花間集 訳注解説 (432)回目《孫光憲【字解集】-13・定西番二首 ・河滿子 ・玉蝴蝶 ・八拍蠻 ・竹枝二首 ・思帝鄉》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10621
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 | |||||
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| 花間集 巻八 孫光憲 (7) | |
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定西番二首 其一 鷄祿山前游騎,邊草白,朔天明,馬蹄輕。 鵲面弓離短韔,彎來月欲成。 一隻鳴髇雲外,曉鴻驚。 定西番二首 其二 帝子枕前秋夜,霜幄冷,月華明,正三更。 何處戍樓寒笛,夢殘聞一聲。遙想漢關萬里,淚縱橫。 河滿子一首 冠劍不隨君去,江河還共恩深。歌袖半遮眉黛慘,淚珠旋滴衣襟。 惆悵雲愁雨怨,斷魂何處相尋。 玉蝴蝶一首 春欲盡,景仍長,滿園花正黃。粉翅兩悠颺,翩翩過短牆。鮮飇暖,牽遊伴,飛去立殘芳。無語對蕭娘,舞衫沉麝香。 八拍蠻一首 尾拖金線長,怕人飛起入丁香。越女沙頭爭拾翠,相呼歸去背斜陽。 竹枝二首其一 門前春水(竹枝)白蘋花(女兒),岸上無人(竹枝)小艇斜(女兒)。商女經過(竹枝)江欲暮(女兒),散拋殘食(竹枝)飼神鵶(女兒)。 竹枝二首其二 亂繩千結(竹枝)絆人深(女兒),越羅萬丈(竹枝)表長尋(女兒)。楊柳在身(竹枝)垂意緒(女兒),藕花落盡(竹枝)見蓮心(女兒)。 思帝鄉一首 如何?遣情情更多。永日水堂簾下,斂羞蛾。六幅羅裙窣地,微行曳碧波。看盡滿地疎雨,打團荷。 |
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| 孫光憲《花間集所収の全詩》(7) | |
| 訳注解説 【字解集】 | |
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【字解集】・定西番二首
定西番二首 其一
1.(カササギの弓が並べば織姫を連れてくるだろう、弓を搾れば美人の顔になる、戦場であっても考えれば風流であると詠う。)
2. 【解説】 辺塞の防備に当たる騎馬兵の活動を詠う。『花間集』の中にあっては、邊西詩があることが特異な作品であるが、その一とその二は一体のものであるということで花間集に取り上げられたのである。ただ、カササギは浮き橋となって織姫のところへ渡らせてくれるのであり、弓を引けば月のようになる、つまり美人の顔のようだ、こんな邊西の地にあってもカササギが思い出させてくれるということでもある。いかに戦場であっても風流に考えようという、戦場にはいかないで想定して詠うもの。
3. 『花問集』には教坊曲『定西番』が七首、その内孫光憲の作が二首収められている。
双調三十五字、前段十五字四句二平韻、後段二十字四句二平韻で、63③③/6⑤6③の詞形をとる。
定西番二首 其一
鷄祿山前游騎,邊草白,朔天明,馬蹄輕。
鵲面弓離短韔,彎來月欲成。
一隻鳴髇雲外,曉鴻驚。
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鷄祿山前游騎,邊草白,朔天明,馬蹄輕。
鶏禄墓に続く稽落山の前に馬を走らせば、ここら国境の辺塞には凍てついて草が一面に白く、その後、朔北の空が明けてくると、馬蹄は軽くあるけるようになる。
1. 鶏禄山 今の内蒙古の杭錦後旗の西北にある山。鶏禄墓に続く。後漢の賛意は、鶏禄塞を出て匈奴と稽落山(鶏禄山) で戦い、勝利を収めると、燕然山に登って石に戦功を刻んで帰った。古山名。在今蒙古人民共和国西南部。東漢永元元年(公元89年) 竇憲竇憲による北匈奴の大破と班超による西域平定という外征の大成果があり、親政後にも新降匈奴や西羌に優位を保ち、対外的に国威が最も発揚された時代とされる。
2. 遊騎 遊撃騎馬兵。
3. 馬蹄軽 凍りついた表土がやわらかくなって、馬が歩きやすくなること。
鵲面弓離短韔,彎來月欲成。
先頭の兵士が弓袋より鵲飾りの弓を取り出す、そして弓を一気に引き絞れば満月のようである。
4. 鵲面弓 背面にカササギの形の飾りの付いた弓。なお、弓の名と解する説もある。鵲はカラスより小さいが、カラス科の鳥だけあって、胸一面が真っ白であとは真っ黒である。カチカチと鳴くので、勝烏(かちがらす)、烏鵲(うじゃく)、喜鵲(きじゃく)の名もある。
5. 離短鼓 弓袋から取り出す。離は取り出す。鼓は弓を入れる袋。短は、馬上で用いる弓が小型なことを意味する。
6. 月欲成 満月になろうとする。欲は今にも〜しそうだ、の意。
一隻鳴髇雲外,曉鴻驚。
射たれた鏑矢は雲の彼方へと飛び行軍を促がす、同時にそれは明けの雁を驚かす。
7. 鳴髇 鳴り響く鏑矢。鏑をつけた矢。射ると大きな音響を発して飛ぶ。狩猟用の野矢の一種。軍陣の箙(えびら)には上差(うわざし)として差し添えた。鳴り鏑矢。鳴り矢。
8. 曉鴻 明け方にとっでゆく大雁。鴻:1.水鳥の一つ。大形の水鳥。おおとり。「鴻毛・鴻鵠」2.大きい。広大。
定西番二首 其二
(都の後宮にいる宮女は国境の守りについている司令官のことを思って詠う。)
『花問集』には教坊曲『定西番』が七首、その内孫光憲の作が二首収められている。
双調三十五字、前段十五字四句二平韻、後段二十字四句二平韻で、63③③/6⑤6③の詞形をとる。
定西番二首 其一
鷄祿山前游騎,邊草白,朔天明,馬蹄輕。
鵲面弓離短韔,彎來月欲成。
一隻鳴髇雲外,曉鴻驚。
○●○○○△ ○●● ●○○ ●○△
●●○△●● ○△●●○
●●○○○● ●△○
『花問集』には教坊曲『定西番』が七首、その内孫光憲の作が二首収められている。既に溫庭筠と牛嶠については掲載済みである。双調三十五字、前段十五字四句二平韻、後段二十字四句二平韻で、❻3③③/6⑤❻③の詞形をとる。
定西番二首 其二
帝子枕前秋夜,霜幄冷,月華明,正三更。
何處戍樓寒笛,夢殘聞一聲。
遙想漢關萬里,淚縱橫。
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帝子枕前秋夜,霜幄冷,月華明,正三更。
宮女は秋の夜長に閨の枕元にいる、霜が降りて幄舎は冷気が広がっているでしょうし、満月はそこ楡らし、まさに真夜中を過ぎているころでしょう。
9. 秋夜 ・天長節は、8月5日の玄宗の誕生日を国慶節としたことによる。宮廷では宴席を行い、興慶宮の広場で、玄宗のもとで宮廷楽団の音楽や大規模な舞踊、出し物や曲芸、軽業、手品などの百戯が行われた。全国の寺観でも盛大な儀式が行われ、農民も天神を祭るという行事に組み入れられた。・中秋節は、8月15日に、中秋の名月を眺める日であり、この日の満月が最も美しい月とされた。果物などを食べながら、月見を行った。唐代の半ばにはじまり、晩唐には定着した。
・重陽節は、9月9日に、人々が高い丘や高楼の高所に登高し、茱萸(かわはじかみ)の枝や菊の花を髪に挿し、その実を入れた袋を肘に下げ、菊酒を飲み邪気を祓う行事である。翌日の9月10日が小重陽で酒宴が開かれた。
10. 幄 四隅に柱を立て、棟・檐(のき)を渡して布帛(ふはく)で覆った仮小屋。祭儀などのときに、臨時に庭に設けるもの。幄。幄の屋(や)。あげばり。
11. 三更 五更の第三。およそ現在の午後11時または午前零時からの2時間をいう。子(ね)の刻。丙夜(へいや)。
何處戍樓寒笛,夢殘聞一聲。
何処からか角笛が西域の国境を守る塞の楼閣に聞こえてきて、やっと会えたと夢をみているのはのっていても、満たされぬままにこの笛の音を聞いていることでしょう。
12. 戍樓 西域の国境を守る塞の楼閣。
遙想漢關萬里,淚縱橫。
遙か思うのは万里の長城の先の玉門關にいるあのひとのこと、思えば思うほど涙があふれて縦横に濡らす。
13. 漢關萬里 万里の長城の先の玉門關。
【字解集】・河滿子
河滿子
(役目で、黄河に乗り、長江に泛んで去ってゆくものも、寵愛を失って棄てられるのも、朝雲暮雨の別れを歌にして舞踊ってもとめることはできない涙を袂で隠すだけである。)
1 河滿子 唐教坊曲名であり舞曲とされる。一名を《何滿子》という。白居易詩注:開元中,滄州の歌う者の姓名であった。元稹詩に云う:“便ち將て何滿は,御府新題樂府纂に 曲名を為すとしている。又《盧氏雜說》には唐文宗が宮人の沈翹翹の舞に《河滿子》詞を命じたとしている。又 舞曲に屬すとする。馮夢龍《詹詹外史、唐文宗》“「唐文宗御宴,宮妓舞《河滿子》,是沈翹翹。其詞云「浮雲蔽白日」。文宗曰:「汝知書耶?此是《文選》第一首。」遂問其繇。翹翹泣曰:「妾本吳元濟女,自因國亡,沒入掖庭,易姓沈。因配樂籍,本藝方響,乃白玉也。」乃賜金玉環。”
唐文宗李昂(原名涵,809年11月20日-840年2月10日)
2 唐の教坊曲、花間集には河滿子は五首あり、孫光憲は一首所収。単調三十七字、三平韻二仄韻6⑥❼⑥❻⑥の詞形をとる。
河滿子
冠劍不隨君去,江河還共恩深。
歌袖半遮眉黛慘,淚珠旋滴衣襟。
惆悵雲愁雨怨,斷魂何處相尋。
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冠劍不隨君去,江河還共恩深。
爵位をあらわす冠と戦に行く剣を付けて髪に祈願し、途中まで送って行って君は去っていく。長江、黄河の流れのように大らしく、共に恩徳の深いものをかんじかえってくることを願ったのである。
3 冠劍 爵位をあらわす冠と戦に行く剣を付けている。
4 江河 長江と黄河の河の神に安全を祈る。
歌袖半遮眉黛慘,淚珠旋滴衣襟。
何満子の歌曲に合わせて踊るが今宵の別れの宴席では涙で崩れてしまった眉と黛を袖口で隠す、別れを考えると涙が珠のようにこぼれ落ち、着物と襟もとに滴り落ちて濡らす。
5 眉黛慘 今宵の逢瀬で眉と黛が崩れてしまって悲惨な状態になる。
惆悵雲愁雨怨,斷魂何處相尋。
この別れに恨み嘆く、いっそ『高唐の賦』に言う雲雨となって一緒に居たいけれど雲にはなれないから愁い、雨になれないから恨みだけ残る。でも離れたままになると二人の思いは断たれてしまうし、何処にいるのか尋ねてもわからないことになってしまう。
6 惆悵 恨み嘆くこと。恨み嘆くさま。
7 雲愁・雨怨 雲雨:男女の交情をいう。楚の襄王が巫山で夢に神女と契ったことをいう。神女は朝は巫山の雲となり夕べには雨になるという故事からきている。
宋玉『高唐賦』によると、楚の襄王と宋玉が雲夢の台に遊び、高唐の観を望んだところ、雲気(雲というよりも濃い水蒸気のガスに近いもの(か))があったので、宋玉は「朝雲」と言った。襄王がそのわけを尋ねると、宋玉は「昔者先王嘗游高唐,怠而晝寢,夢見一婦人…去而辭曰:妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨,朝朝暮暮,陽臺之下。」と答えた。「巫山之夢」。婉約の詩詞によく使われるが、千載不磨の契りといった感じのものではなく、もっと、気楽な契りをいう。
杜甫『水檻遣心二首』其の2 「蜀天常夜雨,江檻已朝晴。葉潤林塘密,衣幹枕席清。不堪支老病,何得尚浮名?淺把涓涓酒,深憑送此生。」楚の懐王が巫山の神女と夢のなかで交わった故事を連想させるが蜀では夜雨が降る。
水檻遣心二首其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 13) 杜甫 <418> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2035 杜甫詩1000-418-601/1500
李商隠『細 雨』「帷飄白玉堂、簟巻碧牙牀。楚女昔時意、蕭蕭髪彩涼。」(やわらかに風に翻るとばりは、白い玉の輝く堂を包んでいる。あるいは竹の敷物は、冷やかに碧く光る象牙の牀に拡げられている。巫山の神女はその身をささげたあの時の気持ちを秘めて今もいる、粛々と黒髪を一層色濃くし涼やかにしている。
これまでの李商隠の雨を主題にした詩
7 無題(颯颯東風細雨來)
53 夜雨寄北
71 風雨
76 細雨(帷飄白玉堂) 李商隠特集
77 春雨 李商隠特集
78細雨(瀟洒傍廻汀) 李商隠
79七月二十八日夜與王鄭二秀才聽雨後夢作
など
雨を主題とした詠物詩。この詩には「雨」の語を出さず、比喩を連ね、比喩から連想されるイメージを繰り広げる手法がとられている。
【字解集】・玉蝴蝶
玉蝴蝶
1.(春風に誘われ、花を見て、蝶の飛び交うのを見て、行楽に向かう、念奴が歌う歌は春の庭に響き、歌に合わせて追出れば、花がいっぱいに開いたようになる。)
2. ・胡蝶 西域の異民族の蝶ということであるが、ここでは上品な妃嬪、女性を云い、その女性が最も輝いているころのことを指している。
蛇足だが、胡蝶は[荘子斉物論](荘子が夢で胡蝶になって楽しみ、自分と蝶との区別を忘れ たという故事から)現実と夢の区別がつかないこと。 自他を分たぬ境地。また、人生のはかなさにたとえる。蝶夢。
3. 【題意背景】唐教坊曲,入“黃鐘宮”。“大中初,女蠻國入貢,危髻金冠,瓔珞被體,號'菩薩蠻隊'。”四十四字。 百字令 即《念奴嬌》
念奴
『開元天宝遺事』に見える。容貌に優れ、歌唱に長け、官妓の中でも、玄宗の寵愛を得ていた。玄宗の近くを離れたことがなく、いつも周りの人々を見つめていて、玄宗に「この女は妖麗で、眼で人を魅了する」と評された。その歌声は、あらゆる楽器の音よりもよく響き渡ったと伝えられる。唐代詩人の元稹の「連昌宮詞」に、玄宗時代の盛時をあらわす表現として、玄宗に命じられた高力士が、彼女を呼び、その歌声を披露する場面がある。清代の戯曲『長生殿』にも、永新とともに、楊貴妃に仕える侍女として登場する。
唐·元稹《连昌宫词》有诗云:
力士传呼觅念奴,念奴潜伴诸郎宿。须臾觅得又连催,特赦街中许燃烛。
春娇满眼泪红绡,掠削云鬓旋装束。飞上九天歌一声,二十五郎吹管篴。
元稹自注曰:念奴,天宝中名倡,善歌。
念奴
每歳楼下酺宴,累日之后,万眾喧隘,嚴安之、韋黄裳辈辟易不能禁,眾樂爲之罷奏。玄宗遣高力士大呼于楼上曰:‘欲遣念奴唱歌,邠二十五郎吹小管篴 “笛”,看人能听否?’未嚐不悄然奉詔。【翻譯:念奴,天宝年间著名倡伶,歌唱得很好。每年辞歳宴会時間一長,賓客就吵鬧,使音樂奏不下去。嚴安之、韋黄裳等人禁止不住。玄宗叫高力士在楼上高呼:“我要請念奴出来唱歌,邠二十五郎吹小管笛了,你們能安静下来听鳴?”大家才慢慢安静下来。】
4. 構成 『花間集』には二首所収。孫光憲の作は一首収められている。双調四十二字、前段二十一字五句三平韻、後段二十一字四句三平韻で、❸③⑤⑤⑤/❸❸⑤⑤⑤詞形をとる
玉蝴蝶
春欲盡,景仍長,滿園花正黃。
粉翅兩悠颺,翩翩過短牆。
鮮飇暖,牽遊伴,飛去立殘芳。
無語對蕭娘,舞衫沉麝香。
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春欲盡,景仍長,滿園花正黃。
今年の春も終ろうとしている。昼間の風景は次第に長くなる、この庭に咲く花々は念奴の歌と踊りのように満面黄色がいっぱいになる。
5. 仍とは。意味や日本語訳。やはり,依然として病仍不见好病気はやはりよくならない.仍旧 réngjiù[副]依然として,相変わらず白昼变得温暖,夜晚仍旧寒冷昼間は暖かくなってきたが,夜は相変わらず寒い.仍然 réngrán[副]依然として,元通り
滿園花正黃 黃鐘宮をいう。儒家的「中聲」指音高、速度適中的有節制的音樂。
粉翅兩悠颺,翩翩過短牆。
そこに蝶は二つの翅を広げてひらひらとゆっくりあがっていく、ひらひらとまってひくい土壁をこえてゆく。
6. 粉翅 蝶の翅。
鮮飇暖,牽遊伴,飛去立殘芳。
新たな暖かいつむじ風も吹き付けてきて、それに牽かれ、つれだってゆき、飛び上がり、去ってゆき、とまって翅を合わせて立てる。
7. りょうひょう【涼飇】. 涼しい風。
無語對蕭娘,舞衫沉麝香。
蝶のように行楽に飛び交っていた妃嬪も向かい合っても互いに黙ったままでいる。抱き寄せれば、単衣のうす絹の舞衣には麝香の香りが染みついている。
8. 蕭娘 愛妾のこと。
沈満願『戯蕭娘』
明珠翠羽帳、金薄綠綃帷。
因風時蹔擧、想像見芳姿
凊晨插歩揺、向晩解羅衣。
託意風流子、佳情詎肯私。
戯蕭娘 范靖婦沈満願 宋詩<120>玉台新詠集巻四 女性詩 557 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1488
9. 蕭娘: 沈満願の夫の范靖、梁の征西記室范靖の愛人、第二夫人、家妓とおもわれる。戯れるは「因風」「想像」「凊晨」「向晩」末の二句にあらわしている。
沈滿願 :生卒年不詳。吳の武康の人。沈約の孫娘。征西記室范靖(靜)の妻。
西暦540年ごろの梁武帝最盛期頃に評価を受けたようである。ただ、沈約(441年 - 513年)は学問に精励し学識を蓄え、宋・斉・梁の3朝に仕えた。南斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の梁の武帝)の挙兵に協力し、梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したというので、身分地位についてはそれほど高いものではなかったのではなかろうか。ただ、女性の立場で、王昭君の悲劇を呼んでいるわけで、詩界に参列できるだけのものであったことは間違いない。
10. 蕭宏(しょうこう)は、蕭順之《梁武帝の父》の子で、梁武帝の異母弟にあたる。
彼は、長い間揚州の刺史を務めていたが、北魏との戦いで今の安徽省に出陣したとき、進軍を躊躇しているうちに暴風雨に遭い、恐怖心から敵前逃亡したため、数十万の自軍が大敗したという故事が残された。このため、「美貌軟弱、北魏これ蕭娘と称す」〔「娘」は、既婚の女性の意〕と史書にみえる。彼がもっとも愛した妾の子、蕭正立の石刻は南京に現存している。
【字解集】・八拍蠻
八拍蠻
*1.(美人の中でも飛び切りの美女が次第に高貴な人に認められて行くが、初めは谷間の砂浜で翡翠の翅を競って取り合いをしていたのだと詠う。)
*2. 構成 唐の教坊の曲名。『花間集』には三首所収。孫光憲の作は一首収められている。単調二十八字、四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。
八拍蠻
孔雀尾拖金線長,怕人飛起入丁香。
越女沙頭爭拾翠,相呼歸去背斜陽。
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孔雀尾拖金線長,怕人飛起入丁香。
孔雀は金色の長い尾を引き、人に驚き飛び立ち丁香の茂みに隠れる。
1 孔雀 キジ科の鳥類で、中国から東南アジア、南アジアに分布する。邪気を払う象徴として孔雀明王の名で仏教の信仰対象にも取り入れられた。クルド人の信仰するヤズィード派の主神マラク・ターウースは、クジャクの姿をした天使である。
2 金線長 長い金色の筋。
3 丁香 チョウジの木。丁子 クローブとも言い、清熱・瀉火・去痰・鎮咳の作用があり、漢方薬では解熱、鎮痛、鎮静、消炎、利尿などなどに用いられる。ここでは我慢強く待ち侘びる女性に比喩している。
牛嶠『感恩多二首』其二
自從南浦別,愁見丁香結。
近來情轉深,憶鴛衾。
幾度將書托煙鴈,淚盈襟。
淚盈襟,禮月求天,願君知我心。
(感恩多 二首の二)
南浦にて別れて自從【より】,丁香の結ぶを愁い見る。
近來 情 轉【うた】た深く,鴛衾【えんきん】を憶う。
幾度 將に書を煙鴈【えんがん】に托せる,淚 襟に盈ち,淚 襟に盈つ。
月に禮し 天に求む,願わくば 君が我が心を知れと。
其の二(帰って来ないばかりか、連絡もない男を待ちわびる女の心情を詠う。)
南の入り江の津で舟を送り、別れをつげてからは、丁字の花の結ぶのを見ても心は悲しく愁うのです。
近頃ではあの人への思いが揺れ動き、いよいよ深まるばかり、あの人と過ごしたあの鴛鴦の掛け布団をおもうのです。
これまで何度もあの人に手紙を送り、空を飛ぶ雁に託したものです。何の返事もないので、涙はしとどに襟を濡らしているのです。
涙はあふれ襟を濡らしてます。月にねがい天に祈って、わたしの思いを「君」に知ってほしいと願うのです。
杜甫『江頭四詠。丁香』
丁香體柔弱,亂結枝猶墊。細葉帶浮毛,疏花披素豔。
深栽小齋後,庶近幽人占。晚墮蘭麝中,休懷粉身念。
丁香 體 柔弱なり,亂結 枝 猶の墊【た】る。
細葉 浮毛を帶ぶ,疏花 素豔【そえん】を披【ひら】く。
深く栽す 小齋の後,庶【こいねが】わくば近ずかん 幽人をして占【しめ】しむるに。
晚に墮つる 蘭麝【らんじゃ】の中に,粉身の念を懷【いだ】くを休【や】む。
(大江のほとりで五首を詠う。その丁香の詩)
丁子がはえている その実は,柔かそうで若々しく見えるが,あちこちに入り乱れて実を結んでくると枝は垂れ下がってくる。
細い葉の表面には産毛がたくさんあり,まばらに花がさき、白くふっくらとしておおわれている。
この木をわたしの小さい書斎の後ろに植えてみる,できることならばこの丁子で我家の周りをいっぱいにしたいものである。
その実を乾燥させて,蘭と麝香の華麗で貴いとされるものの中に落ち込んだとしても,素朴で誠実に生き、おのが身を粉骨砕身にしてまでと,考えるのは止めたいものだ。
越女沙頭爭拾翠,相呼歸去背斜陽。
美人が多い南国の女らは昼には競うて岸辺に翡翠の羽を拾う、声を掛け合い、背に夕日を浴びて帰って行く。
4 越女 越女南国の女性、美人の代称。越は今の浙江省を指すが、ここでは広く南国の意。
越女詞 李白
一
長干吳兒女,眉目豔新月。
屐上足如霜,不着鴉頭襪。
二
吳兒多白皙,好爲蕩舟劇。
賣眼擲春心,折花調行客。
三
耶溪採蓮女,見客櫂歌迴。
笑入荷花去,佯羞不出來。
四
東陽素足女,會稽素舸郎。
相看月未墮,白地斷肝腸。
五
鏡湖水如月,耶溪女似雪。
新妝蕩新波,光景兩奇絕。
5 沙頭 砂地の岸辺。
6 翠 翡翠、カワセミの羽を指す。
薛濤『和西川李尚書傷孔雀及薛濤之什』
玉兒已逐金鐶葬,翠羽先隨秋草萎。
唯見芙蓉含曉露,數行紅淚滴清池。
(西川の李尚書の『孔雀を傷む』および薛濤の什に和す)
玉兒 已に 金鐶の葬むらるを逐い,翠羽 先づ 秋草の萎えるに隨う。
唯 見る 芙蓉 曉露を含むを,數行の紅淚 清池に滴る。
(剣南西川の李尚書の作られた『傷孔雀』と『薛濤の詩篇』に唱和してつくる詩)
輝きをはっする青年もいつの間にか、出世も諦め棺桶に足を突っ込みそうな年になった。若くて力強い翼でもって飛び立っていたのに、秋草の枯れていくのにも従っていくように思うのだ。
唯だ、草木が枯れ始める中で木芙蓉は朝露に咲いている,これを私の生き方としてきたが、涙が頬を數行ものくやしい淚があふれることばかりで、清々しいすんだ池になみだを滴らせたものか。
武元衝『西川使宅有韋令公時孔雀存焉。暇日与諸公同玩座中兼故府賓妓。興嗟久之、因賦此詩用廣其意。』
荀令昔居此,故巢留越禽。
動摇金翠尾,飛舞碧梧陰。
上客徹瑶瑟,美人傷蕙心。
会因南国使,得放海云深。
(西川の使宅に韋令公の時、孔雀も存する有り。暇日 諸公と同玩するに、座中に故府の賓妓を兼ぬ。興嗟すること之を久しゅうす、因って此の詩を賦して用いて其の意を廣うす。)
荀令 昔 此に居り,故巢 越禽を留む。
動摇するは 金翠の尾,飛舞するは 碧梧の陰。
上客 瑶瑟を徹し,美人 蕙心を傷ましむ。
会【たまた】ま南国の使いに因って,海雲の深きに放つを得んや。
(軍人であり詩人の韋皐公の時に西川節度使の官舎軍営芸妓に、孔雀とも思える美人がいたのだ。ある日 諸公と同席して鑑賞する宴があるときは、この幕府のの賓妓を兼ねたおんなである。感興をうたう詩を作ることを長い期間している、よって此の詩をうたうことに用いてこの女性が優れていることを広めるのである。)
昔「王佐の才」を持つ荀彧が大いに役得有を果たしたが今ここにその人がいるのである。ここの先祖伝来の富沃の地を吐蕃や西域の異民族から守っているのだ。
クジャクがその金翠尾をゆっくりと雄雄しく動かすように立ち振る舞い、鳳凰の愛の巢は碧いことのしげる所に奥ゆかしくあったのだ
立派な主賓であった韋皐を偲んで立派な瑟を奏でるのを夜を徹してなされるのである。妻として過ごしていた美人芸妓は今や慕わしい気持ちを胸に心痛めている。
たまたま、この南の国成都からの使いによって韋皐の病死が知らされたのである。韋皐の功績は海よりも深く雲よりも高いものである。
【字解集】・竹枝二首
竹枝二首其一
(男と女の歌 二首のその一)
唐の教坊の曲名。但し『教坊記』ほ竹枝子の名で載せる。またの名を巴渝詞と言う。もと巴蜀(今の四川省)の民歌。唐の白居易、劉禹錫にも竹枝があり七言絶句の形をとる。『花間集』には孫光憲の二首のみ所収。
孫光憲の作は句中と句末にそれぞれ和声(雅子詞)四句四平韻で各句四宇目の後と句末に和声が入り、和声も八平韻で、4(②)③(②)4(②)③(②)4(②)③(②)4(②)③(②)の詞形をとる。( )は和声。
~(竹枝)の語句は男目線のもので、~(女兒)はは目線のもので、おとこは~だけれど、おんなは~です。
門前春水(竹枝)白蘋花(女兒) 岸上無人(竹枝)小艇斜(女兒)
商女經過(竹枝)江欲暮(女兒) 散拋殘食(竹枝)飼神鵶(女兒)
○○○●(●○)●○○(●○) ●●○○(●○)●●○(●○)
○●△△(●○)○●●(●○) ●○○●(●○)●○○(●○)
門前春水(竹枝)白蘋花(女兒),岸上無人(竹枝)小艇斜(女兒)。
おとこは、家の正面には春の増水したきれいな川の流れのようなもの、おんなはそのみずにもてあそばれる白い水草の花のようなもの。男は別れて去ってゆくが岸には見送りの女ひとりもいなくなる、おんなは軽快に小舟が岸から離れていくのを見る。
1 門前春水 家の前の春の増水した川の流れ。
2 白蘋 夏から秋にかけて白い花をつける浮草。
歐陽舍人炯『南鄉子八首 其八』
翡翠鵁鶄,白蘋香裏小沙汀。
島上陰陰秋雨色,蘆花撲,數隻漁舡何處宿。
翡翠のごとく、鵁鶄【こうせい】のごとく,白蘋【はくひん】の香の裏【うち】に小さき沙汀す。
島上 陰陰として秋雨の色になり,蘆花 撲し,數隻 漁の舡何處に宿せんか。
3 岸上 岸のほとりに。岸の土手には
4 小艇斜 斜めの方に向かって進む。軽快な小舟が岸から次第に離れていく。
商女經過(竹枝)江欲暮(女兒),散拋殘食(竹枝)飼神鵶(女兒)。
男の所から「玉樹後庭花」という歌を謡う妓女は通り過ぎて、日ぐれ時にばひとまずかえり、おとこは食べ残しをまき散らすようなもので、おんなは神鴉のようなもので餌で飼われるのです。
5 商女 妓女。秋女、秋娘,秋女、秋娘といい、唐時代の歌妓的妓女の呼稱である。 杜牧の代表詩 七言絶句「煙籠寒水月籠沙、夜泊秦淮近酒家。商女不知亡國恨、隔江猶唱後庭花。」妓女が「玉樹後庭花」という歌を謡うのを聞いて本当の意味は分かっていないのだろうと詠う。
6 經過 通り過ぎる。
7 江欲暮 川が暮れようとしている。
8 散抛 まき散らす。すてる。
9 殘食 食べ残し。残飯。
10 飼 餌をやる。
11 神鴉 カラス。巴(四川東部)には、カラスが甚だ多く、現地人は「神鴉」とあがめて、射ようとしなかったと伝えられている。「岳陽風土記」に「巴陵鴉甚多,土人謂之神鴉,無敢弋者。」とある。
竹枝詞と呼ばれ、巴渝の地方色豊かな民歌の位置を得た。下って唱われなくなり、詩文となって、他地方へ広がりをみせても、同じ形式、似た題材のものは、やはりそう呼ばれるようになった。
男と女は乱れてもつれた縄のように(おとこ)、恋人との絡み合いの深さを思うのです(おんな)。越羅の布地を一萬丈でも用意するけれど(おとこ)、女が着るのは上着のタケたったの一尋だけです(一人だけを愛して欲しいもの)(おんな)。
竹枝二首其二
(男に対する女性の思いの深さを詠う。)
孫光憲(900~968)貴平(四川省仁寿の東北)出身。
【解説】 男に対する女性の思いの深さを詠う。第一句は、乱れ結ぶ縄が人を縛りつけて放さぬように、男に寄せる思いは私を捉えて放さぬことを言い、第二句は、万丈もの長さを産出する越の薄絹も衣服にすれば人目に映るのはたったの〓尋にすぎぬように、千万の思いも表に示せるのはわずかにすぎぬことを言う。第三句は、柳は話せないが自ら無数の糸を垂れるように、私の身自体が思いそのものであることを表現し、第四句は、蓮は花びらが落ち尽くして初めて花芯を現すように、私の男に寄せる真の心も恋い焦がれて惟降し果てた後に初めて明らかになることを詠む。第四句の「稿」は「偶」と同音「グウ」 で連れ合い・夫婦を意味し、「蓮心」も「憐心・恋心」と同音「レン
シソ」 であり、いずれも掛け詞になっている。
唐の教坊の曲名。但し『教坊記』ほ竹枝子の名で載せる。またの名を巴渝詞と言う。もと巴蜀(今の四川省)の民歌。唐の白居易、劉禹錫にも竹枝があり七言絶句の形をとる。『花間集』 には孫光憲の二首のみ所収。孫光憲の作は句中と句末にそれぞれ和声(雅子詞)四句四平韻で各句四宇目の後と句末に和声が入り、和声も八平韻で、4(②)③(②)4(②)③(②)4(②)③(②)4(②)③(②)の詞形をとる。( )は和声。
~(竹枝)の語句は男目線のもので、~(女兒)はは目線のもので、おとこは~だけれど、おんなは~です。
亂繩千結(竹枝)絆人深(女兒) 越羅萬丈(竹枝)表長尋(女兒)
楊柳在身(竹枝)垂意緒(女兒) 藕花落盡(竹枝)見蓮心(女兒)
●○○●●○△ ●○●●●△○
○●●○○●● ●○●●●△○
亂繩千結(竹枝)絆人深(女兒),越羅萬丈(竹枝)表長尋(女兒)。
男と女は乱れてもつれた縄のように(おとこ)、恋人との絡み合いの深さを思うのです(おんな)。越羅の布地を一萬丈でも用意するけれど(おとこ)、女が着るのは上着のタケたったの一尋だけです(一人だけを愛して欲しいもの)(おんな)。
11 亂繩:乱れもつれた縄。ここでは、恋人との感情の絡み合い。
12 千結:複雑に絡み合って。極めて多くむすぼれて。
13 絆人:人と人を結びつけるきづなは。
14 絆:きづな。ここは、動詞の用法。
15 深:ふかい。濃い。
16 越羅:越の国の特産の羅(うすぎぬ)。
17 越:紹興一帯。
18 萬丈:極めて長いこと。
19 表:表面の意味は、「上着」。隠された意味は、動詞として使われ、「あらわす」の意。
20 長:(着物の)たけ。裏の意味は、「永遠に。長久に。」
21 尋:表面の意味は、「一尋」(一尋(ひろ))で、八(七)尺のこと。
楊柳在身(竹枝)垂意緒(女兒),藕花落盡(竹枝)見蓮心(女兒)。
柳にも男と女があり、おとこの楊と女の柳がゆれるその身近にある関係を保ち(おとこ)、その思いは枝をたらしていることで通ずるものとなる(おんな)。 ハスの花弁を開いてくれても、やがて散り尽くしてしまうもの(おとこ)。それこそが蓮の実が見えてきたことであり、女のまごころなのです(おんな)。
22 楊柳在身:柳にも男と女がり、おとこの楊と女の柳がゆれるその身近にあり。
23 垂:(柳の枝が)たれる。
24 意緒:(白話):思い。心。
【字解集】・思帝鄉
1.孫光憲 思帝鄉
(もしかしたらあの人が帰って来た時の音かと思い、自分の歩く音でわからなくなると厭なので、ゆっくり歩く。するとその音は、雨音の聴覚的な余韻を残し、丸い蓮の葉を打つ雨音の一つ一つしかしない。)
【解説】 女性の愁いの情を詠う。詞の後半、彼女が忍び歩いたのは、もしかしたらあの人が帰って来た時の音かと思い、自分の歩く音でわからなくなると厭なので、ゆっくり歩く。するとその音は、雨音の聴覚的な余韻を残し、丸い蓮の葉を打つ雨音の一つ一つしかしない。彼女の傷心の心を打つ音でもあったに違いない。
『花間集』には孫光憲の作が一首収められている。単調三十六字、八句五平韻三仄韻で、②⑤❻③❻⑤❻③の詞形をとる。
思帝鄉
如何?遣情情更多。
永日水堂簾下,斂羞蛾。
六幅羅裙窣地,微行曳碧波。
看盡滿地疎雨,打團荷。
△△ ●○○△○
●●●○○● ●○△
●●○○●● ○△●●○
△●●●△● ●○△
2. 思帝郷
(一途に思う女心の詩)
長安と洛陽の宮殿にほど近い街区に、左右二つの芸妓養成のための外教坊が設けられた。ここでも多数の芸妓が養成されたが、この芸妓は宮廷の専用に充てられ、官官によって管理された。彼女たちが宮妓と異なるのは、宮中には住まず、必要な時に呼び出され宮中の御用に供された点にある。記録によれば、右教坊の芸妓の多くは歌がうまく、左教坊のものは舞いが上手だった。彼女たちは宮妓と同じょうに民間から選抜された技芸練達の人々であった。
3. 唐の妓優 玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。
4. 梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。
5. 霓裳羽衣 【げいしょううい】開元、天宝時代に盛んに行われた大人数の舞い踊りの楽曲。
詩人に詠まれた名歌妓の念奴、「凌波曲」(玄宗が夢の中で龍宮の女に頼まれて作ったといわれる詩曲)をよく舞った新豊の女芸人謝阿蛮(『明皇雑録』補遺)、『教坊記』に記載されている歌舞妓の顔大娘、鹿三娘、張四娘、裳大娘、それに竿木妓の王大娘、および、杜甫の「公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行」という詩に出てくる、剣舞の名手公孫大娘などは、みな長安の外教坊に所属する芸妓であったらしい。というのは、記録によると彼女たちは一般に長く宮中に留まることはなく、行動は比較的自由だったし、特に男女関係は比較的自由であった。これらを題材にしたものが、思帝郷である。
『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-1溫庭筠56《巻2-06 思帝郷一首》溫庭筠66首巻二6-〈56〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5477
思帝郷
花花、満枝紅似霞。
羅袖画簾腸断、阜香車。
廻面共入閑語、戦箆金鳳斜。
唯有阮郎春尽、不帰家。
(思帝郷)
花花、満枝 紅 霞に似たり。
羅袖 画簾 腸 断ゆ、香車を早め。
面を遅らして 人と共に閑かに語る、戦える箆 金鳳 斜めなり。
唯だ阮郎の 春 尽きるも、「家に帰らざる」有り。
【解説】
春が尽きても遠い旅に出て帰らぬ男を思う女の情を詠う。女は待つことしか選択肢がない時代の歌である。第二.句、着物の袖と車の帳の画模様が胸を引き裂くのは、着物の袖や帳に、男女和合の象徴である番の鳥の絵模様があしらわれていたことによる。続く句は、知人の車を認めたのであろう、車を停めて、髪に斜めに挿した簪の金の鳳の飾り括らしながら、何の屈託もないかのように語り合うさまを述べる。最後の「もう若くないということなのでしょうか、今の私にとっては、もう春が終わろうとしていて、家に帰らぬ愛しの人だけ」と言うのは、はた目には幸せそうに見えながら、実は孤蘭を守る口々に、腸が引き千切られるほどの思いをしていることを訴え、もうあきらめなければならないのかということである。
如何?遣情情更多。
なぜか、寵愛を失ってもあの頃を思い出すし、忘れようとすればするほど、ますます思いは募ってくる。
6. 遣情 遣懐。こころをやる。杜甫《巻七67 遣懐》昔のことを思い出して述べる。
永日水堂簾下,斂羞蛾。
春の日、日が少し傾いてきたので、離宮の水辺の座敷に簾垂れる、愁いに眉を曇らせる。
7. 永日 1 日中がながく感じられる春の日。春の日なが。永き日。《季 春》2 《いずれ日ながの折にゆっくり会おうの意から、別れのあいさつや手紙の結びに用いる語。
8. 水堂 離宮の水辺の建物や座敷部屋。
9. 斂羞蛾 女性の羞じらいを含んだ眉。蛾は蛾の触角に似せて措いた眉。美しい曲線を描いた女性の眉を言う。命婦、妃嬪、妓優、芸妓、美人をいう。
六幅羅裙窣地,微行曳碧波。
六幅の長さで6本のプリーツのスカートは地を払い、離宮の欄干の廊下を忍びあるく、碧の波もしずかにひろがる。
10. 六幅羅裙 六幅の長さの絹のスカート。幅は長さの単位。約三四cm。別の意味に、六本のプリーツの入ったスカートと解することでもよい。
11. 傘地 地を払う。
12. 微行 忍び歩く。なお小道と解する説もある。
13. 碧波 蒼浪,蒼波,滄浪,滄波。青い波。
看盡滿地疎雨,打團荷。
いつまでも離宮の広い庭園の一面に疎らにふる雨は、円い蓮の葉を打つ音だけがきこえてくる。
14. 滿地疎雨 離宮の広い庭園の一面に
15. 団荷 円い蓮の葉。 興慶宮の龍池の蓮、紹興の曲院風荷などが連想されるが、此処は龍池とする。
16. 疎雨 まばらに降る雨。