花間集 訳注解説 巻一28 (36)回目温庭筠 《定西番三首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7778
温庭筠 《定西番三首其二》
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| 2016年12月6日 | の紀頌之5つの校注Blog | | |||||
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花間集 訳注解説 巻一28 (36)回目温庭筠 《定西番三首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7778
(寵愛を失った妃嬪が春景色を見て、万物に春の様相が見える、自分の身分もあるどんなことがあっても、身支度を整えておかなければと装う、それは仲秋の名月の時期になっても寵愛を受ける事は無く、西にかたむく明月を小窓にながめると詠う)
春が来たから、海ツバメは翅を整えて飛ぼうとしているし、勿忘草だって緑の葉を茂らせ、杏の花は赤く咲いている。この宮殿いる妃嬪は、春の日も簾をかかげはするけれど籠の中の鳥のように過すしかない。寵愛を失ったとはいえ、それでも、左右の鬢には翡翠の髪飾りをつけ、金の細糸を髪に梳きこんで飾っている。やっぱり、選抜されて後宮に入られたお方であるから、さすが杏の花の一枝がとりわけ、春めき艶めかしさを色濃くしているようだ。秋になり、高楼の上に仲秋の名月が明るく照らし、夜も更けてきて杏の花を照らしているけれど、妃嬪は横になり小さな高窓に映る傾きかけた満月を眺めるだけなのだ。
唐の女性観
「封爵」と「食実封」の制度(2)
玄宗の時代、公主たちの封戸がぴじ太うに多かったので、それを削減して長公主等は一千戸、公主は五百戸を限度にした。また与えられる封戸は壮丁(税を負担する成年男子)が一家に三人以内の戸とした(なぜなら、玄京朝の前に太平公主と安楽公主は競争して、「財産が多く壮丁の多い」富戸を封戸として取り込んだからである)。それ以後、武恵妃が玄宗の寵愛をほしいままにしたので、その娘の成宜公主は一于月の封戸を賜った。これによって他の公主も一干戸に加増され、以後、これがおよその定制となった。
公主たちは降嫁して後も、公主の食封を管理する役所である「公主邑司」を設け、令、丞、録事、主簿等の大小の役人を置いた。これらの役人は公主の封戸から税を取り、田園、倉庫、財物収人などを専門に管理した。玄宗の開元以前は、公主邑司と国家の官吏は一緒に公主の封戸から税を微収したが、開元年間になると国家が統一して封戸から徴収し、それを公主に支給するように変った。唐の後期になると、食実封はしだいに名目だけになり、国家が直接彼女たちに税収に相当する物資を支給するようになった。たとえば徳宗の貞元年間に「諸公主には毎年それぞれに封物として布帛七百端、疋、屯を給す」(『唐会要』巻九〇「縁封雑記」)とした。これは俸禄とほぼ同じであり、国家の供給制となった。
郡主、県主もまた降嫁の後に封戸を賜った。たとえば武則天の時代、武姓の県主はみな封戸を持ち、玄宗も襄楽県圭等にそれぞれ実封一亘戸を与えた(『全唐文』巻三六、玄宗「襄楽県主等に実封を加うる
勅」)。ただすべての郡主や県主に与えたかどうかは不明である。唐の後期にはだいたい国家の供給制に変ったのであり、貞元年間の規定では「郡主、県主の夫が官を罷めた場合は、郡主には四季ごとに七万銭を、県主には四季ごとに五万銭を支給する。夫が死去した場合もこの規定に照らして行う」とした。後にまたこれを改めて、夫が官であるか否かに関係なく、「郡主には四季ごとに銭一百貫(十万銭)、県主には七十貫(七万銭)を支給する」とした(『唐会要』巻六「公主」)。
定西番 其一 溫庭筠
漢使昔年離別,攀弱柳,折寒梅,上高台。
千裏玉關春雪,雁來人不來。
羌笛一聲愁絕,月徘徊。
(はじめは、漢の武帝も使者を送って西王母を舞ったし、使命を帯びて、西域に赴いた張騫だって13年もかかってやっと帰ったから仕方がないと思っていたが、羌笛の声を聴くと兵役で送り出した妻と同じだと侘しい思いを詠う。)
定西番 其二 溫庭筠
海燕欲飛調羽,萱草綠,杏花紅,隔簾櫳。
雙鬓翠霞金縷,一枝春豔濃。
樓上月明三五,瑣窗中。
(寵愛を失った妃嬪が春景色を見て、万物に春の様相が見える、自分の身分もあるどんなことがあっても、身支度を整えておかなければと装う、それは仲秋の名月の時期になっても寵愛を受ける事は無く、西にかたむく明月を小窓にながめると詠う)(寵愛を失った妃嬪は戦場で死んだ夫を偲ぶ女より侘しいと詠う)
定西番 其三 溫庭筠
細雨曉莺春晚,人似玉,柳如眉,正相思。
羅幕翠簾初卷,鏡中花一枝。
腸斷寒門消息,雁來稀。
(北方国境の塞からの消息もとだえている。そしてこのごろは季節が変われば雁は帰って來るけれど季節が変わっても来ることも稀になっている。)
定西番一首 牛嶠
紫塞月明千里,金甲冷,戍樓寒,夢長安。
鄉思望中天闊,漏殘星亦殘。
畫角數聲嗚咽,雪漫漫。
(西域辺境守備・万里長城の兵士の望郷の念を詠う。)
定西番二首 其一 孫光憲
鷄祿山前游騎,邊草白,朔天明,馬蹄輕。
鵲面弓離短韔,彎來月欲成。
一隻鳴髇雲外,曉鴻驚。
(カササギの弓が並べば織姫を連れて來るし、弓を搾れば美人の顔になる、戦場であっても風流に考えようと詠う。)
定西番二首 其二 孫光憲
帝子枕前秋夜,霜幄冷,月華明,正三更。
何處戍樓寒笛,夢殘聞一聲。
遙想漢關萬里,淚縱橫。
(都の後宮にいる宮女は国境の守りについている司令官のことを思って詠う。)
定西番一首 毛熙震
蒼翠濃陰滿院,鶯對語,蝶交飛,戲薔薇。
斜日倚欄風好,餘香出繡衣。
未得玉郎消息,幾時歸。
(辺境の守りの舞台を指揮して出征した夫を愁いて詠ったもの)
《巻1-27 定西番三首其一》
(はじめは、漢の武帝も使者を送って西王母を舞ったし、使命を帯びて、西域に赴いた張騫だって13年もかかってやっと帰ったから仕方がないと思っていたが、羌笛の声を聴くと兵役で送り出した妻と同じだと侘しい思いを詠う。)
漢使昔年離別,攀弱柳,折寒梅,上高台。
漢の武帝が使者まで出して西王母を待ったがいったん別れたら二度と会えなかったし、張騫は使者として西域に赴くための別れがあった。その時は、若々しい柳の枝をようにしなやかに挙げて別れている間の健康と再会を願ったし、又、春が来ると、春を運んでくる寒梅を折って輪にして、健康で帰ってきて逢瀬を過せることを願う、そのために通天台の高台に上って西を望むということをする。
千裏玉關春雪,雁來人不來。
それで、遙か千里先の玉門関に春が訪れても雪が残るというから春の行楽などないし、秋になれば雁が南に帰って来ても、西域に行った人は帰って来くることはない。
羌笛一聲愁絕,月徘徊。
羌笛が一声響いてくるとその憂えを含んだ響きは、逢瀬の事を連想し、気持ちも絶え絶えになり、眠れないので起きだして、月の輝く庭を徘徊する。
定西番三首其の一
漢使 昔年の離別,弱【わか】い柳を攀ぐ,寒梅を折り,高台に上る。
千裏玉關の春雪,雁來るも 人來らず。
羌笛一聲して 愁絕し,月に 徘徊す。
巻1-28 定西番三首其二
(寵愛を失った妃嬪が春景色を見て、万物に春の様相が見える、自分の身分もあるどんなことがあっても、身支度を整えておかなければと装う、それは仲秋の名月の時期になっても寵愛を受ける事は無く、西にかたむく明月を小窓にながめると詠う)
海燕欲飛調羽,萱草綠,杏花紅,隔簾櫳。
春が来たから、海ツバメは翅を整えて飛ぼうとしているし、勿忘草だって緑の葉を茂らせ、杏の花は赤く咲いている。この宮殿いる妃嬪は、春の日も簾をかかげはするけれど籠の中の鳥のように過すしかない。
雙鬓翠霞金縷,一枝春豔濃。
寵愛を失ったとはいえ、それでも、左右の鬢には翡翠の髪飾りをつけ、金の細糸を髪に梳きこんで飾っている。やっぱり、選抜されて後宮に入られたお方であるから、さすが杏の花の一枝がとりわけ、春めき艶めかしさを色濃くしているようだ。
樓上月明三五,瑣窗中。
秋になり、高楼の上に仲秋の名月が明るく照らし、夜も更けてきて杏の花を照らしているけれど、妃嬪は横になり小さな高窓に映る傾きかけた満月を眺めるだけなのだ。
定西番三首其の二
海燕 羽を調【ととの】えて飛ばんと欲するも,萱草 【かんそう】綠なり,杏花は紅たり,簾櫳を隔てしなり。
雙鬓【そうびん】翠霞の金縷,一枝春豔濃【えんのう】。
樓上 月明にして三五たり,瑣窗【そうそう】の中。
《巻1-28 定西番三首其二》現代語訳と訳註
(本文)
海燕欲飛調羽,萱草綠,杏花紅,隔簾櫳。
雙鬓翠霞金縷,一枝春豔濃。
樓上月明三五,瑣窗中。
(下し文)
(定西番三首其の二)
海燕 羽を調【ととの】えて飛ばんと欲するも,萱草 【かんそう】綠なり,杏花は紅たり,簾櫳を隔てしなり。
雙鬓【そうびん】翠霞の金縷,一枝春豔濃【えんのう】。
樓上 月明にして三五たり,瑣窗【そうそう】の中。
(現代語訳)
(寵愛を失った妃嬪が春景色を見て、万物に春の様相が見える、自分の身分もあるどんなことがあっても、身支度を整えておかなければと装う、それは仲秋の名月の時期になっても寵愛を受ける事は無く、西にかたむく明月を小窓にながめると詠う)
春が来たから、海ツバメは翅を整えて飛ぼうとしているし、勿忘草だって緑の葉を茂らせ、杏の花は赤く咲いている。この宮殿いる妃嬪は、春の日も簾をかかげはするけれど籠の中の鳥のように過すしかない。
寵愛を失ったとはいえ、それでも、左右の鬢には翡翠の髪飾りをつけ、金の細糸を髪に梳きこんで飾っている。やっぱり、選抜されて後宮に入られたお方であるから、さすが杏の花の一枝がとりわけ、春めき艶めかしさを色濃くしているようだ。
秋になり、高楼の上に仲秋の名月が明るく照らし、夜も更けてきて杏の花を照らしているけれど、妃嬪は横になり小さな高窓に映る傾きかけた満月を眺めるだけなのだ。
(訳注)
定西番 三首其二
(寵愛を失った妃嬪が春景色を見て、万物に春の様相が見える、自分の身分もあるどんなことがあっても、身支度を整えておかなければと装う、それは仲秋の名月の時期になっても寵愛を受ける事は無く、西にかたむく明月を小窓にながめると詠う)
6.唐の時代、宮中に入る女性(妃嬪は126名、それに仕える宮女は数千名、さらにその下に召使などがいて数万人の女性がいた)は、どこから来たのか。またどのようにして宮廷に入ったのか。彼女たちはだいたい次の四種類に分けられる。
第一種は、礼をもって宮廷に迎え入れられる。
唐の皇室は各種の政治的原因と西晋、東晋以来の門閥観念によって、名族と姻戚関係をもちたいと望んでいたから、彼女たちは特別厚い礼をもって宮中に招かれた。ごく少数であるが、徳と才能と容姿によって宮中にその名を知られ、特別に厚い礼をもって招かれた女性もいた。
第二種は、選抜されて宮廷に入る。
この種の女性は必ずしも高貴な家柄の出ではなかったが、しかし大多数は「良家」の出身、つまり一般の官僚あるいは士人の家の出であった。十数歳に達した「良家の子女」は、選抜をへて多数宮廷に入ったのであるが、彼女たちの中のほんの少しの者だけが幸運を得て妃嬢に列し、大多数の者は名もなき宮女のままで生涯を終えたのである。
第三種は、宮中に献上された女性である。この種の人々には様々なタイプがあったが、大半は美貌か技芸の才によって献上された女性であった。いくらかの朝臣は自分の出世のために妻や娘を宮中に入れることを常に願った。美貌の妻と娘を一緒に皇太子の宮中に献上し、高官になることができたものいた。
第四種は、罪人の家の女性で宮廷の婢にされたものである。これらの大多数は、官僚士大夫層の女性であった。唐律の規定では、「籍没」といって謀反および大逆罪を犯した官僚士大夫層の家族(母、娘、妻、妾、子孫を含む)と奴稗は、みな後宮に入れて官奴婦にすることになっていた。つまり「技芸に巧みな者は後宮に入れる」(『唐六典』巻六、刑部都官)と定めていた。そして、無能な者は司農寺(銭穀のことを司る官庁)等の官庁に配属して官奴稗とし、後宮に入れられた者の一部分は官女とした。
唐教坊曲名。 雙調三十五字,前段四句一仄韻、兩平韻,後段四句兩仄韻、兩平韻.❻3③③/❻⑤❸③の詞形を取る。
海燕欲飛調羽 萱草綠 杏花紅 隔簾櫳
雙鬓翠霞金縷 一枝春豔濃
樓上月明三五 瑣窗中
●△●○△● ○●● ●○○ ●○○
○?●○○● ●○○●○
○●●○△● ●○△
7. 教坊とは、唐以降の中国王朝における宮廷に仕える楽人や妓女たちに宮廷音楽を教習させるための機関をさす。楽曲や歌舞の習得を主な目的とするが、官妓にあたる妓女を統括する役割もあった。五弦・琵琶・箜篌・箏を学んだ。また、宜春院や教坊の見習いを「雑婦女」といった。
海燕欲飛調羽,萱草綠,杏花紅,隔簾櫳。
春が来たから、海ツバメは翅を整えて飛ぼうとしているし、勿忘草だって緑の葉を茂らせ、杏の花は赤く咲いている。この宮殿いる妃嬪は、春の日も簾をかかげはするけれど籠の中の鳥のように過すしかない。
8. 海燕 ミズナギドリ目ウミツバメ科の海鳥の総称。コシジロウミツバメ・ハイイロウミツバメなど。全長14~25センチ。全体に黒褐色のものが多い。翼は長く、尾はツバメのように切れ込み、足指には水かきがある。繁殖期には小島に群集し、岩の裂け目や傾斜地に掘った穴に白い卵を1個産む。
9. 萱草 「忘れ草」と詠まれているのは、ユリ科の萱草。藪萱草(ヤブカンゾウ)・野萱草(ノカンゾウ)など幾種類かある。夏、百合に似た橙色の花を咲かせる。一重の野萱草や浜萱草は涼やかで、見入るうちに本当に憂いも忘れてしまいそうだ。若葉は美味で食され、根は生薬となる。歌に詠まれたのは花でなくもっぱら草葉である。
「忘憂草」すなわち「憂いを忘れさせる草」と呼ばれたのは、食用とされる若葉に栄養分が多かった故か、あるいは根から採った生薬の効用か。それはともかく、万葉人たちは身につければ恋しさを忘れさせてくれる草として歌に詠んでいる。紐に付けるとは、いわば魂に結びつける擬態だろう。
杏花 中国北部を原産とするバラ科サクラ属の落葉樹。曲江に杏園があり、科挙及第者との逢引の場所であった。杏は乙女、或は清廉な女性自身(局部、妖艶な場合は牡丹)を意味する言葉として使われることがある。
10. 櫳 部屋の格子戸。
雙鬓翠霞金縷,一枝春豔濃。
寵愛を失ったとはいえ、それでも、左右の鬢には翡翠の髪飾りをつけ、金の細糸を髪に梳きこんで飾っている。やっぱり、選抜されて後宮に入られたお方であるから、さすが杏の花の一枝がとりわけ、春めき艶めかしさを色濃くしているようだ。
11. 金縷 細々と連なる金の糸筋。かぼそい腕は春のなまめかしさを色濃くしている。
12. 豔 豔は艶。〔春秋左氏伝・文公十六年〕から「公子鮑、美にして豔なり」(美男で色男という意味)。艶・艷は 豔の俗字。
樓上月明三五,瑣窗中。
秋になり、高楼の上に仲秋の名月が明るく照らし、夜も更けてきて杏の花を照らしているけれど、妃嬪は横になり小さな高窓に映る傾きかけた満月を眺めるだけなのだ。
13. 月明三五 十五夜の月。仲秋の明月。この詩の場合深夜の高くあがった月をいう。