花間集 訳注解説 巻一31 (39)回目温庭筠 《楊柳枝八首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7796

温庭筠 《楊柳枝八首其二》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016129

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-020卷165_14 夷則格上白鳩拂舞辭(卷三(一)二六四)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7793

 

 

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少年行・白馬篇・白雲歌など【字解集】Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7799

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-16-#6 巻二 17-#6答張徹【案:愈為四門博士時作。張徹,愈門下士,又愈之從子婿。】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7794

 

 

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806年-16-#14 巻二 17-#14巻二 答張徹  【字解集】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7842

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

757年-39 寄薛三郎中璩 -#6 杜詩詳注(卷一八(四)一六二○)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7795

 

 

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757年-40 寄薛三郎中璩 -#7 【字解集】 杜詩詳注(卷一八(四)一六二○)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7801

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 巻一32 (40)回目温庭筠 《楊柳枝八首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7802 (12/09)

 

 

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花間集 巻一 (27)回目温庭筠 《更漏子六首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7724 (11/27)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-012-#3 古樂府詩六首其三隴西行 -#3〈無名〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7797

 

 

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玉集-01 古詩八首 【字解集】  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7731

 

 

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花間集 訳注解説 巻一31 (39)回目温庭筠 《楊柳枝八首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7796

(後宮の六宮にはそれぞれ妃嬪が毎夜の準備をして待つが、柳と楊が揺れあう季節には、それぞれ愁いに思う。同じように、興慶宮で待つ妃嬪は龍池に降る雨の音に胸を焦がして待っていると妃嬪たちのことを詠う。)

柳の芽が芽吹き春がたけなわになろうとしている、細長い柳の枝に黄金色に輝く新芽がふさふさとして垂れ下がる、池溝の向うの宮殿の屋根瓦を楊の御殿の部屋それぞれに妃嬪たちは緑が蔽うように見える。柳と楊がゆれうごくが後宮の六宮の部屋には柳葉のまゆにまゆずみをきれいして香を焚いてそれぞれに待つのであるが、それぞれに愁いに思う。ここ興慶宮にも夕方になれば夜の化粧をしている妃嬪がいて、夜寝牀のための帯に着替えて待ち続け、竜池に雨が降るように涙をこぼしている。池に降る雨音に着物のすそを少しかかげて欄干をとおって庭に出たり入ったりして待っている。

 

唐の女性観 5婚姻と礼法 

唐朝では、公主の婿を選ぶ時には妃を選ぶ時と同じように、特に家柄、出身を重んじたので、公主たちは必ず「華族を選ん」で結婚しなければならなかった。唐朝前期には「尚主(公主の夫)は皆貴戚(天子の親戚)、勲臣(功臣)のバらぺづいハる」(『資治通鑑』巻二三九、憲宗元和九年)のが普通であった。公主は皇室貴戚の家に嫁す例が最も多かったが、また皇室の外甥、つまり長公主(皇帝の姉妹)の息子に嫁すものもあった。当時の人は、皇帝の甥が公主の婿になるのは「国家のしきたり」といっており、こうしたことが最も一般的であったことがわかる。たとえば、太宗の娘の巴陵公主は叔母にあたる平陽公主の息子に嫁し、高宗の娘の太平公主は叔母にあたる城陽公主の息子に嫁し、玄宗の娘の臨晋公主は伯母にあたる代国公主の息子に嫁したというように。また、外戚に嫁した者もいる。たとえば、太宗の娘の長楽公主は母である長孫皇后の甥に嫁し、蘭陵公主は祖母賓太后の一族の男子に嫁し、太平公主は再婚、三婚したが、その相手はいずれも母親(武則天)武氏の一族の息子たちであり、中宗の娘の成安公主は章后の甥に嫁した。その次は勲功ある貴戚や名臣の子弟に嫁す例である。太宗の娘の清河公主は勲臣の程知節の息子に嫁し、臨川公主は勲臣の周範の息子に嫁し、襄陽公主は宰相蕭璃の息子に嫁し、高陽公主は宰相房玄齢の息子に嫁した。皇帝は自分の娘を重臣の家の嫁にやることを恩寵であるとか、龍絡の于段であるとか見なした。実際、娘が王妃となり息子が尚主となるのは貴顕の家の脊であった。郭子儀は「謝男尚公主表(息子が公主を尚るを謝す表)」(『全唐文』巻四四六)の中で、「臣は本来寒門の出身であり、勲臣の家柄でないことを愧じております。……陛下は特にこの賤族を受け入れ姻戚となすことをお許しくださいました。……臣は粉骨砕身しても御恩に報いたとは申せません」と感激した。ここには、自分の家柄が高くないことへの恥ずかしさもあれば、公主がわが家に嫁に来てくれたことに対する感激の気持も表れている。ところで公主の中で、ただ二人だけは例外であったようだ。それは高宗の蕭淑妃の二人の娘である。母親が武則天に罪をきせられ後宮に幽閉されたため、三十歳になっても嫁すことができずにいた。後、二人は宮中の衛士の嫁に降された。

 

 唐の中期以後も、公主たちは依然として貴戚功臣の家に嫁す者が少なくなかったが、しかし婿選びの基準にいささかの変化が生じた。その一つは、詩文に優れた人物を重んじ始めたことである。これはおそらく社会において文学を重んじる風潮が日に日に高まり、科挙の進士科合格者が次第に重んぜられたことによるだろう。憲京は権徳輿の娘婿となった翰林学士の独孤郁が優れた文才をもっていることを羨み、嘆息して「徳輿は独孤郁を婿に得たが、いやはや朕は徳輿に及ばないのか」と言った。そして帝は宰相に、公主の婿を公卿士大夫の子弟で、「文雅にして清貫(侍従等の文官)に居る者」の中から選ぶように命じた。しかし諸家の多くは公主の婿になることを願わず、杜佑の孫の杜悴に白羽の矢が立てられた。憲宗はたいへん喜び、長女の岐陽公主を彼の嫁に与えた(『資治通鑑』巻二三九、憲宗元和九年)。敬宗もまた毎年の科挙合格者の中から公主たちの婿を選ぶよう命じた。宣宗はとりわけ進士を重んじ、宰相に彼らの中から公主の婿を選ぶよう厳命した。

 

 第二の変化は名門貴顕を重んじることから、清廉な家柄で礼法を尊ぶ士族出身者を重んじるように変化したことである。躬示は徳宗、宣宗などの唐中期以後の皇帝たちが、山東士族の家風と礼法に非常な憧憬の念をもったことによる。憲宗は公主に命じて門閥の男子から婿を選ばせようとしたが、宣宗は一般士族の中から婿を選ばせ、愛娘の万寿公主を山東士族の進士鄭顔に、広徳公主を代々儒教の徳行で著名であった于踪に、それぞれ嫁がせた。

 その外、唐の中期以後、皇室は衰微し藩鎮の勢いが強くなったので、公主たちの結婚も政治に左右されることが以前より多くなり、少なからざる公主が藩鎮やその武将の子に嫁した。これは婿を選ぶ基準が変ったからではなく、政治情勢に迫られて皇帝が娘を犠牲にせざるを得なくなったことに原因がある。つまり、娘を嫁にやって藩鎖を旅絡し、彼らの忠誠と交換するためであったから、これら公主は時としてまさに人質そのものとなった。たとえば、代宗の娘の嘉誠公主は藩鎮の田緒に嫁し、新都公主は田華に嫁し、徳宗の娘の義章公主は藩将の張孝忠の子に嫁し、憲宗の娘の永昌公主は藩鎮の干頓に嫁した。公主たちの結婚の中で、以上の例は政治的取引が最も濃厚な例であり、また最も不幸な例でもあった。

 公主の夫となることは最高の栄誉であったが、しかしこの栄誉を受けようと願う人はいくらもいなかった。公卿の子弟、士族の家系はぴたすら恐れ避けようとし、甚だしい場合はこうした話に怨みをもつ者さえ出た。太平公主は蔀紹に嫁すことになったが、そのため藤家は大いに苦しみ悩んだ。そこで葬紹の兄は族長に教えを乞いに行った。族長は「慎んでおうけなさい」という外なかった。そしてまた嘆息して「恐ろしいことになったものだ」といった(『資治通鑑』巻二〇二、高宗開耀元年)。宣京が公主の婿を選ぼうとしたが、「衣冠(公卿大夫)は多くこれを避けた」(『旧唐書』于休烈附于踪伝)。そこである人が進士王徹を推薦したところ、王徹は「それを聞くと憂いが顔にあらわれ」、宰相に哀願してやっと逃れることができた(『旧唐書』王徽伝)。前出の山東士族の鄭頴はすでに同じ士族の盧氏の娘と結婚を準備していた。ところが白敏中の推薦によって公主の婿にさせられた。それで彼は白敏中を怨み、いつも皇帝のところで彼の悪口を言った。

 

 

 

 

楊柳枝 八首其一
(昔、南斉錢唐の蘇小小の家の前の柳が生い茂るある春の日に、阮籍と出会いやっと春が訪れたと詠う。)

蘇小門前柳萬條,毵毵金線拂平橋。
南斉の錢唐の蘇小小の家の門前の土手の柳は、春の訪れに万条の枝がゆれる、細く長く垂れ下がる黄金色に輝く新芽のめぶいた柳の枝は、平橋を撫で払うように、また、風にゆれる。
黄鶯不語東風起,深閉朱門伴細腰。
高麗鶯が春風も吹きはじめたというのに、春の訪れを告げてはくれない、あのお方が来なければ春が来たことにならないのだろう、と思っていたら、そのひとはおとずれていて、正面の立派な朱塗りの南門を閉ざし、腰の細い嫋やかな女性を伴って、その家宅の奥深い所に入っていった。 
楊柳枝 (之一)
蘇小【そしょう】の門前 柳は萬條,
毵毵【さんさん】たる金線 平橋を拂ふ。
黄鶯【こうおう】語らず東風の起きるを,深く朱門に 閉ざして細腰を伴ふ。

 

楊柳枝 八首其二
(後宮の六宮にはそれぞれ妃嬪が毎夜の準備をして待つが、柳と楊が揺れあう季節には、それぞれ愁いに思う。同じように、興慶宮で待つ妃嬪は龍池に降る雨の音に胸を焦がして待っていると妃嬪たちのことを詠う。)

金縷毵毵碧瓦溝,六宮眉黛惹香愁。
柳の芽が芽吹き春がたけなわになろうとしている、細長い柳の枝に黄金色に輝く新芽がふさふさとして垂れ下がる、池溝の向うの宮殿の屋根瓦を楊の御殿の部屋それぞれに妃嬪たちは緑が蔽うように見える。柳と楊がゆれうごくが後宮の六宮の部屋には柳葉のまゆにまゆずみをきれいして香を焚いてそれぞれに待つのであるが、それぞれに愁いに思う。
晚來更帶龍池雨,半拂欄杆半入樓。
ここ興慶宮にも夕方になれば夜の化粧をしている妃嬪がいて、夜寝牀のための帯に着替えて待ち続け、竜池に雨が降るように涙をこぼしている。池に降る雨音に着物のすそを少しかかげて欄干をとおって庭に出たり入ったりして待っている。
(楊柳枝 その二)
金縷 
毵毵として碧の瓦溝あり,六宮 眉黛 惹香して愁う。
晚來 更帶するも 龍池の雨,半拂い 欄杆 半ば樓に入る。

 


『楊柳枝』 八首其二 現代語訳と訳註
(
本文)  

金縷毵毵碧瓦溝,六宮眉黛惹香愁。
晚來更帶龍池雨,半拂欄杆半入樓。


(下し文)(楊柳枝 八首その二)
金縷 
毵毵として碧の瓦溝あり,六宮 眉黛 惹香して愁う。
晚來 更帶するも 龍池の雨,半拂い 欄杆 半ば樓に入る。

 

(現代語訳)
(後宮の六宮にはそれぞれ妃嬪が毎夜の準備をして待つが、柳と楊が揺れあう季節には、それぞれ愁いに思う。同じように、興慶宮で待つ妃嬪は龍池に降る雨の音に胸を焦がして待っていると妃嬪たちのことを詠う。)

柳の芽が芽吹き春がたけなわになろうとしている、細長い柳の枝に黄金色に輝く新芽がふさふさとして垂れ下がる、池溝の向うの宮殿の屋根瓦を楊の御殿の部屋それぞれに妃嬪たちは緑が蔽うように見える。柳と楊がゆれうごくが後宮の六宮の部屋には柳葉のまゆにまゆずみをきれいして香を焚いてそれぞれに待つのであるが、それぞれに愁いに思う。
ここ興慶宮にも夕方になれば夜の化粧をしている妃嬪がいて、夜寝牀のための帯に着替えて待ち続け、竜池に雨が降るように涙をこぼしている。池に降る雨音に着物のすそを少しかかげて欄干をとおって庭に出たり入ったりして待っている。
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(訳注)
17. 楊柳枝  八首其二
柳を詠う。連作八首のうち第二首。(後宮の六宮にはそれぞれ妃嬪が毎夜の準備をして待つが、柳と楊が揺れあう季節には、それぞれ愁いに思う。同じように、興慶宮で待つ妃嬪は龍池に降る雨の音に胸を焦がして待っていると妃嬪たちのことを詠う。)

 

楊柳は楊がおとこであり、柳は女性を示す、連作八首のうち第二首。この詩は、玄宗を想定して100人以上いた妃嬪たちの心情を詠ったものである。

・楊柳枝 《花間集、序》「楊柳大堤之句,樂府相傳。」(楊柳大堤の句、楽府 相い伝え、芙蓉曲渚の篇、豪家 自ら製す。)“古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。とある。

 

18. 【解説】

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花間集』 には二十四首所収(同調異名の「柳枝」九首を含む)。温庭第の作は八首収められている。単調二十八字、四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

金縷毵毵碧瓦  六宮眉黛惹香
晚來更帶龍池雨  半拂欄杆半入
  
  

 

基本的に填詞(宋詞)を採りあげている。七言絶句体の填詞は、填詞の発展といった系統樹でみれば幾つかある根の一になる。漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。白居易は古い曲名を借りて新たな曲を作った、そのことを宣言した詞。詩の形式は七言絶句体であるが、白居易が新たな曲調を附けたもの。柳を詠い込む唐の都・洛陽の民歌として作っている。やがて、詞牌として数えられる。七言絶句の形式をした例外的な填詞。

 

七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがある。それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なる。また、曲調も当然ながら異なりあっている。これら『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』の平仄上の差異についてはこちら。七言絶句体で、七言絶句とされないものに『竹枝詞』がある。

『楊柳枝』と前出『竹枝詞』との違いを強調してみれば、前者『楊柳枝』は、都・洛陽の民歌となるだけに優雅である。それに対して『竹枝詞』は、表現が直截である。巴渝(現・四川東部)の人情、風土を歌ったもので、鄙びた風情とともに露骨な情愛を謡っていることである。相似点は、どちらも典故や格調を気にせず、近体七言絶句よりも気楽に作られていることである。

花間集尊前集 『竹枝詞』二十四首

 作者   (花間集/尊前集)              (初句7字)

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其一         白帝城頭春草生

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其二         山桃紅花滿上頭

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其三         江上春來新雨晴

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其四         日出三竿春霧消

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其五         兩岸山花似雪開

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其六         瞿塘嘈嘈十二灘

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其七         巫峽蒼蒼煙雨時

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其八         城西門前艶預堆

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其九         楊柳靑靑江水平

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其十 楚水巴山江雨多

劉禹錫      尊前集  竹枝詞十一首其十一山上層層桃李花

白居易      尊前集  竹枝詞四首其一    瞿塘峽口水煙低

白居易      尊前集  竹枝詞四首其二    竹枝苦怨怨何人

白居易      尊前集  竹枝詞四首其三    巴東船舫上巴西

白居易      尊前集  竹枝詞四首其四    江畔誰家唱竹枝

皇甫松      尊前集  竹枝詞六首其一    檳榔花發竹枝鷓

皇甫松      尊前集  竹枝詞六首其二    木棉花盡竹枝茘

皇甫松      尊前集  竹枝詞六首其三    芙蓉並蔕竹枝一

皇甫松      尊前集  竹枝詞六首其四    筵中蝋燭竹枝涙

皇甫松      尊前集  竹枝詞六首其五    斜江風起竹枝動

皇甫松      尊前集  竹枝詞六首其六    山頭桃花竹枝谷

孫光憲      巻八    竹枝二首其一     門前春水竹枝白

孫光憲      巻八    竹枝二首其二     亂繩千結竹枝絆

 


金縷毵毵碧瓦溝,六宮眉黛惹香愁。
柳の芽が芽吹き春がたけなわになろうとしている、細長い柳の枝に黄金色に輝く新芽がふさふさとして垂れ下がる、池溝の向うの宮殿の屋根瓦を楊の御殿の部屋それぞれに妃嬪たちは緑が蔽うように見える。柳と楊がゆれうごくが後宮の六宮の部屋には柳葉のまゆにまゆずみをきれいして香を焚いてそれぞれに待つのであるが、それぞれに愁いに思う。
18. 縷 針金状の金の撚糸で綴り合わせる
19.
 
毵毵 毛や柳の枝が細長く垂れ下がるさま。毛の長いさま。毛の長くふさふさとしたさま。 
20.
 碧 あおい。みどり。あお。色があおい。あおみどり。無色の奥から浮き出すあおみどり色。
21.
 六宮 古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。後宮に東西六宮おくようになり、後宮の皇后と多くの妃嬪が住む宮殿を示す。後宮。


晚來更帶龍池雨,半拂欄杆半入樓。
ここ興慶宮にも夕方になれば夜の化粧をしている妃嬪がいて、夜寝牀のための帯に着替えて待ち続け、竜池に雨が降るように涙をこぼしている。池に降る雨音に着物のすそを少しかかげて欄干をとおって庭に出たり入ったりして待っている。
22. 更帶 夜のための帯に着替える。夜の時間帯がふけていく。
23.
 龍池雨 興慶宮龍池。興慶宮は長安城北にある「太極宮」、「大明宮」と区別するため、「南内」と呼ばれた。南北1.3キロメートル、東西1.1キロメートルあり、北側が宮殿、南側が庭園となっていた。南には、「竜池」という湖が存在し、船を浮かべることもあった。・24. 半拂 着物のすそをかかげる。
25.
 欄杆 橋・階段などの縁に、人が落ちるのを防ぎ、また装飾ともするために柵状に作り付けたもの。てすり。
26.
 半入樓 でたりはいったりすること。
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