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【字解集】a.浣溪紗八首・b.喜遷鶯三首

 

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155)回目薛昭蘊 十九首a.浣溪紗八首・b.喜遷鶯三首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8498

 

【字解集】a.浣溪紗八首

1

浣溪沙八首

1. (春の清明節のころ、秋の長雨のように降り止まないので、行楽が中止になった。その時の様子を詠ったものである。)其一(渡し場付近の娼屋の女性のかなしみを詠う)

2. 【解説】舟を出して、舟遊びをする、砂浜にあがって蓆をひいて宴席をする予定であったが、秋の長雨のように降り続く、やっと小雨になったので、参加者が集まったが、やはり、雨は止まず、砂浜も、草の上もぬれで宴会はできそうにないので中止になった。しかめっ面をして帰って行ったというもの。この詩では、妃嬪・宮人・妓優のとくていはできない。「秋正雨」とあるが、じきは秋ではない。「小春日」と同様の使い方をする。

3. 浣溪沙 春まだ寒い時期、染め付けた布地を水にさらした後、河原に干す。春になると谷間の美しい光景となる。「浣溪沙」は、春の河原に、色とりどりの万幕を張って行楽を楽しむ様子が布地を晒し、乾かす光景と似ているために、春の行楽の恋模様を詠うものである。多くの階層の歌があるが、妃嬪・宮人・妓優のものがほとんどである。

4. 【構成】『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、7⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

紅蓼渡頭秋正雨、印沙鷗跡自成整鬟飄袖野風

不語含嚬深浦裏幾迴愁煞棹舡、鷰歸帆盡水茫茫。

 

 5. 薛昭蘊:五代、後蜀の官司至侍郎。(生卒年未詳)、字、出身地ともに未詳。詞風は温庭第に近い。『花間集』には十九首の詞が収められている。『花間集』には、薛侍郎昭蘊と記されている。

醇紹撃(生没年未詳)花間集に載せられている詞人。花聞集では薛侍即とあり、侍郎の官についた人であることがわかるだけで、詳しい伝記はわからない。唐書の薛廷老伝によると、廷老の子に保遜があり、保遜の子に紹緯がある。乾寧中に礼部侍郎となった。性質は軽率であり、車に坐して夔州刺史に貶せられたという。ところでその経歴をさらにくわしく見ると、紹緯ほ乾寧3年(896)九月に中書舎人から礼部侍郎にたり、ついで戸部侍郎となり、光化2年(899)六月戸部侍郎から兵郡侍郎に選っている(唐僕尚丞郎表に依る)。これによって唐末に侍郎の官にあった人であることは明らかである。紹緯のことはまた北夢瑣言にも見えている。紹緯は才を侍み物に倣り、亦父(保遜)の風があった、朝省に入る毎に、笏を弄んで歩行し、旁若無人であった。好んで浣渓沙詞を唱したという。

6. ・紅蓼 紅蓼はやなぎたでの変種で本葉が出る前の幼芽を収穫したもの。蓼は葉や茎に特有の香りと辛味を持っている。ここは渡し場付近の娼屋の女性を云う。

7. ・秋正雨 「正秋雨」なんぞ春雨なるか。まさに秋雨のようである。春雨が秋の長雨のように降る雨をいう。

8. ・渡頭 渡し場のあたり。また、渡し場。

9. ・飄袖 袖が風に揺れる。風の中で野原の宴で舞いを舞うこと。

10. ・嚬 苦々しげに口をゆがめる。

11. ・煞  (1) 終わる,とめる煞脚足をとめる.(2) 締める煞腰ベルトを締める.

12. ・棹舡郎 舟歌を詠って行く遊び人の男。
13.
 ・茫茫 広々としてはるかなさま。「―とした大海原」「―たる砂漠」ぼんやりかすんではっきりしないさま。

 

2

浣溪沙八首其二

1.(寵愛を失った妃嬪が寒食、清明節のころには行楽の約束をされて心待ちにしていたが、宮殿の自室に迎えることもなく、行楽に出かけるこうとないまま空しく春を過す。)其の二

春まだ寒い時期、染め付けた布地を水にさらした後、河原に干す。春になると谷間の美しい光景となる。「浣溪沙」は、寒食、清明節、春の河原に、色とりどりの万幕を張って行楽を楽しむ様子が布地を晒し、乾かす光景と似ているために、春の行楽の恋模様を詠うものである。多くの階層の歌があるが、妃嬪・宮人・妓優のものがほとんどである。

2.【構成】『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。韋荘の浣渓抄の解説参照。

 浣溪沙八首其二

鈿匣菱花錦帶,靜臨蘭檻卸頭,約鬟低珥等歸

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依,二年終日損芳

3. ・鈿匣 ・鈿:古代婦女の顔面の上に飾物をつけること。匣:はこ。

4. ・菱花 ヒシの花。《裏面に多くヒシの花を鋳るところから》金属製の鏡。菱花鏡。

5. ・蘭檻 蘭のかおる女の閨。

6. ・卸頭 女性の頭に飾っているものを取り去ること。通常は逢瀬で床に入る際に飾り物をとるという意味だが、この詩は帰って来る相手のために飾ったものを、約束を破られたので飾を執ることをいう。卸下頭上的裝飾。唐·韓偓·閨情詩:「輕風滴礫動簾鉤,宿酒猶酣懶卸頭。」

7. ・鬟 鬟:わげ。頭頂で左右に分け,それぞれ耳のわきで輪をつくって束ねた結い方。びずら。びんずら。髻【もとどり】:《「本取り」の意》髪を頭の上に集めて束ねた所。また、その髪。たぶさ。

8. ・珥 1.耳の飾り珠。丸玉。2. 剣の白玉飾りのある柄頭。《楚辭·九歌、東皇太一》撫長兮玉珥,璆鏘鳴兮琳琅。《註》珥,音餌。 又同咡。3.日傘。日傍の雲気。日旁氣也。《前漢·天文志》抱珥𧈫蜺。蜺とは、耳飾りという意味の漢字である。

9. ・等 等しい。整える。階級。階段。順位をあらわす。はかる。待つ。篇海に「等,侯待也。」とある。ここでは帰る約束の寒食清明節のころに毎日同じように待っているというほどの意。

10. ・歸期 帰って來るという約束の日のこと。

11. ・茂茂 1茂る,繁茂する.≡懋.⇒繁茂.用例根深叶茂=根は深く葉が茂っている.2豊富ですばらしい.

12湘渚【しょうちょ】秋江 靜まり,蕉花 露に泣き 紅に愁う。  湘江は、広西チワン族自治区北部臨桂県の海陽山に発する。海洋圩から流れる海洋河を源流とし、北東方向へ広西チワン族自治区を流れる。湖南省永州市東安県の瀑埠頭で湖南省に入る。永州市では紫水、石期河、瀟水、応水、白水などの支流が、衡陽市では蒸水と耒水が、衡山県では水が、株洲県淥口鎮で淥水が、湘潭市で漣水が流入する。長沙市の中心で瀏陽河と撈刀河が、望城県新康で水が流入し、湘陰県の濠河口で左右に分かれて洞庭湖に注ぐ。湘江には2,157の支流があるとされ、主要な支流のうち、瀟水、耒水、水、淥水、瀏陽河は東岸の支流で、祁水、蒸水、涓水、漣水、水は西岸の支流である。

『臨江仙 一首』

煙收湘渚秋江靜,蕉花露泣愁紅。

五雲雙鶴去無蹤,幾迴魂斷,凝望向長空。

翠竹暗留珠淚怨,閑調寶瑟波中,花鬟月鬢綠雲重。

古祠深殿,香冷雨和風。

臨江仙 一首 張泌【ちょうひつ】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-349-7-#11  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3292

 

3

浣溪沙八首其三

13. (「郡庭花」として後宮に選ばれて迎えられたものの寵愛を受けることもなく、女の盛りを過ぎてしまう、一度だけ、寒食の日の行楽で心ときめかしたこともあったけど、みんな遠い夢の中と詠う)

この詩は郡令・節度使の娘が、選ばれて後宮に迎えられ、妃嬪となり、親孝行となるも、寵愛を受けることもなく、暇を持て余す。故郷の郡官舎の庭遊んだことを思いだす。しかし、どうしようもないことだが、去年の寒食の時、大勢の行楽行列の中の官僚人の男を見初めた。

その初恋の人を忘れる事は無いとおもっていたが、今年の寒食で見つけることはできなかった。妃嬪もしだいに年を重ねる。もう忘れる事しかないのである。

この詩の背景をまとめると郡令・節度使の娘が、選ばれて後宮に迎えられ、妃嬪となり、死の雰囲気から、寵愛を受ける事のない状態であった。①.初めた男を思い慕う娘、②.後宮の奥院囲でただ寵愛を受ける準備をして生活するだけ、③.自分の意志を伝える手段はないし、④.そこまでの地位ではない。唐宋の性倫理は結構自由であったが、妃嬪という立場は最も高速性の高い者で、若しあやまちがあれば、本人、一族に至るまで死罪である。ただ、解放される場合、貴族、地方貴族、高級官僚には者のように与えられることはあった。

寒食の時、後宮から、クルマを連ねて、楽遊原、曲江、韋曲などに行楽に行く。

当時の娘、妃嬪、など、深窓の中に暮らし、外出する自由はなかった。外出が許されるのは、月十五日の元宵節や、寒食清明、あるいは寺社参りなど、特別な日に限られていた。しかも一人での外出など許されなかった。

本詞の女主人公は、何時:「去年」「寒食日」というから、今年の寒食の日との対比、去年見初めたけれど、今年はなかった。

何処で:「延秋門外」、この門の内外、一般人は近づくこともできない。つまりここに登場するのは、天子に関係した人物である。去年は延秋門から出て行列の中にいた人であるが、その行列の中には今年はいなかったのか、妃嬪そのものが、行楽に参加させてもらえなかったのか。

どうした時:「卓金輪」去年車を止めて乗り降りするときに見かけた、今年は見かけなかった、あるいは妃嬪はこの康楽に参加させてもらえなかった。

寒食の日に延秋門外に行楽に出かけた時の車も、その身分に相応しい立派なものであったことが金輪の語から窺える。妃嬪は、大勢の行列の中の人の男を見初めたが、もちろん男に二正業をかけることなどできるはずもない。やがて日も西に傾き、人々はみな帰り去ってしまった。

花先、花散る寒食の時節になると、特に強く男のことが思い起こされ、密かに涙を流さずにはいられなかったのである。

 

薛昭蘊:五代、後蜀の官司至侍郎。(生卒年未詳)、字、出身地ともに未詳。詞風は温庭第に近い。『花間集』には十九首の詞が収められている。『花間集』には、薛侍郎昭蘊と記されている。

醇紹撃(生没年未詳)花間集に載せられている詞人。花聞集では薛侍即とあり、侍郎の官についた人であることがわかるだけで、詳しい伝記はわからない。唐書の薛廷老伝によると、廷老の子に保遜があり、保遜の子に紹緯がある。乾寧中に礼部侍郎となった。性質は軽率であり、車に坐して夔州刺史に貶せられたという。ところでその経歴をさらにくわしく見ると、紹緯ほ乾寧3年(896)九月に中書舎人から礼部侍郎にたり、ついで戸部侍郎となり、光化2年(899)六月戸部侍郎から兵郡侍郎に選っている(唐僕尚丞郎表に依る)。これによって唐末に侍郎の官にあった人であることは明らかである。紹緯のことはまた北夢瑣言にも見えている。紹緯は才を侍み物に倣り、亦父(保遜)の風があった、朝省に入る毎に、笏を弄んで歩行し、旁若無人であった。好んで浣渓沙詞を唱したという。

『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。

 

14.【構成】(改訂版)浣溪紗八首 其一

双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、7⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

紅蓼渡頭秋正雨、印沙鷗跡自成整鬟飄袖野風

不語含嚬深浦裏幾迴愁煞棹舡、鷰歸帆盡水茫茫。

双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

(改訂版)浣溪沙八首其二

鈿匣菱花錦帶,靜臨蘭檻卸頭,約鬟低珥等歸

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依,二年終日損芳

(改訂版)浣溪紗八首 其三

粉上依稀有淚、郡庭花落欲黃昏、遠情深恨與誰論。

記得去年寒食日、延秋門外卓金、日斜人散暗消魂。

15. 粉上 白粉を塗った頬。

16. 依稀 かすかなさま。

17. 郡庭 郡役所の庭。ここでは郡の長官の官舎の庭を指す。郡は中国では県の上の行政単位。

18. 寒食 冬至から数えて百五日目。・寒食:清明節の3日前夜。現在の暦で言うと、四月四日前後か。“掃墓”(先祖のお墓参りをして、お墓の掃除をする日)の日でもある。春の盛りから晩春にさしかかる頃。この日は火を焚くことを禁じ、あらかじめ調理しておいた冷えた料理を食べたので寒食と言った。

の「寒食天」:戦国の時、晋国は内乱が発生し、介之推は苦難を恐れなくてに重耳を追随して、困難の時、自分足の肉を切ってスープを作って重耳に飲まされたことがある。重耳が晋文公をした後、介之推は母と隠遁して山奥に行った。重耳は介之推の行ったことが分からない。重耳は行って、あちこちを探しても出せなかった。仕方がなくて彼は、そこで火を放して人を探しす。三日の火が続き、強火が消した後、介之推と母と互いに抱いていっしょに深山の中で焼き殺された。

介之推と母の焼き殺される時間をちょうど清明前の日であり、こちらの忠義の臣を記念するため、清明の時に人々はすべて介之を焼き殺す火を拒絶し、冷たい食品だけを食べて、だからこの日は「寒食節」を叫ぶ。

19. 延秋門 唐の禁苑の宮門の名。唐  長安 禁苑西門。 ・天寶 十四載冬115日, 安祿山 起兵叛亂。 次年六月長安陥落,玄宗 即由して 延秋門から長安を脱出し, 蜀に避難に赴く。 

     杜甫 《哀王孫》詩:  長安 城頭頭白烏, 夜飛 延秋門 上呼。”(長安城頭頭白の烏、夜 延秋 門上に飛んで呼ぶ。) 

哀王孫 杜甫140  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 140-#1

 程大昌《雍錄》卷五:  玄宗    自苑西門出,   為苑之 延秋門    為都城 直門 也。 既出, 即由便橋渡    咸陽  馬嵬 而西。” 

 宋敏求 《長安志》卷六: 苑中宮亭凡二十四所, 西面二門, 南曰 延秋門  北曰 玄武門 。”

 

20. 卓金輪 立派な車を止める。卓は停める。

 

4

浣溪紗八首 其四

21. (浣溪紗八首 其の四 万物が成長する春に、橋のたもとで別れることもあり、八が花に飛び移る別れもある、そこには香り豊かないい思いでがあるべきで琴の音に寄せるものであるべきで、どんなに思い愛、その気持ちが深くなっても、別れというものはあるものだと詠う。)

22. 【構成】『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。韋荘の浣渓抄の解説参照。

『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。

(改訂版)浣溪紗八首 其一

双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、7⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

紅蓼渡頭秋正雨、印沙鷗跡自成整鬟飄袖野風

不語含嚬深浦裏幾迴愁煞棹舡、鷰歸帆盡水茫茫。

双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

(改訂版)浣溪沙八首其二

鈿匣菱花錦帶,靜臨蘭檻卸頭,約鬟低珥等歸

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依,二年終日損芳

(改訂版)浣溪紗八首 其三

粉上依稀有淚、郡庭花落欲黃昏、遠情深恨與誰論。

記得去年寒食日、延秋門外卓金、日斜人散暗消魂。

(改訂版)《巻三33浣溪紗八首 其四》

握手河橋柳似、蜂鬚輕惹百花心、蕙風蘭思寄清琴。

意滿便同春水滿、情深還似酒盃、楚煙湘月兩沉沉。

23. 握手河橋 別れることを意味した句。漢·李陵《與蘇武三首其三》詩「攜手上河梁,遊子暮何之?徘徊蹊路側,悢悢不得辭。行人難久留,各言長相思。安知非日月,弦望自有時。努力崇明德,皓首以為期。」(手を携えて河梁に上る、遊子暮に何くにか之く。蹊路の側 に徘徊して、悢悢【りょりょう】として辞する能わず。行人久しく留まり難し、各々言う長く相い思うと。安んぞ日月に非るを知らんや、弦望自ら時有る。努力して明徳を崇くせよ、皓首以て期と爲さん。)にもとづいており、橋。送別を示す。

李陵 《與蘇武詩三首 其三》 古詩源 文選  詩<106>Ⅱ李白に影響を与えた詩853 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2813

24. 蜂鬚 ちじれた髭が蜂がむらがったような顔の男。いわゆる猛者のようなおとこ。はちのくちひげ。・鬚 (あごひげ)、髭(ひげ)とは、人間の顔から顎の下にかけて生える毛のこと。鬚はどうぶつのひげ。ふさ。、あごひげをいう。くちひげ(髭)、ほおひげ(髯)で漢字を使い分ける。

26. ・春水滿 四方の沢が春水で満ちること。春の雪解け水はきれいな水が増水していることで、川の中ほどが盛り上がって流れる様子を云う。水の流れを人の心の思いに喩える。そしてそれは、男女が布団の中での情事の様子を連想させるのである。

『春水』 

三月桃花浪,江流複舊痕。

朝來沒沙尾,碧色動柴門。

接縷垂芳餌,連筒灌小園。

已添無數鳥,爭浴故相喧。

(春 水)

三月 桃花の浪、江流 復た旧痕まであり。

朝来 沙尾【さび】没し、碧色【へきしょく】柴門に動く。

縷【る】を接して芳餌【ほうじ】を垂れ、筒を連ねて小園【しょうえん】に潅ぐ。

己に添う 無数の鳥、争い浴して故に相い喧【かますび】し。

春水 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 18)  杜甫 <423  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2060 杜甫詩1000-423-606/1500

 

春水生 二絶其一 

二月六夜春水生,門前小灘渾欲平。

鸕鸂鸂鶒莫漫喜。吾與汝曹俱眼明。

其の一 

二月の六夜 春水生じ,門前の小灘【しょうたん】渾て平ならんと欲す。

鸕鸂【ろじ】鸂鶒【けいせき】漫【みだり】に喜ぶこと莫れ。吾と汝と曹【むれ】となしは俱に眼明せん。

4- 9.春水生 二絶其一 杜甫 

『春水生 其二』 

一夜水高二尺強,數日不可更禁當。

南市津頭有船賣,無錢即買系籬旁。

其二 

一夜にして水高くは二尺強,數日にして更に禁當する可からず。

南市 津の頭り 船賣有り,無錢 即ち系籬の旁に買う。

4-10.春水生 二絶其二 杜甫

 

遣意二首 其一

囀枝黃鳥近,泛渚白鷗輕。

一徑野花落,孤村春水生。

衰年催釀黍,細雨更移橙。

漸喜交遊,幽居不用名。

其の一

枝に囀【さえず】りて 黄鳥【こうちょう】近く、渚に泛かびて 白鴎【はくおう】軽し。

一徑【いっけい】野花【やか】落ち、孤村【こそん】春水【しゅんすい】生ず。

衰年【すいねん】黍【しょ】を醸【かも】すを催【うなが】す、 細雨【さいう】更に橙【とう】を移す。

漸【ようや】く喜ぶ 交遊【こうゆう】の絶ゆるを、 幽居 名を用いず。

春水生 二絶其一 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 9)  杜甫 <414  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2015 杜甫詩1000-414-597/1500

27. ・情深:盃深 ここは男性の心持を表現するもので、思いが深ければ、盃に酒をいっぱいに注ぐこと。この句も男が女に状を示し、連想させる。

楚煙 「朝雲暮雨」の「楚の朝雲」をいう。《楚()の懐王が夢の中で契りを交わした神女が、朝には雲に、夕暮れには雨になると言ったという、宋玉「高唐賦」などにみえる故事から》男女の堅い契り。

28. ・湘月 湘夫人の月琴演奏九歌。《楚辞》九歌篇に歌われる2人の女神。湖南省にある湘水の神とされ,また洞庭湖の水神でもあって,湖中の君山にその祠廟がある。《山海経(せんがいきよう)》に洞庭の山に住む天帝の2人の娘のことが見え,漢の《列女伝》では,この2人は尭帝の娘で舜の妃である娥皇と女英であって,舜が蒼梧で死ぬと2人は湘水に身を投げてその神になったのだとされている。

 

5

浣溪紗八首 其五

29. (浣溪紗八首 其の五:元宵節の時に知り合って、親の目を盗んで、月一回のお参りに、寒食・清明節と逢瀬を重ねた。才色兼備の令嬢崔鶯鶯はと書生の張君瑞とたまたま元宵節で出会って愛しあい、封建道徳の束縛と母親の反対を押しのけて西廂(西の棟)でこっそりと会っては情交を結んだ、それは悲恋に終わったと詠う)

30. 【解説】唐の元稹(げんしん)の伝奇小説《鶯鶯伝》を題材とし,書生の張珙と崔鶯鶯の恋愛を描くが,《鶯鶯伝》では破局におわる2人の愛情が,めでたく成就するよう話の筋が改められている。のちの元代の演劇である〈雑劇〉の代表作,王実甫の《西廂記》に大きな影響をあたえた。

・春まだ寒い時期、染め付けた布地を水にさらした後、河原に干す。春になると谷間の美しい光景となる。「浣溪沙」は、寒食、清明節、春の河原に、色とりどりの万幕を張って行楽を楽しむ様子が布地を晒し、乾かす光景と似ているために、春の行楽の恋模様を詠うものである。多くの階層の歌があるが、妃嬪・宮人・妓優のものがほとんどである。

31.【構成】・『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。韋荘の浣渓抄の解説参照。

『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。

(改訂版)浣溪紗八首 其一

双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、7⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

紅蓼渡頭秋正雨、印沙鷗跡自成整鬟飄袖野風

不語含嚬深浦裏幾迴愁煞棹舡、鷰歸帆盡水茫茫。

双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

(改訂版)浣溪沙八首其二

鈿匣菱花錦帶,靜臨蘭檻卸頭,約鬟低珥等歸

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依,二年終日損芳

(改訂版)浣溪紗八首 其三

粉上依稀有淚、郡庭花落欲黃昏、遠情深恨與誰論。

記得去年寒食日、延秋門外卓金、日斜人散暗消魂。

(改訂版)《巻三33浣溪紗八首 其四》

握手河橋柳似、蜂鬚輕惹百花心、蕙風蘭思寄清琴。

意滿便同春水滿、情深還似酒盃、楚煙湘月兩沉沉。

 

改訂版)浣溪紗八首 其五

簾下三間出寺、滿街垂楊綠陰長、嫩紅輕翠間濃

瞥地見時猶可可、卻來閑處暗思、如今情事隔仙

○。

32. ・三間 ①柱の三区間。②昼間の午前、正午、午後。③季節の三季。春、夏、秋。

33. ・嫩 1 発芽して最初に出る葉。双子葉植物で2枚出る。《季 春》2 人間の幼少のころ。また、物事の初め。「栴檀(せんだん)は―より芳(かんば)し」3 名香の一。伽羅(きゃら)で香味は苦甘。羅国。ふたばあおい双葉葵。

34. ・出寺牆 当時の娘、妃嬪、など、深窓の中に暮らし、外出する自由はなかった。外出が許されるのは、正月十五日の元宵節や、寒食清明、あるいは寺社参りなど、特別な日に限られていた。しかも一人での外出など許されなかった。

 封建的な時代には、若い女性は自由に外出できなかったので、未婚の若い男女が出会う機会はあまりない。ただ、元宵節の日は、花提灯を観賞するという口実で遊びに出かけ、相手を探すことができた。若い男女にとって元宵節の期間は、恋人に出会うための「恋人節」であった。

35. ・瞥地 うつむいてちらりと垣間見ること。よって、正視するに到らずちらりと見る程度の境涯ということ。瞥地見時は「瞥見地時」とよむ。

36. ・猶可可 その後もかわいそうであり、あわれでもあることが続いている。

37. ・暗思量 思いを巡らすけれど悪い様に考えてしまうというほどの意。 思量:①意志と局量。②思いを巡らす。種々に考える。元稹《和樂天夢亡友劉太白同遊二首》元稹 君詩昨日到通州,萬里知君一夢劉。 閑坐思量小來事,只應元是夢中游。 老來東郡複西州,行處生塵為喪劉。③思慮の量度。

38. ・如今 当世,現今,今ごろ,現在.◇''は時間的にごく短くてもかなり長くてもよいが,'如今'は過去のある時期と比べた現在のかなり幅のある時間を言う

 39. 参考

和樂天夢亡友劉太白同遊二首 其一(唐·元稹)

  七言句 押尤韻  顯示自動注

 

題注:元和十三年作於通州,時為通州司馬。白居易原唱為《夢亡友劉太白同游章敬寺》,次韻唱和。白詩云:“十五年前哭老劉”,劉卒於貞元二十年,故當元和十三年作。劉太白:指劉敦質,參本卷《和樂天劉家花》注。

君詩昨日到通州,萬里知君一夢劉。閑坐思量小來事,秪應元是夢中遊。

 

○秪應元 秖:同“祇”,僅。元:本來,原來,後作原。清顧炎武《日知錄》卷三二:“元者,本也。本官曰元官,本籍曰元籍,本來曰元來。唐宋人多此語,後人以‘原’字代之。”

唐の元稹(げんしん)《会真記(鶯鶯伝)》にもとづく金代の語り物《董西廂》を歌劇に改編したもので,山西省隅の名刹を舞台に展開される,旅の書生と亡き宰相の令嬢の波乱にみちた恋愛をつづる。作者は語り物が設定した封建礼教に対する自由結婚の抗争というテーマに添いつつ,登場人物たちの性格を的確に強調し,礼教の権化たる宰相未亡人と人間性を代弁する小間使いを両極に配しつつ,その間に恋の当事者を介在させ,彼ら相異なる四つの性格の対比が生む多様な波乱を,雅俗語を巧みに使い分ける洗練された筆致で描く。

 

6

改訂版)浣溪紗八首其六

40.(浣溪紗八首 其の六:仲秋の秋に夫を江南に送り出す宴の様子とその心情を詠うもの。)

41. 【解説】錦江のほとり、望江路の側に、万幕を張ってそう越の園が開かれ、前半はその艶の様子、集まる人を述べて、後半、夫婦仲の良い「定婚店」の綺麗な妻が旅に出る夫の心配事をいうが、自分は清廉潔白であるし、その空と長江の流れが一体化しているように心は一つだから心配するなという。

・春まだ寒い時期、染め付けた布地を水にさらした後、河原に干す。春になると谷間の美しい光景となる。「浣溪沙」は、寒食、清明節、春の河原に、色とりどりの万幕を張って行楽を楽しむ様子が布地を晒し、乾かす光景と似ているために、春の行楽の恋模様を詠うものである。多くの階層の歌があるが、妃嬪・宮人・妓優のものがほとんどである。

42. 薛昭蘊:五代、後蜀*の官司至侍郎。(生卒年未詳)、字、出身地ともに未詳。詞風は温庭第に近い。『花間集』には十九首の詞が収められている。『花間集』には、薛侍郎昭蘊と記されている。
*後蜀(935-965)は中国五代十国時代に成都を中心に四川省を支配した国。四川の豊かな財物を背景に文化の華を開かせた。)

醇紹撃(生没年未詳900年代前半)花間集に載せられている詞人。花聞集では薛侍即とあり、侍郎の官についた人であることがわかるだけで、詳しい伝記はわからない。唐書の薛廷老伝によると、廷老の子に保遜があり、保遜の子に紹緯がある。乾寧中に礼部侍郎となった。性質は軽率であり、車に坐して夔州刺史に貶せられたという。ところでその経歴をさらにくわしく見ると、紹緯ほ乾寧3年(896)九月に中書舎人から礼部侍郎にたり、ついで戸部侍郎となり、光化2年(899)六月戸部侍郎から兵郡侍郎に選っている(唐僕尚丞郎表に依る)。これによって唐末に侍郎の官にあった人であることは明らかである。紹緯のことはまた北夢瑣言にも見えている。紹緯は才を侍み物に倣り、亦父(保遜)の風があった、朝省に入る毎に、笏を弄んで歩行し、旁若無人であった。好んで浣渓沙詞を唱したという。

 

今、花間集に侍郎とあり、また、その中に収められた十八首の詞の中、八首の浣渓沙があることから推量して薛昭蘊は紹緯と同じ人物であろうといぅ説が考えられるといわれている。晩年に磎州(渓州に同じであろう、広西に属する)に配せられているが、全唐詩の薛紹緯の条には天復中(唐末の年号、901903)に渓州司馬に貶せられたといぅひおそらくこの頃に貶せられたであろう。なお、北夢瑣言では薛澄州と呼んでいる。澄州もまた広西に属する。また、全唐詩に河東の人とあるのは、おそらく薛氏の出身地を言うのであろう。

 

歴代詩余の詞人姓氏では前蜀に編入して蜀に仕えて侍郎となったごとく記している。この説に従ってかれが韋荘と同じく蜀に仕えて侍郎となったとしている伝記も見受けられるが、紹澄が紹緯と同一人であるとすると上記の経歴と矛盾を生ずる。王国維は紹緯と薛昭蘊とを兄弟と見て、一門に浣溪沙詞を好んだものがあったと解しているが、この説よりも上にのべた同一人と見る説の方がよいようだ。花間集において温庭筠、皇甫松、韋荘についで薛昭蘊を並べているのも、唐王朝に仕えた人物を先に置いたためであろう。両者を同一人としておいた。

43. 【構成】・『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。韋荘の浣渓抄の解説参照。

『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。

(改訂版)浣溪紗八首 其一

双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、7⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

紅蓼渡頭秋正雨、印沙鷗跡自成整鬟飄袖野風

不語含嚬深浦裏幾迴愁煞棹舡、鷰歸帆盡水茫茫。

双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

(改訂版)浣溪沙八首其二

鈿匣菱花錦帶,靜臨蘭檻卸頭,約鬟低珥等歸

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依,二年終日損芳

(改訂版)浣溪紗八首 其三

粉上依稀有淚、郡庭花落欲黃昏、遠情深恨與誰論。

記得去年寒食日、延秋門外卓金、日斜人散暗消魂。

(改訂版)《巻三33浣溪紗八首 其四》

握手河橋柳似、蜂鬚輕惹百花心、蕙風蘭思寄清琴。

意滿便同春水滿、情深還似酒盃、楚煙湘月兩沉沉。

 

改訂版)浣溪紗八首 其五

簾下三間出寺、滿街垂楊綠陰長、嫩紅輕翠間濃

瞥地見時猶可可、卻來閑處暗思、如今情事隔仙

○。

(改訂版)浣溪紗八首 其六

江館清秋纜客,故人相送夜開,麝煙蘭焰簇花。【舡:セン】

正是斷魂迷楚雨,不堪離恨咽湘,月高霜白水連

○●○○●●○、●○△●●○○、●○○●●○△。

△●●○○●●、△○△●△○△、●○○●●○○。

『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。韋荘の浣渓抄の解説参照。

  韋荘(韋相莊)        浣溪紗五首

  薛侍郎昭蘊   浣溪紗八首

  牛學士希濟   浣溪紗四首

  (顧太尉     浣溪紗八首

  孫少監光憲   浣溪紗九首

  閻處士選      浣溪紗一首

  毛秘書熙震   浣溪紗七首

  李秀才珣      浣溪紗四首

44. ・江館 錦江のほとりの官妓の館、薛濤がいた望江樓。

45. ・清秋 空が澄み、空気の清らかな秋。陰暦八月。《季 秋》

46. ・纜 ともづなを結んで一夜を共にする。ここでは思う男が他の女たちをはべらせて送別の宴を開いている。秋と艫綱は別離を意味する。

魚玄機『遣懷』(懐を遣る)

閑散身無事,風光獨自遊。閑散 身に事無く、風光濁り自ら遊ぶ。

斷雲江上月,解纜海中舟。雲を断つ 江上の月、纜を解く 海中の舟。

琴弄蕭梁寺,詩吟庾亮樓。琴は蕭梁の寺に弄し、詩は庚亮の樓に吟ず。

叢篁堪作伴,片石好為儔。叢篁 伴を作すに堪え、片石 儔を為すに好し。

47. ・*解纜 ともづなをといて舟を出発する。

遣懷 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-103-38-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2062

48. ・客舡 舡:呉の船。栙舡;帆のある呉の船。

49. ・簇 むらがる。あつまる。笹竹。小さい竹。

50. ・開筵 寒食、清明節、春の河原に、色とりどりの万幕を張って行楽を楽しむ様子に似ている。

51. ・麝煙 麝香の煙。麝煙/麝烟焚麝香發出的煙。

顧夐《楊柳枝》

秋夜香閨思寂寥,漏迢迢。

鴛幃羅幌麝煙銷,燭光搖。

正憶玉郎遊蕩去,無尋處。

更聞簾外雨蕭蕭,滴芭蕉。

(楊柳の枝)

秋の夜 閨に香る 思い寂寥たり,漏 迢迢たり。

鴛幃 羅幌 麝煙 銷ゆ,燭光 搖ぐ。

正に憶う 玉郎 遊蕩として去り,尋ぬる處無し。

更 聞く 簾外 雨蕭蕭たり,芭蕉に滴す。

13-319《楊柳枝一首》顧太尉(顧夐【こけい】)五十五首Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-502-13-(319) 花間集 巻第七漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4057

52. ・蘭焰 焔・焰〔火群(ほむら)の意〕  ほのお。  心中に燃え立つ激情をたとえていう語。 「嫉妬の-」蘭の花が焔のように赤い花びらであるものをいう。

53. ・簇花鈿 韋固の妻王氏が花鈿を付けて外さなかった故事にもとづく。夫婦仲の良い「定婚店」の綺麗な妻がたくさん集まる。この妻たちの心配事が次の三句である。

唐韋固は相州の王泰という州長官の下で職を得て、 もっぱら罪人の尋問に当たっていた。王泰は韋固が有能なのを気に入り、 娘を嫁がせることにした。

韋固の新婦王氏は十七歳で、容貌も美しく、韋固は大満足であった。 しかし、妻はいつも眉間の間に小さな造花を貼り付け(花鈿) どんなときにもはずそうとしなかった。 年越の頃、彼はそのことを妻に問い詰めると、妻は泣きながら答えた。

「乳母の陳氏と共に住んで、 毎日野菜を売って暮らしておりました。 陳氏は私が幼いのを哀れに思い、いつも傍に置いていました。 三歳の時、陳氏が私を抱いて市場を歩いていると、 突然無法者に刀で眉間を刺され、傷が残りました。 ですから、造花を貼って隠しているのです。 七、八年ほどして、叔父が盧竜に赴任したのを機に、叔父に引き取られ、 彼の娘としてあなたに嫁いだ」

韋固はそう言うと、妻にことのいきさつをすべて話した。 このときより、夫婦はますます互いを敬い愛するようになった。

 後に宋城の県令がこの話を耳にし、その宿場町を「定婚店」と名づけた。

 

54. ・断魂迷楚雨 楚の宋玉「高唐の賦」にある巫山神女の故事によるもので、懷王と交わった後、神女が「暮には行雨とならん」「朝雲暮雨」とどんな時でも一緒にいるといった意味を持つ雨である。楚の懐王が巫山の神女と夢のなかで交わった故事をいう。ここは男が他の女のもとに向かって(断絶)いるため、雨もどこで降ったらよいのか迷ってしまうというもの。

55. ・湘絃 月夜に舜を惜しんで瑟を爪弾いた。舜の妃となった夷の二人の娘、娥皇と女英を祀った廟。湘水の神とされ,また洞庭湖の水神でもあって,湖中の君山にその祠廟がある。

劉禹錫『瀟湘神』

斑竹枝,斑竹枝,涙痕點點寄相思。

楚客欲聽瑤瑟怨,瀟湘深夜月明時。

『瀟湘神  劉禹錫』  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-54-7-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1832

韋荘『臨江仙一首』

煙收湘渚秋江靜,蕉花露泣愁紅。

五雲雙鶴去無蹤,幾迴魂斷,凝望向長空。

翠竹暗留珠淚怨,閑調寶瑟波中,花鬟月鬢綠雲重。

古祠深殿,香冷雨和風。

臨江仙 一首 張泌【ちょうひつ】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-349-7-#11  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3292

毛文錫『臨江仙』

暮蟬聲盡落斜陽,銀蟾影掛瀟湘。

黃陵廟側水茫茫。楚山紅樹,煙雨隔高唐。

岸泊漁燈風颭碎,白蘋遠散濃香。

靈娥皷琴韻清商,朱絃淒切,雲散碧天長。

臨江仙一首 毛文錫【もうぶんせき】  ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-373-8-#9  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3412

56. ・月高霜白 月が高く寒さが厳しいことをいう。志が高く、清廉潔白であることのたとえ。

57. ・水連天 霜で白く染まった景色は天の水平線の彼方で月が照らす錦江(長江)の水に連なっている。 

「渭上題三首之二」溫庭筠

目極雲霄思浩然,風帆一片水連天。

輕橈便是東歸路,不肯忘機作釣船。

『渭上題三首 之二』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-42-11 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1784

 

7

改訂版)浣溪紗八首其七

58. (浣溪紗八首 其の七:呉越戦争に絡んだ、呉と越の地をそれぞれの地に立って思いうかべて歌ったもの。)

59. 【解説】前段、越の国には雪のような肌の美人が多く呉越戦争では、西施が役割を果たしたが、多くの女性が涙を流したところでもあるといい、後段は、その血には雑草が多い尽くし、かつての面影はなく秋も深まれば、太湖に一杯になっている蓮と菱のみを採る女の歌声が響き渡る。詠懐抒情詩である。

 

・春まだ寒い時期、染め付けた布地を水にさらした後、河原に干す。春になると谷間の美しい光景となる。「浣溪沙」は、寒食、清明節、春の河原に、色とりどりの万幕を張って行楽を楽しむ様子が布地を晒し、乾かす光景と似ているために、春の行楽の恋模様を詠うものである。多くの階層の歌があるが、妃嬪・宮人・妓優のものがほとんどである。

60. 【構成】・『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。韋荘の浣渓抄の解説参照。

『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。

(改訂版)浣溪紗八首 其一

双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、7⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

紅蓼渡頭秋正雨、印沙鷗跡自成整鬟飄袖野風

不語含嚬深浦裏幾迴愁煞棹舡、鷰歸帆盡水茫茫。

双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

(改訂版)浣溪沙八首其二

鈿匣菱花錦帶,靜臨蘭檻卸頭,約鬟低珥等歸

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依,二年終日損芳

(改訂版)浣溪紗八首 其三

粉上依稀有淚、郡庭花落欲黃昏、遠情深恨與誰論。

記得去年寒食日、延秋門外卓金、日斜人散暗消魂。

(改訂版)《巻三33浣溪紗八首 其四》

握手河橋柳似、蜂鬚輕惹百花心、蕙風蘭思寄清琴。

意滿便同春水滿、情深還似酒盃、楚煙湘月兩沉沉。

 

改訂版)浣溪紗八首 其五

簾下三間出寺、滿街垂楊綠陰長、嫩紅輕翠間濃

瞥地見時猶可可、卻來閑處暗思、如今情事隔仙

○。

(改訂版)浣溪紗八首 其六

江館清秋纜客,故人相送夜開,麝煙蘭焰簇花。【舡:セン】

正是斷魂迷楚雨,不堪離恨咽湘,月高霜白水連

○●○○●●○、●○△●●○○、●○○●●○△。

△●●○○●●、△○△●△○△、●○○●●○○。

(改訂版)浣溪紗八首 其七

傾國傾城恨有、幾多紅涙泣姑倚風凝睇雪肌

呉主山河空落日、越王宮殿半平、藕花菱蔓滿重湖。

『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。韋荘の浣渓抄の解説参照。

  韋荘(韋相莊)        浣溪紗五首

  薛侍郎昭蘊   浣溪紗八首

  牛學士希濟   浣溪紗四首

  (顧太尉     浣溪紗八首

  孫少監光憲   浣溪紗九首

  閻處士選      浣溪紗一首

  毛秘書熙震   浣溪紗七首

  李秀才珣      浣溪紗四首

61. ・傾國傾城:男をして国や白を滅ぼして顧みぬまでに心酔させるほど妖艶な美女。《漢書外戚孝武李夫人傳》「北方有佳人,世而獨立,一顧傾人城,再顧傾人國,寧不知傾城與傾國,佳人難再得。」(北方に佳人有り、絶世にして獨立す。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の國を傾く。寧んぞ傾城と傾國とを知らざらんや、佳人は再びは得がたし。)

《史記項羽本紀》「天下辯士所居傾国」

李白 清平調「名花傾国兩相歡長得君王帶笑看解釋春風無限恨沈香亭北倚欄干

白居易 長恨歌 「漢皇重色思傾國,御宇多年求不得。」

62. 傾城傾國 男が心酔して白も、国も顧みないほども絶世の美女。

国を傾け、城を傾けさせるほどの絶世の美女。○傾国 李延年『絶世傾国の歌』「北方有佳人、絶世而獨立。一顧傾人城、再顧傾人國。寧不知傾城與傾國、佳人難再得。」(北方に佳人有り、絶世にして獨立す。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の國を傾く。寧んぞ傾城と傾國とを知らざらんや、佳人は再びは得がたし。)越王・勾踐から献上され、呉王夫差の愛妃となった西施の美貌をいう。ここでは、西施自身のこと。或いは、広く美貌の意。連城の璧とは?〔史記(藺相如伝)〕中国の戦国時代、秦の昭王が一五の城と交換しようといった、趙(ちよう)の恵文王所有の有名な宝玉のこと。転じて、無上の宝の意。

63. ・傾國 国を傾けさせるほどの絶世の美女。

『漢書・列傳・卷九十七上・外戚傳上』「孝武李夫人,本以倡進。初,夫人兄延年性知音,善歌舞,武帝愛之。毎爲新聲變曲,聞者莫不感動。延年侍上起舞,歌曰:『北方有佳人,絶世而獨立,一顧傾人城,再顧傾人國。寧不知傾城與傾國,佳人難再得。』上嘆息曰:『善。世豈有此人乎。』平陽主因言延年有女弟,上乃召見之,實妙麗善舞。由是得幸。」に因る。

64. ・漢武帝 漢の武帝。(前156年~前87年)前漢第七代皇帝。劉徹のこと。漢帝国の基礎を確立させ、匈奴勢力を漠北から駆逐した。 

韓愈『縣齋有懐』

「・・・誰爲傾国媒、自許連城價。・・・」

中唐詩-268 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #2

初唐詩人 劉希夷(劉廷芝)『公子行』
天津橋下陽春水,天津橋上繁華子。
馬聲廻合青雲外,人影搖動綠波裏。
綠波蕩漾玉爲砂,青雲離披錦作霞。
可憐楊柳傷心樹,可憐桃李斷腸花。
此日遨遊邀美女,此時歌舞入娼家。
娼家美女鬱金香,飛去飛來公子傍。
的的珠簾白日映,娥娥玉顏紅粉妝。
花際裴回雙蛺蝶,池邊顧歩兩鴛鴦。
傾國傾城漢武帝,爲雲爲雨楚襄王
古來容光人所羨,況復今日遙相見。
願作輕羅著細腰,願爲明鏡分嬌面。
與君相向轉相親,與君雙棲共一身。
願作貞松千歳古,誰論芳槿一朝新。
百年同謝西山日,千秋萬古北邙塵。

公子行  劉希夷(劉廷芝) (1) 初唐

代白頭吟 劉希夷(劉廷芝)(2) 初唐

李商隠『北斉二首其一』 

一笑相傾國便亡、何勞荊棘始堪傷。

小憐玉體横陳夜、己報周師人晋陽。

北斉二首其一 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 44

65.・恨:うらみ。情愛。深く複雑な感情。ここでは、西施ら女性の辿った運命ともとれる。 

66.・有餘:余りある。

67.・幾多:いくたの。多くの。 

68.・紅涙:女性の涙。 

69.・泣:声を出さないで涙を流して泣くこと。 

70.・姑蘇:姑蘇台:木涜に館娃宮という黒檀の大御殿をたてた、蘇州にある。200本の立派な黒檀の柱を贈られ、それにふさわしく全体建設費が莫大にかかる、豪奢な五層の大宮殿を完成させ、姑蘇台と命名する。宮殿造営の予算を大幅に増額させたため、呉の国庫は致命的な打撃を受けた。こうしてたった200本の木材が夫差の警戒心を解き、呉の国庫にダメージを与えたのである。呉の首都。呉王・夫差が姑蘇城にいたが、越王・勾践に攻められ、降ろされたところ。

71.・倚:よる。たのむ。すがる。あわせる。 

72.・風:かぜ。 

73.・凝睇:瞳をこらす。注視する。この語の主語は何になるかによって、意味が微妙に動く。「倚風」の意味も分かりにくい。 

74.・雪:雪のように真っ白な。女性の美しい肌の形容。 

75.・肌膚:はだ。

76.・呉主山河:呉王夫差の領地である呉の国は。・呉主:呉王・夫差のこと。

77.・空:むなしく。 

78.・落日:夕日。ここでは、国の滅亡をいう。呉の国が、越の勾踐に滅ぼされたことを指す。

・越王宮殿:越王の勾践は呉を滅ぼした後、やがては、自分も滅んでいき、その宮殿は半分草に埋もれているということ。 ・越王:越王・勾践のこと。 

79.・半:なかばは。 

80.・平蕪:雑草の生い茂った平野。

81.・藕花:ハスに花が咲く。 

82.・菱蔓:ヒシが繁る。 

83.・滿:いっぱいになる。 

84.・重湖:太湖のこと。古代の太湖は東シナ海の一部であったが、長江と銭塘江が運ぶ土砂で沖積平野が形成された結果、海から切り離された潟湖(ラグーン)となり、やがて雨量の多さや流入する無数の河川の淡水によって次第に淡水湖となっていった。

かつて太湖は震澤、具区、笠澤、五湖などと呼ばれるほどであったので、重湖といった。周辺は「魚米の郷」と呼ばれる中国有数の豊かさを誇る穀倉地帯・淡水漁業地帯であり、多くの古代国家や豊かな食文化を支えてきた
85.
姑蘇台。木涜に館娃宮という大御殿。

あるとき、夫差は宮殿を造営しようとしたが、越はそれを聞きつけ、恐ろしい策略を用いる。越の亀山(きざん)は良木を産することで知られていた。そこで、その中で最も高価な黒檀200本を切り出し、呉に送ったのである。黒檀(こくたん)は、硬くて、耐久性があり、重量感がある(水に入れると沈む)。高級家具や仏壇、高級リコーダーにも使われる高級木材である。

 呉は良材に乏しかったので、この貢ぎ物は、夫差を大いに喜ばせた。宮殿は、黒檀200本にふさわしいものでなければならない。夫差はそう考え、宮殿造営の予算を大幅に増額させたが、その分、呉の国庫は目減りした。こうして、豪奢な五層の大宮殿が完成し、姑蘇台(こそだい)と命名された。たった200本の木材が夫差の警戒心を解き、呉の国庫を減らしたのである。

86.越王勾践が宮殿を焼いた話

 越王の勾践(こうせん)が、臣下の文種に尋ねた。

 「私は、そろそろ呉に復讐したいと考えているが、用意の方はどうであろう。」

 「よろしいと存じます。私は以前より、兵に対して賞を渡たすときは手厚く間違いなく行い、罰を与えるときは厳しく見逃さないようにしてきました。ですから、皆、一騎当千の兵に育っているはずです。陛下がそのことを確かめたいと思われるのなら、ためしにこの宮殿に火をかけてみられたらいかがでしょうか。」

 そこで勾践は、宮殿に火をつけてみたが、誰も消火に現れなかった。そこで、次のような命令を出した。

 「位階の上下を問わず、消火のために死んだ者には、戦場で死んだ者と同じ恩賞を与える。消火に参加しなかった者は、脱走と同じ罰を与える。」

 これを聞いた者たちは、全身に火傷防止の泥を塗り、濡れた衣をまとって火に飛び込んだ。その数は、左側から3,000人、右側からも3,000人いた。

 これで、勾践は、越軍が必勝の態勢であることがわかった。

 賞の基準を厳格かつ的確に行っていれば、どんな者で使うことができるのである。それが、例え命を落とすことになるようなことでも、人は従うのである。

 

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浣溪沙八首其八

87.(浣溪の沙 八首其の八 :西施のように美しい娘は、生娘でその魅力を認められたが、歳をとってしまえば、若い時の魅力はなくなるものだと詠う)

88. 【解説】詞の前半、西施は薪売りの娘として育ったが、川で砂金採りのより分けをしている時に美しい姿と良い香りによって見いだされけれど、後段、歳を重ねて仕舞えば、誰でも若い時の美しはなくなる、《元人百種曲》の碧桃にしたって碧桃花が咲いているうちに妹の玉蘭が、十七であったから乗り移ってもうまくいったが、その玉蘭が、歳をとってしまっていたら、乗り移っても結婚などできなかっただろう、いうものである。

・浣溪沙は春まだ寒い時期、染め付けた布地を水にさらした後、河原に干す。春になると谷間の美しい光景となる。「浣溪沙」は、寒食、清明節、春の河原に、色とりどりの万幕を張って行楽を楽しむ様子が布地を晒し、乾かす光景と似ているために、春の行楽の恋模様を詠うものである。多くの階層の歌があるが、妃嬪・宮人・妓優のものがほとんどである。

浣溪沙と浪淘沙

許渾 《歳暮自廣江至新興往復中題峽山寺四首》 「洞丁多斵石、蠻女半淘金。」

白居易 《浪淘沙六首其六》「隨波逐浪到天涯,遷客生還有幾家。卻到帝重富貴,請君莫忘浪淘沙」

劉禹錫 《浪淘沙九首其六》「日照澄洲江霧開,淘金女伴滿江隈。美人首飾侯王印,儘是沙中浪底來。」

雑曲歌辞 浪淘沙:雑曲歌辞であるところの浪淘沙。波が砂をよなげる。劉禹錫の浪淘沙九首は、黄河や長江の流れを詠じている。『楚辭』の九歌に擬しているといわれる。ここの『浪淘沙』は詞牌ではない。・雑曲歌辞:楽府詩の一つ。内容は雑然としており、志を描写するものや感情を発露するものであり、宴遊や歓楽、うらみや別離の情、行役や征戍の苦労を詠ったものがある。・浪淘沙:なみが砂を洗う。後世、詞牌・『浪淘沙』となる。 ・淘:よなげる。米を水に入れて、ゆりとぐ。物を水に入れて、揺らし動かして洗う。

89. 【構成】(改訂版)浣溪紗八首 其一

双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、7⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

紅蓼渡頭秋正雨、印沙鷗跡自成整鬟飄袖野風