花間集 訳注解説 (220)回目張泌 《巻四45 滿宮花一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8888

 220)回目張泌 《巻四45 滿宮花一首》

 

花間集 訳注解説 (220)回目張泌 《巻四45 滿宮花一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8888

 

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杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

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(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

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花間集 訳注解説 (220)回目張泌 《巻四45 滿宮花一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8888

(一度寵愛を受けていた妃嬪は数多く、歳を重ねて洛陽の上陽宮に遷されたものには寵愛を受ける春はやってこないし、ひっそりと生涯を終えると。)

その花は今まさに芳しく美しい盛りであり、高楼に於いても綺麗さはひけをとらないも、ひっそりと寂しさが洛陽上陽宮の中にある。かごかんざし、金属製の輪をつないだひも状のもので結ばれ、鴛鴦のふとんのなかに眠る。簾から寒気が入り、ひらいたはなに夜露が降り、珠と翡翠に閨は飾られている。愛嬌も、妖艶なしぐさも十分あり、薫り高く雪のように色白の素肌はきめ細かいけしょうがされている。これほどの魅力あるものなら、春なって細雨が降って来るころには高麗鶯の番が春を告げに起きだしてくるだろう。春の暖かさを運ぶ風も吹いては来るが寂しく音を立て、気が付けば春の盛りの清明節になっている。それでも、公子は上陽宮にわたる橋のあたりまでこられてはいるが酒に酔い潰れて此処に訪れることはない。

 

宮島0005 

 

 

 

 

花間集 巻四

 

 

 

 

 

魯迅は、「武則天が皇帝になると、誰が敢てJ力尊女卑〃を主張したであろうか」(魯迅「民国十四年の《経を読め》論」)と言った。まさにその通りである。しかし、彼女が皇帝になっても、決して千年来連綿と続いてきた男尊女卑の体制を根本から変革することはできなかった。つまり、武則天が赫赫たる皇帝の玉座にあった時にも、あいかわらず彼女が女性であるからといって軽蔑し、彼女の命を受けるのを屑しとしなかったり、密かに彼女を呪胆したりする者がいた。武則天の宰相秋仁傑が叔母を訪ねた時、自分は女性であるのに女帝が気にくわない老婦人から冷淡なあつかいを受けた。彼女は甥が女主人に仕えることはきわめて不名誉なこと、家門を汚すことと考えたのである(『唐語林』巻四)。武則天の統治期の官員孟洗は英雄気どりで「女房なんて、烹て客に食わせることだってできる」などといたるところで豪語した(『太平広記』巻T几七)。もちろん、孟洗は自分の女房を酒の肴にしようなどと本気で考えたのではなく、きっと女主人に仕えることを屑しとしない気持を、武則天に示そうと思っただけであろう。中国の男尊女卑の伝統はしっかりと歴史の上に深く刻みつけられていたばかりでなく、人々(そこには女性も含む)の脳髄にまで深く浸透していたので、一女帝がたやすく抹消できるものではなく、また唐朝というこの特異な性格をもった王朝でも、抹消することはできなかったのである。

 それで、唐代の女性は比較的高い地位と比較的多くの自由を享受していたけれども、しかし結局は、男尊女卑の封娃社会から脱出することはできなかった。それゆえ、法律の上でも現実の生活の上でも、また観念の上でも、依然として様々な不平等な待遇を受けた。

 まず、法律の上では、男女は全く不平等であった。経済・財産の上では、女性はただわずかな嫁人り費用を分けてもらえるだけで、兄弟たちとちがって財産を相統する権利はなかった。男の相続人がなくコ尺絶」(後嗣の絶ぇた家)と認められた情況下ではじめて、未婚あるいは既婚の女性が財産の相続権に与ることができたのである(楊廷福「唐代婦女の法律上における地位」『法律史論叢』第三輯、法律出版社、一九八三年)。『全唐文』(巻九八〇)に、次のような記載がある。「洛陽の人見諺は、先ず本県から同郷人任蘭の死後に戸絶となった任蘭の住宅一区両を支給された。ところが、任蘭の娘婿の郭恭理から訴えられた。県官は見諺の所有と断じたが、州官は娘に返せと判決した。しかし見諺は服さなかった」という事件である。上級の州の判決文は、「宅及び資産は、近親者たる娘のものである。令式に条文があり、この規定に拠るべきである」というものであった。この事件からみると、たとえ女子が健在であっても、この戸はやはり県官から「死絶」とされたのである。女子の財産相続権は法律で明確に定められているのに、それが認められるまで大変な手間をかけねばならなかったことがわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『滿宮花』三首

 

 

作者

初句7字

 

 

張舍人泌

巻四

滿宮花一首

花正芳,樓似綺,

 

 

魏太尉承班

巻九

滿宮花一首

雪霏霏,風凜凜,

 

 

尹參卿鶚

巻九

滿宮花一首

月沉沉,人悄悄,

 

 

 

 

 

 

 

 

魏承班 《滿宮花一首》

雪霏霏,風凜凜,玉郎何處狂飲。

醉時想得縱風流,羅帳香幃鴛寢。

春朝秋夜思君甚,愁見繡屏孤枕。

少年何事負初心,淚滴縷金雙衽。

15-444《滿宮花一首》魏承班Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-627-15-(444) 巻九漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4682

尹鶚 《滿宮花一首》

月沉沉,人悄悄,一炷後庭香裊。

風流帝子不歸來,滿地禁花慵掃。

離恨多,相見少,何處醉迷三島。

漏清宮樹子規啼,愁鏁碧春曉。

18-473《滿宮花一首,》巻九 尹鶚Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-656-18-(473) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4827

 

 

 

花間集 教坊曲《巻四45 滿宮花一首》張泌

 

 

花間集 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1

 

 

 花間集タイトル花間集03

張泌 《滿宮花一首

(一度寵愛を受けていた妃嬪は数多く、歳を重ねて洛陽の上陽宮に遷されたものには寵愛を受ける春はやってこないし、ひっそりと生涯を終えると。)

花正芳,樓似綺,寂寞上陽宮裏。

その花は今まさに芳しく美しい盛りであり、高楼に於いても綺麗さはひけをとらないも、ひっそりと寂しさが洛陽上陽宮の中にある。

鈿籠金鏁睡鴛鴦,簾冷露華珠翠。

かごかんざし、金属製の輪をつないだひも状のもので結ばれ、鴛鴦のふとんのなかに眠る。簾から寒気が入り、ひらいたはなに夜露が降り、珠と翡翠に閨は飾られている。

嬌豔輕盈香雪膩,細雨黃鶯雙起。

愛嬌も、妖艶なしぐさも十分あり、薫り高く雪のように色白の素肌はきめ細かいけしょうがされている。これほどの魅力あるものなら、春なって細雨が降って来るころには高麗鶯の番が春を告げに起きだしてくるだろう。

東風惆悵欲清明,公子橋邊沉醉。

春の暖かさを運ぶ風も吹いては来るが寂しく音を立て、気が付けば春の盛りの清明節になっている。それでも、公子は上陽宮にわたる橋のあたりまでこられてはいるが酒に酔い潰れて此処に訪れることはない。

(滿宮花一首)

花 正に芳し,樓 綺に似るも,寂寞とす 上陽宮の裏。

鈿籠 金 鴛鴦睡り,簾 冷やかして 華に露 珠翠あり。

 輕やかに盈ちて 香雪の膩,細雨 鶯 雙びて起す。

東風 惆悵して 清明にならんと欲し,公子 橋邊に 醉す。

 

 

『滿宮花』 現代語訳と訳註

(本文)

張泌 《滿宮花一首》

花正芳,樓似綺,寂寞上陽宮裏。

鈿籠金鏁睡鴛鴦,簾冷露華珠翠。

嬌豔輕盈香雪膩,細雨黃鶯雙起。

東風惆悵欲清明,公子橋邊沉醉。

 

(下し文)

(滿宮花一首)

花 正に芳し,樓 綺に似るも,寂寞とす 上陽宮の裏。

鈿籠 金鏁 鴛鴦睡り,簾 冷やかして 華に露 珠翠あり。

嬌豔 輕やかに盈ちて 香雪の膩,細雨 黃鶯 雙びて起す。

東風 惆悵して 清明にならんと欲し,公子 橋邊に 沉醉す。

 

(現代語訳)

(一度寵愛を受けていた妃嬪は数多く、歳を重ねて洛陽の上陽宮に遷されたものには寵愛を受ける春はやってこないし、ひっそりと生涯を終えると。)

その花は今まさに芳しく美しい盛りであり、高楼に於いても綺麗さはひけをとらないも、ひっそりと寂しさが洛陽上陽宮の中にある。

かごかんざし、金属製の輪をつないだひも状のもので結ばれ、鴛鴦のふとんのなかに眠る。簾から寒気が入り、ひらいたはなに夜露が降り、珠と翡翠に閨は飾られている。

愛嬌も、妖艶なしぐさも十分あり、薫り高く雪のように色白の素肌はきめ細かいけしょうがされている。これほどの魅力あるものなら、春なって細雨が降って来るころには高麗鶯の番が春を告げに起きだしてくるだろう。

春の暖かさを運ぶ風も吹いては来るが寂しく音を立て、気が付けば春の盛りの清明節になっている。それでも、公子は上陽宮にわたる橋のあたりまでこられてはいるが酒に酔い潰れて此処に訪れることはない。

 

 

(訳注)

張泌 《滿宮花一首》

1. (一度寵愛を受けていた妃嬪は数多く、歳を重ねて洛陽の上陽宮に遷されたものには寵愛を受ける春はやってこないし、ひっそりと生涯を終えると。)

2. 【解説】唐教坊曲、宮怨詞である。宮女たちは身を九重(天子の宮殿)に置き、はなはだ高貴であるように見えるが、じつはただの皇帝家の家碑に過ぎず、衣食の心配がなくたいへん幸福のように見えるが、じつは人間性を最も残酷に破壊された人々であった。

宮廷においては、少数の地位の高い后妃の他は、万単位で数えられる普通の宮人であり、唐代では「官女」「宮娥」「宮婢」などとも呼ばれていた。彼女たちは長安にあった三大皇宮(太極宮、大明宮、興慶宮)と東都洛陽にあった大内(天子の宮殿)と上陽の両宮殿、及び各地の離宮、別館、諸親王府、皇帝陵にそれぞれ配属されていた。

 

宮人は六局、二十四司に分属して管理され、各職務に任命された。彼女たちは出身、容姿、技芸の才能などによって、それぞれに適した任務と職掌が与えられていた。上級の宮人は大半が近侍となり、皇帝、后妃の日常生活や飲食等の世話に従事した。その他に皇帝が朝政に当たる時は側に侍り、内延から皇帝の勅命を伝える任務にも当った。唐末の哀帝の時代になって、こうした任務ははじめて廃止され、宮人は内延の門を自由に出ることが禁じられた。その他の下層の宮人は宮中のこまごまとした各種の雑事を分担した。たとえば、ある種の宮人はもっぱら宮中の門を見張っていたので「戸婦」とよばれた。また裁縫、織布、刺繍など、ん悩特有の仕事を専門にする宮人は、皇帝、后妃などの衣服を調達したり、また軍服をつくる仕事も兼ねた。また宮中の掃除や、庭園、灯火、倉庫など一切の管理事務を受けもつ者もいた。

宮人のもう一つの役割は皇帝を楽しませることであった。皇帝の寝所に侍ったお手付きの宮女は、皆腕に「風月常新」(男女の情愛は常に新しい、という意)の四文字を刻印され、そこに桂紅膏(赤色のクリーム)を塗られたので、水洗いしても色があせなかった。宮女を玩具にし、人格を踏みにじったことは多くの詩に残されている。さらに不幸なのは、亡き皇帝の霊の弔いを命ぜられた「奉陵宮人」とか、「陵園妾」とか呼ばれる女性であった。唐朝の制度では「およそ皇帝の崩御にあたっては、子の無い官女は悉く山陵に遣わし、朝な夕な、洗面用具を揃え、夜具を整えて、あたかも生者に仕えるように死者に仕えさせた」。「陵園妾,顏色如花命如葉。」(顔色は花の如く命は葉の如し)《白居易「陵園妾」》であったこれらの宮人は、半生を陰惨でもの寂しい陵墓に、自ら墓に入るその日までずっとお仕えしなければならなかった。

 

白居易「後宮詞」

雨露由來一點恩,爭能遍布及千門? 

三千宮女胭脂面,幾個春來無淚痕!

 

「三千の宮女 胭脂の面、幾個か春来りて涙の痕無からん」(白居易「後宮詞」)。古来、宮人は女性のなかで最も人間性を踏みにじられた人々であり、官官とともに君主専制制度の直接の犠牲者であった。一方は生殖器をとられ身体を傷つけられた者、一方は人間性を踏みにじられた者である。宮人は奥深い後宮の中に幽閉されて永遠に肉親と別れ、青春と紅顔は葬り去られ、愛情と人生の楽しみは奪われ、生きている時は孤独の苦しみに、また死んだ後は訪れる人もない寂しさの中に置かれた。それで多くの知識人が、彼女たちの境遇に心を痛め嘆息してやまなかったのである。

彼女たちの痛苦の生活と心情を理解しょうとすれば、白居易の「上陽の白髪の人」ほど真実に迫り、生々と彼女たちの人生を描写したものはない。

 

3. 【構成】『花間集』には三首所収。魏承斑の作は一首収められている。双調五十一字、前段二十五字五句三仄韻、後段二十六字四句三仄韻で、3❸❻7❻/❼❻7❻の詞形をとる。

花正芳,樓似,寂寞上陽宮

鈿籠金鏁睡鴛鴦,簾冷露華珠

嬌豔輕盈香雪,細雨黃鶯雙

東風惆悵欲清明,公子橋邊沉

○△○  ○●● ●●●○○● 

△△○?●○○ ○△●△○●

△●△○○●● ●●○○○●

○△○●●○○ ○●○○○●

花正芳,樓似綺,寂寞上陽宮裏。

その花は今まさに芳しく美しい盛りであり、高楼に於いても綺麗さはひけをとらないも、ひっそりと寂しさが洛陽上陽宮の中にある。

4. 上陽宮 洛陽上陽宮。上陽人:《「上陽」は唐代、洛陽の宮城内にあった宮殿の名》上陽宮にいた宮女。楊貴妃が玄宗皇帝の寵愛(ちょうあい)を一身に集めたため、他の宮女が不遇な一生を送ったところから、女性、特に宮女の不遇をたとえる語として用いられる。

唐の玄宗の時,楊貴妃に寵愛(ちようあい)を独占されて上陽宮に移され空しく老いた宮女たち。不遇な宮女。上陽宮の人。白居易「後宮詞」白居易『上陽白髪人』。劉長卿『上陽宮望幸』など多くの作品がある。

 

 

鈿籠金鏁睡鴛鴦,簾冷露華珠翠。

かごかんざし、金属製の輪をつないだひも状のもので結ばれ、鴛鴦のふとんのなかに眠る。簾から寒気が入り、ひらいたはなに夜露が降り、珠と翡翠に閨は飾られている。

5.  鈿籠 籠にかね飾りをつけたもの。かごかんざし。

6. 鏁 ① 金属製の輪をつないだひも状のもの。② 物と物とを結び付けているもの。きずな。

 

嬌豔輕盈香雪膩,細雨黃鶯雙起。

愛嬌も、妖艶なしぐさも十分あり、薫り高く雪のように色白の素肌はきめ細かいけしょうがされている。これほどの魅力あるものなら、春なって細雨が降って来るころには高麗鶯の番が春を告げに起きだしてくるだろう。

7. 膩  あぶら。ねっとりした脂肪。 なめらか。きめ細かい。 【膩粉】じふんなめらかなおしろい。べにやおしろい。化粧のこと。粉膩。 【膩理】じりなめらかで、きめが細かい肌。 「理」は、肌のきめ。

 

東風惆悵欲清明,公子橋邊沉醉。

春の暖かさを運ぶ風も吹いては来るが寂しく音を立て、気が付けば春の盛りの清明節になっている。それでも、公子は上陽宮にわたる橋のあたりまでこられてはいるが酒に酔い潰れて此処に訪れることはない。

8. 公子 公子は、中国の春秋戦国時代の各国の公族の子弟。 君主の子は公子と呼ばれ、公子の子は公孫と呼ばれた。実質上、諸侯は王族に等しく、その子弟も王子と呼んでもさしつかえはないが、建前上、列国は周王の家来であり、王は周王ただ一人であるので、諸侯は公を称し、その子弟は公子となった。

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