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花間集 巻六・七 顧敻 五十五首 

花間集 訳注解説 (359)回目顧敻巻七19應天長》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9991

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 359)回目顧巻七19應天長》

 

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花間集 訳注解説 (359)回目顧巻七19應天長》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9991

(天子の寵愛はとこしえに続くものと誰もが認めるほど魅力を持った妃嬪であったが、当然の帰結として寵愛を失った、天の定めに従わざるを得ないことを詠う)

さらさらと衣擦れがする、金糸の縫い取りのある薄絹のスカート、その下に薄く透く絵模様の黄のズボンから芳しい香りがしてくる。

結んだ帯を垂らし、鸚鵡が寝牀にわだかまる、簪の翡翠の羽飾り揺らして思わせぶりに歩みを移す。 

今度は背を向けて口紅整え、ゆっくりすこし首をふって流し目にして見てくる。

眉を顰めて、色情を催しているものの、暗にもう許そうとしていたのに、それっきりになり、もう、屏風を壁に立てかけたまま、閨に過ごすも物憂さにして、話す人もいないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 巻六 顧  十八首

 

 

     巻七 顧 三十七首

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巻七16

楊柳枝

秋夜香閨思寂寥,漏迢迢。鴛幃羅幌麝煙銷,燭光搖。

正憶玉郎遊蕩去,無尋處。更聞簾外雨蕭蕭,滴芭蕉。

巻七17

遐方怨

簾影細,簟紋平。象紗籠玉指,縷金羅扇輕。

嫩紅雙臉似花明,兩條眉黛遠山橫。

風簫歇,鏡塵生。遼塞音書,夢魂長暗驚。

玉郎經負娉婷,教人爭不恨無情。

巻七18

獻衷心

繡鴛鴦帳暖,畫孔雀屏欹。

人悄悄,月明時,想昔年懽笑,恨今日分離。

銀釭背,銅漏永,阻佳期。

小樓煙細,虛閣簾垂。幾多心事,暗地思惟。

被嬌娥牽役,魂夢如癡。

金閨裡,山枕上,始應知。

巻七19

應天長

瑟瑟羅裙金線縷,輕透鵝黃香畫袴。

垂交帶,盤鸚鵡,裊裊翠翹移玉步。

背人勻檀炷,慢轉橫波覷。斂黛春情暗許,倚屏慵不語。

巻七20

訴衷情二首其一

香滅簾垂春漏永,整鴛衾。羅帶重,雙鳳,縷黃金。

外月光臨,沉沉。斷腸無處尋,負春心。

 

巻七21

訴衷情二首其二

永夜人何處去,來音。香閣掩,眉斂,月將沉。

怎忍不相尋?鴛孤衾。換我心為你心,始知相憶深。

 

 

 

 

花間集 教坊曲《巻七19應天長》

 

 

花間集 訳注解説

 

 

  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9991

 

 

 

應天長

(天子の寵愛はとこしえに続くものと誰もが認めるほど魅力を持った妃嬪であったが、当然の帰結として寵愛を失った、天の定めに従わざるを得ないことを詠う)

瑟瑟羅裙金線縷,輕透鵝黃香畫袴。

さらさらと衣擦れがする、金糸の縫い取りのある薄絹のスカート、その下に薄く透く絵模様の黄のズボンから芳しい香りがしてくる。

垂交帶,盤鸚鵡,裊裊翠翹移玉步。

結んだ帯を垂らし、鸚鵡が寝牀にわだかまる、簪の翡翠の羽飾り揺らして思わせぶりに歩みを移す。 

背人勻檀炷,慢轉橫波覷。

今度は背を向けて口紅整え、ゆっくりすこし首をふって流し目にして見てくる。

斂黛春情暗許,倚屏慵不語。

眉を顰めて、色情を催しているものの、暗にもう許そうとしていたのに、それっきりになり、もう、屏風を壁に立てかけたまま、閨に過ごすも物憂さにして、話す人もいないのだ。

(天長に應ず)

瑟瑟として羅裙 金の線縷あり,輕やかに鵝黃を透し 畫袴香し。

交帶を垂れ,鸚鵡 盤【わだかま】る,裊裊【じょうじょう】たる翠翹【すいぎょう】玉步を移す。

人に背け 檀を勻【ととの】え炷け,慢【ゆる】やかに橫波を轉じて 【ぬす】み覷る。

黛を斂め 春情 暗に許すも,屏を倚せて慵く語らず。

 

 

『應天長』 現代語訳と訳註

(本文)

應天長

瑟瑟羅裙金線縷,輕透鵝黃香畫袴。

垂交帶,盤鸚鵡,裊裊翠翹移玉步。

背人勻檀炷,慢轉橫波覷。

斂黛春情暗許,倚屏慵不語。

 

(下し文)

(應天長)

瑟瑟として羅裙 金の線縷あり,輕やかに鵝黃を透し 畫袴香し。

交帶を垂れ,鸚鵡 盤【わだかま】る,裊裊【じょうじょう】たる翠翹【すいぎょう】玉步を移す。

人に背け 檀を勻【ととの】え炷け,慢【ゆる】やかに橫波を轉じて 【ぬす】み覷る。

黛を斂め 春情 暗に許すも,屏を倚せて慵く語らず。

 

(現代語訳)

(天子の寵愛はとこしえに続くものと誰もが認めるほど魅力を持った妃嬪であったが、当然の帰結として寵愛を失った、天の定めに従わざるを得ないことを詠う)

さらさらと衣擦れがする、金糸の縫い取りのある薄絹のスカート、その下に薄く透く絵模様の黄のズボンから芳しい香りがしてくる。

結んだ帯を垂らし、鸚鵡が寝牀にわだかまる、簪の翡翠の羽飾り揺らして思わせぶりに歩みを移す。 

今度は背を向けて口紅整え、ゆっくりすこし首をふって流し目にして見てくる。

眉を顰めて、色情を催しているものの、暗にもう許そうとしていたのに、それっきりになり、もう、屏風を壁に立てかけたまま、閨に過ごすも物憂さにして、話す人もいないのだ。

 

(訳注)

應天長

1. (天子の寵愛はとこしえに続くものと誰もが認めるほど魅力を持った妃嬪であったが、当然の帰結として寵愛を失った、天の定めに従わざるを得ないことを詠う)

2. 【解説】 妃嬪は若くて魅力を振りまいて、寵愛を一手に受けていて、どんな男も妃嬪の色香に魅了された、歳を重ねると閨で誰とも話すこともなくなる妃嬪の一生を詠う。前段は、美しく着飾って、髪飾りを揺らしながら歩みを移す娘の姿について述べる。後段は、さらに魅力を増して、背を向けて口紅を整え、ゆっくりと流し目で様子を盗み見て、じらしながら、魅力を振りまいていた。いまでは屏風を壁に立てかけて使うこともなく、誰とも話すことがない。

韋莊

《巻二42應天長二首其一》 綠槐陰裡黃鶯語,深院無人春晝午。畫簾垂,金鳳舞,寂寞繡屏香一炷。碧天雲,無定處,空有夢魂來去。夜夜綠風雨,斷腸君信否。

韋莊

《巻二43應天長二首其二》 別來半音書,一寸離腸千萬結。難相見,易相別,又是玉樓花似雪。暗相思,無處,惆悵夜來烟月。想得此時情切,淚沾紅袖

牛嶠

《巻四09應天長二首其一》 玉樓春望晴煙滅,舞衫斜卷金調。黃鸝嬌囀聲初歇,杏花飄盡攏山雪。鳳釵低赴節,筵上王孫愁。鴛鴦對㘅羅結,兩情深夜月。

牛嶠

《巻四10應天長二首其二》 雙眉澹薄藏心事,清夜背燈嬌又醉。玉釵橫,山枕膩,寶帳鴛鴦春睡美。別經時,無恨意,虛道相思憔悴。莫信綵牋書裏,賺人腸斷字。

毛文錫

《巻五32應天長》 平江波暖鴛鴦語,兩兩釣舡歸極浦。蘆州一夜風和雨,飛起淺沙翹雪鷺。漁燈明遠渚,蘭棹今宵何處。羅袂從風輕舉,愁殺採蓮女。

顧夐

《巻七19應天長》 瑟瑟羅裙金線縷,輕透鵝黃香畫袴。垂交帶,盤鸚鵡,裊裊翠翹移玉步。背人勻檀炷,慢轉橫波覷。斂黛春情暗許,倚屏慵不語。

 

3. 花間集 教坊曲『應天長』 六首収められ、顧夐の作は一首収められている。双調四十九字、前段二十七字五句四仄韻、後段二十二字四句四仄韻で、❼❼3❸❼/❺❻6❺詞形をとる。

應天長

瑟瑟羅裙金線,輕透鵝黃香畫

垂交帶,盤鸚,裊裊翠翹移玉

背人勻檀,慢轉橫波

斂黛春情暗許,倚屏慵不

●●○○○●●  △●○○○●●

○○●  ○○● ??●△○●●

●○○○● ●●△○○●

●●○○●● △△○△●

 

瑟瑟羅裙金線縷,輕透鵝黃香畫袴。

さらさらと衣擦れがする、金糸の縫い取りのある薄絹のスカート、その下に薄く透く絵模様の黄のズボンから芳しい香りがしてくる。

4. 瑟瑟 【しつしつ】① 風が寂しく吹くさま。② 波の立つさま。瑟瑟座【しつしつざ】仏像の台座の一。スカートのすれ音の形容。なお、碧色の形容と解する説もある。

5. 鵝黃 淡黄色。

6. 袴 ズボン。

 

垂交帶,盤鸚鵡,裊裊翠翹移玉步。

結んだ帯を垂らし、鸚鵡が寝牀にわだかまる、簪の翡翠の羽飾り揺らして思わせぶりに歩みを移す。 

7. 交帯 結んだ帯。

8. 裊裊 揺れるさま。

9. 翠翹 簪の翡翠の羽飾り。

 

背人勻檀炷,慢轉橫波覷。

今度は背を向けて口紅整え、ゆっくりすこし首をふって流し目にして見てくる。

10. 勻檀炷 口紅をさして整える。檀は赤色。ここでは口紅のこと。

11. 慢轉橫波覷 ゆっくりと流し目をしてちらっと見る。

 

斂黛春情暗許,倚屏慵不語。

眉を顰めて、色情を催しているものの、暗にもう許そうとしていたのに、それっきりになり、もう、屏風を壁に立てかけたまま、閨に過ごすも物憂さにして、話す人もいないのだ。

12. 斂黛 眉を寄せる。

13. 春情 ① 春らしいようす。はるげしき。春色。  いろけ。春機。色情。

14. 暗許 何かの不都合なのか、あの時から寵愛を失った。それでもすべてを忘れ、許すから一度でもいいから愛されたいというほどの意。

15. 倚屏 年を取って、男性が寄り付かなくなった閨の様子をいう。屏風はベットの横に立てかけて個室のようにするためにある。その屏風を壁に倚りかけておいてあることはベットに一人寝することを意味する。この句が現実の今であり、此の句の前にあるすべての句は女が若くて魅力があった時の様子をいうのである。

 

 

 

 16.

彼女たちは皇帝の妻妾であり、錦衣を着て山海の珍味を食し、ひとたび呼ばわれば百人の下婦が答える、最も高貴にして最も権勢の高い人々であった。しかし、その運命は逆にまた最も不安定であり、いつでも天国から地獄に堕ち、甚だしい場合には「女禍」の罪名を負わされ犠牲の羊にされた。

 

唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

 

唐代三百年間に封ぜられた后妃のうち、皇后と地位が比較的高いか、あるいは男子を生んだ妃嬢だけが史書にいささかの痕跡を残した。その他の女性は消え去って名も知れない。『新・旧唐書』「后妃伝」 には、全部で二十六人の皇后、十人の妃嫁が記載されている。その他で史書に名を留めているものはおよそ五、六十人である。その内、高祖、玄宗両時代の人が最も多い。高祖には竇皇后の他に、万貴妃、ヂ徳妃、宇文昭儀、莫嬢、孫嬢、佳境、楊嬢、小楊嬢、張捷好、郭妊婦、劉捷好、楊美人、張美人、王才人、魯才人、張宝林、柳宝林などがいた。玄宗には王皇后、楊皇后、武恵妃、楊貴妃、趨麗妃、劉華妃、銭妃、皇甫徳儀、郭順儀、武賢儀、董芳儀、高娃好、柳娃好、鍾美人、慮美人、王美人、杜美人、劉才人、陳才人、鄭才人、闇才人、常才人などがいた。もちろん史書に名を残せなかった人はさらに多い。史書の記載から見ると、高祖、玄宗両時代の妃嫁がたしかに最も多かったようである。

 

唐代の皇帝たちは、後宮の女性を選抜したり寵愛したりするのに、あまり尊卑貴賎を気にかけなかったが、彼女たちに地位・品級を賜る時には家柄をたいへん重視した。とりわけ皇后に立てる時には絶対に家柄が高貴でなければならず、「天下の名族を厳選」しなければならなかった(『資治通鑑』巻一九九、高宗永徴六年)。漢代に歌妓の衛子夫(武帝の皇后。もと武帝の姉の歌妓)や舞妓の超飛燕(成帝の皇后。もと身なし児で歌妓)が皇后になったようなことは、唐代には完全に跡を絶った。后妃に封ずる時は、まず「地肖清華」(家柄の高貴)、「軒冤之族」(貴顕なる名族)等々の出身であることが強調され、その次にやっと徳行が問われた。

 

唐代の記録にある二十六人の皇后の内、死後追贈された人、あるいは息子の即位によって尊ばれて太后に封ぜられた人、こうした若干の例外を除く他の大多数の皇后は、その時代の高官か名門の家柄の出であり、そのうちの八人はやはり皇族の出身であった。時に皇帝が家柄などにそう拘泥しないこともあったが、しかし大臣たちが家柄を最も有力な理由にして反対したので、皇帝でさえどうすることもできなかった。

 

皇后を立てることに比べて、妃嬪を立てることはわりあい簡単であり、家柄はそれほど厳格に問題にされることはなかった。彼女たちの大半は皇子を生むか、あるいは寵愛を受けたために妃嬢の品階を賜った者であったから、その中には身分の低い者もいくらか含まれていた。たとえば、玄宗の超麗妃は歌妓の出身であった。そうした例もあるが、しかし妃賓でも出身、家柄はやはり大切であった。太宗の楊妃は隋の場帝の娘であったから、「地位と名望が高く、内外の人々が皆注目した」(『新唐書』太宗諸子伝)。玄宗の柳捷好は名門大族の娘であり、玄宗は「その名家を重んじて」(『新唐書』十一宗諸子伝)特別な礼遇を与えた。

美人が雲のごとく集まっている後宮において、家柄は一頭地を抜くために必要な第一の跳躍台であった。

 

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