花間集 訳注解説 (200)回目張泌 《巻四27浣渓沙十首 其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8768
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2017年5月24日 | の紀頌之5つの校注Blog | ||||
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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 | |||||
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花間集 訳注解説 (200)回目張泌 《巻四27浣渓沙十首 其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8768
(西に向かう旅人との別れを題材にしたよくある別れを詠う)
螺鈿の車は柳の堤の道を西に向い過ぎて行く。樺の灯火の煙は漂い、最後の別れの朝には旅立つ馬もしきりに噺く。朝早く旅立つにあたって、酔いが醒めていなければ、不覚なので、夕べの宴会では深酔いすることはないものなのだ。駅亭をめぐって、花は咲き満ちていて、香しき夜の露は細やかなものである。杜鵑の声途絶え、名残の月は傾きてみえない。思いを秘めて言葉なく西にむかったひとを高殿に身を寄せておもう。
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| 花間集 巻四 | |
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后妃と宮人
一たび深宮の裏に入れば、年年 春を見ず〃
唐の宮人
杜甫はかつて「先帝の侍女八干人」《2099 觀公孫大娘弟子舞劍器行 并序》(公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る示」)と詠い、白居易もまた「後宮の佳麓三干人」(「長恨歌」)と言った。これらは決して詩人の誇張ではなく、唐代の宮廷女性は、実際はこの数字をはるかに越えていた。唐の太宗の時、李百薬は上奏して「無用の宮人は、ややもすれば数万に達する」(『仝唐文し巻一四二、李。白薬「宮人を放っを請うの封事」)といった。『新唐書』の「宦者伝」上に、「開元、天宝中、宮娘はおおよそ四万に至る」と記されている。後者は唐代の宮廷女性の人数に関する最高の具体的な数字であり、まさに盛唐の風流天子玄宗皇帝時代のものである。宋代の人洪邁は、この時期は漢代以来、帝王の妃妾の数が最も多かった時代であるといっている(『容斎五筆』巻三「開元宮噴」)。うまい具合に、この時期の女性の総人ロは先に紹介した数字おそ二千六百余万であるから、四万余人とすれば、じつに仝女性人口の六百分の一を占める。つまり、女性六百人ごとに、人が宮廷に入ったことになる。唐末になり、国土は荒れ、国勢は衰えたが、いぜんとして「六宮(後宮)の貴・賤の女性は一万人を減らない」(『資治通鑑』巻二七三、後唐の荘宗同光三年)という状態だった。この驚くべき数字の陰で、どのくらい多くの「啖夫怨女」(男やもめと未齢の老女)を造り出したことか計り知れない。唐末の詩人曹郡が慨嘆して「天子 美女を好み、夫婦 双を成さず」(「捕漁謡」)と詠ったのも怪しむに足りない。
花間集 張泌 《浣溪沙十首》 |
浣溪沙十首其一 |
鈿轂香車過柳堤,樺煙分處馬頻嘶,為他沉醉不成泥。 |
花滿驛亭香露細,杜鵑聲斷玉蟾低,含情無語倚樓西。 |
(浣溪沙十首 其の一) |
浣溪沙十首其二 |
馬上凝情憶舊遊,照花淹竹小溪流,鈿箏羅幕玉搔頭。 |
早是出門長帶月,可堪分袂又經秋,晚風斜日不勝愁。 |
(浣溪沙十首其の二)馬上 凝情 舊遊を憶い,照花 淹竹 小溪の流れ,鈿箏 羅幕 玉として頭を搔く。早に是こに出門 月も長帶たり,堪える可し 袂を分ち 又た秋も經るを,晚風 斜日 愁に勝らず。 |
浣溪沙十首其三 |
獨立寒堦望月華,露濃香泛小庭花,繡屏愁背一燈斜。 |
雲雨自從分散後,人間無路到仙家,但憑魂夢訪天涯。 |
(浣渓沙 十首 其の三)独り寒堦【かんかい】に立ちて 月華を望む、露 濃く 香り 泛く 小庭の花、繍屏【しゅうへい】に 愁い背きて 一灯 斜めなり。雲雨 分散してより後、人間 路の仙家に到る無く、但だ魂夢を憑【たの】みて 天涯を訪ぬ。 |
浣溪沙十首其四 |
依約殘眉理舊黃,翠鬟拋擲一簪長,暖風晴日罷朝粧。 |
閑折海棠看又撚,玉纖無力惹餘香,此情誰會倚斜陽。 |
(浣溪沙十首 其の四)約に依り眉を殘し舊黃を理し,翠鬟【すいかん】拋擲【ほうてき】一簪【いちしん】長じ,暖風 晴日 朝粧を罷む。閑にして海棠を折り 看 又た撚じ,玉纖 力無く 餘香に惹かる,此の情 誰れに會うのか 斜陽に倚る。 |
浣溪沙十首其五 |
翡翠屏開繡幄紅,謝娥無力曉粧慵,錦帷鴛被宿香濃。 |
微雨小庭春寂寞,鷰飛鶯語隔簾櫳,杏花凝恨倚東風。 |
(浣渓沙 十首 其の五)翡翠 屏開き 繡幄【しゅうあく】の紅,謝娥 力無く 曉粧の慵,錦帷 鴛被 宿香濃く。微雨 小庭 春 寂寞たり,鷰飛 鶯語 簾櫳を隔ち,杏花 凝恨 東風に倚る。 |
浣溪沙十首其六 |
枕障燻鑪隔繡幃,二年終日兩相思,杏花明月始應知。 |
天上人間何處去,舊歡新夢覺來時,黃昏微雨畫簾垂。 |
(浣渓沙 十首 其の六)枕障 燻鑪 繡幃を隔つ,二年 終日 兩つながら相い思い,杏花 明月 始めて應に知る。天上 人間 何處に去り,舊歡 新夢 時に來るを覺ゆ,黃昏 微雨 畫簾垂る。 |
浣溪沙十首其七 |
花月香寒悄夜塵,綺筵幽會暗傷神,嬋娟依約畫屏人。 |
人不見時還暫語,令纔拋後愛微嚬,越羅巴錦不勝春。 |
(浣渓沙 十首 其の七)花月 香り 寒く 夜塵 悄まり、綺筵の幽会 傷神を暗にし、嬋娟 依約として画屏の人。人 見ざる時 還た暫く語り、纔かに拋たしむるの後 愛みて微かに嚬み、越羅、巴錦も春に勝えず。 |
浣溪沙十首其八 |
偏戴花冠白玉簪,睡容新起意沉吟,翠鈿金縷鎮眉心。 |
小檻日斜風悄悄,隔簾零落杏花陰,斷香輕碧鏁愁深。 |
(浣渓沙 十首 其の八)偏戴 花冠 白玉の簪,睡容 新起 意沉吟,翠鈿 金縷 鎮眉心。小檻 日斜 風悄悄たり,簾を隔てて零落 杏花の陰,斷香 輕碧 鏁愁深。 |
浣溪沙十首其九 |
晚逐香車入鳳城,東風斜揭繡簾輕,慢迴嬌眼笑盈盈。 |
消息未通何計是,便須佯醉且隨行,依稀聞道大狂生。 |
(浣渓沙 十首 其の九)晚 香車を逐い 鳳城に入る,東風 斜に揭げ 繡簾輕し,慢く迴り 嬌眼 笑み盈盈【えんえん】たり。消息 未だ通わず 何ぞ是を計る,便ち須らく佯醉し 且く隨行し,依稀に聞道【きくなら】く大狂生なり と。 |
浣溪沙十首其十 |
小市東門欲雪天,眾中依約見神仙,蘂黃香畫貼金蟬。 |
飲散黃昏人草草,醉容無語立門前,馬嘶塵烘一街煙。 |
(浣渓沙 十首 其の十)小市 東門 雪天に欲し,眾中 依約 神仙を見,蘂黃 香畫 金蟬を貼る。飲散 黃昏 人草草たり,醉容して語る無し 門前に立ち,馬嘶き 塵烘【じんこう】一街の煙。 |
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| 花間集 教坊曲《巻四27 浣渓沙十首 其一》張泌 | |
| 花間集 訳注解説 | |
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(改訂版Ver.2.1)
浣溪沙十首其一
(西に向かう旅人との別れを題材にしたよくある別れを詠う)
鈿轂香車過柳堤,樺煙分處馬頻嘶,為他沉醉不成泥。
螺鈿の車は柳の堤の道を西に向い過ぎて行く。樺の灯火の煙は漂い、最後の別れの朝には旅立つ馬もしきりに噺く。朝早く旅立つにあたって、酔いが醒めていなければ、不覚なので、夕べの宴会では深酔いすることはないものなのだ。
花滿驛亭香露細,杜鵑聲斷玉蟾低,含情無語倚樓西。
駅亭をめぐって、花は咲き満ちていて、香しき夜の露は細やかなものである。杜鵑の声途絶え、名残の月は傾きてみえない。思いを秘めて言葉なく西にむかったひとを高殿に身を寄せておもう。
(浣溪沙十首 其の一)
鈿轂【でんこく】香車 柳堤を過ぐ,樺煙【かえん】分かるる處 馬 頻りに嘶く,他が為に沉醉するも泥を成さず。
花は驛亭に滿ち 香露 細やかなり,杜鵑 聲 斷え 玉蟾【ぎょくぜん】低し,情を含んで語ること無く 樓西に倚る。
(改訂版Ver.2.1)
『浣溪沙十首』 現代語訳と訳註
(本文)
浣溪沙十首 其一
鈿轂香車過柳堤,樺煙分處馬頻嘶,為他沉醉不成泥。
花滿驛亭香露細,杜鵑聲斷玉蟾低,含情無語倚樓西。
(下し文)
(浣溪沙十首 其の一)
鈿轂【でんこく】香車 柳堤を過ぐ,樺煙【かえん】分かるる處 馬 頻りに嘶く,他が為に沉醉するも泥を成さず。
花は驛亭に滿ち 香露 細やかなり,杜鵑 聲 斷え 玉蟾【ぎょくぜん】低し,情を含んで語ること無く 樓西に倚る。
(現代語訳)
(西に向かう旅人との別れを題材にしたよくある別れを詠う)
螺鈿の車は柳の堤の道を西に向い過ぎて行く。樺の灯火の煙は漂い、最後の別れの朝には旅立つ馬もしきりに噺く。朝早く旅立つにあたって、酔いが醒めていなければ、不覚なので、夕べの宴会では深酔いすることはないものなのだ。
駅亭をめぐって、花は咲き満ちていて、香しき夜の露は細やかなものである。杜鵑の声途絶え、名残の月は傾きてみえない。思いを秘めて言葉なく西にむかったひとを高殿に身を寄せておもう。
(訳注) (改訂版Ver.2.1)
1.『花間集』と張泌、《浣溪沙》
張泌(生平年未詳)は、五代、前蜀の人。字、出身地ともに未詳。『花間集』では牛嶠と毛文錫の間に置かれていることから、前蜀に仕えて舎人になったことが知れるだけである。晩唐から五代にかけて、張泌という名の人物が三人いたことが分かっており、このため同名異人のこの三者がしばしば混同されてきた。『花間集』 には《浣溪沙》二十七首の詞が収められていて、張泌の「浣溪沙」作が十首収められている。浣溪沙は早春の川に染めた布地を晒し、その後、河原で一枚づつ並べて乾す様子をいうものであったが、寒食、清明節のころから、初夏にかけて、行楽で、川縁や野原に、万幕を張る様子を、言うようになった。春の絶頂期、人生の絶頂期、恋愛のの絶頂期を示すものが多い。舟を出して花いっぱいの渓谷に入って遊んだものが、今では砂ばかりの渓谷しか見られない、ということを象徴にして女、女妓の侘しさ、寂しさを詠うものである。
当時の貴族や官僚は外出には車を使わず、馬に乗り、牛車に乗るのは女性が多かった。
幹線道路沿いは、民家や商店が多く、民間の旅人でも食糧に不足はしなかった。民営の旅舎や逆旅と呼ばれる旅館も多数存在した。9世紀の唐代を旅行した円仁の『入唐求法巡礼行記』によると、円仁は長期間の旅行をほとんど危険もなく行っている。
宿屋は寝具持参で自炊が原則であった。相部屋が多く、その時は、寝床だけを借りることになる。寝床は大きいのを牀、小さいのを榻といった。使用しない時は寝床は壁に立てていたが、宿では常時、設置していたところもあった。食店という食堂を兼ねた宿も存在したが、安宿は自炊が一般的で、飯だけはつける宿もあった。旅行は遠距離なものが多く、長期間に渡るため、馬車や馬、ロバ、ラクダで荷を運ぶことが多かった。相部屋には炉があり、部屋で煮炊きを行い、外から食糧や酒も持参できた。宿屋の中に馬小屋があることもあった。宿は貸し切りもあり、小房という個室もある宿も存在した。
浣溪沙十首 其一
2.(西に向かう旅人との別れを題材にしたよくある別れを詠う)
男の旅立ちを見送る女性の情を詠う。前段は、彼女が車に乗り、一駅までの道すがら、柳の堤を進み、一駅である駅亭で別れを交わし、後段、朝まだきから旅の支度をはじめ、暗いうちに出発する様子と、楼閣の窓辺でいつまでもみおくりつづけるようすをうたったものである。高殿に身を寄せて思いを馳せるが、杜鵑(ホトトギス)の声も途絶え、名残の月は西に低く傾いてしまい、何もかも終ったという。
3.【解説】『花間集』に描かれる男女の別れは、残月(二十日頃の夜明けの月)が空に懸かる、当時の生活習慣で仕事に出る、旅に出るのは夜の明けきらぬ時であること、男が女のもとを去るという形が多い。しかし、この詞は女性が夜、男性を駅亭まで見送る形をとる。明瞭に書かれていないが、後段第一句の「玉蟾低し」からすれば、二人は駅亭で一夜をともにし、男性は翌日の明け方に旅立ったのであろう。こうした送別は、王維の「元二が安西に使いするを送る」詩に「渭城の朝雨 軽塵を泥す、客舎 青青 柳色 新たなり」とあるように、男同上の間では広く行われていた。けれども、男女間にあってほ例が少ない。なお、後段末句の「楼西に倚る」から男は西に向かって旅立ったことが分かる。
4.【構成】唐の教坊の曲名。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦.の詞形をとる。韋荘は同名の詩五首載せている。
浣溪沙十首 其一
鈿轂香車過柳堤,樺煙分處馬頻嘶,為他沉醉不成泥。
花滿驛亭香露細,杜鵑聲斷玉蟾低,含情無語倚樓西。
△●○○△●△ △○△●●○○ ○△○●△○△
○●●○○●● ●○○●●○○ ○○○●△○○
鈿轂香車過柳堤,樺煙分處馬頻嘶,為他沉醉不成泥。
螺鈿の車は柳の堤の道を西に向い過ぎて行く。樺の灯火の煙は漂い、最後の別れの朝には旅立つ馬もしきりに噺く。朝早く旅立つにあたって、酔いが醒めていなければ、不覚なので、夕べの宴会では深酔いすることはないものなのだ。
5. 鈿轂香車 螺釦や香木をあしらった高貴な人用の車。
6. 柳堤 この頃の柳は、区画の境、堤の維持保護に官費で飢えられたものが多い。東、南に向かう別れには長安から30里一駅目の㶚水橋の駅亭まで行って別れの宴会をして翌朝旅立つ。西、北に向かう場合は、西渭水橋の駅亭で宴会をした。通常は馬による旅立ちであった。
7. 樺煙 蝋を樺の木の皮で巻いた灯火の煙。
8. 沉醉 深酔い。
9. 不成泥 泥酔しない、正体を失わない。
花滿驛亭香露細,杜鵑聲斷玉蟾低,含情無語倚樓西。
駅亭をめぐって、花は咲き満ちていて、香しき夜の露は細やかなものである。杜鵑の声途絶え、名残の月は傾きてみえない。思いを秘めて言葉なく西にむかったひとを高殿に身を寄せておもう。
10. 玉蟾 月の別称。月は蟾が中に住むことで、性描写の一つである。「天仙子」の「蟾彩」の注参照。夜明けまで月が残る、20日前後の、名残月である。
11. 驛亭 長安を中心とした各地方につながる道路、水路が整備されていった。道路には、30里(約17km)ごとに駅站(駅館、公営の宿)が置かれ、公文書を運ぶ政府の使者や地方へ赴任し、帰ってくる官僚が利用した。駅站の近くには、往々において民間の宿が存在した。宿の名称の最後には、『駅』、『館』、『店』とつくことが多かった。唐全土には1,639もの駅站が存在し、水駅が260、水陸駅が86か所設置されていた。駅站を利用できる政府関係者は、食糧、運送、宿泊が無料であった。また、道路の五里ごとに『里隔柱』という標識が置かれ、十里ごとに別の標識を立てられた。幹線道路沿いには多数の店舗が建ち並び、交通は大いに発達した。
12. 楼西 西楼を押韻のために倒置したもの。
○この三句、「香露細」「杜鵑聲斷」「玉蟾」「含情」は、送別の夜の性交を連想させる語句である。
後世、別離の際に歌われるようになった。近代以降の我が国でいえば『蛍の光』のような使われ方をしたしである。
唐 王維 《送元二使安西》
渭城朝雨裛輕塵,客舍靑靑柳色新。
勸君更盡一杯酒,西出陽關無故人。
(元二の 安西に使するを 送る)
渭城の朝雨 輕塵を 裛し,客舍 靑靑 柳色 新たなり。
君に勸む 更に盡)せ 一杯の酒,西 陽關を 出づれば 故人 無からん
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