花間集 訳注解説 (240)回目毛文錫巻五16甘州遍二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9051

 花間集 訳注解説 (240)回目毛文錫巻五16甘州遍二首其二》 

 

201795

の紀頌之”6”つの校注Blog

10年のBLOGの集大成

   李白総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745年 n-39 東魯門泛舟,二首之一(巻二〇(二)一一五三)漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之Blog9083

LiveDoo

rBlog

745年-08 【字解集】008 A鳴皋歌送岑徵君  B對雪奉餞任城六父秩滿歸京Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8975

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

 

 

 

10年のBLOGの集大成

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-131 先生-巻八-05秋雨聯句【案:韓愈、孟郊】-#9 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集9049

LiveDoo

rBlog

806年-集15- 韓昌黎集字解集城南聯句 【字解集】【上】

806年-集16- 韓昌黎集字解集城南聯句 【字解集】【下】

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

10年のBLOGの集大成

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-141#7 秋日夔府詠懷奉寄鄭監審李賓客之芳一百韻(卷一九(四)一六九九#7§3.-3注(1155)夔州詠物八首の塞烏蠻北 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9057

LiveDoo

rBlog

767年-集-19 【字解集】 ・H提封 I鸚鵡 J孤雁 K鷗 L猿 M麂 N雞 O黃魚 P白小  Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8998

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (240)回目毛文錫巻五16甘州遍二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ9051 (09/05)

  fc2

Blog

花間集 訳注解説 (238)回目毛文錫【字解集】a.虞美人二首 b.酒泉子 c.喜遷鶯 d.西溪子 e.中興樂 f.更漏子 g.接賢賓 h.贊浦子》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9037 (09/05)

 

 

 

10年のBLOGの集大成

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-巻二33 雜詩二首其二 荏苒日月運 -#1〔張華〕 Ⅴ漢詩・六朝詩・文選・古詩源・唐宋詩詞漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 9052

LiveDoo

rBlog

玉集-015【字解集】  雜詩五首 【字解集】    Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8932

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

Ⅵ唐代女性論         ninjaブログ

八、2.31 薛濤 《試新服裁制初成三首 其三 》 漢文委員会kanbuniinkai 紀 頌之 ブログ9060

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

李白詩のサイト

古詩源

花間集案内

漢詩・唐詩・宋詩研究

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

花間集 訳注解説 (240)回目毛文錫巻五16甘州遍二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9051

 

花間集タイトル花間集03

 

 

花間集 巻五

 

 

 

甘州遍二首其一

春光好,公子愛閑遊,足風流。

金鞍白馬,雕弓寶劍,紅纓錦襜出長鞦。

花蔽膝,玉銜頭。

尋芳逐勝歡宴,絲竹不曾休。

美人唱,揭調是《甘州》。醉紅樓。

堯年舜日,樂聖永無憂。

 

甘州遍二首其二

秋風緊,平磧鴈行低,陣雲齊。

蕭蕭颯颯,邊聲四起,愁聞戍角與征鼙。

青塚北,黑山西。

沙飛聚散無定,往往路人迷。

鐵衣冷,戰馬血沾蹄,破蕃溪。

鳳皇詔下,步步躡丹梯。

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲《巻五16甘州遍二首其二》張泌

 

 

花間集 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ9051

 

 

 

 

 

 

 

甘州遍二首其一

公子の時は煌びやかに過ごし、帝王学を身に着け、雅楽《甘州》を繰り返して謡い、酒宴を厳かに催していれば「堯年舜日」であり、憂えることなどない)

春光好,公子愛閑遊,足風流。

春日のひかりは快いものであり、公子はのどかな遊びを愛され、そこでは風流に満足されている。

金鞍白馬,雕弓寶劍,紅纓錦襜出長鞦。

黄金でかざられた鞍をつけた白馬、彫刻で飾られた弓、宝飾の絵の剣、紅色の手綱、錦の前掛け、馬の尾の下から後輪に三繫を付けて轅を固定してでてゆく。

花蔽膝,玉銜頭。

馬の膝までを花で蔽っていて、頭から轡を銜える所にも飾り付けられている。

尋芳逐勝歡宴,絲竹不曾休。

芳しい「内官」の妾妃を訪ねて春景色を歓勝し、行楽の宴を遂行してきて、琴、瑟、管弦楽の演奏はやむことはない。

美人唱,揭調是《甘州》。醉紅樓。

妓優、宮妓らはずっと歌いつづけ、雅楽「甘州子」は調子を揃えて謡われている。高楼全体で酒宴に酔っている。

堯年舜日,樂聖永無憂。

古代賢君の堯と舜が施政した天下太平で国力も隆盛と「四時白紵歌」もうたわれて、このように聖天子のもとに音楽が演奏されればとこしえに、愁いなどすることはないのだ。

 

甘州遍二首 其の一

春光 好しく,公子 閑遊を愛で,風流に足る。

金鞍 白馬に,雕弓 寶劍あり,紅纓の錦 襜は長鞦を出づ。

花は膝を蔽い,玉は頭を銜む。

芳を尋ね 逐に歡宴に勝り,絲竹 曾て休ず。

美人 唱し,是《甘州》を揭調す。紅樓に醉う。

堯年とし舜日とす,樂聖 永らく憂い無し。

 

甘州遍二首其二

(西域の雅楽「甘州子」の生まれた辺境の辺りの過去の様々な悲劇と、皇帝の一言で、悲運の生涯を遂げることになったと詠う。)

秋風緊,平磧鴈行低,陣雲齊。

北の辺境には秋風が吹けば身をちじめる緊縮頃である。北の砂漠地帯では、雁が列をなして南の地平線に低く飛ぶ。鉛色の空重なりあった雲がどこまでも続く。

蕭蕭颯颯,邊聲四起,愁聞戍角與征鼙。

ここに吹き付ける風は、蕭々ともの悲しく、颯々と音を起てて強く吹く、そうなると思い浮かべるのは西域から、北方、東北にかけて異民族の侵略を征圧する為に出征した李陵と蘇武の別れだ、そこで鳴る角笛と軍鼓を鳴らし大声をあげて攻めることが心配事である。

青塚北,黑山西。

ここには、王昭君は紛争終結のために嫁ぎ、立派に役割を果たし、皇帝と共に青塚に葬られたし、また唐遣大将薛仁貴、辛文陵等とともに契丹の軍を黒山で撃破して、その王の阿卜固を捕らえて東都洛陽に送った。これにより、唐は国の東北部を平定した。

沙飛聚散無定,往往路人迷。

砂漠の砂は飛び散り又集まり、山を造るが、定まらず、だからここを行き交う者たちは迷ってしまうことがよくあるという。

鐵衣冷,戰馬血沾蹄,破蕃溪。

ここの寒気に遭えば、着ている衣服、鎧兜まで凍るし、戦いは人馬の血に溢れ、蹄鉄餅も染まり、凝固してしまう、そうなれば異民族の地、一帯の谷間には人馬の死骸で埋め尽くされる。

鳳皇詔下,步步躡丹梯。

鳳凰である皇帝は詔を下し、そろりそろりと歩み出て丹梯をおりて、何もなかったように庭をめぐる。

 

(甘州遍二首其の二)

秋風 緊し,平磧 鴈行 低くし,陣雲齊し。

蕭蕭 颯颯,邊聲 四起,愁 戍角と征鼙とを聞く。

青塚の北,黑山の西。

沙飛 聚散 定る無し,往路を往き 人は迷う。

鐵衣 冷く,戰馬 血 蹄に沾い,蕃溪を破る。

鳳皇 詔下し,步み步みて丹梯に躡ばせる。

青塚 王昭君 02 

 

『甘州遍二首其一』 現代語訳と訳註

(本文)

甘州遍二首其二

秋風緊,平磧鴈行低,陣雲齊。

蕭蕭颯颯,邊聲四起,愁聞戍角與征鼙。

青塚北,黑山西。

沙飛聚散無定,往往路人迷。

鐵衣冷,戰馬血沾蹄,破蕃溪。

鳳皇詔下,步步躡丹梯。

 

(下し文)

(甘州遍二首其の二)

秋風 緊し,平磧 鴈行 低くし,陣雲齊し。

蕭蕭 颯颯,邊聲 四起,愁 戍角と征鼙とを聞く。

青塚の北,黑山の西。

沙飛 聚散 定る無し,往路を往き 人は迷う。

鐵衣 冷く,戰馬 血 蹄に沾い,蕃溪を破る。

鳳皇 詔下し,步み步みて丹梯に躡ばせる。

 

(現代語訳)

(西域の雅楽「甘州子」の生まれた辺境の辺りの過去の様々な悲劇と、皇帝の一言で、悲運の生涯を遂げることになったと詠う。)

北の辺境には秋風が吹けば身をちじめる緊縮頃である。北の砂漠地帯では、雁が列をなして南の地平線に低く飛ぶ。鉛色の空重なりあった雲がどこまでも続く。

ここに吹き付ける風は、蕭々ともの悲しく、颯々と音を起てて強く吹く、そうなると思い浮かべるのは西域から、北方、東北にかけて異民族の侵略を征圧する為に出征した李陵と蘇武の別れだ、そこで鳴る角笛と軍鼓を鳴らし大声をあげて攻めることが心配事である。

ここには、王昭君は紛争終結のために嫁ぎ、立派に役割を果たし、皇帝と共に青塚に葬られたし、また唐遣大将薛仁貴、辛文陵等とともに契丹の軍を黒山で撃破して、その王の阿卜固を捕らえて東都洛陽に送った。これにより、唐は国の東北部を平定した。

砂漠の砂は飛び散り又集まり、山を造るが、定まらず、だからここを行き交う者たちは迷ってしまうことがよくあるという。

ここの寒気に遭えば、着ている衣服、鎧兜まで凍るし、戦いは人馬の血に溢れ、蹄鉄餅も染まり、凝固してしまう、そうなれば異民族の地、一帯の谷間には人馬の死骸で埋め尽くされる。

鳳凰である皇帝は詔を下し、そろりそろりと歩み出て丹梯をおりて、何もなかったように庭をめぐる。

青塚 王昭君 01 

(訳注)

甘州遍二首其二

15.(西域の雅楽「甘州子」の生まれた辺境の辺りの過去の様々な悲劇と、皇帝の一言で、悲運の生涯を遂げることになったと詠う。)

16. 唐の教坊の曲名。『花問集』には毛文錫の二首のみ所収。雙調六十三字、前段三十二字八句四平韻三仄韻、後段三十一字七句四平韻三仄韻で、❸⑤③4❹⑦❸③/❻⑤❸⑤③❹⑤

 の詞形をとる。この詩は難易なしである。獻詩、公讌詩の様でありながら、比興詩のようにも感じられる。掘り下げれば面白い詞である。

毛文錫《甘州遍二首其一》

3

5

3

 

春光,公子愛閑,足風

4

4

7

金鞍白馬,雕弓寶,紅纓錦襜出長

3

3

 

32

花蔽,玉銜

6

5

 

 

尋芳逐勝歡,絲竹不曾

3

5

3

 

美人,揭調是《甘》。醉紅

4

5

 

31

堯年舜,樂聖永無

 

63

 

❸⑤③4❹⑦❸③/❻⑤❸⑤③❹⑤

○△●  ○●●○○  ●△○

○○●●  ○○●●  ○○●△●△○

○●●  ●○○

○○●△○●  ○●△○△

●○●  ●△●○○  ●○○

○○●●  ●●●○○

唐の教坊の曲名。『花問集』には毛文錫の二首のみ所収。雙調六十三字、前段三十二字八句四平韻一仄韻、後段三十一字七句四平韻一仄韻で、❸⑤③44⑦3③/6⑤❸⑤③4⑤ の詞形をとる。

毛文錫《甘州遍二首其二》

3

5

3

 

秋風緊,平磧鴈行,陣雲

4

4

7

蕭蕭颯颯,邊聲四起,愁聞戍角與征

3

3

 

32

青塚北,黑山西

6

5

 

 

沙飛聚散無,往往路人

3

5

3

 

鐵衣,戰馬血沾,破蕃

4

5

 

31

鳳皇詔下,步步躡丹

 

63

 

○△●  ○●●△○ ●○△。

○○●● ○○●●  ○△●●△○○。

○●●  ●○○。

△○●●○●  ●●●○○。

●△△  ●●●△○ ●○○。

●○●● ●●●○○。

 

秋風緊,平磧鴈行低,陣雲齊。

北の辺境には秋風が吹けば身をちじめる緊縮頃である。北の砂漠地帯では、雁が列をなして南の地平線に低く飛ぶ。鉛色の空重なりあった雲がどこまでも続く。

17. 緊 固く引きしまる。引きしめる。「緊縮・緊張・緊縛・緊密」物事が差し迫っている。「緊急・緊迫・緊要/喫緊」 

18. 磧 1.淺水中的沙石。 2. [沙~]沙漠。不生草木的沙石地。

19. 陣雲  (同義語)陳雲。 ①陣形のように見える、重なりあった雲。 ②戦場の空にある殺気をはらんだ雲。戦場の空に広がる雲。

20. 齊/斉【せい】[音]セイ(漢)サイ(慣)[訓]ととのえる、ととのう、ひとしい凸凹がなく等しくそろっている。そろえる。ととのえる。「斉一・斉唱/一斉・均斉・整斉・修身斉家」中国、春秋時代の国名。

 

蕭蕭颯颯,邊聲四起,愁聞戍角與征鼙。

ここに吹き付ける風は、蕭々ともの悲しく、颯々と音を起てて強く吹く、そうなると思い浮かべるのは西域から、北方、東北にかけて異民族の侵略を征圧する為に出征した李陵と蘇武の別れだ、そこで鳴る角笛と軍鼓を鳴らし大声をあげて攻めることが心配事である。

21. 蕭蕭 もの寂しく感じられるさま。「―たる晩秋の野」雨や風の音などがもの寂しいさま。

22. 颯颯 風が音を立てて吹くさま。人柄などが、さっぱりしたさわやかな印象を与えるさま。

23. 愁聞戍角與征鼙 蘇武と李陵 涼秋九月, 塞外草衰. 夜不能寐, 側耳遠聽, 胡笳互動, 牧馬悲鳴, 吟嘯成群,邊聲四起. 晨坐聽之, 不覺淚下.

李陵と蘇武の二人のうち、蘇武が英雄として帰国を果たしたのに対し、反逆者の汚名を着せられた李陵は遂に帰国せず、辺境の地で一生を終えた。「答蘇武書」は、帰国を勧める蘇武の書簡に対し、自らの国を捨てる決心を綴った李陵の返信である。

・蘇武 (前140?―前60)前漢の名臣。字(あざな)は子卿(しけい)。匈奴(きょうど)遠征に功をたてた父健の保任(父の官職により子、弟が官につくこと)により郎となる。武帝のときの紀元前100年、中郎将として、漢に拘留された匈奴の使者の返還のため匈奴に赴いた。匈奴は彼を屈服させようとしたが、これを拒否。そのため穴倉に幽閉され飲食も断たれ、雪と旃毛(せんもう)(毛織物の毛)で飢えをしのぎ、さらに北海の地に雄羊放牧のために移されると、野ネズミ、草の実を食べる生活を強いられ辛苦を重ねた。のち、匈奴に降(くだ)った李陵(りりょう)が降伏を説得したが聞き入れず、昭帝(在位前87~前74)のとき、両国和親によりやっと帰国が実現した。その間、19年。帰国後、典属国を拝命、関内侯を賜った。死後、麒麟(きりん)閣にその像が描かれ、彼の節を貫き通した行動が後世の模範とされた。

・李陵 (未詳―前72)中国、前漢の武将。字(あざな)は少卿。将軍李広(りこう)の孫。若いときから騎射に巧みであった。紀元前99年、李広利(りこうり)が匈奴(きょうど)を討った際、歩兵5000人を率いて出撃し、匈奴の大軍と戦ってこれを破った。しかし、武器・食糧が尽きたうえに、匈奴の援軍に包囲され、ついに降伏した。武帝はこれを聞いて怒り、彼の母・妻子を殺そうとした。司馬遷(しばせん)は、李陵を弁護したために武帝の憤怒を買い、宮刑(去勢の刑罰)に処せられた。李陵は匈奴に降(くだ)ったのち、単于(ぜんう)の娘を妻とし、右校王(うこうおう)に封ぜられて単于の軍事・政治顧問として活躍し、モンゴル高原で病死した。李陵の奮戦、降伏の悲劇は、詩や物語として中国人の間に長く伝えられた。日本では中島敦(あつし)の『李陵』が有名。1940年、エニセイ川上流域で漢様式の宮殿の遺跡が発見され、これを李陵の邸宅とみなす学者もいるが、断定はできない

 

青塚北,黑山西。

ここには、王昭君は紛争終結のために嫁ぎ、立派に役割を果たし、皇帝と共に青塚に葬られたし、また唐遣大将薛仁貴、辛文陵等とともに契丹の軍を黒山で撃破して、その王の阿卜固を捕らえて東都洛陽に送った。これにより、唐は国の東北部を平定した。

24. 青塚 内蒙古自治区呼和浩特市にある王昭君の墓を「青塚」という。辺りは草も生えない荒地なのに墓の近くだけは青い草が生えたことからいう。紀元前33年、匈奴の君主である呼韓邪単于が入朝した時、漢の女性を妻に娶りたいと言ってきたので王昭君が嫁ぐ事になった。 王昭君は呼韓邪単于との間に一男を儲けるが紀元前31年に呼韓邪単于が死ぬと、匈奴の風習に従い次の皇帝の妻になる。

王昭君の墓は盛唐以降、「青塚(青冢)」【せいちょう】と呼ばれ、李白《王昭君二首 其一》「生乏黄金枉図画、死留青塚使人嗟。」(生きては黄金を乏【か】き枉げて図画せられ、死しては青塚を留めて人をして嗟かしむ)と歌い、杜甫《巻17-36 詠懐古跡 五首 其三》

万里の長城 05 

詠懷古跡,五首之三

 

群山萬壑赴荊門,生長明妃尚有村。

群山萬壑荊門に赴く,明妃を生長す 尚お村有り。

一去紫臺連朔漠,獨留青冢向黃昏。

一たび紫台を去りて朔漠連なり、独り青塚を留めて黄昏に向(あ)り

畫圖省識春風面,環珮空歸月夜魂。

畫圖に省識せらる春風の面,環珮 空しく歸える月夜の魂。

千載琵琶作胡語,分明怨恨曲中論。

千載琵琶胡語を作す,分明 怨恨 曲中に論す。。

 

「一たび紫台を去りて朔漠連なり(漢の宮殿を去って匈奴に嫁いで以来、果てしなく広がる北の砂漠に暮らした)、独(ひと)り青塚を留めて黄昏に向(あ)り(今はたそがれの弱々しい光の中にわずかに青塚を留めるばかり)」と詠んだ。白居易や張蠙らは青塚を詩題とする作品を為し、かくて王昭君墓を表現する固有名詞となった。敦煌発見のペリオ将来「王昭君変文」(絵を用いた講釈の台本)にも「墳高數尺号青塚」の表現が見え、「青塚」の表現が広く一般に定着していたことが知れる。

「青塚」の名は、『太平寰宇記』巻38 振武軍・金河県條に「青冢、県の西北に在り。漢の王昭君、此に葬らる。其の上、草の色、常に青く、故に青冢と曰ふ。」とあり、また漢・蔡邕撰『琴操』(散逸。実際は南北朝期の偽作)「胡中、白草多きも、此の冢独(ひと)り青し。」とある様に、「一面の白沙白草の胡地に、王昭君の墓所のみ青草が生い茂る」ことに由来し、この伝説は、「王昭君の魂魄の再生復活をその青草に期待し、願望したもの」である。

李白33-35 王昭君を詠う 三首

怨詩 王昭君  漢詩<110-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩545 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1452

怨詩 王昭君  漢詩<110-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩546 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1455

王昭君歎二首 其一 沈満願(梁の征西記室范靖の妻) <114-#1>玉台新詠集 女性詩 551 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1470

王昭君歎二首 其二 沈満願(梁の征西記室范靖の妻) 女流<115>玉台新詠集 女性詩 552 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1473

 

25. 黑山 中国古代戦場,現内蒙巴林右旗小罕山。石城で戦い、単騎突撃して、敵の弓手を生け捕りにした。また唐遣大将薛仁貴、辛文陵等とともに契丹の軍を黒山で撃破して、その王の阿卜固を捕らえて東都洛陽に送った。これにより、唐は国の東北部を平定した。

 

沙飛聚散無定,往往路人迷。

砂漠の砂は飛び散り又集まり、山を造るが、定まらず、だからここを行き交う者たちは迷ってしまうことがよくあるという。

 

鐵衣冷,戰馬血沾蹄,破蕃溪。

ここの寒気に遭えば、着ている衣服、鎧兜まで凍るし、戦いは人馬の血に溢れ、蹄鉄餅も染まり、凝固してしまう、そうなれば異民族の地、一帯の谷間には人馬の死骸で埋め尽くされる。

26. 蕃溪 未開の異民族。「蕃夷(ばんい)・蕃俗」外国。【谷・渓▽・谿▼】①山または丘にはさまれた細長い溝状の低地。一般には河川の浸食による河谷が多い。成因によって川や氷河による浸食谷と断層や褶曲(しゆうきよく)による構造谷とに分ける。また,山脈に沿う谷を縦谷(じゆうこく),山脈を横切るものを横谷(おうこく)という。②高い所にはさまれた低い部分。「波の-」 「気圧の-」 

③二つの屋根の流れが交わる所。 「 -樋」

27. 鐵衣 戦の衣裳。

 

鳳皇詔下,步步躡丹梯。

鳳凰である皇帝は詔を下し、そろりそろりと歩み出て丹梯をおりて、何もなかったように庭をめぐる。

28. 鳳皇 鳳凰は是れ中國古代の傳中の百鳥の王であり、それを持って皇帝をいう。

29 躡 ①足音を忍ばせる.•他着脚走出去了。〔+目〕=彼は足音を忍ばせながら出て行った.②(文語文[昔の書き言葉]) 追跡する,尾行する.例•踪=追跡する.③(文語文[昔の書き言葉]) 足で踏みつける.

 

「漢書」によると、李陵の物語とはこんな話である・・・。 

 昔から中国は北方に住む遊牧民である匈奴たちと攻防を繰り返してきた。秦の始皇帝が長城を造り始めたのも匈奴の侵入をふせぐためというから、その深刻さの程がわかる。それは李陵の生きた漢の時代でも同じであった。

 

 あるとき、武帝は匈奴を征討することを決め、李広利を大将軍とする一大部隊を繰り出した。その一翼として、李陵には輜重隊を任せようとしていた。輜重隊というのは食料や兵器など要するに主力部隊のための物資運搬係りである。武人としての戦果は望めない地味な役割である。李陵はこれを聞いて武帝に泣きを入れ、「兵の5千も与えてくだされば匈奴の奥深く侵入して征伐してみせましょう」と言ったところ、武帝の気に入り、兵を与えられた。ただし、騎兵ではなく歩兵であった。

 

 こうして李陵軍は北に向けて出陣する。李広利将軍の部隊とは合流する手筈であったが、その途上、匈奴の主力部隊と遭遇してしまう。その数3万。もちろん、全員騎兵である。6倍もの兵力差がある上に、馬に乗った相手に歩兵で立ち向かうのだから、戦う前から勝敗は決まったようなもので、実際、最終的には敗れるのだが、しかし、李陵軍は死闘を繰り広げること8日に及び、その間に匈奴1万を討ち取るという獅子奮迅の働きをみせる。そうして文字通り刃折れ矢尽きて李陵は降伏し捕虜となる。

 

 武帝は激怒する。このとき群臣も武帝に迎合して降伏した李陵は罰せられて当然だと言い立てる中でただ一人、李陵の勇戦と無実を訴えて武帝の逆鱗に触れて宮刑に処されたのが司馬遷であった。 しかし、匈奴は捕虜となった李陵を殺すでもなく逆に帰順するよう求めた。その戦いぶりに匈奴の王も武人として好感をもったのである。

 

   蘇武という武将は忠節の武人として知られている。「平家物語」巻二に「蘇武」と題する一節がある。喜界島に流刑になった康頼が都を想うあまり歌を書きつけた卒塔婆を流す。都に流れ着いて思い出しておくれと云う望郷の歌だが、これがほんとに流れ着いて世の哀れをさそったという一節である。 この康頼の故事が、かつて、はるか昔の漢の武将の蘇武の故事とよく似ていることから引用されたものらしい。というのは、蘇武は使者として匈奴の地へ赴くのだが、そこで囚われの身になってしまい、以来、19年もの間、匈奴の地にあって変節することなく生き抜き、かつて雁に託した都への手紙が届き、それがもとになって晴れて帰国できたという来歴の持ち主だからである。

 

 

蘇武 《詩四首 其一》#1 古詩源  詩<100-#1

蘇武 《詩四首 其一》#2 古詩源  詩<100-#2

蘇武 《詩四首 其二》#1 古詩源  詩<101-#1>

蘇武 《詩四首 其二》#2 古詩源  詩<101-#2>

蘇武 《詩四首 其三》#1 古詩源  詩<102-#1

蘇武 《詩四首 其三》#2 古詩源  詩<102-#2

蘇武 《詩四首 其四》#1 古詩源  詩<103-#1

蘇武 《詩四首 其四》#2 古詩源  詩<103-#2

李陵 《與蘇武詩三首 其一》#1 古詩源 文選  詩<104

李陵 《與蘇武詩三首 其一》#2 古詩源 文選  詩<104ー#2>

李陵 《與蘇武詩三首 其二》 古詩源 文選  詩<105

李陵 《與蘇武詩三首 其三》 古詩源 文選  詩<106


漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩・唐詩・詩詞 解釈

月別アーカイブ

 

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/

 

 

2011

 

 

 

2011/10 (54)

2011/11 (55)

2011/12 (51)

2012年上半期

2012/01 (38)

2012/02 (45)

2012/03 (45)

2012/04 (37)

2012/05 (31)

2012/06 (30)

2012年下半期

2012/07 (31)

2012/08 (32)

2012/09 (30)

2012/10 (31)

2012/11 (31)

2012/12 (31)

2013年上半期

2013/01 (31)

2013/02 (28)

2013/03 (31)

2013/04 (30)

2013/05 (31)

2013/06 (30)

2013年下半期

2013/07 (31)

2013/08 (31)

2013/09 (30)

2013/10 (31)

2013/11 (30)

2013/12 (31)

2014年上半期

2014/01 (31)

2014/02 (28)

2014/03 (31)

2014/04 (30)

2014/05 (31)

2014/06 (30)

2014年下半期

2014/07 (31)

2014/08 (31)

2014/09 (30)

2014/10 (31)

2014/11 (30)

2014/12 (30)

2015年上半期

2015/01 (27)

2015/02 (28)

2015/03 (31)

2015/04 (31)

2015/05 (31)

2015/06 (30)

2015年下半期

2015/07 (31)

2015/08 (31)

2015/09 (30)

2015/10 (31)

2015/11 (30)

2015/12 (29)

2016年上半期

2016/01 (27)

2016/02 (29)

2016/03 (28)

 

 

 

花間集五百首訳注解説

月別アーカイブ

 

http://kanbunkenkyuu010.blog.fc2.com/

 

 

2016年下半期

 

 

 

 

2016/11 (30)

2016/12 (30)

2017年上半期

2017/01 (28)

2017/02 (28)

2017/03 (31)

2017/04 (30)

2017/05 (31)

2017/06 (2)

2017年下半期

 

 

 

 

 

 

スポンサーサイト

0 Comments

Leave a comment

テンプレートに関するご質問・不具合のご報告の際はご自身のブログアドレス記載必須です
ご質問の前に必ずお読みください ↓
FC2テンプレート ご利用時のお願い