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巻7・巻8 孫光憲

花間集 訳注解説 (2)回目《孫光憲【字解集】-10河傳四首其一~四》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10292

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2)回目《孫光憲【字解集】-10河傳四首其一~四》

 

 

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花間集 訳注解説 (2)回目《孫光憲【字解集】-10河傳四首其一~四》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10292

 

 

 

 

花間集 巻七 《河傳四首》

 

 

 

巻七47  河傳四首其一      

平天子,等閑遊戲,疏河千里。柳如絲,隈倚淥波春水,長淮風不起。

如花殿三千女,爭雲雨,何處留人住?錦帆風,煙際紅,燒空,魂迷大業中。

 

巻七48  河傳四首其二      

拖金縷,着煙籠霧,濛濛落絮。鳳皇舟上楚女,妙舞,雷喧波上皷。

龍爭虎戰分中土,人無主,桃葉江南渡。襞花牋,豔思牽。成篇,官娥相與傳。

 

巻七49  河傳四首其三      

花落,煙薄,謝家池閣。寂寞春深,翠蛾輕斂意沉吟。

沾襟,無人知此心。玉鑪香斷霜灰冷,簾鋪影,梁鷰歸紅杏。

 

巻七50  河傳四首其四      

風颭,波斂。團荷閃閃,珠傾露點。木蘭舟上,何處娃越豔,藕花紅照臉。

大堤狂殺襄陽客,煙波隔,渺渺湖光白。身已歸,心不歸。斜暉,遠汀鸂鶒飛。

花蘂003 

 

 

 

孫光憲  字解集  《河傳四首

 

 

孫光憲【字解集】河傳四首其一

河傳四首其一

(天子次第で太平がある、寵愛を施すのも、施政に愛撫の心で行うのも、大河が流れていくことと同じであり、行楽、舟遊びを夜を徹して行うのも、天子の年中行事なのである。)

 

『花間集』 には孫光憲の作が四首収められている。河傳四首 其一は双調五十一字、前段二十六字七句二平韻五仄韻、後段二十六字六句四平韻五仄韻で、②❷❹❻❺③③②⑤の詞形をとる。

河傳四首 其一

,天,等閑遊,疏河千

柳如,隈倚淥波春,長淮風不

 “ / ”

如花殿三千,爭雲,何處留人

錦帆,煙際,燒,魂迷大業

●○  ○● ●○○△  △○○●

●△○  △△●○○● △○△△●

△○●●△○● ○○●  △●△○●

●△△  ○●○ △△  ○○●●△

 

太平,天子,等閑遊戲,疏河千里。

天下が太平であるのは、天子が、長閑に過ごし、厳かに遊び戯れ、そんなことは黄河が千里先まで流れて行くようなものだ。

   太平・天子 太平という世は天子次第である。天子の施政は大河のようにすることである。

   等閑 物事を軽くみて、いいかげんに扱うこと。なおざり。

   疏河千里 天の地から流れて来る大河、黄河の流れは千里先まで続く。川の流れは東にながれる。川の流れは低い方に流れてゆき千里先まで流れて行く、そうしたことは常識なのだ。

   疏河:天の地から流れて来る大河。湖沼や河川を水源として灌漑,給水,舟運のために,あるいは排水のために,新たに土地を切り開いて通水させることおよびその人工水路、大きな河川をいう。

 

柳如絲,隈倚淥波春水,長淮風不起

柳は枝を糸のように垂らし、淵には春の雪解けで増水が緑の澄み切って流れているころには、長江や淮河の大河には大風が起こることはない。

    淥波春水 増水して川の水嵩は上がっているが、雪解け水なので浸みきっていることをいう。

    長淮 中国四大河川の長江と淮河で、長江から運河を経て淮河に入る大河の廣い隆起をいう。

 

如花殿三千女,爭雲雨,何處留人住?

この花の御殿には三千人の宮女が仕えている。「朝雲暮雨」の寵愛を得ようと妃賓のあらそいがある、寵愛は誰なのか、どの御殿なのか、天子はどこにとどまっているのか。

   三千女 杜甫はかつて《観公孫大娘弟子舞剣器行井序》「先帝の侍女八千人」(「公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行」)と詠い、白居易もまた《長恨歌》」「後宮の佳麗三千人」と言った。これらは決して詩人の誇張ではなく、唐代の宮廷女性は、実際はこの数字をはるかに越えていた。唐の太宗の時、李百薬は上奏して「無用の宮人は、ややもすれば数万に達する」(『全唐文』巻一四二、李百薬「宮人を放つを請うの封事」)といった。『新唐書』の「官者伝」上に、「開元、天宝中、宮嬪はおおよそ四万に至る」と記されている。後者は唐代の宮廷女性の人数に関する最高の具体的な数字であり、まさに盛唐の風流天子玄宗皇帝時代のものである。宋代の人洪邁は、この時期は漢代以来、帝王の妃妾の数が最も多かった時代であるといっている(『容斎五筆』巻三「開元宮嬪」)。うまい具合に、この時期の女性の総人口は先に紹介した数字 - およそ二千六百余万であるから、四万余人とすれば、じつに全女性人口の六百分の一を占める。つまり、女性六百人ごとに一人が宮廷に入ったことになる。唐末になり、国土は荒れ、国勢は衰えたが、いぜんとして「六宮(後宮)の貴・賤の女性は一万人を減らない」(『資治通鑑』巻二七三、後唐の荘宗同光三年)という状態だった。この驚くべき数字の陰で、どのくらい多くの「曠夫怨女」(男やもめと未婚の老女)を造り出したことか計り知れない。唐末の詩人曹鄴が慨嘆して「天子 美女を好み、夫婦 双を成さず」(「捕漁謡」)と詠ったのも怪しむに足りない。

   爭雲雨 雲が男で女が雨で絡み合うというほどの意味だが、宋玉の「高唐の賦」宋玉『高唐賦』によると、楚の襄王と宋玉が雲夢の台に遊び、高唐の観を望んだところ、雲気(雲というよりも濃い水蒸気のガスに近いもの(か))があったので、宋玉は「朝雲」と言った。襄王がそのわけを尋ねると、宋玉は「昔者先王嘗游高唐,怠而晝寢,夢見一婦人…去而辭曰:妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨,朝朝暮暮,陽臺之下。」と答えた。「巫山之夢」。婉約の詩詞によく使われるが、千載不磨の契りといった感じのものではなく、もっと、気楽な契りをいう。

 

杜甫『水檻遣心二首』其の「蜀天常夜雨,江檻已朝晴。葉潤林塘密,衣幹枕席清。不堪支老病,何得尚浮名?淺把涓涓酒,深憑送此生。」楚の懐王が巫山の神女と夢のなかで交わった故事を連想させるが蜀では夜雨が降る。

李商隠『細 雨』「帷飄白玉堂、簟巻碧牙牀。楚女昔時意、蕭蕭髪彩涼。」(やわらかに風に翻るとばりは、白い玉の輝く堂を包んでいる。あるいは竹の敷物は、冷やかに碧く光る象牙の牀に拡げられている。巫山の神女はその身をささげたあの時の気持ちを秘めて今もいる、粛々と黒髪を一層色濃くし涼やかにしている。

 

錦帆風,煙際紅,燒空,魂迷大業中。

春から夏には、錦の帆柱に帆に風を受けて、舟遊びが、花霞のただようその際には紅い花が咲き、花の宴は夜まで続き、かがり火は空を染めていて、天子の魂は迷ってしまって誰を寵愛するのか、そうした中で、天子は天下国家の安寧のために心を掛けられるのである。

   錦帆風 宮中における舟遊びで錦の帆を張った船

   煙際紅 夕靄のただようその際には紅い牡丹の花が咲く。

   燒空 かがり火に赤く染まった空。

   大業中 大きな仕事をすること。天子の後宮での生活は、一般の者とはかけ離れたものであること、仙郷、天空の生活をしてこそ太平である呂氏、そうした中で、天下国家の大業がなされるとされた、つつましい生活は御法度であった。

 

 

三千女 の補足

宮廷は小社会であり、宮人の中にも身分の高下貴賎があり、また様々な等級があった。后妃たちに「内官」 の制度があったように、宮人たちには「宮官」 の制度があった。宮官と内官を比較してみると、品階の上で差があったばかりでなく、いくらかの本質的な区別があったようだ。つまり、内官は官と称したが身分上は妃嬪の身分に属すべきもの、つまり皇帝の妾でもあったが、宮官にそうした身分はなく、ただ宮中の各種の事務を司る職員にすぎなかった。当然、これはあくまで身分上のことに過ぎず、彼女たちと皇帝の実際の関係に何ら影響しないことは、ちょうど主人と家碑の関係と同じである。

 

宮官は宮人の最上層にある人々であり、後宮のさまざまな部局に属する職員であった。唐朝の後宮には六局(尚宮局、尚儀局、尚服局、尚食局、尚寝局、尚功局)があり、宮中のすべての事務を管理していた。六局の各首席女官の尚宮、尚儀、尚服、尚食、尚寝、尚功が六部の尚書(長官)になった。六局の下に二十四司を統括し、各司の女官はそれぞれ別に司記、司言、司簿、司闈、司籍、司楽、司賓、司賛、司宝、司衣、司飾、司使、司膳、司醞、司薬、司饎、司設、司輿、司苑、司灯、司制、司珍、司森、司計に分けられていた。またその他に二十四典、二十四掌、及び宮正、阿監、形史、女史など各級の女官もあった。これらの女官には品級・給与が与えられており、彼女たちは礼儀、人事、法規、財務、衣食住行(行は旅行、出張等の手配)などの宮廷事務を担当した(『旧唐書』職官志三)。

 

宮官は事務官であったから、必ずしも容貌とか、皇帝のお気に召すかどうかにこだわる必要はなく、良家の出身で才徳兼備の女性を選びさえすればよかった。著名な才女であった宋若昭は、徳宗によって宮中に召され宮官の首席尚宮に任命された。裳光延の母庫秋氏は婦徳の名が高く、武則天に召されて女官御正に封じられた(『新唐書』蓑行倹伝)。

六局の宮官の他に、宮中には内文学館があり、宮人の中の文学の教養ある者を選んで学士とし、妃嬪宮人に教養、読み書き、算術などを教育する仕事を担当させた。宋若昭は六宮の文学士をも兼ね、皇子、妃嬢、公主、鮒馬(公主の婿)などを教育したので、「宮師」とよばれた。宮人の廉女真は隷書をよくし、宮中の学士に任じられたこともあった(『全唐詩』巻五一九、李遠「廉女真の葬を観る」)。

唐末、李菌が一人の元宮人にあったところ、彼女は自らかつて「侍書家」であったと云った(孫光憲『北夢項言』巻九)。おそらく書に優れていたのでこの職に任命された宮人であったと思われる。

これら宮官の中のある者は晶級が高く、権勢があり、宮中で尊ばれたばかりか、はては外延の官僚さえも彼女たちに取り入って功名を図ろうとした。こうしたことにより、一部の宮人は外朝の政治に関与することもできたが、しかし、彼女たちの身分は所詮皇帝の家婦にすぎなかった。ある皇子の守り役が太宗(李世民)の弟野王に、「尚宮(宮官の長)の晶秩の高い者には、お会いになった際に拝礼をなさるべきです」と諭したところ、野王は「これはわが二番目の兄(李世民)の家稗ではないか。

何で拝する必要があるか?」と言った(『旧唐書』高祖二十二子伝)。この言葉は一語で宮官身分の何たるかを喝破している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孫光憲【字解集】河傳四首其二

河傳四首其二

1.(春の盛りに江南の画舟の遊びで官妓の美女は歌も踊りもその上詩を作るのもうまい、戦国には美女で争い、六朝では川を挟んで呼び合った、詞箋を作ったのも官妓だった、これによって次の世にも伝えられてゆくことであろう。)

2.『花間集』 には孫光憲の作が四首収められている。河傳四首 其一は双調五十一字、前段二十六字七句二平韻五仄韻、後段二十六字六句四平韻五仄韻で、②❷❹❻❺③③②⑤の詞形をとる。

河傳四首 其一

,天,等閑遊,疏河千

柳如,隈倚淥波春,長淮風不

 “ / ”

如花殿三千,爭雲,何處留人

錦帆,煙際,燒,魂迷大業

●○  ○● ●○○△  △○○●

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河傳四首其二。双調五十一字、前段二十六字六句五仄韻、後段二十六字六句五仄韻で、❷❷❹❼❷③③②⑤の詞形をとる。

,金,着煙籠,濛濛落

鳳皇舟上楚,妙,雷喧波上

 “ / ”  

龍爭虎戰分中,人無,桃葉江南

襞花,豔思。成,官娥相與

●△  ○● ?○△△  △△●●

●○○●●●  ●● ○○○●●

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●○○  ●△△ ○○  ○○△△△

 

柳拖,金縷,着煙籠霧,濛濛落絮。

柳の枝が土手を引き摺り、その枝は金色の紐を垂らす、夕靄はこの街を囲むように出てきて霧がそれをつつむ様に出てくる、そこにもうもうと柳絮が落ちて飛び交う。

3.     1(重いものを)ずるずる引っ張る,引きずる,引く機関車は15両の貨車を引っ張っている.

4.  細々と連なる糸筋。「一縷」細く、途切れずに続くさま。こまごまとしたさま。

5.  濛濛 霧・煙・ほこりなどが立ちこめるさま。心がぼんやりとしているさま。

6.    柳絮。

 

鳳皇舟上楚女,妙舞,雷喧波上皷。

鳳凰の絵が描かれた飾り画船は楚の国の美女を載せている、美女は華麗に舞う、それに合わせた様に波の上に音を立て、鼓の音は雷のように轟く。

7.   鳳皇 六朝時代から鳳凰の絵を描いている飾り船で風流に遊ぶのが江南では流行した。鳳凰は伝説上の霊鳥。鳳が雄,凰が雌。鳳皇とも書く。餌は竹の実で,梧桐の木にしか止まらぬとされる。殷墟卜辞に,風神として鳳の字が用いられ,天帝の使者だともされている。その字体から見て,孔雀のような鳥が鳳凰の原像となったのであろう。この殷の鳳凰と同じ特徴的な冠羽を持つ鳥が,殷末から西周期の青銅器の文様に見え,おそらくこれは,鳥形をとって祭祀の場に降臨する祖霊の観念と結びついていたのであろう。《書経》に,舜帝が天下を安定させると,音楽につれて祖霊とともに鳳凰がやってきたとあるのは,祖霊と祥瑞との二つの性格をあわせみせている。

8.   舟上 楚地方の画船。

9.   楚女 戦国時代、楚國の女。高唐賦にいう雨に化身した巫山の巫女を示す。ここでは楚地方の美女、妓女をいう

10. :鼓【コ】 中空の筒に皮を張ったもの。意味つづみ、太鼓、鼓を打つ、叩く、鳴らす、震わす、励ます、はかり、という意味がある。  この詩と同じ雰囲気を持っている詩は韋荘の『菩薩蠻 二』と同じ畫船による舟遊びを風流に詠う。

韋莊『菩薩蠻 二』

人人盡説江南好,遊人只合江南老。

春水碧於天,  畫船聽雨眠。

爐邊人似月,  皓腕凝雙雪。

未老莫還鄕,  還鄕須斷腸。

だれもかれも、江南はいいところだといいます。よそのくにへ遊びに出た人は、江南へいって年をとるまでくらすのが一ばんよいとおもっているのです。 

春は、雪解けの増水したながれは空の青さと一体化する。舟遊びの美しく彩られた船にのって、雨をききながら寄り添って眠ります。

酒爐のほとりには、お月さまを彷彿させる美人が居ます。その人の真白な腕から想像して、まるで雪がかたまったようなうつくしい体をしているのです。

一旦こういうところへ来たならば、年をとりたくはないし、まして故郷へ帰ることなど思いはしないのです。故郷などへ帰ったならば、この性的欲求不満を解決することが出来はしないことがわかるのです。

 

龍爭虎戰分中土,人無主,桃葉江南渡。

この光景は戦国時代の故事を筝曲に言うように「龍が爭い、虎が闘って天下を分ける」ようこの美女をわが手にしようとあらそう、しかしここには美女の主となる者はいない。それは王獻之の愛妾「桃葉」の詩のようにここ江南では、「桃葉よ桃葉、兎に角渡って来い」と美女にとに角この川を渡って来てくれればいいと言っている。

11.   龍爭虎戰 五代史平話˙梁史˙卷上: 龍爭虎戰幾春秋,五代梁唐晉漢周。 亦作 龍爭虎鬥 。形容鬥爭或競賽很激烈。同“龍爭虎鬥”。『例子』.

12.   桃葉 風流の達人の冠、王獻之の愛妾のために作った『桃葉復桃葉二首』「桃葉復桃葉,渡江不用楫。 但渡無所苦,我自迎接汝。」の金陵の桃葉渡は今に至るも艶称される。桃葉渡は又の名を南浦渡という,中国江蘇省南京市古地名。桃葉渡は是れ“十里の秦淮河にあり古渡し口のじょうりゅうにある。六朝の時代以降“金陵四十八景”の一つとして名勝となっている。

 

襞花牋,豔思牽。

ひだひだのスカートをゆらせて薛濤䇳にしたためて、魅力のある気持ちで引き付ける。

13.    襞 プリーツスカート。衣服や布地などにつけた細長い折り目。衣服のひだのように見えるもの。精神的なものについてもいう。「山の―」「心の―に触れる」キノコの傘の裏側にあるしわ。菌褶(きんしゅう

14.   花牋 薛濤䇳に詩をしたためる。

 

成篇,官娥相與傳。

その光景を目にすれば詩篇はできるものだし、この美女たちは官妓であり、世の人は共にこの詩を伝えてきたし、これからも伝えられていくだろう。

15.   官娥 官妓をいう。唐代の社会に充ちあふれ、一つの階層を形成していたのは、主に各級の官庁の楽籍に登録されていた大量の官妓である。もし、宮妓と教坊妓とを一般に芸人と見なすことができ、そしてまた家妓が姫妾・婦女と同類だとすれば、ここでとりあげる官妓だけが後世の娼妓と同じ性格をもっていた。いわゆる唐代の娼妓とは主にこの部類の人たちを指すのである。唐代は妓楽が盛んであり、「唐人は文を尚び、狎(芸妓遊び)を好む」(張端義『貴耳集』巻下)と評された。官庁の送迎、宴会典礼はもちろん、また官吏が集まって遊ぶ時にも、常に妓楽で雰囲気を盛りたてた。官吏が妓楼に泊り、娼妓と遊ぶ風潮はきわめて盛んであり、朝廷の法律もこれを決して禁止することはなかった。白居易は杭州の刺史(各州に置かれ地方官を監督した役職。太守とも呼ばれた)の任にあった時、日がな一日妓女を連れて遊んだ。それで後の宋代の人は、これを怪しみ、論難して「これによって当時の郡政(郡の政治)には暇が多く、吏議(官吏の議論)も甚だ寛やかだったことが分かる。もし今日だったら、必ず処罰の対象とされたであろう」(襲明之『中呉紀聞』)と書いている。官妓制度はまさにこの種の社会風潮と朝廷の放任のもとで、唐代に盛況を極めたのである。当時、長安と洛陽の両京に大量の官妓がいたばかりでなく、地方の大きな州、府にも官妓がいた。

唐時官員流連妓院風氣興盛,清人趙翼題《白香山集後》有描繪其時之詩曰:“風流太守愛魂銷,到處春翹有舊游;相見當時疏朝綱,尚無官吏宿娼條。”《舊唐書·白居易傳》載:「初,居易罷杭州,歸洛陽,于履道里得故散騎常侍楊憑宅,竹木池館,有林泉之致。家妓樊素、小蠻者,能歌善舞。

16.   それで「府娼」とか「郡娼」という言葉があった。揚州、成都のような繁華な大都会は、みな名妓が集中する場所であった。県の官庁についていえば、『旧唐書』 の「葦堅伝」 には、天宝の初め、霊宝県と隣県(河南省)の官府は両県の「官便の婦人」(官妓)を集めて得宝歌(玄宗が楊貴妃を得た時作られた曲。楽府の一つ)を唱わせ、玄宗皇帝に悦ばれたとあり、また李徳裕の『文武両朝献替記』 には、李が宰相になった時、「両県に命じてこれ以上娼妓を置かないようにさせる」という処置をとったことが記されている。県の官庁にも官妓が設けられていたことがわかる。

17.   相與傳 世の人は共にこの詩を伝えてきたし、これからも伝えられていくだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孫光憲【字解集】河傳四首其三

河傳四首其三

1.(少し前の春は、行楽、酒宴と、この離宮で華やかな日を過ごした、豪華な家にも、春も終るように寵愛は失われるとさびしいひびを過ごすよりない)

2.【解説】 晩春の孤閏の寂しさはあるものの、その地位にある名誉、矜持を持てる生活には変わりない。後段の冷たい灰となった香は、女主人公の心そのものであり、梁の巣に帰って来た燕は番で女主人公の孤独感を一層際立たせる働きをしている。それにも負けない女の強さが背景にあることを感じる詩である。

 

3.『花間集』 には孫光憲の作が四首収められている。河傳四首 其一は双調五十一字、前段二十六字七句二平韻五仄韻、後段二十六字六句四平韻五仄韻で、②❷❹❻❺③③②⑤の詞形をとる。

河傳四首 其一

,天,等閑遊,疏河千

柳如,隈倚淥波春,長淮風不

 “ / ”

如花殿三千,爭雲,何處留人

錦帆,煙際,燒,魂迷大業

●○  ○● ●○○△  △○○●

●△○  △△●○○● △○△△●

△○●●△○● ○○●  △●△○●

●△△  ○●○ △△  ○○●●△

河傳四首其二。双調五十一字、前段二十六字六句五仄韻、後段二十六字六句五仄韻で、❷❷❹❼❷③③②⑤の詞形をとる。

,金,着煙籠,濛濛落

鳳皇舟上楚,妙,雷喧波上

 “ / ”  

龍爭虎戰分中,人無,桃葉江南

襞花,豔思。成,官娥相與

●△  ○● ?○△△  △△●●

●○○●●●  ●● ○○○●●

○○●●△△● ○○●  ○●○○●

●○○  ●△△ ○○  ○○△△△

河傳四首 其三。双調五十一字、前段三十三字八句二平韻五仄韻、後段二十八字七句四平韻三仄韻で、❷❷❹❼②⑤/❼❸③③②⑤の詞形をとる。

河傳四首 其三

,煙,謝家池

寂寞春,翠蛾輕斂意沉

,無人知此

 “ / ”  

玉鑪香斷霜灰,簾鋪,梁鷰歸紅

晚來,空悄

,枕檀雲髻

○●  ○● ●○○●

●●○△ ●△△●●○△

△○ ○○○●○

●○○●○○△ ○△●  ○●○○●

●△○  △●○

○○  △○○●△

 

花落,煙薄,謝家池閣。

4.    咲き誇った花は散り、夕靄が淡くひろがる、「謝秋娘」は豪邸の池のほとりの故事のような離宮の楼閣にすごす。

5.    謝家 美女や妓女、あるいは愛妾の棲む家。唐の李徳祐が豪邸を築いて謝秋娘を池のほとりの楼閣に住まわせたことによる。比喩する相手が特定される場合は、晋の謝安であったり、謝靈運、謝朓を示す場合もある。ここでは離宮に配属された妃嬪と考えられる。

 

寂寞春深,翠蛾輕斂意沉吟。

寂寞とした中に春も深まり、色艶雙絶の美女は心配事が少しあるのか眉をひそめ、思いを小声で一人語をつぶやく。

6.  翠蛾 ここでは翠蛾に同じ。女性の美しい眉を言う。顧夐「酔公子二首其二」○斂袖翠蛾攢 泣きぬれた袖をたくし上げて、やっと化粧をやり直すことをいう。あきらめの境地をいう。

『醉公子二首』其二「岸柳垂金線,雨晴鶯百囀。家在綠楊邊,往來多少年。馬嘶芳草遠,高樓簾半捲。斂袖翠蛾攢,相逢爾許難。」13-338《醉公子二首 其一》顧太尉(顧夐【こけい】)五十五首Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-521-13-(338) 花間集 巻第七漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4152

7.   輕斂 こじわ。

8.  意沉吟 沉吟:1ためらい独り言を言う,低い声でつぶやく.2低い声で吟じる.

 

沾襟,無人知此心。

涙は襟を濡らすけれど、この心のうちを知る人はだれもいない。

 

玉鑪香斷霜灰冷,簾鋪影,梁鷰歸紅杏。

奇麗な宝飾の香炉には火も消えて灰だけが、もう近頃ずっと焚かれたこともなく冷ややかなままで、簾を下ろしたままで日影を映し、紅い杏の花の咲くなか梁の上にはまた燕が帰って来る。

9.  玉鑪 奇麗な宝飾の香炉、暖房器具の役割もあったから、訪れる人がいないことを言う。

10.   梁燕帰紅杏 燕は梁の巣に紅い杏の花咲く時節に帰って来た。杏は、晩春を意味する。

 

晚來天,空悄然。

行楽も酒宴もなく、春も終わる夕刻になるというのに、空虚、うち萎れてしまう。

11.  晩来天 宵闇迫る時分。

12.   空悄然 空しさのあまりに悄然とする。悄然:元気がなく、うちしおれているさま。しょんぼり。ひっそりと静かなさま。

 

孤眠,枕檀雲髻偏。

それからは独り寝るだけで、香木の枕に横になると雲型の髷は片側に傾いて、もう直すこともないのだ。

13.    枕檀 香木で作った枕。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孫光憲【字解集】河傳四首其四

河傳四首其四

1. (古くからある採蓮曲をうたう呉越の娘たちも、襄陽大堤曲をうたう女たちも男と一緒に暮らせば、そのままずっといっしょにいたいとおもう、離れがたく思うのは当然のことだ。)

2. 採蓮歌の季節を思い詠う。この歌は蓮の花を採り、そして後には蓮の実や菱のみを採る、若い女性が歌を唄いながら摘み取ってゆく、それを若い男たちが土手で眺めるという光景が浮かばれる。後宮では、どの大きな池の蓮を宮女たちが採蓮歌を歌って,踊るのである。それを見ながら、呉越戦争の西施をおっもい、襄陽の大堤曲

 

3. 『花間集』 には孫光憲の作が四首収められている。河傳四首 其一は双調五十一字、前段二十六字七句二平韻五仄韻、後段二十六字六句四平韻五仄韻で、②❷❹❻❺③③②⑤の詞形をとる。

河傳四首 其一

,天,等閑遊,疏河千

柳如,隈倚淥波春,長淮風不

 “ / ”

如花殿三千,爭雲,何處留人

錦帆,煙際,燒,魂迷大業

●○  ○● ●○○△  △○○●

●△○  △△●○○● △○△△●

△○●●△○● ○○●  △●△○●

●△△  ○●○ △△  ○○●●△

河傳四首其二。双調五十一字、前段二十六字六句五仄韻、後段二十六字六句五仄韻で、❷❷❹❼❷③③②⑤の詞形をとる。

,金,着煙籠,濛濛落

鳳皇舟上楚,妙,雷喧波上

 “ / ”  

龍爭虎戰分中,人無,桃葉江南

襞花,豔思。成,官娥相與

●△  ○● ?○△△  △△●●

●○○●●●  ●● ○○○●●

○○●●△△● ○○●  ○●○○●

●○○  ●△△ ○○  ○○△△△

河傳四首 其三。双調五十一字、前段三十三字八句二平韻五仄韻、後段二十八字七句四平韻三仄韻で、❷❷❹❼②⑤/❼❸③③②⑤の詞形をとる。

河傳四首 其三

,煙,謝家池

寂寞春,翠蛾輕斂意沉

,無人知此

 “ / ”  

玉鑪香斷霜灰,簾鋪,梁鷰歸紅

晚來,空悄

,枕檀雲髻

○●  ○● ●○○●

●●○△ ●△△●●○△

△○ ○○○●○

●○○●○○△ ○△●  ○●○○●

●△○  △●○

○○  △○○●△

双調五十一字、前段二十六字六句五仄韻、後段二十六字六句五仄韻で、❻❺❸❸❷❺の詞形をとる。

河傳四首其四

,波。團荷閃,珠傾露

木蘭舟上,何處娃越,藕花紅照

 “ / ”  

大堤狂殺襄陽,煙波,渺渺湖光

身已,心不。斜,遠汀鸂鶒

△●  ○● ○△●●  ○○●●

●○○●  △●○○●● ●○○●△

●△△●○○● ○○●  ●●○△●

○●○  ○△○ ○○  ●△○?○

 

風颭,波斂。

晩春のそよ風が水面を震わせ、浪も寄せてくる。

4.    颭 風が(ものを)ふるわせる. 

5. 【れん】引きしめ集める。取り入れる。「苛斂(かれん)・聚斂(しゅうれん)引きしまる。「収斂」死体を棺に収める。

 

 

團荷閃閃,珠傾露點。

丸い蓮の葉はせんせんと揺れると、葉に乗った水の玉は露と一緒になって転々と転ぶ。

6.   閃閃【せんせん】1 ひらひらと動くさま。2 きらきらと輝くさま。

7. 珠傾露點 葉に乗った水の玉は露と一緒になって転々と転ぶ。 

 

 

木蘭舟上,何處娃越豔,藕花紅照臉。

木蘭の花の様な美女は船の上で、何処に向おうというのか、呉の國で美女は越の国で艶めかしさをはってしたというけれど、やっぱり、この地方の女性は蓮根の花のような頬はあかく顔を照らしている。

8. 木蘭 木蓮科の漢名である「木蘭」の 音読み「もくらん」が 「もくれん」に変化。 漢名の「木蓮」は、 花が「蓮(はす)」に 似ている木、から。越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。

9. 吳娃越豔 呉の美女。越王勾践が、呉王夫差に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されたといわれている。まれな美しさをそなえた西施は、呉王 夫差を虜(とりこ)にした。夫差は、西施のために八景を築き、その中でともに遊んだ。それぞれの風景の中には、所々に、席がもうけられ、優雅な宴(うたげ)がもよおされた。夏には、西施とともに船を浮かべ、西施が水浴すると、呉王夫差は、その美しい肢体に見入った。こうして、夫差は悦楽の世界にひたり、政治も軍事も、そして民さえ忘れてしまい、傾国が始まったのである。 越の策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。越の女は、西施の真似をして街を歩き、越の女は美女が多いとされるゆえんであるといった。

10.  藕花紅照臉 蓮根の花のような頬はあかく顔を照らす

 

大堤狂殺襄陽客,煙波隔,渺渺湖光白。

襄陽の歓楽街の大堤には襄陽の街を訪れた旅人を歓楽にくるわせてしまうという。朝靄は漢水の波を隔てて広がり、水面には日差しがキラキラとして眩しい。

11. 大堤 嚢陽の東郊外にあり、行楽の土地。遊女が住んでいた。

 

『大堤曲』

漢水臨襄陽。花開大堤暖。

佳期大堤下。淚向南云滿。

春風無復情。吹我夢魂散。

不見眼中人。天長音信斷。

漢江の水は、襄陽のまちに沿って流れゆく。町はずれの大堤の色町は、花が満開、なにかと暖かくする。

この大堤の下で逢うことを約束したのに来てくれない、南の空の雲をみると、涙がすぐにもこみあげてくる。

春風も、わたしにはつれなく吹いて、慕情の夢を冷ましてしまう。

恋しいあの人の面影は、もう見えない。遠い空のかなた、あの人の便りも途絶えてしまった。

222 《(改訂版) 巻4-16 大堤曲》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-16 李白53大堤曲 <222> Ⅰ李白詩1458 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5838

・大堤曲 『楽府詩集』#48「清商曲辞、西曲歌」。襄陽歌から派生したものとされる。 ・襄陽 湖北省、漢江にのぞむ町。 

・大堤 ・漢水 襄陽の街を北西から、南東に廻るように流れている。大堤からすると南は下流の方角になり、江南からの人ということになる。あるいは、李白が色町の女性と別れた時に作ったのかもしれない。 ・佳期 男女の逢う約束。あいびきの時。・南雲 晋の陸機の「親(肉親)を憶う賦」に「南雲を指して、まごころを寄せ、帰風を望みて誠をいたす」とあり、故郷の肉親を思うと解釈されることが多いが、恋人を思う気持ちを詠っている。

 大堤で逢う約束を破られ、故郷の空へ向かって涙する女性というなら、最終句にもっていかないと理解できない。「いとしい人からの便りも途絶えた」を最終句にしているのは李白の心情だからと考えるほうが、自然体の纏まりがいい。

 

身已歸,心不歸。

ここの女は歳をとれば故郷に還されるが、大抵は好きな男と離れがたく心は帰ることが出来ない

12.    身已歸心不歸 体は故郷に帰ったとしても心はこの街に残してゆく。 

 

斜暉,遠汀鸂鶒飛。

だから、日差しが傾く頃になると、遠く港のみぎわにはつがいの鸂鶒が飛び立っていく。

13.  斜暉 日が傾く、夜の街に明かりがつき始める頃を言う。

14.  遠汀 大堤の町は水運を挟んであったようで、色町には小舟手渡っていったようだ。

15.   鸂鶒(オシドリに似た水鳥) 
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