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花間集巻五 牛希濟十一首

花間集 訳注解説 (266)回目牛希濟巻五40臨江仙七首其五》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9261

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266)回目牛希濟巻五40臨江仙七首其五》

 

 

20171014

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

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花間集 訳注解説 (266)回目牛希濟巻五40臨江仙七首其五》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9261

(洛陽の上陽宮にはたくさんの純真な女たちが初めての夜を過ごし、晴れやかな夜を過ごし、特に千年前の魏の曹植のコイバナは今も有名な話であるとを詠う)

昼間の洛陽の都に春のひかりがふりそそぎ、洛水には万遍なくさざ波が光きらめいている。ここには千年の妃嬪、宮妓の媚艶があり、たくさんの初夜を過したことが積み重なっている。

白紵は入り混じり、波のようにひるがえり、うす絹の下着靴下を履いた女たちは軽やかに跳ね回って踊っているし、香炉の煙が上ぶたの所で燻り、日に照らされた日々に、珠玉、ひすいのかざりにそれぞれに光を分けている。

風にふかれるとその宝玉に包まれた着物は踊っているのかとみまちがえる、帳の鸞が飛んで、鳳凰がはばたいているようで驚くのをこらえ堪えている。

このことは心を許すということは体を一つにすることなど恐れることはないということを理解すべきである。それは魏の曹植が「神洛賦」にあらわしている、だから、それから千年たってもそのことは有名なことなのである。

 

 

 

花間集 巻五 臨江仙七首

牛希濟

 

 

 

巻五36臨江仙七首其一

峭碧參差十二峯,冷煙寒樹重重。瑤宮殿是仙蹤,金鑪珠帳,香靄晝偏濃。

一自楚王驚夢斷,人間無路相逢。至今雲雨帶愁容,月斜江上,征棹動晨鐘。

 

巻五37臨江仙七首其二

謝家仙觀寄雲岑,岩蘿拂地成陰。洞房不閉白雲深,當時丹竈,一粒化黃金。

石壁霞衣猶半挂,松風長似鳴琴。時間唳鶴起前林,十洲高會,何處許相尋?

 

巻五38臨江仙七首其三

渭闕宮城秦樹凋,玉樓獨上無憀。含情不語自吹簫,調情和恨,天路逐風飄。

何事乘龍入忽降,似知深意相招。三清攜手路非遙,世間屏障,彩筆劃嬌饒。

 

巻五39臨江仙七首其四

江繞黃陵春廟閑,嬌鶯獨語關關。滿庭重疊綠苔斑,陰雲無事,四散自歸山。

簫鼓聲稀香燼冷,月娥斂盡彎環。風流皆道勝人間,須知狂客,判死為紅顏。

 

巻五40臨江仙七首其五

素洛春光瀲灩平,千重媚臉初生。淩波羅襪勢輕輕,煙籠日照,珠翠半分明。

風引寶衣疑欲舞,鸞迴鳳翥堪驚。也知心許無恐成,陳王辭賦,千載有聲名。

 

巻五41臨江仙七首其六

柳帶搖風漢水濱,平蕪兩岸爭勻。鴛鴦對浴浪痕新。弄珠遊女,微笑自含春。

輕步暗移蟬鬢動,羅裙風惹輕塵。水精宮殿豈無因?空勞纖手,解珮贈情人。

 

巻五42臨江仙七首其七

洞庭波浪颭晴天,君山一點凝煙。此中真境屬神仙,玉樓珠殿,相映月輪邊。

萬里平湖秋色冷,星辰垂影參然。橘林霜重更紅鮮,羅浮山下,有路暗相連。

 

張舍人泌

臨江仙一首

毛文錫(毛司徒文錫)

臨江仙一首

牛學士希濟

臨江仙七首

和凝

臨江仙二首

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臨江仙三首

孫少監光憲

臨江仙二首

魏太尉承班

臨江仙二首

鹿虔扆

臨江仙二首

毛秘書熙震

臨江仙二首

李秀才珣

臨江仙二首

閻處士選

臨江仙二首

 

8.牛希済

牛學士希濟、咸通十三年頃(872年頃~末詳)、隴西(今の甘粛省隴西)の人。牛嶠の兄の子。前蜀に仕えて起居郎、翰林学士、御史中丞等の職を歴任、同光三年(925年)、後唐によって蜀が滅ぼされると、後唐に降り洛陽に入った。後唐の明宗が、蜀の旧臣に「蜀主、巨唐に降る」という詩を作らせると、みな蜀主の荒淫をそしったが、年希済だけは蜀主非難の言葉を吐かなかったので、明宗は彼を蕹州〔今の陝西省西安の西北)の節度副使に任じた。『花間集』には十一首の詞が収められている。

 

 

 

花間集 教坊曲《臨江仙七首其五》牛希濟

 

 

花間集 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9261

 

 

 

臨江仙七首 其一

(瞿塘峡夔門からの眺望、巫山の詠懐、夜明けの旅立ちを詠う)

峭碧參差十二峯,冷煙寒樹重重。

瞿塘峡夔門は緑色を濃くし、高くけわしい峰がポコポコと入り乱れて聳える巫山の十二の峯々をのぞむ。そこには薄雲が冷たくかかり、寒気は木樹に重々しく蔽っている。

宮殿是仙蹤,金鑪珠帳,香靄晝偏濃。

巫山の宮殿には瑤が踊り、だからここは神仙のものの足跡を残している、金の飾りの手あぶりの香炉があり、宝飾の珠とばりに飾られている。お香が焚かれるとここには昼というのに霞のように濃く漂う。

一自楚王驚夢斷,人間無路相逢。

それもただ一度だけのことにより、宋玉『高唐の賦』にいう楚王は夢を断たれ驚いて醒める。人間というものは、決まった道はなくただこの日の逢瀬を楽しむことなのだ。

至今雲雨帶愁容,月斜江上,征棹動晨鐘。

それで今にいたる、楚王と瑤姫の「雲雨」をおもうと、別れには愁いの顔つきになる。月は西にかたむき長江の水面に映す。遠くに往く大きな船は早くから準備をし、朝早の出発の鐘の音を待つ。

(臨江仙七首 其の一)

峭碧 參差 十二峯,冷煙 寒樹 重重たり。

 宮殿 是れ仙蹤なり,金鑪 珠帳,香靄 晝に偏りて濃く。

一つに自ら楚王 夢斷れて驚く,人間 路無く相い逢う。

今に至るも雲雨 愁容を帶び,月斜きて江の上り,棹を征し晨鐘を動かす。

 

(改訂版Ver.2.1

臨江仙七首其二

(晋の謝家の立てた通観を尋ね、其の地の様子を述べる、そこに、林の前で松風が琴の音のように聞こえたことで、敗軍で逃げ続けた謝家を思い、東方朔が『海内十洲記』で述べたような高尚な出会いは、何処にあるのかと誰かに聞きたいと詠う。)

謝家仙觀寄雲岑,岩蘿拂地成陰。

謝家館は仙郷寺観のようであり、雲のうえに聳えている。岩場に垂れる蘿は岩場をはらっているし、それから木々に絡んで日を遮り、地面は陰を暗くしている。

洞房不閉白雲深,當時丹竈,一粒化黃金。

洞房は閉められることはなく、白雲が深く、一体化している。丁度いま、金丹を釜戸で練っており、やがてその一粒は黄金に変わっていく。

石壁霞衣猶半挂,松風長似鳴琴。

石の壁にはうす絹の羽衣がかけてあり、そして戸張も半分くらい巻き上げてたれている、岩場に立つ松を風が抜けると琴の音色に似ている。

時間唳鶴起前林,十洲高會,何處許相尋?

時が経つにつれ「風声鶴唳」と林の前で松風があるだけで、晉の謝家のようにおどろくのであり、それに、東方朔『海内十洲記』の中の高尚な出会いは、何処にあるのか尋ねたい、それはだれに聞けばよいのだろうか。

(臨江仙七首 其二)

謝家 仙觀 雲岑に寄り,岩蘿 地を拂い陰を成す。

洞房 閉くことなく、白雲深し,時に當って丹竈し,一粒 黃金に化す。

石壁 霞衣 猶お半ば挂り,松風 長じて鳴琴に似たり。

時間すれば 「唳鶴」す 前林に起きるを,「十洲高會」,何處にか相い尋ねんことを許さん?

 

(改訂版Ver.2.1

臨江仙七首 其三

(男女の仲は永遠に続くものではないが、「三清」がふたりをみとめてくれるほどに、情愛を調和させることであり、障壁を乗り越える努力をすることであると詠う。)

渭闕宮城秦樹凋,玉樓獨上無憀。

渭水は秦の都、咸陽、次時代の長安の城門であった、その宮城と長安城を見守ってきた大木の秦樹もやがて凋落していったのだ。そして、いま、きらびやかに輝いている高楼に一人登ってみるとそこからは心が晴れやかにはならない。

含情不語自吹簫,調情和恨,天路逐風飄。

秦の穆公の時、「蕭史あり、善く簫を吹く。」とあり、簫を吹くだけで語り合うことはなかったが、情の愛心を持っていた、やがて情愛を調和することになり、怨みを和ませることになる。そして二人は天への道を登っていきついには風に乗りひらひらと天に上ってしまう。

何事乘龍入忽降,似知深意相招。

何事があったのか、それは簫史が竜に乗り、弄玉は鳳に乗って、入っていき、そして降りて行ったのだ。これらの話で類似していることは、男女の愛は意志を深く持つことであり、たがいにまねきいれることなのである。

三清攜手路非遙,世間屏障,彩筆劃嬌饒。

こうして、道教の最高神格の「三清」がふたりをみとめてくれれば、手を携えてその道を行くならばはるか遠いということはないのである。この世の中はいろんな障壁があるものであり、彩り豊かな筆でもって美しく艶めかしく描くことである。

(臨江仙七首 其の三)

渭闕 宮城 秦樹凋ち,玉樓 獨り上りて無す。

情を含みて自ら吹簫を語らず,調情して恨を和み,天路 風飄を逐う。

何事ぞ龍に乘り入り忽ち降り,知るに似たり 深意 相い招くを。

三清 手を攜えて路 遙ならざる,世間 屏障,彩筆 嬌饒の劃【かく】す。

 

巻五39(改訂版Ver.2.1

臨江仙七首其四

(黄河支流清水がめぐる黄帝陵には、皇帝の死によって、妃嬪宮女たちが送られている。彼女らは若くして死んでいくのは間違いないことだと詠う)

江繞黃陵春廟閑,嬌鶯獨語關關。

黄河支流清水がめぐる黄帝陵にも春景色になり、霊廟は静まり返っている。近くには艶めかしく鶯の春を告げる声が、聞こえてくる。

滿庭重疊綠苔斑,陰雲無事,四散自歸山。

黄帝陵の庭園には緑の苔の斑点が幾重にも重なり合って、いっぱいに広がっている。そこには祀るひとびとはあつまり雲が影を暗くするほど集まったが何事もおこらず、やがて、雲散霧消して、自然と山に帰っていく。

簫鼓聲稀香燼冷,月娥斂盡彎環。

しだいに、笛と太鼓の音も稀になり聞えなくなったし、香炉も燃え尽きて消え、つめたくなってしまった。満天の空の月は満月から「彎環の吟」になるまで、つきるまで繰り返す。

風流皆道勝人間,須知狂客,判死為紅顏。

この風流こそが、みんなが本道とするところ、人間、この世のものとして一番良いものであるというだろう。この風流の場所に、風流に病み付きになった皇帝の宮女たちは誰もが知る。まだ若い紅顔であるのに死んで行くのを待つだけなのである。

 

 

巻五40臨江仙七首其五

(洛陽の上陽宮にはたくさんの純真な女たちが初めての夜を過ごし、晴れやかな夜を過ごし、特に千年前の魏の曹植のコイバナは今も有名な話であるとを詠う)

素洛春光瀲平,千重媚臉初生。

昼間の洛陽の都に春のひかりがふりそそぎ、洛水には万遍なくさざ波が光きらめいている。ここには千年の妃嬪、宮妓の媚艶があり、たくさんの初夜を過したことが積み重なっている。

波羅襪勢輕輕,煙籠日照,珠翠半分明。

白紵は入り混じり、波のようにひるがえり、うす絹の下着靴下を履いた女たちは軽やかに跳ね回って踊っているし、香炉の煙が上ぶたの所で燻り、日に照らされた日々に、珠玉、ひすいのかざりにそれぞれに光を分けている。

風引寶衣疑欲舞,鸞迴鳳堪驚。

風にふかれるとその宝玉に包まれた着物は踊っているのかとみまちがえる、帳の鸞が飛んで、鳳凰がはばたいているようで驚くのをこらえ堪えている。

也知心許無恐成,陳王辭賦,千載有聲名。

このことは心を許すということは体を一つにすることなど恐れることはないということを理解すべきである。それは魏の曹植が「神洛賦」にあらわしている、だから、それから千年たってもそのことは有名なことなのである。

 

牛希濟

巻五41臨江仙七首其六柳帶搖風漢水濱,平蕪兩岸爭勻。鴛鴦對浴浪痕新。弄珠遊女,微笑自含春。輕步暗移蟬鬢動,羅裙風惹輕塵。水精宮殿豈無因?空勞纖手,解珮贈情人。

牛希濟

巻五42臨江仙七首其七洞庭波浪颭晴天,君山一點凝煙。此中真境屬神仙,玉樓珠殿,相映月輪邊。萬里平湖秋色冷,星辰垂影參然。橘林霜重更紅鮮,羅浮山下,有路暗相連。

 

 

 

(改訂版Ver.2.1

『臨江仙七首 其三』 現代語訳と訳註

(本文)

臨江仙七首 其五

素洛春光瀲灩平,千重媚臉初生。

淩波羅襪勢輕輕,煙籠日照,珠翠半分明。

風引寶衣疑欲舞,鸞迴鳳翥堪驚。

也知心許無恐成,陳王辭賦,千載有聲名。

 

(下し文)

其五

素洛 春光 瀲灩【けんえん】平らにし,千重して 臉を媚び 初生す。

淩波 羅襪【らべつ】 勢い輕輕とする,煙籠 日照し,珠翠 半ば明を分【わか】つ。

風引 寶衣 疑って舞わんと欲す,鸞迴り 鳳翥して 驚きを堪ゆ。

也【また】知る 心許し 成らんとするを恐れる無し,陳王の辭賦,千載 聲名有り。

 

 

(現代語訳)

(洛陽の上陽宮にはたくさんの純真な女たちが初めての夜を過ごし、晴れやかな夜を過ごし、特に千年前の魏の曹植のコイバナは今も有名な話であるとを詠う)

昼間の洛陽の都に春のひかりがふりそそぎ、洛水には万遍なくさざ波が光きらめいている。ここには千年の妃嬪、宮妓の媚艶があり、たくさんの初夜を過したことが積み重なっている。

白紵は入り混じり、波のようにひるがえり、うす絹の下着靴下を履いた女たちは軽やかに跳ね回って踊っているし、香炉の煙が上ぶたの所で燻り、日に照らされた日々に、珠玉、ひすいのかざりにそれぞれに光を分けている。

風にふかれるとその宝玉に包まれた着物は踊っているのかとみまちがえる、帳の鸞が飛んで、鳳凰がはばたいているようで驚くのをこらえ堪えている。

このことは心を許すということは体を一つにすることなど恐れることはないということを理解すべきである。それは魏の曹植が「神洛賦」にあらわしている、だから、それから千年たってもそのことは有名なことなのである。

 

(訳注)

臨江仙七首 其五

45. (洛陽の宮城には女の悲しいこと、果たせぬ恋もあったということを詠う)

46. 「三千宮女胭脂面,幾個春來無淚痕。」(三千の宮女 胭脂の面、幾箇か春来りて涙の痕無からん)《白居易「後宮詞」》。古来、宮人は女性のなかで最も人間性を踏みにじられた人々であり、宦官とともに君主専制制度の直接の犠牲者であった。一方は生殖器をとられ身体を傷つけられた者、一方は人間性を踏みにじられた者である。宮人は奥深い後宮の中に幽閉されて永遠に肉親と別れ、青春と紅顔は葬り去られ、愛情と人生の楽しみは奪われ、生きている時は孤独の苦しみに、また死んだ後は訪れる人もない寂しさの中に置かれた。それで多くの知識人が、彼女たちの境遇に心を痛め嘆息してやまなかったのである。

彼女たちの痛苦の生活と心情を理解しょうとすれば、《白居易「上陽白髮人」》(上陽の白髪の人)ほど真実に迫り、生々と彼女たちの人生を描写したものはない。

九重の深宮は宮人たちの身体を鎖で縛っているが、彼女たちの若い心を縛ることはできなかった。

彼女たちは憂え恨み悲しんだが、しかしなおも愛情と幸福を渇望していた。現世がすでに秒茫たるものであったから、希望と夢を来世に託すはかなかったのである。永く後世に伝わった次の 「紅葉に詩を題す」 の物語は、生々と彼女たちの心情を伝えている。

言い伝えによれば、玄宗の時代、詩人の顧況は宮中の堀川の流れの中から一枚の大きな青桐の葉を拾った。その葉に宮人の 「一たび深宮の裏に入れば、午年 春を見ず。柳か一片の葉に題し、有情の人に寄せ与う」(天宝宮人「洛苑の梧葉上に題す」)という歌一首が書いてあった。顧況はその詩に和して一首を作り川の流れに送った。後に玄宗はそれを知り、少なからぬ宮女を後宮から解放してやった。また次のような伝説もある。宣宗の時代、科挙の試験に応じた虞握は宮廷を流れる堀川に一片の紅葉を見つけた。それに「流水 何ぞ太だ急なる、深宮 尽日閑なり。殿勤に紅葉に謝す、好し去きて人間に到れ」(宣宗宮人韓氏「紅葉に題す」)とあった。後に宣宗は宮人を解放し、その詩を書いた宮人は運よく慮握に嫁ぐことができた(いずれのエピソードも花掟『賓渓友議』巻一〇に収める)。

 47. 【構成】臨江仙

唐の教坊の曲名。『花間集』には初めに示した表のとおり、二十六首所収。牛希濟の作は七首収められている。詞形を以下の通り。

(臨江仙七首 其一)双調五十八字、前段二十九字五句四平韻一仄韻、後段二十九字五句三平韻一仄韻、⑦⑥⑦❹⑤/7⑥⑦❹⑤

峭碧參差十二  冷煙寒樹重重  宮殿是仙  金鑪珠  香靄晝偏

●●△△●●○  △○○●△△  ○○○●●○○  ○○○●  ○●●△○

一自楚王驚夢斷  人間無路相逢  至今雲雨帶愁  月斜江  征棹動晨

●●●△○△●  ○△○●△○  ●○○●●○○  ●○○●  ○●●○○

 

(臨江仙七首 其二)双調五十八字、前段二十九字五句四平韻、後段二十九字五句三平韻、⑦⑥⑦4⑤/7⑥⑦4⑤

謝家仙觀寄雲,岩蘿拂地成。 洞房不閉白雲,當時丹竈,一粒化黃

●○○△●○○  ○○●●○○  △○△●●○△  △○○●  ●●●○○

石壁霞衣猶半挂,松風長似鳴。 時間唳鶴起前,十洲高會,何處許相

●●○△△●●  ○△△●○○  ○△●●●○○  ●○○●  △●●△○

 

(臨江仙七首 其三)双調五十八字、前段二十九字五句四平韻、後段二十九字五句五平韻、⑦⑥⑦4⑤/7⑥⑦4⑤

渭闕宮城秦樹,玉樓獨上無。 含情不語自吹,調情和恨,天路逐風

●●○○○●○  ●○●●○○  ○○△●●△○  △○△●  ○●●△○

何事乘龍入忽,似知深意相。 三清攜手路非,世間屏,彩筆劃嬌

△●△○●●  ●○△●△○  △○○●●○○  △△△△  ●●●△△

 

(臨江仙七首 其四)双調五十八字、前段二十九字五句四平韻、後段二十九字五句三平韻、⑦⑥⑦4⑤/7⑥⑦4⑤

江繞黃陵春廟,嬌鶯獨語關。 滿庭重疊綠苔,陰雲無事,四散自歸

○●○○○●○  △○●●○○  ●○△●●○○  ○○○●  ●●●○○

簫鼓聲稀香燼冷,月娥斂盡彎。 風流皆道勝人,須知狂客,判死為紅

○●○○○●△  ●○●●○○  △○○●△○△  ○○△●  ●●○○○

 

(臨江仙七首 其五)双調五十八字、前段二十九字五句四平韻一仄韻、後段二十九字五句三平韻二仄韻、⑦⑥⑦➍⑤/❼⑥⑦❹⑤

素洛春光瀲灩,千重媚臉初。淩波羅襪勢輕,煙籠日,珠翠半分

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風引寶衣疑欲,鸞迴鳳翥堪。也知心許無恐,陳王辭,千載有聲

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(臨江仙七首 其六)双調五十八字、前段二十九字五句四平韻、後段二十九字五句三平韻、⑦⑥⑦4⑤/7⑥⑦4⑤

柳帶搖風漢水,平蕪兩岸爭。鴛鴦對浴浪痕。弄珠遊女,微笑自含

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輕步暗移蟬鬢動,羅裙風惹輕。水精宮殿豈無?空勞纖手,解珮贈情

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(臨江仙七首 其七)双調五十八字、前段二十九字五句二平韻一仄韻、後段二十九字五句二平韻一仄韻、⑦⑥⑦➍⑤/7⑥❼4⑤

洞庭波浪颭晴  君山一點凝煙  此中真境屬神  玉樓珠殿  相映月輪

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萬里平湖秋色冷  星辰垂影參然  橘林霜重更紅  羅浮山下  有路暗相

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張泌『臨江仙一首』双調五十八字、前段二十九字五句三平韻一仄韻、後段二十九字五句三平韻一仄韻、7⑥⑦❹⑤/7⑥⑦❹⑤

煙收湘渚秋江靜  蕉花露泣愁紅  五雲雙鶴去無  幾迴魂  凝望向長

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翠竹暗留珠淚怨  閑調寶瑟波中  花鬟月鬢綠雲  古祠深殿  香冷雨和

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(洞庭湖に灌ぐ秋の大江は静かに流れ、瀟湘八景八景を彩るカンナの花は露に泣き愁いに紅く色に染まる瀟湘八景八景には、桃源郷初め、屈原の断腸の思いでの投身、娥皇女英が投身した地でもあり、彼女らを祀った宮祠殿には冷たい雨と風が吹き付けると詠う)

張泌《巻四34臨江仙 一首》『花間集』185全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6197

 

素洛春光瀲灩平,千重媚臉初生。

昼間の洛陽の都に春のひかりがふりそそぎ、洛水には万遍なくさざ波が光きらめいている。ここには千年の妃嬪、宮妓の媚艶があり、たくさんの初夜を過したことが積み重なっている。

48. 素洛 白い牡丹の花。昼間の洛水。昔の洛陽。

49. 瀲灩 水の満ちあふれるさま。また、さざなみが光りきらめくさま。

千重 たくさん重なること。

50. 媚臉 なまめかしくする。色っぽい。「媚態・媚薬」こびへつらう。「佞媚(ねいび)あでやかで美しい。臉:頭の前面,額からあごまでの部分を指し)顔.

 

 

淩波羅襪勢輕輕,煙籠日照,珠翠半分明。

白紵は入り混じり、波のようにひるがえり、うす絹の下着靴下を履いた女たちは軽やかに跳ね回って踊っているし、香炉の煙が上ぶたの所で燻り、日に照らされた日々に、珠玉、ひすいのかざりにそれぞれに光を分けている。

51. 淩波 入り混じる波。乱れた波。

52. 襪 袜()()。靴下袜パンティ‐ストッキング.线袜木綿の靴下.袜套 wàtào[](~儿)靴下カバー,くるぶしから下の靴下.袜筒 wàtǒng[](~儿)靴下の足首から上の部分.

53. 珠翠 真珠とひすい(翡翠)の装飾品

 

風引寶衣疑欲舞,鸞迴鳳翥堪驚。

風にふかれるとその宝玉に包まれた着物は踊っているのかとみまちがえる、帳の鸞が飛んで、鳳凰がはばたいているようで驚くのをこらえ堪えている。

54. 鳳翥 ・鸞翔鳳翥 鸞が飛んで、鳳凰がはばたいている。

韓愈『石鼓歌』

公從何處得紙本,毫髮盡備無差訛。

辭嚴義密讀難曉,字體不類隸與科。

年深豈免有缺畫,快劍斫斷生蛟鼉。

鸞翔鳳翥眾仙下,珊瑚碧樹交枝柯。

石鼓歌 韓愈 韓退之(韓愈)詩<97-#3>Ⅱ中唐詩524 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1662

 

也知心許無恐成,陳王辭賦,千載有聲名。

このことは心を許すということは体を一つにすることなど恐れることはないということを理解すべきである。それは魏の曹植が「神洛賦」にあらわしている、だから、それから千年たってもそのことは有名なことなのである。

55. 也知 しること。也は發語。岑參《赴北庭度隴思家》「西向輪台方里余、也知郷信日応疎。」(西のかた輪台に向うこと万里余、也た知る 郷信の 日にまさに 疎なるべきを。)

56. 心許 心許せる全幅の信頼を持つ人、家臣。謝靈運『廬陵王墓下作』「延州協心許,楚老惜蘭芳。」寿夢の末子、季札は心を許す家臣徐君のように多くのすぐれた家臣をもっていた、楚の老人、龔勝の忠君は蘭芳の美徳としておしまれた。(ここでいう家臣は謝霊運、自らや顔延之を指している。)

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<5> 廬陵王墓下作 #2 詩集 360

57. 陳王 陳留王の曹植。領土をもらい、王に封ぜられる八王と連なり並ぶ王たちのことを言う。(汝南王、楚王、趙王、斉王、長沙王、河間王、成都王、東海王)

58. 辭賦 「楚辞」の形に基づく、やや散文に近い韻文。戦国時代の楚に興り、漢代に発展し、宮殿の壮観、都城の繁華、狩猟の豪遊などを描いた。ここは、魏の曹植のことで曹丕の甄后に対しての恋心を云うものである。洛神賦 - 兄嫁を愛した詩人・曹植、魏晋南北朝。

 

白居易 :

後宮詞其一

 

淚濕羅巾夢不成,夜深前殿按歌聲。

淚 羅巾を濕し 夢 成ず,夜 前殿に深し 歌聲を按ずるに。

紅顏未老恩先斷,斜倚薰籠坐到明。

紅顏 未だ老恩 先ず斷ぜず,斜に倚る 薰籠 坐して明到る。

後宮詞其二

 

雨露由來一點恩,爭能遍布及千門。

雨露 由來す 一點の恩,爭 能く遍布 及び千門。

三千宮女胭脂面,幾個春來無淚痕。

三千の宮女 胭脂の面、幾箇か春来りて涙の痕無からん。

古来、宮人は女性のなかで最も人間性を踏みにじられた人々であり、宦官とともに君主専制制度の直接の犠牲者であった。一方は生殖器をとられ身体を傷つけられた者、一方は人間性を踏みにじられた者である。宮人は奥深い後宮の中に幽閉されて永遠に肉親と別れ、青春と紅顔は葬り去られ、愛情と人生の楽しみは奪われ、生きている時は孤独の苦しみに、また死んだ後は訪れる人もない寂しさの中に置かれた。それで多くの知識人が、彼女たちの境遇に心を痛め嘆息してやまなかったのである。

彼女たちの痛苦の生活と心情を理解しょうとすれば、白居易の「上陽の白髪の人」ほど真実に迫り、生々と彼女たちの人生を描写したものはない。

 

上陽白髮人白居易

天寶五載已後,楊貴妃專寵,後宮人無復進幸矣。六宮有美色者,輒置別所,上陽是其一也。貞元中尚存焉。

 

上陽人,紅顏暗老白髮新。
綠衣監使守宮門,一閉上陽多少春。玄宗末初選入,入時十六今六十。
同時采擇百餘人,零落年深殘此身。

憶昔吞悲別親族,扶入車中不教哭。皆雲入便承恩,臉似芙蓉胸似玉。
未容君王得見面,已被楊妃遙側目。妒令潛配上陽宮,一生遂向空房宿。

秋夜長,夜長無寐天不明。    耿耿殘燈背壁影,蕭蕭暗雨打窗聲。
春日遲,日遲獨坐天難暮。    宮鶯百囀愁厭聞,梁燕雙棲老休妒。
鶯歸燕去長悄然,春往秋來不記年。唯向深宮望明月,東西四五百回圓。
今日宮中年最老,大家遙賜尚書號。小頭鞋履窄衣裳,青黛點眉眉細長。
外人不見見應笑,天寶末年時世妝。上陽人,苦最多。
少亦苦,老亦苦。少苦老苦兩如何?
君不見昔時呂向《美人賦》,【天寶末,有密采艷色者,當時號花鳥使。呂向獻
《美人賦》以諷之。】又不見今日上陽白髮歌!

 

(上陽白髮人)

上陽の人、紅顏暗く老いて白髪新たなり

綠衣の監使宮門を守る、一閉上陽多少春  一たび上陽に閉ざされてより多少の春。

玄宗の末 初めて選ばれて入る、入る時十六今六十。

同時に採擇す百余人、零落して年深く 此の身を殘す。

 

憶ふ昔 悲しみを吞みて親族に別れ、扶けられて車中に入るも哭せしめず。

皆云ふ 入すれば便ち恩を承くと、臉は芙蓉に似て胸は玉に似たり。

未だ君王の面を見るを得るを容れざるに、已に楊妃に遙かに側目せらる。

妒(ねた)みて潛かに上陽宮に配せられ、一生遂に空房において宿す。

 

秋夜長し、夜長くして寐ぬる無く天明けず。

耿耿たる殘燈 壁に背く影、蕭蕭たる暗雨 窗を打つ聲。

春日遲し、日遲くして獨り坐せば天暮れ難し。

宮鶯百たび囀ずるも愁へて聞くを厭ふ、梁燕雙び棲むも老いて妒むを休む。

 

鶯は歸り燕は去って長へに悄然たり、春往き秋來して年を記さず。

唯だ深宮に明月を望む、東西四五百回 圓かなり。

今日 宮中 年最も老ゆ、大家遙かに賜ふ尚書の號。

小頭の鞋履 窄(せま)き衣裳、青黛 眉を點ず 眉細くして長し。

 

外人は見ず 見れば應に笑ふべし、天寶の末年 時世の妝ひ。

上陽の人、苦しみ最も多し。

少くして亦苦しみ、老いて亦苦しむ

少くして苦しむと老いて苦しむと兩つながら如何せん。

君見ずや 昔時 呂向の美人の賦を、又見ずや 今日 上陽白髪の歌を。

 

上陽の人は、紅顏暗く老いて白髪が新たである、(以下、上陽の人の言葉)

綠衣の監使が宮門を守っています、ここ上陽に閉ざされてどれほどの年月が経ったでしょうか、玄宗皇帝の末年に選ばれて宮廷へお仕えしましたが、その時には16歳でしたのが今は60

同時に100人あまりの女性が選ばれましたが、みなうらぶれて年が経ちわたしばかりがこうして残りました

 

思い起こせば悲しみを呑んで親族と別れたものでした、その時には助けられて車の中に入っても泣くことを許されませんでした

皆は入内すれば天子様の寵愛をうけられるといいました、あの頃のわたしは芙蓉のような顔と玉のような胸でした、だけれどもまだ天子様にお会いできる前に、楊貴妃に睨まれてしまい、妬みからここ上陽宮に押し込められて、一生を遂に空しく過ごしました

 

秋の夜は長い、夜が長くて眠ることもできず空もなかなか明けません、ちらちらと揺れる灯火が壁に影を写し、しとしと降る雨が窓を打つ音がします、

春の日は遅い、日が遅い中一人で坐し得いますが空はいつまでも暮れません、

宮殿の鶯が百度囀ってもわたしは悲しくて聞く気になれません、梁の燕がつがいで巣くっても老いた私には妬む気にもなれません、

 

鶯は故郷へ帰り燕は去ってもわたしは悲しい気持ちのまま、季節が移り変わってもう何年になるでしょうか

ここ深宮で月の満ち欠けを見てきましたが、満月はすでに四・五百回も東西を往復しました、おかげで宮中第一の年寄りになってしまいました、天子様はそんなわたしに尚書の號を賜ってくださいました、

そのわたしときたら先のとがった靴を履いてぴったりとした衣装を着て、黛で眉を描きますがその眉は細くて長いだけ、

 

もしよその人に見られたら笑われるでしょう、これは天宝の昔に流行った御化粧なのです

上陽の人は、苦しみが最も多い、若くしても苦しみ、老いてもまた苦しむ、若くして苦しむのと老いて苦しむのとどちらが辛いだろうか、

どうかご覧あれ、昔は呂向の美人の賦、またご覧あれ、いまは上陽白髪の歌を。

* 呂向は玄宗の派遣した花鳥使を題材にして「美人賦」を詠み、宮女の悲しみを詠った。

 

この白髪の詩一首は、今日でも後宮の不幸な女性たちに一掬の同情の涙を流させる。

九重の深宮は宮人たちの身体を鎖で縛っているが、彼女たちの若い心を縛ることはできなかった。

彼女たちは憂え恨み悲しんだが、しかしなおも愛情と幸福を渇望していた。現世がすでに秒茫たるものであったから、希望と夢を来世に託すはかなかったのである。永く後世に伝わった次の 「紅葉に詩を題す」 の物語は、生々と彼女たちの心情を伝えている。


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