花間集 訳注解説 巻一37 (45)回目温庭筠 《楊柳枝八首其八》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7832
巻一37 (45)回目温庭筠 《楊柳枝八首其八》
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| 2016年12月15日 | の紀頌之5つの校注Blog | | ||||
| ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 | | |||||
| Ⅰ李白詩 | (李白集校注) | 744年-021 -#4卷162_22 西岳雲臺歌送丹丘子(卷七(一)四八八) -#4Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7829 | | |||
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| Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注 | 806年-16-#12 巻二 17-#12答張徹【案:愈為四門博士時作。張徹,愈門下士,又愈之從子婿。】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7830 | | ||||
| LiveDoo | rBlog | 806年-16-#14 巻二 17-#14巻二 答張徹 【字解集】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7842 | | |||
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| Ⅲ 杜詩 | 詳注 | 757年-45 承聞河北諸道節度入朝歡喜口號絕句,十二首其四(卷一八(四)頁一六二五) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7831 | | |||
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| ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集 不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。 | | |||||
| Ⅳブログ詩集 | 漢・唐・宋詞 | 花間集 訳注解説 巻一37 (45)回目温庭筠 《楊柳枝八首其八》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7832 (12/15) | | |||
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| ●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始 | | |||||
| Ⅴ.唐五代詞詩・女性 | ・玉臺新詠 | | ||||
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花間集 訳注解説 巻一37 (45)回目温庭筠 《楊柳枝八首其八》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7832
(楊柳枝詩の最終八首目であり、王家、妃嬪の性倫理観の結論的なことを述べている。)
呉王夫差の築いた西施は館娃宮から別れて、敵国に向かったし、魏の曹植は兄嫁の慕情を胸に鄴城の西で、悲しい別れをした。行く舟の帆は空と川面に映えて、わかれの近くには、柳の枝が風に靡いて堤を払う、するとまた、離れがたい気持ちにさせるのである。古より、王孫らの性倫理は自由で、先々に妃嬪を侍らせ、別れの時は必ずここへ帰えってくると誓うけれど、楚辞でいう「春の草花が繁りだす」ようにうつりかわってゆく、あれほど愛し合っていても、もう関係がないと、月日が経っても美しい妃嬪であっても、そのもとに帰る気にはならないのである。
唐の女性観 (10)
三 下級官吏の家の女性
ここでは主に貴顕の家柄には入らない下級官吏の家の女性について述べる。彼女たちの生活は一般に朝廷から支給される官俸の収入に頼っていた。杜甫が、「生は(生活の上では)常に租税を免れ、名は征伐(微兵名簿)に隷らず」(「京ょり奉先県に赴き詠懐す五百字」)と、自らについて語っているように、下級官吏の身分の者には一般民衆のような租税や諸役の苦しみはなかった。しかし彼らの官俸は往々きわめて少なかったので、衣食の心配や飢寒の苦しみは一般的にはなかったにせよ、生活に十分な余裕があるわけでなく、甚だしい時には貧困窮迫を免れることはできなかった。杜甫の生涯は大半が下級官吏の生活であり、妻と娘の生活はかなり苦しく、多年人に寄食して暮らしたのである。
戦乱(安史の乱)によって、「妻と子、衣は百結だらけ」、「床前兩小女,補綴才過膝。」〔床前の両少女、補綴(つぎはぎだらけの衣服)後かに膝を過ぐ〕(杜甫「北征」)というありさま。彼は最も貧しい時には薪を背負い、橡の実を採ってその日暮らしをせねばならなかった。暮らし向きがよかった時のこと、ある日杜甫は友人に妻を紹介した。友人は家に帰るとすぐ妻に命じて、杜甫の妻のために夜飛蝉(婦人の衣裳)をおしゃれ用にと送らせた。おそらく杜甫夫人の着物があまりに簡単で質素だったからであろう(張泌『粧楼記』)。元棋が下級官吏である校書郎になった時、家族の生活はわりに苦しかった。彼は「悲懐を遣わす」という詩において、「我を顧みて衣無ければ画箇(衣裳箱)を捜し、他に泥みて酒を浩わんとすれば金奴を抜く。野蔑 膳に充ちて長き董甘く、落葉 薪に添えんとして古き槐を仰ぐ」と、亡き妻の章氏との生活を懐しんでいる。少なくとも生活はそれほど豊かでなかったことが分かる。この階層の女性は一般に生産労働には参加しなかった。といっても彼女たちの多くは、完全に奴僕に任せきりで家事労働から解放されていたというわけでもなかった。小官吏であった王績は官を棄てて家に帰った後、詩の中で「床に倚りて婦の織を看る」と書いている。また白居易は江州司馬に左遷された時、「内子に贈る」という詩の中で「【妻は】寒衣にて灯下に補い、小女は床頭に戯る」と書いている。この階層の女性たちは、しばしば一定の家事労働をやらねばならなかったことが分かる。
この階層の女性たちは出身も教養も低く、また自分の地位が高まる可能性も特にはなかったので、夫の官途が順調で、とんとん柏子に出世することを祈るというのが共通した心理であり、さし迫った願いであった。湛責は一県吏にすぎなかった時、親戚が名士、官僚を招いて大宴会をやった。湛賞はその家の裏の建物で食事を供せられた。彼の妻はそれがたいへん不満で、「男子たるものよく励んで出世しなければ、このような辱しめを受けるのです。どうしてこれが我慢できましーっ」と言って夫を責めた。後に湛責は発奮し、はたせるかな進士に合格した(『唐捻言』巻ハ)。章皐の妻張氏は節度使の娘であった。夫が自分の実家で冷遇されるのを見て夫を励まし、「男子たるものは天下に遠大な志を持つもの。今このような辱しめを受けるとは思いもしませんでした。ああ!」と嘆いた。彼女は化粧箱を金にかえて夫の出世を支え、はたせるかな章皐は後に金吾将軍、西川節度使になった(『雲渓友議』巻四)。これと大同小異の話はたいへん多く、それらを通じてこの階層の女性たちに共通の心理と願望を知ることができる。
杜甫
北徵 #1
皇帝二載秋,閏八月初吉。杜子將北徵,蒼茫問家室。」
維時遭艱虞,朝野少暇日。顧慚恩私被,詔許歸蓬蓽。
拜辭詣闕下,怵惕久未出。雖乏諫諍姿,恐君有遺失。
#2
君誠中興主,經緯固密勿。東胡反未已,臣甫憤所切。
揮涕戀行在,道途猶恍惚。乾坤含瘡痍,憂虞何時畢!』
#3
靡靡逾阡陌,人煙眇蕭瑟。所遇多被傷,呻吟更流血。
回首鳳翔縣,旌旗晚明滅。前登寒山重,屢得飲馬窟。
邠郊入地底,涇水中蕩潏。猛虎立我前,蒼崖吼時裂。
#4
菊垂今秋花,石戴古車轍。青雲動高興,幽事亦可悅。
山果多瑣細,羅生雜橡栗。或紅如丹砂,或黑如點漆。
雨露之所濡,甘苦齊結實。緬思桃源內,益嘆身世拙。
#5
坡陀望鄜畤,岩穀互出沒。我行已水濱,我僕猶木末。
鴟梟鳴黃桑,野鼠拱亂穴。夜深經戰場,寒月照白骨。
潼關百萬師,往者敗何卒?遂令半秦民,殘害為異物。』
#6
況我墮胡塵,及歸盡華發。經年至茅屋,妻子衣百結。
慟哭松聲回,悲泉共幽咽。平生所嬌兒,顏色白勝雪。
見耶背面啼,垢膩腳不襪。床前兩小女,補綴才過膝。
#7
海圖拆波濤,舊繡移曲折。天吳及紫鳳,顛倒在短褐。
老夫情懷惡,數日臥嘔泄。那無囊中帛,救汝寒凜栗?
粉黛亦解苞,衾裯稍羅列。瘦妻面複光,癡女頭自櫛。
#8
學母無不為,曉妝隨手抹。移時施朱鉛,狼籍畫眉闊。
生還對童稚,似欲忘饑渴。問事競挽須,誰能即嗔喝?
翻思在賊愁,甘受雜亂聒。新婦且慰意,生理焉得說?
#9
至尊尚蒙塵,幾日休練卒?仰觀天色改,坐覺妖氛豁。
陰風西北來,慘澹隨回紇。其王願助順,其俗善馳突。
送兵五千人,驅馬一萬匹。此輩少為貴,四方服勇決。
所用皆鷹騰,破敵過箭疾。聖心頗虛佇,時議氣欲奪。』
#10
伊洛指掌收,西京不足拔。官軍請深入,蓄銳可俱發。
此舉開青徐,旋瞻略恆碣。昊天積霜露,正氣有肅殺。
禍轉亡胡歲,勢成擒胡月。胡命其能久?皇綱未宜絕。』
#11
憶昨狼狽初,事與古先別。奸臣竟菹醢,同惡隨蕩析。
不聞夏殷衰,中自誅褒妲。周漢獲再興,宣光果明哲。
桓桓陳將軍,仗鉞奮忠烈。微爾人盡非,於今國猶活。』
#12
淒涼大同殿,寂寞白獸闥。都人望翠華,佳氣向金闕。
園陵固有神,灑掃數不缺。煌煌太宗業,樹立甚宏達!』
#1
皇帝二載の秋 閏八月初吉。
杜子将に北征して、蒼茫 家室を問わんとす。』
維(こ)れ時 艱虞(かんぐ)に遭う、朝野(ちょうや)暇日(かじつ)少(すくな)し。
顧(かえり)みて恩私(おんし)の被るを慚ず、詔して蓬蓽(ほうか)に帰るを許さる。
拝辞して闕下(けつか)に詣(いた)り、怵惕(じゅつてき)久しうして未だ出でず。
諫諍(かんそう)の姿に乏しと雖も、恐らくは君に遺失有らんことを。
#2
君は誠に中興の主なり 経緯固に密勿たり
東胡反して未だ已まず 臣甫が憤の切なる所
沸を揮いて行在(あんざい)を恋う、道途(どうと)猶恍惚たり。
乾坤(けんこん)瘡痍(そうい)を含む、憂虞(ゆうぐ)何の時か畢(おわ)らん。』
#3
扉扉(ひひ)として阡陌(せんぱく)を逾(こ)ゆれば、人煙 眇(びょう)として蕭瑟(しょうしつ)たり。
遇う所は多く傷を被る 呻吟して更に血を流す。
首を回らす鳳翔県、旌旗(せいき)晩に明滅す。
前みて寒山の重れるに登る、屢々飲馬の窟(いわや)を得たり。
邠郊(ひんこう)地底に入る、涇水 中に蕩潏(とういつ)たり。
猛虎我が前に立つ、蒼崖吼ゆる時裂く。
#4
菊は今秋の花を垂れ,石は古車の轍(わだち)を戴く。
青雲は高興を動かし,幽事は 亦 悅ぶ可し。
山果 瑣細なるもの多く,羅生して橡栗(しょうりつ)雜(まじ)う。
或いは紅なること丹砂の如く,或いは黑きこと點漆の如し。
雨露の濡す所,甘苦 齊(ひと)しく實を結ぶ。
緬(はる)かに桃源の內を思い,益々身世の拙なるを嘆く。
#5
坡陀(はだ)として鄜畤を望めば,岩穀(がんこく)互いに出沒す。
我が行 已に水濱(すいひん),我が僕(ぼく)猶 木末(ぼくまつ)。
鴟梟(しちょう)は黄桑(こうそう)に鳴き、野鼠(やそ)は乱穴(らんけつ)に拱(きょう)す。
夜 深(ふ)けて戦場を経(ふ)れば、寒月(かんげつ) 白骨を照らす。
潼関(どうかん) 百万の師(いくさ)、往者(さきには) 散ずるところ何ぞ卒(すみや)かなりし。
遂に半秦(はんしん)の民をして、残害(ざんがい)して異物と為(な)らしむ。』
#6
況(いわ)んや我は胡塵(こじん)に堕(お)ち、帰るに及んで尽(ことごと)く華髪(かはつ)なり。
年(とし)を経(へ)て茅屋(ぼうおく)に至れば、妻子 衣(ころも)は百結(ひゃくけつ)なり。
慟哭(どうこく)すれば松声(しょうせい)廻(めぐ)り、悲泉(ひせん)は共に幽咽(ゆうえつ)す。
平生(へいぜい) 嬌(きょう)とする所の児(じ)、顔色(がんしょく) 白くして雪にも勝(まさ)る。
耶(ちち)を見て面(おもて)を背(そむ)けて啼(な)く、垢膩(こうじ)して脚(あし)に襪(たび)はかず。
床前(しょうぜん)の両小女、補綴(ほてつ)して 才(わず)かに膝(ひざ)を過ごす。
#7
海図(かいず)は波涛を拆(さ)き、旧繍(きゅうしゅう)は移りて曲折(きょくせつ)たり。
天呉(てんご) 及び紫鳳(しほう)、顛倒(てんとう)して裋褐(じゅかつ)に在り。
老父 情懐(じょうかい)悪(あ)しく、嘔泄(おうせつ)して臥(ふ)すこと数日なり。
那(なん)ぞ囊中(のうちゅう)の帛(きぬ)無からんや、汝(なんじ)の寒くして凛慄(りんりつ)たるを救わん。
粉黛(ふんたい) 亦た苞(つつみ)を解き、衾裯(きんちゅう) 稍(やや)羅列(られつ)す。
痩妻は面(おもて)をば復(ま)た光(かがや)かせ、痴女(ちじょ)は頭(こうべ)をば自ら櫛(くし)けずる。
#8
母を学(まね)びて為(な)さざるは無く、曉妝(ぎょうしょう) 手に随(したが)いて抹す。
時(とき)を移して朱鉛(しゅえん)を施(ほどこ)せば、狼藉(ろうぜき)として画眉(がび)闊(ひろ)し。
生還して童稚(どうち)に対すれば、飢渇(きかつ)を忘れんと欲(ほっ)するに似たり。
事を問うて競(きそ)うて鬚(ひげ)を挽(ひ)くも、誰か能(よ)く即ち嗔喝(しんかつ)せん。
翻(ひるがえ)って賊に在りし愁いを思いて、甘んじて雑乱(ざつらん)の聒(かまびす)しきを受く。
新たに帰りて且(か)つ意を慰(なぐさ)む、生理(せいり) 焉(いずく)んぞ説くことを得ん。
#9
至尊(しそん)は尚(な)お蒙塵(もうじん)す、幾の日か卒(そつ)を練るを休(や)めん。
仰いで天色(てんしょく)の改まるを観(み)、坐(そぞろ)に妖氛(ようふん)の豁(かつ)なるを覚(おぼ)ゆ。
陰風(いんぷう) 西北より来たり、惨澹(さんたん)として回紇(かいこつ)に随う。
其の王は助順(じょじゅん)を願い、其の俗(ぞく)は馳突(ちとつ)を善(よ)くす。
兵を送る 五千人、馬を駆(か)る 一万匹。
此の輩(はい) 少(わか)きを貴(とうと)しと為(な)し、四方(しほう) 勇決(ゆうけつ)に服す。
用うる所は皆な鷹(たか)のごとく騰(あが)り、敵を破ることは箭(や)の疾(と)きに過(す)ぐ。
聖心は頗(すこぶ)る虚佇(きょちょ)し、時議(じぎ)は気の奪われんと欲(ほっ)す。』
#10
伊洛(いらく) 掌(たなごころ)を指(さ)して収めん、西京(せいけい)も抜くに足らざらん。
官軍 深く入らんことを請(こ)う、鋭(えい)を蓄(たくわ)えて倶(とも)に発す可し。
此の挙(きょ) 青徐(せいじょ)を開かん、旋(たちま)ち恒碣(こうけつ)を略するを瞻(み)ん。
昊天(こうてん) 霜露を積み,正氣 肅殺(しゅくさつ)たる有り。
禍は轉ぜん 胡を亡ぼさん歲(とし),勢は成らん 胡を擒(とりこ)にせん月。
胡の命 其れ能く久しからんや?皇綱(こうこう)未だ宜しく絕つべからず。』
#11
憶う昨(さく) 狼狽(ろうばい)の初め,事は古先と別なり。
奸臣 竟に菹醢(そかい)せられ,同惡(どうあく)隨って蕩析(とうせき)す。
聞かず 夏殷(かいん)の衰えしとき、中(うち)の自ら褒妲(ほうだつ)を誅(ちゅう)せしを。
周漢(しゅうかん) 再興するを獲(え)しは、宣光(せんこう) 果たして明哲(めいてつ)なればなり。
桓桓(かんかん)たり 陳(ちん)将軍、鉞(えつ)に仗(よ)りて忠烈を奮(ふる)う。
爾(なんじ)微(な)かりせば人は尽(ことごと)く非(ひ)ならん、今に於(お)いて国は猶(な)お活(い)く。
#12
淒涼(せいりょう)たり 大同殿(だいどうでん)、寂寞(せきばく)たり 白獣闥(はくじゅうたつ)。
都人(とじん) 翠華(すいか)を望み、佳気(かき) 金闕(きんけつ)に向こう。
園陵(えんりょう) 固(もと)より神(しん)有り、掃灑(そうさい) 数(すう)欠けざらん。
煌煌(こうこう)たり 太宗の業(ぎょう)、樹立 甚(はなは)だ宏達(こうたつ)なり。
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| 楊柳枝 八首 | |
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楊柳枝 八首其八
(楊柳枝詩の最終八首目であり、王家、妃嬪の性倫理観の結論的なことを述べている。)
館娃宮外鄴城西,遠映征帆近拂堤。
呉王夫差の築いた西施は館娃宮から別れて、敵国に向かったし、魏の曹植は兄嫁の慕情を胸に鄴城の西で、悲しい別れをした。行く舟の帆は空と川面に映えて、わかれの近くには、柳の枝が風に靡いて堤を払う、するとまた、離れがたい気持ちにさせるのである。
繋得王孫歸意切,不關春草綠萋萋。
古より、王孫らの性倫理は自由で、先々に妃嬪を侍らせ、別れの時は必ずここへ帰えってくると誓うけれど、楚辞でいう「春の草花が繁りだす」ようにうつりかわってゆく、あれほど愛し合っていても、もう関係がないと、月日が経っても美しい妃嬪であっても、そのもとに帰る気にはならないのである。
(楊柳枝 八首其の八)
館娃宮【かんあいきゅう】の外 鄴城【ぎょうじょう】の西,遠くは征帆に 映じ 近くは堤を拂ふ。
繋ぎ得たりは王孫の意切なるをもって歸り,「春草の萋萋(りょくせいせい)たる綠」を關せず。
『楊柳枝 八首之八』温庭筠 現代語訳と訳註
(本文) 楊柳枝 温庭筠
館娃宮外鄴城西,遠映征帆近拂堤。
繋得王孫歸意切,不關春草綠萋萋。
(下し文)
(楊柳枝 八首其の八)
館娃宮【かんあいきゅう】の外 鄴城【ぎょうじょう】の西,遠くは征帆に 映じ 近くは堤を拂ふ。
繋ぎ得たりは王孫の意切なるをもって歸り,「春草の萋萋【せいせい】たる綠」を關せず。
(現代語訳)
(楊柳枝詩の最終八首目であり、王家、妃嬪の性倫理観の結論的なことを述べている。)
呉王夫差の築いた西施は館娃宮から別れて、敵国に向かったし、魏の曹植は兄嫁の慕情を胸に鄴城の西で、悲しい別れをした。行く舟の帆は空と川面に映えて、わかれの近くには、柳の枝が風に靡いて堤を払う、するとまた、離れがたい気持ちにさせるのである。
古より、王孫らの性倫理は自由で、先々に妃嬪を侍らせ、別れの時は必ずここへ帰えってくると誓うけれど、楚辞でいう「春の草花が繁りだす」ようにうつりかわってゆく、あれほど愛し合っていても、もう関係がないと、月日が経っても美しい妃嬪であっても、そのもとに帰る気にはならないのである。
(訳注)
76. 楊柳枝 ( 八首之八)
柳を詠う。連作八首のうちこれは第八首。後宮には中世封建制の貞操感、現代の貞操感はない。性倫理はかなり自由であった。この詩は、楊柳枝詩の最終八首目であり、王家、妃嬪の性倫理観の結論的なことを述べている。サロンでのお遊び的な詩であっても、一夫多妻制のなかで、後宮をはじめとして、富貴の者には、多くの美しい女性が集まるシステム、性のための家奴婢になっていたことをいうものである。
館娃宮外鄴城西,遠映征帆近拂堤。
呉王夫差の築いた西施は館娃宮から別れて、敵国に向かったし、魏の曹植は兄嫁の慕情を胸に鄴城の西で、悲しい別れをした。行く舟の帆は空と川面に映えて、わかれの近くには、柳の枝が風に靡いて堤を払う、するとまた、離れがたい気持ちにさせるのである。
77. 館娃宮 呉王夫差が西施を住まわせた宮殿。蘇州の西、硯石山(霊巌山)上に築かれた。 そして西施は旅立っていく。
78. 鄴城 魏の曹操の都で、現・河南省臨。館娃宮、城ともに、曾ての栄華の地であるが曹植が不遇をかこったところであり、その西にある歓楽街での別離がある。
79. 西 「西」は、歓楽街、別離、柳。その一方で五行思想から、白、秋、悲秋、別離、凋落、没落、衰頽ということ。
80. 遠映 遠くにはえて見えている。遠くに映じている。「近拂」の対。「遠映」「近拂」といった単語は無い。 ・映 はえる。うつる。うつす。
81. 征帆 遠くへ行く舟。旅の舟。
82. 拂堤 ヤナギの枝が風に靡いて堤を払うように動いている(性行の男性の腰の動きとされる)。堤は別れで再会の約束をするところ。堤に馬を止めて女のもとに行くところ。 ・拂 はらう。ヤナギの枝が風に靡き動くさまを表現していう。
繋得王孫歸意切,不關春草綠萋萋。
古より、王孫らの性倫理は自由で、先々に妃嬪を侍らせ、別れの時は必ずここへ帰えってくると誓うけれど、楚辞でいう「春の草花が繁りだす」ようにうつりかわってゆく、あれほど愛し合っていても、もう関係がないと、月日が経っても美しい妃嬪であっても、そのもとに帰る気にはならないのである。
・この二句は『楚辞・招隱士』に基づくもの。
83. 繋得 繋ぎとめて…。-得 動詞の後に附いて、(動作や状態の)結果、程度、方法、傾向を表す。
84. 王孫 色あせていった女性の許を離れて旅立つ男性を指す、主人公。本来(その当時は)は愛しい男性。放蕩の貴人の子弟。王族の孫。貴公子。『楚辞・招隱士』「王孫遊兮不歸,春草生兮萋萋。歳暮兮不自聊,蛄鳴兮啾啾。」を指す。そこでの王孫とは、隠士である楚の王族の屈原のこと。ただ、詩詞で使われる王孫とは、女性の容色の衰え等のために、女性の許を離れて旅立っていった男性のことでもある。詩題や詞牌に謝靈運『悲哉行』「萋萋春草生,王孫遊有情」『王孫歸』『憶王孫』『王孫遊』(南齊・謝朓)「綠草蔓如絲,雜樹紅英發。無論君不歸,君歸芳已歇。」としてよく使われる。劉希夷『白頭吟』(代悲白頭翁)「公子王孫芳樹下,清歌妙舞落花前。光祿池臺開錦繍,將軍樓閣畫神仙。一朝臥病無人識,三春行樂在誰邊。宛轉蛾眉能幾時,須臾鶴髮亂如絲。但看古來歌舞地,惟有黄昏鳥雀悲。」 や、王維の『送別』「山中相送罷,日暮掩柴扉。春草明年綠,王孫歸不歸。」や、韋荘の『淸平樂』に「春愁南陌。故國音書隔。細雨霏霏梨花白。燕拂畫簾金額。盡日相望王孫,塵滿衣上涙痕。誰向橋邊吹笛,駐馬西望消魂。」や、王維の『山居秋暝』で「空山新雨後,天氣晩來秋。明月松間照,清泉石上流。竹喧歸浣女,蓮動下漁舟。隨意春芳歇,王孫自可留。」がある。
85. 歸意 帰郷したいという気持ち。帰ると約束したこと。
86. 切 しきりに。ふかく。程度の深刻さを示す。ひたすらなさま。それを思うことがしきりで強いさま。
87. 不關 …に関わらずに。かかわらない。関係ない。
88. 春草綠萋萋 春草 春の草。春に咲く草花。(『楚辞・招隱士』「王孫遊兮不歸,春草生兮萋萋。」)を踏まえている。 *「春草綠萋萋」で「月日が流れ、季節が変わって春になったのに」の意になる。この句は、春に寵愛を受け、歓楽、悦楽の思いを起させるという意味である。そうした意味で全体を見ると深い味わいになってくる。
謝靈運『悲哉行』「萋萋春草生,王孫遊有情」
悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩502 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1323
悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩503 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1326
謝靈運『登池上樓』「池塘生春草,園柳變鳴禽。」
池の堤防にびっしり春の草が生えている、庭園の柳の梢に鳴いている小鳥たちも冬のものと違って聞こえてくる。
登池上樓 #2 謝霊運<25>#2 詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005
謝朓『王孫遊』「綠草蔓如絲,雜樹紅英發。無論君不歸,君歸芳已歇。」
さかんに茂っている春の草木がのびている、「楚辞」で詠う王孫は遊んでいて情をもっている。
・綠萋萋 青々と茂っている。
・萋萋 木や草の繁っているさま。
王昭君の『昭君怨』(『怨詩』)「秋木萋萋,其葉萎黄。有鳥處山,集于苞桑。養育羽毛,形容生光。既得升雲,上遊曲房。離宮絶曠,身體摧藏。志念抑沈,不得頡頏。雖得委食,心有徊徨。我獨伊何,來往變常。翩翩之燕,遠集西羌。高山峨峨,河水泱泱。父兮母兮,道里悠長。嗚呼哀哉,憂心惻傷。」
怨詩 王昭君 漢詩<110-#2>玉台新詠集 女性詩 546 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1455
謝靈運『悲哉行』
萋萋春草生,王孫遊有情,差池鷰始飛,夭裊桃始榮,灼灼桃悅色,飛飛燕弄聲,檐上雲結陰,澗下風吹清,
幽樹雖改觀,終始在初生。松蔦歡蔓延,樛葛欣虆縈,眇然遊宦子,晤言時未并,鼻感改朔氣,眼傷變節榮,侘傺豈徒然,澶漫絕音形,風來不可托,鳥去豈為聽。
悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩503 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1326
謝靈運『石門在永嘉』 #1
躋険築幽居、披雲臥石門。
苔滑誰能歩、葛弱豈可捫。
嫋嫋秋風過、萋萋春草繁。
美人遊不遠、佳期何繇敦。』
石門在永嘉 謝霊運<30>#1 詩集 404 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1029
#2
芳塵凝瑤席、清醑満金樽。
洞庭空波瀾、桂枝徒攀翻。
結念屬霽漢、孤景莫與諼。
俯濯石下潭、仰看條上猿。』
石門在永嘉 謝霊運<30>#2 詩集 405 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1032
#3
早聞夕飈急、晩見朝日暾。
崖傾光難留、林深響易奔。
感往慮有復、理来情無存。
庶持乗日車、得以慰營魂。」
匪爲衆人説、冀與智者論。』
石門在永嘉 謝霊運<30>#3 詩集 406 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1035
謝靈運『登池上樓』
登池上樓#1
潛虯媚幽姿,飛鴻響遠音。
薄霄愧雲浮,棲川怍淵沉。
進德智所拙,退耕力不任。」
徇祿反窮海,臥痾對空林。
衾枕昧節候,褰開暫窺臨。
傾耳聆波瀾,舉目眺嶇嶔。』
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1 詩集 395 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1002
初景革緒風,新陽改故陰。
池塘生春草,園柳變鳴禽。」
祁祁傷豳歌,萋萋感楚吟。
索居易永久,離群難處心。
持操豈獨古,無悶徵在今。』
登池上樓 #2 謝霊運<25>#2 詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005