花間集 訳注解説 (165)回目牛給事嶠五首《巻三46柳枝五首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8558

165)回目牛給事嶠五首《巻三46柳枝五首其一》

 

 

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杜甫詩(1)736~751年  53

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杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

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杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

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玉-巻二04 雜詩二首并序 〔劉勲妻王宋〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻二ブログ 8559

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唐代には「妓」と呼ばれた人は三種類あった。家妓・宮妓・官妓の三種である。いずれも妓と称されたが、三者の身分・生活はそれぞれ異なっていた。家妓は私人が自宅で養い蓄えている女楽、歌舞人であり、私有財産であって、姫妾とか婢女と呼ばれる人と同類であった。それで彼女たちは「姫妾」の部に入れて論ずることにし、ここでは言及しない。以下に、先学たちが「公妓」とよんだ二つの種類、宮妓と官妓について論ずることにする。

宮妓、敦坊妓

 宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職貴は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。

 宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。たとえば、著名な宮廷歌妓の永新は、もともと吉州(江西省吉安県)の楽戸の娘であり、歌が上乎だったため選ばれて宮中に入った。蔀瓊瓊はもとは色町の妓女であったが、筝が上手だったため宮中に入って仕えることになった。平民女性で選抜されたものは、

玄宗時代には特に「権弾家」(演奏家)と称された(以上は、段安節『楽府雑録』「歌」、『占今図書集成』閑媛典閔艶部、崔令欽『教坊記』による。以下『教坊記』を出典とするものは一々注記しない)。

 

  * 楽戸とは、楽籍という賤民身分の戸籍に属し、宮中の官妓、在野の楽人などが登録されていた。

 

 彼女たちの中には、また別に朝臣や外国からの使節が献上した女性も、一部分であるが含まれていた。たとえば、敬宗の時代、浙東(浙江省一帯)から朝廷に飛燕、軽風という二人の舞妓が献上された。また文宗の時代、回屹に降嫁した太和公主が馬にまたがって弓をひく七人の娘を献上したこともあった(『杜陽雑編』巻中、『旧唐書』文宗紀下)。それ以外に、少数ではあるが、元々宮女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘「教坊記隻訂」中華書局、一九六二年)。

 

 玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃バ勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内廷に入れると宜言したので(『H唐書』李絲伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「覚裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

 

  * 梨園、宜春院。玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学ばせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

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花間集 巻三

 

 

 

 

 

牛嶠 花間集 巻三 柳枝五首

柳枝五首其一

解凍風來末上青,解垂羅袖拜卿卿。無端裊娜臨官路,舞送行人過一生。

 其二

王宮裡色偏深,一簇纖條萬縷金。不憤錢塘蘇小小,引郎松下結同心。

 其三

橋北橋南千萬條,恨伊張緒不相饒。金羈白馬臨風望,認得楊家靜婉腰。

 其四

狂雪隨風撲馬飛,惹煙無力被春欺。莫交移入靈和殿,宮女三千又妬伊。

 其五

裊翠籠煙拂暖波,舞裙新染麴塵羅。章華臺畔隋堤上,傍得春風爾許多。

花間集 巻四

女冠子四首 夢江南二首 感恩多二首

應天長二首 更漏子三首 望江怨一首

菩薩蠻七首 酒泉子一首 定西番一首

玉樓春一首 西溪子一首 江城子二首

 

5 牛嶠(生卒年未詳、)字は松脚、また二子虻峰という。院讐甘粛)の人。唐宰相牛僧指の子孫にあたるという。乾符五年(878)の進士。唐朝に仕えて、拾遺・補闕・校書即の官を歴任した。王建が節度使となって蜀(四川)を鎮めたとき、闢されて判官となった。

王建が蜀国を建ててから、蜀に仕えて給事中の官を拝した。よって牛給事とよばれている。博学で文学をよくし、詩歌においてはとくに名があらわれていた。ひそかに李賀(長吉)の歌詩を慕って、筆をとればただちにその詩風にならうことが多かったといぅ。詞はとくにその長ずるところで、女冠子詞の「繍帯芙蓉帳、金紋芍薬花」とか、菩薩蛮詞の「山月照山花、夢回鐙影斜」などはかれの佳句として知られていたといぅ。いわゆる花間沢とよばれる一派のなかで、況庭箔の詞風をうけてその辞句の美しきや情味の深いことでとくにすぐれた詞人である。集三十巻歌詩三巻があったというが今わずかに一部分が伝わるだけである。詞は花間集に三十二首を収めている。

 

 

 

 

花間集 教坊曲《巻三46柳枝五首其一》薛昭蘊

 

 

花間集 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8558

 

 

 

《巻三46柳枝五首 其一》

柳枝五首其一

(後宮の池塘の柳は、春に芽吹いてから行き交う人を誘ってくる、毎年行き交う人にそうしていて、行き交う宮人の生涯を見届けている。)

解凍風來末上青,解垂羅袖拜卿卿。

正月の解凍水の時期も過ぎて、春風が優しく吹いてくると柳の梢にも青い目が噴出して、春は万物が目覚め成長する、そしてそこを通る人に、「もうそろそろ薄絹の上衣を脱衣しますわよ。早くいらして。」といっているようである。

無端裊娜臨官路,舞送行人過一生。

そして、その柳の並木道の柳の枝葉はしなやかな細い腰の女たちのように、後宮へ続く道にずっと揺れ動くのをやめないし、そして行き交う人の生涯を見続けているのである。

 

(柳枝五首 其の一)

解凍の 風來りて 末上 青くなり,羅袖を解かんと垂なんとす、「拜卿卿」。

無端 裊娜【じょうだ】にして 官路に臨み,行人を舞い送り 一生を過す。

 

《柳枝五首其一》 現代語訳と訳註解説
(
本文)

柳枝五首其一

解凍風來末上青,解垂羅袖拜卿卿。

無端裊娜臨官路,舞送行人過一生。

(下し文)
(柳枝五首 其の一)

解凍の 風來りて 末上 青くなり,羅袖を解かんと垂なんとす、「拜卿卿」。

無端 裊娜【じょうだ】にして 官路に臨み,行人を舞い送り 一生を過す。

(現代語訳)
(後宮の池塘の柳は、春に芽吹いてから行き交う人を誘ってくる、毎年行き交う人にそうしていて、行き交う宮人の生涯を見届けている。)

正月の解凍水の時期も過ぎて、春風が優しく吹いてくると柳の梢にも青い目が噴出して、春は万物が目覚め成長する、そしてそこを通る人に、「もうそろそろ薄絹の上衣を脱衣しますわよ。早くいらして。」といっているようである。

そして、その柳の並木道の柳の枝葉はしなやかな細い腰の女たちのように、後宮へ続く道にずっと揺れ動くのをやめないし、そして行き交う人の生涯を見続けているのである。


(訳注)

柳枝五首其一

柳枝

1. (後宮の池塘の柳は、春に芽吹いてから行き交う人を誘ってくる、毎年行き交う人にそうしていて、行き交う宮人の生涯を見届けている。)

2.【解説】漢の鐃歌鼓吹曲で、唐の教坊曲。柳を詠い込んで、唐の長安・洛陽の民歌として作ったものからはじまり、後宮の池塘の柳を詠うことで、宮女の一生、女性の一生を詠うものと広げて行っている。。七言絶句の形式をした例外的な填詞。七言絶句形式や七言四句体をした填詞には他に『採蓮子』『陽関曲』『浪淘沙(二十八字体)』『八拍蠻』『江南春』『阿那曲』『欸乃曲』『水調歌』『清平調』などがあるが、それぞれ七言絶句体と平仄や押韻が異なることによって、曲調も当然ながら異なっている。

 

3.【構成】唐教坊の曲名。単調と双調がある。花間集には二十四首所収(異名の「柳枝」九首を含む)皇甫松の詩は二首で、単調二十八字四句三平韻で、⑦⑦7⑦の絶句詞形をとる。

柳枝五首其一

解凍風來末上,解垂羅袖拜卿

無端裊娜臨官路,舞送行人過一

 

解凍 風來 末上青,解垂 羅袖 拜卿卿。

正月の解凍水の時期も過ぎて、春風が優しく吹いてくると柳の梢にも青い目が噴出して、春は万物が目覚め成長する、そしてそこを通る人に、「もうそろそろ薄絹の上衣を脱衣しますわよ。早くいらして。」といっているようである。

4. 解凍 樹氷が溶けおちる。とける。古代にこの語を使っていない。落ちる。悟る。とおす。よくす。言い訳。解き明かし。悟り。楽章の一節。文体の名。・・・ゆるむ。明·王志堅《表異録》卷二「正月解凍水,二月白蘋水。・・・」

5. 末上青 柳の梢の先に芽吹き始めたことをいう。少女から大人になることを示唆する。末は木梢、上は梢のあたり、全体的に、青は芽吹いてきたこと。 歐陽脩 

宋玉在《風賦》中寫道: “夫風生於地,起於青萍之末,

6. 解垂 もう少しで解衣しそうなこと。もうそろそろ脱衣します。垂はまさに~しようとする。

7. 卿卿 妻が夫を呼ぶ称。閨褥での言葉。南朝宋·劉義慶《世新語·惑溺》:“親卿愛卿,是以卿卿,我不卿卿,誰當卿卿?”

 

無端 裊娜 臨官路,舞送 行人 過一生。

その柳の並木道の柳の枝葉はしなやかな細い腰の女たちのように、後宮へ続く道にずっと揺れ動くのをやめない、そして行き交う人の生涯を見続けているのである。

8. 無端 末端がない。何処までも終わりがないほど続く。

9. 裊娜 嫋娜【じょうだ】 しなやかなさま。なよなよしたさま。

10. 官路 朝廷の御門に通づる大道。

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