花間集 訳注解説 (211)回目張泌 《巻四37 臨江仙一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8834

 211)回目張泌 《巻四37 臨江仙一首》

 

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

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杜甫詩(1)736~751年  53

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杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

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(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

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花間集 訳注解説 (211)回目張泌 《巻四37 臨江仙一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8834 

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花間集 訳注解説 (211)回目張泌 《巻四37 臨江仙一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8834

(洞庭湖に灌ぐ秋の大江は静かに流れ、瀟湘八景八景を彩るカンナの花は露に泣き愁いに紅く色に染まる瀟湘八景八景には、桃源郷初め、屈原の断腸の思いでの投身、娥皇女英が投身した地でもあり、彼女らを祀った宮祠殿には冷たい雨と風が吹き付けると詠う)

湘水の渚にただよっていた濃霧は消えてゆき、洞庭湖に灌ぐ秋の大江は静かに流れ、瀟湘八景八景を彩るカンナの花は露に泣き愁いに紅く色を濃くしている。この地には、桃源郷があり、五色の雲の彼方へ二羽の鶴が飛び去り、多くの詩人が幾度かこの地を訪ね回り、燃える思いを断ったし、遠くはるかな空の果てにその思いを望んだのだ。この地の翠の斑竹は密かに留めている怨み込めたる涙跡であり、湘夫人が奏でる瑟琴の調は波の間に静かにはいってゆく。ここには花のような鬟髷、月のような両鬢、美しき黒髪は雲のように重なっている。古き社祠の奥深い宮祠殿には、聖女祠殿の香りは吹きつける雨と風に冷やかに流れる。

 

 

 

 

 

花間集 巻四

 

 

 

 

 大明宮正面 003

女尼、女冠、女巫

 

呉江の女道士、頭に蓮花巾を戴く、……

足下には遠遊の履、波を凌いで素き塵を生ず

 

 

《江上送女道士褚三清游南岳》  李白

 呉江女道士、頭戴蓮花巾。霓衣不湿雨、特異陽台云。

 足下遠游履、凌波生素塵。尋仙向南岳、應見魏夫人。

 

 ここで紹介するのは、宗教や迷信に携わる専業の女性である。彼女たちは唐代の女性の中ではきわめて特殊な階層であった。彼女たちは基本的には生産に携わらない寄生的階層であり、同時にまたいささか独立性と開放性をもった階層であった。

 唐代には仏教、道教の両宗教がきわめて盛んであり、寺院、道観は林立し、膨大な数の尼と女道士(女冠)の集団を生み出していた。『唐六典』(巻四)に、盛唐の時代、天下に女道士のいる五五〇の道観、二Iて一の尼寺があったと記されている。尼や女道士の数はさらに相当なものである。『旧唐書』の「傅突伝」に、唐初「天下の僧尼の数は十万に満ちる」とあり、『新唐書』の「百官志」には「天下の女冠は九八八人、女尼は五万五七六人」とある。『唐会要』の「僧籍」によれば、唐後期の会昌年間(八四一-八四六)、僧尼は二六万五百人に達した。これらの記録から推測すると、尼僧は少ない時でも数万人、多い時には十余万人にも達していたと想像される。都から遥か遠方の敦煌地区でも、普通の寺の尼僧は常に一寺院に百人はいた(『敦煌資料』第一輯「敦煌寺院僧尼等名牒」)。道教寺院の女道士の数はやや少なめであった。これに各地で自由に活動している女巫(女占師)を加えて合計すると、無視できない階屑を形成していたのである。

 この数万もの尼や女道士には、出家以前は高貴な身分であった妃殯・公主や、衣食に何の心配もない貴婦人:今嬢もいたし、また貧と窮がこもごも重なった貧民の女性、身分の賤しい娼妓などもいた。彼女たちはどうして同じ道を歩んで出家するに至ったのだろうか。

 およそ出家の動機は、次のようないくつかの情況に分けることができる。一部は、家族あるいは自分が仏教、道教を篤く信じて出家した人々である。たとえば、宋国公の蕭璃は仏教にのめりこみ、娘を三歳にして寺に入れ尼にしてしまった(『唐文拾遺』巻六五「大唐済度寺の故比丘尼法楽法師の墓誌銘」)。

柳宗元の娘の和娘は、病気のため仏にすがり、治癒した後に仏婢と名を改め、自ら剃髪して尼となることを願った(『全唐文』巻五八二、柳宗元「下殤の女子の墓碑記」)。こうした人々の大半は貴族、士大夫の家の女子であり、彼女たちの入信は多かれ少なかれ信仰の要素を内に持っていたようである。長安にあった咸宜観の女道士は、大多数が士大夫の家の出身であった。しかし、こうした人は少数であり、圧倒的多数はやはり各種の境遇に迫られ、あるいは世の辛酸をなめ尽して浮世に見切りをつけ、寺院や道観に入って落ち着き先を求めた人々であった。その中には、夫の死後再婚を求めず人信して余生を送ろうとした寡婦もいる。たとえば、開元年間、常県(河南省輦県)の李氏は夫の死後再婚を願わず、俗世を棄てて尼になった(快名『宝応録』)。駿騎将軍姚季立が死んだ時、その妻は喪が明けると、出家して女道士になりたいと朝廷に願い出た(『仝唐文』巻五三一、張賀「姚季立の妻、女道士に充らんとするを奏せる状」)。あるいはまた、家族が罪にふれて生きる道がなく、寺院や道観に入らざるをえなかった者もいる。越王李貞(太宗の子)の玄孫李玄真は、祖先(曾祖父李珍子)の武則天に対する反逆の罪によって父、祖父などがみな嶺南の僻遠の地で死んだ。彼女はそれら肉親を埋葬した後、咸宜観に入り信仰の中で生涯を終えた(『旧唐書』列女伝)。賓参は罪にふれて左遷させられた。すると、その娘は櫛州(湖南省櫛県)で出家し尼になった(『新唐書』賓参伝)。

 また妓女、姫妾が寺院や道観を最後の拠り所にすることもあった。有名な女道士魚玄機はもともとある家の侍妾であったが、正妻が容認しなかったので道観に入った(『太平広記』巻一三〇)。妓女は綺とり容色が衰えると出家するのが一般的だった。唐詩の中には「妓が出家するのを送る」ことを題材とした作品がたいへん多い。宮人・宮妓が道観に入る例も少なからぬ割合を占める。彼女たちは年をとり宮中を出ても頼るべき場所とてなく、大多数が寺院・道観を最後の安住の地とした。

 

長安の政平坊にあった安国観の女道士の大半は上陽宮の宮人であった(『唐語林』巻七)。詩人たちはかつて、「蕭蕭と白髪にて宮門を出で、羽服・星冠に道意(修行心)存す」(戴叔倫「宮人の人道するを送る」)、「君看よ白髪にて経を誦する者を、半ばは是れ宮中にて歌舞せし人なり」(盧綸「玉真公主の影殿を過ぎる」)などと詠んで嘆いた。最後になったが、他に貧民の家の大量の少女たちがいる。彼女たちはただ家が貧しく親に養う力がないという理由だけで、衣食に迫られて寺院や道観に食を求めざるを得なかった人々である。総じて言えば、出家は女性たちが他に生きる道がない状況下における、最後の出路、最後の落ち着き先になったのである。

 一般の女子の出家の状況はだいたい以上述べたようなものであったが、妃娘・公主たちの出家の事情は比較的特殊である。妃娘の中のある者は、皇帝が死ぬと集団で寺に送りこまれた。たとえば、武媚(後の武則天)などの妃娘は太宗の死後、感業寺に送られて尼にされた。また、ある者は家人が罪を犯したためもはや妃嬢となる資格を失い、やむなく出家せざるを得なかった。たとえば、粛宗の章妃は長兄が死を賜ったので粛宗と離婚し、宮中にある寺の尼となった。楊貴妃が女道士になった件は、玄宗が息千の嫁を自分の妃にするために弄した策略にすぎず、これで天下の耳目を掩ったのである。公主が道教に人信することはさらに多く、唐朝の二回一人の公主のうち、出家した者は十人にも上る。ただし、彼女たちの多くは道教に入っており、仏に仕えたのではなかった。彼女たちの中には、夫が死んだので自ら出家を願ったものもいるが、その他大多数の出家の原因は、それほどはっきりしていない。彼女たちの相当の部分が「福を祈り禍を祓う」などの名目で、出家しており、事実上自ら願って女道士の生活に入ったのであろう。最も有名な玄宗皇帝の妹の玉真公主と、彼女と同時に出家した金仙公主は、おそらくこうした例である。彼女たちは女道士になっても公主としての富貴と栄誉を失わなかった。朝廷は旧来のごとく彼女たちに生活資財を支給したから、生活はかえって公主の時より自由になり、束縛を受けなくなった。また女道士の生活は尼僧のそれに比べていくらか自由であったからこそ、公主たちの大半は仏寺に入らず道観に入ったのである。

 出家した女性の生活は、きわめて特色のあるものだった。まず第一に、彼女たちは人に頼って生きる階層であり、一般には生業に従事しなかった。国家あるいは施主から衣食がすべて供給された。建国当初、高祖は勅令を下して、「およそ戒律を守り、修行に励む僧尼、女冠等の人には、一律に衣食を供給し、欠かさぬようにせよ」(『旧唐書』高祖紀)と命じている。しかし、尼や女道士の生活状況は人によって大変な相違があった。豪奢な生活をし奴僕を使っている上層の者もいれば、清貧の生活をし奴婢に等しい下層の者もいた。上層に属す尼や女道士には、国家が生活物資を支給する以外に、高官貴人も布施などの援助をしたので、彼女たちの生活は往々にして豊かであり贅沢でさえあった。武則天の時代、宮中に召された河内(河南省沁陽県)の一老尼は、昼間は胡麻一粒、米一粒を食べて人をだまし、夜間は弟千百余人とともに羊や牛を殺し、夜明けまで飲み食いして騒いだ(『資治通鑑』巻二〇五、則天后天冊万歳元年)。またある尼僧は、甚だしいことに「自ら黄金もて地居を買う」ことまでした(劉長卿「戯れに干越の尼子に贈る歌」)。懐具合がたいへんよかったことがわかる。しかし、大多数の下層の尼や女道士の生活は、きわめて苦しく困難なものだった。唐代の民歌のなかに、女道士は「いつも食糧の貯えにこと欠き、鍋釜は寝室に置く・・・・・衣食もなかなか求め難い……病に苦しんでも看る人もいない」とある(『唐代民歌考釈及変文考論』第二十篇)。これら下層の女道士は衣食に事欠き、家に貯えもなく、自分で鍋釜を用意して食事をつくらねばならなかった。その孤独と貧窮はきわめて凄惨だった。

 

 

 

 

花間集 教坊曲《巻四37 臨江仙一首》張泌

 

 

花間集 訳注解説

 

 

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 關中 絵地図00

臨江仙

(洞庭湖に灌ぐ秋の大江は静かに流れ、瀟湘八景八景を彩るカンナの花は露に泣き愁いに紅く色に染まる瀟湘八景八景には、桃源郷初め、屈原の断腸の思いでの投身、娥皇女英が投身した地でもあり、彼女らを祀った宮祠殿には冷たい雨と風が吹き付けると詠う)

煙收湘渚秋江靜,蕉花露泣愁紅。

湘水の渚にただよっていた濃霧は消えてゆき、洞庭湖に灌ぐ秋の大江は静かに流れ、瀟湘八景八景を彩るカンナの花は露に泣き愁いに紅く色を濃くしている。

五雲雙鶴去無蹤,幾迴魂斷,凝望向長空。

この地には、桃源郷があり、五色の雲の彼方へ二羽の鶴が飛び去り、多くの詩人が幾度かこの地を訪ね回り、燃える思いを断ったし、遠くはるかな空の果てにその思いを望んだのだ。

翠竹暗留珠淚怨,閑調寶瑟波中,花鬟月鬢綠雲重。

この地の翠の斑竹は密かに留めている怨み込めたる涙跡であり、湘夫人が奏でる瑟琴の調は波の間に静かにはいってゆく。ここには花のような鬟髷、月のような両鬢、美しき黒髪は雲のように重なっている。

古祠深殿,香冷雨和風。

古き社祠の奥深い宮祠殿には、聖女祠殿の香りは吹きつける雨と風に冷やかに流れる。

(臨江仙【りんこうせん】)

煙【もや】收まり 湘渚【しょうちょ】秋江 靜まり,蕉花 露に泣き 紅に愁う。

五雲 雙鶴 去りて蹤【あと】無く,幾迴 魂斷え,望を凝らして 長空に向える。

翠竹 暗きに留み 珠の淚の怨み,閑かに寶瑟 波中に調ぶ,花鬟 月鬢 綠雲 重る。

古祠【こし】の深殿,香は雨と風に冷やか。

 

 

(改訂版Ver.2.1

『臨江仙』 現代語訳と訳註

(本文)

臨江仙 一首

煙收湘渚秋江靜,蕉花露泣愁紅。

五雲雙鶴去無蹤,幾迴魂斷,凝望向長空。

翠竹暗留珠淚怨,閑調寶瑟波中,花鬟月鬢綠雲重。

古祠深殿,香冷雨和風。

 

(下し文)

(臨江仙【りんこうせん】)

煙【もや】收まり 湘渚【しょうちょ】秋江 靜まり,蕉花 露に泣き 紅に愁う。

五雲 雙鶴 去りて蹤【あと】無く,幾迴 魂斷え,望を凝らして 長空に向える。

翠竹 暗きに留み 珠の淚の怨み,閑かに寶瑟 波中に調ぶ,花鬟 月鬢 綠雲 重る。

古祠【こし】の深殿,香は雨と風に冷やか。

 

(現代語訳)

(洞庭湖に灌ぐ秋の大江は静かに流れ、瀟湘八景八景を彩るカンナの花は露に泣き愁いに紅く色に染まる瀟湘八景八景には、桃源郷初め、屈原の断腸の思いでの投身、娥皇女英が投身した地でもあり、彼女らを祀った宮祠殿には冷たい雨と風が吹き付けると詠う)

湘水の渚にただよっていた濃霧は消えてゆき、洞庭湖に灌ぐ秋の大江は静かに流れ、瀟湘八景八景を彩るカンナの花は露に泣き愁いに紅く色を濃くしている。

この地には、桃源郷があり、五色の雲の彼方へ二羽の鶴が飛び去り、多くの詩人が幾度かこの地を訪ね回り、燃える思いを断ったし、遠くはるかな空の果てにその思いを望んだのだ。

この地の翠の斑竹は密かに留めている怨み込めたる涙跡であり、湘夫人が奏でる瑟琴の調は波の間に静かにはいってゆく。ここには花のような鬟髷、月のような両鬢、美しき黒髪は雲のように重なっている。

古き社祠の奥深い宮祠殿には、聖女祠殿の香りは吹きつける雨と風に冷やかに流れる。

 

(訳注) (改訂版Ver.2.1

臨江仙 一首

1. (洞庭湖に灌ぐ秋の大江は静かに流れ、瀟湘八景八景を彩るカンナの花は露に泣き愁いに紅く色に染まる瀟湘八景八景には、桃源郷初め、屈原の断腸の思いでの投身、娥皇女英が投身した地でもあり、彼女らを祀った宮祠殿には冷たい雨と風が吹き付けると詠う)

2. 【解説】前段二段は、湘江の女神、娥皇と女英を祭った社を訪れた時の感懐を詠う。鶴に乗って去ったきり行方知れずの堯の娘蛾皇、女英を追慕する思いを吐露する。後段二段は、辺りに繁る青竹の娥皇、女英の怨みの涙の跡を今もなお留め、今の道女の美しさを詠い、波音は二人が奏でる琴のようであることを述べる。そして末三句で、古びた祠殿には、花のように髪を結いしげ、三日月のような賓を垂れた、黒髪豊かな道女がいる。香炉に薫かれる香の香りは吹きつける雨風に溶け入り、物寂しさが漂うことを言う。なお前段の泣き濡れたように露が降りた紆蕉(カンナ)の花は、娥皇、女英を連想させる働きをしているし、そこに今は美しい道女が居るのか、あるいはいてほしいということである。あるいは女性の精気を連想させるのである。

3. 【構成】唐の教坊の曲名。『花間集』には二十六首所収。張泌の作は一首収められている。双調五十八字、前後段二十九字五句三平韻で、7⑥⑦4⑤/7⑥⑦4⑤の詞形をとる。

臨江仙 一首

煙收湘渚秋江靜,蕉花露泣愁

五雲雙鶴去無,幾迴魂斷,凝望向長

翠竹暗留珠淚怨,閑調寶瑟波,花鬟月鬢綠雲

古祠深殿,香冷雨和

○△○●○○●  ○○●●○○

●○○●●○○  △△○● △△●△△

●●●△○●△ ○△●●○△  ○○●●●○△

●○△●  ○△●△△。

 

煙收湘渚秋江靜,蕉花露泣愁紅。

湘水の渚にただよっていた濃霧は消えてゆき、洞庭湖に灌ぐ秋の大江は静かに流れ、瀟湘八景八景を彩るカンナの花は露に泣き愁いに紅く色を濃くしている。

4. 〇湘 瀟湘八景(しょうしょう はっけい)とは、中国の山水画の伝統的な画題。またその8つの名所のこと。瀟湘は湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖と流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古来より風光明媚な水郷地帯として知られる。湘江は、広西チワン族自治区北部臨桂県の海陽山に発する。海洋圩から流れる海洋河を源流とし、北東方向へ広西チワン族自治区を流れる。湖南省永州市東安県の瀑埠頭で湖南省に入る。永州市では紫水、石期河、瀟水、応水、白水などの支流が、衡陽市では蒸水と耒水が、衡山県では水が、株洲県淥口鎮で淥水が、湘潭市で漣水が流入する。長沙市の中心で瀏陽河と撈刀河が、望城県新康で水が流入し、湘陰県の濠河口で左右に分かれて洞庭湖に注ぐ。湘江には2,157の支流があるとされ、主要な支流のうち、瀟水、耒水、水、淥水、瀏陽河は東岸の支流で、祁水、蒸水、涓水、漣水、水は西岸の支流である。

5. 〇焦花 美人蕉の花。カンナの花。

 

五雲雙鶴去無蹤,幾迴魂斷,凝望向長空。

この地には、桃源郷があり、五色の雲の彼方へ二羽の鶴が飛び去り、多くの詩人が幾度かこの地を訪ね回り、燃える思いを断ったし、遠くはるかな空の果てにその思いを望んだのだ。

6. 〇五雲 五色の瑞雲。めでたい兆しとして出現する、紫色や五色の仙界の雲。

7. 〇双鶴去無躍 堯の二人の娘である娥皇と女英は、舜の后妃となったが、舜が崩御すると湘江に身を投じて、湘江の神、湘霊になったと伝えられる。本句は、湘江の神霊となった娥皇と女英が、舜を探し求めるために、鶴に跨って飛び去ったきり、行方の知れぬことを言う。

8. 〇幾迴魂斷 桃源郷の伝説もこの一帯から生まれた。 屈原の『楚辞』「九歌」や「離騒」には、伝説上の皇帝堯の二人の娘湘君・湘妃の物語が幻想的に詠われている。後に二人は湘山に祀られた。戦国時代、この詩を詠んだ屈原自身もこの地を彷徨い、詩を詠み、ついには失意のうちに身を投じている。洞庭湖の畔に建つ岳陽楼には各地から文人が集い雅会を開いた。唐の張説、杜甫、宋代の范仲淹など多くの詩文がこの名勝の地で生まれた。

 

翠竹暗留珠淚怨,閑調寶瑟波中,花鬟月鬢綠雲重。

この地の翠の斑竹は密かに留めている怨み込めたる涙跡であり、湘夫人が奏でる瑟琴の調は波の間に静かにはいってゆく。ここには花のような鬟髷、月のような両鬢、美しき黒髪は雲のように重なっている。

9. 〇翠竹暗留珠淚怨 娥皇と女英は湘夫人と呼ばれ、舜が崩御すると泣き崩れて涙を竹に払った。すると竹は残らず斑模様になったと言う。今の斑竹がそれである。本句はこの伝説を踏まえる。

10. 〇閑調寶瑟波中 逐語訳すれば、静かに波間で琴を奏でる。ここでは波音を湘夫人が奏でる琴の音に喩える。

11. 〇花鬟月鬢綠雲重 社に祀られた湘大人の像の髪の毛を形容した言葉。

 

古祠深殿,香冷雨和風。

古き社祠の奥深い宮祠殿には、聖女祠殿の香りは吹きつける雨と風に冷やかに流れる。

12. 〇古祠深殿 娥皇と女英を祀る奥深い宮祠殿。


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