花間集 訳注解説 (167)回目牛給事嶠五首《巻三48柳枝五首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8570

167)回目牛給事嶠五首《巻三48柳枝五首其三》

 

2017421

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杜甫詩(1)736~751年  53

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杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

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花間集 訳注解説 (167)回目牛給事嶠五首《巻三48柳枝五首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8570 (04/21)

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155)回目薛昭蘊 十九首a.浣溪紗八首・b.喜遷鶯三首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8498 (04/10)

 

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玉-巻二06 雜詩二首其二 〔劉勲妻王宋〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8571

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玉集-010 古詩 爲焦仲卿妻作 【字解集】    Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8518

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花間集 訳注解説 (167)回目牛給事嶠五首《巻三48柳枝五首其三》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8570

(旅立つ人に折楊柳で無事を祈るがかなえられない人からは恨みを持たれるが、細腰、柳腰の美女にはどんな英雄であっても、それだけでなく誰もがその前ではおとなしくなるものであると詠う)

長安㶚水は南北にぬけ、そこにかかる㶚橋から北に向かってずっと、そして橋から南に向かって、その塘陂には楊柳が植えられ、何千本何万本の枝を垂らしている。その枝は別れの時に“折楊柳”として旅立つ人の無事を祈るものだけれど、南朝宋の張緒のように平等にうまく、公平に無事を約束できるものではないので、折楊柳で見送られ、同じように出征して死んだ者からは恨まれるのである。黄金の轡や手綱の白馬にまたがって威風堂々とした英雄である白馬将軍の龐德将軍、貴公子たちでさえも、柳のようにしずかに踊る細い腰の、妖艶な動きの女性が楊家の娘であることぐらいは、だれもが認識している。

 

 

 

 

 

花間集 巻三

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲 『楊柳枝』二十四首

 

 

溫助教庭筠(温庭筠)

巻一

楊柳枝八首之一

館娃宮外鄴城西,

 

 

巻一

楊柳枝八首之二

宜春苑外最長條,

 

 

巻一

楊柳枝八首之三

金縷毿毿碧瓦溝,

 

 

巻一

楊柳枝八首之四

御柳如絲映九重,

 

 

巻一

楊柳枝八首之五

織錦機邊鶯語頻,

 

 

巻一

楊柳枝八首之六

蘇小門前柳萬條,

 

 

巻一

楊柳枝八首之七

牆東御路傍,

 

 

巻一

楊柳枝八首之八

兩兩黃鸝色似金,

 

 

皇甫先輩松(皇甫松)

巻二

柳枝二首其一

春入行宮映翠微

 

 

巻二

楊柳枝二首其二

爛熳春歸水國時

 

 

牛給事嶠(牛嶠)

巻三

柳枝五首其一

解凍風來末上青,

 

 

巻三

柳枝五首其二

橋北橋南千萬條,

 

 

巻三

柳枝五首其三

狂雪隨風撲馬飛,

 

 

巻三

柳枝五首其四

王宮裡色偏深,

 

 

巻三

柳枝五首其五

裊翠籠煙拂暖波,

 

 

張舍人泌(張泌)

巻四

柳枝一首

膩粉瓊粧透碧紗,

 

 

和學士凝(和凝)

巻六

柳枝三首  其一

軟碧瑤煙似送人,

 

 

巻六

柳枝三首  其二

瑟瑟羅裙金縷腰,

 

 

巻六

柳枝三首 其三

鵲橋初就咽銀河,

 

 

顧太尉(顧

巻七

楊柳枝一首 顧夐

秋夜香閨思寂寥,

 

 

孫少監光憲(孫光憲)

巻八

陽柳枝四首 其一

閶門風暖落花乾

 

 

巻八

陽柳枝四首 其二

有池有榭即濛濛,

 

 

巻八

楊柳枝四首其三

根柢雖然傍濁河,

 

 

巻八

楊柳枝四首其四

萬株枯槁怨亡隋,

 

 

 

 

 

 

 

 

 

牛嶠 花間集 巻三 柳枝五首

柳枝五首其一

解凍風來末上青,解垂羅袖拜卿卿。無端裊娜臨官路,舞送行人過一生。

 其二

王宮裡色偏深,一簇纖條萬縷金。不憤錢塘蘇小小,引郎松下結同心。

 其三

橋北橋南千萬條,恨伊張緒不相饒。金羈白馬臨風望,認得楊家靜婉腰。

 其四

狂雪隨風撲馬飛,惹煙無力被春欺。莫交移入靈和殿,宮女三千又妬伊。

 其五

裊翠籠煙拂暖波,舞裙新染麴塵羅。章華臺畔隋堤上,傍得春風爾許多。

 

 

花間集 教坊曲《巻三48柳枝五首其三》薛昭蘊

 

 

花間集 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8570

 

 

 

柳枝五首其一

(後宮の池塘の柳は、春に芽吹いてから行き交う人を誘ってくる、毎年行き交う人にそうしていて、行き交う宮人の生涯を見届けている。)

解凍風來末上青,解垂羅袖拜卿卿。

正月の解凍水の時期も過ぎて、春風が優しく吹いてくると柳の梢にも青い目が噴出して、春は万物が目覚め成長する、そしてそこを通る人に、「もうそろそろ薄絹の上衣を脱衣しますわよ。早くいらして。」といっているようである。

無端裊娜臨官路,舞送行人過一生。

そして、その柳の並木道の柳の枝葉はしなやかな細い腰の女たちのように、後宮へ続く道にずっと揺れ動くのをやめないし、そして行き交う人の生涯を見続けているのである。

 

(柳枝五首 其の一)

解凍の 風來りて 末上 青くなり,羅袖を解かんと垂なんとす、「拜卿卿」。

無端 裊娜【じょうだ】にして 官路に臨み,行人を舞い送り 一生を過す。

 

柳枝五首其二

(館娃宮跡は春景色に変わってきた別れを意味する柳は、此処でも宮女の物語をみとどけている、錢塘の蘇小小の門前の柳のもとで「結同心」で別れたが、一途な思いは、「蘇小小の墓」の松の下にまちがいなく結ばれているだろうと詠う。)

王宮裡色偏深,一簇纖條萬縷金。

呉王の夫差が西施のために築き遊宴を開いた館娃宮跡は春景色に変わってきて、そして春も盛り、木涜の塘隄の柳はますます色濃くなっている、そこには一叢と茂っているたくさんの柳枝にはシダレヤナギの新芽が金色に輝いて水面に映っているが、むかしから素足の美女を見届けた柳である。

不憤錢塘蘇小小,引郎松下結同心。

南斉の錢唐の妓女蘇小小の家の門前の柳で別れたが、死んでもなお想い人を待ち続けるから憤慨することなどないのだ、いまは、阮郎と連れ立って西陵の墓にある松の下で「結同心」の契りで結ばれていることだろう。

 

(柳枝五首其の二)

王 宮裡 色偏に深し,一簇 纖條 萬縷の金。

憤せず 錢塘の蘇小小,郎を引いて 松の下の「結同心」。

 

(改訂版)牛嶠《巻三48 柳枝五首 其三》

柳枝五首其三

(旅立つ人に折楊柳で無事を祈るがかなえられない人からは恨みを持たれるが、細腰、柳腰の美女にはどんな英雄であっても、それだけでなく誰もがその前ではおとなしくなるものであると詠う)

橋北橋南千萬條,恨伊張緒不相饒。

長安㶚水は南北にぬけ、そこにかかる㶚橋から北に向かってずっと、そして橋から南に向かって、その塘陂には楊柳が植えられ、何千本何万本の枝を垂らしている。その枝は別れの時に“折楊柳”として旅立つ人の無事を祈るものだけれど、南朝宋の張緒のように平等にうまく、公平に無事を約束できるものではないので、折楊柳で見送られ、同じように出征して死んだ者からは恨まれるのである。

金羈白馬臨風望,認得楊家靜婉腰。

黄金の轡や手綱の白馬にまたがって威風堂々とした英雄である白馬将軍の龐德将軍、貴公子たちでさえも、柳のようにしずかに踊る細い腰の、妖艶な動きの女性が楊家の娘であることぐらいは、だれもが認識している。

 

(柳枝五首其の三)

橋の北かた 橋の南かた 千萬條たり,伊を恨む 張緒 相饒【あいゆる】さずを。

金羈 白馬 風望を臨み,楊家 靜なる婉腰を認得す。

 

 

牛嶠《巻三48 柳枝五首 其三》

《柳枝五首 其三》 現代語訳と訳註解説
(
本文)

柳枝五首其三

橋北橋南千萬條,恨伊張緒不相饒。

金羈白馬臨風望,認得楊家靜婉腰。

(下し文) 牛嶠《巻三48 柳枝五首 其三》

(柳枝五首其の三)

橋の北かた 橋の南かた 千萬條たり,伊を恨む 張緒 相饒【あいゆる】さずを。

金羈 白馬 風望を臨み,楊家 靜なる婉腰を認得す。


(現代語訳)
(旅立つ人に折楊柳で無事を祈るがかなえられない人からは恨みを持たれるが、細腰、柳腰の美女にはどんな英雄であっても、それだけでなく誰もがその前ではおとなしくなるものであると詠う)

長安㶚水は南北にぬけ、そこにかかる㶚橋から北に向かってずっと、そして橋から南に向かって、その塘陂には楊柳が植えられ、何千本何万本の枝を垂らしている。その枝は別れの時に“折楊柳”として旅立つ人の無事を祈るものだけれど、南朝宋の張緒のように平等にうまく、公平に無事を約束できるものではないので、折楊柳で見送られ、同じように出征して死んだ者からは恨まれるのである。

黄金の轡や手綱の白馬にまたがって威風堂々とした英雄である白馬将軍の龐德将軍、貴公子たちでさえも、柳のようにしずかに踊る細い腰の、妖艶な動きの女性が楊家の娘であることぐらいは、だれもが認識している。


(訳注)牛嶠《巻三48 柳枝五首 其三》

柳枝五首其三

17.(旅立つ人に折楊柳で無事を祈るがかなえられない人からは恨みを持たれるが、細腰、柳腰の美女にはどんな英雄であっても、それだけでなく誰もがその前ではおとなしくなるものであると詠う)

 

18.【構成】唐教坊の曲名。単調と双調がある。花間集には二十四首所収(異名の「楊柳枝」十五首を含む)単調二十八字四句三平韻で、⑦⑦7⑦の詞形をとる。

橋北橋南千萬  恨伊張緒不相
金羈白馬臨風望  認得楊家靜婉

  
  

 

19. 柳枝五首

折楊柳が基本にあって、男の楊と女の柳を折り絡ませリーフを造り、出征する男の健康・無事を願うものであるが、牛嶠は「別離」を身と溶けた柳の目線で客観的に史実・故事について、しかも「柳」とあることで、「別離」にたいして女性側からのの目線ということになる。

楊柳枝:これは其五。白居易が始めた歌曲様式。本来は漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。白居易は古い曲名を借りて新たな曲を作った、そのことを宣言した詞。詩の形式は七言絶句体であるが、白居易が新たな曲調を附けたもの。柳を詠い込む唐の都・洛陽の民歌として作っている。やがて、詞牌として数えられる。七言絶句の形式をした例外的な填詞。七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがある。それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なる。また、曲調も当然ながら異なりあっている。これら『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』の平仄上の差異についてはこちら。七言絶句体で、七言絶句とされないものに『竹枝詞』があるが、それも特別にページを設けている。本サイトでは、基本的に填詞(宋詞)を採りあげている。七言絶句体の填詞は、填詞の発展といった系統樹でみれば幾つかある根の一になる。填詞についての詳しい説明はこちら。

  『楊柳枝』と前出『竹枝詞』との違いを強調してみれば、前者『楊柳枝』は、都・洛陽の民歌となるだけに優雅である。それに対して『竹枝詞』は、表現が直截である。巴渝(現・四川東部)の人情、風土を歌ったもので、鄙びた風情とともに露骨な情愛を謡っていることである。相似点は、どちらも典故や格調を気にせず、近体七言絶句よりも気楽に作られていることである。

楊柳枝 其五  白居易

蘇州楊柳任君  更有錢塘勝館
若解多情尋小小  綠楊深處是蘇

  
  

 

 

橋北橋南千萬條,恨伊張緒不相饒。

長安㶚水は南北にぬけ、そこにかかる㶚橋から北に向かってずっと、そして橋から南に向かって、その塘陂には楊柳が植えられ、何千本何万本の枝を垂らしている。その枝は別れの時に“折楊柳”として旅立つ人の無事を祈るものだけれど、南朝宋の張緒のように平等にうまく、公平に無事を約束できるものではないので、折楊柳で見送られ、同じように出征して死んだ者からは恨まれるのである。

20. 張 緒 (ちょう しょ、422 - 489年)は、南朝宋から斉にかけての官僚・学者。字は思曼。本貫は呉郡呉県。太子中舎人の張寅の子として生まれた。若くして名を知られ、つつましく欲が少なく、叔父の張鏡は「この子は今の楽広である」(南齊書三十三)と評した。揚州に召されて議曹従事となり、秀才に挙げられた。建平王護軍主簿・右軍法曹行参軍・司空主簿・撫軍南中郎二府功曹・尚書倉部郎を歴任した。都令史が郡県に米の上納について訊ねると、張緒はもの寂しい様子で見つめて、包み隠すことがなかった。巴陵王文学・太子洗馬・北中郎参軍・太子中舎人・呉郡中正・車騎従事中郎・中書郎・揚州治中・黄門郎をつとめた。宋の明帝は張緒と会うたびに、そのさっぱりした人柄に感心していたことで出世した。

《晉書、楽広伝》晉(265316)に楽広という人がいた。この人にはいろいろな話がある。まだ八つのころ、道で遊んでいるときに魏の将軍夏候玄にあった。

夏候玄はこの子の人となりが清らかで、怜悧なのを愛して、学問をすすめたという。家が貧しいので、ひとりで書を読んで学んでいた。つつましやかで、でしゃばらず、人の話によく耳をかたむけるたちであった。のちに見出されて秀才にあげられ、官についたが、やはりつつましやかだった。だが、あるとき彼の語るのを聞いた多くの名士たちは、彼の言を評して、「水鏡のごとくあきらかであり、雲ひらけて青空をのぞむようだ」と嘆じたという。この楽広が、河南の長官であった。壁に掛けてある角弓の蛇の画が酒杯の中に映り込み、それを酒杯の中に蛇が居ると勘違いして心を病んだという「杯中の蛇影」という故事。 真実を告げられるとその憂いは忽ち消え去ったという。疑いをもてば、なんでもないことも神経をなやますということに、この語はつかわれるようになった。「杯中の蛇影のみ」といえば、気にやむほどのことはありませんよ、ということになる。 楽広はもの静かで、目の澄んだ人だったらしい。河南省の役所にあらわれるばけものを、狸と見やぶった話などもある。のちには左僕射(左大臣)にまでなったが、事に座して陥れられ、憂いながら死んだ。

21. 不相饒 互いにゆたか有り余るほど多いというわけではない。昼と夜の長さが同じになることをいう。夏、昼が長いと時間の経過が遅いといわれ、冬、夜の時間が長くなると日の進み方が光陰矢の如しになるという。 

杜甫《立秋後題》

日月不相饒、節序昨夜隔。

玄蝉無停号、秋燕已如客。

平生独往願、惆悵年半百。

罷官亦由人、何事拘形役。

(立秋の後に題す)

日月【じつげつ】相饒【あいゆる】さず、節序【せつじょ】   昨夜隔【へだ】たる。

玄蝉【げんせん】 号【さけ】ぶこと停【とど】むる無きも、秋燕【しゅうえん】 已【すで】に客の如し。

平生【へいぜい】 独往【どくおう】の願い、惆悵【ちゅうちょう】す年【とし】半百【はんぴゃく】。

官を罷【や】むるも亦た人に由【よ】る、何事ぞ形役【けいえき】に拘【こう】せられむ。

 日月不相饒、節序昨夜隔。
月と太陽はどちらも豊かでない昼と夜の長さが同じになる立秋になったと思えば、時節は夜が長くなる序章となってきた。

昨夜隔 夜が長くなる。

 

金羈白馬臨風望,認得楊家靜婉腰。

黄金の轡や手綱の白馬にまたがって威風堂々とした英雄である白馬将軍の龐德将軍、貴公子たちでさえも、柳のようにしずかに踊る細い腰の、妖艶な動きの女性が楊家の娘であることぐらいは、だれもが認識している。

22. 白馬 魏の龐徳将軍をいう。常に白馬に乗っていたことからいう。《魏志龐德傳》「徳常乘白馬、関羽軍謂之白馬将軍、皆憚之。」とある。

23. 楊家 徐陵 《玉臺新詠序》「傳鼓瑟于楊家,得吹簫于秦女。至若寵聞長樂,陳后知而不平」鼓瑟は漢の名門楊()家より伝授され、吹簫は名人秦女(奔玉)よりえとくしたもの。・陳後主(陳叔寶) 《聽箏詩》「秦聲本自楊家解,吳歈那知謝傅憐。」・白居易《長恨歌》「楊家有女初長成,養在深閨人未識。」楊家にむすめがいて、今し方、成長した。奥深い閨内だけで育てられたので、人々は見知らなかった。

24. 靜婉腰 静かにしてうつくしい、しずかに踊る細い腰の妓優。静婉,亦称“静琬、琬”,即古代舞女張琬。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 尊前集 『竹枝詞』二十四首

 

 

作者

花間集/尊前集

 

初句7字

 

 

劉禹錫

尊前集

竹枝詞十一首其一

白帝城頭春草生

 

 

劉禹錫

尊前集

竹枝詞十一首其二

山桃紅花滿上頭

 

 

劉禹錫

尊前集

竹枝詞十一首其三

江上春來新雨晴

 

 

劉禹錫

尊前集

竹枝詞十一首其四

日出三竿春霧消

 

 

劉禹錫

尊前集

竹枝詞十一首其五

兩岸山花似雪開

 

 

劉禹錫

尊前集

竹枝詞十一首其六

瞿塘嘈嘈十二灘

 

 

劉禹錫

尊前集

竹枝詞十一首其七

巫峽蒼蒼煙雨時

 

 

劉禹錫

尊前集

竹枝詞十一首其八

城西門前艶預堆

 

 

劉禹錫

尊前集

竹枝詞十一首其九

楊柳靑靑江水平

 

 

劉禹錫

尊前集

竹枝詞十一首其十

楚水巴山江雨多

 

 

劉禹錫

尊前集

竹枝詞十一首其十一

山上層層桃李花

 

 

白居易

尊前集

竹枝詞四首其一

瞿塘峽口水煙低

 

 

白居易

尊前集

竹枝詞四首其二

竹枝苦怨怨何人

 

 

白居易

尊前集

竹枝詞四首其三

巴東船舫上巴西

 

 

白居易

尊前集

竹枝詞四首其四

江畔誰家唱竹枝

 

 

皇甫松

尊前集

竹枝詞六首其一

檳榔花發竹枝鷓

 

 

皇甫松

尊前集

竹枝詞六首其二

木棉花盡竹枝茘

 

 

皇甫松

尊前集

竹枝詞六首其三

芙蓉並蔕竹枝一

 

 

皇甫松

尊前集

竹枝詞六首其四

筵中蝋燭竹枝涙

 

 

皇甫松

尊前集

竹枝詞六首其五

斜江風起竹枝動

 

 

皇甫松

尊前集

竹枝詞六首其六

山頭桃花竹枝谷

 

 

孫光憲

巻八

竹枝二首其一

門前春水竹枝白

 

 

孫光憲

巻八

竹枝二首其二

亂繩千結竹枝絆

 

 

 

 

 

 

 

 

白馬 楊家

○楊家「楊家将」は、宋の建国期に敵国・遼を相手に勇猛果敢に戦い、宋に一筋の光明を与えてきた将軍・楊業率いる楊一族の物語だ。宋のため、命を惜しまず戦った楊業と七人の息子たちの英雄伝説は中国全土で長く敬愛されている。

楊業の時代

物語は、宋が北漢を攻めるところから始まる。このとき、北漢の武将であった何継業(楊業)・佘賽花らは太祖(趙匡胤)らをさんざん苦戦させる。しかし、結局は、北漢は宋に敗北する。何継業も宋に降るが、このとき太宗により「楊」の姓を賜るとともに、英武帝・劉継元とつながる「継」の字を削除し、以後は「楊業」と名乗ることになる。北漢の武将として宋将をさんざ苦しめたことがのちのちまで尾を引くことになり、楊家軍はいまひとつ宋将らの信頼を得ることができない。ことに潘仁美などは佘賽花に矢傷を負わせられたことで、楊家軍を恨み、たびたび対立する。

宋に降った後、楊業は息子らとともに遼と戦うことになる。激戦の末、息子の大郎、二郎、三郎は戦死、四郎は遼の捕虜となり、五郎は行方不明になる。それでも楊業は戦い続けるが、楊家軍を恨む宋将・潘仁美らの姦計により、勝算のない死地に追い込まれる。そして、援軍を求めてきた七郎は潘仁美により殺害される。ついに力尽きた楊業は自決し、楊家軍も敗北する。 
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