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花間集 巻六・七 顧敻 五十五首 

花間集 訳注解説 (367)回目顧敻巻七26荷葉杯九首其五》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10047

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367)回目顧巻七26荷葉杯九首其五》

 

201825

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

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花間集 訳注解説 (313)回目和凝【字解集】11柳枝三首  12.漁父一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9639 (12/07)

 

 

 

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花間集 訳注解説 (367)回目顧巻七26荷葉杯九首其五》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10047

(寵愛を失っても、秋の夜、庭に出て、お越しを待ちわびる妃嬪の思いを詠う。)

秋の夜は長く、歌声が響き届くと待つ身には、怨みがこみあげ、咽び泣く、空には名残の月。

菊の花にうっすらと露に濡れ、冷ややかな夜がふける、居待ち月を見ていると夜露に濡れ金糸の縫い取りの衣は透けている。

帰って来い、きっとここに、帰ってくる。果たして帰って来るのか、きっと帰って来る。

 

 

 

 

花間集 全詩 訳注解説

荷葉杯九首      顧夐

 

 

《巻七22 荷葉杯九首其一》 

春盡小庭花落,寂寞。凭檻斂雙眉,忍教成病憶佳期。知摩知?知摩知?

《巻七23 荷葉杯九首其二》 

歌發誰家筵上,寥亮。別恨正悠悠,蘭釭背帳月當樓。愁摩愁,愁摩愁。

《巻七24 荷葉杯九首其三》 

弱柳好花盡拆,晴陌。陌上少年郎,滿身蘭麝撲人香。狂摩狂,狂摩狂。

《巻七25 荷葉杯九首其四》 

記得那時相見,膽戰。鬢亂四肢柔,泥人無語不擡頭。羞摩羞,羞摩羞。

《巻七26 荷葉杯九首其五》 

夜久歌聲怨咽,殘月。菊冷露微微,看看濕透縷金衣。歸摩歸,歸摩歸。

《巻七27 荷葉杯九首其六》 

我憶君詩最苦,知否。字字盡關心,紅牋寫寄表情深。吟摩吟,吟摩吟。

《巻七28 荷葉杯九首其七》 

金鴨香濃鴛被,枕膩。小髻簇花鈿,腰如細柳臉如蓮。憐摩憐,憐摩憐。

《巻七29 荷葉杯九首其八》 

曲砌蝶飛煙暖,春半。花發柳垂條,花如雙臉柳如腰。嬌摩嬌,嬌摩嬌。

《巻七30 荷葉杯九首其九》 

一去又乖期信,春盡。滿院長莓苔,手挼裙帶獨徘徊。來摩來,來摩來。

 

 

 

 《荷葉杯九首 其五》

 

 

訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ10040

 

 

 

5.

荷葉杯九首其一

(春には逢えると約束していたのに、花が散り落ちるように寵愛を失えばもう戻ることはない。しかし、自分の立場は認識したし、病気になっても耐えるしかないと諦める女、妃嬪を詠う)

春盡小庭花落,寂寞。

春が今終ろうとしている寝殿奥の庭の花は散りおちてしまった、ひっそりとした寂しさが漂う。花が落ちることは、寵愛を失うことは、もう元に戻らない。

凭檻斂雙眉,忍教成病憶佳期。

手摺にもたれかかり二つの眉をひそめている。こうして堪えることを教えられ、病気になろうともただあのお方との逢瀬の約束の日を楽しみに思うだけなのだ。

知摩知?知摩知?

現実を知り、此れを本当に知ったということなのか。此れでわかったということなのか本当にわかったのか。

(荷葉杯九首 其の一)

春盡く 小庭の花落つ,寂寞たり。

檻に凭【もた】れ 雙眉に斂じ,教を忍び 病を成し 佳期を憶う。

知らんや知らん?知らんや知らん?

 

荷葉杯九首其二

(いつかは寵愛を失うと覚悟はしていたが、妃嬪は愁うことしかできないと詠う)

歌發誰家筵上,寥亮。

歌う声が聞こえてくる、どこの御殿の宴筵席で歌を謡っているのか。澄んだ音色で響き渡ってくる。

別恨正悠悠,蘭釭背帳月當樓。

はっきりとお別れをしたわけではないが寵愛を失なえば恨んでばかり、まさにこころがはるか遠くに行ってしまった。御殿の閨には蘭型の燈火がともる、しかし、とばりを背にすわる、名月がこの高楼を照らす。

愁摩愁,愁摩愁。

思いが募れば愁えが増し、忘れようと思っても、やっぱり愁えているのか。また、愁えている、やっぱり愁えるのか。

(荷葉杯九首 其の二)

歌發すは 誰が家の筵の上に,寥亮。

別恨み 正に悠悠たり,蘭釭 帳を背にし 當樓に月る。

愁うや愁う,愁えんや愁う。

 

荷葉杯九首 其三

(春の行楽に美しい女たちが選ばれ、その家のボタンを自慢にして、庭先で酒宴が開かれる、都の貴公子に惚れてしまうと詠う)

弱柳好花盡拆,晴陌。

若い柳の細腰の女も選ばれ、艶やかな素敵なぼたんの花の様な女も選ばれるが、尽くした挙句、心は折られる。都大路は晴れやか。

陌上少年郎,滿身蘭麝撲人香。

都大路の貴公子の檀郎、体全身に蘭麝香の香り漂い、その香に女たちは心打たれてしまう。

狂摩狂,狂摩狂。

愛して狂っちゃいそうになるのではないか、もう狂ってしまった。もう狂ってしまったのではないか、キットどうにかなってしまった。

(荷葉杯九首 其の三)

弱【わか】い柳 好き花 拆り盡し,晴れたる陌。

陌上 少年の郎,滿身 蘭麝 人 香に撲【なげう】つ。

狂わんや狂わん,狂わんや狂わん。

 

荷葉杯九首其四

記得那時相見,膽戰。

鬢亂四肢柔,泥人無語不擡頭。

羞摩羞,羞摩羞。

(成人してすぐに後宮に入ったが、それがどんなことをいわれても寵愛を受けることに喜びを感じるようになり、逢瀬を過ごすことから離れることできないという女のこころを詠う。)

私の為に書いてくれた詩は、あの時のこと、そして、互にみつめあってから、互いの肝と肝を戦わせた。

髪をかき乱し、肢体を柔らかにして許したし、汗まみれになって疲れ果て、もう言葉にすることもできないほどになったし、もう、頭を持ち上げることもできない。

それは、愧ることか、恥でもいい、あれは、恥ることなのか、恥でもいい。

(其の四)

記 那の時 相い見るを得ん,膽戰。

鬢亂れるも 四肢柔らかなり,泥人となりて 語る無く 擡頭せざる。

羞らんや羞り,羞らんや羞る。

 

荷葉杯九首 其五

(寵愛を失っても、秋の夜、庭に出て、お越しを待ちわびる妃嬪の思いを詠う。)

夜久歌聲怨咽,殘月。

秋の夜は長く、歌声が響き届くと待つ身には、怨みがこみあげ、咽び泣く、空には名残の月。

菊冷露微微,看看濕透縷金衣。

菊の花にうっすらと露に濡れ、冷ややかな夜がふける、居待ち月を見ていると夜露に濡れ金糸の縫い取りの衣は透けている。

歸摩歸,歸摩歸。

帰って来い、きっとここに、帰ってくる。果たして帰って来るのか、きっと帰って来る。(荷葉杯九首 其の五)

夜 久しく 歌聲 怨み咽【むせ】び,殘【なご】り月。

菊 冷やかに 露 微微たり,看看たり 縷金の衣を濕し透す。

歸らんや歸らん,歸らんや歸らん。

 

 

『荷葉杯九首 其五』 現代語訳と訳註

(本文)

荷葉杯九首 其五

夜久歌聲怨咽,殘月。

菊冷露微微,看看濕透縷金衣。

歸摩歸,歸摩歸。

 

(下し文)

(荷葉杯九首 其の五)

夜 久しく 歌聲 怨み咽【むせ】び,殘【なご】り月。

菊 冷やかに 露 微微たり,看看たり 縷金の衣を濕し透す。

歸らんや歸らん,歸らんや歸らん。

 

(現代語訳)

(寵愛を失っても、秋の夜、庭に出て、お越しを待ちわびる妃嬪の思いを詠う。)

秋の夜は長く、歌声が響き届くと待つ身には、怨みがこみあげ、咽び泣く、空には名残の月。

菊の花にうっすらと露に濡れ、冷ややかな夜がふける、居待ち月を見ていると夜露に濡れ金糸の縫い取りの衣は透けている。

帰って来い、きっとここに、帰ってくる。果たして帰って来るのか、きっと帰って来る。

 

(訳注)

荷葉杯九首其五

1. (秋の夜、庭に出て男の帰りを待ちわびる女の思いを詠う。)

2.  花間集』には顧夐の作が九首収められている。双調二十六字、前段八字二句二仄韻、後段十二字四句四平韻で、❷/⑤⑦③③の詞形をとる。

唐以降の中国王朝における宮廷に仕える楽人や妓女たちに宮廷音楽を教習させるための機関をさす。楽曲や歌舞の習得を主な目的とするが、官妓にあたる妓女を統括する役割もあった。その後の王朝に引き継がれ、清代まで続いたが、雍正帝の時に廃止された。

 

3. 『花間集』には顧夐の作が九首収められている。単調二十六字、六句二仄韻、四平韻、❷⑤⑦③③の詞形をとる。

荷葉杯九首其一

春盡小庭花,寂

凭檻斂雙,忍教成病憶佳

知摩?知摩

○●●○○●  ●●

△●●○○  ●△○●●○○

○△○ ○△○

荷葉杯九首 其二

歌發誰家筵,寥

別恨正悠,蘭釭背帳月當

愁摩,愁摩

○●○○○●  △●

●●△○○  ○○●●●△○

○△○  ○△○

荷葉杯九首 其三

弱柳好花盡,晴

陌上少年,滿身蘭麝撲人

狂摩,狂摩

●●●○●●  ○●

●●●○○  ●○○●●○○

△△△  △△△

荷葉杯九首其四

記得那時相,膽

鬢亂四肢,泥人無語不擡

羞摩,羞摩

●●△○△●  ●●

●●●○○  △○○●△○○

○△○  ○△○

荷葉杯九首 其五

夜久歌聲怨,殘

菊冷露微,看看濕透縷金

歸摩,歸摩

●●○○△△  ○●

●△●○○  △△●●●○△

○△○  ○△○

 

夜久歌聲怨咽,殘月。

秋の夜は長く、歌声が響き届くと待つ身には、怨みがこみあげ、咽び泣く、空には名残の月。

5. ・殘月 寝待ち月(二十日ころの月)から下弦の月を過ぎてのつき。待ち侘びる名残の月のこと。夜明けの空に懸かる月。

 

菊冷露微微,看看濕透縷金衣。

菊の花にうっすらと露に濡れ、冷ややかな夜がふける、居待ち月を見ていると夜露に濡れ金糸の縫い取りの衣は透けている。

6. 綾金衣 金線衣に同じ。金糸の刺繍のある衣裳。

7. 残月・菊・露・濕 待ち侘びて明け方まで庭に出ていて夜露に濡れるということ。

 

歸摩歸,歸摩歸。

帰って来い、きっとここに、帰ってくる。果たして帰って来るのか、きっと帰って来る。

8. 帰摩帰、帰摩帰 摩は疑問を表す。〜かしら。

 

  

<詩における月について>

杜甫研究【月】について 3. 月の満ち欠けと名称 Ⅲ 紀頌之の漢詩ブログ9808

 

三五月 三かける五で十五。十五夜をいう。満月である。当時の鏡は円形であった。ここは月にもじって新月から満月になり名残月と進んでゆくことで時間の経過、使用頻度、私用する女子が若かったことから年増になっていくことを意味している。

 

初月 初月(はつづき、しょげつ)三日月。陰暦3日(ごろ)の、月で最初に見え始める月。特に、陰暦8月の初月。唐朝の中興も未だ力微に、群盗の勢いなお盛んなることを暗示する。杜甫は同谷を出発したのは11月の終わりで成都に着いたのは1220日を過ぎているはずである。したがってこの詩の「初月」はこの夜、昇った月ではない。秦州における杜甫の五言律詩『初月』「光細弦欲上,影斜輪未安。微升古塞外,已隱暮雲端。河漢不改色,關山空自寒。庭前有白露,暗滿菊花團。」秦州抒情詩(8)  初月 杜甫 <293>に“「八月三日の月」初月、三日月は、その光が細くこの日その弦形の尖端をうわむきにしている、しかしその影の部分は半円形の底辺のあたりはおちつかぬさまだ。三日月の影の部分が広がって満月になるエネルギー、そのことは自分の夢、希望を満たすことであり、それが自分とその家族の安寧、安定、おちつきにつながる輪、満月の満足までにはなっていない。”この『初月』に基づいている。

 

初月【はつづき】三日月。陰暦で月の初めに西の空に見える細い月。陰暦八月三日の月を指すこともあり、「秋」の季語でもある。 また、月と太陽の視黄経が等しくなるその時刻を指し、朔(さく)と言われることもある。新月 には美しい浄化のエネルギーに満ちあふれており、何かを始めるのには最適な時刻だと感じて作った作である。

また、陰暦8月の初月というのであれば、杜甫が秦州に来て間もないころの作となるし、あるいは9月の初旬の月であろうか。

 

十六夜いざよい

「十六夜」とは十五夜の次の日、つまり少し欠けた月、「咲夜」は書き換えれば「昨夜」となり、十六夜咲夜は満月を指していることになる。朔夜(新月)と捉えることもでき、時間を操れることをかけているのかもしれない。

 又、「十六夜」とは「いざよう(なかなか進まないという意味)」から来ており、こちらも能力に深く関係しているのではないかと思われる。2(猶予)進もうとして進まないこと。ためらい。躊躇(ちゅうちょ)

 

 

・殘月 寝待ち月(二十日ころの月)から下弦の月を過ぎてのつき。待ち侘びる名残の月のこと。夜明けの空に懸かる月。

 

 

音楽と歌舞 4分割(4

 

宮妓は芸術家であり、原則として芸は献じるが身は献じないということになっていたし、一般の宮人に比べれば高い礼遇を受けていたとはいえ、彼女たちも皇帝の慰み物にすぎず、その漁色の対象になった。玄宗の弟の申王は、冬になると宮妓たちに周囲をすき間なく囲ませて暖をとり、これを「妓圃」とよんだ。別の弟の岐王は寒い時妓女の懐に手を入れて暖をとった(『開元天宝達事』巻上)。こうした事例からみると、宮妓たちは芸人ではあったが、結局のところ娼妓との区別は、彼女たちが皇室専用の慰み物であるというにすぎない。

 

宮妓はまたしばしば皇帝の御下賜晶として大臣や貴族に与えられた。唐の各時代に、某人に「女楽」幾組を下賜するといった記録があるが、この 「女楽」とはよく訓練された宮中の楽妓のことである。宮妓たちはその半生を軽やかな音楽とあでやかな舞、笠・策などの笛や太鼓の中に費やし、そして少なからざる宮妓がその名を後世に残したのであるが、しかし生前の境遇はといえば、たいへん不幸なものであった。彼女たちはいったん年老いて容色が衰え、婚期を逸すると、宮中を退いてから嫁に行くのは容易でなく、また芸を売るのはさらに難しかった。それでひじょうに多くの宮妓が尼か女道士となって、孤独と貧寒の中で残生のけりをつけなければならなかった。たとえば、先に述べた宮廷の名妓粛煉師は寺観の中で一生を終えたし、有名な歌妓永新は当時皇帝から光栄ある寵愛をこうむっていたが、安史の乱の後、宮中を出て一人の読書人に付き従い、その読書人が死んだ後は母とともに長安に帰り、乱世の中で老いて死んだ(『楽府雑録』「歌」)。 
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