46)回目温庭筠 《定西番・楊柳枝八首【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7838

温庭筠 《定西番・楊柳枝八首【字解集】》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20161216

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

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少年行・白馬篇・白雲歌など【字解集】Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7799

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-16-#13 巻二 17-#13答張徹【案:愈為四門博士時作。張徹,愈門下士,又愈之從子婿。】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7836

 

 

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806年-16-#14 巻二 17-#14巻二 答張徹  【字解集】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7842

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

757年-46 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首 其五卷一八(四)(頁一六二五)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7837

 

 

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757年-54 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號句十二首 【字解集】 杜詩詳注(卷一八(四)頁一六二九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7885

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

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46)回目温庭筠 《定西番・楊柳枝八首【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7838 (12/16)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・女性

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玉-015-#2 古樂府詩六首其六〈無名〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7839

 

 

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楊柳枝 八首

 

 

 

 

 

 

楊柳枝 ( 八首之一)
蘇小門前柳萬條,毵毵金線拂平橋。
不語東風起,深閉朱門伴舞腰。

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠30《巻1-30 楊柳枝 之一》溫庭筠66首巻一30-〈30〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5347


楊柳枝 ( 八首之二)
金縷毵毵碧瓦溝,六宮眉黛惹香愁。
晚來更帶龍池雨,半拂欄杆半入樓。

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠31《巻1-31 楊柳枝 其二》溫庭筠66首巻一31-〈31〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5352


楊柳枝 ( 八首之三)
禦柳如絲映九重,鳳凰窗映繡芙蓉。
景陽樓畔千條路,一面新妝待曉風。

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-0溫庭筠32《巻1-32 》溫庭筠66首巻一32-〈32〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5357

 

楊柳枝 ( 八首之四)
織錦機邊語頻,停梭垂淚憶征人。
塞門三月猶蕭索,縱有垂楊未覺春。

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-0溫庭筠32《巻1-32 》溫庭筠66首巻一32-〈32〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5357


 楊柳枝 ( 八首之五)

兩兩黃色似色,枝啼露動芳音。

春來幸自長如線,可惜牽纏蕩子心。

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠34《巻1-34 楊柳枝八首其五》溫庭筠66首巻一34-〈34〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5367


楊柳枝 ( 八首之六)
宜春苑外最長條,閑春風伴舞腰。

正是玉人腸(一作斷)處,一渠春水赤闌橋。


『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠33《巻1-33 楊柳枝八首其四》溫庭筠66首巻一33-〈33〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5362


楊柳枝 ( 八首之七)
牆東禦路帝,須知春色柳絲黃。
杏花未肯無情思,何事行人最斷腸?

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠35《巻1-35 楊柳枝八首其六》溫庭筠66首巻一35-〈35〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5372

 

楊柳枝 ( 八首之八)
館娃宮外城西,遠映征帆近拂堤。
系得王孫歸意切,不關(一作同)芳草綠萋萋。

 

 

温庭筠 楊柳枝 八首 【字解集】

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1. 楊柳枝 八首之一
(昔、南斉錢唐の蘇小小の家の前の柳が生い茂るある春の日に、阮籍と出会いやっと春が訪れたと詠う。)

楊柳は楊がおとこであり、柳は女性を示す、この詩は、そしょうしょうとげんせきのであいを詠っったものである。連作八首のうち第一首。

・楊柳枝 《花間集、序》「楊柳大堤之句,樂府相傳。」(楊柳大堤の句、楽府 相い伝え、芙蓉曲渚の篇、豪家 自ら製す。)“古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。とある。

 

2. 【解説】

基本的に填詞(宋詞)を採りあげている。七言絶句体の填詞は、填詞の発展といった系統樹でみれば幾つかある根の一になる。漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。白居易は古い曲名を借りて新たな曲を作った、そのことを宣言した詞。詩の形式は七言絶句体であるが、白居易が新たな曲調を附けたもの。柳を詠い込む唐の都・洛陽の民歌として作っている。やがて、詞牌として数えられる。七言絶句の形式をした例外的な填詞。

 

七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがある。それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なる。また、曲調も当然ながら異なりあっている。これら『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』の平仄上の差異についてはこちら。七言絶句体で、七言絶句とされないものに『竹枝詞』がある。

『楊柳枝』と前出『竹枝詞』との違いを強調してみれば、前者『楊柳枝』は、都・洛陽の民歌となるだけに優雅である。それに対して『竹枝詞』は、表現が直截である。巴渝(現・四川東部)の人情、風土を歌ったもので、鄙びた風情とともに露骨な情愛を謡っていることである。相似点は、どちらも典故や格調を気にせず、近体七言絶句よりも気楽に作られていることである。

 

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花間集』 には二十四首所収(同調異名の「柳枝」九首を含む)。温庭第の作は八首収められている。単調二十八字、四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

蘇小門前柳萬  毵毵金線拂平
黄鶯不語東風起  深閉朱門伴細
  
  

3. 蘇小 蘇小小のこと。南斉時代の官妓。錢唐・蘇小蘇小小の作品は『玉臺新詠』に残されている。
『歌一首』(別名として『蘇小小歌』『西陵歌』がある。)
妾乘油壁車,郞乘靑驄馬。
何處結同心?西陵松柏下。
 というのがそれになる。南斉(南齊)時代、謝朓と同時期、銭塘の名妓。才色兼備の誉れが高かった。現・浙江省杭州市、「銭塘」のこと。唐代に「唐」字を避けて「錢唐」を「銭塘」とした。蘇家には女の子蘇小小ひとりしかおらず、両親から非常に可愛がられていた。体が弱々しくて小さいので、小小という名前を付けられた。蘇小小が十五歳の時、両親が亡くなった。仕方なく財産を換金して、乳母賈氏と一緒に城の西にある西冷橋のほとりに引越した。蘇小小と橋、柳、細腰によって表現される。それは、白楽天、杜牧、羅隱も詩の中に詠う。


蘇小小について

白居易 『楊柳枝』其五
蘇州楊柳任君誇,更有錢塘勝館娃。
若解多情尋小小,綠楊深處是蘇家。
白居易 『楊柳枝』其六
蘇家小女舊知名,楊柳風前別有情。
剥條盤作銀環樣,卷葉吹爲玉笛聲。
白居易 『餘杭形勝』
餘杭形勝四方無,州傍靑山縣枕湖。
遶郭荷花三十里,拂城松樹一千株。
夢兒亭古傳名謝,敎妓樓新道姓蘇
獨有使君年太老,風光不稱白髭鬚。
杜牧 『自宣城赴官上京』
瀟灑江湖十過秋,酒杯無日不淹留。
謝公城畔溪驚夢,蘇小門前柳拂頭
千里雲山何處好,幾人襟韻一生休。
塵冠挂卻知閒事,終擬蹉訪舊遊。
五代・梁・羅隱 『江南行』
江煙雨蛟軟,漠漠小山眉黛淺。
水國多愁又有情,夜槽壓酒銀船滿。
細絲搖柳凝曉空,呉王臺春夢中。
鴛鴦喚不起,平鋪綠水眠東風。
西陵路邊月悄悄,油碧輕車蘇小小
牛嬌 『楊柳枝』
呉王宮裏色偏深,一簇纖條萬縷金。
不憤錢塘蘇小小,引郎松下結同心。

と、多くの作品が作られている。現在、杭州西湖畔(西北)に墳墓 がある。
4.
 柳萬條 極めてたくさんの枝の本数。万朶。
毵毵 毛や柳の枝が細長く垂れ下がるさま。毛の長いさま。毛の長くふさふさとしたさま。 
5.
 金線 新芽が金色に輝いているシダレヤナギの枝のこと。 
6.
 平橋 平らな橋。写真のようになっていない橋。
靈江浮橋という橋が南宋淳熙年間に建設されている,当初の名前は“中津橋”と称していた。浙江省臨海縣南門城外の靈江の上にかけられている。現存に於ける最古の橋といわれる河北省趙縣交河の上にかけられている

趙州橋(隋,原名安濟橋)写真
7.
 黄鶯 ウグイス。 

送李億東歸 溫庭筠

黃山遠隔秦樹,紫禁斜通渭城。

別路青青柳弱,前溪漠漠苔生。

和風澹蕩歸客,落月殷勤早鶯。

灞上金樽未飲,宴歌已有餘聲。

8. 不語 話さない。春を告げないままでいる。 

9. 東風 春風。 
10.
 起 (吹き)始める。
11.
 深閉 奥深く閉ざす。尋ねた人が出てこないことを云う。 
12.
 朱門 赤い色で塗られた立派な門。赤い門は南向きの門であり、夏をあらわす。
13.
 伴 連れ立つ。一緒にいる。ともなう。 蘇小々のところで春になる前から夏になろうというまでいつづけるということ。
14.
 細腰 腰の細いたおやかな女性であり、女性に擬せられる柳の表現でもある。女性の細い腰。楚の霊王が細い腰を好んだという。『漢書・馬寥傳』の「呉王好劍客,百姓多瘡瘢。楚王好
細腰,宮中多餓死。」、『荀子・君道』「楚莊王好細腰,故朝有餓人。」や『韓非子』「越王好勇,而民多輕死。楚靈王好細腰,而國中多餓人。」「楚の霊王は細腰を好み、国中餓する人多し」。
『南歌子』(六)
轉盼如波眼,娉婷似
柳腰
花裏暗相招,憶君腸欲斷,恨春宵。
15.
 細腰宮:(春秋)楚の宮殿。『漢書・馬寥伝』の「呉王好劍客,百姓多瘡瘢。楚王好細腰,宮中多餓死。」からきている。
在位BC614~BC591。楚の穆王(商臣)の子。即位して三年の間、無為に過ごし、奢侈をきわめ、諫める者は死罪にすると触れを出した。激やせした状態の女性を好み、宮女たちは痩せるため、食を減らし、絶食する者もいた。そのため多くの宮女、侍女たちに餓死者が出た。皇帝のわがままによる宮女たちの悲惨な出来事をとらえている。

李商隱 『聞歌』 
斂笑凝眸意欲歌,高雲不動碧嵯峨。
銅臺罷望歸何處,玉輦忘還事幾多。
靑冢路邊南雁盡,
細腰宮裏北人過。
此聲腸斷非今日,香
燈光奈爾何。

 

16. 蘇小小ものがたり

蘇小小の先祖は、六朝東晋の官吏であったが、後に、蘇家は銭塘に移り、先祖から受け継いだ財産で商売し、裕福な商人となった。蘇家に女子があり、蘇小小といった。両親は非常に可愛いがる。ただ、体が弱々しくて小さいので、小小と名付けた。蘇小小が十五歳の時、両親が亡くなり、仕方なく財産を換金して、乳母賈氏と一緒に城の西にある西冷橋のほとりに引越をした。

松柏の林の中にある小さな別荘に住み、美しい自然の中で楽しく日々を送っていた。少年たちは彼女の美しさに心を惹かれ、いつも彼女の馬車の周りにたむろしていた。両親からの束縛もなく、蘇小小は文人たちとの付き合いを楽しみ、自宅ではいつも詩の会を開いたりしていた。家の前は、いつも馬車や人で賑わい、蘇小小は銭塘の名妓となった。

 

ある日、蘇小小が外で遊んでいた時、一人のハンサムな青年・阮籍と出会った。二人は互いに一目惚れし、阮籍は蘇小小の家を訪ね、その夜、彼女と一夜を明かした。その後二人は、一刻も離れることがなかった。毎日、景勝地に遊んで過ごした。しかし阮籍の父は、息子が銭塘の名妓といい加減に過ごしているという話を聞いて大いに腹立ち、彼を無理に巡業に帰らせた。蘇小小は、毎日愛人の帰りを待ったが、阮籍が戻ってくることはなかった。結局、蘇小小は病気で倒れてしまった。幸い蘇小小は、かたくなな性格の人ではなかった。また他の魅力的な若者が訪ねて来たこともあって、だんだん元のにぎやかな生活に戻った。

 

ある晴れた秋の日、湖のほとりで、彼女は阮籍と大変よく似た男性に出会った。身なりが質素で、表情はと見れば、すっかり気落ちしている。名を尋ねてみると鮑仁という。科挙の試験を受けるため都に赴こうとしたが、旅費が足りなくなったらしい。蘇小小は、この人が気位の高い人であり、必ず受かると思って鮑仁に旅費を与えた。鮑仁は大いに感動し再び大望雄志を胸に都に向かった。

当時、上江観察使の孟浪は、公用で銭塘に来ていた。官吏である身分で蘇小小の家を訪ねるのは不便なので、自宅に蘇小小を招待しようと何度も誘った結果、やっと彼女を迎えることができた。孟浪は意地悪をしようとして、庭の一本の梅を指し彼女に詩を吟じさせた。蘇小小はゆっくりと「梅花虫傲骨、怎敢敵春寒?若更分紅白、環須青眼看!」と吟じた。孟浪は敬服した。

 

17. 楊柳枝  八首其二
柳を詠う。連作八首のうち第二首。(後宮の六宮にはそれぞれ妃嬪が毎夜の準備をして待つが、柳と楊が揺れあう季節には、それぞれ愁いに思う。同じように、興慶宮で待つ妃嬪は龍池に降る雨の音に胸を焦がして待っていると妃嬪たちのことを詠う。)

 

楊柳は楊がおとこであり、柳は女性を示す、連作八首のうち第二首。この詩は、玄宗を想定して100人以上いた妃嬪たちの心情を詠ったものである。

・楊柳枝 《花間集、序》「楊柳大堤之句,樂府相傳。」(楊柳大堤の句、楽府 相い伝え、芙蓉曲渚の篇、豪家 自ら製す。)“古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。とある。

 

18. 【解説】

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花間集』 には二十四首所収(同調異名の「柳枝」九首を含む)。温庭第の作は八首収められている。単調二十八字、四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

金縷毵毵碧瓦  六宮眉黛惹香
晚來更帶龍池雨  半拂欄杆半入
  
  

 

基本的に填詞(宋詞)を採りあげている。七言絶句体の填詞は、填詞の発展といった系統樹でみれば幾つかある根の一になる。漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。白居易は古い曲名を借りて新たな曲を作った、そのことを宣言した詞。詩の形式は七言絶句体であるが、白居易が新たな曲調を附けたもの。柳を詠い込む唐の都・洛陽の民歌として作っている。やがて、詞牌として数えられる。七言絶句の形式をした例外的な填詞。

 

七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがある。それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なる。また、曲調も当然ながら異なりあっている。これら『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』の平仄上の差異についてはこちら。七言絶句体で、七言絶句とされないものに『竹枝詞』がある。

『楊柳枝』と前出『竹枝詞』との違いを強調してみれば、前者『楊柳枝』は、都・洛陽の民歌となるだけに優雅である。それに対して『竹枝詞』は、表現が直截である。巴渝(現・四川東部)の人情、風土を歌ったもので、鄙びた風情とともに露骨な情愛を謡っていることである。相似点は、どちらも典故や格調を気にせず、近体七言絶句よりも気楽に作られていることである。

花間集尊前集 『竹枝詞』二十四首

 作者   (花間集/尊前集)              (初句7字)

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其一         白帝城頭春草生

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其二         山桃紅花滿上頭

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其三         江上春來新雨晴

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其四         日出三竿春霧消

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其五         兩岸山花似雪開

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其六         瞿塘嘈嘈十二灘

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其七         巫峽蒼蒼煙雨時

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其八         城西門前艶預堆

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其九         楊柳靑靑江水平

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其十 楚水巴山江雨多

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其十一山上層層桃李花

白居易      尊前集  竹枝詞四首其一    瞿塘峽口水煙低

白居易      尊前集  竹枝詞四首其二    竹枝苦怨怨何人

白居易      尊前集  竹枝詞四首其三    巴東船舫上巴西

白居易      尊前集  竹枝詞四首其四    江畔誰家唱竹枝

皇甫松      尊前集  竹枝詞六首其一    檳榔花發竹枝鷓

皇甫松      尊前集  竹枝詞六首其二    木棉花盡竹枝茘

皇甫松      尊前集  竹枝詞六首其三    芙蓉並蔕竹枝一

皇甫松      尊前集  竹枝詞六首其四    筵中蝋燭竹枝涙

皇甫松      尊前集  竹枝詞六首其五    斜江風起竹枝動

皇甫松      尊前集  竹枝詞六首其六    山頭桃花竹枝谷

孫光憲      巻八    竹枝二首其一     門前春水竹枝白

孫光憲      巻八    竹枝二首其二     亂繩千結竹枝絆

 

18. 縷 針金状の金の撚糸で綴り合わせる
19.
 
毵毵 毛や柳の枝が細長く垂れ下がるさま。毛の長いさま。毛の長くふさふさとしたさま。 
20.
 碧 あおい。みどり。あお。色があおい。あおみどり。無色の奥から浮き出すあおみどり色。
21.
 六宮 古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。後宮に東西六宮おくようになり、後宮の皇后と多くの妃嬪が住む宮殿を示す。後宮。

22. 更帶 夜のための帯に着替える。夜の時間帯がふけていく。
23.
 龍池雨 興慶宮龍池。興慶宮は長安城北にある「太極宮」、「大明宮」と区別するため、「南内」と呼ばれた。南北1.3キロメートル、東西1.1キロメートルあり、北側が宮殿、南側が庭園となっていた。南には、「竜池」という湖が存在し、船を浮かべることもあった。・24. 半拂 着物のすそをかかげる。
25.
 欄杆 橋・階段などの縁に、人が落ちるのを防ぎ、また装飾ともするために柵状に作り付けたもの。てすり。
26.
 半入樓 でたりはいったりすること。

 

27. 楊柳枝 八首之三
柳を詠う。連作八首のうち第三首。(大明宮には大池に水を導く渠溝、運河が張り巡らされていてその両岸に柳が植えられる。その枝葉が王滋池端の宮殿、朝方の鐘がなるころまで寵愛されている。妃嬪は朝、風に乗せて、送り出せば、風に乗せて復寵愛を受けることになる。妃嬪たちのことを詠う。)

 

楊柳枝は基本的に後宮の妃嬪の寵愛を受けることに関した詩詞である。楊柳は楊がおとこであり、柳は女性を示す、連作八首のうち第三首。この詩は、玄宗を想定して100人以上いた妃嬪たちの心情を詠ったものである。

・楊柳枝 《花間集、序》「楊柳大堤之句,樂府相傳。」(楊柳大堤の句、楽府 相い伝え、芙蓉曲渚の篇、豪家 自ら製す。)“古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。とある。

 

28. 【解説】

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花間集』 には二十四首所収(同調異名の「柳枝」九首を含む)。温庭第の作は八首収められている。単調二十八字、四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

禦柳如絲映九  鳳凰窗映繡芙
景陽樓畔千條路  一面新妝待曉

  
  

基本的に填詞(宋詞)を採りあげている。七言絶句体の填詞は、填詞の発展といった系統樹でみれば幾つかある根の一になる。漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。白居易は古い曲名を借りて新たな曲を作った、そのことを宣言した詞。詩の形式は七言絶句体であるが、白居易が新たな曲調を附けたもの。柳を詠い込む唐の都・洛陽の民歌として作っている。やがて、詞牌として数えられる。七言絶句の形式をした例外的な填詞。

 

七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがある。それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なる。また、曲調も当然ながら異なりあっている。これら『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』の平仄上の差異についてはこちら。七言絶句体で、七言絶句とされないものに『竹枝詞』がある。

『楊柳枝』と前出『竹枝詞』との違いを強調してみれば、前者『楊柳枝』は、都・洛陽の民歌となるだけに優雅である。それに対して『竹枝詞』は、表現が直截である。巴渝(現・四川東部)の人情、風土を歌ったもので、鄙びた風情とともに露骨な情愛を謡っていることである。相似点は、どちらも典故や格調を気にせず、近体七言絶句よりも気楽に作られていることである。

29. 九重/九門 1 物が九つ、または、いくつも重なっていること。また、その重なり。「―に霞隔てば」〈源・真木柱〉2 《昔、中国の王城は門を九重につくったところから》宮中。禁中。九門 九重の門。これらは大明宮のことを指す
贈從弟南平太守之遙二首 其二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -292

玉壺吟 :雑言古詩 李白

侍従遊宿温泉宮作 :李白

(2)李白と道教 李白46西岳云台歌送丹邱


30. 景陽 景陽の鐘。『南斉書(后妃伝)』、斉の武帝が景陽楼に鐘を置かせ、暁に鳴らして時を知らせたことから〕暁に鳴らされる鐘。
・柳の枝は男が通ってくる頃は柳の木に馬を止めてきていた。今は馬が止まっていないのだ。男は来ないのだ。

李商隠《景陽井》

景陽宮井剰堪悲、不盡龍鸞誓死期。

腸断呉王宮外水、濁泥猶得葬西施。

○景陽宮の景陽井 江蘇省江寧県の北、陳の宮殿の井戸の名。

隋の軍隊が国都建虚(南京)に侵入した夜もなお訪宴に耽っていた陳の後主は、逃げおくれて愛妃張麗華・孔貴人とともにこの井戸に隠れた。

58810月、隋の文帝は南北中国統一をめざし、次子の晋王楊広を総大将とする総勢518000の軍を侵攻させた。589年、元日には隋軍が大挙して長江を渡り国都建康に迫った。後主は「犬羊のごとき者ども(隋軍を指す)が我が国に勝手に侵入し、京師(国都の周辺地域を指す)の近郊をぬすみとっている。ハチやサソリのごとき毒のある者は、時機を選んで(隋軍を)掃討・平定するがよい。内外ともに厳重に警戒するように」と命詔したが、迎撃に出た陳の将紀瑱が撃破され、隋軍の前線司令官賀若弼が、陳の捕虜を寛大に扱ったこともあり、形勢不利を悟った陳の軍勢からは投降者が相次いだ。首都の建康が陥落するに及び、大臣の1人である尚書僕射の袁憲は「隋軍の兵士達が宮廷に侵入してきても、決して乱暴なことはしないでしょう。しかも今は陳国にとって最も重大な時でございます。陛下におかれましては、服装を正して正殿に着座し、梁の武帝が侯景を引見した時の例にお倣い下さいますように」と後主に進言したが、後主は従わず「剣の刃の下では当たっていくことはできない。私には私の考えがあるのだ」と言って、宮中の奥にある空井戸に隠れようとした。袁憲は繰り返し諫め、さらに後閤舎人の夏侯公韻が、自分の体で井戸を覆って妨害したが、彼を押しのけて張麗華・孔貴人の両夫人とともに井戸の底に隠れていたところ、結局、宮殿に侵入してきた隋軍に発見されて捕虜となった。張麗華は楊広の命により青渓中橋で斬られた(『陳書』および『南史』の后妃伝)。
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31.楊柳枝  八首其四
柳を詠う。連作八首のうち第四首。(妃嬪は宮殿で天子に贈る錦を織っている。再び寵愛されることを思い丹念に機織るその庭先に鶯が啼く。前秦才女蘇蕙の《迴文璿璣圖》詩を錦に織り上げたように思いは伝わらないが、そうして生きていくよりほかの道はないと詠う。)

 

32. 【解説】

唐時代に流行した辺塞詩は、現地に赴いた実際を詠ったものではなく、宴席や、歌会、サロンのような場所で、想像を広げて詠われたもので、辺塞地に送り出した女性たちの状況を安に何が言いたいのかを想像するものなのである。楊柳の詩は、柳だから単純に別れというのではなく、柳腰、女性であれば細身の女の古詩の動きを言い、男性の表現であれば、相撲などの粘り腰を言い、性交渉を連想させるものである。

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花間集』 には二十四首所収(同調異名の「柳枝」九首を含む)。温庭第の作は八首収められている。単調二十八字、四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

織錦機邊鶯語頻 停梭垂淚憶征
塞門三月猶蕭索 縱有垂楊未覺

 
 

基本的に填詞(宋詞)を採りあげている。七言絶句体の填詞は、填詞の発展といった系統樹でみれば幾つかある根の一になる。漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。白居易は古い曲名を借りて新たな曲を作った、そのことを宣言した詞。詩の形式は七言絶句体であるが、白居易が新たな曲調を附けたもの。柳を詠い込む唐の都・洛陽の民歌として作っている。やがて、詞牌として数えられる。七言絶句の形式をした例外的な填詞。

 

七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがある。それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なる。また、曲調も当然ながら異なりあっている。これら『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』の平仄上の差異についてはこちら。七言絶句体で、七言絶句とされないものに『竹枝詞』がある。

『楊柳枝』と前出『竹枝詞』との違いを強調してみれば、前者『楊柳枝』は、都・洛陽の民歌となるだけに優雅である。それに対して『竹枝詞』は、表現が直截である。巴渝(現・四川東部)の人情、風土を歌ったもので、鄙びた風情とともに露骨な情愛を謡っていることである。相似点は、どちらも典故や格調を気にせず、近体七言絶句よりも気楽に作られていることである。

33. 織錦機邊 錦を扱うのは妃嬪が指示をして天子に贈るもので、寵愛を得るための必須事項である。

34. 鶯語 鶯が鳴き春を告げる。後宮の場合、妃嬪たちは春の訪れに寵愛を待ち望み、宮女は行楽での楽しみを夢見ることを語り合う。高楼の女儀の場合もある。季語としては早春、春を告げるということ。
35.
 頻 くりかえす。

36. 征人 たびびと。遊子。旅客。命令で旅立つ人、征客をいういくさびと。出陣した人。天子が後宮を出て離宮などに行くことを征伐になぞらえて云う。

37. 織錦機邊鶯語頻,停梭垂淚憶征人 李白の「烏夜啼」詩に「黄雲城辺烏欲棲、帰飛唖亜枝上啼。機中織錦秦川女、碧紗如煙隔窓語。停梭悵然憶遠人、独宿弧房涙如雨。」(黄雲(こううん)  城辺  烏棲まんと欲し。帰り飛び  唖唖として枝上に啼く。機中  錦を織る  秦川【しんせん】の女。碧紗【へきさ】  煙の如く  窓を隔てて語る。梭【ひ】を停め  悵然【ちょうぜん】として遠人を憶う。独り弧房に宿して  涙  雨の如し。) 李白41 烏夜啼”とあるのを踏まえる。また織錦は、東晉十六國の時、前秦才女蘇蕙、及び其の《迴文璿璣圖》詩を錦に織り上げて送った故事に基づく

38. 塞門 西域の塞、玉門関。
39.
 三月 春の三か月(早春、盛春、晩春)
40.
 蕭索 もの寂しいさま。うらぶれた感じのするさま。蕭条。
41. 塞門三月猶蕭索,縱有垂楊未覺春 王之渙の「涼州詞」の「羌笛 何ぞ須いん楊柳を怨むを、春風 渡らず 玉門関」の句を踏まえる。塞門は陽関や玉門關などの国境の関門をいうが、特定されたところではなく、後宮において、存在感がなくなっていることを感じさせる表現である。

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柳を詠う。連作八首のうち第四首。(妃嬪は宮殿で天子に贈る錦を織っている。再び寵愛されることを思い丹念に機織るその庭先に鶯が啼く。前秦才女蘇蕙の《迴文璿璣圖》詩を錦に織り上げたように思いは伝わらないが、そうして生きていくよりほかの道はないと詠う。)

 

42. 【解説】

唐時代に流行した辺塞詩は、現地に赴いた実際を詠ったものではなく、宴席や、歌会、サロンのような場所で、想像を広げて詠われたもので、辺塞地に送り出した女性たちの状況を安に何が言いたいのかを想像するものなのである。楊柳の詩は、柳だから単純に別れというのではなく、柳腰、女性であれば細身の女の古詩の動きを言い、男性の表現であれば、相撲などの粘り腰を言い、性交渉を連想させるものである。

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花間集』 には二十四首所収(同調異名の「柳枝」九首を含む)。温庭第の作は八首収められている。単調二十八字、四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

織錦機邊鶯語頻 停梭垂淚憶征
塞門三月猶蕭索 縱有垂楊未覺

 
 

基本的に填詞(宋詞)を採りあげている。七言絶句体の填詞は、填詞の発展といった系統樹でみれば幾つかある根の一になる。漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。白居易は古い曲名を借りて新たな曲を作った、そのことを宣言した詞。詩の形式は七言絶句体であるが、白居易が新たな曲調を附けたもの。柳を詠い込む唐の都・洛陽の民歌として作っている。やがて、詞牌として数えられる。七言絶句の形式をした例外的な填詞。

 

七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがある。それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なる。また、曲調も当然ながら異なりあっている。これら『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』の平仄上の差異についてはこちら。七言絶句体で、七言絶句とされないものに『竹枝詞』がある。

『楊柳枝』と前出『竹枝詞』との違いを強調してみれば、前者『楊柳枝』は、都・洛陽の民歌となるだけに優雅である。それに対して『竹枝詞』は、表現が直截である。巴渝(現・四川東部)の人情、風土を歌ったもので、鄙びた風情とともに露骨な情愛を謡っていることである。相似点は、どちらも典故や格調を気にせず、近体七言絶句よりも気楽に作られていることである。

43. 織錦機邊 錦を扱うのは妃嬪が指示をして天子に贈るもので、寵愛を得るための必須事項である。

44. 鶯語 鶯が鳴き春を告げる。後宮の場合、妃嬪たちは春の訪れに寵愛を待ち望み、宮女は行楽での楽しみを夢見ることを語り合う。高楼の女儀の場合もある。季語としては早春、春を告げるということ。
45.
 頻 くりかえす。

46. 征人 たびびと。遊子。旅客。命令で旅立つ人、征客をいういくさびと。出陣した人。天子が後宮を出て離宮などに行くことを征伐になぞらえて云う。

47. 織錦機邊鶯語頻,停梭垂淚憶征人 李白の「烏夜啼」詩に「黄雲城辺烏欲棲、帰飛唖亜枝上啼。機中織錦秦川女、碧紗如煙隔窓語。停梭悵然憶遠人、独宿弧房涙如雨。」(黄雲(こううん)  城辺  烏棲まんと欲し。帰り飛び  唖唖として枝上に啼く。機中  錦を織る  秦川【しんせん】の女。碧紗【へきさ】  煙の如く  窓を隔てて語る。梭【ひ】を停め  悵然【ちょうぜん】として遠人を憶う。独り弧房に宿して  涙  雨の如し。) 李白41 烏夜啼”とあるのを踏まえる。また織錦は、東晉十六國の時、前秦才女蘇蕙、及び其の《迴文璿璣圖》詩を錦に織り上げて送った故事に基づく

48. 塞門 西域の塞、玉門関。
49.
 三月 春の三か月(早春、盛春、晩春)
50.
 蕭索 もの寂しいさま。うらぶれた感じのするさま。蕭条。
塞門三月猶蕭索,縱有垂楊未覺春 王之渙の「涼州詞」の「羌笛 何ぞ須いん楊柳を怨むを、春風 渡らず 玉門関」の句を踏まえる。塞門は陽関や玉門關などの国境の関門をいうが、特定されたところではなく、後宮において、存在感がなくなっていることを感じさせる表現である。

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51. 柳を詠う。連作八首のうち第五首。(春が訪れ、庭の蝋梅が咲き始め、鶯も泣くし、柳の枝も芽を吹き長く垂れる幸せな春が来る、妃嬪にも春が来ると信じていきるだけであると詠う。)

【解説】

この詩も、後宮の妃嬪を宴席や、歌会、サロンのような場所で、想像を広げて差しさわりのない範囲で艶詞を詠ったもので、柳だから単純に別れというのではなく、柳腰、女性であれば細身の女の古詩の動きを言い、男性の表現であれば、相撲などの粘り腰を言い、性交渉を連想させるものである。

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花間集』 には二十四首所収(同調異名の「柳枝」九首を含む)。温庭第の作は八首収められている。単調二十八字、四句二平韻で、7の詞形をとる。

兩兩黃鸝色似色 裊枝啼露動芳
春來幸自長如線 可惜牽纏蕩子

 
 

基本的に填詞(宋詞)を採りあげている。七言絶句体の填詞は、填詞の発展といった系統樹でみれば幾つかある根の一になる。漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。白居易は古い曲名を借りて新たな曲を作った、そのことを宣言した詞。詩の形式は七言絶句体であるが、白居易が新たな曲調を附けたもの。柳を詠い込む唐の都・洛陽の民歌として作っている。やがて、詞牌として数えられる。七言絶句の形式をした例外的な填詞。

 

七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがある。それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なる。また、曲調も当然ながら異なりあっている。これら『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』の平仄上の差異についてはこちら。七言絶句体で、七言絶句とされないものに『竹枝詞』がある。

『楊柳枝』と前出『竹枝詞』との違いを強調してみれば、前者『楊柳枝』は、都・洛陽の民歌となるだけに優雅である。それに対して『竹枝詞』は、表現が直截である。巴渝(現・四川東部)の人情、風土を歌ったもので、鄙びた風情とともに露骨な情愛を謡っていることである。相似点は、どちらも典故や格調を気にせず、近体七言絶句よりも気楽に作られていることである。

52. 兩兩黃鸝色似色 両々は枝に蝋梅が二つ並んで黄色の花をつけてさいている。それが高麗鶯が枝にツガイで泊まっているように見える。そこに、何処とはなく鶯の啼き声が聞えてくるという意味であり、妃嬪という立場から、ほとんど一人で過ごしていることを感じさせる語句の使い方である。

53. 裊枝 風にそよぐ枝。1 風がそよそよと吹くさま。   長くしなやかなさま。小枝の揺れとツガイの花というシチュエーション。
54.
 啼露 1 涙を流して泣く。「啼泣」2 鳥や獣などが鳴く。杜鵑が啼いて血を吐くように愛するお方を呼び続けた様に一人で居る鶯は涙を流して呼びかけ啼いていることを意味している。その上、朝露が鶯の動きで落ちるのが見えるということ。

55. 牽纏 絡み合う、関係する、影響する。しがらみ。くされえん。寵愛を受けたいと思うことしか許されないことをいう。
56.
 蕩子 若く美しい妃嬪に向かう浮気心はまるで放蕩児ではないかといういみ。「蕩児(とうじ)」に同じ。正業を忘れて、酒色にふける者。放蕩むすこ。遊蕩児。

白居易『放言五首 其二』
世途倚伏都無定,塵網牽纏卒未休。

禍福回還車轉轂,榮枯反覆手藏鉤。

龜靈未免刳腸患,馬失應無折足憂。

不信君看弈棊者,輸贏須待局終頭。

世途(せいと)の倚伏 すべて定まるなく、塵網(じんもう)のけんてん ついに未だやまず。
禍福はめぐりて 車 轂(こく)を転じ、栄枯は蔵鉤のごとく反復す。
亀は霊なるも 未だ腸を刳(え)ぐらる患(うれ)いを免れず、馬は失して まさに足を折る憂い無かるべし。
信ぜずんば 君看よ 奕棋(えきき)の者、輸贏(しゅえい) すべからく待つべし。

 

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57. 柳を詠う。連作八首のうちこれは第六首。

(後宮には、色白で透き通るような美女でさえ、寵愛を失い断腸の思いでいる。春の雪解け水を見るとまた思いを強くすると詠う。)

【解説】

この詩も、後宮の妃嬪を宴席や、歌会、サロンのような場所で、想像を広げて差しさわりのない範囲で艶詞を詠ったもので、柳だから単純に別れというのではなく、柳腰、女性であれば細身の女の古詩の動きを言い、男性の表現であれば、相撲などの粘り腰を言い、性交渉を連想させるものである。

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花間集』 には二十四首所収(同調異名の「柳枝」九首を含む)。温庭第の作は八首収められている。単調二十八字、四句二平韻で、7⑦7⑦の詞形をとる。

宜春苑外最長條 閑裊春風伴舞
正是玉人腸  一渠春水赤闌

  
  

基本的に填詞(宋詞)を採りあげている。七言絶句体の填詞は、填詞の発展といった系統樹でみれば幾つかある根の一になる。漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。白居易は古い曲名を借りて新たな曲を作った、そのことを宣言した詞。詩の形式は七言絶句体であるが、白居易が新たな曲調を附けたもの。柳を詠い込む唐の都・洛陽の民歌として作っている。やがて、詞牌として数えられる。七言絶句の形式をした例外的な填詞。

 

七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがある。それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なる。また、曲調も当然ながら異なりあっている。これら『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』の平仄上の差異についてはこちら。七言絶句体で、七言絶句とされないものに『竹枝詞』がある。

『楊柳枝』と前出『竹枝詞』との違いを強調してみれば、前者『楊柳枝』は、都・洛陽の民歌となるだけに優雅である。それに対して『竹枝詞』は、表現が直截である。巴渝(現・四川東部)の人情、風土を歌ったもので、鄙びた風情とともに露骨な情愛を謡っていることである。相似点は、どちらも典故や格調を気にせず、近体七言絶句よりも気楽に作られていることである。

58. 宜春苑 ,唐長安城東南の曲江にある。これは秦朝皇家の禁苑で宜春苑といった。隋朝の皇城が曲江によって建てられ,曲江を改稱して「芙蓉園」為した。唐になって大明宮のなかに小庭園をつくった。ここでは、大明宮の中の小苑か、曲江の芙蓉苑を指すのか不明である。いずれにせよ後宮・妃嬪に関して陳べて意味が変わることはない。李白『侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌』

侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌
東風已綠瀛洲草。紫殿紅樓覺春好。
池南柳色半青春。縈煙裊娜拂綺城。
垂絲百尺挂雕楹。
上有好鳥相和鳴。間關早得春風情。
春風卷入碧云去。千門萬
皆春聲。
是時君王在鎬京。五云垂暉耀紫清。
仗出金宮隨日轉。天回玉輦繞花行。
始向蓬萊看舞鶴。還過芷若聽新鶯。
新鶯飛繞上林苑。愿入簫韶雜鳳笙。
侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌李白131

59. 最 一番に。もっとも。 
60.
 長條 長い枝
61.
 閒裊 みやびでなよなよとしている。たおやか。みやびやか。しとやか。=閒嫋(嫺嫋、嫻嫋)。 
62.
 伴 つきしたがう。ともなう。 
63.
 舞腰 舞い姿。

64. 正是 ちょうど…だ。ぴったりだ。(すなわち)一筋のほりかわの春の流れ(に架かった)赤闌橋(のところだ)。
65.
 玉人 離宮に侍る白く艶やかな肌の美しい妃嬪。 
66.
 腸斷 寵愛を受けられずにただ待ち続ける思い腸(はらわた=下半身)がちぎれるほどの侘しさをおもうことをいう。
67.
 渠 ほりかわ、みぞの量詞(助数詞)。 
68.
 春水 滻水から渠溝、運河が引かれていて、春の雪解け水で増水している川の流れ。この時の水は他の時節の水よりも澄みきっているのが特徴。ここは、閨の情事の白絹のすきとおった上かけ布団の盛り上がりの様子を連想させる意味である。
69.
 一渠 主要な場所には船で行ける。大明宮、興慶宮、芙蓉苑には、天子専用の道路がある。内の一番大きな龍首渠。大明宮の配置図参照
70.
 赤闌橋 御橋のこと。赤欄の橋。大明宮の南に位置する。配置図参照

なお、唐‧杜佑《通典》に「隋開皇三年,築京城,引香積渠水自赤欄橋經第五橋西北入城。」から判断すれば、香積渠は長安城の西側にあり、この橋は長安北西にある運河に架かる橋ということに在るので、曲江は東側の黄渠から引水しているので、斛校の芙蓉苑では大明宮ということになろう。

71. 柳を詠う。連作八首のうちこれは第七首。

(春が来て、興慶宮に侍る妃賓も、曲江の離宮に侍る妃嬪も寵愛を受ける事だけを考えての準備をしているけれどどうしようもないのは、断腸の思いだけと詠う。)

【解説】

この詩も、後宮の妃嬪を宴席や、歌会、サロンのような場所で、想像を広げて差しさわりのない範囲で艶詞を詠ったもので、柳だから単純に別れというのではなく、柳腰、女性であれば細身の女の古詩の動きを言い、男性の表現であれば、相撲などの粘り腰を言い、性交渉を連想させるものである。

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花間集』 には二十四首所収(同調異名の「柳枝」九首を含む)。温庭第の作は八首収められている。単調二十八字、四句二平韻で、7⑦7⑦の詞形をとる。

牆東禦路帝 須知春色柳絲
杏花未肯無情思 何事行人最斷

 
 

基本的に填詞(宋詞)を採りあげている。七言絶句体の填詞は、填詞の発展といった系統樹でみれば幾つかある根の一になる。漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。白居易は古い曲名を借りて新たな曲を作った、そのことを宣言した詞。詩の形式は七言絶句体であるが、白居易が新たな曲調を附けたもの。柳を詠い込む唐の都・洛陽の民歌として作っている。やがて、詞牌として数えられる。七言絶句の形式をした例外的な填詞。

 

七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがある。それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なる。また、曲調も当然ながら異なりあっている。これら『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』の平仄上の差異についてはこちら。七言絶句体で、七言絶句とされないものに『竹枝詞』がある。

『楊柳枝』と前出『竹枝詞』との違いを強調してみれば、前者『楊柳枝』は、都・洛陽の民歌となるだけに優雅である。それに対して『竹枝詞』は、表現が直截である。巴渝(現・四川東部)の人情、風土を歌ったもので、鄙びた風情とともに露骨な情愛を謡っていることである。相似点は、どちらも典故や格調を気にせず、近体七言絶句よりも気楽に作られていることである。

72. 南 興慶宮のこと。興慶宮は長安城北にある「太極宮」、「大明宮」と区別するため、「南内」と呼ばれた。南北1.3キロメートル、東西1.1キロメートルあり、北側が宮殿、南側が庭園となっていた。南には、「竜池」という湖が存在し、船を浮かべることもあった。732年(開元20年)には、興慶宮と長安の東南隅にある曲江池の付近にある離宮「芙蓉園」、北部にある「大明宮」へとつなぐ皇帝専用の通路である「夾城」が完成している。「夾城」は、二重城壁で挟まれた通路であり、住民たちに知られることなく、皇帝たちが移動するためのものであった。

73. 杏花 ウメ、スモモの近縁種であり、容易に交雑する。ただし、ウメの果実は完熟しても果肉に甘みを生じず、種と果肉が離れないのに対し、アンズは熟すと甘みが生じ、種と果肉が離れる(離核性)。またアーモンドの果肉は、薄いため食用にしない。耐寒性があり比較的涼しい地域で栽培されている。春(3月下旬から4月頃)に、桜よりもやや早く淡紅の花を咲かせ、初夏にウメによく似た実を付ける。美しいため花見の対象となることもある。自家受粉では品質の良い結実をしないために、他品種の混植が必要であり、時には人工授粉も行われる事がある。収穫期は6月下旬から7月中旬で、一つの品種は10日程度で収穫が終了する。『乙女のはにかみ』『慎み深さ』
74.
 杏園 
官吏登用試験(科挙)に合格した進士たちの祝宴会場。科挙に合格した進士には、曲江の池の畔(ほとり)の杏園で、祝宴を賜り、長安の街で園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。 ・杏園人:科挙に合格し、新たに進士となった人たちを指す。

長安曲江 杏園 進士の試験は秋にあり、翌年の春の花が咲き誇る時期に結果発表がある。官吏登用試験(科挙)に合格した進士には、後出・長安の曲江の池の畔(ほとり)にあった杏園で、祝宴を賜り、長安の街を園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。また、貴族は自邸自慢のボタンを庭を開放して鑑賞させ、合格者の無礼を許した。

75. 行人 妃賓を束ねる人。妃嬪のもとから去ってゆく人。ここでは天子をさす。

 

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76. 楊柳枝 ( 八首之八)
柳を詠う。連作八首のうちこれは第八首。後宮には中世封建制の貞操感、現代の貞操感はない。性倫理はかなり自由であった。この詩は、楊柳枝詩の最終八首目であり、王家、妃嬪の性倫理観の結論的なことを述べている。サロンでのお遊び的な詩であっても、一夫多妻制のなかで、後宮をはじめとして、富貴の者には、多くの美しい女性が集まるシステム、性のための家奴婢になっていたことをいうものである。

77. 館娃宮 呉王夫差が西施を住まわせた宮殿。蘇州の西、硯石山(霊巌山)上に築かれた。 そして西施は旅立っていく。
78.
 鄴城 魏の曹操の都で、現・河南省臨。館娃宮、城ともに、曾ての栄華の地であるが曹植が不遇をかこったところであり、その西にある歓楽街での別離がある。 
79.
 西 「西」は、歓楽街、別離、柳。その一方で五行思想から、白、秋、悲秋、別離、凋落、没落、衰頽ということ。
80.
 遠映 遠くにはえて見えている。遠くに映じている。「近拂」の対。「遠映」「近拂」といった単語は無い。 ・映 はえる。うつる。うつす。 
81.
 征帆 遠くへ行く舟。旅の舟。 
82.
 拂堤 ヤナギの枝が風に靡いて堤を払うように動いている(性行の男性の腰の動きとされる)。堤は別れで再会の約束をするところ。堤に馬を止めて女のもとに行くところ。 ・拂 はらう。ヤナギの枝が風に靡き動くさまを表現していう。

・この二句は『楚辞・招隱士』に基づくもの。 
83.
 繋得 繋ぎとめて…。-得 動詞の後に附いて、(動作や状態の)結果、程度、方法、傾向を表す。 
84.
 王孫 色あせていった女性の許を離れて旅立つ男性を指す、主人公。本来(その当時は)は愛しい男性。放蕩の貴人の子弟。王族の孫。貴公子。『楚辞・招隱士』「王孫遊兮不歸,春草生兮萋萋。歳暮兮不自聊,蛄鳴兮啾啾。」を指す。そこでの王孫とは、隠士である楚の王族の屈原のこと。ただ、詩詞で使われる王孫とは、女性の容色の衰え等のために、女性の許を離れて旅立っていった男性のことでもある。詩題や詞牌に謝靈運『悲哉行』「萋萋春草生,王孫遊有情」『王孫歸』『憶王孫』『王孫遊』(南齊・謝朓)「綠草蔓如絲,雜樹紅英發。無論君不歸,君歸芳已歇。」としてよく使われる。劉希夷『白頭吟』(代悲白頭翁)「公子王孫芳樹下,清歌妙舞落花前。光祿池臺開錦繍,將軍樓閣畫神仙。一朝臥病無人識,三春行樂在誰邊。宛轉蛾眉能幾時,須臾鶴髮亂如絲。但看古來歌舞地,惟有黄昏鳥雀悲。」 や、王維の『送別』「山中相送罷,日暮掩柴扉。春草明年綠,王孫歸不歸。」や、韋荘の『淸平樂』に「春愁南陌。故國音書隔。細雨霏霏梨花白。燕拂畫簾金額。盡日相望王孫,塵滿衣上涙痕。誰向橋邊吹笛,駐馬西望消魂。」や、王維の『山居秋暝』で「空山新雨後,天氣晩來秋。明月松間照,清泉石上流。竹喧歸浣女,蓮動下漁舟。隨意春芳歇,王孫自可留。」がある。 
85.
 歸意 帰郷したいという気持ち。帰ると約束したこと。
86.
 切 しきりに。ふかく。程度の深刻さを示す。ひたすらなさま。それを思うことがしきりで強いさま。
87.
 不關 …に関わらずに。かかわらない。関係ない。

88. 春草綠萋萋 春草 春の草。春に咲く草花。(『楚辞・招隱士』「王孫遊兮不歸,春草生兮萋萋。」)を踏まえている。 *「春草綠萋萋」で「月日が流れ、季節が変わって春になったのに」の意になる。この句は、春に寵愛を受け、歓楽、悦楽の思いを起させるという意味である。そうした意味で全体を見ると深い味わいになってくる。 
謝靈運『悲哉行』「萋萋春草生,王孫遊有情」
悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩502 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1323

悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩503 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1326

謝靈運『登池上樓』「池塘生春草,園柳變鳴禽。」

池の堤防にびっしり春の草が生えている、庭園の柳の梢に鳴いている小鳥たちも冬のものと違って聞こえてくる。

登池上樓 #2 謝霊運<25>#2  詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005

謝朓『王孫遊』「綠草蔓如絲,雜樹紅英發。無論君不歸,君歸芳已歇。」
さかんに茂っている春の草木がのびている、「楚辞」で詠う王孫は遊んでいて情をもっている。
・綠萋萋 青々と茂っている。 
・萋萋 木や草の繁っているさま。
王昭君の『昭君怨』(『怨詩』)「秋木萋萋,其葉萎黄。有鳥處山,集于苞桑。養育羽毛,形容生光。既得升雲,上遊曲房。離宮絶曠,身體摧藏。志念抑沈,不得頡頏。雖得委食,心有徊徨。我獨伊何,來往變常。翩翩之燕,遠集西羌。高山峨峨,河水泱泱。父兮母兮,道里悠長。嗚呼哀哉,憂心惻傷。」

怨詩 王昭君  漢詩<110-#2>玉台新詠集 女性詩 546 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1455


謝靈運『悲哉行』
萋萋春草生,王孫遊有情,差池鷰始飛,夭裊桃始榮,灼灼桃悅色,飛飛燕弄聲,檐上雲結陰,澗下風吹清,
幽樹雖改觀,終始在初生。松蔦歡蔓延,樛葛欣虆縈,眇然遊宦子,晤言時未并,鼻感改朔氣,眼傷變節榮,侘傺豈徒然,澶漫
音形,風來不可托,鳥去豈為聽。

悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩503 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1326


謝靈運『石門在永嘉』 #1
躋険築幽居、披雲臥石門。

苔滑誰能歩、葛弱豈可捫。

嫋嫋秋風過、萋萋春草繁。

美人遊不遠、佳期何繇敦。』

石門在永嘉 謝霊運<30>#1 詩集 404  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1029

#2

芳塵凝瑤席、清醑満金樽。

洞庭空波瀾、桂枝徒攀翻。

結念屬霽漢、孤景莫與諼。

俯濯石下潭、仰看條上猿。』

石門在永嘉 謝霊運<30>#2 詩集 405  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1032

#3

早聞夕飈急、晩見朝日暾。

崖傾光難留、林深響易奔。

感往慮有復、理来情無存。

庶持乗日車、得以慰營魂。」

匪爲衆人説、冀與智者論。』

石門在永嘉 謝霊運<30>#3 詩集 406  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1035

 

謝靈運『登池上樓』
登池上樓#1

潛虯媚幽姿,飛鴻響遠音。

薄霄愧雲浮,棲川怍淵沉。

進德智所拙,退耕力不任。」

徇祿反窮海,臥痾對空林。

衾枕昧節候,褰開暫窺臨。

傾耳聆波瀾,舉目眺嶇嶔。』

登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  詩集 395 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1002

 

初景革緒風,新陽改故陰。

池塘生春草,園柳變鳴禽。」

祁祁傷豳歌,萋萋感楚吟。

索居易永久,離群難處心。

持操豈獨古,無悶徵在今。』

登池上樓 #2 謝霊運<25>#2  詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005


などと、杜甫など多くの詩人が詠っている。 
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