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164)回目薛昭蘊 十九首《 【字解集】 c.小重山二首・d.離別難・e.相見歡・f.醉公子・g.女冠子二首・h.謁金門》 

 

 

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花間集 訳注解説 (164)回目薛昭蘊 十九首《 【字解集】 c.小重山二首・d.離別難・e.相見歡・f.醉公子・g.女冠子二首・h.謁金門》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8552

 

 

【字解集】 ・c.小重山二首

 

小重山二首 其一

1. (小重山二首 其の一:漢の陳皇后が武帝の寵愛を失い、所縁の長門宮に隠居させられて、切ない思いをすると詠う)

2. 薛昭蘊:五代、後蜀の官司至侍郎。(生卒年未詳)、字、出身地ともに未詳。詞風は温庭第に近い。『花間集』には十九首の詞が収められている。『花間集』には、薛侍郎昭蘊と記されている。

醇紹撃(生没年未詳)花間集に載せられている詞人。花聞集では薛侍即とあり、侍郎の官についた人であることがわかるだけで、詳しい伝記はわからない。唐書の薛廷老伝によると、廷老の子に保遜があり、保遜の子に紹緯がある。乾寧中に礼部侍郎となった。性質は軽率であり、車に坐して夔州刺史に貶せられたという。ところでその経歴をさらにくわしく見ると、紹緯ほ乾寧3年(896)九月に中書舎人から礼部侍郎にたり、ついで戸部侍郎となり、光化2年(899)六月戸部侍郎から兵郡侍郎に選っている(唐僕尚丞郎表に依る)。これによって唐末に侍郎の官にあった人であることは明らかである。紹緯のことはまた北夢瑣言にも見えている。紹緯は才を侍み物に倣り、亦父(保遜)の風があった、朝省に入る毎に、笏を弄んで歩行し、旁若無人であった。好んで浣渓沙詞を唱したという。

 3. 【解説】  今、花間集に侍郎とあり、また、その中に収められた十八首の詞の中、八首の浣渓沙があることから推量して薛昭蘊は紹緯と同じ人物であろうといぅ説が考えられるといわれている。晩年に磎州(渓州に同じであろう、広西に属する)に配せられているが、全唐詩の薛紹緯の条には天復中(唐末の年号、901903)に渓州司馬に貶せられたといぅひおそらくこの頃に貶せられたであろう。なお、北夢瑣言では薛澄州と呼んでいる。澄州もまた広西に属する。また、全唐詩に河東の人とあるのは、おそらく薛氏の出身地を言うのであろう。

 

歴代詩余の詞人姓氏では前局に編入して蜀に仕えて侍郎となったごとく記している。この説に従ってかれが韋荘と同じく蜀に仕えて侍郎となったとしている伝記も見受けられるが、紹澄が紹緯と同一人であるとすると上記の経歴と矛盾を生ずる。王国維は紹緯と薛昭蘊とを兄弟と見て、一門に浣溪沙詞を好んだものがあったと解しているが、この説よりも上にのべた同一人と見る説の方がよいようだ。花間集において温庭筠、皇甫松、韋荘についで薛昭蘊を並べているのも、唐王朝に仕えた人物を先に置いたためであろう。両者を同一人としておいた。

 

「長門宮」は、前漢の武帝の皇后であった陳氏が、皇后を廃された後に隠居させられた、そんな宮殿である。この歴史的経緯を説明すると次のとおりである。

陳氏は、武帝の従姉妹に当たる伯母の子である。また、武帝、劉徹が太子になる事が出来たのは、母の陳氏によるのと、館陶公主の力添えがあってこそであった。陳氏との間には子は生まれなかったから、二人は血縁的に強い結び付きが合った。そのような折り、姉である平陽公主の下を訪れた武帝は、謳者の一人であった衛子夫を見初め、そのまま宮中に連れ帰ってきた。この二人の間には、三女一男が生まれた。これによって、いよいよ陳氏の嫉妬が強まり、それは武帝の我慢の限界を超える程のものとなった。衛子夫が男児を生んだのが、元朔元年(前128)で、陳氏が皇后を廃されたのはが、元光五年(前130)である事から、子の男女に関わらず、子が出来た事が、寵を奪われた事に加算されて、嫉妬に狂ったのである。その嫉妬のあまり、媚道を行うに至った。媚道とは、つまり、呪詛である。これが露見し、死罪は減じられたものの、長安城の東南にあった長門宮に隠居させられた。この長門宮は、元は長門園と言い、武帝の母の王氏の別荘で、陳氏の母の館陶公主が献上した物である。衛子夫は男児を生んだその年、皇后に立てられている。

 

4. 【構成】小重山は《柳色新》《小冲山》、《小重山令》という別名がある。『花間集』 には薛昭蘊の作が2首収められている。双調五十八字、前段三十宇六句四平韻、後段二十八字六句四平韻で、⑦5③⑦3⑤/⑤5③⑦3⑤の詞形をとる。

春到長門春草、玉堦華露滴、月朧

東風吹斷玉簫聲、宮漏促、簾外曉啼鶯。
愁起夢難、紅粧流宿淚、不勝

手挼裙帶遶宮行、思君切、羅幌暗塵生。


 

5.・長門 漢代の宮殿の名。漢武帝の陳皇后がはじめ天子の寵愛を得ていたが、人の妬みを受けて長門官に別居し、憂悶の日を送っていた。時に司馬相如の文名を聞き、黄金百斤を奉じて長門既を作らせ天子に献上し、再び寵幸を得たという故事に本づく。寵愛を受けていた女性が棄てられることを比喩するもの。長門宮は長安城の東南にあった。この長門宮は、元は長門園と言い、武帝の母の王氏の別荘で、陳氏の母の館陶公主が献上した物である。

韋荘『小重山』

一閉昭陽春又春,夜寒宮漏永,夢君恩。

臥思陳事暗消魂,羅衣濕,紅袂有啼痕。

歌吹隔重閽,繞庭芳草綠,倚長門

萬般惆悵向誰論?凝情立,宮殿欲黃昏。

126 小重山 韋荘 ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-290-5-#44  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2997

6.・玉堦 玉のきざはし、階段。

・華露 露草に同じ。ここは月の光をうけてきらきらひかるつゆ。階の露は甘露、男女の混じり合いを云う。

7.・朧月 - 霧や靄(もや)などに包まれて、柔らかくほのかにかすんで見える春の夜の月。《季 春》朧月は月が女性を意味し男女の混じり合いを連想させる。

8.・宮漏 宮中の漏刻。水時計。

9.・促 水時計の音がほやくせわしくきこえること。

10.・夢難成 夢が完成しにくいこと。たのしい夢が愁いに断たれて十分見つくすことが困難になること。

11.・紅粧 紅をほどこしたうつくしい化粧。ここは陳皇后をさす。

12.・流宿涙 循涙を流す。宿涙は昨夜から泣きつづけて、枕も布団もぬれてしまうほど涙を流すこと。

13.・手挼裙帶 裾(もすそ)を手にとって揉むこと。裙帶:①もすそのひも。もすそとおび。②女官の制服に着用した装飾の具。③后妃の力によってその地位を得ること。武帝の皇后であった陳氏が、皇后を廃された後に隠居させられたということを暗示させる。

14.・遶宮行 長門宮に回り道をしてゆく。遶越/遶行:回り道をしてゆく。皇后を廃され、長門宮に隠居させられたことを暗示。

15.・思君切 陳皇后が天子を思うことがはなはだしいこと。

16.・羅幌 うすぎぬのとばり。

17.・暗塵生 産暗生といういい方もあり、ひそかに塵がつもっていること。寵愛を失っている状態をあらわすことは。

小重山二首 其二

18.(小重山二首 其の二:漢の成帝、趙飛燕姉妹の史事を詠っている)

19.【解説】 小重山は後宮の故事を詠う詠懐詞狄なものである。この詩は、漢の成帝、趙飛燕姉妹の史事を詠っている。成帝は当初皇太子時代からの妃で皇后である許誇を寵愛し、臣下から子孫繁栄のため他の妻妾にも目を向けるようにと諫言されるほどであったが、後に寵愛は衰え皇后を廃位している。後に趙姉妹の姉は皇后に、妹は昭儀となり、成帝の寵愛を独占した。趙姉妹は寵愛が他に移ることを防ぐために、成帝が他の后妃などとの間に儲けた皇子を殺害した。まもなく趙飛燕は成帝の寵愛を失うが、今度は妹の趙合徳に寵愛が向けられた。

実子がいなかったため甥に当たる劉欣(後の哀帝)を皇太子に立てた翌年の綏和2年(前7年)、成帝は崩御した。突然の崩御であったため、崩御直前まで共にいた趙合徳が原因との流言が生まれ、皇太后王氏が詳細を調査しようとしたが趙合徳は自殺してしまう。皇后であった趙飛燕は哀帝が即位すると皇太后となるが、成帝の皇子を殺害していたことが発覚しその権力は表面的なものとなった。

20.【構成】・小重山は《柳色新》《小冲山》、《小重山令》という別名がある。『花間集』 には薛昭蘊の作が2首収められている。双調五十八字、前段三十宇六句四平韻、後段二十八字六句四平韻で、⑦5③⑦3⑤/⑤5③⑦3⑤の詞形をとる。

(改訂版)小重山二首 其一

春到長門春草、玉堦華露滴、月朧

東風吹斷玉簫聲、宮漏促、簾外曉啼鶯。
愁起夢難、紅粧流宿淚、不勝

手挼裙帶遶宮行、思君切、羅幌暗塵生。


(改訂版)小重山二首 其二

秋到長門秋草、畫梁雙鷰去、出宮

玉簫無復理霓裳、金蟬墜、鸞鏡掩休
憶昔在昭、舞衣紅綬帶、繡鴛

至今猶惹御爐香、魂夢斷、愁聽漏更長。

○。

21. 長門 長門宮は長安城の東南にあった。この長門宮は、元は長門園と言い、武帝の母の王氏の別荘で、陳氏の母の館陶公主が献上した物である。

《重山二首 其二》「春到長門春草青,玉堦華露滴,月朧明。」が秋に変わったもの。台座位が趙飛燕であるから、寵愛を失うことと、ツバメが帰っていたことを結びつけている。

 

22. ・理 おさめる。うでをみがく。おさまる。

23. ・霓裳 霓裳羽衣の曲【げいしょう ういのきょく】とは唐の玄宗が楊玉環のために作ったとされる曲。霓裳羽衣の曲は玄宗が婆羅門系の音楽をアレンジした曲と言われる。玄宗は愛妾である楊玉環のお披露目の際、この曲を群臣に披露し、群臣に楊玉環が特別な存在であると意識させた。楽史「楊太真外伝」によると、玄宗が三郷駅に登り、女几山を望んだ時に作曲したものである説と、玄宗が、仙人の羅公遠に連れられ、月宮に行き、仙女が舞っていた曲の調べをおぼえて作らせた説双方が記されている。楊貴妃もこれに合わせて、舞うのを得意としたという。

しかし、玄宗期に起こった安史の乱以降、この曲は国を傾けた不祥の曲であると忌まれ、楽譜も散逸してしまった。

白居易『長恨歌』

「漁陽鼙鼓動地來、驚破霓裳羽衣曲。」(漁陽の鼙鼓地を動もして来たり、驚破す 霓裳羽衣の曲。)

24. ・昭陽 殿の名。成帝の趙(飛燕)皇后の妹が、昭儀(女官の最高位。位は丞相に比し、爵は諸侯王に比す)となり、昭陽の殿舎にすむ。姉は飛燕といわれたが後に寵愛されなくなり、妹が愛された。趙飛燕(?‐前1)中国,前漢末の女性で,成帝の皇后。もと踊り子の出で,軽快な身のこなしが燕を思わせるところから飛燕と称された。成帝に見そめられて,妹とともに後宮に入り,帝の寵愛を一身に集めて栄華を誇った。哀帝が立つと皇太后となったが,帝の死とともに権勢を失墜して自殺した。彼女の故事を物語化した《飛燕外伝》1巻があり,漢の伶元(れいげん)の撰と称されるが,おそらく六朝人の創作であろう。《漢書》卷九十七下〈外戚列傳下·孝成趙皇后〉孝成趙皇后,本長安宮人。初生時,父母不舉,三日不死,乃收養之。及壯,屬陽阿主家,學歌舞,號曰飛燕。成帝嘗微行出,過陽阿主,作樂。上見飛燕而之,召入宮,大幸。有女弟復召入,俱為倢?,貴傾後宮。

『飛燕外伝』は成帝と趙飛燕の関係を描写した一種の小説であり、史実を忠実に反映したものとは言えないが、後世に対し成帝の印象を決定付ける役割を果たしている。その内容によれば、趙合徳は成帝の寵愛を失わぬよう特殊な房中術を以って成帝に伝え、房事の最中に成帝は急死した。この死に不審を抱いて孝元皇太后によって調査が行われた結果、趙合徳が成帝に精力剤を服用させすぎたことによる中毒死と判明し、その責任を取るため趙合徳は自殺に追い込まれた。自殺直前に趙合徳は我が身で皇帝に仕え、過分な寵愛を受けもはや思い残すことは無い(「私は帝王を股間に弄した。女の本懐、これに優るものはない」)と述べ毒を仰いだとされている。

25. ・紅綬帶 赤の印綬、印綬とは、官吏がその身分や地位を示すしるしとして天子から賜った、印およびそれを下げるための組み紐(ひも)をいい、綬帶鳥は妃嬪のうち最も寵愛をされている腰細の妃賓をいう。綬帶鳥,見於宋代古籍禽經曰: 「壽帶鳥,似山鵲而小,頭上披一帶。雌者短尾,雄者長尾。」

後宮の妃嬪の制度 内職、冊封 古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される

26. ・御爐香 女を愛する男を待つのはお香をたいた部屋であること。ここでは男が通わなくなっても依然として男を待ってお香を炉に燻らせている。化粧や飾り付けの花鈿、簪を付けなくても、閨の褥の準備だけは毎日しているというほどの意。

27. ・漏更 漏は水時計。更は夜を5分割した時間。

28. ・長 秋の夜長、待ち続ける時間が長いこと。

 

 

 

【字解集】 ・d.離別難

 

離別難

1.(男性から見た、宮女・官妓が情のかよった男を送り出し、これから先どうして貞操を守ってゆくのかその心持を詠う。)

2. 【構成】唐の教坊の曲名。『花間集』には薛昭蘊の一首のみ所収。双調八十七字、前段四十三字九句四平韻四仄韻、後段四十四字十句四平韻五仄韻で、⑥⑥❺❺5③❸❸⑦/❸❸③⑥5❺3③❸❸⑦の詞形をとる。

薛昭蘊 花間集巻三40改《離別難一首》

寶馬曉鞲彫、羅幃乍別情難。
那堪春景、送君千萬
半粧珠翠落、露華
、青絲、偏能鉤引淚闌

/

良夜香塵魂欲檀眉半斂愁

未別心先咽欲語情難

出芳艸路東西

搖袖春風櫻花楊柳雨淒

 

《離別難一首》




  

/

3. ・寶馬 天子のお馬車。神の馬。宝飾で盛装した馬。四頭立ての馬車ではなかろうか。寶:①天子の御座。天子の事にもちいる接頭語。②對者を貴ぶ接頭語。③佛教家にもちいる接頭語。④道家にもちいる接頭語。

4. ・曉鞲彫鞍 行幸の準備をすること。 鞲:皮袋。矢入れ。ふいご。ここでは車前の横木のおおい。彫鞍:彫刻に飾られた鞍。

5. ・羅幃 寝床の薄絹のとばり。車の入り口の薄絹のとばり。

李白『春思』

燕草如碧絲,秦桑低綠枝。

當君懷歸日,是妾斷腸時。

春風不相識,何事入羅幃

李白20 辺塞詩 (春思、秋思)

魚玄機『閨怨』

蘼蕪盈手泣斜暉,聞道鄰家夫婿歸。

別日南鴻才北去,今朝北雁又南飛。

春來秋去相思在,秋去春來信息稀。

扃閉朱門人不到,砧聲何事透羅幃

閨怨 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-78-14-# 卷804_10 【閨怨】魚玄機  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1937

6. ・乍別情難 

 【乍ち】たちまち非常に短い時間の内に行われるようす。またたく間に。すぐに。 ある物事・行為が急に起こるようす。にわかに。 【乍ら】ながら~しつつ。二つの動作が平行して行われることを表す。《梁書·侯景傳》

7. ・春景媚 春の景色をいつくしむ。媚景:はるけしき。

8. ・半粧/半面妝 「徐妃半面妝」の故事に基づく。」李商隠《南朝》「徐妃半面妝。」『南史后妃伝』「妃無容質,不見禮,帝三二年一入房。妃以帝眇一目,每知帝將至,必為半面粧以俟,帝見則大怒而出。妃性嗜酒,多洪醉,帝還房,必吐衣中。」梁元帝の徐妃は元帝が独眼であったため必ず顔の半分だけ化粧して迎い入れた。元帝は怒って、それ以来后妃の後宮へより附かなかったとういう故事。(夜のくずれた化粧を落とし、見送るための朝の薄化粧をそそくさとしたことを云う。)

9. ・露華 朝露がきれいに降りて光っていること。

昨日の夜の赤い蝋燭と瑟で「靑絲の曲」を奏でたことで一つになった、そんなことを思い出すとひたすら涙を誘い、涙にぬれて渡り廊下の欄干にすがっているのです。

10. ・ 蝋燭のことであるが、蝋燭の炎の中心の明るい部分を云う。女性性器を意味する語である。

皇甫松『摘得新二首 其一』

酌一巵,須教玉笛吹。

錦筵紅燭,莫來遲。

繁紅一夜經風雨,是空枝。

摘得新 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-311-5-#65  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3102

11. ・青絲曲 瑟、琴の曲。南朝、梁、普通年間に童謡あり、曰く、侯景白馬に乗り、青絲のたづなをとって“壽陽來”と侯景は渦陽を大敗させた戦果に錦を求めた。朝廷は給するに靑布を以てす。侯景、これをことごとく靑袍と為し、彩色靑を尚ぶとした。侯景白馬に乗り、青絲を手綱と為し、以て童謡の語に應ぜんとした。この井手達でむほんをおこした。、《梁書·侯景傳》南朝梁普通年間“有童謠曰: '青絲白馬壽陽來。 '”其後侯景作亂, 乘白馬以青絲為韁, 兵皆青衣, 從壽春進軍建康。

杜甫《青絲》「青絲白馬誰家子,粗豪且逐風塵起。」(青絲白馬は誰が家の子ぞ,粗豪 且つ風塵を逐いて起る。)

青絲白馬 白馬は梁の叛将侯景の故事。侯景は北魏の爾朱栄軍で頭角を現し、北魏が東西に分裂すると東魏の高歓の旗下に入り、河南大行台に任じられる。高歓死去後、東魏への叛乱を起こし、支配する州郡と共に梁の武帝に帰順した。その後、東魏の武将慕容紹宗に敗れ、寿春(安徽省)へ退いた。梁と東魏の間に和議成立の情勢となると、梁への叛乱を起こす。548年(太清2年)、梁宗室の蕭正徳を味方に就けて10万の兵を集め、都の建康に迫った。この時白馬にまたがっていたのが侯景であった。ここは僕固懐恩等の賊将をさす、《梁書·侯景傳》、

青袍白馬更何有?後漢今周喜再昌。』
もはや侯景の様な青袍白馬の大義のない叛乱の将等というのは物の数ではない。後漢光武の世、周の宣王の世が粛宗によって今日ふたたびさかんになるに至ったことはよろこばしいことである。』 
○青袍白馬 梁の侯景の故事。大同中に「青糸白馬寿陽より来たる」という童謡がはやった。景が渦陽の敗に錦を求めたところ、朝廷は給するのに青布を以てした。景はことごとく用いて袍となし、白馬に乗り青糸を轡となして童謡の語に応じょぅとした。青袍白馬は侯景が叛いたときのいでたちであり、今借りて安史軍の史思明・安慶緒等をさす。○更何有 意とするに足らないことをいう。○後漢今周  後漢は光武帝の中興をさし、今周は今日において周の宜王の再起したことをいう、竝に粛宗をたとえていう。○再昌 「攀竜」の句より「後漢」の句までは、功臣は恩寵をたのむべからず、宰相は其の人を得て、唐朝復興の兆のあることを喜ぶことをいう。

玄機『光威裒姉妹三人、・・・・因次其韻。』「當臺競鬥青絲發,對月爭誇白玉簪。」光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。-#7 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-125--#7  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2172

12. ・鉤引 それが引き金となって~する。

13. ・闌干 涙が流れるさまと渡り廊下、高楼の欄干に臨んでという意味を持つ。

14. ・良夜促 こんな素敵な春の夜を二人で過ごせたいい夜だったが、春の夜は短く二人で過ごす良い夜の時はあっという間に過ぎてしまった。

15. ・香塵綠 蝋燭の火も燃え尽きそうで、香炉のお香もいつしか消えていたのも気が付かず過した。

16. ・檀眉半斂 別れるのがつらく眉が檀になり、眉間にしわを寄せてしまう事。

17. ・愁低 愁いの気持ちでただそこへ蹲ってしまう。

18. ・芳艸 春になって成長する草花を云うが、東の都にいる女妓を指す。

19. ・路東西 東西に別れる、ここでは、男が、洛陽にいき女は長安に留まることでその間の道。

韋荘『望遠行』

欲別無言倚畫屏、含恨暗傷情。

謝家庭樹錦鶏鳴、残月落邊城。

人欲別、馬頻噺、綠槐千里長堤。

出門芳草路萋萋、雲雨別來易東西。

不忍別君後、却入旧香閏。

100 望遠行 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-285-5-#39  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2972

 

 

【字解集】 ・e.相見歡

 

相見歡

1. (浮気男に棄てられた女の愁いの情を詠う。)

2. 【解説】妃嬪の愁いが詠われる時、季節は多く晩春である。「暮雨輕煙魂斷,隔簾櫳」妃嬪は待つのが使命である、寵愛を失えば、これほど人格を否定されるものがないから、詩に登場する。この時代、その他の階層の女性は、比較的、自由な性生活をしている。不倫や自由恋愛多いから、役所で取り締まらなければいけなかった。妃嬪には、その可能性が極めてない。その間、春が来るごとに「暮の雨」花が落ち、年増になってゆくこと、それでも、地位が変わらなければ、あいかわらず、ちょうあいをうけるじゅんびをして、まちつづけなければならないのである。と、詠うものである。

寵愛を受けている時と寵愛を失って以降の対比、一人で出かけることはできないので、この語を使用する。なかにわに出るくらいの生活を意味するもの。

3. 【構成】唐の教坊の曲名。『花間集』には薛昭蘊の一首のみ所収。双調三十六字、前段十八字四句二平韻、後段十八字五句二仄韻二平韻で、⑥③6③/❸❸③6③の詞形をとる。

羅襦繡袂香、畫堂中。
細艸平沙蕃馬、小屏風。
卷羅、凭粧、思無

暮雨輕煙魂斷、隔簾櫳。



4. 香紅 もみの上着に薫きしめた香が香ること。

5. 羅襦 杜甫.新婚別詩:「自嗟貧家女、久致羅襦裳。羅襦不復施、対君洗紅粧。」(自ら嗟【さ】す貧家の女,久しく羅襦【らじゅ】裳を致す。羅襦復た施さず,君に対して紅粧【こうそう】を洗わん。)

新婚別 杜甫 三吏三別詩 <218>#3 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1049 杜甫詩集700- 314

6. 繡袂  袂に縋る願いを聞いてもらうまでは離すまいと、人のたもとをとらえる。転じて、相手の同情を引いて助けを求める。

7. 蕃馬 戎の馬、小ぶりの足の速い遊牧民族の馬、騎馬兵士の勇壮さが好きだから飾っている。駿馬が好きで、おそらく女性自身も、男装して馬に乗るのであろう。だから屏風にもそうしたえがかれたもおを飾った。

 この時代の女性は、男装にあこがれ、馬の画を善く飾った。この馬を以て意中の男が最果ての砂漠の地に旅立って帰ってこないことを連想するというのは、短絡である。

8. 粧閣 化粧の部屋。明かりをよくいれるために他の部屋より独立し、階床が高かった。物見もできるもの。

班婕妤 王維 (後宮の妃嬪を詠う)

怪來妝閣閉,朝下不相迎。

總向春園裏,花間笑語聲。

怪しむらくは妝閣【さうかく】の 閉づることを,朝より下りて  相ひ迎へず。

總て春園の裏に 向いて,花間 笑語の聲。

この三句でわかることは、西域のどこか、砂漠に出征したのでなくて、何時でも女のもとに来られることをあらわす句である。

9. 暮雨軽煙 夕暮れの雨と簿霞は高唐の賦の「朝雲暮雨」の故事をいう。晩春に降る雨はここで必ず春の花は落花する。妃嬪の希望、期待を完全に断たれたことを意味する。

10. 簾櫳 簾のかかる連子窓。1窓.2(動物を入れる)おり.寵愛を受けているころは、事あるごとに、連れ立って出かけた、寵愛を失っても、寵愛を受けるための準備と、ただ待つだけが使命であるから、動くことができないから、御殿のその場所から出られないことをいう。

 

 

【字解集】 ・f.醉公子

 

醉公子一首

1.(貴公子に棄てられ、心が捻じ曲がり、汚れていく女を詠う。)

2. 【解説】 前段、青絲髮,光砑、綾襪、小燻籠,韶州のかたびら、これらは、年ごと、季節ごと贅沢なものがそろって行き、華美な生活にも慣れたことをいう。富貴高貴な者の寵愛をしめすものである。貴公子と過ごすということは、おおよそこのようなもので、この詩の内容は、貴公子の場合の常套の内容である。この詩の面白さは、前半は、贅沢なものを並べているものの、それに季節感と、一定の年月を重ねたと推量させることが各句下三字に表現して上手いのである。後段は一転して、各句四句の初め二字、輒ち、叵耐,捻得、惱得,問人、という語で心の動きを表して面白いこの詩はこうした技巧を凝らした秀作である。

 

3. 【構成】 唐の教坊の曲名。『花間集』には薛昭蘊の一首他三首の所収。双調四十字、前段二十字四句二仄韻、二平韻で、後段二十字四句二平韻❺❺⑤⑤/55⑤⑤の詞形をとる。

慢綰青絲,光砑

床上小燻,韶州新退

叵耐無端處,捻得從頭汚。

惱得眼慵,問人閑事

  
  
  
  

4. 綰 髪をかき上げて束ねる。「人皆は今は長しと―・けと言へど」〈万・一二四〉2 舟をあやつる。「大舟を荒海(あるみ)に漕ぎ出で八()舟―・け我が見し児らがまみは著(しる)しも」〈万・一二六六〉3 《「だく」とも》手綱をあやつる。

青絲髮 黒髪をいう。

5. 光砑 (皮や布に)つや出しをする,滑らかにする砑光つや出ししてひかっている。

6.  綾(あや)はななめに交差する織物のあり方の総称(これに関しては綾織りを参照)。いろいろな模様を浮き出すように織った織物の紋織物をさす(呉の国の綾織物)。(古代地所的一種有紋彩的絲織品。蜀錦

7./下沓【しとうず】《「したぐつ」の音変化》古代以来、沓(くつ)をはくときに用いる布帛(ふはく)製の履物。礼服(らいふく)には錦(にしき)、朝服には平絹を用いた。

8. 薫籠【くんろう】衣類に香をたきしめるため、香炉の上にかぶせるかご。伏籠(ふせご)⇒薫炉(くんろ)

9. 韶州(しょうしゅう)は中華人民共和国広東省にかつて設置された州。現在の韶関市一帯に相当する。 南北朝時代、梁により設置された東衡州を前身とする。589年(開皇9年)、隋朝により韶州と改称された。翌年には廃止され管轄区域は広州に統合された。

・「交趾丹砂重,韶州白葛輕。」広州へいったなら交址には貴重すべき丹砂があるし、韶州には軽らかな白い葛のかたびらがある。麻の夏の上衣。

杜甫『送段功曹歸廣州』 

南海春天外,功曹幾月程。

峽雲籠樹小,湖日落船明。

交趾丹砂重,韶州白葛輕。

幸君因旅客,時寄錦官城。

送段功曹歸廣州 蜀中転々 杜甫 <509  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2740 杜甫詩1000-509-742/1500

10. 叵耐 …し難い,…できない叵耐我慢ならない.叵 pǒcè[]《貶》はかり難い,(うかが)い知れない居心叵腹の中で何を企んでいるのかわからぬ.

11. 捻得 人の心が素直でなく曲がった状態になること根性がねじ曲がる・ 心が捻くれる  悪堕ちする  ダークサイドに堕ちる  捻くれる ・ねじける  いじける  根性が捻じ曲がる

12. 從頭 はじめから。

13. 眼慵開 眼をものうげに目をひらく。

14. 閑事【かんじ】暇な事柄。無用のこと。むだごと。

15. 惱得 なやみをえる。

 

 

【字解集】 ・g.女冠子二首

 

女冠子二首其一

1. (寵愛を失った妃嬪がっもともあこがれ、希望するのは、南岳魏夫人のように俗世を棄てる事であり、清らかに自然に同化していくことであると詠う。)

2.【解説】前段は、女道士となるために、家も身を創る品々もすべてを捨て去って、山に入ると、いつしかもやのようにつつまれて同化する衣裳に変わること述べる。後段は、月の照る静かな夜、風渡る松の木の下で、天壇、地壇に祈りを捧げるさまを描く。

3. 【構成】『花間集』には薛昭蘊の作が二首収められている。双調四十一字、前段二十三字五句、二仄韻二平韻、後段十八字四句二平韻で、❹❻③5⑤/5⑤5③の詞形をとる。

女冠子二首其一

求仙去、翠鈿金篦盡、入嵒

霧捲黃羅帔、雲彫白玉

野煙溪洞冷、林月石橋

靜夜松風下禮天

4. 求仙 仙人になることを求める。ここでは南岳魏夫人(神仙・上清派の開祖)にあこがれて高貴な身分を棄てる(しかし、宮人を引き連れて入山する。)

5. 翠細金箆 翡翠や金で飾った櫛や簪。

6. 嵒巒 自然に同化するため岩山に入る。道教は、南北朝の時代に成熟し、唐代には国教となり、宗教としての質をどんどん向上させた。宗教人類学・宗教歴史学・宗教心理学・宗教社会学の観点から分析すると、道教は宗教の基本要素を全て備えている。キリスト教・イスラム教・仏教の三大世界宗教と比べると、道教は一般の宗教としての特徴だけでなく独特の民族文化の特色も備えている。道教の一般的な宗教としての特徴を次に示す。道教は自然発生した自然宗教と人為的な倫理宗教の結合体である。人格化した主神(元始天尊・太上老君など)に対する信仰だけだけでなく、自然界の本質である汎神論の「道」の信仰(ヒンズー教の「ブラーフマン」、大乗仏教の「仏性」と類似している)もある。祠に女妓ともなった。

7. 霧捲黃羅帔 薄い透明感の黄色の羽衣を軽くたるませて上半身、片に巻き付ける。

古代婦女披於肩背的一種紗巾,多為薄質紗羅所制。

8. 白玉冠 白い玉。白壁。《禮記》「衣白衣、服白玉。」

9. 野煙溪洞冷 渓谷の洞窟から靄が発生し、雲に成長するというのが古代中国の考えであった。道教はこの煙、霞と一体化することが修業である。

林月石橋寒 この後段からは、自然と一体化していく修行の場の様子をいう。

10. 靜夜・松風下 どちらも清いことに喩える語。杜甫《陪鄭広文遊何将軍山林十首 其九》「醒酒微風入,聽詩靜夜分。」(酒を醒まさんとして微風入り 詩を聴けばかんとして静夜分かる)酒の酔いを醒ますため微風に当たり体に当て吹きこみ、詩に耳を傾けていると静かに夜がふけてゆくのである。

杜甫 《玉華宮》「溪回松風長,蒼鼠竄古瓦。」(渓廻りて松風長し 蒼鼠古瓦に竄る。)谷川がうねっている、そこに這うように松風が遠くやさしく吹いてくる、落ちて散らばった古瓦に胡麻塩の毛の鼠が人を畏れるかの様にかくれている。 

玉華宮 ① 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 205

11. 天壇 天の神を祭るための祭壇。1.封建における帝王祭天をおこなう高臺。 《宋書‧禮志三》:  光武 建武 中, 不立北郊, 故后地之祇常配食天壇。” 《南齊書‧禮志上》: 郊為天壇。” 2. 王屋山の頂,軒轅が天に祈ったという。《相傳》「黃帝 禮天處。 」相傳には黃帝が天に禮した處という。  杜甫 《昔游》「王喬下天壇,微月映皓鶴。」(王喬天壇に下り,微月 皓鶴に映ず。)おりしも王喬かと思われる仙人が天壇に降りてきた。 仇兆鰲 注:  王屋山 頂曰 天壇 。”  陳師道 《談叢》卷十八:  王屋 天壇  道書云 黃帝 禮天處也。

軒轅 黄帝(こうてい)は神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。また、三皇のうちに数えられることもある。(紀元前2510年~紀元前2448年)漢代に司馬遷によって著された歴史書『史記』や『国語・晋語』によると、少典の子、姫水のほとりに生まれたことに因んで姓は姫姓、氏は軒轅氏、または帝鴻氏とも呼ばれ、山海経に登場する怪神・帝鴻と同一のものとする説もある。蚩尤を討って諸侯の人望を集め、神農氏に代わって帝となった。『史記』はその治世を、従わない者を討ち、道を開いて、後世の春秋戦国時代に中国とされる領域をすみずみまで統治した開国の帝王の時代として描く。少昊、昌意の父。

女冠子二首其二

12.(女冠子二首其の二:清廉な礼拝の修行の成果、神女となって昇天し、雲に乗って五岳、神仙三山を廻ったが、劉郎の使者が訪れ寵愛を受けると詠う。)

13. 【解説】其一で天壇に礼拝し修行をするということから続く、前段は、神女となるために、山に入り、修行をし、白玉の冠を授かり、神仙となる。雲に乗って五岳を通り過ぎ、果ては東海の神仙三山に去りゆくけれど、後段は、月時は流れ、劉郎であり、穆天子がせいおうぼとであったように、出会って、ちょっとの間、經典を封印する。

15. 【構成】『花間集』には薛昭蘊の作が二首収められている。双調四十一字、前段二十三字五句、二仄韻二平韻、後段十八字四句二平韻で、❹❻③5⑤/5⑤5③の詞形をとる。

女冠子二首其一

求仙去、翠鈿金篦盡、入嵒

霧捲黃羅帔、雲彫白玉

野煙溪洞冷、林月石橋

靜夜松風下禮天

○○●●、●△○○●●、●○○。

△△○○△、○○●●△。

●○○△△、○●●○○。

●●○△●、●○○。

女冠子二首其二

雲羅霧,新授明威法,降真

髻綰青絲髮,冠抽碧玉

往來雲過五,去往島經

正遇劉郎使,

○○△●、○●○○●●、△○○。

●●○○●、△○●●△。

●△○△●、●●●△△。

△●○○●、●○○。

16. 明威 恩賞刑罰。

17. 法籙 道術の書。道教の経典、戒律、法籙、符契、科儀とあり、道士の位階が確立してくると、法籙〔道籙〕の伝授が行われるようになった。玄宗は、自ら司馬承禎から法籙を受け道士皇帝となり、 『道徳経』の 注釈書をつくり、 崇玄学(道教の学校)を設置した。

18. 真函 「函」とは、女を正良にするために作る器のことで、真は道士として認められたことで、真函というものになったら寺観を降りて隠遁したり、民間に戻ることもできる。《詩経,周頌、載芟》「播厥百穀,實函斯活。」(厥の百穀を播す,實に斯の活を函む。)

19. 髻【もとどり】とは。《「本取り」の意》髪を頭の上に集めて束ねた所。また、その髪。たぶさ。髻放つ冠や烏帽子(えぼし)をかぶらず、髻をあらわにする。礼儀に反する行為とされる。

20. 綰  髪をかき上げて束ねる。「人皆は今は長しと―・けと言へど」〈万・一二四〉2 舟をあやつる。「大舟を荒海(あるみ)に漕ぎ出で八()舟―・け我が見し児らがまみは著(しる)しも」〈万・一二六六〉3 《「だく」とも》手綱をあやつる。

21. 青絲髮 黒髪をいう。

22. 抽 ぬきんでる ぬく引き出す。抜き出す。

23. 玉篸 宝玉の簪。本体部分は竹で作られているもの。

24. 島經三 神仙三島をすぎる。

25. 雲過五 雲は五山をすぎ。

過五・經三 五更、一晩が過ぎること。一年の上元、中元、下元をけいかすること。この両句は、時の経過を云うものである。ただ、道教上の用語を使って時の経過とその身の変化を云う。

儒教では、五常(仁、義、礼、智、信)の徳性を拡充することにより、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五倫の道をまっとうすることを説いている。五行思想(ごぎょうしそう)または五行説(ごぎょうせつ)とは、古代中国に端を発する自然哲学の思想。万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説である。また、5種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」という考えが根底に存在する。

道教の「三元神」は次のとおり。上元115賜福大帝・天官大帝 上元一品天官 堯 賜福(福を与える)中元715赦罪大帝・地官大帝 中元二品地官  舜 赦罪(罪を赦す)

下元1015日 解厄大帝・水官大帝           下元三品水官 禹解厄(厄を祓う)

三元を司る3神を三官大帝(zh:三官大帝)という。三官大帝は龍王の3人の娘と人間の陳子椿とのあいだに生まれた、龍王の孫である。彼らの誕生日が、三元として祝われるようになった。

三元は1年を3等分ではなく、2:1:16ヶ月・3ヶ月・3ヶ月)に分けている。いずれの日も15日、つまりほぼ満月である。

往來:去往 ゆききたる:さりゆく

  

正遇劉郎使,瑤緘。

そんなふうに、神女として充実していると、寵愛を失っていたはずが、また、劉郎の使いのものに遭遇するのである、そうすれば、しばらくは、道教の経典の「啓瑤壇」を封印していることだろう。

26. 劉郎 別れ去る愛しい男。仙桃を味わった浦島太郎のような人物である劉晨=劉郎である夢心地の状態にある男、何年も訪れてくれなくなっているのでこのようにいう。12年もたっていることと、全く景色が変わって、ここにいる女を含めみんなが全く変わっていたというものだ。 

劉禹錫『再遊玄都觀』

百畝庭中半是苔,桃花淨盡菜花開。

種桃道士今何歸,前度劉郞今又來。

再遊玄都觀 本文 劉禹錫 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 薛濤-239--#95 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2742

白居易『贈薛濤』

蛾眉山勢接雲霓,欲逐劉郎北路迷。

若似剡中容易到,春風猶隔武陵溪。

贈薛濤 白居易 全唐詩 巻462  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-131--#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2202

牛嶠『女冠子 其三』

星冠霞帔,住在蘂珠宮裏。佩叮

明翠搖蟬翼,纖珪理宿粧。

醮壇春艸綠,藥院杏花香。

青鳥傳心事,寄劉郎

女冠子四首 其三 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-316-5-#57-7  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3127

牛嶠『夢江南二首 其二』

紅繡被,兩兩間鴛鴦。

不是鳥中偏愛爾,為緣交頸睡南塘,全勝薄情郎

夢江南二首 其一 牛嶠【ぎゅうきょう】 ⅩⅫ唐五代詞、「花間集」 Gs-319-6-#6  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3142 

○阮郎 別れ去って久しく帰らぬ愛しい男。後漢の劉展、阮肇は天台山に薬草を採りに入り、道に迷って仙女に出合い、しばらくともに暮らした。しかし家のことが思い起こされ、帰ってみると、既に数世が過ぎ、見知った人は誰もいなかった。そこで再び山に尋ね入ったが、仙女を探し当てられなかったと言う。以来、阮郎、劉部は、別れ去る男や別れ去って久しく帰らぬ愛しい男を指すようになった。・檀郎/安仁/潘郎 晋の潘岳のあざな。彼は美男子であり、詩人であったが、妻の死にあい「悼亡」の詩三首を作った。後世、妻の死をなげいた模擬作が多く作られた。潘岳の幼名が檀奴だったので、「檀郎」は夫や恋い慕う男を意味する。・潘岳:安仁。滎陽(けいよう)中牟(河南省)の人。陸機と並ぶ美文の文学の大家で,錦を敷きのべたような絢爛(けんらん)たる趣をたたえられた。ことに人の死を悼む哀傷の詩文を得意とし,亡妻への尽きぬ思いをうたった〈悼亡詩(とうぼうし)〉3首はよく知られる。絶世の美男として,また権門の間を巧みに泳ぎまわる軽薄才子として,とかく話題にこと欠かなかった。八王の乱の渦中で悲劇的な刑死を遂げた。

江南二首 其一 牛嶠【ぎゅうきょう】 ⅩⅫ唐五代詞、「花間集」 Gs-319-6-#6  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3142

 

27.  道教経典:瑤壇讚本、

「啓瑤壇(けいようだん) 礼誦経(らいしょうきょう) 天地日月三光(てんちじつげつさんこう) 大衆神明(たいしゅうしんめい) 一斎降鑑(いっさいこうかん)28. 瑤壇:仙人の住むところ。瑤池:崑崙山にあり、穆天子がここで西王母と出遭ったところ。

29.  封をする。封じ目。「封緘」口を閉じる。

○三洞四輔

「三洞」とは、洞真経・洞玄経・洞神経の3つであり、元々はそれぞれ上清経・霊宝経・三皇経(三皇文)と言い、別々の集団によって伝えられた。

三洞最上位の上清経を伝えた一派の開祖は、山東省任城の女性・魏華存である。彼女は2人の息子と戦乱を避けて江南に移住し、そこで天師道の祭酒(指導者)になったという。その後仙道を極めて仙女となり、紫虚元君・南岳夫人を名乗った。東晋の役人・許謐は霊媒の助けを借りて紫虚元君らを仙界から降臨させ、教示を書き残した。これが時代を得て上清経になったという。これは、精神を研ぎ澄ます瞑想法の存思法などの修練を通して汚れた人間界を脱し、神仙界へ至ることを説く。後に活躍した道士の陶弘景は、この上清経をとりわけ重視した。

霊宝経の起源は禹の時代に遡り、邪鬼を排し昇仙を成すという神人から賜った「霊宝五符」とその呪術にある。これは江南の葛氏道と呼ばれる一族が伝え、経典として整備されたという。その内容は仏教特に大乗仏教の影響を受け、輪廻転生や元始天尊が衆生を救済するという思想を持つ。また儀礼を詳しく定めている点も特徴である。

三皇経という名は天皇・地皇・人皇から来ているという。出自には2つの説があり、西城山の石室の壁に刻まれた文言を帛和という人物が学び取ったとも、嵩山で鮑靚という人物が石室から発見したとも言う。既にほとんどが散逸し現在には全く伝わらないが、悪鬼魍魎の退散法や鬼神の使役法などが書かれていたという。

「四輔」は「三洞」を補足するもので、4部に纏められた。太玄部は『老子道徳経』および関係する経典類、太平部は残存した『太平経』、太清部は金丹術に関係した文献類、正一部は五斗米道・天師道関係の経典である。

 

【字解集】 ・h.謁金門 

 

謁金門

1.寵愛を全く失った妃嬪、それでも寵愛を受ける事しか許されない身分、妃嬪の恋慕・悶絶の苦しみを詠う。

2.【構成】『花間集』には薛昭蘊の作が一首収められている。双調四十五字、前段二十一字四句四仄韻、後段二十四字四句四仄韻で、❸❻❼❺/❻❻❼❺の詞形をとる。

謁金門

春滿,疊損羅衣金

睡覺水精簾未,簷前雙語

斜掩金鋪一,滿地落花千

早是相思腸欲,忍教頻夢

  
  
  
  

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『謁金門』五首

 

 

韋相莊

巻三

謁金門 二首其一(改訂版)

春漏促,金燼暗挑殘燭。

 

 

 

巻三

謁金門二首其二(改訂版)

空相憶,無計得傳消息。

 

 

薛侍郎昭蘊

巻三

謁金門 (薛昭蘊)

春滿院,疊損羅衣金線。

 

 

牛學士希濟

巻四

謁金門一首 (牛希濟)

秋已暮,重疊關山岐路。

 

 

孫少監光憲

巻八

謁金門一首

留不得!留得也應無益。

 

 

 

 

 

 

 

 

3. 疊損羅衣金線 薄絹の衣裳が長い間畳んだままになっているから、刺繍の金糸が折り目から切れてしまったことをいう。

春滿院 

4. 簾未捲 悲しみに心が晴れず簾を巻き上げる気持ちになれぬことを言う。

5. 双語燕 番の燕が仲睦まじく語らう。妃嬪が孤独であること、時の移ろいを感じさせる。ツバメは、番で巣作り、子作り、子育て、子供の旅立ち、秋には南に帰る別れ、時間経過を連想させるものである。

6. 金鋪一扇 扇は竹で編んだ門扉のことで鋪は門環で、金細工の輪を含ませた金具で、敲き金であろう。一扇は、片側の門扉が半開きになっていることをいうのであろう。街中の家ではこの状態で女性が住んでいることは考えられないから、後宮のように全体が護られている中での内扉ということ。

7. 滿地落花千片 花弁が庭に散りつくす、妃嬪は若い盛りのその一時だけの寵愛のためにいる存在で、子供ができない場合がほとんどである。

8. 欲断 切れそうだ。欲は今にも〜しそうだ、の意。

9. 忍教頻夢見 むごくも、しきりに逢瀬の夢を見させる。

教(交)は使役を表す。使役の主体は妃嬪を独りにしておくこと。寵愛を失っても、寵愛を受ける事しか許されない身分。せめて夢で会いたいと願うのが一般であるが、ここでは、それを逆手に取って、寵愛を夢見ることが妃嬪を一層悲しませることを言ったもの。

10. 相思 〔久遠の辞、行人久寿戍、書を寄せて思うところをおくる。夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるという女の気持ちを詠う。〕

「著以長相思,緣以結不解。」

夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるのだ。

・著 中に綿を詰める。

・長相思 綿の縁語。綿綿と長く続く意をとる。

・縁 へりを飾る、ふちとる。

・結不解 糸をかがってほどけぬようにすること。「結同心」のこと

漢の無名氏《古詩十九首之十八首》

客從遠方來,遺我一端綺。

相去萬餘里,故人心尚爾。

文彩雙鴛鴦,裁為合歡被。

著以長相思,緣以結不解。

以膠投漆中,誰能別離此?

客遠方より乗り、我に一端の綺を遣る。

相去ること萬餘里なるも、故人の心 尚ほ爾り。

文彩は雙鴛鴦、裁ちて合歓の被と為す。

著するに長相思を以てし、縁とるに結不解を以てす。

膠を以て漆中に投ぜば、誰か能く此を別離せん。

「相思不惜夢,日夜向陽臺。」(相思、夢を惜ます、日夜、陽臺に向ふ。)

相思:大事な人を思いしのぶ。相は、相互にの意味は、この場合は弱い。相思相愛の相思とは違う。現代語に単相思(片思い)がある。但し、想君思我錦衾寒のとり方によっては、「相互に」の意味になる。ここは、ある時期、ある期間、相互相思であったこと、寵愛を受けていた期間があったことをいう。この詩は李白《長相思》詩に基づいて作られた詩のように感じられる。

長相思

長相思,在長安,絡緯秋啼金井闌。

微霜淒淒簟色寒,孤燈不明思欲

卷帷望月空長歎,美人如花隔雲端。

上有青冥之長天,下有水之波瀾。

天長路遠魂飛苦,夢魂不到關山難。

長相思,摧心肝。

(長相思)

長相思,長安に在り,絡緯 秋啼く 金井闌。

微霜 淒淒 簟色寒し,孤燈 明らかならず 思いえんと欲す。

帷を卷き 月を望んで空しく長歎し,美人 花の如く雲端を隔つ。

上には青冥の長天有り,下には淥水の波瀾有り。

天長く 路遠くして 魂 飛ぶこと苦なり,夢魂 到らず 關山難し。

長相思,心肝を摧く。

(寵愛を失っても、あの方のことを思い続けるしかないと詠う。)

あの人のことを長く思い続けている妃嬪は、長安に在る。秋も深く金の飾りを鏤めた井戸端のあたりでは蟋蟀がしきりに機織りの様な声を立てて啼いている。

夜間、薄霜が降りて冷え冷えとし、“もしか”と思い寝牀に敷いていた簟の色さえ寒々としている。この時に当たり、半分消えかかったような孤燈をとってかかげて、絶えぬ愁いの意を抱き続けている。

そして、とばりを巻き上げて、月を見上げて、空しく長嘆の声を発してみる。なぜなら、寵愛を失った妃嬪であっても牡丹の花のように美しさをたもっているけれど、月とおなじように、遠く雲端を隔てて天涯におかれているからである。

上には、蒼蒼とした仙郷のごとく天は何処までも続き、下には、澄み切った水の上に波瀾を生じて広げる。

このように天は長く、道は遠いために、魂が飛んでゆくことは苦しく、夢中の魂すら飛んでゆくことは難しい。

そこで、ずっと長く思い続けるしかなく、それが心も体も砕くことになっても思い続けるのだ。

136 《長相思》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <136> Ⅰ李白詩1321 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5153

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