花間集 訳注解説 巻一36 (44)回目温庭筠 《楊柳枝八首其七》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7826

 巻一36 温庭筠 《楊柳枝八首其七》

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

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806年-16-#14 巻二 17-#14巻二 答張徹  【字解集】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7842

 

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

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杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

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花間集 巻一 (27)回目温庭筠 《更漏子六首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7724 (11/27)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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花間集 訳注解説 巻一36 (44)回目温庭筠 《楊柳枝八首其七》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7826

(春が来て、興慶宮に侍る妃賓も、曲江の離宮に侍る妃嬪も寵愛を受ける事だけを考えての準備をしているけれどどうしようもないのは、断腸の思いだけと詠う。)

南内は長安城興慶宮のことであり、その東の土塀に囲まれた皇帝専用の道があるように、寵愛を待つ妃嬪がいる。そこにも季節はうつり、もう春の景色が柳の若い萌え色がいっぱいに垂れて揺れている。曲江芙蓉苑にも寵愛を待つ妃嬪がいる、そこの杏の花も咲きほこり、盛春も過ぎようとしているけれど、それでも妃嬪の慎み深い情愛を思うこと、寵愛を受けたいと思う感情を止めようということはできない。今生きることは、どのような事でも、あのお方のためにするものであり、それでも、寵愛を受けられないのは、最も強い断腸の思いだけはどうしようもないのである。

 

 

唐の女性観 貴族、高官の家の婦女

9-2 貴族の婦人

 彼女たちは富責と栄華が極まったばかりでなく、まさに「手を戻れば熱かる可し 勢い絶綸」であり、公主たちでさえを二分かた譲らざるを得なかった。各クラスの官僚が彼女たちの門下に出入し、へつらったり賄賂を送ったりして栄達を求めた。彼女たちが顔を出して頼み事をすると、役所は皇帝の詔勅のごとく見なして奔走し、不首尾に終わることをひたすら恐れた。一般の官僚で彼女たちに逆らおうとする人はいなかった。彼国夫人は章嗣立の宅地に目をつけると人を連れて行き、その家を有無を言わさずぶち壊し、章家にはただ十数畝の上地を補償しただけだった。

 この三夫人は一時に天下第一の貴婦人になったが、しかしすべては楊貴妃が天子の寵愛を得た御蔭によるものであった。だから、彼女たちの運命も楊貴妃の浮沈によってたやすく左右されたのである。安史の乱の時、馬鬼の兵変で楊貴妃は絞殺され、三人の夫人も避難の途中で先後して殺され、遺骨も残らない悲惨な末路となった。

 

 貴族の女性たちの中で、彼女たちほど豪勢で贅沢な生活をした人々は決して多くはないが、富貴で栄華を極め、金を湯水のごとく浪費するのは、貴族の女性に一般的なことだった。武則天の寵臣張易之の母阿蔵の家には七宝帳があり、その表面は各種の金銀珠玉で飾られていた。また彼女の家では象牙で床を作り、犀の角で筆を、紹の毛皮で柳を、こおろぎの羽で艶を、龍槃と鳳咽で席を、それぞれ作ったが、それらは当時の人々がいまだ見たこともないものだった(『朝野命載』巻三)。宰相王涯の娘は玉の銭を一つ買うために父親に十七万銭を求めた(銭易『南部新書』舌。貴族の女性たちの贅沢な生活の一端がうかがわれる。

 

 貴族の女性は衣食住の心配も家事の苦労もなかったので、年中歌舞音曲とお化粧とで暇をつぶした。

 「王家の少婦」(崔鎖)に「十五にして王昌に嫁し、盈盈と圃堂に入る(美しい姿で座敷に入る)。自ら衿る年の最も少きを、復た堺の郎(郎官)為るを倚む。舞いは愛す前鶏の縁(前銘曲の緑の装い)、歌は憐れむ 子夜の長きを(子夜歌の長い調べ)。閑来せて百草を闘わし、日を度るも汝を成さず(日がな一日お化粧もしない)」とあり、また「菩薩蛮」(温庭筒)に「瀬げに起きて蛾眉を両き、汝を弄んで槐洗すること遅し。花を照らす前後の鏡、花の面は交もに相映ず。新帖き誘羅の楼、双双の金の鶴鵠」とあり、さらにまた、「〔白〕楽天の春詞に和す」(劉瓜錫)に「新たに粉面を敗えて朱楼より下る、深く春の光を鎖して一院は愁う。中庭に行き到りて花栞を数えれば、蜻艇は飛んで上がる 玉の掻頭に」とある。 これらの詩詞は、貴族の女性の富貴にして優閑の様子を描いているが、しかしここには彼女たちのいくばくかの、空虚で無聊な生活もまた表現されているのである。

 彼女たちは豊かといえば豊か、地位が貴いといえば貴かったが、しかしその富貴と地位の大半は、男性の付属物たる身分によって獲得したものであった。彼女たちに富貴をもたらすことができたものは、逆にまた災難をもたらすこともできた。一家の男が一旦勢力を失うと、彼女たちも同様に付属物として巻き添えになった。そして一夜にして農婦、貧女にも及ばない官婢(国有の奴隷)となった。これが彼女たちの最も恐れたことである。厳武は剣南節度使となって相当好き勝手に振舞った。彼が死ぬとその母はむしろほっとして、フ』れからは官婢にならないですむ」といった(『新唐書』厳挺之附厳武伝)。唐代の官僚貴族の女性として、不幸な運命にめぐりあった典型的な人がいる。それは粛宗・代宗両時代の宰相で権臣となった元載の妻王報秀である。彼女が高官の娘として元載の妻となった頃、元載はまだ功名がなく王氏一族から軽視されていた。すると妻は化粧箱を売って金に換え夫に功名をあげるよう励まし、ついに元載は宰相にまで上った。彼女は実家の家族がかつて自分たち夫婦を軽視していたのを恨み、実家の家族と親戚の者が御祝いに来た時、あてつけに侍女に命じて邸内で虫干の用意をさせ、長さ三十丈の長縄四十本を邸内に張りめぐらし、そのすべてに色とりどりの錦紗銀糸の豪華な衣装をかけ、さらにまた金銀の香炉二十個を並べて衣装に香を蛙きこめた。それは第一に自らの富貴を見せびらかし、第二に親族のものを恥じ入らせるためであった。一方で王轍秀は見識のある女性であったから、夫の元載が権勢を掌中に収めた時、夫を戒めて「ご承知のように、栄耀栄華などは束の間のことです、稿り高ぶって人を辱しめてはなりません」と言った。しかし、元載はやはり終りを全うすることができず、最後は罪を得て死刑に処せられた。妻の王氏は法によって官婢にならねばならなかった。彼女は天を仰いで長嘆息し、わたしは「王家の(排行)十三番目の娘と生れ、二十年間節度使であった父の娘として暮らし、十六年間宰相の妻であった。長信宮や昭陽宮でのことを誰か書いてくれる人がいるなら、死んでも幸せなのだが」といい、宮中に婢として入ることを固く拒み、ただ死ぬことだけを求めた。後に彼女は赦免されたとも、また笞打ちの刑を受けて死んだともいわれる(『雲渓友廉』巻こ一)。彼女の生涯のめぐり合わせは、まさに貴族の女性たちが夫の貴賤栄辱の運命のままに翻弄され浮沈定まらない生活をおくったことを反映している。

 

 「栄耀栄華は束の間のことで長続きはしない」といつも恐れおののいていたほかに、貴族の婦人たちがそれこそ絶えず感じていたのは閑の孤独、夫の薄情に対する恨み、それに容色の衰え易さに対する嘆きであった。唐詩の中で百首に上る「閔怨」詩の大部分が、彼女たちのこの種の心情をよく表現している。たとえば、「閑の中の少婦(若妻) 愁いを知らず、春日 赦いを凝らして翠楼に上る。忽ち見る阻頭楊柳の色、悔ゆるは夫堺をして封侯を兌めしめしを」(王昌齢「閑怨」)、「妾は年四十にして糸は頭に満ち、郎は年五十にして公侯に封ぜらる。男児は全盛なれば日に旧きを忘れ、銀の昧 羽の帳は空しく〔風は〕鮑繩」(陳羽「古意」)などの詩。こうした心情は彼女たちがただ終日飽食し、何の心配もなく暮らしていたから生れたというだけではない。それよりも重要なのは、披女たちは下層の労働する女性たちに比べて独立した経済的能力が無かったため、男性に対する依存心が強く、また家庭の中でも地位が低かったために、夫の自分に対する感情に頼らざるを得なかったことによる。しかし、貴族の男たちは往々にしてたくさんの妻妾を持ち、あちこちで女色を漁ったので、おのずから彼女たちは一日中夫の薄情に苦悩し、家庭の中での自分の行く末を案じ、従って自分の容色の衰えを嘆く以外に為すすべがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

楊柳枝 八首

 

 

 

 

 

 

 

楊柳枝 八首其一
(昔、南斉錢唐の蘇小小の家の前の柳が生い茂るある春の日に、阮籍と出会いやっと春が訪れたと詠う。)

蘇小門前柳萬條,毵毵金線拂平橋。
南斉の錢唐の蘇小小の家の門前の土手の柳は、春の訪れに万条の枝がゆれる、細く長く垂れ下がる黄金色に輝く新芽のめぶいた柳の枝は、平橋を撫で払うように、また、風にゆれる。
黄鶯不語東風起,深閉朱門伴細腰。
高麗鶯が春風も吹きはじめたというのに、春の訪れを告げてはくれない、あのお方が来なければ春が来たことにならないのだろう、と思っていたら、そのひとはおとずれていて、正面の立派な朱塗りの南門を閉ざし、腰の細い嫋やかな女性を伴って、その家宅の奥深い所に入っていった。 
楊柳枝 (その一)
蘇小【そしょう】の門前 柳は萬條,
毵毵【さんさん】たる金線 平橋を拂ふ。
黄鶯【こうおう】語らず東風の起きるを,深く朱門に 閉ざして細腰を伴ふ。

 

楊柳枝 八首其二
(後宮の六宮にはそれぞれ妃嬪が毎夜の準備をして待つが、柳と楊が揺れあう季節には、それぞれ愁いに思う。同じように、興慶宮で待つ妃嬪は龍池に降る雨の音に胸を焦がして待っていると妃嬪たちのことを詠う。)

金縷毵毵碧瓦溝,六宮眉黛惹香愁。
柳の芽が芽吹き春がたけなわになろうとしている、細長い柳の枝に黄金色に輝く新芽がふさふさとして垂れ下がる、池溝の向うの宮殿の屋根瓦を楊の御殿の部屋それぞれに妃嬪たちは緑が蔽うように見える。柳と楊がゆれうごくが後宮の六宮の部屋には柳葉のまゆにまゆずみをきれいして香を焚いてそれぞれに待つのであるが、それぞれに愁いに思う。
晚來更帶龍池雨,半拂欄杆半入樓。
ここ興慶宮にも夕方になれば夜の化粧をしている妃嬪がいて、夜寝牀のための帯に着替えて待ち続け、竜池に雨が降るように涙をこぼしている。池に降る雨音に着物のすそを少しかかげて欄干をとおって庭に出たり入ったりして待っている。
(楊柳枝 その二)

金縷 毵毵として碧の瓦溝あり,六宮 眉黛 惹香して愁う。

晚來 更帶するも 龍池の雨,半拂い 欄杆 半ば樓に入る。

 

楊柳枝 八首其三
(大明宮には大池に水を導く渠溝、運河が張り巡らされていてその両岸に柳が植えられる。その枝葉が王滋池端の宮殿、朝方の鐘がなるころまで寵愛されている。妃嬪は朝、風に乗せて、送り出せば、風に乗せて復寵愛を受けることになる。妃嬪たちのことを詠う。)

禦柳如絲映九重,鳳凰窗映繡芙蓉。
大明宮には渠溝が幾重にもあり、その土手には柳が芽吹いている。柳の枝はまるで糸を操るようにもてあそび、金色に輝く若芽を九重に続く御門、春も盛り、柳は幾重にもかさねって映える。宮殿の梁に彫られた鳳凰が芙蓉の刺繍を差し込んだうす絹の窓辺に影を映している。
景陽樓畔千條路,一面新妝待曉風。
寵愛を受けた夜も、いつしか夜明けをつげる景陽楼の鐘がなりはじめる、宮殿の楼閣の側の幾筋もある川岸に柳並木の道の枝も揺れる、鏡に向い朝の化粧にととのえていると、暁の風はあのお方をおくり、また迎える待つ風がなる。(妃嬪はこの風邪だけを頼りに生きていく。)
(楊柳枝 八首の三)
絲の如く柳を禦して九重を映し,鳳凰 繡の芙蓉を窗に映す。
景陽 樓の畔 千條の路,新妝するに一たび面し曉の風するを待つ。

 

楊柳枝  八首其四
(妃嬪は宮殿で天子に贈る錦を織っている。再び寵愛されることを思い丹念に機織るその庭先に鶯が啼く。前秦才女蘇蕙の《迴文璿璣圖》詩を錦に織り上げたように思いは伝わらないが、そうして生きていくよりほかの道はないと詠う。)

織錦機邊鶯語頻,停梭垂淚憶征人。
宮殿であのお方に思いを込めて錦を織っている機の傍まで鶯が来て春を告げる泣き声を繰り返している。またこの春も寵愛を受けることが無いのは、辺塞地に送り出した征人に帰りを待つ女より悲しい、機織りの梭を停めて涙を流し、そしてまた、あのおかたの事を思う。
塞門三月猶蕭索,縱有垂楊未覺春。
あの人が行っている関所塞の春の三ケ月はこちらとは違って今なおはるはこなくてもの寂しい。たとえ、垂れ柳が葉が芽吹いてきて風に揺られても私にとっては、春の喜びを感じることはできない。

楊柳枝 (其の四)
錦を織るは機邊 鶯語【おうご】頻【ひん】なり,梭【さ】を停めて淚を垂す 征人を憶う。
塞門 三月 猶お蕭索し,縱【たと】い楊が垂れようとも 未だ春をえ覺ざる有り。

 

楊柳枝 八首八首其五
(春が訪れ、庭の蝋梅が咲き始め、鶯も泣くし、柳の枝も芽を吹き長く垂れる幸せな春が来る、妃嬪にも春が来ると信じていきるだけであると詠う。)

兩兩黃鸝色似色,裊枝啼露動芳音。
臘梅がこちらの枝に二つづついっぱいに、あっちに二つづつ枝を黄色にする、まるで黄色の高麗鶯が番でとまっているかのように色が映えている、番は風にそよぐ枝の上で一緒に揺れているし、啼いている、朝露がそれに合わせて落ちる、そんな庭先の動きに良い香りと啼き声とが調和している。。
春來幸自長如線,可惜牽纏蕩子心。
春が来るとすべての物たちが幸せを感じ、柳の枝は自然にその枝は細く長くなっていく、惜しむべきことはあのおかたとに寵愛を受けたいと願っているのに、若く美しい妃嬪に向かう浮気心はまるで巷でいう放蕩児とおなじではないか。

(楊柳枝八首その五)

兩に兩して黃鸝【こうり】の色 色に似る,裊枝【じょうし】啼露して芳音を動かす。
春來たれば幸にして自ら長く線の如し,惜む可くは牽纏【けんてん】蕩子の心。

楊柳枝 八首其六 
(後宮には、色白で透き通るような美女でさえ、寵愛を失い断腸の思いでいる。春の雪解け水を見るとまた思いを強くすると詠う。)その六

宜春苑外最長條,閑裊春風伴舞腰。
離宮の宜春苑の外 池端の柳の枝に若芽も最も長くなっている。春風はみやびでなよなよと枝にそよぐ、柳は静かに、妖艶に揺れ、妓優の細腰の舞い姿も伴って揺れる。
正是玉人腸處,一渠春水赤闌橋。
またまさに大明宮においても、白肌の透き通るような妃嬪が侘しいかはんしんのくるしいい思いをしているところである。その大明宮内の一番大きな龍首渠にも春の雪解け水で澄み切った流れの水嵩が上がっていて(白絹のすきとおった布団)、寵愛の時を思い出させる。また、この赤闌橋をわたってこられるのをゆめみることしかできないるのか。 

(楊柳枝 八首其の六)  
宜春【ぎしゅん】苑の外最も條を長くす,閒裊【かんじょう】春風  腰に舞うを伴う。
正【まさ】に是【こ】れ 玉人 腸斷の處,一つの渠【きょ】春水 赤闌【せきらん】の橋。


楊柳枝 八首其七
牆東禦路帝,須知春色柳絲黃。
長安城興慶宮を南内にはその東の土塀に囲まれた皇帝専用の道があるのです。そこではもう春の景色が柳の若い萌え色がいっぱいなので自然にわかるのです。
杏花未肯無情思,何事行人最斷腸?
杏の花が咲き盛春も過ぎようとしている宮女の慎み深い情愛を思うこと、片思いの感情を止めようと思うけれどそれもできず、役目で旅に出たあの人を思う気持ち、最も強い断腸の思いをどうしようもないのです。

(楊柳枝 八首其の七)
【なんだい】牆の東 禦路の帝,須らく春色知るべし、柳絲の黃を。
杏花 未だ肯えて情思するを無くするをなさず,何事か行人最も斷腸するも?

 


『楊柳枝八首其七』 現代語訳と訳註
(
本文) 

楊柳枝八首其七

牆東禦路帝,須知春色柳絲黃。
杏花未肯無情思,何事行人最斷腸?


(下し文)
(楊柳枝 八首其の七)

【なんだい】牆の東 禦路の帝,須らく春色知るべし、柳絲の黃を。

杏花 未だ肯えて情思するを無くするをなさず,何事か行人最も斷腸するも?


(現代語訳)
(春が来て、興慶宮に侍る妃賓も、曲江の離宮に侍る妃嬪も寵愛を受ける事だけを考えての準備をしているけれどどうしようもないのは、断腸の思いだけと詠う。)

南内は長安城興慶宮のことであり、その東の土塀に囲まれた皇帝専用の道があるように、寵愛を待つ妃嬪がいる。そこにも季節はうつり、もう春の景色が柳の若い萌え色がいっぱいに垂れて揺れている。
曲江芙蓉苑にも寵愛を待つ妃嬪がいる、そこの杏の花も咲きほこり、盛春も過ぎようとしているけれど、それでも妃嬪の慎み深い情愛を思うこと、寵愛を受けたいと思う感情を止めようということはできない。今生きることは、どのような事でも、あのお方のためにするものであり、それでも、寵愛を受けられないのは、最も強い断腸の思いだけはどうしようもないのである。


(訳注)
楊柳枝 八首其七

71.
 柳を詠う。連作八首のうちこれは第七首。

(春が来て、興慶宮に侍る妃賓も、曲江の離宮に侍る妃嬪も寵愛を受ける事だけを考えての準備をしているけれどどうしようもないのは、断腸の思いだけと詠う。)

【解説】

この詩も、後宮の妃嬪を宴席や、歌会、サロンのような場所で、想像を広げて差しさわりのない範囲で艶詞を詠ったもので、柳だから単純に別れというのではなく、柳腰、女性であれば細身の女の古詩の動きを言い、男性の表現であれば、相撲などの粘り腰を言い、性交渉を連想させるものである。

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花間集』 には二十四首所収(同調異名の「柳枝」九首を含む)。温庭第の作は八首収められている。単調二十八字、四句二平韻で、7⑦7⑦の詞形をとる。

牆東禦路帝 須知春色柳絲
杏花未肯無情思 何事行人最斷

 
 

基本的に填詞(宋詞)を採りあげている。七言絶句体の填詞は、填詞の発展といった系統樹でみれば幾つかある根の一になる。漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。白居易は古い曲名を借りて新たな曲を作った、そのことを宣言した詞。詩の形式は七言絶句体であるが、白居易が新たな曲調を附けたもの。柳を詠い込む唐の都・洛陽の民歌として作っている。やがて、詞牌として数えられる。七言絶句の形式をした例外的な填詞。

 

七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがある。それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なる。また、曲調も当然ながら異なりあっている。これら『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』の平仄上の差異についてはこちら。七言絶句体で、七言絶句とされないものに『竹枝詞』がある。

『楊柳枝』と前出『竹枝詞』との違いを強調してみれば、前者『楊柳枝』は、都・洛陽の民歌となるだけに優雅である。それに対して『竹枝詞』は、表現が直截である。巴渝(現・四川東部)の人情、風土を歌ったもので、鄙びた風情とともに露骨な情愛を謡っていることである。相似点は、どちらも典故や格調を気にせず、近体七言絶句よりも気楽に作られていることである。


牆東禦路帝,須知春色柳絲黃。
南内は長安城興慶宮のことであり、その東の土塀に囲まれた皇帝専用の道があるように、寵愛を待つ妃嬪がいる。そこにも季節はうつり、もう春の景色が柳の若い萌え色がいっぱいに垂れて揺れている。
72. 南 興慶宮のこと。興慶宮は長安城北にある「太極宮」、「大明宮」と区別するため、「南内」と呼ばれた。南北1.3キロメートル、東西1.1キロメートルあり、北側が宮殿、南側が庭園となっていた。南には、「竜池」という湖が存在し、船を浮かべることもあった。732年(開元20年)には、興慶宮と長安の東南隅にある曲江池の付近にある離宮「芙蓉園」、北部にある「大明宮」へとつなぐ皇帝専用の通路である「夾城」が完成している。「夾城」は、二重城壁で挟まれた通路であり、住民たちに知られることなく、皇帝たちが移動するためのものであった。


杏花未肯無情思,何事行人最斷腸?
曲江芙蓉苑にも寵愛を待つ妃嬪がいる、そこの杏の花も咲きほこり、盛春も過ぎようとしているけれど、それでも妃嬪の慎み深い情愛を思うこと、寵愛を受けたいと思う感情を止めようということはできない。今生きることは、どのような事でも、あのお方のためにするものであり、それでも、寵愛を受けられないのは、最も強い断腸の思いだけはどうしようもないのである。
73. 杏花 ウメ、スモモの近縁種であり、容易に交雑する。ただし、ウメの果実は完熟しても果肉に甘みを生じず、種と果肉が離れないのに対し、アンズは熟すと甘みが生じ、種と果肉が離れる(離核性)。またアーモンドの果肉は、薄いため食用にしない。耐寒性があり比較的涼しい地域で栽培されている。春(3月下旬から4月頃)に、桜よりもやや早く淡紅の花を咲かせ、初夏にウメによく似た実を付ける。美しいため花見の対象となることもある。自家受粉では品質の良い結実をしないために、他品種の混植が必要であり、時には人工授粉も行われる事がある。収穫期は6月下旬から7月中旬で、一つの品種は10日程度で収穫が終了する。『乙女のはにかみ』『慎み深さ』
74.
 杏園 
官吏登用試験(科挙)に合格した進士たちの祝宴会場。科挙に合格した進士には、曲江の池の畔(ほとり)の杏園で、祝宴を賜り、長安の街で園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。 ・杏園人:科挙に合格し、新たに進士となった人たちを指す。

長安曲江 杏園 進士の試験は秋にあり、翌年の春の花が咲き誇る時期に結果発表がある。官吏登用試験(科挙)に合格した進士には、後出・長安の曲江の池の畔(ほとり)にあった杏園で、祝宴を賜り、長安の街を園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。また、貴族は自邸自慢のボタンを庭を開放して鑑賞させ、合格者の無礼を許した。

75. 行人 妃賓を束ねる人。妃嬪のもとから去ってゆく人。ここでは天子をさす。

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