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巻7・巻8 孫光憲

花間集 訳注解説 (4)回目《孫光憲【字解集】-11.河瀆神二首・虞美人二首・後庭花二首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10397

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 4)回目《孫光憲【字解集】-11.河瀆神二首・虞美人二首・後庭花二首》

 

 

2018328

の紀頌之"6"つの校注Blog

敘舊贈江陽宰陸調-#5

釋言§5-1〔#11

大覺高僧蘭若

【字解集】-11.河瀆神・虞美人・後庭花

雜詩九首其四 採桑詩

4.)「鴻鵠の歌」―趙王への愛着

李白詩

韓愈詩

杜甫詩

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2018328

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

748年-8《敘舊贈江陽宰陸調(卷十(一)六八四)-#4》漢文委員会...

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index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-240 大覺高僧蘭若(卷二○(四)一八○一)注(1252)夔州詠物八首の巫山不見廬山遠 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10375

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767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

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(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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花間集 訳注解説 (4)回目《孫光憲【字解集】-11.河瀆神二首・虞美人二首・後庭花二首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10397 (03/28)

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花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

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.唐五代詞詩・女性

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花間集 訳注解説 (4)回目《孫光憲【字解集】-11.河瀆神二首・虞美人二首・後庭花二首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10397

 

 

 

 

花間集 巻八

 

 

 

 巻八06  河瀆神二首其一    

汾水碧依依,黃雲落葉初飛。翠蛾一去不言歸,廟門空掩斜暉。

四壁陰森排古畫,依舊瓊輪羽駕。小殿沉沉清夜,銀燈飄落香

 

巻八07   河瀆神二首其二    

江上草芊芊,春晚湘妃廟前。一方柳色楚南天,數行斜鴈聯翩。

獨倚朱欄情不極,魂斷終朝相憶。兩槳不知消息,遠汀時起鸂鶒。

 

巻八08   虞美人二首其一    

寂寂無人語,暗澹梨花雨。繡羅紋地粉新描,博山香炷旋抽條,

睡魂銷。天涯一去無消息,終日長相憶。交人相憶幾時休?不堪悵觸別離愁,淚還流。

 

巻八09   虞美人二首其二    

好風微揭簾旌起,金翼鸞相倚。翠簷愁聽乳禽聲,此時春態暗關情,

獨難平。畫堂流水空相翳,一穗香搖曳。交人無處寄相思,落花芳艸過前期,沒人知。

 

巻八10   後庭花二首其一    

景陽鐘動宮鶯囀,露涼金殿。輕飇吹起瓊花綻,玉葉如翦。

晚來高閣上,珠簾卷,見墜香千片。

 

巻八11   後庭花二首其二    

石城依舊空江國,故宮春色。七尺青絲芳草綠,世難得。

玉英凋落盡,更何人識,野棠如織。只是教人添怨憶,悵望無極。

 

 孫少監光憲四十七首

菩薩蠻五首

河瀆神二首

虞美人二首

後庭花二首

子三首

臨江仙二首

酒泉子三首

清平樂二首

更漏子二首

女冠子二首

風流子三首

定西番二首

河滿子一首

玉蝴蝶一首

八拍蠻一首

竹枝一首

思帝一首

上行盃二首

謁金門一首

思越人二首

陽柳枝四首

望梅花一首

漁歌子二首

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲《字解集》孫光憲

 

 

 

 

 

 

【字解集】・河瀆神二首

河瀆神二首     其一

1.(汾河を遠くに見る御陵にも秋がおとずれるのと長い夜が来るその景色をうたう)

2. 古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。後宮に配置されるだけでなく、各離宮、御陵に妃嬪たちは配属された。

3. 河瀆神 二首の構成

『花間集』には孫光憲の作が二首収められている。双調四十九字、前段二十四字四句四平韻、後段五字四句四灰韻で、⑤⑥⑦⑥/❼❻❻❻の詞形をとる。

汾水碧依,黃雲落葉初

翠蛾一去不言,廟門空掩斜

四壁陰森排古,依舊瓊輪羽

小殿沉沉清,銀燈飄落香

○●●△△  ○○●●○○

●△●●△○○  ●○△●○○

●●○○○●●  △●○○●●

●●○○○●  ○○○●○●

             

汾水碧依依,黃雲落葉初飛。

汾水の流れは緑に澄んだ水で遙か先まで流れている。傾きかけた日に黄色に映る雲をみて初めて秋を知り、初めて落ち葉が散って来たのを見る。

4.   汾水 山西省を南北に流れる大きな川で、渭河に次ぐ黄河第二の支流。 山西省北部の忻州市寧武県の管涔山に発する。黄土高原の谷間を流れる支流を集めて南西方向へ流れ、次いで南東方向へ、さらに北東方向へと大きく曲がりながら太原市で盆地に出る。晋中市から臨汾市へと、山西省中部の盆地を北東から南西の方向へ貫き、侯馬で西へ折れ、運城市河津で黄河左岸に合流する。春秋戦国時代以来の歴史的都市の多くが汾河流域にあり、黄河文明や中国の歴代王朝の多くを生んだ山西省の母なる川でもある。

5.   黃雲 秋の日が落ち掛け夕焼になる前の黄色のうろこ雲。

 

翠蛾一去不言歸,廟門空掩斜暉。

「翠蛾」はひとたび去る時には帰って来るとは言わなかった、この陵廟の門はひっそりとして西日が照り輝く。

6.   翠娥  ①青黒い三日月形の眉(マユ)。美人の美しい眉のこと。 ②転じて、美人のこと。ここは、陵廟付きの妃賓。

7. 廟門 陵廟の門。

 

四壁陰森排古畫,依舊瓊輪羽駕。

廟苑を囲むの四方の壁の向こうには深い木々の森が鬱蒼としてかべやはしらにえがかれたものがふるくうすよごれている見えなくなるほどになっている、きっと昔は鳳凰鳥の馭者に牽かれ天に環をかけて飛び走る絵が描かれていたのだろう。

8.   四壁 この廟苑を囲む四方の壁、

9.   陰森排古畫 この壁を蔽いかぶさるように木の枝が鬱蒼としていて、木の樹脂が飛んで以前は鮮やかに描かれていた絵が薄汚れて見えなくなる。

10.   瓊輪羽駕 鳳凰鳥の馭者に牽かれ天に環をかけて飛び走る絵が描かれていたことをいう。

 

小殿沉沉清夜,銀燈飄落香

陵廟の館樓はしんしんと更けてゆき清らかな夜が訪れる。妃嬪の閨の銀の燭台の燈火は灯芯がおちて燃え残りが油の香りがする。

11.   飄落 ふんわりと落ちること。

12.   燃え残りの臣が油の香りを発すること。

 

 

河瀆神二首其二

1.(春になり瀟湘八景の娥皇と女英の祠や廟に着てみると、そのころの空とおなじ空が広がり、舟もふたりをのせて出発する。またえんおうのように一緒に過ごしていることだろうと詠う。)

2. 韓愈 『黄陵廟碑』には湘妃のことが面白く述べられている。

《黄陵廟碑 -(1)》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家文読本 巻五 <1036>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4164韓愈詩-393-1

402-10 《黄陵廟碑 -(10)四段の2》韓愈(韓退之) Ⅱ唐宋八大家読本 巻五 <1063>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4299韓愈詩-402-10

 

3. 『花間集』には張泌の作が一首収められている。双調四十九字、前段二十四字四句四平韻、後段五字四句四灰韻で、⑤⑥⑦⑥/❼❻❻❻の詞形をとる。

 

江上草芊芊,春晚湘妃廟前。

湘江のほとりには草草が勢いよくのびてきて繁っている。春が終わろうとしているころに湘江の川の神は「湘妃」「湘君」の祠の前に春の景色でいっぱいになる。

4. 芊芊 草木がぼうぼうと伸び茂るさま。

5. 湘妃 湘江の川の神は「湘妃」「湘君」といい、娥皇と女英の二人の女神からなる。娥皇・女英の二人の娘姉妹を舜の妃としたこと。娥皇と女英は舜帝の妃であったが、舜が没すると悲しんで川に身を投じ、以後川の神となった。斑竹の表面にある斑紋は、娥皇と女英の涙が落ちた跡が残って斑になったという言い伝えがあり、湘江竹、湘竹、涙竹などの別名がある。

6. 廟前 廟や祠そのものに、あるいは人の集まる港に近く、ところに女妓が集められていたその様子を「草」「湘妃」と表現している。男が船に乗って出かけて行ったのである。

 

一方柳色楚南天,數行斜鴈聯翩。

その廟の片側には柳が鬱蒼として葉をつけ、その色のむこうには、楚の国の晴れ渡った昼下がりの南の空がある。その空には、いつしか雁が数行の列をなして、ここの空を斜めに連なりはばたいて北の空に行き去る。

7. 柳色楚南天 柳の色は夏空の色である、季節が夏に変わったことをいう。

8. 數行斜鴈 列をなして空を斜めに横切る。

 

獨倚朱欄情不極,魂斷終朝相憶。

娥皇なのか、女英なのか、独り、紅い欄干によりかかり、空を見上げて雁を追いかけてみているが心は落ち着いていない。しかし、眠れぬ夜を過ごし、その最後の朝を迎えた娥皇と女英のような気持ちでいると決意した、思いを貫くためである。

9. 朱欄情不極 紅い欄干によりかかり、空を見上げて雁を追いかけてみているが心は落ち着いていない。

10 魂斷終朝 舜帝が逝った後、帝の後を追おうと決め、その最後の朝を迎えた娥皇と女英のような気持ちでいることをいう。

 

兩槳不知消息,遠汀時起鸂鶒。

船に乗って行ってしまったあの娥皇なのか、女英なのか行く先は全く分からない。遠くを眺めれば水際の砂浜には時おり、鴛鴦が起き上がって過ごしていることだろう。

11 兩槳 かじとかいなど舟を漕ぎ勧める道具。ここではそうした船に乗って行ってしまったあの娥皇と女英ということ。

12 鸂鶒 おしどり。今までも鴛鴦のように過ごしたし、遠いところでまた過ごしたい。

『江頭五詠:鸂鶒』 

故使籠寬織,須知動損毛。

看雲莫悵望,失水任呼號。

六翮曾經剪,孤飛卒未高。

且無鷹隼慮,留滯莫辭勞。 

(江頭の五詠:鸂鶒【けいせき】)

故【ことさら】に籠をして織を寛にせしむ、須【すべか】らく知るべし動けば毛を損するを。

雲を看て 猶お悵望す、水を失して呼号するに任す。

六翮【ろくかく】曾て剪らるるを経たり、孤飛 卒【つい】に未だ高からず。

且つ鷹隼【ようしゅん】の慮り無し、留滞 労を辞する莫れ。

鴛鴦を飼うのにわざわざ寵の目をあらく織らせた、なぜならば目を密にすればその中で動くとき鳥が毛を傷めるとおもうからだ。

籠から雲を見ては恨めしく眺めることだろうし、水から離れてしまうから悲しんで泣き叫ぶことだろうが、叫ぶがままにさせておく。

六枚の立ち羽は前に剪られてしまったから、ひとりで飛ぶ力が無くなっているので、高く飛べないのだ。

だけど、それで鷹や隼におそわれる心配がない、それを取り柄にすれば、ゆっくりこのかごのなかにとどまって苦労することを云うことなどなくなるといものだ。

江頭五詠:鸂鶒 蜀中転々 杜甫 <521  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブロ2800 杜甫詩1000-521-754/1500

 

 

 

 

 

 

 

【字解集】・虞美人二首

虞美人二首其一 

(虞美人のように孤立化してしまった妃賓について、訪れる人もなく寂しい毎日を過ごす)

ここに言う虞美人は少し年を重ねた虞美人のような美人の妃賓。たれも自分のもとには訪れる人がなく四面静寂であることで生きることに憑かれたことを詠う。

1 虞美人 項羽の愛姫で虞姫ともいう。5年にわたる楚・漢抗争のすえ,前202年に項羽は劉邦の漢軍によって垓下(がいか・安徽省霊璧県)に囲まれた(垓下の戦)。夜,四面から聞こえてくる楚の歌に,項羽は郷里の楚も漢におちたことを悟り(四面楚歌),虞美人をかたわらに決別の酒宴をひらいた。項羽は悲憤慷慨し,涙して辞世の詩をうたうと,彼女も唱和し,みな泣き伏したという。虞美人草の名は,彼女の鮮血が化して草花になったという伝から来ている。

秦末 虞美人『虞美人歌』

漢兵已略地,四方楚歌聲。

大王意氣盡,賤妾何聊生。

(虞美人の歌)

漢兵 已に地を略し,四方 楚の歌聲。

大王 意氣盡き,賤妾 何ぞ生を聊んぜん。

虞美人歌  秦末・虞美 詩<118>古代 女性詩 555 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1482

項羽が、垓下で敗れたときに慷慨悲歌したときの詩

項羽『垓下歌』

力拔山兮氣蓋世,時不利兮騅不逝。

騅不逝兮可奈何,虞兮虞兮奈若何!

であるが、それに対して虞美人が歌い舞った。

項羽と劉邦は戦いと和睦を繰り返しながら、垓下で雌雄を決する一戦を迎える。この時、項羽の少数の軍勢を大軍で取り囲んだ劉邦は、味方の兵士たちに項羽の祖国楚の歌を歌わせる。この歌を聞いた項羽は味方の兵が寝返ったのだと誤解して絶望する。その絶望の中で歌ったとされるのが、「垓下歌」である。

2. 美人 古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。

 

『花間集』には孫光憲の作が二首収められている。双調五十八字、前後段五句二十九字二仄韻三平韻で、❼❺⑦⑦③/❼❺⑦⑦③の詞形をとる。

虞美人二首           其一

寂寂無人,暗澹梨花

繡羅紋地粉新,博山香炷旋抽,睡魂

天涯一去無消,終日長相

交人相憶幾時?不堪悵觸別離,淚還

○?●●○○●  ●△○○●

●○○●●○○  ●○○●△○○ ●○○

○○●●○○● ○●△△●

○○△●△○△ △○●●●△○ ●○○

 

寂寂無人語,暗澹梨花雨。

紅い燈火が影をおとす窓のある閨には誰もよらず語ることはない。春の花がいっぱいというのに長雨は梨の花を濡らして、薄暗くひっそりとしている。(花も天も私を見棄てるのか)

3 紅寂寂無人語 紅い燈火が影をおとす窓のある妃嬪の閨には誰もよらず語ることはない。

4 暗澹 どんよりとした雲行きの中で降り出した雨で、白い梨の花は咲いているが薄暗くはえることはないようすをいう。この二句は、春景色、いっぱいに咲く花は妃嬪の見方と思っていたのに、空は暗く雨を落とし、妃嬪美人の思いを裏切るという。

 

繡羅紋地粉新描,博山香炷旋抽條,睡魂銷。

今日は、刺繍入りのシーツを取り換え、お化粧し、何度もし直し、新しく眉を書いた。りっぱな博山の香炉からは一条の香煙が立ち上り揺れながら旋回している。待ちつかれてうとうとし、もう、あのおかたを迎えようとするはりつめた気持ちも消えてきた。

. 繡羅紋地 閨の刺しゅう入りのシーツを取り換える。

. 粉新描 お化粧をし直し新しく眉を書きなおした。

7 博山香炷 香炉の一種で,豆(とう)形の火皿に先端のとがった山形の蓋をもつ。承盤をともなうものも多く,これは海中に浮かぶ神山(蓬莱山)にたとえたとみられ,神仙道との関係がうかがわれる。戦国末期にあらわれ,漢代に盛行し,青銅製品には金象嵌をほどこした華麗なものがある。江南では東晋,南朝代に青磁製のものがみられる。南北朝代には仏教徒も用い,仏像の台座正面や供養者の持物にあらわされた。隋・唐代には山形の蓋が蓮華をかたどった緑釉陶もつくられた。いずれにしても、高価なもので、それ相応の人物からの贈り物と考えられる。

. 旋抽條 一条の香煙が立ち上り揺れながら旋回すること。

 

天涯一去無消息,終日長相憶。

心は、どこか遠くの果てに一度行ってしまったのだろうか、音沙汰は全くない。日がな一日、それも毎日、ずーっとあのお方のことを思い続けていくだけ。

. 相憶 相思ということはお互いに思うというのではなく相手を思う、一方的に思うということ。

 

交人相憶幾時休?不堪悵觸別離愁,淚還流。

慕い、思い焦がれる気持ちともうどうなってもいいという気持のかわるがわるが繰り返して思うけど、そんな気持ちをいつまで続けていくのか、もうおわりにしたい。おいつめられて、恨み嘆くこと、わかれてしまいたいと愁うことにはもう堪えられない。涙はまた流れて行く。

10. 交人相憶 慕い、思い焦がれる気持ちともうどうなってもいいという気持のかわるがわるが繰り返して思うことを言い、そんな気持ちをいつまで続けていくのやら。交はこもごも、ともに、かわるがわる。

11. 悵觸 惆悵に接触ということで、恨み嘆くこと、わかれてしまいたいとうれうことにもうたえられない。

 

 

虞美人二首其二

1. (約束の春の日はすぎて、何時しか夏になるが寵愛を受けることはないそれでも、空しさと寂しさに囲まれるが、寵愛を受ける準備だけは、毎日欠かさずしている)

2. 【解説】 寵愛を失った妃賓、登場の「虞美人」は、春というもの、四面幔幕で覆われ行楽を楽しむはずであったもの。それが、四面楚歌ならぬ四面静寂であるということなのだ。魅力がなくなったと自ら思うことはない、結果として、寵愛を失ったのである。春は万物が成長するとき、また、“春情を抑えることが出来ない”というのを前提にしないとここに登場する「虞美人」の辛さがわからない。

3 虞美人 項羽の愛姫で虞姫ともいう。5年にわたる楚・漢抗争のすえ,前202年に項羽は劉邦の漢軍によって垓下(がいか・安徽省霊璧県)に囲まれた(垓下の戦)。夜,四面から聞こえてくる楚の歌に,項羽は郷里の楚も漢におちたことを悟り(四面楚歌),虞美人をかたわらに決別の酒宴をひらいた。項羽は悲憤慷慨し,涙して辞世の詩をうたうと,彼女も唱和し,みな泣き伏したという。虞美人草の名は,彼女の鮮血が化して草花になったという伝から来ている。

秦末 虞美人『虞美人歌』

漢兵已略地,四方楚歌聲。

大王意氣盡,賤妾何聊生。

(虞美人の歌)

漢兵 已に地を略し,四方 楚の歌聲。

大王 意氣盡き,賤妾 何ぞ生を聊んぜん。

虞美人歌  秦末・虞美 詩<118>古代 女性詩 555 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1482

項羽が、垓下で敗れたときに慷慨悲歌したときの詩

項羽『垓下歌』

力拔山兮氣蓋世,時不利兮騅不逝。

騅不逝兮可奈何,虞兮虞兮奈若何!

であるが、それに対して虞美人が歌い舞った。

項羽と劉邦は戦いと和睦を繰り返しながら、垓下で雌雄を決する一戦を迎える。この時、項羽の少数の軍勢を大軍で取り囲んだ劉邦は、味方の兵士たちに項羽の祖国楚の歌を歌わせる。この歌を聞いた項羽は味方の兵が寝返ったのだと誤解して絶望する。その絶望の中で歌ったとされるのが、「垓下歌」である。

4. 美人 古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。

      

5.『花間集』には孫光憲の作が二首収められている。双調五十八字、前後段五句二十九字二仄韻三平韻で、❼❺⑦⑦③/❼❺⑦⑦③の詞形をとる。

虞美人二首           其一

寂寂無人,暗澹梨花

繡羅紋地粉新,博山香炷旋抽,睡魂

天涯一去無消,終日長相

交人相憶幾時?不堪悵觸別離,淚還

○?●●○○●  ●△○○●

●○○●●○○  ●○○●△○○ ●○○

○○●●○○● ○●△△●

○○△●△○△ △○●●●△○ ●○○

虞美人二首           其二

好風微揭簾旌,金翼鸞相

翠簷愁聽乳禽,此時春態暗關,獨難

畫堂流水空相,一穗香搖

交人無處寄相,落花芳艸過前,沒人

●△○●○○●  ○●○△△ 

●○○△●○○  ●○○●●○○ ●△○

●○○●△△△ ●●○○●

○○○●●△△ ●○○●△○○  ●○○

 

好風微揭簾旌起,金翼鸞相倚。

心地よいそよ風がそっと簾を巻き上げ、吹き流しのように揺れる。金糸の刺繍の番の鸞は互いに寄り添う。

6. 簾旌 簾が幔幕や吹き流しのように持ち上げられる様子であることをいう。旌は吹き流しの様な旗。

7. 金翼鸞 簾に金糸で刺繍された鸞。

 

翠簷愁聽乳禽聲,此時春態暗關情,獨難平。

翠の軒端の燕の巢に愁わし鳴く雛鳥の声がきこえてくる、こんな時、春景色に囲まれているのに、春心が報われなくて暗い気持ちになってしまう、女一人、平穏な気持ちでいることは難しい。

8. 翠篇 翠色の庇。

9. 春態 春の姿、様態。

 

畫堂流水空相翳,一穗香搖曳。

彩が鮮やかな御殿の横を流れる小川の流れ、春というのに空虚な雰囲気はたがいに覆われる、香炉に一筋の煙がゆれて、そしてほそながく漂ってのこっている。

9.  流水 御殿の欲を流れる運河、池とつながっていて、その子、人の動きが全く感じられない。流れ去る時を暗示している。

10. 翳 掩う。

 

交人無處寄相思,落花芳艸過前期,沒人知。

慕い、思い焦がれる気持ちともうどうなってもいいという気持、こころをどこにおいていいのか、と、かわるがわるが繰り返して思うことを言い、そんな気持ちをいつまで続けていくのやら、それでもやはり思い続けてゆくと決め、春の花は散り、若草はおい茂る時節になってしまっても、以前の約束日はとっくに過ぎてしまったけれど、この辛い気持ちはだれにもわからないのだ。 

11. 交人無処寄相思 慕い、思い焦がれる気持ちともうどうなってもいいという気持、こころをどこにおいていいのか、と、かわるがわるが繰り返して思うことを言い、そんな気持ちをいつまで続けていくのやら、それでもやはり思い続けてゆく。交はこもごも、ともに、かわるがわる。

12. 前期 以前に交わした逢瀬の約束の期日。

 

 

 

 

 

 

【字解集】・後庭花二首

後庭花二首其一

1.(後宮には、妃嬪がたくさんいて、その妃嬪1人に宮女100人付く、丁度それは瓊花をいう。天子は今宵もまた新しい宴会をもよおす。)

2.  -1『後庭花』とあるのは、後宮の庭に咲く花、杜甫は「先帝の侍女八千人」、白居易は「後宮の佳麗三千人」といっている。この時代は女性が人とされていないので、男も士族以上で人数として把握された。宮女は礼をもって迎い入れられたもの、貴族、富貴の者など家柄を重んじて選抜されたもの、一部の物を除いて、献上されたもの、罪人の家【藉跋・藉没】の女性、宮廷の官奴婢にされたものをいうのである。「後宮」は政治を営む場とは異なる、天子の私的生活の場。陳の後主(陳叔宝)が歓楽に溺れて国を亡ぼしたことに基づいてこの詩を読む。

2-2   妃嬪たちは皇帝の妻妾であり、錦衣を着て山海の珍味を食し、ひとたび呼ばわれば百人の下婦が答える、最も高貴にして最も権勢の高い人々であった。しかし、その運命は逆にまた最も不安定であり、いつでも天国から地獄に堕ち、甚だしい場合には「女禍」の罪名を負わされ犠牲の羊にされた。國は滅ぼされると、「籍没」といって家族(母、娘、妻、妾、子孫を含む)と奴稗は、みな後宮に入れて官奴婦にすることになっていた。つまり「技芸に巧みな者は後宮に入れる」(『唐六典』巻六、刑部都官)と定めていた。そして、無能な者は司農寺(銭穀のことを司る官庁)等の官庁に配属して官奴稗とし、後宮に入れられた者の一部分は官女とした。将軍の妻、娘、碑妾等は、みな夫や父、あるいは主人が諌殺され、後宮の婦にされた。

2-3 後宮と貞壮観 また、上流階級の男女が春に遊ぶさまを詠んだものである。彼女たちは公然とあるいは単独で男たちと知り合い交際し、甚だしくは同席して談笑したり、一緒に酒を飲んだり、あるいは手紙のやりとりや詩詞の贈答をしたりして、貞節を疑われることも意に介さなかった。六朝文化、唐、宋、を過ぎるあたりまで、比較的自由な恋愛感情であった。

 

3. 【構成】花間集に教坊曲『後庭花』は五首収められているが、孫光憲は二首である。双調四十六字、前段二十二字、三仄韻、後段二十五字、四仄韻で、❼❹7❹/5❸❺❼❹の詞形をとる。孫光憲と毛熙震とで独自の詞形を作ったもの。

後庭花二首其一

景陽鐘動宮鶯,露涼金殿

輕飇吹起瓊花綻,玉葉如

晚來高閣上,珠簾,見墜香千

脩蛾慢臉陪雕,後庭新

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△?△●○○●  ●●△●

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2-4 陳の後主《玉樹後庭花》であるが、詞というより字数を合わせて美辞麗句を並べた楽府ではあるが、後世、後宮の頽廃、悪政治、を題材にした詩題の下になったもの。

麗宇芳林對高閣、新粧豔質本傾城。

映戸凝嬌乍不進、出帷含態笑相迎。

臉似花含露、玉樹流光照後庭。

麗宇 芳林 高閣に対し、新粧 艶質 本より傾城。

戸に映るも嬌を凝らし 乍(たちま)ち進まず、帷を出でて態を含み 笑いて相い迎う。

妖姫 臉は花の露を含むに似たり、玉樹 光を流して後庭を照らす。

壮麗な宮殿、香しい林は高殿と向かい合っており、化粧を終えたばかりの艶やかさはまことに絶色の美女である。

絹張りの戸に映った影でしなをつくってみて、つと立ち止まり、それから帷をでて媚びを含んで笑いながら出迎える。

妖艶な妃嬪女たちの顔は花が露を含んでいるのにも似て、月の光は美しい木立を通して裏庭を照らしている。

2-5特に楽府を多く作り、その内容は艶麗で技巧的な詩風を特徴とする「宮体詩」が大多数を占める。後主の代表作であり、壮麗な後宮と宮女のあでやかな美しさを詠じた「玉樹後庭花」は、後世において亡国の詩とされ、六朝文学批判の槍玉に挙げられるほか、南朝滅亡を主題とする詩にしばしば詠われている。

陳後宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 53

 

 

景陽鐘動宮鶯囀,露涼金殿。

陳の景陽宮殿には後主が妃嬪とかくれて捕縛された井戸のある庭があり、夜明けを告げる鐘が鳴り、鶯がなきはじめても、酒宴をやめることなく、夏が過ぎ秋が過ぎても金で飾った宮殿には華燭の宴が絶やすことがない。

5.  景陽 江蘇省江寧県の北、陳の宮殿の名。その宮殿、陳の後主が皇后と妃嬪と一緒にかくれた井戸の名。隋の軍隊が国都建虚(南京)に侵入した夜もなお訪宴に耽っていた陳の後主は、逃げおくれて愛妃張麗華・孔貴人とともにこの井戸に隠れた。

景陽井 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 48

6.  鐘動・鶯囀 「猿鳴鐘動不知曙」(猿鳴き 鐘動いて 曙を知らず)

謁衡獄廟遂宿獄寺題門樓 韓退之(韓愈)詩<51-#4>Ⅱ中唐詩347 紀頌之の漢詩ブログ1120

7. 金殿  金で飾った宮殿。また、非常に美しい御殿。

 

輕飇吹起瓊花綻,玉葉如翦。

後宮の庭で、風が吹き上げ軽く頬を撫でてゆく、小さな錠の瓊花の香りが漂う、それは、香り良い葉を鋏みできった時のように香りである。

8. 輕飇 軽く頬を撫でてゆく風。飇:つむじかぜ。涼飇】涼しい風。

9. 瓊花 江蘇省、揚州市が原産で、隋から唐の時代、「玉蘂」とも呼ばれ、その芳香のある黄白色の花が愛でられた。ただ不稔であったために、「聚八仙」という台木に接ぎ木して増やしていたが、元軍の進入とともに絶え、その後は残った台木の「聚八仙」が「瓊花」と呼ばれるようになったという。晩春に白色の両性花とまわりに8個の真っ白な装飾花を咲かせる。

10. 翦 =剪。切りそろえる。断ち切る。

 

晚來高閣上,珠簾卷,見墜香千片。

夕刻になれば、高楼の上に昇り、玉の簾を巻き上げて、見下ろせば先ほど庭先で見た瓊花の花びらがたくさんしきつめるかのようで、香りもとどく。

11.. 見墜香千片 庭に妃嬪の周りにおつきの宮女が侍るので見下ろせは瓊花のように見える。

 

脩蛾慢臉陪雕輦,後庭新宴。

妃嬪たちは化粧をきれいにし、ゆったりと落ち着いた顔つきで、天子の彫刻の輦に付き従っている、亦今夜もここの後宮の庭では新しい宴がひらかれる。

12.. 脩蛾 化粧をきちんと施すこと。蛾は眉をかくこと。

13 慢臉 ゆったりと落ち着いた顔つき。

14. 新宴 後宮では春先に、宮女の面談選定が行われる。そして選ばれた宮女からさらに妃嬪候補者が選定され、酒宴の補助のような形で花を添える形になる。天子に見初められる前に、宦官、上級宮女に妃嬪たちの選別を通過する必要がある。

 

 

後庭花二首其二

1.(歓楽街の若い美人たちも、宮女たちも絶世の美女、陳の張貴妃もやがては散り去って、誰も覚えていない。悲しい女の定めを詠う。)

2. 『後庭花』とあるのは、後宮の庭に咲く花、杜甫は「先帝の侍女八千人」、白居易は「後宮の佳麗三千人」といっている。この時代は女性が人とされていないので、男も士族以上で人数として把握された。宮女は礼をもって迎い入れられたもの、貴族、富貴の者など家柄を重んじて選抜されたもの、一部の物を除いて、献上されたもの、罪人の家【藉跋・藉没】の女性、宮廷の官奴婢にされたものをいうのである。「後宮」は政治を営む場とは異なる、天子の私的生活の場。陳の後主(陳叔宝)が歓楽に溺れて国を亡ぼしたことに基づいてこの詩を読む。

 

3. 花間集に教坊曲『後庭花』は五首収められているが、孫光憲は二首である。双調四十六字、前段二十二字、三仄韻、後段二十五字、四仄韻で、❼❹7❹/5❸❺❼❹の詞形をとる。孫光憲と毛熙震とで独自の詞形を作ったもの。

後庭花二首其一

景陽鐘動宮鶯,露涼金殿

輕飇吹起瓊花綻,玉葉如

晚來高閣上,珠簾,見墜香千

脩蛾慢臉陪雕,後庭新

●○○●○○●  ●△○●

△?△●○○●  ●●△●

●△○●●  ○○△ ●●○○●

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後庭花二首其二 双調四十六字、前段二十二字、三仄韻、後段二十五字、四仄韻で、❼❹7❹/5❸❺❼❹の詞形をとる。

石城依舊空江,故宮春

七尺青絲芳草綠,世難

玉英凋落盡,更何人,野棠如

只是教人添怨,悵望無

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石城依舊空江國, 故宮春色。

金陵の石頭城は六朝の王朝は滅んだものの、むなしく城郭だけは残っている長江下流域、江南の要衝の都市である。ここに立てば、昔の宮殿はすっかり春の景色である。

4. 石城:石頭城。越は楚に滅ぼされ,この付近も楚の領域に入ったが,楚の威王のとき,この地に王気がみられるとして,これを鎮めるために金を埋め,今の清涼山付近に城を築いたことから,金陵と称したといわれる。これは秦淮河が長江に流入する地点をみおろす要害の地で,のちに孫権が石頭城を築く。 秦は金陵邑を秣陵県(ばつりようけん)とし,漢代に入ると周辺には丹陽,江乗,胡孰(こじゆく)などの諸県が設けられ丹陽郡に属した。石頭城は、秦淮河の畔にある古都の城郭。唐以前に六代の王朝が置かれた。古来、多くの詩人が石頭城を詠う。

劉禹錫『石頭城』「山圍故國週遭在,潮打空城寂寞回。淮水東邊舊時月,夜深還過女牆來。」、

韋莊『金陵圖』「江雨霏霏江草齊,六朝如夢鳥空啼。無情最是臺城柳,依舊烟籠十里堤。」、

欧陽炯『江城子』「晩日金陵岸草平,落霞明,水無情。六代繁華,暗逐逝波聲,空有姑蘇臺上月,如西子鏡,照江城。」、11 -16 江城子一首 歐陽舍人炯十七首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-426-11-#16  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3677

5 依舊 昔通りである。昔のままである。 

6 空江國 六朝の江南の古城は残っているが、王朝は皆滅亡し、城郭だけが変わらずに残っていることを「空」と表した。

7 故宮 昔の宮殿。 

18 春色 春の景色。

 

七尺靑絲芳草碧, 絶世難得。

それは、二メートルもある長く青い絹糸は陳の張貴妃の黒髪のようであり、香りのよい春の草は、萌黄色にそまる。歓楽街に美女たちはいるけれど、張貴妃という絶世の傾国美女は得難いものだ。

9 七尺靑絲 南朝・陳の張貴妃の黒髪のような美しくて長い柳の枝。・七尺:唐の大尺で、1尺は約29.4センチメートル、小尺は約24.6センチメートル。七尺では大尺で:約2.05メートル、小尺で:約1.72メートル。 

10 芳草 香りのよい春の草。 

11 碧 緑色をしている。綠とするのもある。

12 絶世 世に並ぶものがなく、すぐれていること。ここでは、前の「石城依舊」から、絶世の傾国、美女を指す、張貴妃のこと。 

13 難得 得難い。

 

玉英凋落盡, 更何人識。

美しい花びら、若い盛りの美人というものはやがて散り、尽き果ててしまうものである。その上更に、散ってしまったものを誰が覚えていようか。

14 玉英 ここは、美しい花びら、南京の歓楽街の美人を示している。 

15 凋落 しぼみ落ちること。 

16 盡 つきる。

17 更 その上。さらに。 

18 識 おぼえている。しる。ここは、前者の義。

 

野棠如織, 只是敎人添怨憶, 悵望無極。

こりんごの花と葉、それに実というものはしげれば織物のように美しいものである。ただ、人にとっては「陳の後主は、逃げおくれて愛妃張麗華・孔貴人とともにこの井戸に隠れた」とかなしい思いを思い出させるものである。美人たちみんな、盛りを過ぎれば悲しく、うらめしいことが果てしがないのである。

19 野棠 棠梨。こりんご。やまなし。ここではその花も指す。 

20 如織 野棠の花と葉の色の釣り合いが恰も織物の如くに美しいことをいう。

21 只是 ただこれ。(美しい野棠の花も)ただ人に(かなしい思いを思い出させる)だけだ。 

22 敎人 人をして…せしむ。人に…させる。人に(かなしい思いを思い出)させる。敎:使役の(助)動詞で、古語では、平声。 

23 添 そえる。一層(かなしい思いをするだけだ)。 

24 怨憶 うらめしい思い出。陳後主陳叔寶と張貴妃の故事等、六朝の哀史を指す。

25 悵望 うらめしげに見遣る。 

26 無極 極まり無い。果てしない。

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