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  (152)回目 薛昭蘊 十九首《巻三-35 喜遷鶯三首其一》

 

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花間集 訳注解説 巻三-35 (152)回目薛昭蘊 十九首喜遷鶯三首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8480

(喜遷鶯三首 其の一:進士にやっと及第し、貴族の庭園をまわり、杏園で祝賀で飲み過ぎてたので、気持ちの良い春暁も二日酔いで台無しだ、それにしても、及第したものよりもはるかに落第したものが多くいえり袖を濡らしたことだろう、しかし、落第したからといって、羨んでいても仕方ないと詠う。)

昨日の祝宴で飲み過ぎて、名残の月も沈んでしまい、暁の仕事始めの鐘が打ち鳴らされた、酔いはのこったままで天にも昇るほど、身が軽くまだ夢見心地なのだ。そんな春眠はたちまちのうちに醒めてしまう、ところが、どうやら二日酔いのようである。杏の中庭の庭園には春の雪が降っていたが、夜明けから天気も晴れてくる。牡丹の花を廻ってお屋敷をはしごした、都大路は長く、落第してえりと云い袖と云い涙でぬれたものにとって朝の風は冷たいし、しかし、これだけが人の世の風景というものではない。この人の俗世間を見まわしてみると結局、ずっと以前から同じようなことを繰り返している、だからといって、鶯が啼いて谷を移り変わってゆく、世渡りの上手い立身出世を遂げてゆく絶頂期のものを羨んだりすることはやめたほうが良い。

 

 

 

 

 

花間集 巻三

 

 

 

 

 

喜遷鶯三首 其一

殘蟾落,曉鐘鳴,羽化覺身輕。乍無春睡有餘酲,杏苑雪初晴。

紫陌長,襟袖冷,不是人間風景。迴看塵土似前生,休羨谷中鶯。

 

其二

金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。樺煙深處白衫新,認得化龍身。

九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

 

其三

清明節,雨晴天,得意正當年。馬驕泥軟錦連乾,香袖半籠鞭。

花色融,人競賞,盡是繡鞍朱鞅。日斜無計更留連,歸路艸和煙。

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲《喜遷鶯三首其一》韋莊

 

 

花間集 訳注解説 巻三-35喜遷鶯三首其一

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8480

 

 

1. 長安の妓女 (1/3

 

 ここでは主に長安の平康里や、その他の街坊に集中して住んでいた一般の娼妓について述べたい。先に迷べた皇室専属の教坊妓はこの中には含まない。

 長安の官妓は、上に述べた地方の官妓とは多くの違いがあるように思う。唐後期の孫渠が長安の妓女について専門に記した『北里志』と、その他こまごまとした史料からみると、長安の妓女も官府に属し、官府の御用に応じなければならなかったが、しかし官奴婢としての色合いはそれほど強くはなかった。官府の彼女たちに対する支配は比較的ゆるやかで、彼女たちも自分がどの長官の管理下にあるかもよく知らず、身分の束縛もあまりなく、地位も少しばかり高かった。また、彼女たちは官府から衣食を支給されておらず、自分で商売を営んでおり、後世の娼妓とほとんど変りなかった。これはたぶん、長安などの大都市が各界の人士、とりわけ天下の才子である進士たちが遊ぶ有名な場所であり、朝廷の支持と容認の下、妓楼で遊ぶ風潮がたいそう盛んであったため、長安などの妓女たちを官府が独占的に支配することはもはやきわめて難しく、しだいに社会仝体に開放されていったからであろう。こうした情況は、およそ唐の中後期に向うに従って次第に発展していった。しかし、地方官妓は唐の後期になると藩鎮が巨大な権力を持ったため、なおいっそう地方官、とりわけ藩鎮の独占支配を受けることとなった。長安の妓女たちの生活情況は、唐代の官妓がしだいに自由業の娼妓に変化してゆく過程をよく反映している。

 長安の妓女は「楽営」には属さず、孫渠の『北里志』序の言葉をかりると、「京中の飲妓、籍は教坊に属す」というように、籍は教坊にあった。先に述べたように、玄宗時代に教坊が設立されたのは、もともと天下の芸人を集めて訓練を行い、専ら宮廷の御用に供するためであったが、『北里志』がいう「京中の飲妓」とは明らかに宮廷に奉什する芸人ではなく、民間で営業する娼妓であり、彼女たちも教坊には住まず、平康里やその他の里坊に住んでいたのである。これでは「京中の飲妓、籍は教坊に属す」という記述と矛盾する。いったいどうしたことだろうか。筆者が推測するに、これはたぶん教坊制度の変化と関係があるように思う。玄宗以後、教坊はしだいに衰退していったが、後の時代になっても教坊は依然としてたびたび芸妓を選抜して朝廷の御用に供していた。しかしふだんは彼女たち仝部を教坊の中に住まわせることができなくなり、ただ若干の名妓だけを選んで教坊籍に入れ、いつでも宮廷の御用に派遺できるようにしていた。大半の妓女は普通はもといた置家とか、自宅に住んで、前と同じく自由営業の娼妓生活を送っていた。白居易の「琵琶行」に、「自ら言う 本これ京城の女、家は蝦煥陵(長安の東部、常楽坊にあった街区名)下に在りて住む。十三にして琵琶を学び得て成り、名は教坊第一部に属す。……五陵(漢の五帝陵が並び長安の上流階級が多く住んでいた地城)の年少、争って纏頭し(祝儀を出す)、一曲に紅納数を知らず」とある。この教坊籍に名を列した琵琶妓は教坊に住んではおらず、一般社会で芸を売り身を売って生活していたのである。

 長安の娼妓は、名儀上でも決してすべてが教坊に属していたのではない。『北里志』の「楊妙児」なる一節に記載されている妓女の王福娘は、人に身請けされることを願い、「私は幸いに教坊籍に入っていません。あなたにもし結婚の意志があるなら一、二百金のみですみます」といった。どうやら、教坊籍に入っていれば「官身」となり勝乎に請け出されることはできないが、教坊籍に入っていないものは金を出し身請けする人がいればいつでも落籍できたようである。しかし、教坊籍に入っていない妓女も、やはり完全に官妓身分から脱していたというわけではなかった。「楊妙児」の一節によると、妓女たちがたとえ客から「買断」(特定の客が囲い独占すること)されても、いぜんとして彼女は「官使を免れず」、つまりこれまで通り官府への奉什を免れることができなかったようである。また同書には、「およそ中央官僚の集まりや宴会には、役所から妓女を借り出す許可状をもらわねばならず、そうやって始めて彼女たちは他処に出ることができた」(『北里志』序)とある。官僚が妓女を宴遊に呼ぶには官府の許可が必要だったということは、妓女が官妓の身分であったことを証明している。その他、平康里の妓女たちの中には「都知」と呼ばれるものがいて、妓女たちを分担管理しており、古株のものがその任に就いた。妓女にも一定の組織があり、完全に独立し自由というわけでなかったことが分かる。教坊籍に入っていない妓女は、当然長安の妓女の大多数を占めていたはずだが、彼女たちは一体どこの管轄下に属していたのだろうか。地方州府の制度に照らせば、京兆府の管轄下に属すのが当然と思われるが、いまだそうした記録を見出せないので、みだりに結論を出さないでおきたい。

 

(改訂版)-4.薛昭蘊135《巻三35喜遷鶯三首 其一》
喜遷鶯三首 其一

(喜遷鶯三首 其の一:進士にやっと及第し、貴族の庭園をまわり、杏園で祝賀で飲み過ぎてたので、気持ちの良い春暁も二日酔いで台無しだ、それにしても、及第したものよりもはるかに落第したものが多くいえり袖を濡らしたことだろう、しかし、落第したからといって、羨んでいても仕方ないと詠う。)

殘蟾落,曉鐘鳴,羽化覺身輕。

昨日の祝宴で飲み過ぎて、名残の月も沈んでしまい、暁の仕事始めの鐘が打ち鳴らされた、酔いはのこったままで天にも昇るほど、身が軽くまだ夢見心地なのだ。

乍無春睡有餘酲,杏苑雪初晴。

そんな春眠はたちまちのうちに醒めてしまう、ところが、どうやら二日酔いのようである。杏の中庭の庭園には春の雪が降っていたが、夜明けから天気も晴れてくる。

紫陌長,襟袖冷,不是人間風景。

牡丹の花を廻ってお屋敷をはしごした、都大路は長く、落第してえりと云い袖と云い涙でぬれたものにとって朝の風は冷たいし、しかし、これだけが人の世の風景というものではない。

迴看塵土似前生,休羨谷中鶯。

この人の俗世間を見まわしてみると結局、ずっと以前から同じようなことを繰り返している、だからといって、鶯が啼いて谷を移り変わってゆく、世渡りの上手い立身出世を遂げてゆく絶頂期のものを羨んだりすることはやめたほうが良い。

 

 

(改訂版)-4.薛昭蘊135《巻三35喜遷鶯三首 其一》

『喜遷鶯三首 其一』 現代語訳と訳註

(本文)

喜遷鶯三首 其一

殘蟾落,曉鐘鳴,羽化覺身輕。

乍無春睡有餘酲,杏苑雪初晴。

紫陌長,襟袖冷,不是人間風景。

迴看塵土似前生,休羨谷中鶯。

  

(下し文)

喜遷鶯三首 其一

殘蟾【ざんせん】落ち,曉鐘【ぎょうしょう】鳴る,羽化 身輕を覺ゆ。

乍ち春睡無く餘酲有り,杏苑 初めて晴れ雪のごとし。

紫陌 長く,襟袖 冷か,是れなく人間風景を。

迴看し塵土 前生に似たり,羨むを休む 谷中の鶯。

  

(現代語訳)

(喜遷鶯三首 其の一:進士にやっと及第し、貴族の庭園をまわり、杏園で祝賀で飲み過ぎてたので、気持ちの良い春暁も二日酔いで台無しだ、それにしても、及第したものよりもはるかに落第したものが多くいえり袖を濡らしたことだろう、しかし、落第したからといって、羨んでいても仕方ないと詠う。)

昨日の祝宴で飲み過ぎて、名残の月も沈んでしまい、暁の仕事始めの鐘が打ち鳴らされた、酔いはのこったままで天にも昇るほど、身が軽くまだ夢見心地なのだ。

そんな春眠はたちまちのうちに醒めてしまう、ところが、どうやら二日酔いのようである。杏の中庭の庭園には春の雪が降っていたが、夜明けから天気も晴れてくる。

牡丹の花を廻ってお屋敷をはしごした、都大路は長く、落第してえりと云い袖と云い涙でぬれたものにとって朝の風は冷たいし、しかし、これだけが人の世の風景というものではない。

この人の俗世間を見まわしてみると結局、ずっと以前から同じようなことを繰り返している、だからといって、鶯が啼いて谷を移り変わってゆく、世渡りの上手い立身出世を遂げてゆく絶頂期のものを羨んだりすることはやめたほうが良い。

 

(訳注)

喜遷鶯三首 其一

1. (喜遷鶯三首 其の一:進士にやっと及第し、貴族の庭園をまわり、杏園で祝賀で飲み過ぎてたので、気持ちの良い春暁も二日酔いで台無しだ、それにしても、及第したものよりもはるかに落第したものが多くいえり袖を濡らしたことだろう、しかし、落第したからといって、羨んでいても仕方ないと詠う。)

2. 遷鶯 鶯遷のこと。 鶯が谷から出て大きな木に移ること。転じて、立身出世すること。進士の試験に及第することをいう。科挙の試験に合格し、朝まだき、天子にお目見えするさまを、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠うもので率直な表現をしている。前段は、天子に拝謁に向かう騎馬の行列の鳴り物入りの賑やかなさまは他人の騒がしさ、襟や袖を吹き過ぎる夜明けの風の模様、五更の空は自分自身が感じるこれまでと違った感覚などを描写する。後段は、参内する科挙の合格者の騎馬の列、それを導く儀仗隊の盛んなさま、合格者の豪華な着衣などを描写した後、いよいよ天子に拝謁するさまを述べる。韋荘は科挙の試験に幾度も失敗を重ね、晩年、五十九歳になって初めて合格した。この詞には、その歓びのさまが言葉の端々に表れている。後段最後の「玉華君に引見せらる」の句は、科挙の合格者が、天子直々の試験、殿試験を受けることを言ったものである。

『喜遷鶯二首』其一、『題酒家』「酒綠花紅客愛詩,落花春岸酒家旗。尋思避世爲逋客,不醉長醒也是癡。」題酒家 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-278-5-#32  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2937

韋莊 長安春

長安二月多香塵、六街車馬聲鈴凛。

家家楼上如花人、千枝萬枝紅艶新。

簾間笑語自相問、何人占得長安春。』

長安春色本無主、古来盡屬紅樓女。

如今無奈杏園人、駿馬輕車擁将去。』

長安春 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-269-5-#23  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2892 

薛昭蘊 喜遷鶯三首 其二

金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。

樺煙深處白衫新,認得化龍身。

九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。

杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

9 17 喜遷鶯三首 其二 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-394-9-#17  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3517

3. 【構成】またの名を《早梅芳》、《春光好》、《烘春桃李》、《喜遷鶯令》、《萬年枝》、《燕歸來》、《鶴沖天》、《鶴冲霽》、《燕帰梁》、などという。「花間集」には韋荘の詩二首収められている。双調四十七字、前段二十三字五句五平韻、後段二十四字五句二仄韻二平韻で、③③⑤⑦⑤/3❸❻⑦⑤の詞形をとっている。

喜遷鶯は、またの名を喜選鶯令、鶴冲天、鶴冲霽、燕帰来、燕帰梁、早梅芳、春光好などという。遷鶯は鶯遷のこと。 鶯が谷から出て大きな木に移ること。転じて、立身出世すること。進士の試験に及第することをいう。科挙の試験に合格し、朝まだき、天子にお目見えするさまを、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠うもので率直な表現をしている。“花間集」には薛昭蘊の詩三首収められている。双調四十七字、前段二十三字五句五平韻、後段二十四字五句二仄韻二平韻で、3③⑤⑦⑤/3❸❻⑦⑤の詞形をとっている。
(改訂版)喜遷鶯三首 其一

殘蟾落、曉鐘鳴、羽化覺身

乍無春睡有餘、杏苑雪初晴。

紫陌長、襟袖、不是人間風
迴看塵土似前
、休羨谷中鶯。



殘蟾落,曉鐘鳴,羽化覺身輕。

昨日の祝宴で飲み過ぎて、名残の月も沈んでしまい、暁の仕事始めの鐘が打ち鳴らされた、酔いはのこったままで天にも昇るほど、身が軽くまだ夢見心地なのだ。

4. ・殘蟾 二十日過ぎの月の名残。つまり夜明けの後に沈んでゆく月のこと。

5. ・曉鐘 暁の仕事始めの鐘。当時は夜明け前に仕事場に入らなければいけなかった。

6. ・羽化 1.昆虫が、蛹(さなぎ)や幼虫から、成虫になること。→蛹化(ようか)。2 羽化登仙 《蘇軾「前赤壁賦」から》中国古代の信仰で、からだに羽が生え仙人となって天へのぼること。また、酒に酔ってよい気持ちになったときのたとえにいう。羽化。

羽化覺身輕 科挙及第になった

杜甫『漫成 二首其一』「野日荒荒白,春流泯泯清。渚蒲隨地有,村徑逐門成。只作披衣慣,常從漉酒生。眼邊無俗物。多病也身輕。」(野の日びは 荒荒として白く,春の流れは 泯泯として清し。渚の蒲 地に隨って有り,村の徑 門に逐って成る。只 作るは 衣を披き慣れる,常に從うは酒生ずるを漉【こ】す。邊を眼るに俗物は無し。病多くして身輕と也。)

漫成二首其一 杜甫 成都(4)浣花渓の草堂(4 - 6)  杜甫 <411 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2000 杜甫詩1000-411-594/1500 

 

乍無春睡有餘酲,杏苑雪初晴。

そんな春眠はたちまちのうちに醒めてしまう、ところが、どうやら二日酔いのようである。杏の中庭の庭園には春の雪が降っていたが、夜明けから天気も晴れてくる。

7. ・春睡 春眠と同じ。孟浩然《春曉》「春眠不覺曉,處處聞啼鳥。夜來風雨聲,花落知多少。」

8. ・餘酲 ふつかよい。酲:酒に酔ってもうろうとなる.ふつかよい。宿酔。杏園から春の科挙祝宴、饗宴での妓優や女妓とのその日の無礼講を連想する。

9. ・杏苑雪初晴  杏園における祝賀の宴。杏苑は杏園とおなじ。

・杏園:官吏登用試験(科挙)に合格した進士たちの祝宴会場。科挙に合格した進士には、曲江の池の畔(ほとり)の杏園で、祝宴を賜り、長安の街で園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。《唐摭言》巻六 「唐進士杏花園初會謂之探花宴,擇少俊二人為探花使,徧遊名園,若他人先折得花,二人皆受罰。」 

唐の神龍(705)ごろから杏園での祝宴の後、合格者全員慈恩寺塔のもとに詩を題して書いた。その題内一番優秀の者はこれを記録し後世に残された。

《唐摭言》卷三 「自神龍已來,杏園宴後,皆於慈恩寺塔下題名,同年中推一善書者記之。」

・杏園人:科挙に合格し、新たに進士となった人たちを指す。

長安曲江 杏園 進士の試験は秋にあり、翌年の春の花が咲き誇る時期に結果発表がある。官吏登用試験(科挙)に合格した進士には、長安の曲江西の池の畔(ほとり)にあった杏園で、祝宴を賜り、長安の街を園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。また、貴族は自邸自慢のボタンを庭を開放して鑑賞させ、合格者の無礼を許した。

・長安:唐の首都。現・陝西省・西安。科挙の最終試験会場もここにあり、科挙合格者の祝宴もここで開かれる。

孟郊はそれに落第して、落胆のさまを『再下第』「一夕九起嗟,夢短不到家。兩度長安陌,空將涙見花。」とうたった。この詩もそれと似た感情を詠っていよう。

孟郊は『登科後』で「昔日齷齪不足誇,今朝放蕩思無涯。春風得意馬蹄疾,一日看盡長安花。」と、がらりと変わった詩を作っている。 唐宋詩236 登科後 Ⅶ孟郊(孟東野)<19>紀頌之の漢詩ブログ

長安の春
長安二月多香塵、六街車馬聲鈴凛。
家家楼上如花人、千枝萬枝紅艶新。
簾間笑語自相問、何人占得長安春。

長安春色本無主、古来盡屬紅樓女。
如今無奈杏園人、駿馬輕車擁将去。』

長安春 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-269-5-#23  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2892

 

紫陌長,襟袖冷,不是人間風景。

牡丹の花を廻ってお屋敷をはしごした、都大路は長く、落第してえりと云い袖と云い涙でぬれたものにとって朝の風は冷たいし、しかし、これだけが人の世の風景というものではない。

10. 紫陌長 長安の東西に走る大通り。都の街路。都の市街。合格者は、何処のに葉にも入って行けたし、合格を祝ってもらった、そうすると都大路は。とても長く感じた。

襟袖冷 襟には頬をつたわって流れた涙でぬれ、袖は涙を吹いて濡れていて冷たい。

不是人間風景  この街には悲喜こもごも合格発表に泣くものの方がはるかに多い。

 

迴看塵土似前生,休羨谷中鶯。

この人の俗世間を見まわしてみると結局、ずっと以前から同じようなことを繰り返している、だからといって、鶯が啼いて谷を移り変わってゆく、世渡りの上手い立身出世を遂げてゆく絶頂期のものを羨んだりすることはやめたほうが良い。

11. 塵土 ちりと土。取るに足りないもの、値うちのないもののたとえにもいう。けがれた現世。俗世間。 

12. 谷中鶯 谷の中の鶯。谷を移り変わってゆく、世渡りの上手い立身出世を遂げてゆく絶頂期のものをいう。

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