花間集 訳注解説 巻一25 (32)回目温庭筠 《酒泉子四首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7754

 温庭筠 《酒泉子四首其三》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016122

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

 

 

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花間集 巻一 (27)回目温庭筠 《更漏子六首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7724 (11/27)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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花間集 訳注解説 巻一25 (32)回目温庭筠 《酒泉子四首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7754

 

 

 

 

 

 

酒泉子四首 其三

 

 

 

 

 

 

宮官と職掌

 宮廷は小社会であり、宮人の中にも身分の高下貴賤があり、また様々な等級があった。后妃たちに「内官」の制度があったように、宮人たちには「宮官」の制度があった。宮官と内官を比較してみると、品階の上で差があったばかりでなく、いくらかの本質的な区別があったようだ。つまり、内官は官と称したが身分上は妃娘の身分に属すべきもの、つまり皇帝の妾でもあったが、宮官にそうした身分はなく、ただ宮中の各種の事務を司る職員にすぎなかった。当然、これはあくまで身分上のことに過ぎず、彼女たちと皇帝の実際の関係に何ら影響しないことは、ちざっど主人と家婢の関係と同じである。

 宮官は宮人の最上屑にある人々であり、後宮のさまざまな部局に属する職員であった。唐朝の後宮には六局(尚宮局、尚儀局、尚服局、尚食局、尚寝局、尚功局)があり、宮中のすべての事務を管理していた。六局の各首席女官の尚宮、尚儀、尚服、尚食、尚寝、尚功が六部の尚書(長官)になった。六局の下に二十四司を統括し、各司の女官はそれぞれ別に司記、司言、司簿、司闇、司籍、司楽、司賓、司賛、司宝、司衣、司飾、司使、司膳、司酷、司薬、司錨、司設、司輿、司苑、司灯、司制、司珍、司絃、司計に分けられていた。またその他に二十四典、二十四掌、及び宮正、阿監、形史、女史など各級の女官もあった。これらの女官には品級・給与が与えられており、彼女たちは礼儀、人事、法規、財務、衣食住行(行は旅行、出張等の手配)などの宮廷事務を担当した(『旧唐書』職官志三)。

 

 宮官は事務官であったから、必ずしも容貌とか、皇帝のお気に召すかどうかにこだわる必要はなく、良家の出身で才徳兼備の女性を選びさえすればよかった。著名な才女であった宋若昭は、徳宗によって宮中に召され宮官の首席尚宮に任命された。裴光廷の母車秋氏は婦徳の名が高く、武則天に召されて女官御正に封じられた(『新唐書』裴行倹伝)。

 六局の宮官の他に、宮中には内文学館があり、宮人の中の文学の教養ある者を選んで学士とし、妃娘や宮人に教養、読み書き、算術などを教育する仕事を担当させた。宋若昭は六宮の文学士をも兼ね、皇子、妃嬉、公主、騎馬(公主の婿)などを教育したので、「宮師」とよばれた。宮人の廉女真は隷書をよくし、宮中の学士に任じられたこともあった(『全唐詩』巻五一九、李遠「廉女真の葬を観る」)。唐末、李菌が一人の元宮人にあったところ、彼女は自らかつて「侍書家」であったと云った(孫光憲『北夢瓊言』巻九)。おそらく書に優れていたのでこの職に任命された宮人であったと思われる。

 これら宮官の中のある者は品級が高く、権勢があり、宮中で尊ばれたばかりか、はては外廷の官僚さえも彼女たちに取り入って功名を図ろうとした。こうしたことにより、一部の宮人は外朝の政治に関与することもできたが、しかし、彼女たちの身分は所詮皇帝の家婢にすぎなかった。ある皇子の守り役が太宗(李世民)の弟舒王に、‐1尚宮(宮官の長)の品秩の高い者には、お会いになった際に拝礼をなさるべきです」と論したところ、舒王は「これはわが二番目の兄(李世民)の家婢ではないか。何で拝する必要があるか?」と言った(『旧唐書』高祖ニトニ子伝)。この言葉は一語で宮官身分の何たるかを喝破している。

 

花間集タイトル002 

酒泉子四首其一
(高級官僚に「買斷」してもらうというのは女の夢だったが、男は仕事にかこつけ別れ、棄てられてしまった妓優の女を詠う)

羅帶惹香,猶系別時紅豆。
薄絹の肌着の上に結心帯をして香が漂うと惹かれあう、ふたりは別れがたく苦しくて悲しくて化粧を落とす小豆のような涙が数珠のように繋がって流れ落ちる。
淚痕新,金縷舊,斷離腸。

そして、涙が頬をつたいあふれおちる、その涙の後を又新しくする、あの方にもらった金絲の刺繍のうす絹はそのときのままだ。「買斷」をされ、あの方だけを待つ身となって、所用で別れることとなったものの、この下腹を斬る痛みを感じるのはおさえきれない。そのたびになみだがこぼれる
一雙嬌燕語雕梁,還是去年時節。
春から初夏、一ツガイのつばめが艶めかしく鷲の彫刻の梁の上で語り合っていて、それは逢瀬の時に横になって見上げたところなのだ。また、今年も去って行き、その時節が来ると又帰ってきて去るというのを繰り返すのに、妓優の所に音沙汰なし。
綠陰濃,芳草歇,柳花狂。
夏になればみどりの木陰はその色を濃くし、秋も過ぎれば、芳草の香りもしなくなり、そして、又春が来て柳絮の花は乱れ舞うのである。

(酒泉子四首其の一)
羅帶 香に惹かれ,猶お別れ時に紅豆に系かる。
淚痕 新たにし,金縷 舊く,離れ腸を斷つ。
一雙 燕を嬌して雕梁を語り,是に去る年 時節を還える。
綠陰 濃く,芳草 歇むは,柳花の狂なり。

 

酒泉子四首其二
(春、行楽にいつも寵愛を受けていた離宮にいる妃嬪が寵愛を失っての日常と、過ぎようとする春を悲しんで詠う、)

花映柳條,閑嚮綠萍池上。
花には日差しが当たり照り映えて、柳の枝は風に揺れる。離宮の春のこんなに良い日でも、誰も来ない池のふちを一人歩く、みどりの浮草に白蘋がただようを見るのが日課になっている。
憑欄杆,窺細浪,兩蕭蕭。

四阿の欄干にもたれ、細やかな細波の行方をよく覗いて見ている、やがて、此処の春景色さえ、妃嬪の心と同じように蕭々とした寂しさとなって来る。
近來音信兩疏索,洞房空寂寞。
近頃は、あのお方との手紙のやりとりも来訪のどちらもなくなり疎遠になって寵愛を受ける事は無いのだ。奥深い妃嬪のがらんどうの閨はひっそりとして寂しい。
掩銀屏,垂翠箔,度春宵。
悲しく泣き濡れた姿を銀の屏風でおおいかくし、迎春の翡翠のみどりのすだれを垂れたままにして、また侘しく過ぎようとする春の宵も移り変わっていく。
花は 柳條に 映じ,閑にして郷【むか】うは 綠萍【りょくびょう】池の上り。
欄干に憑【よ】り,細浪を窺【のぞ】けば,雨 蕭蕭たり。

近來 音信 兩 疏索にす,洞房 空しく寂寞たり。
銀屏を掩い,翠箔【すいはく】を垂して,春宵を度る。

 

酒泉子四首其三
(寵愛を受けたのも幾年前の春の事だった、十五までに後宮に入って、もう何度も春を過すのはここだけだ、ただ節供、例祭の時に儀礼的に遭うだけで、寵愛を受けることもない、故郷の春も遠いおもいでしかないと詠う。)

日映紗窗,金鴨小屏山碧。
日が西に傾きはじめると軒の影になっていたが、薄絹を張った妃嬪の部屋の窓に日差しが映えている。金の鴨の刺繍のうす絹を上かけ、妃嬪は寝牀に横たわり、そのそばに山の端の緑の稜線がえがかれて、連山を為している。
春,煙隔,背蘭釭。
十五までに後宮に入って、もう何度も春を過すのはここだけだ、此処での生活も故郷の春霞に遠く隔てられているので、今になれば故郷も春がなつかしくてしかたがない。蘭の火灯を皿にともしたままに背を向けて春を過すのも馴れてきた。

宿妝惆悵倚高閣,千裏雲影薄。
寝化粧をしたままにつらく悲しんで高楼の手摺に寄りかかる。眺め遣る千里の先にある故郷につながる雲の影も薄くなる。
草初齊,花又落,燕雙雙。

春が来て行楽に出かけ、初めての「斉眉之礼」をしたけれども、それだけで、寵愛を受けることはない、時は過ぎまた花が落ちて、ツバメは梁の上でツガイ、飛び交うのもツガイである、こうして生きていくしかないのだ。

(酒泉子四首其の三)
日 紗窗に映し,金鴨 小屏 山の碧。
の春,煙の隔,蘭釭を背す。
宿妝 惆悵して高閣に倚るは,千裏 雲影薄し。
草 初めて齊し,花又落つるは,燕 雙雙たり。



花鈿02



 

『酒泉子四首』其三 現代語訳と訳註
(
本文)
 

酒泉子四首其三
日映紗窗,金鴨小屏山碧。
春,煙隔,背蘭釭。
宿妝惆悵倚高閣,千裏雲影薄。
草初齊,花又落,燕雙雙。


(下し文)
(酒泉子四首其の三)
日 紗窗に映し,金鴨 小屏 山の碧。
の春,煙の隔,蘭釭を背す。
宿妝 惆悵して高閣に倚るは,千裏 雲影薄し。
草 初めて齊し,花又落つるは,燕 雙雙たり。

(現代語訳)
(寵愛を受けたのも幾年前の春の事だった、十五までに後宮に入って、もう何度も春を過すのはここだけだ、ただ節供、例祭の時に儀礼的に遭うだけで、寵愛を受けることもない、故郷の春も遠いおもいでしかないと詠う。)

日が西に傾きはじめると軒の影になっていたが、薄絹を張った妃嬪の部屋の窓に日差しが映えている。金の鴨の刺繍のうす絹を上かけ、妃嬪は寝牀に横たわり、そのそばに山の端の緑の稜線がえがかれて、連山を為している。
十五までに後宮に入って、もう何度も春を過すのはここだけだ、此処での生活も故郷の春霞に遠く隔てられているので、今になれば故郷も春がなつかしくてしかたがない。蘭の火灯を皿にともしたままに背を向けて春を過すのも馴れてきた。

寝化粧をしたままにつらく悲しんで高楼の手摺に寄りかかる。眺め遣る千里の先にある故郷につながる雲の影も薄くなる。
春が来て行楽に出かけ、初めての「斉眉之礼」をしたけれども、それだけで、寵愛を受けることはない、時は過ぎまた花が落ちて、ツバメは梁の上でツガイ、飛び交うのもツガイである、こうして生きていくしかないのだ。

甘粛省-嘉峪関0051


(訳注)

酒泉子四首其三
(寵愛を受けたのも幾年前の春の事だった、十五までに後宮に入って、もう何度も春を過すのはここだけだ、ただ節供、例祭の時に儀礼的に遭うだけで、寵愛を受けることもなく、故郷の春も遠いおもいでしかないと詠う。)


57.
 唐以降の中国王朝における宮廷に仕える楽人や妓女たちに宮廷音楽を教習させるための機関をさす。楽曲や歌舞の習得を主な目的とするが、官妓にあたる妓女を統括する役割もあった。その後の王朝に引き継がれ、清代まで続いたが、雍正帝の時に廃止された。
『酒泉子』は宮廷で歌われたこの教坊曲である。

唐の教坊の曲名。異形式の多い曲である。『花間集』には二十六首所収。溫庭筠の作は四首収められている。其二、双調四十一字、前段十九字五句二平韻二仄韻、後段二十二字五句二平韻三仄韻で、❹⑥3③❸/❼❺③❸③の詞形をとる。
日映紗
,金鴨小屏山
春,煙,背蘭
宿妝惆悵倚高
,千裏雲影
草初
,花又,燕雙

  
   

 

   


日映紗窗,金鴨小屏山碧。
日が西に傾きはじめると軒の影になっていたが、薄絹を張った妃嬪の部屋の窓に日差しが映えている。金の鴨の刺繍のうす絹を上かけ、妃嬪は寝牀に横たわり、そのそばに山の端の緑の稜線がえがかれて、連山を為している。
58・紗窗 薄絹を張った窓。
李白『宮中行樂詞八首 其五』「繡
香風暖。 紗窗曙色新。 宮花爭笑日。 池草暗生春。 綠樹聞歌鳥。 青樓見舞人。 昭陽桃李月。羅綺自相親。」
59
・鴨 カモ科の鳥類のうち、雁(カリ)に比べて体が小さく、首があまり長くなく、冬羽(繁殖羽)では雄と雌で色彩が異なるものをいう。カルガモのようにほとんど差がないものもある。
小屏山 「山」の前に「小」が来る場合、女性が屏風の前に横に伏している寝姿をいう。この場合女性だけが一人で寝ている姿をいう。屏風に画かれた遠山に対して女性のシルエットは近き山ということ。男に捨てられた女性、帰らぬ夫を待つ女性の場合に使われる語である。

『菩薩蠻』 (一) 
小山重疊金明滅,鬢雲欲度香顋雪。
懶起畫蛾眉。弄妝梳洗遲。
照花前後鏡。花面交相映。
新帖繡羅襦。雙雙金鷓鴣。

『花間集』全詩訳注解説(改訂)-1溫庭筠1《菩薩蠻十四首 其一》溫庭筠66首巻一-〈1〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5202


春,煙隔,背蘭釭。
十五までに後宮に入って、もう何度も春を過すのはここだけだ、此処での生活も故郷の春霞に遠く隔てられているので、今になれば故郷も春がなつかしくてしかたがない。蘭の火灯を皿にともしたままに背を向けて春を過すのも馴れてきた。

60. 故 選抜されて宮廷に入ったものは、主に地方の名門の者が選ばれた。特に洛陽方面、徐州、蘇州、江南の名門の子女は小さいうちから登録されていて十五歳前後までに後宮に入った。ただ、宮女となると、必ずしも高貴な家柄の出ではなかったが、しかし大多数は「良家」の出身、つまり一般の官僚あるいは士人の家の出であった。唐朝の諸帝は、前後して何度となく民間の良家の娘を広く選抜して後宮に入れた。後宮や東宮(皇太子の宮殿)の女官に欠員が生じた場合は、みな良家の才智と徳行のある女性を当て、礼をもって招聴されるようにとされた。また罪人として宮廷に入れられた者や、もともと下賎の家の者はみな補充に当てないようお願いいたします」(『資治通鑑』巻一九五、太宗貞観十三年)と。唐の太宗はこの意見を入れ、すすんで「天子自ら良家の娘を選び、東宮の女官に当てた」 ことがあった(『資治通鑑』巻一九七、太宗貞観十七年)。

これ以後、唐の歴代の皇帝は、後宮や太子、諸王のために妃を選ぶ時にはひじょうに家柄を重んじ、常に良家の中から広く娘を選び、「龍子龍孫」(皇帝の子や孫)が下賎の家の女から生れないようにした。玄宗皇帝は、皇太子や諸王のために「百官の子女」、「九品官(一品官から九品官に至る官僚)の息女」を選んで宮中に入れた(『全唐文』巻三五、玄宗「皇太子諸王妃を選ぶ勅」、『新唐書』十二宗諸子伝)。文宗は皇太子の妃を選んだとき、百官に「十歳以上の嫡女(正妻の生んだ女子)、妹、姪、孫娘をすべて報告せよ」(『全唐文』巻七四、文宗「皇太子妃を選ぶ勅」)と命じた。荘格太子(文宗の子、名は李永)のために妃を決める時には、もっぱら「汝州(河南省臨安。洛陽の東南)、鄭州(河南省鄭州)一帯の高貴な身分の家の子女を対象に新婦を求めた」(王講『唐語林』巻四「企羨」)。十数歳に達した「良家の子女」は、この種の選抜をへて多数宮廷に入ったのであるが、彼女たちの中のほんの少しの者だけが幸運を得て妃嬢に列し、大多数の者は名もなき宮女のままで生涯を終えたのである。


宿妝惆悵倚高閣,千裏雲影薄。
寝化粧をしたままにつらく悲しんで高楼の手摺に寄りかかる。眺め遣る千里の先にある故郷につながる雲の影も薄くなる。
61.・宿粧 寝化粧をし、床に就き、うとうととして、眠れぬままに朝になり、起きだした時の顔の状態をいう。宵越しの化粧で多くはいつ来るのかと待ちわびて憂愁のためにくずれているものをいう。
温庭筠『菩薩蠻 三』
蕊黃無限當山額,宿妝隱笑紗窗隔。
相見牡丹時,暫來還別離。
金作股,上蝶雙舞。
心事竟誰知?月明花滿枝。
62.
・惆悵 歎き悲しむさま。恨んで嘆く。


草初齊,花又落,燕雙雙。
春が来て行楽に出かけ、初めての「斉眉之礼」をしたけれども、それだけで、寵愛を受けることはない、時は過ぎまた花が落ちて、ツバメは梁の上でツガイ、飛び交うのもツガイである、こうして生きていくしかないのだ。
63.
・斉眉  《後漢の梁鴻の妻の孟光が食膳を捧げるとき、その高さを眉(まゆ)と斉(ひと)しくしたという「後漢書」梁鴻伝の故事から》妻が夫を深く尊敬して仕えること。

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