花間集 訳注解説 巻三-36 (153)回目薛昭蘊 十九首喜遷鶯三首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8486

  (153)回目薛昭蘊 十九首《巻三-36 喜遷鶯三首其二》 

 

 

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花間集 訳注解説 巻三-36 (153)回目薛昭蘊 十九首喜遷鶯三首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8486

(喜遷鶯三首 其の二:科挙に及第したその当日、天子に謁見し、その後街に出て祝福を受け、杏園、曲江での祝宴を満喫すると詠う。)

いつも見る金光門の暁が、今日は晴れやかだ、天子におあいできる輝かしい都の春である、駿馬もこの日は次々に入城してきて、急ぎ馬が砂塵を巻いて突っ走り、人も集まって進むと砂塵が舞う。謁見の宮殿には樺の燭火の煙は奥まったところにまで漂っていて、そこには白く新しい上着をまとった官女がならぶ、そこ二つの角と五つの爪を持つ龍に化身された皇帝が鎮座されているのが分かった、科挙試験合格が実感として感じる。安城の南北にぬける「九通」はどの通りも喧しくなり、たくさんの邸宅、家という家の門は開かれた、及第者は、各家を回って祝ってもらう、通りの大勢の人々は手を振って喜んでくれ、各所で焚かれる桂のお香は春のおだやかな微風に乗って届いてくる。夕方には、杏園で、歓喜の祝宴を賜り、曲江のほとりの砂浜でも色とりどりの幔幕が張られ祝いの宴が催され、長安の街を園遊する。このようにいま自分は目標を達成し、よい日、よい時を一人でかみしめ、満喫しているのだ。

 

 

 

 

 

花間集 巻三

 

 

 

 

 

喜遷鶯三首 其一

殘蟾落,曉鐘鳴,羽化覺身輕。乍無春睡有餘酲,杏苑雪初晴。

紫陌長,襟袖冷,不是人間風景。迴看塵土似前生,休羨谷中鶯。

 

其二

金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。樺煙深處白衫新,認得化龍身。

九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

 

其三

清明節,雨晴天,得意正當年。馬驕泥軟錦連乾,香袖半籠鞭。

花色融,人競賞,盡是繡鞍朱鞅。日斜無計更留連,歸路艸和煙。

 

 

 

花間集 教坊曲《喜遷鶯三首其二》韋莊

 

 

花間集 訳注解説 巻三-36喜遷鶯三首其二

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8486

 

 

 

1. 長安の妓女 (2/3

 

 長安の妓女の人多数は平康里に住んでいた。「長安に平康坊という所があって、妓女の居住地である。京都の侠少(遊侠の若者)は此に草集る。……当時の人々はこの坊を風流藪沢(歓楽街)と呼んだ」(『開元天宝遺事』巻上)。『北里志』の記載によると、平康里の街区は三曲に分れ、名妓は多く南曲、あるいは中曲に住み、北曲に住むものの大多数は無名の「卑屑」(醜くて卑しい)の小妓であった。この三曲に住む妓女の生活にも高低貧窟の差があった。漸飴、中油はおおむね駄院汁こムく浄似で、完内には花が植えられ池もあり、室内の設備は快適で、華美にすぎるものさえあったが、下層の妓女の住まいは粗末なものであった。劉泰娘は北曲の小さな家の娘であったから、他の妓女たちと宴席に向う時、あなたは何処にお住まいですかと聞かれると、言葉をにごして、門前に一本の木がありますわ、などと言うだけであった。どの曲内に住んでいるかが、その妓女の身価に大きな関係があったようである。それ以外にも平康里に住まない妓女がおり、その他の街坊にそれぞれ分散して住んでいた。

 

 妓女たちは皆それぞれ一派を立て、家を単位に独一丑して営業していた。彼女たちのあるものは家族と一緒に住んでいたが、多くは家の暮らしが立たないので、妓女として生きざるをえなかったのである。たとえば、唐代の小説『崔小玉伝』(蒋防作)の主人公宦小玉は、もともと崔王の娘であったが、母親が崔王の婢女であったから、後に母娘ともども追い出されてしまった。やむなく小玉は妓女となり母と一緒にくらした。また、「琵琶行」に出てくる琵琶妓は、「弟は走って軍に従い阿銕は死す」といっているので、家族と一緒に住んでいたことがわかる。これらの妓女の大半は慮待を受けず、境遇はいくらかマシだった。しかし、その他多くの妓女は家族はおらず、「仮母」に買わ

れ養女にされたものであった。仮母とは後世いうところの「鴇母」(やりて婆)と同じであり、みな年増の妓女がなった。仮母に夫や家族はなく、しかし容色はまだ全く衰えたというわけではなかったので、大半が王侯貴族の邸宅を警護する武官の囲われ者であった。また、ある者はこっそりと夜伽をする男を囲っていたが、夫と言えるような代物ではなかった。平康里の置屋の大部分は仮母が何人かの妓女をかかえて営業していた。たとえば楊妙児の置屋を例にとれば、彼女はもともと名妓であったが、のちに仮母となり、莱児、永児、迎児、桂児の四人の養女をひきとって育てた。その他の置屋もほぼ同じようなものであった。これらの妓女はみな生活はたいへん苦しく、大部分が「田舎の貧家」から買われてきた幼女であり、仮母の姓を名のった。ある者は自分の実の父母さえ全く知らなかった。またある者は、人に編されて売られて、この世界に堕ちたのであった。「ある良家の娘は、自分の家の嫁にするといって連れて行かれたが、他に多額の謝礼で転売され、誤ってこの苦界に堕ち、脱出することができなかった」(『北里志』「海論三曲中事」)。たとえば、王福娘は解梁(山西省臨晋県)の人であったが、嫁にやると喘されて都に連れて行かれ、色町に売られてしまった。しかし彼女は何も真相を知らないでいた。後に置屋は披女に歌を習わせ客を取らせた。一人のか弱い女が行き場を失えば、他人の言いなりになるしかなかった。この間、家の兄弟が捜し出して奪い返そうとした。しかし彼女は、白分はすでに操を失った身であり、また兄弟には何の力もないことを考えると、望みを絶って兄弟に手を引かせるしか方法がなく、家族と泣き泣き永別したのであった。唐代の社会は良民と賤民の区別が明確であり、いったん娼妓の世界に転落すれば、身を脱することが困難であったばかりか、肉親と行き来して顔を合わせることさえきわめて錐しかった。

 


当時、長安は人口120万にを超す世界最大級の都市であった。
7
世紀に建立された慈恩寺大雁塔は古き良き長安の姿を今も残す。
この詩の杏園は曲江池の西にあり、慈恩寺大雁塔の等々あった庭園である。春、都では官僚になるための試験、科挙に合格した者たちの祝宴が開かれる。

 

貴族たちの家々の庭は合格者に解放され、無礼講。春、二月三月、当時富貴の者は、牡丹の花の出来栄えを競っていた。自分の家の庭、牡丹、それを題材にして、大雁塔の下に詩を題してくれると大変な名誉であった。だから、富貴の者は合格者を大歓迎し、もてなした。

そして、夜になると杏園において、庭の花を競い、酒を競い、華やかな歌舞に宮廷料理、宴は賑やかに行われる。科挙に合格した者だけがわが世の春を謳歌するのだ。この日だけは、華やかな高殿の若き乙女たちも主役の座を譲ってくれる。

 

この試験のために全国から若者が集まってくる。

何年もかかってやっと合格するもの、どうしても及第しないもの悲喜こもごもの日なのだが、この喜遷鶯というのは喜選鶯令、鶴冲天、鶴冲霽、燕帰来、燕帰梁、早梅芳、春光好などといこの詩は長安の科挙合格者を主役にしたにぎわいを詠った有名な詩である。

 

 《唐摭言》巻六 「唐進士杏花園初會謂之探花宴,擇少俊二人為探花使,徧遊名園,若他人先折得花,二人皆受罰。」 

唐の神龍(705)ごろから杏園での祝宴の後、合格者全員慈恩寺塔のもとに詩を題して書いた。その題内一番優秀の者はこれを記録し後世に残された。

《唐摭言》卷三 「自神龍已來,杏園宴後,皆於慈恩寺塔下題名,同年中推一善書者記之。」

 

喜遷鶯三首 其二

(科挙に及第した両家の子息の合格前夜と合格の祝宴などを詠う)

金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。

昨日、科挙に受かったので、いま、金門を出て行こうとすると暁の空に変わろうとしている。それは科挙合格の耀く長安の春のことである。だから、駿馬にまたがって喜び勇んで砂塵を巻いて突っ走っていく。

樺煙深處白衫新,認得化龍身。

昨日の夜、樺の灯火の煙は奥まったところにまで漂っていったのだ。そこには白く新しい上着をまとった女がいて、そこで龍身に化身(男になった)したのだ。

九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。

長安城の「九通」どの通りも喧しくなり、千個どの家も家の門を開いた。人々は手を振って喜んでくれ、桂のよい香りは春のおだやかな微風に乗って届いた。

杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

杏園で、歓喜の祝宴を賜り、曲江のほとりの砂浜でも祝い、長安の街を園遊する。このようにいま自分はよい日、よい時を一人でかみしめているのだ。

(喜遷鶯三首 其の二)

金門の曉,玉京の春,駿馬 驟【にわか】に塵輕【じんけい】。

樺煙 深處 白衫新たなり,龍身に化するを認得す。

九陌の喧,千の啓,滿袖 桂香 風細やかに。

杏園の歡宴 曲江の濱,自ら此に 芳辰を占む。

 

喜遷鶯三首 其三

清明節,雨晴天,得意正當年。

馬驕泥軟錦連乾,香袖半籠鞭。

花色融,人競賞,盡是繡鞍朱鞅。

日斜無計更留連,歸路艸和煙。

 

(改訂版)-4.薛昭蘊136《巻三36喜遷鶯三首 其二》

喜遷鶯三首 其二

(喜遷鶯三首 其の二:科挙に及第したその当日、天子に謁見し、その後街に出て祝福を受け、杏園、曲江での祝宴を満喫すると詠う。)

金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。

いつも見る金光門の暁が、今日は晴れやかだ、天子におあいできる輝かしい都の春である、駿馬もこの日は次々に入城してきて、急ぎ馬が砂塵を巻いて突っ走り、人も集まって進むと砂塵が舞う。

樺煙深處白衫新,認得化龍身。

謁見の宮殿には樺の燭火の煙は奥まったところにまで漂っていて、そこには白く新しい上着をまとった官女がならぶ、そこ二つの角と五つの爪を持つ龍に化身された皇帝が鎮座されているのが分かった、科挙試験合格が実感として感じる。

九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。

安城の南北にぬける「九通」はどの通りも喧しくなり、たくさんの邸宅、家という家の門は開かれた、及第者は、各家を回って祝ってもらう、通りの大勢の人々は手を振って喜んでくれ、各所で焚かれる桂のお香は春のおだやかな微風に乗って届いてくる。

杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

夕方には、杏園で、歓喜の祝宴を賜り、曲江のほとりの砂浜でも色とりどりの幔幕が張られ祝いの宴が催され、長安の街を園遊する。このようにいま自分は目標を達成し、よい日、よい時を一人でかみしめ、満喫しているのだ。

(喜遷鶯三首 其の二)

金門の曉,玉京の春,駿馬は驟【はし】り 輕塵【じんけい】す。

樺煙 深處 白衫の新,認得す 龍身に化するを。

九陌の喧,千の啓,滿袖 桂香 風細やかなる。

杏園の歡宴 曲江の濱,自ら此に 芳辰を占む。

 

 

(改訂版)-4.薛昭蘊136《巻三36喜遷鶯三首 其二》 

『喜遷鶯三首 其二』 現代語訳と訳註

(本文)

喜遷鶯三首 其二

金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。

樺煙深處白衫新,認得化龍身。

九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。

杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

 

(下し文)

(喜遷鶯三首 其の二)

金門の曉,玉京の春,駿馬は驟【はし】り 輕塵【じんけい】す。

樺煙 深處 白衫の新,認得す 龍身に化するを。

九陌の喧,千の啓,滿袖 桂香 風細やかなる。

杏園の歡宴 曲江の濱,自ら此に 芳辰を占む。

 

(現代語訳) (改訂版)-4.薛昭蘊136《巻三36喜遷鶯三首 其二》

(喜遷鶯三首 其の二:科挙に及第したその当日、天子に謁見し、その後街に出て祝福を受け、杏園、曲江での祝宴を満喫すると詠う。)

いつも見る金光門の暁が、今日は晴れやかだ、天子におあいできる輝かしい都の春である、駿馬もこの日は次々に入城してきて、急ぎ馬が砂塵を巻いて突っ走り、人も集まって進むと砂塵が舞う。

謁見の宮殿には樺の燭火の煙は奥まったところにまで漂っていて、そこには白く新しい上着をまとった官女がならぶ、そこ二つの角と五つの爪を持つ龍に化身された皇帝が鎮座されているのが分かった、科挙試験合格が実感として感じる。

安城の南北にぬける「九通」はどの通りも喧しくなり、たくさんの邸宅、家という家の門は開かれた、及第者は、各家を回って祝ってもらう、通りの大勢の人々は手を振って喜んでくれ、各所で焚かれる桂のお香は春のおだやかな微風に乗って届いてくる。

夕方には、杏園で、歓喜の祝宴を賜り、曲江のほとりの砂浜でも色とりどりの幔幕が張られ祝いの宴が催され、長安の街を園遊する。このようにいま自分は目標を達成し、よい日、よい時を一人でかみしめ、満喫しているのだ。

 

 

(訳注) (改訂版)喜遷鶯三首 其二

喜遷鶯三首 其二

13.(喜遷鶯三首 其の二:科挙に及第したその当日、天子に謁見し、その後街に出て祝福を受け、杏園、曲江での祝宴を満喫すると詠う。)

14. 【解説1* 前段は及第者が初めて天子に謁見する朝、皇城に向かう様子、謁見し、その後、富貴の邸宅を廻る。後段、晴れて合格の日、合格者には無礼講、馬を走らせ、家々のボタンを見て回ると、人々が小口に出て手を振っていわってくれ、やがて皇帝主催の祝宴が、曲江の杏園で行われる。

*ただ、薛昭蘊という人物は『花間集』で高く取り上げられているものの誰だかわかっていない。この詩からも高級官僚になった家柄であろうということは推察できる。おそらく899年兵部侍郎になった紹緯に間違いないと考える。(9-1小重山二首其一に示した略歴とは異なる。)

15. 【解説2杏園:官吏登用試験(科挙)に合格した進士たちの祝宴会場。科挙に合格した進士には、曲江の池の畔(ほとり)の杏園で、祝宴を賜り、長安の街で園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。《唐摭言》巻六 「唐進士杏花園初會謂之探花宴,擇少俊二人為探花使,徧遊名園,若他人先折得花,二人皆受罰。」 

唐の神龍(705)ごろから杏園での祝宴の後、合格者全員慈恩寺塔のもとに詩を題して書いた。その題内一番優秀の者はこれを記録し後世に残された。

《唐摭言》卷三 「自神龍已來,杏園宴後,皆於慈恩寺塔下題名,同年中推一善書者記之。」

・杏園人:科挙に合格し、新たに進士となった人たちを指す。

長安曲江 杏園 進士の試験は秋にあり、翌年の春の花が咲き誇る時期に結果発表がある。官吏登用試験(科挙)に合格した進士には、長安の曲江西の池の畔(ほとり)にあった杏園で、祝宴を賜り、長安の街を園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。また、貴族は自邸自慢のボタンを庭を開放して鑑賞させ、合格者の無礼を許した。

・長安:唐の首都。現・陝西省・西安。科挙の最終試験会場もここにあり、科挙合格者の祝宴もここで開かれる。

杜甫、王維、高適、岑参 

杜甫『同諸公登慈恩寺墖』(慈恩寺の塔に登る」「方知象教力,足可追冥搜。仰穿龍蛇窟,始出枝撐幽。」(方に知る象教の力 冥捜を追うべきに足るを。仰いで穿つ竜蛇の窟 始めて甘づ枝撐の幽なるを。)つかえ柱、枝撐はつかえ柱をくむことで、ここでは道路の橋の骨組みの意味である。

同諸公登慈恩寺塔 杜甫 紀頌之のkanbuniinkai漢詩ブログ杜甫詩 特集 39

 

16. 【構成】喜遷鶯は、またの名を喜選鶯令、鶴冲天、鶴冲霽、燕帰来、燕帰梁、早梅芳、春光好などという。遷鶯は鶯遷のこと。 鶯が谷から出て大きな木に移ること。転じて、立身出世すること。進士の試験に及第することをいう。科挙の試験に合格し、朝まだき、天子にお目見えするさまを、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠うもので率直な表現をしている。“花間集」には薛昭蘊の詩三首収められている。双調四十七字、前段二十三字五句五平韻、後段二十四字五句二仄韻二平韻で、3③⑤⑦⑤/3❸❻⑦⑤の詞形をとっている。
(改訂版)喜遷鶯三首 其一

殘蟾落、曉鐘鳴、羽化覺身

乍無春睡有餘、杏苑雪初晴。

紫陌長、襟袖、不是人間風
迴看塵土似前
、休羨谷中鶯。


(改訂版)喜遷鶯三首 其二

金門曉、玉京春、駿馬驟輕

樺煙深處白衫新、認得化龍

九陌喧、千、滿袖桂香風
杏園歡宴曲江、自此占芳辰。


 

 

 

金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。

いつも見る金光門の暁が、今日は晴れやかだ、天子におあいできる輝かしい都の春である、駿馬もこの日は次々に入城してきて、急ぎ馬が砂塵を巻いて突っ走り、人も集まって進むと砂塵が舞う。

17. ・金門 城郭の西側壁面の中央にある門、長安では金光門(6)、(大明宮では金馬門である。)長安城の東西を抜ける大路、楚の東の門が春明門で、西端に金工紋がある。ここでは遊郭の中央にある門、遊郭の中心部といった意味である。貴公子の実家はこの門から北の方五陵の高級邸宅地にある。「金門暁」はこの街で夜明けを迎えたということは、夜明け前に出発する当時の習慣から、(いま、あの人は金門を出て行こうとすると暁の空に変わろうとしている)というほどの意味になる。

18. ・玉京春 (天子に謁見する栄誉を持ったいみをふくんだ意味を持って)天子におあいできる輝かしい都の春であること。道家で天帝のいる場所をいう。李白《0406鳳吹笙曲》(鳳笙篇送別)741年開元二十九年41歳「仙人十五愛吹笙、學得昆丘彩鳳鳴。 始聞煉氣餐金液、復道朝天赴玉京。 玉京迢迢几千里、鳳笙去去無窮已。欲嘆離聲發絳唇、更嗟別調流纖指。此時惜別詎堪聞、此地相看未忍分。 重吟真曲和清吹、卻奏仙歌響綠云。 綠云紫氣向函關、訪道應尋緱氏山。莫學吹笙王子晉、一遇浮丘斷不還。」
19.
 ・驟輕塵 喜び勇んで砂塵を巻いて突っ走る。・驟 馬が速く走る。にわか。しばしば。喜ぶ。歓喜する。

韋荘『河傳其二』

春晚,風暖,錦城花滿,狂殺遊人。

玉鞭金勒,尋勝馳驟輕塵,惜良晨。

翠娥爭勸邛酒,纖纖手,拂面垂絲柳。

歸時煙裏,鐘鼓正是黃昏,暗銷魂。

(春の行楽に景勝地に馬を駆って早馬で蒙塵を発てて行くものがいるという内容。)

106 河傳三首 其二 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-287-5-#41  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2982

 

樺煙深處白衫新,認得化龍身。

謁見の宮殿には樺の燭火の煙は奥まったところにまで漂っていて、そこには白く新しい上着をまとった官女がならぶ、そこ二つの角と五つの爪を持つ龍に化身された皇帝が鎮座されているのが分かった、科挙試験合格が実感として感じる。

20. ・樺煙 蝋を樺の木の皮で巻いた灯火の煙。唐白居易《早朝》「月堤槐露氣,風燮燁煙香。」

張泌《浣溪沙十首 其一》「鈿轂香車過柳堤,樺煙分處馬頻嘶,為他沉醉不成泥。花滿驛亭香露細,杜鵑聲斷玉蟾低,含情無語倚樓西。」

浣渓沙 十首 其一 張泌【ちょうひつ】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-339-7-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3242

21. ・認得化龍身 初めて男になり、女となったころ。前夜、「樺煙」を持った男が新しい肌着を付けた女のところで「龍身」に変わったということで、翌朝、喜んで出発するということになる。天子の顔を例えて龍顔、龍犀と称し、龍母という皇太后の尊称、天子の即位を龍飛といい、龍は専ら皇帝のシンボルとされている。特にその中でも二つの角と五つの爪を持つ龍は皇帝を象徴するものとして神聖視されており、民間で用いることを禁じ、龍袍ともいわれるように皇帝の衣服や皇城、紫禁城に使われていた。龍:帝王自認是龍的化身,代表天意,君臨天下,龍德是天子之德,龍顏是天子之貌,龍駕是天子之車鸞輦,龍袍是天子之衣。

「逆鱗に触れる」は中国の故事によるもので、龍の喉の下に逆さに生えた鱗が一枚だけあり、もし人がこれに触れると、龍は必ずその人を殺したということから、君主や目上の人の激しい怒りをかう意を持つ。「画龍点睛」は物事を完成させるための大切な一点の意味だが、やはり中国の絵の名手が描いた龍に最後に睛(ひとみ)を描き入れると、たちまち龍が天に昇ってしまったという故事から、「登龍門」は立身出世のための関門の意であり、黄河の上流にある龍門を登ることに成功した鯉が龍になったという故事によるものである。『淮南子』には、空に穴が開き、天地のバランスが崩れてしまったときに、女  が五色の石を練り上げて作ったものを用いて空を修繕した。それとともに大雨を降らせていた黒龍を殺し、大洪水を止め、冀州を救ったと記されている。民話には黒い龍が村の谷川の水をすべて飲み干し、涸らしてしまったためにその龍は殺され、岩に姿を変えたという。また中国には四海や河、湖などを守護するとともに暴れ者として河を氾濫させるといわれる龍王が存在し、その龍を退治する英雄が登場するのである。

 龍は長寿または不死と結びつき、天高く飛翔することから天地を行き来することができ、天上への乗り物と考えられた。龍は春分には地上から天に昇っていき、秋分には下りてきて淵に入るという。

 

九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。

安城の南北にぬける「九通」はどの通りも喧しくなり、たくさんの邸宅、家という家の門は開かれた、及第者は、各家を回って祝ってもらう、通りの大勢の人々は手を振って喜んでくれ、各所で焚かれる桂のお香は春のおだやかな微風に乗って届いてくる。

22. ・九陌 長安皇城の南に南北に九の通りがあり、東西にも同じ九通りで区画された。五行思想と宇宙観である。一区画を「坊」と呼んだ。

 

杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

夕方には、杏園で、歓喜の祝宴を賜り、曲江のほとりの砂浜でも色とりどりの幔幕が張られ祝いの宴が催され、長安の街を園遊する。このようにいま自分は目標を達成し、よい日、よい時を一人でかみしめ、満喫しているのだ。

23. ・杏園 長安の曲江の池の畔(ほとり)にあった杏園で、祝宴を賜り、長安の街を園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。また、貴族は自邸自慢のボタンを庭を開放して鑑賞させ、合格者の無礼を許した。

24. ・芳辰  1 よい日。よい時。吉日。かぐわしい春の時節。

 

韋荘『長安の春』

長安の春

長安二月多香塵、六街車馬聲鈴凛。

家家楼上如花人、千枝萬枝紅艶新。

簾間笑語自相問、何人占得長安春。』

長安春色本無主、古来盡屬紅樓女。

如今無奈杏園人、駿馬輕車擁将去。』
長安春 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-269-5-#23  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2892

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