花間集 訳注解説 (216)回目張泌 《巻四42 酒泉子二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8864

 216)回目張泌 《巻四42 酒泉子二首其二》

 

 

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花間集 訳注解説 (216)回目張泌 《巻四42 酒泉子二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8864

〔(春の科挙発表の無礼講を詠う。)長安の街は春の景色に染まっている、科挙合格の発表の無礼講のころから春の終わりにかけて、貴公子らは五陵、咸陽、高級住宅街を我が物顔で遊び歩く、それが毎年のことで毎夜、月が真上に在るころまでは大騒ぎしている。〕

都の街路の東には靑門の春明門があり、ここにある漢の武帝の作った「周墻,四百餘里、離宮・別館、三十六か所、神池・霊沼」は、すべて春色の景色に染そまっている。長安城に張り巡らされた運河、宮中の庭を流れる溝水路、天子の輦車の通路のどちらも人知れず通ってゆける道である。曲江の杏園に春風は吹くころ科挙の合格発表がある。御陵を背にして秦の咸陽の街があり、此処で貴公子が酒屋で酒を手にし、宝玉の簪を付けた女妓を弄び空しい春となる。そんなことをわらいとばして、未央宮・長安城に去りかえっていく。貴公子たちは花を挿し、馬を我が物顔で走らせ、春も終わりころの残った赤い花も落ち始めているころまでつづく。そして今日も、月はまだ真上にあってこの街を照らす。

 

 

 

 

 

花間集 巻四

 

 

 

 

 

地方の官妓 (2

 

 楽営官妓は、節度使や州刺史などの地方長官が直接に掌握し支配した。彼女たちは一般に楽営に集中して居住し、そこから自由に出ることは許されず、官庁から衣服や食糧の支給を受けていた。そして、いつでも官庁からの呼び出しに応じることができるよう準備していたので、「官使の婦人」とか、「官使の女子」などと呼ばれたのである。官庁が挙行する各種の祝典宴会・歓送迎会・上官接待などの時に、宮府は彼女たちを召集して芸の披露、酒席の接待、夜の相手などをさせた。官妓の大半はみな一定の技芸を持ち、歌や舞い、酒席での遊び、それに管弦楽器の演奏などに長じていた。彼女たちは、一段と大きな権勢を持つ長官に占有される以外は、一般に地方長官の許可なしに客を自由に接待することはできなかったと思われる。しかし、この種の制限も決してそれほど厳格なものではなく、すべて長官個人の好みにかかっていた。『雲渓友議』(巻こ一)に次のような話がある。池州(安徹省貴池県)の杜少府(少府は官名。県尉に同じ)と、毫州(安徽省毫県)の章中丞(中丞は官名。御史台の長官)の二人は仏教、道教にたいへん帰依していたので、楽妓に対してあまりよい感じをもっていなかった。それで彼らは「楽営の子女には厚く衣・糧を給し、営外に住むに任せている。もし宴会があれば呼びよせる。花柳の巷では好きに楽しませている」と言った。すると科挙受験生の張魯封が嘲って、「楽営は都て是れ閑人管り、両地の風情(色恋沙汰)日に漸く多し」(張魯封「池毫二州の賓佐を謔い、兼ねて宣武軍掌書記李昼に寄す」)と言った。この話は、第一に官妓は一般に楽営の外に住んだり、閑人(楽営外の人)と交際してはならないという規則であったこと、しかし第二に、この規則はそれほど厳格なものではなかったことも同時に示している。全体的に見れば、地方官妓は一般に官府に頼って生活しており、彼女たちの任務は官の御用に応じて、芸を披露し宴席に侍るのが中心で、自由に肉体を売ることなどは本来の仕事ではなかった。しかし、実際は彼女たちはしばしば秘かに客をとっていたのであった。

 

 官妓は地方長官の管轄下にあったので、長官が完全に支配し、常に彼らの私有財産のようになっていた。長官たちは「花魁を独占する」ことができたので、彼女たちを勝手に人に贈ったり、また人から奪ったりすることができた。張褐は晋州(山西省臨扮県)の長官になると、愛する営妓を外に囲って一子をもうけた。このように官妓を側室にした例は記録に少なくない。歌妓の張好好は江西の沈公の管轄下にあった。後に沈公は宜城(安徽省宣城県)の鎖守となって転任すると、張好好を宣城の官妓の籍に移した。また、白居易は杭州刺史の任にあったが任地を離れる時、歌妓をつれて洛陽に帰った。しかし、後に披女を銭唐(浙江省杭州)に送り返した。また、杜晦が常州(江蘇省武進県)の官を辞任した時、郡守の李晦が送別の宴を開いた。杜は辞去する時、営妓の朱娘に別れを告げ挟で顔をおおい大いに泣いた。それを見て李は、「こんなはすっぱの妓女など、員外郎の貴方さまが御入り用なら仰ってください。何の遠慮がございましざっ」と言い、この営妓を杜に連れて行かせた。また、蔀宜僚は新羅に使節として赴く途中、青州(山東省益都県)を通った時、飲妓(酒席の接待をする妓女)の段東美という妓女を見初めた。すると、節度使はすぐ彼女を贈呈した。また、剌史の戎晟は管轄下にある一歌妓と情を通じていた。しかし上官である節度使の于岨が所望したので差し上げざるをえなかった。後に于頓は彼女を戎竪に返した。また、李晟は剣南(四川省一帯)に軍を率いて行き、帰る時成都の官妓高氏というものを連れ去ったので、成都の長官張延賞は人を派して取り返した。

 

また、章保衝は独孤雲の幕下の官僚として赴任した時、一人の飲妓を連れていった。ところが副史の李甲はもともとこの飲妓に気があったので、速達の公文書を独孤雲に送り、彼女を取り返した。また、盧胚が廬江(安徽省廬江県)の太守になった時、郡内の曹生なるものが営妓の丹霞を自分にほしいと頼んだが盧は許さなかった。

 これらの話は、劉崇遠『金華子雑編』、孫光憲『北夢頂言』(巻ハ)、銭易『南部新書』(戊、庚、辛)、孔平忠『続世説』(巻一こ、芭櫨『雲渓友議』(巻一)、『仝唐詩』(巻五二〇)等の書物に載っており、こうした事例からみると、官妓はほとんど地方長官の私物のような存在であったことが分かる。しかし官妓の籍は官府に属していたので、長官が彼女たちを支配し贈与し、あるいは占有物にしたとはいえ、勝乎に売買することはできなかった。多くの記録からみるに、官妓が身請けされるのはすべて長官が贈与するか、あるいは長官が許可した場合だけであった。「妓籍から降されんことを祈る」(『太平広記』巻二七三「章保衝」)という常用句からみて、官妓を自分のものにしたい人は長官に落籍を頼んだのであって、決して金銭で買ったのではなかったことが分かる。要するに、地方官妓は官奴婢的色彩がきわめて強く、「官身」(官に隷属する者)であって白由の身ではなかったのである。

花間集タイトル花間集03 

張泌

酒泉子二首 其一

春雨打,驚夢覺來天氣曉。畫堂深,紅焰小,背蘭缸。

酒香噴鼻懶開缸,惆悵更無人共醉。舊巢中,新鷰子,語雙雙。

 

酒泉子二首 其二

紫陌青門,三十六宮春色。御溝輦路暗相通,杏園風。

咸陽沽酒寶釵空,笑指未央歸去。插花走馬落殘紅,月明中。

 

 

 

花間集 教坊曲《巻四41 酒泉子二首其一 》張泌

 

 

花間集 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8858

 

 


海棠花 04 

酒泉子二首 其一

(寵愛を失った妃嬪の孤閏の酒におぼれる悲しみを詠う。)

春雨打,驚夢覺來天氣曉。

春の風雨は東の窓を打つ、うとうとして夢におどろいて、目が覚めてみれば、もう夜が明けはじめたはれた空にかわる。

畫堂深,紅小,背蘭缸。

彩の御殿の表座敷が奥まったところにある閨には、火影小さく、燭台に背を向け横になっている。

酒香噴鼻懶開缸,惆悵更無人共醉。

やるせない気持ちに、酒に頼るしかなく物憂げに酒の甕を取れば酒の香りは鼻打つ、つらく悲しい気持ちには、ともに酌み交わす人はいなくていい。

中,新子,語雙雙。

梁上の古巣には、また、新しい番いの燕が子を育て、仲睦まじく語らい、また番を増やす。

春雨 窓を打ち、夢を驚かせ覚め来たれは 天気 暁なり。

画堂 深く、紅焔 小さく、蘭鉦【らんこう】を背く。

酒の香り 鼻を噴ち 懶【ものう】く缸【かめ】を開き、惆悵す 更に人の酔いを共にする 無きに。

舊巢の中,新しき鷰子,雙雙と 語る。

 

 

酒泉子二首 其二

〔(春の科挙発表の無礼講を詠う。)長安の街は春の景色に染まっている、科挙合格の発表の無礼講のころから春の終わりにかけて、貴公子らは五陵、咸陽、高級住宅街を我が物顔で遊び歩く、それが毎年のことで毎夜、月が真上に在るころまでは大騒ぎしている。〕

紫陌青門,三十六宮春色。

都の街路の東には靑門の春明門があり、ここにある漢の武帝の作った「周墻,四百餘里、離宮・別館、三十六か所、神池・霊沼」は、すべて春色の景色に染そまっている。

御溝輦路暗相通,杏園風。

長安城に張り巡らされた運河、宮中の庭を流れる溝水路、天子の輦車の通路のどちらも人知れず通ってゆける道である。曲江の杏園に春風は吹くころ科挙の合格発表がある。

咸陽沽酒寶釵空,笑指未央歸去。

御陵を背にして秦の咸陽の街があり、此処で貴公子が酒屋で酒を手にし、宝玉の簪を付けた女妓を弄び空しい春となる。そんなことをわらいとばして、未央宮・長安城に去りかえっていく。

插花走馬落殘紅,月明中。

貴公子たちは花を挿し、馬を我が物顔で走らせ、春も終わりころの残った赤い花も落ち始めているころまでつづく。そして今日も、月はまだ真上にあってこの街を照らす。(酒泉子二首 其の二)

紫陌【しはく】青門,三十六宮 春色なり。

御溝 輦路 暗に相い通じ,杏園の風。

咸陽 沽酒 寶釵空しく,笑指して 未央に 歸り去る。

花を插し 馬を走らせて 殘紅を落す,月明の中【うち】。

 

 

(改訂版Ver.2.1

『酒泉子二首 其二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

酒泉子二首 其二

紫陌青門,三十六宮春色。

御溝輦路暗相通,杏園風。

咸陽沽酒寶釵空,笑指未央歸去。

插花走馬落殘紅,月明中。


(下し文)
(酒泉子二首 其の二)

紫陌【しはく】青門,三十六宮 春色なり。

御溝 輦路 暗に相い通じ,杏園の風。

咸陽 沽酒 寶釵空しく,笑指して 未央に 歸り去る。

花を插し 馬を走らせて 殘紅を落す,月明の中【うち】。

(現代語訳)
〔(春の科挙発表の無礼講を詠う。)長安の街は春の景色に染まっている、科挙合格の発表の無礼講のころから春の終わりにかけて、貴公子らは五陵、咸陽、高級住宅街を我が物顔で遊び歩く、それが毎年のことで毎夜、月が真上に在るころまでは大騒ぎしている。〕

都の街路の東には靑門の春明門があり、ここにある漢の武帝の作った「周墻,四百餘里、離宮・別館、三十六か所、神池・霊沼」は、すべて春色の景色に染そまっている。

長安城に張り巡らされた運河、宮中の庭を流れる溝水路、天子の輦車の通路のどちらも人知れず通ってゆける道である。曲江の杏園に春風は吹くころ科挙の合格発表がある。

御陵を背にして秦の咸陽の街があり、此処で貴公子が酒屋で酒を手にし、宝玉の簪を付けた女妓を弄び空しい春となる。そんなことをわらいとばして、未央宮・長安城に去りかえっていく。

貴公子たちは花を挿し、馬を我が物顔で走らせ、春も終わりころの残った赤い花も落ち始めているころまでつづく。そして今日も、月はまだ真上にあってこの街を照らす。


(訳注)

(改訂版Ver.2.1

酒泉子二首 其二

11. 〔(春の科挙発表の無礼講を詠う。)長安の街は春の景色に染まっている、科挙合格の発表の無礼講のころから春の終わりにかけて、貴公子らは五陵、咸陽、高級住宅街を我が物顔で遊び歩く、それが毎年のことで毎夜、月が真上に在るころまでは大騒ぎしている。〕

12.【解説】春の科挙発表の無礼講を詠う。前段、長安城、近郊の秦の都、漢の未央宮を詠い、杏園での祝賀に始まって、貴族の家の庭は解放され、牡丹の花を競った。後段、貴族の子息は無礼講で酒を飲んで馬を走らせ、夜遅くまで大騒ぎをする。春景色を詠い、北の五陵の高級居住地域の貴公子を詠い、弄ばれた女性のことを連想させる。

13.【構成】『花間集』には張泌の作が二首収められている。双調四十三字、前段二十字五句二平韻二仄韻、後段二十三字五句二平韻二仄韻で、④❼3❸③/⑦❼3❸③の詞形をとる。

酒泉子二首 其一

春雨打、驚夢覺來天氣
畫堂深、紅焰背蘭

酒香噴鼻懶開惆悵更無人共

舊巢中、新鷰、語雙

○、

双調四十三字、前段二十字四句二平韻一仄韻、後段二十三字四句二平韻二仄韻で、4+++③=20 /⑦+++❸=23の詞形をとる。

酒泉子二首 其二

紫陌青門,三十六宮春

御溝輦路暗相,杏園

咸陽沽酒寶釵,笑指未央歸

插花走馬落殘,月明

●●○○  △●●○○●

●○●●●△○  ●○△

○○△●●○△  ●●●○○●

●○●●●○○  ●○△

 

紫陌青門,三十六宮春色。

都の街路の東には靑門の春明門があり、ここにある漢の武帝の作った「周墻,四百餘里、離宮・別館、三十六か所、神池・霊沼」は、すべて春色の景色に染そまっている。

14. ・紫陌青門 長安を東西に抜ける最も拡幅(104m)の大きい通り、春明門から入城し、西の金光門までの東西道、南北道は中央の朱雀路が最も広く120mの拡員であった 紫陌【しはく】都の街路。都の市街。紫陌,長安の道路を指す。青門は春明門

15. ・三十六宮 漢の武帝がつくった三十六か所の宮殿。李賀『金銅仙人辭漢歌』「畫欄桂樹懸秋香,三十六宮土花碧。」(畫欄の桂樹秋香を懸け,三十六宮土花碧なり。)

班孟堅《西都賦》

東郊則有通溝大漕,潰渭洞河。

汎舟山東,控引淮湖,與海通波。

西郊則有上囿禁苑,林麓藪澤,陂池連乎蜀漢。

繚以周墻,四百餘里。

離宮別館,三十六所。

(東郊と西郊) 東の郊外には、疏水、大運河があり、渭水に交流して過ぎ、黄河につきぬけて流入する。

舟を山東の地にうかべ、淮水や湖水の水を引きこみ、海と水波を相通じて一つとなる。

西の郊外には、天子専用の自然公園や禁宛、深林・大湿地帯・用水池があり、萄漠の地に向かって続き、牆をぐるりとめぐらすこと四百余里。

離宮・別館が三十六か所、神池・霊沼が至るところに存在する。

班孟堅(班固)《西都賦》(16)6(東郊と西郊)-1 文選 賦<1121618分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩970 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3398

 

御溝輦路暗相通,杏園風。

長安城に張り巡らされた運河、宮中の庭を流れる溝水路、天子の輦車の通路のどちらも人知れず通ってゆける道である。曲江の杏園に春風は吹くころ科挙の合格発表がある。

16. ・御溝 御溝水、渠溝、運河、宮中の庭を流れる溝の水。曲江の芙蓉苑に向かう運河。南北、東西に設置された。当時の大量輸送手段は、船舶によるものである。

17. ・輦路 輦道(れんどう)」に同じ天子の車の通路。興慶宮から曲江の杏園に向かう専用道路。

18. ・杏園 長安の曲江の池の畔(ほとり)にあった杏園で、祝宴を賜り、長安の街を園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。また、貴族は自邸自慢のボタンを庭を開放して鑑賞させ、合格者の無礼を許した。

19. ・杏園:官吏登用試験(科挙)に合格した進士たちの祝宴会場。科挙に合格した進士には、曲江の池の畔(ほとり)の杏園で、祝宴を賜り、長安の街で園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。 

20. ・杏園人:科挙に合格し、新たに進士となった人たちを指す。

 

咸陽沽酒寶釵空,笑指未央歸去。

御陵を背にして秦の咸陽の街があり、此処で貴公子が酒屋で酒を手にし、宝玉の簪を付けた女妓を弄び空しい春となる。そんなことをわらいとばして、未央宮・長安城に去りかえっていく。

21. ・咸陽 秦朝の首都として大いに栄えた。風水においては山・丘・阜などの南側、河・江・川・湖などの水辺の北側を陽と言う。この都市は九嵕山の南、渭水の北に当たり「咸陽」なためにこの名前がついた。

22. ・沽酒 酒を売買すること。また、その酒。

23. ・未央 前漢の都である長安の南西部にあった宮殿であり、前漢の皇帝の居場所であった。 『三輔黄図』によると漢の高祖7年に、少府陽城延の指揮のもと、丞相蕭何が主導して造営を開始した。

咸陽沽酒 “五陵・少年” 李白、王維、杜甫が詩にしている、李白『少年行』「五陵年少金市東,銀鞍白馬度春風。落花踏盡遊何處,笑入胡姫酒肆中。」

・少年を題材にしたものは盛唐の詩人の間で流行っていたのだろう。杜甫も最初二首詠い、しばらくして、この一首詠っている。どの詩人も貴族の親に向けて、批判はできないが、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している。

・貴族の子弟が酒屋において傲慢に酒を貪ったさまをうたう。(762)宝応元年、杜甫51歳の成都での作品。李白や、王維の同名の作品は楽府、音楽に合わせて歌うように詩を読むものであるが、杜甫のこの詩は七言絶句の形式の歌行である。同種の『貧孝行』がある。

王維の「少年行四首」は漢時代を借りて四場面の劇構成になっている。
王維『少年行四首』 其一   
新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。

 

插花走馬落殘紅,月明中。

貴公子たちは花を挿し、馬を我が物顔で走らせ、春も終わりころの残った赤い花も落ち始めているころまでつづく。そして今日も、月はまだ真上にあってこの街を照らす。

 

 

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