FC2ブログ

Welcome to my blog

字解集

花間集 訳注解説 (312)回目和凝【字解集】9.春光好二首 10.採桑子一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9632

0

312)回目和凝【字解集】9.春光好二首 10.採桑子一首

 

 

 

2017125

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

746-014 答從弟幼成過西園見贈(卷十九(二)一一一六)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集Blog9650

LiveDoo

rBlog

未編年 s-69擬古,十二首之四(巻二四(二)一三七六) -#1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9420

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

807年元和二年40歳- 巻一-01元和聖德詩 -説文(1)-2 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9651

LiveDoo

rBlog

806年-集23- 韓昌黎集【字解集】送許郢州序 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9491

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年 【字解集】152.課小豎鉏斫舍北果,林枝蔓荒穢淨,訖移床,三首 155.反照 157.向夕 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9645

LiveDoo

rBlog

767年-集-21 【字解集】 ・寄峽州劉伯華使君四十韻  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9366

767年-集-20-3 【字解集】  ・秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(3) Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9267

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (312)回目和凝【字解集】9.春光好二首 10.採桑子一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9632 (12/05)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻三-16 爲顧彦先贈婦往反四首其三 -#1(翩翩飛蓬征) 〔陸  雲〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9591

LiveDoo

rBlog

玉集-019【字解集】  悼亡詩二首其三  Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9207

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

九、001卷804_1《賦得江邊柳 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9585

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

花間集 訳注解説 (312)回目和凝【字解集】9.春光好二首 10.採桑子一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9632

 

 

 

【字解集】9.春光好二首 

春光好二首其一

1. (うららかな春に、寵愛を受けた、あさが来ても起きるのが億劫になるほどの夜を過ごした。その時、西施のように飾ったし、窓からうかがってくれたからそんな春を過ごしたが、今、同じように寵愛を受ける準備をしているが、何事も起こらない、どうしたらいいのかわからない、希望をなくしてしまいそうだと妃賓気持ちを詠う。)

2. 唐の教坊の曲名。またの名を愁倚欄、愁倚欄令、倚欄令と言う。『花間集』には和凝の二首のみ所収。

春光好二首 其一双調四十一字、前段十九字、五句三平韻、後段二十二字四句二平韻で、3③③6③/6⑥7③の詞形をとる。

暖,畫屏,嚲雲。睡起四肢無力,半春

玉指剪裁羅勝,金盤點綴蘇。窺宋深心無限事,小眉

○?●  ●△○ ●○○ ●●●○○● ●○△

●●●△○△ ○○●●○○ ○●△○○●● ●○○

春光好二首其二は双調四十一字、前段十九字、五句三平韻、後段二十二字四句二平韻で、3③③6③/6⑥7③の詞形をとる。

蘋葉軟,杏花,畫舡。雙浴鴛鴦出淥汀,棹歌

春水無風無浪,春天半雨半。紅粉相隨南浦晚,幾含

○●●  ●○○ ●○△  ○●○○●●△ ●○○

○●○△○△ ○○●●●○  ○●△○○●● △○○

 

作者:晏幾道 北宋

《愁倚欄令》双調四十二字、前段十九字、五句三平韻、後段二十三字四句三平韻で、3③③6③/6⑥7③の詞形をとる。

憑江閣、看煙、恨春。還有當年聞笛淚、酒東

時候草綠花、斜陽外、遠水溶。渾似阿蓮雙枕畔、畫屏

○○●  △○△ ●○○ ○●△○△●● ●○△

○●●●○○ ○○●  ●●△△ △●○△○△●  ●△△

 

暖,畫屏閑,嚲雲鬟

春の季節になって、沙羅絹を張った窓に日が当たり暖かくなる、絵の屏風の閨には静かにねむりからさめる。髪のみだれをはらってなおす。

3. 紗 春の季節になって、沙羅絹を張った窓に日が当たり暖かくなるこという。夜明け近くまで情交を重ねたことを暗示する。

4. 畫屏閑 寝床には帳を張り、その周りに屏風を立てて、ベッド空間とするので、日が差し始めてやっと目が覚めると、辺りは静けさに包まれている。

5. 嚲雲鬟 美しく結った髪のみだれをはらってなおすこと。雲鬟【うんかん】 〔「鬟」はまげの意〕美しく結った髪。撣:(はたきなどでちり・ほこりを)はたく,払う.ほこりをはたく.

 

睡起四肢無力,半春間。

二度寝入りをして、寝牀から出られなくて、起き上がってみたが手足にまったく力が入らない。「春眠暁を覚えず」の真っただ中のころである。

6. 睡起 二度寝入りをして、起きづらい様子を言う。

7. 半春間 春、真っただ中のころをいう。

 

玉指剪裁羅勝,金盤點綴蘇山。

白く輝くようなその指でうす絹を見事に裁断する。金色のかざりのかがやく寝牀には姑蘇山の宮殿の西施のように、お迎えの飾りつけをしている。

8. 剪裁 布・紙などを裁ち切ること。また、花を摘み切ること。文章に手を入れること。文章を練ること。

9. 羅勝 うすぎぬをことごとく。・勝:たえる。ことごとく。のこらず。かつ。さかんに。まさる。すぐれる。

10. 金盤 ・盤:大きな平たい器。大きな皿。「盤台/水盤・銅盤・杯盤」皿状のもの。「円盤・音盤・胎盤・羅針盤」大きな平たい岩。「岩盤・落盤」支えとなる堅い土台、寝牀。高貴なもののベッドは、檀、盤の上に設置される。

11. 點綴 飾り付ける付き合いとしてする.

12. 蘇山 蘇台 姑蘇台をさす。紀元前5世紀、呉の国王夫差の宮殿があった。江蘇省蘇州市の西・姑蘇山山頂にある。西施八景はどこに作られたかというと姑蘇に姑蘇台、香水渓、百花洲があり、郊外の霊岩山に西施洞、玩花池、採香径、碧泉井、館娃宮があったことになる。伝承によれば姑蘇台は今の蘇州市中ではなく、蘇州の西南郊外にあった。

(ここでいう山は女性が横たわっている姿を云うもので蘇生された女という意味をあんじさせる。)

 

窺宋深心無限事,小眉彎。

宋玉を隣の女がのぞき見した故事のように窓から覗いてくれる、そう深く心に思うが、なにごともおこらず、何もわからなくなってしまった。憂いで眉尻が湾曲している。

13. 窺宋 美男子であるおとこを、隣の女がのぞき見した故事にもとづくもの。・宋玉 戦国の末、紀元前三世紀ごろの楚の国の詩人。美男子で、隣の女がのぞき見したという。わたしはやはり宋玉のような、美しいお方でりっはな詩人のかたを好きになってこの身をささげたいとおもいます。

魚玄機『贈鄰女』「羞日遮羅袖、愁春懶起粧。易求無價宝、難得有心郎。枕上潜垂涙、花間暗断腸。自能窺宋玉、何必恨王昌。」(日を羞じて羅袖【らしゅう】を遮り、春を愁いて 起きて粧するに懶【う】し。無價【むか】の宝を求むることは易すきも、有心の郎を得ることは難し。枕の上に潜【ひそ】かに涙を垂れ、花の間に暗して腸を。断る自ら能く宋玉を窺い、何ぞ必ず王昌を恨まん。

 

春光好二首其二

14. (科挙合格の祝宴、探花使に選ばれた者は花を探し、牡丹か、杏か、桃李か、宮女にか、そこで、どれだけの恋する情愛が生まれるのか春の無礼講のことである)

15. 【解説】 春、杏園で合格の宴があり、街に繰り出すもの、花を愛でるもの、舟遊びをするもののうち、女性達の水上の行楽の様子を詠う。唐代において、進士たちは、曲江の西にあった杏園において宴遊するのが常であったが、新たに及第した進士の杏園の初会を探花宴といい、その時には合格者中の最年少者二人を選んで探花使とし、諸処の名園を徧遊させ、名花を探らせた。探花の名はこれより起こる。宋初においてもこの風習は行われ、いずれもこの探花使に選ばれた者を探花といい、特に廷試第三名の及第者に限ることはなかった。

 

春光好二首其二

16. 【構成】唐の教坊の曲名。またの名を愁倚欄、愁倚欄令、倚欄令と言う。『花間集』には和凝の二首のみ所収。

春光好二首 其一双調四十一字、前段十九字、五句三平韻、後段二十二字四句二平韻で、3③③6③/6⑥7③の詞形をとる。

暖,畫屏,嚲雲。睡起四肢無力,半春

玉指剪裁羅勝,金盤點綴蘇。窺宋深心無限事,小眉

○?●  ●△○ ●○○ ●●●○○● ●○△

●●●△○△ ○○●●○○ ○●△○○●● ●○○

春光好二首其二は双調四十一字、前段十九字、五句三平韻、後段二十二字四句二平韻で、3③③6③/6⑥7③の詞形をとる。

蘋葉軟,杏花,畫舡。雙浴鴛鴦出淥汀,棹歌

春水無風無浪,春天半雨半。紅粉相隨南浦晚,幾含

○●●  ●○○ ●○△  ○●○○●●△ ●○○

○●○△○△ ○○●●●○  ○●△○○●● △○○

 

作者:晏幾道 北宋

《愁倚欄令》双調四十二字、前段十九字、五句三平韻、後段二十三字四句三平韻で、3③③6③/6⑥7③の詞形をとる。

憑江閣、看煙、恨春。還有當年聞笛淚、酒東

時候草綠花、斜陽外、遠水溶。渾似阿蓮雙枕畔、畫屏

○○●  △○△ ●○○ ○●△○△●● ●○△

○●●●○○ ○○●  ●●△△ △●○△○△●  ●△△

 

 

蘋葉軟,杏花明,畫舡輕。

早春の浮水草の葉はやわらかく育ち、池に映る杏の花に明るく日差しが照る、絵塗りの船は軽やかに浮ぶ。

17. 蘋葉軟 浮草が育ち始めて淡い色でやわらかい葉をつききって舟が進む。。この三句は待ち遠しかった春に舟遊びをする池のようすをいう。

18. 杏花明 池の岸にあんずの花に日が射していて花が際立って奇麗な様子。杏の花は科挙の合格発表=合格者=無礼講、曲江の池を連想させる。

19. 畫舡輕 絵塗りの船での遊びは江南で始まり広がったもの。

 

雙浴鴛鴦出淥汀,棹歌聲。

澄んだ水の渚に出ているのは二つ並んで水浴びをしている鴛鴦、そこに、船頭が歌う舟歌にあわせて合格者たちが船縁を叩きながら歌うので驚いている。

20. 鴛鴦 オシドリ。

21. 漁汀 水の清く澄んだ渚。

22. 棹歌 船を漕ぐ櫂で船縁を叩きながら歌うこと。またその歌、舟歌。

 

春水無風無浪,春天半雨半晴。

春の淥水は風もなく波もたたず鏡のよう、春の空はかわりやすく小雨が降ったかと思うと今度はぱっと晴れる。

23. 春水 雪解け水で増水した様子を云う。増水しても澄んでいるのが春水である。植物の成長に必要なミネラル分を多く含んでいる時期で、期待感を持たせる語である。

24. 春天 春ののどかな空を云う。行楽時の天候が良いことを云うが、男心と春の空、行楽の時の浮気心を云う。

 

紅粉相隨南浦晚,幾含情。

及第者に若い宮女たちは連れ立って、暮れてきた南の入り江の船着き場の方に入っていく、そこで、どれだけの恋する情愛が生まれ、育つのだろう。

25. 紅粉 紅と白粉。ここでは紅と白粉で化粧した女の意。

26. 南浦 よく別離の岸辺などを意味することが多いが、ここは人目を避ける南側の岸辺の奥の方に行くことを言う。いわゆる「しけ込む」ことさす。

27. 幾含情 この日のためにどれほどの女が、その男のことを思い続けていきていくことになるのだろうかという意味になる。一夫多妻制の時代の倫理観で見てもらいたい。

 

探花(たんか)は中国の科挙制度で殿試で、第3位の成績で進士に及第した者の名称。首席及第者の状元、第2位及第者の榜眼と併せて「三鼎甲」「三魁」などと呼ぶ。

当初首席及第者を状元、次席及第者・三位及第者を榜眼と称していた。

 

探花の名は、唐代に、進士及第した者を対象に皇帝から祝宴を賜り、その祝宴を探花宴と称した。この宴会で進士の最年少の者に、首都の庭園から牡丹を探して持ってこさせ、披露する役を命じ、あわせて宴会後進士一同が牡丹の出所の庭園を鑑賞するのを先導させた。この先導役を探花使あるいは探花郎と称したことに由来する。

北宋代末期に至って、次席及第者だけを榜眼とし、第3位及第者は探花と呼ばれるようになった。このころに、探花使が3位及第者に命じられるようになり、元では科挙が廃止され、末期に復活し、明以後、探花宴は催されず、探花の名のみ残った。

探花の名称は状元、榜眼と同様、正式名称ではなく慣習として呼ばれていた名称である。科挙合格者名を正式発表する立て札の金傍には「一甲第三名」と記載されている。状元、榜眼、探花はいずれも「進士及第」の称号を賜った。

 

 

 

 

 

 

 

【字解集】10.採桑子一首

採桑子

1.(せっかく大勢の中から妃賓に選抜されても、全く寵愛にあずからないことはよくあった。妃嬪は、最大百数十名いることもあり、しかも、何もないまま実家に帰され、次の妃賓が選ばれるということを前提に、若くてかわいい生娘が後宮に上がっての様子を詠ったものである。)

2. 【解説】 妃嬪選抜に及第し、末席妃嬪になっても、それ自体が名誉であるものの、寵愛を受けるための努力はしないといけない。「繡帶雙垂」刺繍に思いを込めて帯を縫い、その帯を思い人に渡し、それを身に着ければ、離れることはないという、「結同心」、と同じ性格のものであるが、そうした準備もむなしく、いつまでも寵愛を受けることはない。いつしか、荔枝をかけて、サイコロ遊びをする、暇な妃嬪たちと同じようになってゆく。貞操を必死で守った「羅敷」の故事とは違うが、この詩も、処女、貞操はしっかりと守られている。桑をとる娘は戦場に出た夫に貞操を守る立派な女性を云うものであるが、この詩では、寵愛を受けることがないために貞操が守られるという和凝のユーモアを詠うものである。

頭のよい和凝の形を先に決め、後から語句をはめ込む、パズルゲームのようにして作ったもので、当時の倫理観、生活習慣、結婚観、風俗など、意味的にも総合的に判断しないと、通り一遍の解釈になってしまう。

 

3. 採桑子は花間集には和凝の一首のみである。唐の教坊の曲名である楊下採桑に由来すると言われるが、教坊の大曲に采桑があり、採桑子との関係はいずれも明確ではない。またの名を采桑子令、添字采桑子、醜奴児、醜奴児令、羅敷媚、羅敷媚歌と言う。『花間集』には和擬の一首のみ所収。双調四十四字、前後段二十二字四句三平韻で、7④④⑦/7④④⑦の詞形をとる。

採桑子一首

蝤蠐領上訶梨子  繡帶雙垂   競學樗蒲賭荔
叢頭鞋子紅編細  裙窣金絲 無事嚬  春思飜教阿母

○○●●○○●  ●●○○ ○●○○  ●●○○●●○

○○○●○△●  ○●○○ ○●○○  ○△○△○△○

採桑子一首(羅敷媚歌)  欧陽脩

畫船載酒西湖好  急管繁弦 玉盞催  穩泛平波任醉
行云却在行舟下  空水澄鮮 俯仰流  疑是湖中

●○●●○○●  ●●○○ ●●○△  ●●○○△●○

△○●●△○●  △●○△ ●△○○  ○●○△●●○

《醜奴児》辛棄疾

少年不識愁滋味,愛上曾,愛上曾,爲賦新詞強説

●○●●○○● ●●○○ ●●○○ ●●○○●●○ 

而今識盡愁滋味,欲説還,欲説還,卻道天涼好箇

○○●●○○● ●●○○ ●●○○ ●●○○●●○

 

蝤蠐領上訶梨子,繡帶雙垂,

白い首を囲む襟には、訶梨勤の刺繍の飾りのついた羽衣をつけ、胸前がひらいている襟から垂れる刺繍の縫い取り帯が二本ある。

4. 蝤蠐領上 白い首を囲む襟。蝤蠐は木食い虫の幼虫。白く長いので、ここでは色白の首を喩える。

5. 訶梨子 訶梨勤。中国南方産の常緑喬木。ここではその実にかたどった襟飾りのこと。訶梨勤の刺繍の飾りのついた肩掛け。・訶梨勒1 インドなどに産するシクンシ科の高木。高さ30メートルに達し、葉は長楕円形。枝先に白い花が群がって咲く。果実を風邪・便通などの薬にし、材は器具用にする。2 象牙・銅・石などでカリロクの実の形を作り、美しい袋に入れ、柱に掛けた飾り物。

6. 繍帯 襟から垂れた刺繍のある帯。なお帯については、上衣の束帯、肩掛けの帯、衣の帯、腰帯と女の生活環境によって、讀む人の知識度により解釈は深まる。これは艶歌に対する考え方である。通常は帯は一本であるが、同心結の帯を女性から好きな男性におくり、それを下に結ぶ場合日本の帯をするという。ここでは、その思い人に渡せるように心を込めて作った帯を身に着けていて、其時が来れば、その帯を解いて渡すということが前提である。

 

閑時,競學樗蒲賭荔枝。

やがて、妃嬪の部屋は椒泥塗りであり何事もなくしずかなもので、時折、宮女と荔枝を賭けて賽子勝負をする。

7. 椒 椒の粉末を混入した壁土を塗った部屋。椒のために室内は香りよく、暖かく、蟲が寄り付かない。この語は、処女、淑女を感じさせる句である。

8. 樗蒲 賽子を使った賭け事。1 中国の賭博(とばく)の一。1個のさいころで出る目を予測し、予測が当たれば賭け金の4倍または5倍を得る仕組みになっているもの。転じて、博奕(ばくち)のこと。2 いんちき。でたらめ。3 ばかをみること。

『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまぎらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。

 

叢頭鞋子紅編細,裙窣金絲。

爪先に花飾り付けた靴に、細く紅い紐を編みこんで、金糸飾りスカートは床を引きずる。

9. 叢頭鞋子 爪先に花飾りの付いた靴。富貴の若い娘の間で、靴に刺繍や飾り物をつけるのは流行であった。

 

無事嚬眉,春思飜教阿母疑。

何事も起きないし、好きな男が居るわけもないからなにもはじまらない、だから、眉をくもらせる、春が来て寵愛を受けたいと思いはつのるが、いつになったら、寵愛を受けられるのだろうかと「阿母」は後宮に入ってよかったのかと心配する。

10. 嚬 却って。ここでは好きな男がいるわけではないのに、の意。

11. 阿母 お母さんのことであるが、阿は親しみを表す接頭語で、ここでは後宮についてきた母親代わりの乳母を言う。

后妃・妃嬪たちの生活は富貴であり、また賛沢でもあった。彼女たちは衣食の心配の必要はなく、内庫(宮中の資材課)が必要なもの一切を支給された。だから、妃嬪選抜には多くの応募があった。「汝州(河南省臨安。洛陽の東南)、鄭州(河南省鄭州)一帯の高貴な身分の家の子女を対象に新婦を求めた」(王講『唐語林』巻四「企羨」)。十数歳に達した「良家の子女」は、この種の選抜をへて多数宮廷に入ったのであるが、彼女たちの中のほんの少しの者だけが幸運を得て妃嬢に列し、大多数の者は名もなき宮女のままで生涯を終えたのである。このように良家の子女を選抜するのが、宮廷女性の主要な来源であり、宮廷女性の中で少なからざる比率を占めていた。

 

12. 「採桑子」 の背景

「採桑子」は、采桑子令、添字采桑子、醜奴児、醜奴児令、羅敷媚、羅敷媚歌と言う。宮中酒宴、サロンでの歌会で、競って歌われたものである。特に西暦1000年前後、性倫理は自由な傾向が強く、貞操観念は低かった。したがって、逆に詩歌では、貞操を見事に守った《羅敷》という題材が好まれたのである。

邯鄲(河北省) の人なる秦氏に羅敷という娘があって邑人王仁の妻となった。王仁は後に趙王の家令となった。羅敷がある時、路で桑摘みをしていると、趙王が台の上から見て悦び、宴によびよせて奪い取ろうとした。羅敷は筝をひき、「陌上桑」の歌をうたって、自らを明らかにしたので、趙王は思いとまったとある。この詩をみると、趙王ではなくて、土地の長官大守が羅敷を見そめたことになっている。

列女伝、東家の女。秋胡詩、日出東南隅ということで、ほぼ同様な詩である。

《日出東南隅行》謝靈運

柏梁冠南山,桂宮燿北泉。晨風拂幨幌,朝日照閨軒。

美人臥屏席,懷蘭秀瑤璠。皎潔秋松氣,淑德春景暄。

日出東南隅行 謝霊運(康楽) 詩<68>Ⅱ李白に影響を与えた詩490 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1287

身を売った西家の女は傾城といわれるほどの妓女となって黄金で身を飾り、刺繍を施した肌着を身に纏えるほどの生活をしている。 しかし東家の女はただただ貧しさに苦しみながらも、その玉体を北国の人買いの手には渡さなかった。

 

 

    

李白《巻19-21 春日游羅敷潭 》

行歌入谷口,路盡無人躋。攀崖度壑,弄水尋迴溪。

雲從石上起,客到花間迷。淹留未盡興,日落群峰西。

(華州の漢の蘿敷の所縁の湖の淵で春の日に遊ぶ)

湖のほとりを歩行しつつ詩を歌うと、やがて谷の入り口より奥に入って行くと、道は尽きて昇ってゆく人がいなくなる。

景色が素晴らしい谷ということで、断崖を攀じ登り、壑をわたって、流水を弄して、曲がり曲った峡谷をたずねあるいた。

雲は石場より湧きあがり、客は花間に分け入るけれど路を迷ってしまう。

何時まで経っても興が尽きることが無く何時までもその地にとどまることになり、日は、華山から西に続く山の峰に沈んでゆくので帰り道を急ぐことになる。

176 《巻19-21 春日游羅敷潭 Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <176> Ⅰ李白詩1388 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5488

 

 

 

相和歌辭相和曲   漢の無名氏
《陌上桑》. (日出東南隅行)
日出東南隅、照我秦氏樓。秦氏有好女、自名為羅敷。
羅敷善蠶桑、採桑城南隅。青絲為籠系、桂枝為籠鉤。
頭上倭墮髻、耳中明月珠。緗綺為下裙、紫綺為上襦。
行者見羅敷、下擔捋髭須。少年見羅敷、
帽著幛頭。


耕者忘其犁、鋤者忘其鋤。來歸相怨怒、使君從南來。
五馬立踟躕、使君遣吏往。問此誰家姝、秦氏有好女。
自名為羅敷、羅敷年幾何。二十尚不足、十五頗有餘。
使君謝羅敷、寧可共載不。羅敷前致辭、使君一何愚。


使君自有婦、羅夫自有夫。東方千餘騎、夫婿居上頭。

何用識夫婿、白馬從驪駒。青絲系馬尾、黃金絡馬頭。

腰中鹿盧劍、可千萬餘。十五府小史、二十朝大夫。

三十侍中郎、四十專城居。為人潔白皙、髯髯頗有須。

盈盈公府步、冉冉府中趨。坐中數千人、皆言夫婿殊。

 

東南の隅から出た朝日が、まず、わが秦氏の高殿を照らす。その秦氏の美しい娘がいて自ら羅敷と名乗っている。羅敷は養蚕が上手、城郭の南隅で桑つみをする。そのいでたちは青い糸を籠のひもにし、桂の枝を籠のさげ柄にし、頭の上に垂れ髪のまげをむすび耳には明月の珠をかざり、浅黄色のあやぎぬを裳にし、紫のあやぎぬを上衣としている。
その美しい姿に道行く男は荷物をおろして見とれ、ひげをひねって体裁ぶり、若者は彼の女を見ると帽をぬいて、髻をつつんだ頭をあらわして気どって見せる。田を耕す人は犂を忘れ、畑をすく人は鋤を休めて見とれる。家に帰ってから怨んだり怒ったり、夫婦争いをするのも、じつはただ羅敷を見たことがもとなのだ。
ある日、国の太守が南の方からやって来て羅敷を見とめ、五頭立の馬車もそこに立ちどまって進もうとしない。太守は下役をよこしてたずねる。「これはどこの娘さんか」と。人々が答えた。
「秦家の美しい娘、その名は羅敷と申します」「年はいくつか」「二十にはまだならぬが、十五は大分過ぎています」
太守はそこで羅敷にあいさつし、「どうだ、わしの車で一緒に行くことはできぬか」と。羅敷が進み出て申しあげる。「太守さまはほんとにおばかさんだ。あなたさまにはもともと奥さまがいらっしゃるし、わたしにも夫があります。東地方千余騎の軍隊、わたしの夫はその頭にいます。

夫を何で見わけるかといえば、白い馬に黒の若駒を従え、青糸の紐をしりがいにし、黄金のおもがいをかざり、自分の腰には鹿盧の剣をおびている。その価は千万金余もする名剣。十五の歳に役所の書記だった夫は、二十で朝廷の大夫、三十では侍従職、四十では一城の主となりました。生まれつきのすっきりした色白、ふさふさとしたあごひげ、堂々と役所を歩み、さっさと役所内を急ぎまわる。威風あたりをはらって同坐の人々数千人、みなわたしの夫が目立ってすぐれていると申します」 と。 
スポンサーサイト



0 Comments

There are no comments yet.

Leave a reply