、群臣に楊玉環が特別な存在であると意識させた。

『霓裳羽衣舞』は唐代舞踊を代表する演目で、「霓裳」とは虹のように美しいもすそ(スカート)、「羽衣」は鳥の羽のように軽い衣のこと。唐の玄宗皇帝が夢のなかで天上の月宮に遊び、仙女が舞っていた調べをもとに作った。

楽史「楊太真外伝」によると、玄宗が三郷駅に登り、女几山を望んだ時に作曲したものである説と、玄宗が、仙人の羅公遠に連れられ、月宮に行き、仙女が舞っていた曲の調べをおぼえて作らせた説双方が記されている。楊貴妃もこれに合わせて、舞うのを得意としたという。しかし、玄宗期に起こった安史の乱以降、この曲は国を傾けた不祥の曲であると忌まれ、楽譜も散逸してしまった。 白居易の「長恨歌」にも曲名が登場する。「漁陽鼙鼓動地來、驚破霓裳羽衣曲。」(漁陽の鼙鼓【へいこ】 地を動【どよ】もして来たり、驚破す 霓裳羽衣の曲。)

 

酒醺紅玉輭,眉翠秋山遠。

宴もたけなわになると酒に酔って頬も紅く可愛らしく愛嬌に感じられる、眉は遠き秋の山の色にかかれて頬の赤く染まった近くの山ということなのだ。

10 紅玉輭 ここでは酒に酔って紅くなった歌妓の頬のこと。

11 秋山 ここでは女の眉を指すが、遠き山であり、紅く染まった頬は色づく秋の山である。眉と女がよこになったシルエットを山で喩える姿をいう。屏風と山は女体を意味する。

 

繡幌麝煙沉,誰人知兩心。

そのあと、刺繍の帳のうちに麝香の煙がひくくただようなかで、誰が知ろう、この時の二人の心のうちを。

12 麝煙沉 麝香の煙が低くなびくこと。

 

 

花間集 教坊曲《菩薩蠻》四十一首

溫庭筠

巻一01菩薩蠻十四首其一小山重疊金明滅,鬢雲欲度香顋雪。懶起畫蛾眉,弄粧梳洗遲。照花前後鏡,花面交相映。新帖繡羅襦,雙雙金鷓鴣。

溫庭筠

巻一02菩薩蠻十四首其二水精簾裡頗黎枕,暖香惹夢鴛鴦錦。江上柳如煙,鴈飛殘月天。藕絲秋色淺,人勝參差剪。雙鬢隔香紅,玉釵頭上風。

溫庭筠

巻一03菩薩蠻十四首其三蘂黃無限當山額,宿粧隱笑紗窗隔。相見牡丹時,暫來還別離。翠釵金作股,釵上雙蝶舞。心事竟誰知,月明花滿枝。

溫庭筠

巻一04菩薩蠻十四首其四翠翹金縷雙鸂鶒,水紋細起春池碧。池上海棠梨,雨晴紅滿枝。繡衫遮笑靨,烟草粘飛蝶。青瑣對芳菲,玉關音信稀。

溫庭筠

巻一05菩薩蠻十四首其五杏花含露團香雪,綠楊陌上多離別。燈在月朧明,覺來聞曉鶯。玉鉤褰掛起翠,粧淺舊眉薄。春夢正關情,鏡中蟬鬢輕。

溫庭筠

巻一06菩薩蠻十四首其六玉樓明月長相憶,柳絲裊娜春無力。門外草萋萋,送君聞馬嘶。畫羅金翡翠,香燭消成淚。花落子規啼,綠窗殘夢迷。

溫庭筠

巻一07菩薩蠻十四首其七鳳凰相對盤金縷,牡丹一夜經微雨。明鏡照新粧,鬢輕雙臉長。畫樓相望久,欄外垂絲柳。意信不歸來,社前雙鷰迴。

溫庭筠

巻一08菩薩蠻十四首其八牡丹花謝鶯聲歇,綠楊滿院中庭月。相憶夢難成,背窗燈半明。翠鈿金壓臉,寂寞香閨掩。人遠淚闌干,燕飛春又殘。

溫庭筠

巻一09菩薩蠻十四首其九滿宮明月梨花白,故人萬里關山隔。金雁一雙飛,淚痕沾繡衣。小園芳艸綠,家住越溪曲。楊柳色依依,鷰歸君不歸。

溫庭筠

巻一10菩薩蠻十四首其十寶函鈿雀金鸂鶒,沉香關上山碧。楊柳又如絲,驛橋春雨時。畫樓音信斷,芳草江南岸。鸞鏡與花枝,此情誰得知。

溫庭筠

巻一11菩薩蠻十四首其十一南園滿地堆輕絮,愁聞一霎清明雨。雨後卻斜陽,杏華零落香。無言勻睡臉,枕上屏山掩。時節欲黃昏,無憀獨倚門。

溫庭筠

巻一12菩薩蠻十四首其十二夜來皓月纔當午,重簾悄悄無人語。深處麝煙長,臥時留薄粧。當年還自惜,往事那堪憶。花落月明殘,錦衾知曉寒。

溫庭筠

巻一13菩薩蠻十四首其十三雨晴夜合玲瓏日,萬枝香裊紅絲拂。閑夢憶金堂,滿庭萱草長。繡簾垂菉簌,眉黛遠山綠。春水渡溪橋,凭欄魂欲消。

溫庭筠

巻一14菩薩蠻十四首其十四竹風輕動庭除冷,珠簾月上玲瓏影。山枕隱穠粧,綠檀金鳳凰。兩蛾愁黛淺,故國宮遠。春恨正關情,畫樓殘點聲。

韋莊

巻二34菩薩蠻五首其一紅樓別夜堪惆悵,香燈半捲流蘇帳。殘月出門時,美人和淚辭。琵琶金翠羽,弦上黃鶯語。勸我早歸家,綠窗人似花。

韋莊

巻二35菩薩蠻五首其二人人盡江南好,遊人只合江南老。春水碧於天,畫舡聽雨眠。鑪邊人似月,皓腕凝雙雪。未老莫還,還須斷腸。

韋莊

巻二36菩薩蠻五首其三如今卻憶江南樂,當時年少春衫薄。騎馬倚斜橋,滿樓紅袖招。翠屏金屈曲,醉入花叢宿。此度見花枝,白頭誓不歸。

韋莊

巻二37菩薩蠻五首其四勸君今夜須沉醉,罇前莫話明朝事。珍重主人心,酒深情亦深。須愁春漏短,莫訴金盃滿。遇酒且呵呵,人生能幾何。

韋莊

巻二38菩薩蠻五首其五洛陽城裡春光好,洛陽才子他老。柳暗魏王堤,此時心轉迷。桃花春水淥,水上鴛鴦浴。凝恨對殘暉,憶君君不知。

牛嶠

巻四15菩薩蠻七首其一舞裙香暖金泥鳳,畫梁語鷰驚殘夢。門外柳花飛,玉郎猶未歸。愁勻紅粉淚,眉剪春山翠。何處是遼陽,錦屏春晝長。

牛嶠

巻四16菩薩蠻七首其二柳花飛處鶯聲急,暗街春色香車立。金鳳小簾開,臉波和恨來。今宵求夢想,難到青樓上。贏得一場愁,鴛衾誰並頭。

牛嶠

巻四17菩薩蠻七首其三玉釵風動春幡急,交枝紅杏籠煙泣。樓上望卿卿,寒新雨晴。薰爐蒙翠被,繡帳鴛鴦睡。何處有相知,羨他初畫眉。

牛嶠

巻四18菩薩蠻七首其四畫屏重疊巫陽翠,楚神尚有行雲意。朝暮幾般心,向他情漫深。風流今古隔,虛作瞿塘客。山月照山花,夢迴燈影斜。

牛嶠

巻四19菩薩蠻七首其五風簾鷰舞鶯啼柳,粧臺約鬢低纖手。釵重髻盤珊,一枝紅牡丹。門前行樂客,白馬嘶春色。故故墜金鞭,迴頭應眼穿。

牛嶠

巻四20菩薩蠻七首其六綠雲鬢上飛金雀,愁眉斂翠春煙薄。香閣掩芙蓉,畫屏山幾重。寒天欲曙,猶結同心苣。啼粉羅衣,問郎何日歸。

牛嶠

巻四21菩薩蠻七首其七玉樓冰簟鴛鴦錦,粉融香汗流山枕。簾外轆轤聲,斂眉含笑驚。柳陰煙漠漠,低鬢蟬釵落。須作一生拚,盡君今日歡。

和凝

巻六18菩薩蠻一首  越梅半拆輕寒裏,冰清澹薄籠藍水。暖覺杏梢紅,遊絲狂惹風。閑堦莎徑碧,遠夢猶堪惜。離恨又迎春,相思難重陳。

孫光憲

巻八01菩薩蠻其一月華如水籠香砌,金環碎撼門初閉。寒影墮高簷,鉤垂一面簾。碧煙輕裊裊,紅戰燈花笑。即此是高唐,掩屏秋夢長。

孫光憲

巻八02菩薩蠻其二花冠頻皷牆頭翼,東方澹白連色。門外早鶯聲,背樓殘月明。薄寒籠醉態,依舊鈆華在。握手送人歸,半拖金縷衣。

孫光憲

巻八03菩薩蠻其三小庭花落無人掃,疎香滿地東風老。春晚信沉沉,天涯何處尋。曉堂屏六扇,眉共湘山遠。爭那別離心,近來尤不禁。

孫光憲

巻八04菩薩蠻其四青巖碧洞經朝雨,隔花相喚南溪去。一隻木蘭舡,波平遠浸天。扣舡驚翡翠,嫩玉擡香臂。紅日欲沉西,煙中遙解觽。

孫光憲

巻八05菩薩蠻其五木綿花映叢祠小,越禽聲裏春光曉。銅皷與蠻歌,南人祈賽多。客帆風正急,茜袖隈牆立。極浦幾迴頭,煙波無限愁。

魏承班

巻八49菩薩蠻二首 其一羅裾薄薄秋波染,眉間畫時山兩點。相見綺筵時,深情暗共知。翠翹雲鬢動,斂態彈金鳳。宴罷入蘭房,邀入解珮璫。

魏承班

巻八50菩薩蠻二首 其二羅衣隱約金泥畫,玳筵一曲當秋夜。聲戰覷人嬌,雲鬟裊翠翹。酒醺紅玉輭,眉翠秋山遠。繡幌麝煙沉,誰人知兩心。

尹鶚

《巻九33菩薩蠻》  隴雲暗合秋天白,俯獨坐窺煙陌。樓際角重吹,黃昬方醉歸。荒唐難共語,明日還應去。上馬出門時,金鞭莫與伊。

毛熙震

《巻十11菩薩蠻三首其一》  梨花滿院飄香雪,高樓夜靜風箏咽。斜月照簾帷,憶君和夢稀。小燈影背,鷰語驚愁態。屏掩斷香飛,行雲山外歸。

毛熙震

《巻十12菩薩蠻三首 其二》  繡簾高軸臨塘看,雨飜荷芰真珠散。殘暑晚初涼,輕風渡水香。無憀悲往事,爭那牽情思。光影暗相催,等閑秋又來。

毛熙震

《巻十13菩薩蠻三首 其三》  天含殘碧融春色,五陵薄倖無消息。盡日掩朱門,離愁暗斷魂。鶯啼芳樹暖,鷰拂迴塘滿。寂寞對屏山,相思醉夢間。

李珣

《巻十44菩薩蠻三首其一》  迴塘風起波紋細,剌桐花裏門斜閉。殘日照平蕪,雙雙飛鷓鴣。征帆何處客,相見還相隔。不語欲魂銷,望中煙水遙。

李珣

《巻十45菩薩蠻三首其二》  等閑將度三春景,簾垂碧砌參差影。曲檻日初斜,杜鵑啼落花。恨去容易處,又話瀟湘去。凝思倚屏山,淚流紅臉斑。

李珣

《巻十46菩薩蠻三首其三》  隔簾微雨雙飛鷰,砌花零落紅深淺。捻得寶箏調,心隨征棹遙。楚天雲外路,動便經年去。香斷畫屏深,舊懽何處尋。

 

 

 

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