花間集 訳注解説 巻一30 (38)回目温庭筠 《楊柳枝八首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7790

 温庭筠 《楊柳枝八首其一》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016128

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-019卷166_41 白鼻騧(卷六(一)四三八)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7787

 

 

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少年行・白馬篇・白雲歌など【字解集】Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7799

 

 

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

 

 

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-16-#5 巻二 17-#5答張徹【案:愈為四門博士時作。張徹,愈門下士,又愈之從子婿。】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7788

 

 

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806年-16-#14 巻二 17-#14巻二 答張徹  【字解集】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7842

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

757年-38 寄薛三郎中璩 -#5 杜詩詳注(卷一八(四)一六二○)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7789

 

 

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757年-40 寄薛三郎中璩 -#7 【字解集】 杜詩詳注(卷一八(四)一六二○)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7801

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

杜甫詩 全詩 総合案内 

 

 

 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 巻一30 (38)回目温庭筠 《楊柳枝八首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7790 (12/08)

 

 

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花間集 巻一 (27)回目温庭筠 《更漏子六首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7724 (11/27)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-012-#2 古樂府詩六首其三隴西行 -#2〈無名〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7791

 

 

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玉集-01 古詩八首 【字解集】  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7731

 

●薛濤の全詩

●花間集(1

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花間集 訳注解説 巻一30 (38)回目温庭筠 《楊柳枝八首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7790

(昔、南斉錢唐の蘇小小の家の前の柳が生い茂るある春の日に、阮籍と出会いやっと春が訪れたと詠う。)

南斉の錢唐の蘇小小の家の門前の土手の柳は、春の訪れに万条の枝がゆれる、細く長く垂れ下がる黄金色に輝く新芽のめぶいた柳の枝は、平橋を撫で払うように、また、風にゆれる。高麗鶯が春風も吹きはじめたというのに、春の訪れを告げてはくれない、あのお方が来なければ春が来たことにならないのだろう、と思っていたら、そのひとはおとずれていて、正面の立派な朱塗りの南門を閉ざし、腰の細い嫋やかな女性を伴って、その家宅の奥深い所に入っていった。 

唐の女性観

唐の女性観 

4生活と権勢 

 これ以後の公主たちの権勢はこれほど膨脹したことはなかったが、しかし贅沢の風潮はなお遍く行き渡っていた。玄宗の時代の公主たちは贅沢な料理を献上し、「一皿の料理が十戸分の中等の家の資産を越える」(鄭処海『明皇雑録』補遺)といわれるほどだった。徳宗の貞元年間、義陽、義章の両公主は、それぞれ墓地に百余間もある祠堂(先祖の霊を祭る堂)をつくり、銭数万梧(一紺は銅銭一千枚)を費やした(『旧唐書』李吉甫伝)。同じ時期、十一人の県主が同時に嫁に行ったが、それぞれ三百万銭を支給した。これにはまだ衣服、装身具の費用は入っていなかった。皇帝がこの費用を計算させたところ、花柄の装身具一旅だけで一人につき七十万銭であった。徳宗は、これは浪費に過ぎるといって三万に減額した。しかし残った六十余万銭もそれぞれ県主たちに与え嫁人り費用にしてしまった(『旧唐書』徳宗順宗諸子・珍王誠伝)。公主のうち、贅沢さで有名な人物としては、姑宗の愛娘同昌公主をあげねばならない。彼女の部屋の扉や窓はすべて珍宝で飾られており、井戸の囲い、薬を調合する臼、食器入れ、水槽、それに鍋、碗、ぴしゃく、盆などは金や銀で作られ、ザルや旅、箕は金を散りばめ、床は水晶、瑠璃で飾り、食器類は五色の玉器でつくられていた。さらにまた連珠帳(珠を連ねた帳)、却寒簾(防寒用カーテン)、鵡鵠枕(雄の羽でつくった枕)、鼎翠匝(ひすいの箱)、火蚕綿(四川の茂県産の良質綿)、九玉欽(九っの玉のっいた祷)、龍脳香【香料の】種)などの各国から献上された珍宝もあった。公主が家で食べる料理も珍味で貴族さえ知らないほどのものであったが、公主の方はそれを糟や糠のように粗末にした。一説によると、彼女の死後家中の器物を一緒に焼いたが、人々は争って灰の中から金銀珠玉を拾ったそうである。彼女の豪勢で贅沢な様は、人々から漢王朝以来のどの公主にもいまだなかったことだと噂された(蘇鴉『杜陽雑編』巻下、『太平広記』巻⊇二七)。

 

 公主たちの豪奢の風は一般的となり、また常に彼女たちは世間で不法、横暴を働いたので、代々の皇帝たちも常に頭痛の種と感じ、それを制限せざるをえなかった。文宗の時、帝は公主たちがあまりに華美で高価な装身具を身につけることを厳禁した。ある時、帝は宴会の席上で延安公主の衣

服の裾が広すぎるといって即座に追い返し、その夫に罰としてニカ月分の減俸を行った(『旧唐書』后妃伝下)。徳宗の娘の義陽公主はみだりに横暴な振舞をしたので、徳宗から宮中に監禁された。穆宗の娘の安康公主なども、宮廷の外で騒動を起こしたので、宮中に連れもどされて住まわされた。 花蕊夫人002

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲 『楊柳枝』二十四首

 

 

溫助教庭筠(温庭筠)

巻一

楊柳枝八首之一

館娃宮外鄴城西,

 

 

巻一

楊柳枝八首之二

宜春苑外最長條,

 

 

巻一

楊柳枝八首之三

金縷毿毿碧瓦溝,

 

 

巻一

楊柳枝八首之四

御柳如絲映九重,

 

 

巻一

楊柳枝八首之五

織錦機邊鶯語頻,

 

 

巻一

楊柳枝八首之六

蘇小門前柳萬條,

 

 

巻一

楊柳枝八首之七

牆東御路傍,

 

 

巻一

楊柳枝八首之八

兩兩黃鸝色似金,

 

 

皇甫先輩松(皇甫松)

巻二

楊柳枝二首其一

春入行宮映翠微

 

 

巻二

楊柳枝二首其二

爛熳春歸水國時

 

 

牛給事嶠(牛嶠)

巻三

柳枝五首其一

解凍風來末上青,

 

 

巻三

柳枝五首其二

橋北橋南千萬條,

 

 

巻三

柳枝五首其三

狂雪隨風撲馬飛,

 

 

巻三

柳枝五首其四

王宮裡色偏深,

 

 

巻三

柳枝五首其五

裊翠籠煙拂暖波,

 

 

張舍人泌(張泌)

巻四

柳枝一首

膩粉瓊粧透碧紗,

 

 

和學士凝(和凝)

巻六

柳枝三首  其一

軟碧瑤煙似送人,

 

 

巻六

柳枝三首  其二

瑟瑟羅裙金縷腰,

 

 

巻六

柳枝三首 其三

鵲橋初就咽銀河,

 

 

顧太尉(顧

巻七

楊柳枝一首 顧夐

秋夜香閨思寂寥,

 

 

孫少監光憲(孫光憲)

巻八

陽柳枝四首 其一

閶門風暖落花乾

 

 

巻八

陽柳枝四首 其二

有池有榭即濛濛,

 

 

巻八

楊柳枝四首其三

根柢雖然傍濁河,

 

 

巻八

楊柳枝四首其四

萬株枯槁怨亡隋,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 尊前集 『竹枝詞』二十四首               

 作者   (花間集/尊前集)                  (初句7字)

劉禹錫  尊前集  竹枝詞十一首其一         白帝城頭春草生

劉禹錫  尊前集  竹枝詞十一首其二         山桃紅花滿上頭

劉禹錫  尊前集  竹枝詞十一首其三         江上春來新雨晴

劉禹錫  尊前集  竹枝詞十一首其四         日出三竿春霧消

劉禹錫  尊前集  竹枝詞十一首其五         兩岸山花似雪開

劉禹錫  尊前集  竹枝詞十一首其六         瞿塘嘈嘈十二灘

劉禹錫  尊前集  竹枝詞十一首其七         巫峽蒼蒼煙雨時

劉禹錫  尊前集  竹枝詞十一首其八         城西門前艶預堆

劉禹錫  尊前集  竹枝詞十一首其九         楊柳靑靑江水平

劉禹錫  尊前集  竹枝詞十一首其十 楚水巴山江雨多

劉禹錫  尊前集  竹枝詞十一首其十一山上層層桃李花

白居易  尊前集  竹枝詞四首其一    瞿塘峽口水煙低

白居易  尊前集  竹枝詞四首其二    竹枝苦怨怨何人

白居易  尊前集  竹枝詞四首其三    巴東船舫上巴西

白居易  尊前集  竹枝詞四首其四    江畔誰家唱竹枝

皇甫松  尊前集  竹枝詞六首其一    檳榔花發竹枝鷓

皇甫松  尊前集  竹枝詞六首其二    木棉花盡竹枝茘

皇甫松  尊前集  竹枝詞六首其三    芙蓉並蔕竹枝一

皇甫松  尊前集  竹枝詞六首其四    筵中蝋燭竹枝涙

皇甫松  尊前集  竹枝詞六首其五    斜江風起竹枝動

皇甫松  尊前集  竹枝詞六首其六    山頭桃花竹枝谷

孫光憲  巻八    竹枝二首其一     門前春水竹枝白

孫光憲  巻八    竹枝二首其二     亂繩千結竹枝絆

 

芍薬001 

 

楊柳枝 八首之一
蘇小門前柳萬條,毵毵金線拂平橋。
不語東風起,深閉朱門伴舞腰。


楊柳枝 八首之二
金縷毵毵碧瓦溝,六宮眉黛惹香愁。
晚來更帶龍池雨,半拂欄杆半入樓。


楊柳枝 八首之三
禦柳如絲映九重,鳳凰窗映繡芙蓉。
景陽樓畔千條路,一面新妝待曉風。


楊柳枝 八首之四
織錦機邊語頻,停梭垂淚憶征人。
塞門三月猶蕭索,縱有垂楊未覺春。


楊柳枝 八首之五
兩兩黃色似色,枝啼露動芳音。
春來幸自長如線,可惜牽纏蕩子心


楊柳枝 八首之六
宜春苑外最長條,閑春風伴舞腰。
正是玉人腸處,一渠春水赤闌橋。


楊柳枝 八首之七
牆東禦路帝,須知春色柳絲黃。
杏花未肯無情思,何事行人最斷腸?


楊柳枝 八首之八
館娃宮外城西,遠映征帆近拂堤。
系得王孫歸意切,不關芳草綠萋萋。

 


楊柳枝 八首之一
(昔、南斉錢唐の蘇小小の家の前の柳が生い茂るある春の日に、阮籍と出会いやっと春が訪れたと詠う。

蘇小門前柳萬條,毵毵金線拂平橋。
南斉の錢唐の蘇小小の家の門前の土手の柳は、春の訪れに万条の枝がゆれる、細く長く垂れ下がる黄金色に輝く新芽のめぶいた柳の枝は、平橋を撫で払うように、また、風にゆれる。
黄鶯不語東風起,深閉朱門伴細腰。
高麗鶯が春風も吹きはじめたというのに、春の訪れを告げてはくれない、あのお方が来なければ春が来たことにならないのだろう、と思っていたら、そのひとはおとずれていて、正面の立派な朱塗りの南門を閉ざし、腰の細い嫋やかな女性を伴って、その家宅の奥深い所に入っていった。 
楊柳枝 (之一)
蘇小【そしょう】の門前 柳は萬條,
毵毵【さんさん】たる金線 平橋を拂ふ。
黄鶯【こうおう】語らず東風の起きるを,深く朱門に 閉ざして細腰を伴ふ。



『楊柳枝』 現代語訳と訳註 
(
本文)

楊柳枝 八首之一

蘇小門前柳萬條,毵毵金線拂平橋。
黄鶯不語東風起,深閉朱門伴細腰。


(下し文)
(楊柳枝 八首の一
蘇小【そしょう】の門前 柳は萬條,
毵毵【さんさん】たる金線 平橋を拂ふ。
黄鶯【こうおう】語らず東風の起きるを,深く朱門に 閉ざして細腰を伴ふ。


(現代語訳)
(昔、南斉錢唐の蘇小小の家の前の柳が生い茂るある春の日に、阮籍と出会いやっと春が訪れたと詠う。)

南斉の錢唐の蘇小小の家の門前の土手の柳は、春の訪れに万条の枝がゆれる、細く長く垂れ下がる黄金色に輝く新芽のめぶいた柳の枝は、平橋を撫で払うように、また、風にゆれる。
高麗鶯が春風も吹きはじめたというのに、春の訪れを告げてはくれない、あのお方が来なければ春が来たことにならないのだろう、と思っていたら、そのひとはおとずれていて、正面の立派な朱塗りの南門を閉ざし、腰の細い嫋やかな女性を伴って、その家宅の奥深い所に入っていった。 

(訳注)
1. 楊柳枝 八首之一
(昔、南斉錢唐の蘇小小の家の前の柳が生い茂るある春の日に、阮籍と出会いやっと春が訪れたと詠う。)

楊柳は楊がおとこであり、柳は女性を示す、この詩は、そしょうしょうとげんせきのであいを詠っったものである。連作八首のうち第一首。

・楊柳枝 《花間集、序》「楊柳大堤之句,樂府相傳。」(楊柳大堤の句、楽府 相い伝え、芙蓉曲渚の篇、豪家 自ら製す。)“古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。とある。

 

2. 【解説】

基本的に填詞(宋詞)を採りあげている。七言絶句体の填詞は、填詞の発展といった系統樹でみれば幾つかある根の一になる。漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。白居易は古い曲名を借りて新たな曲を作った、そのことを宣言した詞。詩の形式は七言絶句体であるが、白居易が新たな曲調を附けたもの。柳を詠い込む唐の都・洛陽の民歌として作っている。やがて、詞牌として数えられる。七言絶句の形式をした例外的な填詞。

 

七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがある。それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なる。また、曲調も当然ながら異なりあっている。これら『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』の平仄上の差異についてはこちら。七言絶句体で、七言絶句とされないものに『竹枝詞』がある。

『楊柳枝』と前出『竹枝詞』との違いを強調してみれば、前者『楊柳枝』は、都・洛陽の民歌となるだけに優雅である。それに対して『竹枝詞』は、表現が直截である。巴渝(現・四川東部)の人情、風土を歌ったもので、鄙びた風情とともに露骨な情愛を謡っていることである。相似点は、どちらも典故や格調を気にせず、近体七言絶句よりも気楽に作られていることである。

 

唐の教坊の曲名。単調と双調とがある。『花間集』 には二十四首所収(同調異名の「柳枝」九首を含む)。温庭第の作は八首収められている。単調二十八字、四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

蘇小門前柳萬  毵毵金線拂平
黄鶯不語東風起  深閉朱門伴細
  
  


蘇小門前柳萬條、毵毵金線拂平橋。
南斉の錢唐の蘇小小の家の門前の土手の柳は、春の訪れに万条の枝がゆれる、細く長く垂れ下がる黄金色に輝く新芽のめぶいた柳の枝は、平橋を撫で払うように、また、風にゆれる。
3. 蘇小 蘇小小のこと。南斉時代の官妓。錢唐・蘇小蘇小小の作品は『玉臺新詠』に残されている。
『歌一首』(別名として『蘇小小歌』『西陵歌』がある。)
妾乘油壁車,郞乘靑驄馬。
何處結同心?西陵松柏下。
 というのがそれになる。南斉(南齊)時代、謝朓と同時期、銭塘の名妓。才色兼備の誉れが高かった。現・浙江省杭州市、「銭塘」のこと。唐代に「唐」字を避けて「錢唐」を「銭塘」とした。蘇家には女の子蘇小小ひとりしかおらず、両親から非常に可愛がられていた。体が弱々しくて小さいので、小小という名前を付けられた。蘇小小が十五歳の時、両親が亡くなった。仕方なく財産を換金して、乳母賈氏と一緒に城の西にある西冷橋のほとりに引越した。蘇小小と橋、柳、細腰によって表現される。それは、白楽天、杜牧、羅隱も詩の中に詠う。

楊柳枝001


蘇小小について

白居易 『楊柳枝』其五
蘇州楊柳任君誇,更有錢塘勝館娃。
若解多情尋小小,綠楊深處是蘇家。
白居易 『楊柳枝』其六
蘇家小女舊知名,楊柳風前別有情。
剥條盤作銀環樣,卷葉吹爲玉笛聲。
白居易 『餘杭形勝』
餘杭形勝四方無,州傍靑山縣枕湖。
遶郭荷花三十里,拂城松樹一千株。
夢兒亭古傳名謝,敎妓樓新道姓蘇
獨有使君年太老,風光不稱白髭鬚。
杜牧 『自宣城赴官上京』
瀟灑江湖十過秋,酒杯無日不淹留。
謝公城畔溪驚夢,蘇小門前柳拂頭
千里雲山何處好,幾人襟韻一生休。
塵冠挂卻知閒事,終擬蹉訪舊遊。
五代・梁・羅隱 『江南行』
江煙雨蛟軟,漠漠小山眉黛淺。
水國多愁又有情,夜槽壓酒銀船滿。
細絲搖柳凝曉空,呉王臺春夢中。
鴛鴦喚不起,平鋪綠水眠東風。
西陵路邊月悄悄,油碧輕車蘇小小
牛嬌 『楊柳枝』
呉王宮裏色偏深,一簇纖條萬縷金。
不憤錢塘蘇小小,引郎松下結同心。

と、多くの作品が作られている。現在、杭州西湖畔(西北)に墳墓 がある。
4.
 柳萬條 極めてたくさんの枝の本数。万朶。
毵毵 毛や柳の枝が細長く垂れ下がるさま。毛の長いさま。毛の長くふさふさとしたさま。 
5.
 金線 新芽が金色に輝いているシダレヤナギの枝のこと。 
6.
 平橋 平らな橋。写真のようになっていない橋。
靈江浮橋という橋が南宋淳熙年間に建設されている,当初の名前は“中津橋”と称していた。浙江省臨海縣南門城外の靈江の上にかけられている。現存に於ける最古の橋といわれる河北省趙縣交河の上にかけられている

趙州橋(隋,原名安濟橋)写真

黄鶯不語東風起、深閉朱門伴細腰。
高麗鶯が春風も吹きはじめたというのに、春の訪れを告げてはくれない、あのお方が来なければ春が来たことにならないのだろう、と思っていたら、そのひとはおとずれていて、正面の立派な朱塗りの南門を閉ざし、腰の細い嫋やかな女性を伴って、その家宅の奥深い所に入っていった。 
7. 黄鶯 ウグイス。 

送李億東歸 溫庭筠

黃山遠隔秦樹,紫禁斜通渭城。

別路青青柳弱,前溪漠漠苔生。

和風澹蕩歸客,落月殷勤早鶯。

灞上金樽未飲,宴歌已有餘聲。

8. 不語 話さない。春を告げないままでいる。 

9. 東風 春風。 
10.
 起 (吹き)始める。
11.
 深閉 奥深く閉ざす。尋ねた人が出てこないことを云う。 
12.
 朱門 赤い色で塗られた立派な門。赤い門は南向きの門であり、夏をあらわす。
13.
 伴 連れ立つ。一緒にいる。ともなう。 蘇小々のところで春になる前から夏になろうというまでいつづけるということ。
14.
 細腰 腰の細いたおやかな女性であり、女性に擬せられる柳の表現でもある。女性の細い腰。楚の霊王が細い腰を好んだという。『漢書・馬寥傳』の「呉王好劍客,百姓多瘡瘢。楚王好
細腰,宮中多餓死。」、『荀子・君道』「楚莊王好細腰,故朝有餓人。」や『韓非子』「越王好勇,而民多輕死。楚靈王好細腰,而國中多餓人。」「楚の霊王は細腰を好み、国中餓する人多し」。
『南歌子』(六)
轉盼如波眼,娉婷似
柳腰
花裏暗相招,憶君腸欲斷,恨春宵。
15.
 細腰宮:(春秋)楚の宮殿。『漢書・馬寥伝』の「呉王好劍客,百姓多瘡瘢。楚王好細腰,宮中多餓死。」からきている。
在位BC614~BC591。楚の穆王(商臣)の子。即位して三年の間、無為に過ごし、奢侈をきわめ、諫める者は死罪にすると触れを出した。激やせした状態の女性を好み、宮女たちは痩せるため、食を減らし、絶食する者もいた。そのため多くの宮女、侍女たちに餓死者が出た。皇帝のわがままによる宮女たちの悲惨な出来事をとらえている。

李商隱 『聞歌』 
斂笑凝眸意欲歌,高雲不動碧嵯峨。
銅臺罷望歸何處,玉輦忘還事幾多。
靑冢路邊南雁盡,
細腰宮裏北人過。
此聲腸斷非今日,香
燈光奈爾何。

 

16. 蘇小小ものがたり

蘇小小の先祖は、六朝東晋の官吏であったが、後に、蘇家は銭塘に移り、先祖から受け継いだ財産で商売し、裕福な商人となった。蘇家に女子があり、蘇小小といった。両親は非常に可愛いがる。ただ、体が弱々しくて小さいので、小小と名付けた。蘇小小が十五歳の時、両親が亡くなり、仕方なく財産を換金して、乳母賈氏と一緒に城の西にある西冷橋のほとりに引越をした。

松柏の林の中にある小さな別荘に住み、美しい自然の中で楽しく日々を送っていた。少年たちは彼女の美しさに心を惹かれ、いつも彼女の馬車の周りにたむろしていた。両親からの束縛もなく、蘇小小は文人たちとの付き合いを楽しみ、自宅ではいつも詩の会を開いたりしていた。家の前は、いつも馬車や人で賑わい、蘇小小は銭塘の名妓となった。

 

ある日、蘇小小が外で遊んでいた時、一人のハンサムな青年・阮籍と出会った。二人は互いに一目惚れし、阮籍は蘇小小の家を訪ね、その夜、彼女と一夜を明かした。その後二人は、一刻も離れることがなかった。毎日、景勝地に遊んで過ごした。しかし阮籍の父は、息子が銭塘の名妓といい加減に過ごしているという話を聞いて大いに腹立ち、彼を無理に巡業に帰らせた。蘇小小は、毎日愛人の帰りを待ったが、阮籍が戻ってくることはなかった。結局、蘇小小は病気で倒れてしまった。幸い蘇小小は、かたくなな性格の人ではなかった。また他の魅力的な若者が訪ねて来たこともあって、だんだん元のにぎやかな生活に戻った。

 

ある晴れた秋の日、湖のほとりで、彼女は阮籍と大変よく似た男性に出会った。身なりが質素で、表情はと見れば、すっかり気落ちしている。名を尋ねてみると鮑仁という。科挙の試験を受けるため都に赴こうとしたが、旅費が足りなくなったらしい。蘇小小は、この人が気位の高い人であり、必ず受かると思って鮑仁に旅費を与えた。鮑仁は大いに感動し再び大望雄志を胸に都に向かった。

当時、上江観察使の孟浪は、公用で銭塘に来ていた。官吏である身分で蘇小小の家を訪ねるのは不便なので、自宅に蘇小小を招待しようと何度も誘った結果、やっと彼女を迎えることができた。孟浪は意地悪をしようとして、庭の一本の梅を指し彼女に詩を吟じさせた。蘇小小はゆっくりと「梅花虫傲骨、怎敢敵春寒?若更分紅白、環須青眼看!」と吟じた。孟浪は敬服した。

古橋001
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