花間集 訳注解説 巻一27 (35)回目温庭筠 《定西番三首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7772

 温庭筠 《定西番三首其一》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016125

の紀頌之5つの校注Blog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-016-#2卷164_5-#2 白馬篇(卷五(一)三五七)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7769

 

 

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少年行・白馬篇・白雲歌など【字解集】Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7799

 

 

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

 

 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-16-#2 巻二 17-#2答張徹【案:愈為四門博士時作。張徹,愈門下士,又愈之從子婿。】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7770

 

 

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806年-16-#14 巻二 17-#14巻二 答張徹  【字解集】Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7842

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

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韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

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韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ 杜詩

詳注

757年-35 寄薛三郎中璩 -#2 杜詩詳注(卷一八(四)一六二○ -#2)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7771

 

 

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757年-40 寄薛三郎中璩 -#7 【字解集】 杜詩詳注(卷一八(四)一六二○)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7801

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

 

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

 

 

 

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

 

 

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花間集 巻一 (27)回目温庭筠 《更漏子六首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7724 (11/27)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

 

 

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-011-#2 古樂府詩六首其二 -#2〈無名〉 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7773

 

 

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玉集-01 古詩八首 【字解集】  Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7731

 

 

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花間集 訳注解説 巻一27 (35)回目温庭筠 《定西番三首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7772

(はじめは、漢の武帝も使者を送って西王母を舞ったし、使命を帯びて、西域に赴いた張騫だって13年もかかってやっと帰ったから仕方がないと思っていたが、羌笛の声を聴くと兵役で送り出した妻と同じだと侘しい思いを詠う。)

漢の武帝が使者まで出して西王母を待ったがいったん別れたら二度と会えなかったという。わたしは若々しく柳のようにしなやかに挙げて過ごしし、折楊柳の変わりに寒梅を折って旅の健康を祈り、高台に上って見送るのです。遙か千里先の玉門関に春が訪れても雪が残るという、私の所には雁が来ても、あの人は来てくれない。羌笛が一声響いてくるとその憂えを含んだ響きに気持ちも絶え絶えになる、今日もまた月の輝く庭を徘徊するのです。

 

 

紅梅002

 

唐の女性観

「封爵」と「食実封」の制度(1

 

 「帝子天姫」「金枝玉葉」(天子の子女、帝室の一族をいう)といわれるように、天子の娘である公主は唐代女性の中でもっとも高貴で権勢をもつ人々であり、またもっとも勝乎気ままに振舞って礼法に縛られない存在であった。

 人口に檜戻している「打金枝」(皇帝の娘を打っ)という芝居は次のような物語である。昇平公主(代宗の娘)は皇帝の娘であることを侍み、夫の父(郭子儀)の誕生日にも御祝いに行かなかった。また厨馬(公主の夫の称号)の郭曖に対しても高慢無礼の態度であったから、夫は怒り彼女を打った。すると父の郭于儀は息子を縛って御殿に上り罰を願った。幸いにも皇帝は道理を知っており、罰を加えず結婚直後のように仲良くさせた。この話は代宗の娘昇平公主の逸事を語ったものであり、必ずしもすべて真実でもないが、人物、筋書きとも基本的に歴史事実に符合している(趙燐『因話録』)。この逸話は唐代の公主たちの生活と結婚の情況をじつによく表している。

 

「封爵」と「食実封」の制度

 唐代の命婦制度では、皇帝の姑母(父の姉妹)を大長公主、皇帝の姉妹を長公主といい、皇帝の娘を公主と称した。公主たちにはみな封号が与えられた。その封号は地名(国名の場合もあれば、郡名の場合もある)によるもの、たとえば代国公主、雷国公主、平陽公主、東陽公主など、それに美称によるもの、たとえば太平公主、安楽公主などがあった。皇太子の娘を郡主と称し、また封号として新都郡主、義安郡主などの称号が与えられた。親王の娘を県主と称し、文安県主、東光県主などという封号が与えられた。

 

* 命婦制とは高貴な身分の女性に授与する封号を定めたもの。皇帝の母や妃娘等に対しては内命婦制が、公主など外朝の男に嫁した者に対しては外命婦制が定められていた。外命婦には国夫人、郡夫人、郡君、県君、郷君の五等級があった。

 

『新唐書』「諸帝公主伝」と『唐会要』「公主」の項(以下この二書によるものは出典を省略)の記載によると、唐朝には全部言二二人の公主がいた(この中には周辺異民族に降嫁させるために、特に公主に封ぜられた宗室の女性、たとえば文成公主などは含まれない)。郡主、県主がどれだけいたのかはわからない。これら公主、郡主、県主はみな皇族李氏の女性であったが、他に武則天の時代に武姓の女性や武則天の愛娘太平公主の娘が県主に封じられたこともあった。

 公主たちの封号は一種の単なる栄誉の称号であって、何ら実際的な意味はなかった。彼女たちが封じられた国、郡とも何ら関係はなかった。彼女たちの実際の利益、経済収人は、いわゆる「食実封」によるものである。食実封とは、国家が貴族にいくらかの農戸を封戸として給するものであり、貴族はその封戸から租・調の銭糧や布帛などを微収して生活の資にした。一般的にいえば、公主が嫁に行く前は宮中での生活物資は、一切宮廷から支給された。降嫁して後は賜給された封戸が衣食の資となった。しかし、およそ玄宗の時代から、まだ嫁に行かない幼い公主にも封戸が賜給されるようになった。唐初の食封制度に照らすと、公主には三百戸が、長公主には最高六百戸が与えられた。高宗の時代になると、武則天の▽Λ娘太平公主は大変な寵愛をうけたので、食封も定額を越え、武則天の周王朝の時には三干戸にもなった。後に中宗が即位すると、太平公主は功績によって五干戸に加増した。中宗の章后が生んだ二人の娘安楽・長寧の両公主はそれぞれ食封三干戸と二千五百戸に加増し、腹ちがいの娘宜城公主等も二干戸に加増した。これは公主の食実封が最も多い時期である。容宗の時代になると、太平公主の権力が天下で最大となり封戸も一万戸に増え、唐朝の公主のなかで最高の額に達した。

((2)へ つづく)

 

 

 

 

 

定西番三首其一

 

 

 

 

 

定西番 一
漢使昔年離別,攀弱柳,折寒梅,上高台。
千裏玉關春雪,雁來人不來。
羌笛一聲愁
,月徘徊。


定西番 二
海燕欲飛調羽,萱草綠,杏花紅,隔簾櫳。
翠霞金縷,一枝春豔濃。
樓上月明三五,瑣窗中。


定西番 三
細雨曉
春晚,人似玉,柳如眉,正相思。
羅幕翠簾初卷,鏡中花一枝。
腸斷寒門消息,雁來稀。


定西番 一
漢使昔年離別,攀弱柳,折寒梅,上高台。
漢の武帝が使者まで出して西王母を待ったがいったん別れたら二度と会えなかったという。わたしは若々しく柳のようにしなやかに挙げて過ごしし、折楊柳の変わりに寒梅を折って旅の健康を祈り、高台に上って見送るのです。
千裏玉關春雪,雁來人不來。
遙か千里先の玉門関に春が訪れても雪が残るという、私の所には雁が来ても、あの人は来てくれない。
羌笛一聲愁,月徘徊。
羌笛が一声響いてくるとその憂えを含んだ響きに気持ちも絶え絶えになる、今日もまた月の輝く庭を徘徊するのです。
定西番 一
漢使 昔年の離別,弱【わか】い柳を攀ぐ,寒梅を折り,高台に上る。
千裏玉關の春雪,雁來るも 人來らず。
羌笛一聲して 愁し,月に 徘徊す。

閶闔門001



『定西番』 一 現代語訳と訳註
(
本文) 定西番 一
漢使昔年離別,攀弱柳,折寒梅,上高台。
千裏玉關春雪,雁來人不來。
羌笛一聲愁
,月徘徊。


(下し文)
漢使 昔年の離別,弱【わか】い柳を攀ぐ,寒梅を折り,高台に上る。
千裏玉關の春雪,雁 人來りて來らず。
羌笛一聲して 愁
し,月に 徘徊す。


(現代語訳)
(はじめは、漢の武帝も使者を送って西王母を舞ったし、使命を帯びて、西域に赴いた張騫だって13年もかかってやっと帰ったから仕方がないと思っていたが、羌笛の声を聴くと兵役で送り出した妻と同じだと侘しい思いを詠う。)

漢の武帝が使者まで出して西王母を待ったがいったん別れたら二度と会えなかったという。わたしは若々しく柳のようにしなやかに挙げて過ごしし、折楊柳の変わりに寒梅を折って旅の健康を祈り、高台に上って見送るのです。
遙か千里先の玉門関に春が訪れても雪が残るという、私の所には雁が来ても、あの人は来てくれない。
羌笛が一声響いてくるとその憂えを含んだ響きに気持ちも絶え絶えになる、今日もまた月の輝く庭を徘徊するのです。

 

(訳注) 定西番 一
(はじめは、漢の武帝も使者を送って西王母を舞ったし、使命を帯びて、西域に赴いた張騫だって13年もかかってやっと帰ったから仕方がないと思っていたが、羌笛の声を聴くと兵役で送り出した妻と同じだと侘しい思いを詠う。)

1. 定西番 唐教坊曲名。 雙調三十五字,前段四句一仄韻、兩平韻,後段四句兩仄韻、兩平韻.
唐以降の中国王朝における宮廷に仕える楽人や妓女たちに宮廷音楽を教習させるための機関をさす。楽曲や歌舞の習得を主な目的とするが、官妓にあたる妓女を統括する役割もあった。その後の王朝に引き継がれ、清代まで続いたが、雍正帝の時に廃止された。
『定西番』は宮廷で歌われたこの教坊曲である。
唐教坊曲名。 雙調三十五字,前段四句一仄韻、兩平韻,後段四句兩仄韻、兩平韻. ③③の詞形を取る。

漢使昔年離  攀弱柳

折寒  上高

千裏玉關春  雁來人不

羌笛一聲愁  月徘

●●●○△●  ○●●

△○○  ●○○

○●●○○●  ●△○△△

○●●○○●  ●○○


漢使昔年離別,攀弱柳,折寒梅,上高台。
漢の武帝が使者まで出して西王母を待ったがいったん別れたら二度と会えなかったという。わたしは若々しく柳のようにしなやかに挙げて過ごしし、折楊柳の変わりに寒梅を折って旅の健康を祈り、高台に上って見送るのです。
・漢使 青雀、仙界との通信を媒介するという鳥。この句は漢の武帝の故事をふまえる。六朝時代の小説「漢武故事」と「漢武帝内伝」の記事を折衷すると以下の如くである。漢の武帝が承華殿で禊をしていたところ、突然、青い鳥が西方から飛んで来た。武帝が侍従文人の東方朔に尋ねた所、仙女西王母の使者に相違ないとの答えだった。事実、間もなく聖母がやって来た。武帝は長命の術をたずね、西母は守るべき訓戒を与えた。三年後に再訪するという約束を得たので、その後、武帝は彼女を迎える楼閣は建てたが、訓戒の養生訓を守らなかったので、西王母は二度とやって来なかったという。なお「漢武帝内伝」では、使者は青衣の女子となっている。

集霊台 漢の武帝が道教に執心し、西王母を迎える為に建てた宮殿の一つ。集霊宮中の通天台のこと。陝西省華山の北の山麓にあったという。


千裏玉關春雪,雁來人不來。
遙か千里先の玉門関に春が訪れても雪が残るという、私の所には雁が来ても、あの人は来てくれない。
玉關 玉門関に出征している夫の悲痛なる気持ち。唐代の玉門関は漢代のそれより、約100km西方へ移動している。
李白『子夜呉歌其三 秋』「長安一片月、万戸擣衣声。秋風吹不尽、総是玉関情。何日平胡虜、良人罷遠征。」(長安 一片の月、万戸衣を擣つの声。秋風 吹いて尽きず、総て是れ玉関【ぎょくかん】の情。何【いず】れの日か胡虜【こりょ】を平らげ、良人 遠征を罷【や】めん。)

李白24 子夜呉歌其三 秋 と25 冬


羌笛一聲愁,月徘徊。
羌笛が一声響いてくるとその憂えを含んだ響きに気持ちも絶え絶えになる、今日もまた月の輝く庭を徘徊するのです。
 ・羌笛 青海地方にいた西方異民族(チベツト系)の吹く笛。ここでは城郭の傍の参軍の角笛を聞くこと。
『清溪半夜聞笛』李白
羌笛梅花引、
溪隴水情。
寒山秋浦月、腸斷玉關聲。

李白70清溪半夜聞笛 71秋浦歌十七首 其二 72清溪行 73 宿清溪主人

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