花間集 訳注解説 (426)回目《孫光憲巻八33河滿子一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10579
(426)回目《孫光憲巻八33河滿子一首》
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」。、現在、①李白集校注詩全詩、②昌黎先生集全40巻他全詩、③杜詩詳注、④花間集、⑤玉臺新詠、⑥薛濤詩 全訳注解説 | |||||
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花間集 訳注解説 (426)回目《孫光憲巻八33河滿子一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10579
(役目で、黄河に乗り、長江に泛んで去ってゆくものも、寵愛を失って棄てられるのも、朝雲暮雨の別れを歌にして舞踊ってもとめることはできない涙を袂で隠すだけである。)
爵位をあらわす冠と戦に行く剣を付けて髪に祈願し、途中まで送って行って君は去っていく。長江、黄河の流れのように大らしく、共に恩徳の深いものをかんじかえってくることを願ったのである。
何満子の歌曲に合わせて踊るが今宵の別れの宴席では涙で崩れてしまった眉と黛を袖口で隠す、別れを考えると涙が珠のようにこぼれ落ち、着物と襟もとに滴り落ちて濡らす。
この別れに恨み嘆く、いっそ『高唐の賦』に言う雲雨となって一緒に居たいけれど雲にはなれないから愁い、雨になれないから恨みだけ残る。でも離れたままになると二人の思いは断たれてしまうし、何処にいるのか尋ねてもわからないことになってしまう。
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| 花間集 巻八 孫光憲 (7) | |
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定西番二首 其一 鷄祿山前游騎,邊草白,朔天明,馬蹄輕。 鵲面弓離短韔,彎來月欲成。 一隻鳴髇雲外,曉鴻驚。 定西番二首 其二 帝子枕前秋夜,霜幄冷,月華明,正三更。 何處戍樓寒笛,夢殘聞一聲。遙想漢關萬里,淚縱橫。 河滿子一首 冠劍不隨君去,江河還共恩深。歌袖半遮眉黛慘,淚珠旋滴衣襟。 惆悵雲愁雨怨,斷魂何處相尋。 玉蝴蝶一首 春欲盡,景仍長,滿園花正黃。粉翅兩悠颺,翩翩過短牆。鮮飇暖,牽遊伴,飛去立殘芳。無語對蕭娘,舞衫沉麝香。 八拍蠻一首 尾拖金線長,怕人飛起入丁香。越女沙頭爭拾翠,相呼歸去背斜陽。 竹枝二首其一 門前春水(竹枝)白蘋花(女兒),岸上無人(竹枝)小艇斜(女兒)。商女經過(竹枝)江欲暮(女兒),散拋殘食(竹枝)飼神鵶(女兒)。 竹枝二首其二 亂繩千結(竹枝)絆人深(女兒),越羅萬丈(竹枝)表長尋(女兒)。楊柳在身(竹枝)垂意緒(女兒),藕花落盡(竹枝)見蓮心(女兒)。 思帝鄉一首 如何?遣情情更多。永日水堂簾下,斂羞蛾。六幅羅裙窣地,微行曳碧波。看盡滿地疎雨,打團荷。 |
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| 孫光憲《花間集所収の全詩》(7) | |
| 定西番二首 訳注解説 | |
| 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10565 | |
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花間集 教坊曲 『河滿子』 六首 | |
毛文錫 | 《巻五33 河滿子一首》 紅粉樓前月照,碧紗䆫外鶯啼。夢斷遼陽音信,那堪獨守空閨。恨對百花時節,王孫綠草萋萋。 |
和凝 | 《巻六21 河滿子二首其一》 正是破瓜年幾,含情慣得人饒。桃李精神鸚鵡舌,可堪虛度良宵。卻愛藍羅裙子,羨他長束纖腰。 |
和凝 | 《巻六22 河滿子二首其二》 寫得魚牋無限,其如花鏁春輝。目斷巫山雲雨,空教殘夢依依。卻愛熏香小鴨,羨他長在屏幃。 |
孫光憲 | 《巻八31 河滿子一首》 冠劍不隨君去,江河還共恩深。歌袖半遮眉黛慘,淚珠旋滴衣襟。惆悵雲愁雨怨,斷魂何處相尋。 |
毛熙震 | 《巻十01 河滿子二首 其一》 寂寞芳菲暗度,歲華如箭堪驚。緬想舊歡多少事,轉添春思難平。曲檻絲垂金柳,小䆫絃斷銀箏。深院空聞鷰語,滿園閑落花輕。一片相思休不得,忍教長日愁生。誰見夕陽孤夢,覺來無限傷情。 |
毛熙震 | 《巻十02 河滿子二首 其二》 無語殘粧澹薄,含羞嚲袂輕盈。幾度香閨眠曉,綺䆫疎日微明。雲母帳中偷惜,水精枕上初驚。笑靨嫩疑花坼,愁眉翠斂山橫。相望只教添悵恨,整鬟時見纖瓊。獨倚朱扉閑立,誰知別有深情。 |
河滿子
(役目で、黄河に乗り、長江に泛んで去ってゆくものも、寵愛を失って棄てられるのも、朝雲暮雨の別れを歌にして舞踊ってもとめることはできない涙を袂で隠すだけである。)
冠劍不隨君去,江河還共恩深。
爵位をあらわす冠と戦に行く剣を付けて髪に祈願し、途中まで送って行って君は去っていく。長江、黄河の流れのように大らしく、共に恩徳の深いものをかんじかえってくることを願ったのである。
歌袖半遮眉黛慘,淚珠旋滴衣襟。
何満子の歌曲に合わせて踊るが今宵の別れの宴席では涙で崩れてしまった眉と黛を袖口で隠す、別れを考えると涙が珠のようにこぼれ落ち、着物と襟もとに滴り落ちて濡らす。
惆悵雲愁雨怨,斷魂何處相尋。
この別れに恨み嘆く、いっそ『高唐の賦』に言う雲雨となって一緒に居たいけれど雲にはなれないから愁い、雨になれないから恨みだけ残る。でも離れたままになると二人の思いは断たれてしまうし、何処にいるのか尋ねてもわからないことになってしまう。
河滿子
冠劍 君去るに隨わず,江河 還た共に恩深し。
歌袖 眉黛慘なるに半ば遮ぎり,淚珠 衣襟に 旋滴す。
惆悵して 雲は愁い 雨は怨む,斷魂して何處にか相い尋ん。
『河滿子』 現代語訳と訳註
(本文)
河滿子
冠劍不隨君去,江河還共恩深。
歌袖半遮眉黛慘,淚珠旋滴衣襟。
惆悵雲愁雨怨,斷魂何處相尋。
(下し文)
河滿子
冠劍 君去るに隨わず,江河 還た共に恩深し。
歌袖 眉黛慘なるに半ば遮ぎり,淚珠 衣襟に 旋滴す。
惆悵して 雲は愁い 雨は怨む,斷魂して何處にか相い尋ん。
(現代語訳)
(役目で、黄河に乗り、長江に泛んで去ってゆくものも、寵愛を失って棄てられるのも、朝雲暮雨の別れを歌にして舞踊ってもとめることはできない涙を袂で隠すだけである。)
爵位をあらわす冠と戦に行く剣を付けて髪に祈願し、途中まで送って行って君は去っていく。長江、黄河の流れのように大らしく、共に恩徳の深いものをかんじかえってくることを願ったのである。
何満子の歌曲に合わせて踊るが今宵の別れの宴席では涙で崩れてしまった眉と黛を袖口で隠す、別れを考えると涙が珠のようにこぼれ落ち、着物と襟もとに滴り落ちて濡らす。
この別れに恨み嘆く、いっそ『高唐の賦』に言う雲雨となって一緒に居たいけれど雲にはなれないから愁い、雨になれないから恨みだけ残る。でも離れたままになると二人の思いは断たれてしまうし、何処にいるのか尋ねてもわからないことになってしまう。
(訳注)
河滿子
(役目で、黄河に乗り、長江に泛んで去ってゆくものも、寵愛を失って棄てられるのも、朝雲暮雨の別れを歌にして舞踊ってもとめることはできない涙を袂で隠すだけである。)
1 河滿子 唐教坊曲名であり舞曲とされる。一名を《何滿子》という。白居易詩注:開元中,滄州の歌う者の姓名であった。元稹詩に云う:“便ち將て何滿は,御府新題樂府纂に 曲名を為すとしている。又《盧氏雜說》には唐文宗が宮人の沈翹翹の舞に《河滿子》詞を命じたとしている。又 舞曲に屬すとする。馮夢龍《詹詹外史、唐文宗》“「唐文宗御宴,宮妓舞《河滿子》,是沈翹翹。其詞云「浮雲蔽白日」。文宗曰:「汝知書耶?此是《文選》第一首。」遂問其繇。翹翹泣曰:「妾本吳元濟女,自因國亡,沒入掖庭,易姓沈。因配樂籍,本藝方響,乃白玉也。」乃賜金玉環。”
唐文宗李昂(原名涵,809年11月20日-840年2月10日)
2 唐の教坊曲、花間集には河滿子は五首あり、孫光憲は一首所収。単調三十七字、三平韻二仄韻6⑥❼⑥❻⑥の詞形をとる。
河滿子
冠劍不隨君去,江河還共恩深。
歌袖半遮眉黛慘,淚珠旋滴衣襟。
惆悵雲愁雨怨,斷魂何處相尋。
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冠劍不隨君去,江河還共恩深。
爵位をあらわす冠と戦に行く剣を付けて髪に祈願し、途中まで送って行って君は去っていく。長江、黄河の流れのように大らしく、共に恩徳の深いものをかんじかえってくることを願ったのである。
3 冠劍 爵位をあらわす冠と戦に行く剣を付けている。
4 江河 長江と黄河の河の神に安全を祈る。
歌袖半遮眉黛慘,淚珠旋滴衣襟。
何満子の歌曲に合わせて踊るが今宵の別れの宴席では涙で崩れてしまった眉と黛を袖口で隠す、別れを考えると涙が珠のようにこぼれ落ち、着物と襟もとに滴り落ちて濡らす。
5 眉黛慘 今宵の逢瀬で眉と黛が崩れてしまって悲惨な状態になる。
惆悵雲愁雨怨,斷魂何處相尋。
この別れに恨み嘆く、いっそ『高唐の賦』に言う雲雨となって一緒に居たいけれど雲にはなれないから愁い、雨になれないから恨みだけ残る。でも離れたままになると二人の思いは断たれてしまうし、何処にいるのか尋ねてもわからないことになってしまう。
6 惆悵 恨み嘆くこと。恨み嘆くさま。
7 雲愁・雨怨 雲雨:男女の交情をいう。楚の襄王が巫山で夢に神女と契ったことをいう。神女は朝は巫山の雲となり夕べには雨になるという故事からきている。
宋玉『高唐賦』によると、楚の襄王と宋玉が雲夢の台に遊び、高唐の観を望んだところ、雲気(雲というよりも濃い水蒸気のガスに近いもの(か))があったので、宋玉は「朝雲」と言った。襄王がそのわけを尋ねると、宋玉は「昔者先王嘗游高唐,怠而晝寢,夢見一婦人…去而辭曰:妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨,朝朝暮暮,陽臺之下。」と答えた。「巫山之夢」。婉約の詩詞によく使われるが、千載不磨の契りといった感じのものではなく、もっと、気楽な契りをいう。
杜甫『水檻遣心二首』其の2 「蜀天常夜雨,江檻已朝晴。葉潤林塘密,衣幹枕席清。不堪支老病,何得尚浮名?淺把涓涓酒,深憑送此生。」楚の懐王が巫山の神女と夢のなかで交わった故事を連想させるが蜀では夜雨が降る。
水檻遣心二首其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 13) 杜甫 <418> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2035 杜甫詩1000-418-601/1500
李商隠『細 雨』「帷飄白玉堂、簟巻碧牙牀。楚女昔時意、蕭蕭髪彩涼。」(やわらかに風に翻るとばりは、白い玉の輝く堂を包んでいる。あるいは竹の敷物は、冷やかに碧く光る象牙の牀に拡げられている。巫山の神女はその身をささげたあの時の気持ちを秘めて今もいる、粛々と黒髪を一層色濃くし涼やかにしている。
これまでの李商隠の雨を主題にした詩
7 無題(颯颯東風細雨來)
53 夜雨寄北
71 風雨
76 細雨(帷飄白玉堂) 李商隠特集
77 春雨 李商隠特集
78細雨(瀟洒傍廻汀) 李商隠
79七月二十八日夜與王鄭二秀才聽雨後夢作
など
雨を主題とした詠物詩。この詩には「雨」の語を出さず、比喩を連ね、比喩から連想されるイメージを繰り広げる手法がとられている。