花間集 訳注解説 (208)回目張泌 《巻四35 浣渓沙十首 其九》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8816
花間集 訳注解説 (208)回目張泌 《巻四35 浣渓沙十首 其九》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8816
(酒宴に招かれ、門を入る際に偶然に遭遇し、酔ったふりをして、心を通じ合った、こんなことがあってよいのか、思いもしなかった幸運を詠う)
次第に暮れ、晩方の景色の後を追うように妃嬪を乗せた車が鳳凰の飾りの御門の宮城の中に入ってゆく。春風に車の小窓の簾が少しめくれ、刺繍の簾が緩やかに揺れる。ゆっくりと回ると愛嬌のある流し目があり、満面、微笑である。どうにかして消息を得ようとするも、どうやっても手紙が来ることはないと思っていたら、それは酔ったふりをして始まり、そして成り行きでうまくいったのだ。こんなことは稀中の稀で、生きていてこれほどのことがあるということかもしれない、大いに狂った者の仕業ということだろう。
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| 花間集 巻四 | |
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3 心は黄蓮の如く〔苦く〕、身は紅葉の如く〔はかなし〕
⊇一千の宮女 朋脂の面、幾箇か春来りて涙の痰無からん」(白居易「後宮詞」)。古来、宮人は女性のなかで最も人間性を踏みにじられた人々であり、宦官とともに君主専制制度の直接の犠牲者であった。一方は生殖器をとられ身体を傷つけられた者、一方は人間性を踏みにじられた者である。宮人は奥深い後宮の中に幽閉されて永遠に肉親と別れ、青春と紅顔は葬り去られ、愛情と人生の楽しみは奪われ、生きている時は孤独の苦しみに、また死んだ後は訪れる人もない寂しさの中に置かれた。それで多くの知識人が、彼女たちの境遇に心を痛め嘆息してやまなかったのである。
彼女たちの痛苦の生活と心情を理解しようとすれば、白居易の「上陽の白髪の人」ほど真実に迫り、生々と彼女たちの人生を描写したものはない。
上陽の白髪の人 白居易
上陽人,紅顏暗老白髮新。
綠衣監使守宮門,一閉上陽多少春。
玄宗末歲初選入,入時十六今六十。
同時采擇百餘人,零落年深殘此身。
憶昔吞悲別親族,扶入車中不教哭。
皆雲入內便承恩,臉似芙蓉胸似玉。
未容君王得見面,已被楊妃遙側目。
妒令潛配上陽宮,一生遂向空房宿。
(上陽 白髮の人)
上陽(宮)の人、紅顏暗く老いて白髪新たなり。
綠衣の監使宮門を守る、一たび上陽に閉ざされてより多少の春。
玄宗の末歲 初めて選ばれて入る、入る時十六今六十。
同時に採擇す百余人、零落して年深く 此の身を殘す。
憶ふ昔 悲しみを吞みて親族に別れ、扶けられて車中に入るも哭せしめず。
皆云ふ 入內すれば便ち恩を承くと、臉は芙蓉に似て胸は玉に似たり。
未だ君王の面を見るを得るを容れざるに、已に楊妃に遙かに側目せらる。
妒(ねた)みて潛かに上陽宮に配せられ、一生遂に空房に宿す。
上陽の人は、紅顏暗く老いて白髪が新たである、
綠衣の監使が宮門を守っています、ここ上陽に閉ざされてどれほどの年月が経ったでしょうか、玄宗皇帝の末年に選ばれて宮廷へお仕えしましたが、その時には16歳でしたのが今は60歳
同時に100人あまりの女性が選ばれましたが、みなうらぶれて年が経ちわたしばかりがこうして残りました、思い起こせば悲しみを呑んで親族と別れたものでした、その時には助けられて車の中に入っても泣くことを許されませんでした
皆は入内すれば天子様の寵愛をうけられるといいました、あの頃のわたしは芙蓉のような顔と玉のような胸でした、だけれどもまだ天子様にお会いできる前に、楊貴妃に睨まれてしまい、妬みからここ上陽宮に押し込められて、一生を遂に空しく過ごしました
秋夜長,夜長無寐天不明。
耿耿殘燈背壁影,蕭蕭暗雨打窗聲。
春日遲,日遲獨坐天難暮。
宮鶯百囀愁厭聞,梁燕雙棲老休妒。
鶯歸燕去長悄然,春往秋來不記年。
唯向深宮望明月,東西四五百回圓。
今日宮中年最老,大家遙賜尚書號。
小頭鞋履窄衣裳,青黛點眉眉細長。
外人不見見應笑,天寶末年時世妝。
秋夜長し、夜長くして寐ぬる無く天明ならず。
耿耿たる殘燈 壁に背く影、蕭蕭たる暗雨 窗を打つ聲。
春日遲し、日遲くして獨り坐せば天暮れ難し。
宮鶯百たび囀ずるも愁へて聞くを厭ふ、梁燕雙び棲むも老いて妒むを休む。
鶯は歸り燕は去って長へに悄然たり、春往き秋來して年を記さず。
唯だ深宮に明月を望む、東西四五百回 圓かなり。
今日 宮中 年最も老ゆ、大家遙かに賜ふ尚書の號。
小頭の鞋履 窄【せま】き衣裳、青黛 眉を點ず 眉細くして長し。
外人は見ず 見れば應に笑ふべし、天寶の末年 時世の妝ひ
秋の夜は長い、夜が長くて眠ることもできず空もなかなか明けません、ちらちらと揺れる灯火が壁に影を写し、しとしと降る雨が窓を打つ音がします、
春の日は遅い、日が遅い中一人で坐し得いますが空はいつまでも暮れません、
宮殿の鶯が百度囀ってもわたしは悲しくて聞く気になれません、梁の燕がつがいで巣くっても老いた私には妬む気にもなれません、鶯は故郷へ帰り燕は去ってもわたしは悲しい気持ちのまま、季節が移り変わってもう何年になるでしょうか
ここ深宮で月の満ち欠けを見てきましたが、満月はすでに四・五百回も東西を往復しました、おかげで宮中第一の年寄りになってしまいました、天子様はそんなわたしに尚書の號を賜ってくださいました
、
そのわたしときたら先のとがった靴を履いてぴったりとした衣装を着て、黛で眉を描きますがその眉は細くて長いだけ、もしよその人に見られたら笑われるでしょう、これは天宝の昔に流行った御化粧なのです
上陽人,苦最多。
少亦苦,老亦苦。少苦老苦兩如何?
君不見昔時呂向《美人賦》,〈天寶末,有密采艷色者,當時號花鳥使。呂向獻
《美人賦》以諷之。〉又不見今日上陽白髮歌!
上陽の人、苦しみ最も多し。
少くして亦苦しみ、老いて亦苦しむ。
少くして苦しむと老いて苦しむと兩つながら如何。
君見ずや 昔時 呂向の《美人の賦》、又見ずや 今日 上陽白髪の歌
上陽の人は、苦しみが最も多い、若くしても苦しみ、老いてもまた苦しむ、若くして苦しむのと老いて苦しむのとどちらが辛いだろうか、どうかご覧あれ、昔は呂向の美人の賦、またご覧あれ、いまは上陽白髪の歌
* 呂向は玄宗の派遣した花鳥使を題材にして「美人賦」を詠み、宮女の悲しみを歌った。
この白髪の詩一首は、今日でも後宮の不幸な女性たちに一掬の同情の涙を流させる。
九重の深宮は宮人たちの身体を鎖で縛っているが、彼女たちの若い心を縛ることはできなかった。彼女たちは憂え恨み悲しんだが、しかしなおも愛情と幸福を渇望していた。現世がすでに瀞茫たるものであったから、希望と夢を来世に託すほかなかったのである。永く後世に伝わった次の「紅葉に詩を題す」の物語は、生々と彼女たちの心情を伝えている。
言い伝えによれば、玄宗の時代、詩人の顧況は宮中の堀川の流れの中から一枚の大きな青桐の葉を拾った。その葉に宮人の「一たび深宮の裏に入れば、年年 春を見ず。聊か一片の葉に題し、有情の人に寄せ与う」(天宝宮人「洛苑の梧葉上に題す」)という歌一首が書いてあった。顧況はその詩に和して一首を作り川の流れに送った。後に玄宗はそれを知り、少なからぬ宮女を後宮から解放してやった。また次のような伝説もある。宣宗の時代、科挙の試験に応じた盧渥は宮廷を流れる堀川に一片の紅葉を見つけた。それに「流水 何ぞ太だ急なる、深宮 尽日閑なり。殷勤に紅葉に謝す、好し去きて人間に到れ」(宣宗宮人韓氏「紅葉に題す」)とあった。後に宣宗は宮人を解放し、その詩を書いた宮人は運よく盧渥に嫁ぐことができた(いずれのエピソードも芭濾『雲渓友議』巻一〇に収める)。
こうした伝説ははなはだ多く4内容は異なっているが、筋は大同小異である。「紅葉に詩を題す」とよく似たものに、「繍衣に詩を題す」という伝説がある。一つは開元年間のこと、宮中の女性たちが辺境守備の兵士の軍衣を作ったところ、後にブ人の兵士が綿衣の中から詩一首を得た。それに「沙場 征戦の客、寒夜 眠りを為すに苦しむ。戦袖 手を経て作るも、知んぬ阿誰の辺に落つるかを。意を蓄て多く経を添え、情を含みて更に綿を着く。今生 已に過ぎたり、後身の縁を結び取らん」とあった。玄宗はこの詩を書いた宮人を捜し出し、その兵士の嫁にやった(『太平広記』巻二七四)。また、信宗の時代のこと、辺境を守備する兵士が宮人によって戦抱に縫いこまれた金の首飾と詩一首を発見した、という話もある(『唐詩紀事』巻七八)。こうした類の伝説は、多分に伝奇的な色
彩が加わって行くので、必ずしもすべて真実というわけではないが、深宮に幽閉され、一日がまるで一年にもあたる耐え難い目々に対する宮人たちの恨み、それに加えて民間の自由で愛情ある生活に対する憧れと渇望の激しさを反映しているのである。
宮人たちが老いて深宮の中で死んだ後は、「宮人斜」と呼ばれる墓地に埋められた。「雲惨ましく煙愁えて苑の路は斜めに、路傍の丘尿は尽く宮娃なり」(孟遅「宮人斜」)というわけであった。彼女たちは生前は孤独に苦しんだが、死後はより一層寂しく惨めであった。後宮で一生を終えない人もいたが、その運命は堀川の流れに漂う紅葉よりもさらにあてどのないものであった。天子は気ままに宮人を贈物とし、外藩(臣従してくる異民族)や功臣に褒美として与えたので、披女たちの結末がどうなるのか、仝く運命の流れに身を委ねるほかなかった。
老いて天寿を全うできたなら、彼女たちにとってはやはり幸せなことだった。後宮にはいたるところ危険が潜んでおり、宮人たちは常に政治闘争や宮廷の政変に巻きこまれ、身分が下賤であったから、しばしば理由もなく刀刃の露と消えた。文宗は楊賢妃の後言を信じて皇太子を死なせてしまったが、後に後悔した。しかし自分の愚かさを咎めることなく、かえって宮人の張十十等を責めて「吾が太子を陥れたのは汝等である」(『旧唐書』文宗二子伝、『新唐書』十一宗諸子伝)といった。これらの宮女たちはみな処刑されてしまった。宮人の杜秋は穆宗の時、皇子の保母であった。この皇子が後言によって罪に落されたので、披女も巻き添えになって故郷に追い返された。年を取って飢えと寒さがこもごも加わり、また孤独で頼るところがなかった。杜牧などの名士が気の毒に思い、有名な「杜秋娘の詩」を作って彼女の哀れな運命を悼んだ。また宮人たちは不用意にも皇帝の怒りに触れ、死の禍を招くこともあった。文宗の時、宮妓の鄭中丞は皇帝の命に逆らって死を賜った。彼女を棺桶に入れて川に流したところ、ある人が助け出し自分の妻にした。文宗はそれを知ったが、いくらか慈悲心を発して再び罰することはなかった。この宮女は幸いにも、かろうじて生きる道を与えられた者といえよう(段安節『琵琶録』)。
唐朝の宮人たちの中で最も悲惨な運命にあった人として、宣宗の時の絶世の一美女をあげねばならない。宣宗は一人の美女が献上されるとたいへん喜び、数日の内に無数の賞賜を与えた。ところがある日の朝、宣宗は悶々として楽しまず次のように言った。「明皇帝(玄宗)はただ楊貴妃一人だけを寵愛したので天下は今に至るも平穏ではない。このことはどうして忘れられようか」。そしてこの美人を呼んで「お前をここに留めておきたいが、それは出来ない」と言った。左右の者が彼女を宮から出してやるべきでし?っと申し上げたところ、宣宗は「放してやれば朕の想いが残る。鴉毒(塙の羽にある猛毒)の盃をやろう」といった(「唐語林」巻七「補遺」)。まさに豺狼(豺は山犬)の論理である。宣宗は唐代後期の比較的見識のあった皇帝であるが、宮人の生命に対してはこのように残忍であった。鯨宗は愛娘の同昌公主が死ぬと、宰相劉晦の諌めもきかずに公主の乳母、保母などを一人残らず殉葬してしまった。およそ以上に述べてきたような話は、一言でいえば、宮人の命など蝶や蟻の如きもので、人の踏むままにされたということである。宮人がたとえ男子を生んだとしても、宮廷、とりわけ唐の宮廷は出身・家柄を重んじたので、「母は于を以て貴し」ではなく逆に「子は母に因りて賤し」ということになった。史書の記載によると、宮人の生んだ皇子は多くが顕貴の部類には入れられず、また全く生かされなかった場合も多かったようである。審宗の二番目の男子は宮人柳氏が生んだ子であった。武則天はこの孫は出自がきわめて賤しいと思い、養育する準備をしなかった。しかし僧侶の話を聞いてやっと生かしてやった。宮人たちはお腹を痛めたわが子を保護する力もなく、母の愛さえ奪われたのである。
残酷な圧迫と虐待は、耐え忍ぶことのできない一部の宮人の反抗をまねいた。宣宗の時、ある宮人は宣宗を謀殺しようとしたが、宦官から射殺され成功しなかった(『新唐書』宦者伝古。
花間集 張泌 《浣溪沙十首》 |
浣溪沙十首其一 |
鈿轂香車過柳堤,樺煙分處馬頻嘶,為他沉醉不成泥。 |
花滿驛亭香露細,杜鵑聲斷玉蟾低,含情無語倚樓西。 |
(浣溪沙十首 其の一) |
浣溪沙十首其二 |
馬上凝情憶舊遊,照花淹竹小溪流,鈿箏羅幕玉搔頭。 |
早是出門長帶月,可堪分袂又經秋,晚風斜日不勝愁。 |
(浣溪沙十首其の二)馬上 凝情 舊遊を憶い,照花 淹竹 小溪の流れ,鈿箏 羅幕 玉として頭を搔く。早に是こに出門 月も長帶たり,堪える可し 袂を分ち 又た秋も經るを,晚風 斜日 愁に勝らず。 |
浣溪沙十首其三 |
獨立寒堦望月華,露濃香泛小庭花,繡屏愁背一燈斜。 |
雲雨自從分散後,人間無路到仙家,但憑魂夢訪天涯。 |
(浣渓沙 十首 其の三)独り寒堦【かんかい】に立ちて 月華を望む、露 濃く 香り 泛く 小庭の花、繍屏【しゅうへい】に 愁い背きて 一灯 斜めなり。雲雨 分散してより後、人間 路の仙家に到る無く、但だ魂夢を憑【たの】みて 天涯を訪ぬ。 |
浣溪沙十首其四 |
依約殘眉理舊黃,翠鬟拋擲一簪長,暖風晴日罷朝粧。 |
閑折海棠看又撚,玉纖無力惹餘香,此情誰會倚斜陽。 |
(浣溪沙十首 其の四)約に依り眉を殘し舊黃を理し,翠鬟【すいかん】拋擲【ほうてき】一簪【いちしん】長じ,暖風 晴日 朝粧を罷む。閑にして海棠を折り 看 又た撚じ,玉纖 力無く 餘香に惹かる,此の情 誰れに會うのか 斜陽に倚る。 |
浣溪沙十首其五 |
翡翠屏開繡幄紅,謝娥無力曉粧慵,錦帷鴛被宿香濃。 |
微雨小庭春寂寞,鷰飛鶯語隔簾櫳,杏花凝恨倚東風。 |
(浣渓沙 十首 其の五)翡翠 屏開き 繡幄【しゅうあく】の紅,謝娥 力無く 曉粧の慵,錦帷 鴛被 宿香濃く。微雨 小庭 春 寂寞たり,鷰飛 鶯語 簾櫳を隔ち,杏花 凝恨 東風に倚る。 |
浣溪沙十首其六 |
枕障燻鑪隔繡幃,二年終日兩相思,杏花明月始應知。 |
天上人間何處去,舊歡新夢覺來時,黃昏微雨畫簾垂。 |
(浣渓沙 十首 其の六)枕障 燻鑪 繡幃を隔つ,二年 終日 兩つながら相い思い,杏花 明月 始めて應に知る。天上 人間 何處に去り,舊歡 新夢 時に來るを覺ゆ,黃昏 微雨 畫簾垂る。 |
浣溪沙十首其七 |
花月香寒悄夜塵,綺筵幽會暗傷神,嬋娟依約畫屏人。 |
人不見時還暫語,令纔拋後愛微嚬,越羅巴錦不勝春。 |
(浣渓沙 十首 其の七)花月 香り 寒く 夜塵 悄まり、綺筵の幽会 傷神を暗にし、嬋娟 依約として画屏の人。人 見ざる時 還た暫く語り、纔かに拋たしむるの後 愛みて微かに嚬み、越羅、巴錦も春に勝えず。 |
浣溪沙十首其八 |
偏戴花冠白玉簪,睡容新起意沉吟,翠鈿金縷鎮眉心。 |
小檻日斜風悄悄,隔簾零落杏花陰,斷香輕碧鏁愁深。 |
(浣渓沙 十首 其の八)偏戴 花冠 白玉の簪,睡容 新起 意沉吟,翠鈿 金縷 鎮眉心。小檻 日斜 風悄悄たり,簾を隔てて零落 杏花の陰,斷香 輕碧 鏁愁深。 |
浣溪沙十首其九 |
晚逐香車入鳳城,東風斜揭繡簾輕,慢迴嬌眼笑盈盈。 |
消息未通何計是,便須佯醉且隨行,依稀聞道大狂生。 |
(浣渓沙 十首 其の九)晚 香車を逐い 鳳城に入る,東風 斜に揭げ 繡簾輕し,慢く迴り 嬌眼 笑み盈盈【えんえん】たり。消息 未だ通わず 何ぞ是を計る,便ち須らく佯醉し 且く隨行し,依稀に聞道【きくなら】く大狂生なり と。 |
浣溪沙十首其十 |
小市東門欲雪天,眾中依約見神仙,蘂黃香畫貼金蟬。 |
飲散黃昏人草草,醉容無語立門前,馬嘶塵烘一街煙。 |
(浣渓沙 十首 其の十)小市 東門 雪天に欲し,眾中 依約 神仙を見,蘂黃 香畫 金蟬を貼る。飲散 黃昏 人草草たり,醉容して語る無し 門前に立ち,馬嘶き 塵烘【じんこう】一街の煙。 |
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| 花間集 教坊曲《巻四35 浣渓沙十首 其九》張泌 | |
| 花間集 訳注解説 | |
| 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1 | |
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(改訂版Ver.2.1)
浣溪沙十首其一
(西に向かう旅人との別れを題材にしたよくある別れを詠う)
鈿轂香車過柳堤,樺煙分處馬頻嘶,為他沉醉不成泥。
螺鈿の車は柳の堤の道を西に向い過ぎて行く。樺の灯火の煙は漂い、最後の別れの朝には旅立つ馬もしきりに噺く。朝早く旅立つにあたって、酔いが醒めていなければ、不覚なので、夕べの宴会では深酔いすることはないものなのだ。
花滿驛亭香露細,杜鵑聲斷玉蟾低,含情無語倚樓西。
駅亭をめぐって、花は咲き満ちていて、香しき夜の露は細やかなものである。杜鵑の声途絶え、名残の月は傾きてみえない。思いを秘めて言葉なく西にむかったひとを高殿に身を寄せておもう。
(浣溪沙十首 其の一)
鈿轂【でんこく】香車 柳堤を過ぐ,樺煙【かえん】分かるる處 馬 頻りに嘶く,他が為に沉醉するも泥を成さず。
花は驛亭に滿ち 香露 細やかなり,杜鵑 聲 斷え 玉蟾【ぎょくぜん】低し,情を含んで語ること無く 樓西に倚る。
(改訂版Ver.2.1)
溪沙十首其二
(寵愛を受け、何不自由なく、楽しいおもいの日々に分袂すると、宮殿の御門、夜明け前に帰っていくあのお方の姿を追う、哀しい妃嬪の思いを詠う。)
馬上凝情憶舊遊,照花淹竹小溪流,鈿箏羅幕玉搔頭。
馬上には思いを一身に集めるお方がいて、そして、楽しい日々は続いており、今も、夕べのことを思い浮かべている、咲き誇る花に朝日に照らされ、竹林の小路に入っていくと、小川が流れている誰にも気兼ねせず静かに過ごす、螺鈿の琴が奏でられ、薄絹のとばりに、漢の武帝の李夫人を思わせる「玉搔頭」を飾り何不自由のない生活を送る。
早是出門長帶月,可堪分袂又經秋,晚風斜日不勝愁。
眠れず少し早く起き出し、門を出ると、涙があふれて有明けの月を見上げると長く帯のようににじんで見える。あの人とは【分袂】してから、また、この夜長の秋をひとりで堪えなければいけない。夕方の風が抜けてゆき、日が傾いて、この愁いを克服するものはなにもない。
(浣溪沙十首其の二)
馬上 凝情 舊遊を憶い,照花 淹竹 小溪の流れ,鈿箏 羅幕 玉として頭を搔く。
早に是こに出門 月も長帶たり,堪える可し 袂を分ち 又た秋も經るを,晚風 斜日 愁に勝らず。
(改訂版Ver.2.1)
浣渓沙 十首 其三
浣渓沙 十首 その三 (朝雲暮雨と寵愛を受けていても、それを失えば、宮殿への道は天涯に阻まれるように遠いものとなると妃嬪を詠う。)
獨立寒堦望月華,露濃香泛小庭花,繡屏愁背一燈斜。
寒々とした宮殿の階に独り佇み、仲秋の月を眺めれば、露に濡れた寝殿前の庭の花は香しき香を放つ。寝牀の側の屏風を背にする灯火一つ愁わしく火影を揺らすだけ。
雲雨自從分散後,人間無路到仙家,但憑魂夢訪天涯。
巫山神女の故事のように「朝雲暮雨」いつも一緒であったのに、別れて後は、人間ではその仙界の館に訪ねるすべはこの世にないのである、ということだと、できるのはただ夢の場合だけだが、しかも空のはてを訪ねるという大変な事なのだ。
(浣渓沙 十首 其の三)
独り寒堦【かんかい】に立ちて 月華を望む、露 濃く 香り 泛く 小庭の花、繍屏【しゅうへい】に 愁い背きて 一灯 斜めなり。
雲雨 分散してより後、人間 路の仙家に到る無く、但だ魂夢を憑【たの】みて 天涯を訪ぬ。
(改訂版Ver.2.1)
浣溪沙十首 其四
浣渓沙 十首 その四(若い時は、薄化粧でも、あまり気にせず、ただ、一緒に過ごすことを楽しんだ、寵愛を失って、歳を重ねた妃嬪は、同じ春が来て、花束を作ってみてもただ一日陽だまりで一人過ごすだけである)
依約殘眉理舊黃,翠鬟拋擲一簪長,暖風晴日罷朝粧。
もうかすかに消えかかった眉のまま、花鈿の黄蕊も黄玉又以前のままで、緑の丸髷の黒髪は簪を抜いて擲って長いまま。寵愛を一手に受けている時は、春の日は暖かにまもられ、晴れやかに日は射している、朝の化粧直しはしなくても許されたものだ。
閑折海棠看又撚,玉纖無力惹餘香,此情誰會倚斜陽。
今又、春の日に、海棠の花を静かに摘み取って、じっと見つめ、それから、花をよじって、からませると、玉のようなか細い指に力がなくても、花の香りは十分に広がり、素敵に惹かれる。このあのお方への思いはかわりはしないけれど、誰が逢ってくれるのか、このはるも、ひとり傾いた日差しの中に窓辺に倚りかかっている。
(浣溪沙十首 其の四)
依約に眉を殘し 舊黃を理えて,翠鬟【すいかん】拋擲【ほうてき】一簪【いちしん】長じ,風暖く 日晴れ 朝粧を罷む。
閑に海棠を折り 看 又た撚じ,玉纖 力無く 餘香に惹かる,此の情 誰れにか會わん 斜陽に倚る。
(改訂版Ver.2.1)
浣渓沙 十首 其五
翡翠屏開繡幄紅,謝娥無力曉粧慵,錦帷鴛被宿香濃。
翡翠の屏風が開かれ、幔幕に、刺繍のあげばりの中に、花の中に、頬を赤くする。あれほど美しかった妃嬪も年を重ね、寵愛を失えば無気力になり、夜明けの化粧をしなくなり、にしきのとばりの内におしどりの掛布も能く滲みこませたお香が強くかおる。
微雨小庭春寂寞,鷰飛鶯語隔簾櫳,杏花凝恨倚東風。
春の細雨は寝殿前の中庭には春なのに寂しさと空しさが広がり、ツバメが飛び交い、鶯が春を告げているのにすだれの籠檻のなかで隔離されているようなものだ。杏の花の季節には恨みを凝り固まるものであり、東の風に向かって正門に倚りかかる。
浣渓沙 十首 其の五
翡翠 屏開き 繡幄【しゅうあく】の紅,謝娥 力無く 曉粧の慵,錦帷 鴛被 宿香濃く。
微雨 小庭 春 寂寞たり,鷰飛 鶯語 簾櫳を隔ち,杏花 凝恨 東風に倚る。
(改訂版Ver.2.1)
浣渓沙 十首其六
(寵愛を失い、行事などにも呼ばれなくなって初めて、妃嬪の立場の悲しさくるしさを認識するもの)
枕障燻鑪隔繡幃,二年終日兩相思,杏花明月始應知。
使わない枕、障子、香炉の火もたたらのようにかたまったまま、そして、刺繍の垂れ幕も使わなくなってしまった。恋慕の思いのまま終日過ごす日々は二年になる。それでも、杏の花に時期の行事、中秋節にも呼ばれなくなって初めて妃嬪の将来を理解する。
天上人間何處去,舊歡新夢覺來時,黃昏微雨畫簾垂。
天上界といわれる天子の寵愛の行動は、寵愛を失うという人間界の現実、天子の心は、何処に去って行ってしまったのか、だから楽しく過ごした出来事は、あらたには夢でしか再びあうことはできない、「朝雲暮雨」日暮れてくれば微かな雨となって簾の中にいるだけで、歳を重ねてゆくだけである。
浣渓沙 十首 其の六
枕障 燻鑪 繡幃を隔つ,二年 終日 兩つながら相い思い,杏花 明月 始めて應に知る。
天上 人間 何處に去り,舊歡 新夢 時に來るを覺ゆ,黃昏 微雨 畫簾垂る。
(改訂版Ver.2.1)
浣渓沙 十首其七
(選ばれた妃嬪が恋に落ちて、快楽におぼれたと詠う)
花月香寒悄夜塵,綺筵幽會暗傷神,嬋娟依約畫屏人。
花の下に万幕を張り、花と月見の筵をする、冷えてきたので香爐に火をいれ、夜は清くふけてゆき、奇麗な筵を敷き、しかも容姿のあでやかで美しさといえばさながら屏風絵の美人のようであるだけに、二人だけで過ごすのはだれにもしられたくない。
人不見時還暫語,令纔拋後愛微嚬,越羅巴錦不勝春。
人目につかぬその時、わずかの間に言葉を交わして返事をする、人目をさけての恋は悦楽と苦悶の顔をする。美しき越地方産の薄絹と蜀産の錦の衣裳を寄贈しても春の思いにまさるものではないのだ。
(浣渓沙 十首 其の七)
花月 香り 寒く 夜塵 悄まり、綺筵の幽会 傷神を暗にし、嬋娟 依約として画屏の人。
人 見ざる時 還た暫く語り、纔かに拋たしむるの後 愛みて微かに嚬み、越羅、巴錦も春に勝えず。
(改訂版Ver.2.1)
浣渓沙 十首其七
(選ばれた妃嬪が恋に落ちて、快楽におぼれたと詠う)
花月香寒悄夜塵,綺筵幽會暗傷神,嬋娟依約畫屏人。
花の下に万幕を張り、花と月見の筵をする、冷えてきたので香爐に火をいれ、夜は清くふけてゆき、奇麗な筵を敷き、しかも容姿のあでやかで美しさといえばさながら屏風絵の美人のようであるだけに、二人だけで過ごすのはだれにもしられたくない。
人不見時還暫語,令纔拋後愛微嚬,越羅巴錦不勝春。
人目につかぬその時、わずかの間に言葉を交わして返事をする、人目をさけての恋は悦楽と苦悶の顔をする。美しき越地方産の薄絹と蜀産の錦の衣裳を寄贈しても春の思いにまさるものではないのだ。
(浣渓沙 十首 其の七)
花月 香り 寒く 夜塵 悄まり、綺筵の幽会 傷神を暗にし、嬋娟 依約として画屏の人。
人 見ざる時 還た暫く語り、纔かに拋たしむるの後 愛みて微かに嚬み、越羅、巴錦も春に勝えず。
(改訂版Ver.2.1)
浣渓沙 十首 其八
(寵愛を受け続けている時も、不安な気持ちで過ごしていた、今もう何度も春を一人で過ごしていく寂しい妃嬪を詠う。)
偏戴花冠白玉簪,睡容新起意沉吟,翠鈿金縷鎮眉心。
花冠は髷からかたよってつけ、輝く白玉の簪が揺れ,よこになってねむり、そして、新たに起きあがり、思いをそっと小さな声で吟じる。翡翠や花鈿の飾、金の細い絲のかざり、寵愛を一手に受けていても、心配で眉をひそめ、気がかりな心のままである。
小檻日斜風悄悄,隔簾零落杏花陰,斷香輕碧鏁愁深。
小さな檻のようなこの閨に、斜になった日のひかりがさし、風はショウショウと静かでもの寂しくふいている。妃嬪もこの春を過してまた歳を重ねた、簾越に庭の杏花も枯れ落ちてゆく。花の香りも、お香もすでに斷たれ、薄く明るい緑色に染まり、部屋の鍵は締まっていて、愁いは深くなるだけなのだ。
浣渓沙 十首 其の八
偏戴 花冠 白玉の簪,睡容 新起 意沉吟,翠鈿 金縷 鎮眉心。
小檻 日斜 風悄悄たり,簾を隔てて零落 杏花の陰,香を斷ち 輕やかに碧なし 鏁 愁い深し。
(改訂版Ver.2.1)
浣渓沙 十首 其九
(酒宴に招かれ、門を入る際に偶然に遭遇し、酔ったふりをして、心を通じ合った、こんなことがあってよいのか、思いもしなかった幸運を詠う)
晚逐香車入鳳城,東風斜揭繡簾輕,慢迴嬌眼笑盈盈。
次第に暮れ、晩方の景色の後を追うように妃嬪を乗せた車が鳳凰の飾りの御門の宮城の中に入ってゆく。春風に車の小窓の簾が少しめくれ、刺繍の簾が緩やかに揺れる。ゆっくりと回ると愛嬌のある流し目があり、満面、微笑である。
消息未通何計是,便須佯醉且隨行,依稀聞道大狂生。
どうにかして消息を得ようとするも、どうやっても手紙が来ることはないと思っていたら、それは酔ったふりをして始まり、そして成り行きでうまくいったのだ。こんなことは稀中の稀で、生きていてこれほどのことがあるということかもしれない、大いに狂った者の仕業ということだろう。
(浣渓沙 十首 其の九)
晚 香車を逐い 鳳城に入る,東風 斜に揭げ 繡簾輕し,慢く迴り 嬌眼 笑み盈盈【えんえん】たり。
消息 未だ通わず 何ぞ是を計る,便ち須らく佯醉し 且く隨行し,依稀に聞道【きくなら】く大狂生なり と。
(改訂版Ver.2.1)
『浣渓沙 十首』 現代語訳と訳註
(本文)
浣渓沙 十首 其九
晚逐香車入鳳城,東風斜揭繡簾輕,慢迴嬌眼笑盈盈。
消息未通何計是,便須佯醉且隨行,依稀聞道大狂生。
(下し文)
(浣渓沙 十首 其の九)
晚 香車を逐い 鳳城に入る,東風 斜に揭げ 繡簾輕し,慢く迴り 嬌眼 笑み盈盈【えんえん】たり。
消息 未だ通わず 何ぞ是を計る,便ち須らく佯醉し 且く隨行し,依稀に聞道【きくなら】く大狂生なり と。
(現代語訳) (改訂版Ver.2.1)
(酒宴に招かれ、門を入る際に偶然に遭遇し、酔ったふりをして、心を通じ合った、こんなことがあってよいのか、思いもしなかった幸運を詠う)
次第に暮れ、晩方の景色の後を追うように妃嬪を乗せた車が鳳凰の飾りの御門の宮城の中に入ってゆく。春風に車の小窓の簾が少しめくれ、刺繍の簾が緩やかに揺れる。ゆっくりと回ると愛嬌のある流し目があり、満面、微笑である。
どうにかして消息を得ようとするも、どうやっても手紙が来ることはないと思っていたら、それは酔ったふりをして始まり、そして成り行きでうまくいったのだ。こんなことは稀中の稀で、生きていてこれほどのことがあるということかもしれない、大いに狂った者の仕業ということだろう。
(訳注) (改訂版Ver.2.1)
浣渓沙 十首 其九
99. (酒宴に招かれ、門を入る際に偶然に遭遇し、酔ったふりをして、心を通じ合った、こんなことがあってよいのか、思いもしなかった幸運を詠う)
100. 【構成】唐の教坊の曲名。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦.の詞形をとる。韋荘は同名の詩五首載せている。
浣溪沙十首其一
鈿轂香車過柳堤,樺煙分處馬頻嘶,為他沉醉不成泥。
花滿驛亭香露細,杜鵑聲斷玉蟾低,含情無語倚樓西。
△●○○△●△ △○△●●○○ ○△○●△○△
○●●○○●● ●○○●●○○ ○○○●△○○
浣溪沙十首其二
馬上凝情憶舊遊 照花淹竹小溪流 鈿箏羅幕玉搔頭。
早是出門長帶月 可堪分袂又經秋 晚風斜日不勝愁。
●●△○●●○ ●○△●●○○ △○○●●○○
●●●○△●● ●○△●●△○ ●△○●△△○
浣溪沙十首其三
獨立寒堦望月華,露濃香泛小庭花,繡屏愁背一燈斜。
雲雨自從分散後,人間無路到仙家,但憑魂夢訪天涯。
●●○○△●△ ●○○●●○○ ●△○●●○○
○●●△△●● ○△○●●○○ △○○△●○○
浣溪沙十首其四
依約殘眉理舊黃 翠鬟拋擲一簪長 暖風晴日罷朝粧
閑折海棠看又撚 玉纖無力惹餘香 此情誰會倚斜陽
△●○○●●○ ●○○●●○△ ●△○●△○○
○△●○△●● ●○○●●○○ ●○○●△○○
浣渓沙 十首 其五
翡翠屏開繡幄紅,謝娥無力曉粧慵,錦帷鴛被宿香濃。
微雨小庭春寂寞,鷰飛鶯語隔簾櫳,杏花凝恨倚東風。
●●△○●●○ ●○○●●?○ ●○○●●○○
○●●○○●● ●○○●●○○ ●○△●△○△
浣渓沙 十首 其六
枕障燻鑪隔繡幃,二年終日兩相思,杏花明月始應知。
天上人間何處去,舊歡新夢覺來時,黃昏微雨畫簾垂。
△△○○●●○ ●○○●●△△ ●○○●●△○
○●○△△●● ●○○△●△○ ○○○●●○○
浣渓沙 十首 其七
花月香寒悄夜塵,綺筵幽會暗傷神,嬋娟依約畫屏人。
人不見時還暫語,令纔拋後愛微嚬,越羅巴錦不勝春。
○●○○●●○ ●○○●●△○ ○○△●●△○
○△●○○●● △△○●●○○ ●○○●△△○
浣渓沙 十首 其八
偏戴花冠白玉簪,睡容新起意沉吟,翠鈿金縷鎮眉心。
小檻日斜風悄悄,隔簾零落杏花陰,斷香輕碧鏁愁深。
△●○△●●○ ●○○●●○△ ●△○●●○○
●●●○△●● ●○△●●○○ ●○△●?○△
浣渓沙 十首 其九
晚逐香車入鳳城,東風斜揭繡簾輕,慢迴嬌眼笑盈盈。
消息未通何計是,便須佯醉且隨行,依稀聞道大狂生。
●●○○●●○ ○△○●●○△ ●△△●●○○
○●●○△●● △○○●△○△ △○△●●△△
晚逐香車入鳳城,東風斜揭繡簾輕,慢迴嬌眼笑盈盈。
次第に暮れ、晩方の景色の後を追うように妃嬪を乗せた車が鳳凰の飾りの御門の宮城の中に入ってゆく。春風に車の小窓の簾が少しめくれ、刺繍の簾が緩やかに揺れる。ゆっくりと回ると愛嬌のある流し目があり、満面、微笑である。
101. ・晚逐 逐:1 後を追う。追い払う。「逐鹿(ちくろく)/角逐・駆逐・放逐」2 順を追って進む。「逐一・逐次・逐条・逐年・逐語。不吉な予感を示す言葉。
102. ・鳳城 1 《中国の漢代、門に銅製の鳳凰(ほうおう)を飾ったところから》宮城。皇居。禁裡。2 都。都城。帝京。
103. ・斜揭 車の覆いを少しかかげて外を見るしぐさ。
104. ・慢迴 ゆっくりと回る。
106. ・嬌眼 あでやかな目。なまめかしい目。流し目。
107. ・盈盈 (1)清澈. 春水盈盈. (2)举止、仪态美好. 盈盈顧盼. (3)快樂神情或美好情緒、気分等充分流露. 喜気盈盈. (4)動作作輕盈. 盈盈起舞.
消息未通何計是,便須佯醉且隨行,依稀聞道大狂生。
どうにかして消息を得ようとするも、どうやっても手紙が来ることはないと思っていたら、それは酔ったふりをして始まり、そして成り行きでうまくいったのだ。こんなことは稀中の稀で、生きていてこれほどのことがあるということかもしれない、大いに狂った者の仕業ということだろう。
108. ・佯醉 よったふりをする。盧綸 《宴席賦得姚美人拍箏歌(美人曾在禁中)》「已愁紅臉能佯醉,又恐朱門難再過。」佯:振りをする,見せ掛ける佯死死んだ振りをする.佯装…の振りをする.佯攻 [動]《書》陽動作戦をとる,偽装攻撃をする.佯狂(阳狂) yángkuáng[動]《書》狂人を装う,気のふれた振りをする.
109. ・便須 就該。如:「要想成功,便須努力。」
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