1.花間集 全500首 訳注解説(3)回目 序文漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7580
古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。趙崇祚の贅の限りを尽くした邸宅の文芸サロンで、木陰に遊び、詩を論じ、道を論じ合ったが爭うことはなく、そこで、数知れぬ鼈甲の簪を飾った妓女を競わぬ者はなかったのだ。盛大な宴席においては歌向ける大盃を呑み競うけれど、趙一族の邸宅に在る数多くの珊瑚の樹の豪華さを競い合える者はまったくいなかった。かくて、きらびやかな宴席には公子たちが侍り、繍の帳の陰にはかならず美人が寄り添っていたのである。公子は歌をしたためた色紙を風流な美人に寄せたもので、彼らが良いと思ったものを選び、その歌の文句は麗しい錦のような煌びやかで、あでやかな詞を選び出す。洗練された美人は白玉のような細い指で、選ばれたその詞を拍子木で調子を取って歌う。その選ばれた清らかな歌の詞は、佳人の艶やかさによって、いやが上にも引き立てずられたのである。
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| 花間集 五百首 序 歐陽烱 | | |||
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花 間 集
(1)
『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。
欧陽烱はまず冒頭で、『花間集』に収められた詞は、玉に彫刻を施しその美しきに一層の磨きをかけたようなものであり、天然の造化を模倣しながらも、それより造かに巧みであること、またそれは、あたかも春の花や葉を切り取って、春と鮮やかさを競い合ぅかのようであると断言する。
(2)
その歌は、昔、国中を探してもわずか数人の著しか歌えなかった高雅な白雲謡の歌にも似て、それを仙女のような女性が歌えば、それを聞きつつ酒を傾ける男たちほ陶然として酒に酔うと述べ、『花間集』の詞が歌姫の侍る宴席で歌われるものであったことを示唆する。「春の艶やかさを奪い」とは、『花間集』に詠われた季節に春が圧倒的に多いことによる。仙女のような歌姫が歌う『花間集』の詞は、その昔の一つ一つが自ずから鸞鳥の鳴き声に合致し、その響きは空を流れる雲をも留めるほどであり、その言葉の一つ一つは十二音階の音律にぴったりと合っていることを指摘する。
花間集序花間集序
作者:武徳郡節度判官歐陽炯 撰
鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。名高白雪,聲聲而自合鸞歌。響遏青雲,字字而偏諧鳳律。楊柳大堤之句,樂府相傳。芙蓉曲渚之篇,豪家自制。莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。競富樽前,數十珊瑚之樹。則有綺筵公子,繡幌佳人,遞葉葉之花箋,文抽麗錦。舉纖纖之玉指,拍按香檀。不無清絕之辭,用助嬌嬈之態。自南朝之宮體,扇北裏之倡風,何止言之不文,所謂秀而不實。有唐已降,率土之濱,家家之香徑春風,寧尋越豔。處處之紅樓夜月,自鎖常娥。在明皇朝則有李太白應制《清平樂》詞四首,近代溫飛卿複有《金筌集》。邇來作者,無愧前人。今衛尉少卿趙崇祚,以拾翠洲邊,自得羽毛之異。織綃泉底,獨殊機杼之功。廣會眾賓,時延佳論。因集近來詩客曲子詞五百首,分為十卷,以炯粗預知音,辱請命題,仍為序引。昔郢人有歌《陽春》者,號為絕唱,乃命之為《花間集》。庶(以陽春之甲將)使西園英哲,用資羽蓋之歡。南國嬋娟,休唱蓮舟之引。時大蜀廣政三年夏四月日序。
花間集序-#1
(花間集序)
鏤玉雕瓊,擬化工而回巧。
『花間集』の詞は美玉をさらに彫刻を施したようだ、造化にならってそれよりも遙かに巧みである。
裁花剪葉,奪春豔以爭鮮。
そこにある詩の花や葉を裁ち、剪定してととのえ、男と女の春の艶めきを取り込んで鮮やかさを競い合うがごとく作った歌をあつめている。
是以唱雲謠則金母詞清,挹霞醴則穆王心醉。
それ故に穆王がために白雲の歌を唱えは、西王母の歌声は清らかに、仙酒を酌めば、穆王は心から酔いしれるものをとりあげる。
名高白雪,聲聲而自合鸞歌。
その歌は国中でわずか数人の者しか歌えなかったという白雪の歌よりも名が轟き、その昔の一つ一つは作られた歌詞が美しい音楽に自ずから鸞鳥の唱に合っているというものを選んでいる。
響遏青雲,字字而偏諧鳳律。
その響きは行く雲をも留めて感動的であるし、言葉の一つ一つは十二律の音律にみな唱和し、適合している。
(花間集の序)
玉を鏤り瓊を雕り,化工に擬【のぞら】えて回【はる】かに巧なり。
花を裁ち葉を剪り,春豔を奪いて以って鮮を爭う。
是を以て雲謠を唱えば則ち 金母の詞 清らかなり,霞醴を挹めば則ち 穆王の心 醉うなり。
名は白雪より高く,聲聲は而して自ら鸞歌に合す。
響は青雲を遏【とど】め,字字は而して偏に鳳律に諧【かな】う。
-#2
楊柳大堤之句,樂府相傳。
古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。
芙蓉曲渚之篇,豪家自制。
漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。
莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。
趙崇祚の贅の限りを尽くした邸宅の文芸サロンで、木陰に遊び、詩を論じ、道を論じ合ったが爭うことはなく、そこで、数知れぬ鼈甲の簪を飾った妓女を競わぬ者はなかったのだ。
競富樽前,數十珊瑚之樹。
盛大な宴席においては歌向ける大盃を呑み競うけれど、趙一族の邸宅に在る数多くの珊瑚の樹の豪華さを競い合える者はまったくいなかった。
則有綺筵公子,繡幌佳人,
かくて、きらびやかな宴席には公子たちが侍り、繍の帳の陰にはかならず美人が寄り添っていたのである。
遞葉葉之花箋,文抽麗錦。
公子は歌をしたためた色紙を風流な美人に寄せたもので、彼らが良いと思ったものを選び、その歌の文句は麗しい錦のような煌びやかで、あでやかな詞を選び出す。
舉纖纖之玉指,拍按香檀。
洗練された美人は白玉のような細い指で、選ばれたその詞を拍子木で調子を取って歌う。
不無清絕之辭,用助嬌嬈之態。
その選ばれた清らかな歌の詞は、佳人の艶やかさによって、いやが上にも引き立てずられたのである。
-#2
楊柳大堤の句、楽府 相い伝え、芙蓉曲渚の篇、豪家 自ら製す。
高門の下、三千の玳瑁の簪を争い、富罇の前、数十の珊瑚の樹を競わざるは莫し。
則ち綺延の公子、繍幌の佳人 有り、
葉葉の花牋を逓し、文は麗錦を抽き、
繊繊たる玉指を挙げて、柏は香檀を按ず。
清絶の辞、用て矯饒の態を助くること無くんはあらず。
『花間集序』 現代語訳と訳註解説
(本文) -#2
楊柳大堤之句,樂府相傳。
芙蓉曲渚之篇,豪家自制。
莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。
競富樽前,數十珊瑚之樹。
則有綺筵公子,繡幌佳人,
遞葉葉之花箋,文抽麗錦。
舉纖纖之玉指,拍按香檀。
不無清絕之辭,用助嬌嬈之態。
(下し文)-#2
楊柳大堤の句、楽府 相い伝え、芙蓉曲渚の篇、豪家 自ら製す。
高門の下、三千の玳瑁の簪を争い、富罇の前、数十の珊瑚の樹を競わざるは莫し。
則ち綺延の公子、繍幌の佳人 有り、葉葉の花牋を逓し、文は麗錦を抽き、繊繊たる玉指を挙げて、柏は香檀を按ず。
清絶の辞、用て矯饒の態を助くること無くんはあらず。
(現代語訳)
古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。
漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。
趙崇祚の贅の限りを尽くした邸宅の文芸サロンで、木陰に遊び、詩を論じ、道を論じ合ったが爭うことはなく、そこで、数知れぬ鼈甲の簪を飾った妓女を競わぬ者はなかったのだ。
盛大な宴席においては歌向ける大盃を呑み競うけれど、趙一族の邸宅に在る数多くの珊瑚の樹の豪華さを競い合える者はまったくいなかった。
かくて、きらびやかな宴席には公子たちが侍り、繍の帳の陰にはかならず美人が寄り添っていたのである。
公子は歌をしたためた色紙を風流な美人に寄せたもので、彼らが良いと思ったものを選び、その歌の文句は麗しい錦のような煌びやかで、あでやかな詞を選び出す。
洗練された美人は白玉のような細い指で、選ばれたその詞を拍子木で調子を取って歌う。
その選ばれた清らかな歌の詞は、佳人の艶やかさによって、いやが上にも引き立てずられたのである。
(訳注) -#2
花間集序
『花間集』詞人の一人である欧陽烱は、衛尉少卿の任にあった趙崇祚が大勢の文士を集めて討論をさせ、選んだ五百首の詞集を編纂し、題名を付けるよう請われ、序の形で、その経緯や『花間集』詞の特質や『花間集』詞が如何なる文学の流れを汲むものか、またそれがどんな環境のもとで歌われたかを明らかにした。
楊柳大堤之句,樂府相傳。
古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」の歌は、楽府詩、教坊の曲として長く伝えられているようなものを選んだのである。
○楊柳大堤 古楽府の名曲「折楊柳」「楊柳枝」、「大堤曲」「大堤行」等を指す。
芙蓉曲渚之篇,豪家自制。
漢の古詩で詠った「芙蓉」、六朝何遜の「曲渚」の篇は文豪大家が自ら作ったものであるものを選んだ。
○芙蓉曲渚之篇 ・芙蓉(蓮)を詠った「古詩十九首」第六首「涉江采芙蓉,蘭澤多芳草。采之欲遺誰,所思在遠道。還顧望舊鄉,長路漫浩浩。同心而離居,憂傷以終老。」 (江を捗【わた】りて芙蓉【ふよう】を采る、蘭澤【らんたく】芳草【ほうそう】多し。之を采りて誰にか遺【おく】らんと欲する、思ふ所は遠道【えんどう】に在り。還【めぐ】り顧【かえりみ】て 旧郷を望めば、長路漫として浩浩たらん。同心にして離屈【りきょ】せば、憂傷【ゆうしょう】して以て終に老いなん。)
・曲渚(入り江)を詠った南朝梁・何遜作《送韋司馬別詩》「送別臨曲渚,征人慕前侶。離言雖欲繁,離思終無緒。」(韋司馬の別れを送る)詩の「入り江に臨んで別れを見送れば、旅立つ君は友なる我を思う」を指す。いずれも古代の名詩。
莫不爭高門下,三千玳瑁之簪。
趙崇祚の贅の限りを尽くした邸宅の文芸サロンで、木陰に遊び、詩を論じ、道を論じ合ったが爭うことはなく、そこで、数知れぬ鼈甲の簪を飾った妓女を競わぬ者はなかったのだ。
〇高門下 趙崇祚の贅の限りを尽くした邸宅の文芸サロンで、木陰に遊び、詩を論じ、道を論じ合ったことをいう。このサロンの談論風発する中で五百首集めた。
○三千玳瑁之簪 三千もの鼈甲の簪。ここでは富豪が互いに贅を競い合うことを言う。
競富樽前,數十珊瑚之樹。
盛大な宴席においては歌向ける大盃を呑み競うけれど、趙一族の邸宅に在る数多くの珊瑚の樹の豪華さを競い合える者はまったくいなかった。
○数十珊瑚之樹 数十もの珊瑚の木。本句も前注同様、趙家と他の富豪の贅を互いに競い合う、の意だが、趙家は富豪たちの贅を凌駕しているからこそ、そこのサロンに権威があったのだ。
則有綺筵公子,繡幌佳人,
かくて、きらびやかな宴席には公子たちが侍り、繍の帳の陰にはかならず美人が寄り添っていたのである。
○繍幌 刺繍を施した垂れ幕。豪奢な閨をいう。蜀の地に長安・中原の雅な妓優、江南の風流な美人たちが逃げて、集まってきていたことを示す。
遞葉葉之花箋,文抽麗錦。
公子は歌をしたためた色紙を風流な美人に寄せたもので、彼らが良いと思ったものを選び、その歌の文句は麗しい錦のような煌びやかで、あでやかな詞を選び出す。
○逓 送り伝える。ここでは公子が佳人に送ることを言う。
○葉葉之花箋 歌を書きつけた一枚一枚の色紙。儀は詩文や手紙を書くための紙。この地には、中唐の薛濤の手による薛濤䇳が有名である。
○文抽麗錦 歌の文句は麗しい錦のような煌びやかで、あでやかな詞を選び出す。
舉纖纖之玉指,拍按香檀。
洗練された美人は白玉のような細い指で、選ばれたその詞を拍子木で調子を取って歌う。
○拍按香檀 拍子木を打ってリズムを取る。香檀は拍子をとるための板状の楽器。香は修飾の語。
不無清絕之辭,用助嬌嬈之態。
その選ばれた清らかな歌の詞は、佳人の艶やかさによって、いやが上にも引き立てずられたのである。
○嬌嬈 艶めいてたおやかなさま、またそのような女性によってえらばれた500首はさらに良い詞となったということ。
【字解】花間集序
武徳郡節度判官 歐陽炯 撰
○武徳軍節度判官 官名。節度判官は節度使の属官。
○欧陽烱(896-971) 五代の詞人。益州華陽(今の四川省成都)の人。前蜀、後唐、後蜀、宋と四王朝に仕えた。笛に長じ、歌詞を多く作ったが、一流のものは少なかった。なお宋書』 では烱の字が迥になっている。『花間集』に十七首の詞が、『尊前集』に三十一首の詞が収められ、今日、計四十八首の詞が伝わる。欧陽桐の「花間集序」は、当時、詞がどのような環境のもと、何を目的にして作られたか、あるいは詞の由来がどのように認識されていたかについて言及しており、詞史の上で、貴重な文献になっている。
益州の華陽、今の四川省成郡の人。若くして前蜀の王衍に仕えて中書舎人となり、後唐に前蜀が滅ぼされると、王衍に従って洛陽に行った。その後、孟知祥が後蜀を建てたので、欧陽烱は蜀に移り、中書舎人、翰林学士、礼部侍郎、陵州の刺史、吏部侍郎等に任じられた。後蜀が宋によって亡ぼされると、宋朝に帰した。欧陽烱は笛に長じていたので、末の太祖超匡胤は常に彼を召し出し笛を演奏させたと伝えられる。欧陽烱は音楽に明るかったということで、『花間集』の編者、後蜀の趙崇祚に請われて『花間集』の序文を書いた。序文の日付は、後蜀の広政三年(940年)夏四月になっている。欧陽烱の詞は、『花間集』には十七首が収められている。
○鏤玉雕瓊 『花間集』の詞は美しい玉にさらに彫刻を施したようだ、ということ。鐘は彫り刻む。壇は赤玉。
○鏤玉雕瓊 この句も『花間集』の詞の素晴らしさを言う。擬はなぞらえる。化工は造化・造物主のたくみさ。回は迥、遙か。
○春豔以爭鮮 妃嬪、後宮宮女、教坊の曲、妓優、妓女の恋心、逢瀬、別離、棄てられた後の生活、を艶やかに詠う。
○是以 そういうわけで、それ故。
○唱雲謡則金母詞清 「雲謡」は白雲謡。「金母」は西王母。「穆天子伝」に中国の西の果て、西王母の住まう崑崙山の山頂にある池の名。『穆天子伝』に「(穆)天子 西王母を瑤池の上に觴し(酒を勧め)、西王母 天子の為に謡う」というように、西王母が穆天子と会した場。穆天子は周の穆王が伝説化された存在。仙界の女王である西王母と地上の帝王とが交歓する故事は、穆天子のほかに、漢の武帝の話もある。老子が西王母と一緒に碧桃(三千年に一度実が生るという仙界の桃)を食べたという話がある(『芸文類聚』巻八六などが引く『尹喜内伝』)。『漢武故事』には、西王母が七月七日に漢の武帝のもとを訪れ、持参した桃を食べさせた、武帝がその種を取っておこうとすると、西王母がこの桃は三千年に一度実を結ぶものだから地上で構えても無駄だと笑った。どうしてもほしいなら、と約束の訓戒を与えた。武帝は、訓戒を守らず侵略のための浪費と、宮殿を数多くたててまっていた 本句は、西王母と穆天子、老子の故事を借り、『花間集』の詞は、すべての詞が歌姫の侍る宴席で歌われるものであったことを示す。
○挹 酒を酌む。
○霞醴 仙酒。
○穆王 前注の穆天子。
○白雪 古代の高雅な名曲の名。国中でわずか数人の者しか歌えなかったという。○合鸞歌 作られた歌詞が美しい音楽に合っている。鸞は霊鳥の名。鳳凰の一種。神霊の精で、五色の色をそなえ鶏の形をし、鳴き声は五音に適い、ゆったりと厳かで、嬉しい時には舞い踊って楽しむという。
○響遏青雲 歌の響きが流れる雲さえも止めるほどに感動的である。
○鳳律 十二律の音階。十二律は十二音の楽律で、八度にわたる音列を十二音階で形成したもの。今日の音階のハ調と、へ調に当たる。