花間集 訳注解説 (169)回目牛給事嶠五首《巻三50柳枝五首其五》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8582

 169)回目牛給事嶠五首《巻三50柳枝五首其五》

 

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

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745年-集02【字解集】 a.魯郡東石門送杜二甫 b.古風五十九首之四十六 c.山人勸酒作 d. 叔卿壁畫歌 e. 道籙畢歸北海 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8453

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745年-集02【字解集】 a.魯郡東石門送杜二甫 b.古風五十九首之四十六 c.山人勸酒作 d. 叔卿壁畫歌 e. 道籙畢歸北海 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8454

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Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

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・李商隠詩 (1) 136首の75

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韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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index-5 806年39歳(2)25

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

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767年-100#2 寄狄明府博濟#2 杜詩詳注(卷一九(四)一六八八)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8593

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杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

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花間集 訳注解説 (169)回目牛給事嶠五首《巻三50柳枝五首其五》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8582 (04/23)

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花間集 訳注解説 (169)回目牛給事嶠五首《巻三50柳枝五首其五》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8582

(昔楚王が細腰を好んで、宮殿で柳腰で女たちが躍った、隋堤の柳の新芽は麴塵蜀染められ、揺れる枝はうす絹の裳裾のようであり、そこには女たちがたくさんあつめられたと詠う。)

翡翠の髪飾りが妖艶に揺れ、香煙は香炉の網を抜けて細く揺れ起ちあがり、暖かな風波に払われて揺れている。舞い踊る女たちの裙はみだれ、その下のあらたに麴塵色に染められたうす絹が見えて奇麗だ。楚の霊王が細腰の女を好み、宮女を集めた章華臺、またの名を細腰宮といい、その傍らに、煬帝が作った運河の柳の隋堤がある。いまはその傍らには春風に柳を揺らし、そこには女たちが多くあつめられたのである。

 

牛給事嶠(牛嶠)柳枝五首

5 牛嶠(生卒年未詳、)字は松脚、また二子虻峰という。院讐甘粛)の人。唐宰相牛僧指の子孫にあたるという。乾符五年(878)の進士。唐朝に仕えて、拾遺・補闕・校書即の官を歴任した。王建が節度使となって蜀(四川)を鎮めたとき、闢されて判官となった。

王建が蜀国を建ててから、蜀に仕えて給事中の官を拝した。よって牛給事とよばれている。博学で文学をよくし、詩歌においてはとくに名があらわれていた。ひそかに李賀(長吉)の歌詩を慕って、筆をとればただちにその詩風にならうことが多かったといぅ。詞はとくにその長ずるところで、女冠子詞の「繍帯芙蓉帳、金紋芍薬花」とか、菩薩蛮詞の「山月照山花、夢回鐙影斜」などはかれの佳句として知られていたといぅ。いわゆる花間沢とよばれる一派のなかで、況庭箔の詞風をうけてその辞句の美しきや情味の深いことでとくにすぐれた詞人である。集三十巻歌詩三巻があったというが今わずかに一部分が伝わるだけである。詞は花間集に三十二首を収めている。

 

 

 

 

 

花間集 巻三

 

 

 

 

 

牛嶠 花間集 巻三 柳枝五首

柳枝五首其一

解凍風來末上青,解垂羅袖拜卿卿。無端裊娜臨官路,舞送行人過一生。

 其二

王宮裡色偏深,一簇纖條萬縷金。不憤錢塘蘇小小,引郎松下結同心。

 其三

橋北橋南千萬條,恨伊張緒不相饒。金羈白馬臨風望,認得楊家靜婉腰。

 其四

狂雪隨風撲馬飛,惹煙無力被春欺。莫交移入靈和殿,宮女三千又妬伊。

 其五

裊翠籠煙拂暖波,舞裙新染麴塵羅。章華臺畔隋堤上,傍得春風爾許多。

 

 

花間集 教坊曲《巻三50柳枝五首其五》薛昭蘊

 

 

花間集 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8582

 

 

柳枝五首其一

(後宮の池塘の柳は、春に芽吹いてから行き交う人を誘ってくる、毎年行き交う人にそうしていて、行き交う宮人の生涯を見届けている。)

解凍風來末上青,解垂羅袖拜卿卿。

正月の解凍水の時期も過ぎて、春風が優しく吹いてくると柳の梢にも青い目が噴出して、春は万物が目覚め成長する、そしてそこを通る人に、「もうそろそろ薄絹の上衣を脱衣しますわよ。早くいらして。」といっているようである。

無端裊娜臨官路,舞送行人過一生。

そして、その柳の並木道の柳の枝葉はしなやかな細い腰の女たちのように、後宮へ続く道にずっと揺れ動くのをやめないし、そして行き交う人の生涯を見続けているのである。

 

(柳枝五首 其の一)

解凍の 風來りて 末上 青くなり,羅袖を解かんと垂なんとす、「拜卿卿」。

無端 裊娜【じょうだ】にして 官路に臨み,行人を舞い送り 一生を過す。

 

柳枝五首其二

(館娃宮跡は春景色に変わってきた別れを意味する柳は、此処でも宮女の物語をみとどけている、錢塘の蘇小小の門前の柳のもとで「結同心」で別れたが、一途な思いは、「蘇小小の墓」の松の下にまちがいなく結ばれているだろうと詠う。)

王宮裡色偏深,一簇纖條萬縷金。

呉王の夫差が西施のために築き遊宴を開いた館娃宮跡は春景色に変わってきて、そして春も盛り、木涜の塘隄の柳はますます色濃くなっている、そこには一叢と茂っているたくさんの柳枝にはシダレヤナギの新芽が金色に輝いて水面に映っているが、むかしから素足の美女を見届けた柳である。

不憤錢塘蘇小小,引郎松下結同心。

南斉の錢唐の妓女蘇小小の家の門前の柳で別れたが、死んでもなお想い人を待ち続けるから憤慨することなどないのだ、いまは、阮郎と連れ立って西陵の墓にある松の下で「結同心」の契りで結ばれていることだろう。

 

(柳枝五首其の二)

王 宮裡 色偏に深し,一簇 纖條 萬縷の金。

憤せず 錢塘の蘇小小,郎を引いて 松の下の「結同心」。

 

(改訂版)牛嶠《巻三48 柳枝五首 其三》

柳枝五首其三

(旅立つ人に折楊柳で無事を祈るがかなえられない人からは恨みを持たれるが、細腰、柳腰の美女にはどんな英雄であっても、それだけでなく誰もがその前ではおとなしくなるものであると詠う)

橋北橋南千萬條,恨伊張緒不相饒。

長安㶚水は南北にぬけ、そこにかかる㶚橋から北に向かってずっと、そして橋から南に向かって、その塘陂には楊柳が植えられ、何千本何万本の枝を垂らしている。その枝は別れの時に“折楊柳”として旅立つ人の無事を祈るものだけれど、南朝宋の張緒のように平等にうまく、公平に無事を約束できるものではないので、折楊柳で見送られ、同じように出征して死んだ者からは恨まれるのである。

金羈白馬臨風望,認得楊家靜婉腰。

黄金の轡や手綱の白馬にまたがって威風堂々とした英雄である白馬将軍の龐德将軍、貴公子たちでさえも、柳のようにしずかに踊る細い腰の、妖艶な動きの女性が楊家の娘であることぐらいは、だれもが認識している。

 

(柳枝五首其の三)

橋の北かた 橋の南かた 千萬條たり,伊を恨む 張緒 相饒【あいゆる】さずを。

金羈 白馬 風望を臨み,楊家 靜なる婉腰を認得す。

 

 

 

《巻三49 柳枝五首 其四》
柳枝五首其四

(春が来て春景色も移り変わるがそこで頽廃的なことを隠してくれるが、六朝斉の靈和殿の柳は、美男子であった張緒の故事を詠い、いまに柳絮のようにたくさんの宮女は新たに召されたが、そこにはまた、たくさんの嫉妬が生まれると詠う。)

狂雪隨風撲馬飛,惹煙無力被春欺。

柳絮が花をつけ、やがて飛び始めると吹雪のようになり、春の突風にしたがってとび、馬をたたいてそして飛びかう、やがて、鬱蒼としげると春霞に覆われ、雨靄におおわれるようになると春の景色も柳絮もその魅力わからない、これを「春欺におおわれる」というようになった。

莫交移入靈和殿,宮女三千又妬伊。

「此の楊柳は風流で愛しむべし,張緒が当年の時に似ているから。」といった靈和殿前の柳にさそわれて、六朝斉の宮殿にも春はやってくる、次々と後宮に若い女たちが召されていくけれどそれぞれが柳の枝のように交わってはいけないとされてきた、後宮には宮女三千人といわれ、またここには嫉妬の渦が柳の霞のようにおおわれている。

(柳枝五首 其の四)

狂雪 隨風 馬を撲し飛ぶ,煙に惹かれば無力にし「春欺」に被る。

靈和殿に移入 交わること莫れ,宮女三千 又た伊に妬む。

 

(改訂版)《巻三46柳枝五首 其一》

柳枝五首其一

(後宮の池塘の柳は、春に芽吹いてから行き交う人を誘ってくる、毎年行き交う人にそうしていて、行き交う宮人の生涯を見届けている。)

解凍風來末上青,解垂羅袖拜卿卿。

正月の解凍水の時期も過ぎて、春風が優しく吹いてくると柳の梢にも青い目が噴出して、春は万物が目覚め成長する、そしてそこを通る人に、「もうそろそろ薄絹の上衣を脱衣しますわよ。早くいらして。」といっているようである。

無端裊娜臨官路,舞送行人過一生。

そして、その柳の並木道の柳の枝葉はしなやかな細い腰の女たちのように、後宮へ続く道にずっと揺れ動くのをやめないし、そして行き交う人の生涯を見続けているのである。

 

(柳枝五首 其の一)

解凍の 風來りて 末上 青くなり,羅袖を解かんと垂なんとす、「拜卿卿」。

無端 裊娜【じょうだ】にして 官路に臨み,行人を舞い送り 一生を過す。

 

牛嶠(改訂版)《巻三49 柳枝五首 其二》

柳枝五首其二

(館娃宮跡は春景色に変わってきた別れを意味する柳は、此処でも宮女の物語をみとどけている、錢塘の蘇小小の門前の柳のもとで「結同心」で別れたが、一途な思いは、「蘇小小の墓」の松の下にまちがいなく結ばれているだろうと詠う。)

王宮裡色偏深,一簇纖條萬縷金。

呉王の夫差が西施のために築き遊宴を開いた館娃宮跡は春景色に変わってきて、そして春も盛り、木涜の塘隄の柳はますます色濃くなっている、そこには一叢と茂っているたくさんの柳枝にはシダレヤナギの新芽が金色に輝いて水面に映っているが、むかしから素足の美女を見届けた柳である。

不憤錢塘蘇小小,引郎松下結同心。

南斉の錢唐の妓女蘇小小の家の門前の柳で別れたが、死んでもなお想い人を待ち続けるから憤慨することなどないのだ、いまは、阮郎と連れ立って西陵の墓にある松の下で「結同心」の契りで結ばれていることだろう。

 

(柳枝五首其の二)

王 宮裡 色偏に深し,一簇 纖條 萬縷の金。

憤せず 錢塘の蘇小小,郎を引いて 松の下の「結同心」。

 

(改訂版)牛嶠《巻三48 柳枝五首 其三》

柳枝五首其三

橋北橋南千萬條,恨伊張緒不相饒。

長安㶚水は南北にぬけ、そこにかかる㶚橋から北に向かってずっと、そして橋から南に向かって、その塘陂には楊柳が植えられ、何千本何万本の枝を垂らしている。その枝は別れの時に“折楊柳”として旅立つ人の無事を祈るものだけれど、南朝宋の張緒のように平等にうまく、公平に無事を約束できるものではないので、折楊柳で見送られ、同じように出征して死んだ者からは恨まれるのである。

金羈白馬臨風望,認得楊家靜婉腰。

黄金の轡や手綱の白馬にまたがって威風堂々とした英雄である白馬将軍の龐德将軍、貴公子たちでさえも、柳のようにしずかに踊る細い腰の、妖艶な動きの女性が楊家の娘であることぐらいは、だれもが認識している。

 

(柳枝五首其の三)

橋の北かた 橋の南かた 千萬條たり,伊を恨む 張緒 相饒【あいゆる】さずを。

金羈 白馬 風望を臨み,楊家 靜なる婉腰を認得す。

 

牛嶠(改訂版)《巻三49 柳枝五首 其四》

柳枝五首其四

(春が来て春景色も移り変わるがそこで頽廃的なことを隠してくれるが、六朝斉の靈和殿の柳は、美男子であった張緒の故事を詠い、いまに柳絮のようにたくさんの宮女は新たに召されたが、そこにはまた、たくさんの嫉妬が生まれると詠う。)

狂雪隨風撲馬飛,惹煙無力被春欺。

柳絮が花をつけ、やがて飛び始めると吹雪のようになり、春の突風にしたがってとび、馬をたたいてそして飛びかう、やがて、鬱蒼としげると春霞に覆われ、雨靄におおわれるようになると春の景色も柳絮もその魅力わからない、これを「春欺におおわれる」というようになった。

莫交移入靈和殿,宮女三千又妬伊。

「此の楊柳は風流で愛しむべし,張緒が当年の時に似ているから。」といった靈和殿前の柳にさそわれて、六朝斉の宮殿にも春はやってくる、次々と後宮に若い女たちが召されていくけれどそれぞれが柳の枝のように交わってはいけないとされてきた、後宮には宮女三千人といわれ、またここには嫉妬の渦が柳の霞のようにおおわれている。

(柳枝五首 其の四)

狂雪 隨風 馬を撲し飛ぶ,煙に惹かれば無力にし「春欺」に被る。

靈和殿に移入 交わること莫れ,宮女三千 又た伊に妬む。

 

牛嶠(改訂版)《巻三50 柳枝五首 其五》

柳枝五首其五

(昔楚王が細腰を好んで、宮殿で柳腰で女たちが躍った、隋堤の柳の新芽は麴塵蜀染められ、揺れる枝はうす絹の裳裾のようであり、そこには女たちがたくさんあつめられたと詠う。)

裊翠籠煙拂暖波,舞裙新染麴塵羅。

翡翠の髪飾りが妖艶に揺れ、香煙は香炉の網を抜けて細く揺れ起ちあがり、暖かな風波に払われて揺れている。舞い踊る女たちの裙はみだれ、その下のあらたに麴塵色に染められたうす絹が見えて奇麗だ。

章華臺畔隋堤上,傍得春風爾許多。

楚の霊王が細腰の女を好み、宮女を集めた章華臺、またの名を細腰宮といい、その傍らに、煬帝が作った運河の柳の隋堤がある。いまはその傍らには春風に柳を揺らし、そこには女たちが多くあつめられたのである。

 

(柳枝五首其の五)

裊翠 籠煙 暖波を拂い,舞裙 新らたに 麴塵の羅に染る。

章華臺の畔 隋堤の上【ほと】り,傍に 春風を得て 爾許多し。

 

 

《巻三50 柳枝五首 其五》

柳枝五首其五》 現代語訳と訳註

(本文)

柳枝五首其五

裊翠籠煙拂暖波,舞裙新染麴塵羅。

章華臺畔隋堤上,傍得春風爾許多。

 

(下し文)

(柳枝五首其の五)

裊翠 籠煙 暖波を拂い,舞裙 新らたに 麴塵の羅に染る。

章華臺の畔 隋堤の上【ほと】り,傍に 春風を得て 爾許多し。

 

(現代語訳) 牛嶠(改訂版)《巻三50 柳枝五首 其五》

(昔楚王が細腰を好んで、宮殿で柳腰で女たちが躍った、隋堤の柳の新芽は麴塵蜀染められ、揺れる枝はうす絹の裳裾のようであり、そこには女たちがたくさんあつめられたと詠う。)

翡翠の髪飾りが妖艶に揺れ、香煙は香炉の網を抜けて細く揺れ起ちあがり、暖かな風波に払われて揺れている。舞い踊る女たちの裙はみだれ、その下のあらたに麴塵色に染められたうす絹が見えて奇麗だ。

楚の霊王が細腰の女を好み、宮女を集めた章華臺、またの名を細腰宮といい、その傍らに、煬帝が作った運河の柳の隋堤がある。いまはその傍らには春風に柳を揺らし、そこには女たちが多くあつめられたのである。

 

(訳注) 牛嶠《巻三50 柳枝五首 其五》

柳枝五首其五

33.(昔楚王が細腰を好んで、宮殿で柳腰で女たちが躍った、隋堤の柳の新芽は麴塵蜀染められ、揺れる枝はうす絹の裳裾のようであり、そこには女たちがたくさんあつめられたと詠う。)

柳枝五首

折楊柳が基本にあって、男の楊と女の柳を折り絡ませリーフを造り、出征する男の健康・無事を願うものであるが、牛嶠は「別離」を見届けた柳の目線で、故事と楊について、からめてうたうものである。しかも「柳」とあることで、「別離」にたいして女性側がただ悲しいという目線ではないところがことなるてんである。

 

34.【構成】唐教坊の曲名。単調と双調がある。花間集には二十四首所収(異名の「楊柳枝」十五首を含む)単調二十八字四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

柳枝五首其一

解凍風來末上,解垂羅袖拜卿

無端裊娜臨官路,舞送行人過一

柳枝五首其二

王宮裡色偏  一簇纖條萬縷
不憤錢塘蘇小小  引郎松下結同

  
  

柳枝五首其三

橋北橋南千萬、恨伊張緒不相饒。
金羈白馬臨風望、認得楊家靜婉腰。


 

柳枝五首其四

狂雪隨風撲馬,惹煙無力被春

莫交移入靈和殿,宮女三千又妬


 

柳枝五首其五

裊翠籠煙拂暖  舞裙新染麴塵
章華臺畔隋堤上  傍得春風爾許

  
  

 

楊柳枝:これは其五。白居易が始めた歌曲様式。本来は漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。白居易は古い曲名を借りて新たな曲を作った、そのことを宣言した詞。詩の形式は七言絶句体であるが、白居易が新たな曲調を附けたもの。柳を詠い込む唐の都・洛陽の民歌として作っている。やがて、詞牌として数えられる。七言絶句の形式をした例外的な填詞。七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがある。それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なる。また、曲調も当然ながら異なりあっている。これら『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』の平仄上の差異についてはこちら。七言絶句体で、七言絶句とされないものに『竹枝詞』があるが、それも特別にページを設けている。本サイトでは、基本的に填詞(宋詞)を採りあげている。七言絶句体の填詞は、填詞の発展といった系統樹でみれば幾つかある根の一になる。

  『楊柳枝』と前出『竹枝詞』との違いを強調してみれば、前者『楊柳枝』は、都・洛陽の民歌となるだけに優雅である。それに対して『竹枝詞』は、表現が直截である。巴渝(現・四川東部)の人情、風土を歌ったもので、鄙びた風情とともに露骨な情愛を謡っていることである。相似点は、どちらも典故や格調を気にせず、近体七言絶句よりも気楽に作られていることである。

楊柳枝 其五  白居易

蘇州楊柳任君  更有錢塘勝館
若解多情尋小小  綠楊深處是蘇

  
  

 

裊翠籠煙拂暖波,舞裙新染麴塵羅。

翡翠の髪飾りが妖艶に揺れ、香煙は香炉の網を抜けて細く揺れ起ちあがり、暖かな風波に払われて揺れている。舞い踊る女たちの裙はみだれ、その下のあらたに麴塵色に染められたうす絹が見えて奇麗だ。

35. 裊翠 翡翠の髪飾りが妖艶に揺れている。裊:しなやか。衣;柔軟美好。「裊娜」「裊裊婷婷」。漢の王延壽《王孫賦》「緣百仞之高木,攀窈裊之長枝。」

牛嶠《巻四22酒泉子》「鳳釵低裊翠鬟,落梅粧。」その若い宮妓のみどりの黒髪のもとどりの上には、簪が低くしなやかに揺らめいていた。宋武帝の壽陽公主が梅花の散る時 五出の花となった事のように、行楽で梅の下の筵の上で情を交わした時に宮女は梅の花で化粧をし、飾っていたことを思い出した。

魏承班《巻八50 菩薩蠻二首 其二》「聲戰覷人嬌,雲鬟裊翠翹。」おおらかに声を震わせて独唱して、艶めかしき眼差し投げかける、翡翠の髪飾りに黄金の簪が黒髪に揺れる。

裊裊:①風が気を揺るがすさま。②声が続いて絶えないさま。③しなやかに纏いつくさま。④曲折するさま。孫光憲《巻七19 應天長》「垂交帶,盤鸚鵡,裊裊翠翹移玉步。」

36. 籠煙 香炉竹かごで組んだところで籠って一筋の煙が出て途切れないようにするため煙をいったんこもらせるさま。牛嶠《巻四17 菩薩蠻七首其三》「玉釵風動春幡急,交枝紅杏籠煙泣。」奇麗に輝く簪が蚊座に揺れていて、春の季節の旗が大きくなびく。杏の花がいっぱいの木の枝が交差していて、これからもっと草木が生繁し、匂いがひろがり、春の緑の煙霞に包まれた風景の中で涙するのです。

・籠煙 後宮の宮殿の閨房で香を焚き続け、寵愛を待つだけの生活。歓楽街の周囲に柳が植えてあり、冬の間に枝の実のようすを籠と表現する。それが、これから草木が生繁る頃がすなわち匂うがごとき春の緑の煙霞に包まれた風景なのだろう。そこには陰陽判じがたい中に宿る生命の気配を感じることができる。*春になってもちょうあいをうしなったまま、簪を揺らした風が春の旗を揺らし、杏の花籠

37. 舞裙 牛嶠《巻四15 菩薩蠻七首其一》「舞裙香暖金泥鳳,畫梁語鷰驚殘夢。」舞いに着るのスカートは香しく金泥の鳳模様がきれい、塗りの梁の上の燕が鳴き交わすと名残りの夢は破られる思いになってしまう。    

38. 新染 後宮では妃嬪は季節ごとに新しく染めた羅衣を身につける。

39. 麴塵【きくじん】① 色の名。ほとんど灰色みを帯びた黄緑色。古くは刈安(かりやす)と紫根による染め色,近世は黄と青の糸による織り色をいう。天皇の略式の袍(ほう)の色で禁色(きんじき)の一。青色。山鳩。きじん。  「麴塵の袍」天皇が略儀に着用した麴塵色の袍。桐・竹・鳳凰(ほうおう)・麒麟(きりん)を組み合わせて一単位とした文様が用いられた。六位の蔵人(くろうど)が拝領して着用することもあった。青色の袍。

 

章華臺畔隋堤上,傍得春風爾許多。

楚の霊王が細腰の女を好み、宮女を集めた章華臺、またの名を細腰宮といい、その傍らに、煬帝が作った運河の柳の隋堤がある。いまはその傍らには春風に柳を揺らし、そこには女たちが多くあつめられたのである。

40. 章華臺 後漢書「章華台,又稱章華宮,是楚靈王六年(公元前535年)修建的離宮。」(章華台 又た、章華宮と稱す。是の宮は楚の靈王六年(前535年)修建された離宮をいう。)「楚靈王特喜歡細腰女子在宮内輕歌曼舞,不少宮女爲求媚於王,少食忍餓,以求細腰,章華宮又有“細腰宮”之稱。後章華宮於兵亂。」(楚の靈王は特に喜歡するための細腰、女子が宮内に輕歌曼舞する在り,少なからず宮女は王に於て求媚を爲,食を少くし餓を忍ぶ,以て細腰を求めらる,章華宮 又た “細腰宮”と之れを稱す有り。後に章華宮 兵亂をす。)

41. 隋堤 隋の煬帝が、黄河と長江を結ぶために開いた運河の堤。煬帝はこの堤に柳を植えさせた。煬帝は暴君として描写され、その業績は否定的に評価される傾向にある。大運河に関しては女性までも動員した急工事でこれを開鑿し、開通のデモンストレーションとして自ら龍船に乗って行幸し、若い宮女に舟をひかせたたために、「自らの奢侈のために多数の人民を徴発した」などと後世に評されることになる。

韋莊『河傳三首』河傳其一

何處?煙雨,隋堤春暮,柳色蔥籠。

畫橈金縷,翠旗高颭香風,水光融。

青娥殿春妝媚,輕雲裏,綽約司花妓。

江都宮闕,清淮月映迷樓,古今愁。

42. 爾許多 阿弥陀様のような女妓をいう。菩薩蠻とか、女冠子、河瀆神、河傳という語と同じように使う。

今時の同生知識等、爾許多の人、恐畏らくは命は石火に同じ、久しく照らすこと期し難し。識性は無常なり、逝くこと風燭に踰えたり。故に人人同じく願じて共に往生の業を結ぶ。各々『彌陀經』を誦すること爾許萬徧、彌陀の名を念ずること爾許萬徧。又某の功德等を造ること、普く皆周備す。故に某月日に於て、院宇を莊嚴し、道場を瑩飾し、僧尼を奉請して、宿宵行道す。又廚皇の百味の種種の甘香を以て、佛及以び僧徒に奉りて、同心に慶喜す。又願はくは持戒・誦經・念佛・行道し、及び諸の功德等を造らん。

 

毛文錫《巻五19 柳含煙四首其一》

隋堤柳,汴河旁。

夾岸綠陰千里,龍舟鳳舸木蘭香,錦帆張。

因夢江南春景好,一路流蘇羽葆。

笙歌未盡起橫流,鏁春愁。

(柳含煙四首 其の一)

隋堤の柳,汴河の旁。

夾岸の綠陰千里なり,龍舟 鳳舸 木蘭の香,錦帆 張る。

夢に因って江南 春景好なり,一路 流蘇して 羽葆す。

笙歌 未だ盡く起きて橫流し,春愁を鏁す。

(運河を利用した春の行楽の船が行き交う。春景色に色を添えて妓女たちが演奏し、歌い進む。)

煬帝が作った運河の堤に柳がある、そこから続く汴河通済渠の運河の側にも柳がつづく。

それは両岸に緑の影を成して、千里先まで続く。またそこには竜のフナ飾りの糞絵が行き交い、鳳凰の絵が描かれた舟が、蘭の木で作られ香りを遺してすすむ。そして、その船には錦の帆を張っている。

長安や洛陽から、夢を抱いて、江南地方の春の景色を楽しみになる。一筋の水路の流れこの地域を結ぶことでそれぞれの地域を守り、蘇らせる。

笙の笛に歌声を乗せた船は進み、未だにこの流れに横から入り込む、ことごとく波を起こしたりすることはない。この中においては春の愁いのこころを蓋をして、隠してくれる

隋堤 隋を建国した楊堅(文帝)は、この問題を解決するために587年に淮水と長江を結ぶ邗溝(かんこう)を開鑿し、589年に陳を滅ぼして、南北を統一した。

 

604年に二代皇帝煬帝が即位し、翌年より再び大運河の工事が始まる。

 

まず初めに黄河と淮水を結ぶ通済渠(つうせいきょ)が作られ、続いて黄河と天津を結ぶ永済渠(えいせいきょ)、そして長江から杭州へと至る江南河が作られ、河北から浙江へとつながる大運河が完成した。完成は610年のことで、その総延長は2500キロメートルを越える。

 

通済渠の工事には100万人の民衆が動員され、女性までも徴発されて5か月で完成した。これによって、後の人から暴政と非難され、更にこの運河を煬帝自身が竜船(皇帝が乗る船)に乗って遊覧し、煬帝が好んだ江南へと行幸するのに使ったことから、「自らの好みのために民衆を徴発した」などとも言われるようになる。

 

大運河は一から全てを開削したわけではなく、既存の小運河を連結した部分がかなりある。また大運河の建造は南北の統一を確かなものとし、江南の物産を河北にもたらした。永済渠建設の目的は高句麗遠征であった。

 

 

 

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