花間集 訳注解説  (150)回目薛昭蘊十九首《巻三-33 浣溪紗八首其七》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8468

 薛昭蘊十九首《巻三-33 浣溪紗八首其七》

 

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花間集 訳注解説  (150)回目薛昭蘊十九首《巻三-33 浣溪紗八首其七》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8468

(浣溪紗八首 其の七:呉越戦争に絡んだ、呉と越の地をそれぞれの地に立って思いうかべて歌ったもの。)

男をして国や白を滅ぼして顧みぬまでに心酔させるほど妖艶な美女には、恨みごとが、余りあるほどである。たった200本の立派な黒檀が夫差の警戒心を解き、呉の国庫にダメージを与えることになった豪奢な五層の大宮殿を完成させ、姑蘇台となずけたが、幾多の女性が姑蘇城にあつめられ、涙を流して泣いたことだろう。どれほど多くの女性がここ、姑蘇城で忍び泣き、涙を流したことだろう。若耶溪で風に乗って瞳をこらして見つけ出したのは、越の美しい肌の女性、西施のように雪のようにきめ細かく白い肌だった。 呉王夫差の領地である呉の国は、むなしく落日に晒されている。 越王の勾践は自らの宮殿に火をつけて、闘う志気を昂揚させ攻めこんだが、その宮殿は、今、半ば雜草に埋もれてしまっている。太湖に、ハスの花がいっぱいに咲いて、ヒシがいっぱいに繁って、「採蓮曲」の歌が響いている。

 

 

 

 

 

花間集 巻三

 

 

 

 

 

薛侍郎昭蘊十九首:

花間集に薛昭蘊の詞は《小重山二首》《浣溪紗八首》《喜遷鶯三首》《離別難一首》《相見歡一首》《醉公子一首》《女冠子二首》《謁金門一首》の十九首所収している。

 

浣溪沙八首 其一

紅蓼渡頭秋正雨,印沙鷗跡自成行,整鬟飄袖野風香。

不語含嚬深浦裏,幾迴愁煞棹舡郎,鷰歸帆盡水茫茫。

 

其二

鈿匣菱花錦帶垂,靜臨蘭檻卸頭時,約鬟低珥等歸期。

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依依,二年終日損芳菲。

 

其三

粉上依稀有淚痕,郡庭花落欲黃昏,遠情深恨與誰論。

記得去年寒食日,延秋門外卓金輪,日斜人散暗消魂。

 

其四

握手河橋柳似金,蜂鬚輕惹百花心,蕙風蘭思寄清琴。

意滿便同春水滿,情深還似酒盃深,楚煙湘月兩沉沉。

 

其五

簾下三間出寺牆,滿街垂楊綠陰長,嫩紅輕翠間濃粧。

瞥地見時猶可可,卻來閑處暗思量,如今情事隔仙

 

其六

江館清秋纜客舡,故人相送夜開筵,麝煙蘭焰簇花鈿。

正是斷魂迷楚雨,不堪離恨咽湘絃,月高霜白水連天。

 

其七

傾國傾城恨有餘,幾多紅淚泣姑蘇,倚風凝睇雪肌膚。

主山河空落日,越王宮殿半平蕪,藕花菱蔓滿重湖。

 

其八

越女淘金春水上,步搖雲鬢珮鳴璫,渚風江草又清香。

不為遠山凝翠黛,只應含恨向斜陽,碧桃花謝憶劉郎。

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲《浣溪紗八首其七》韋莊

 

 

花間集 訳注解説 巻三-33浣溪紗八首其七

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8468

 

 

唐時代の食事と料理

平和が続き、生活が安定すると物資は豊富なものとなり、外国各地から食材がもたらされ、外国の料理も通常にふるまわれる料理の一種となっていた。

この時代、シルクロードを通って、もたらされたものに香辛料があげられる。胡椒、ヒハツ、ニンニクなどが料理に使われた。西域から伝えられたキュウリやほうれん草も一般に普及した。

中国北部では粟や豆、麦がつくられ、盛唐に小麦粉食が流行したため、麦の生産量が増大した。南部では米がつくられ、大運河を使って北方に運ばれたため、米食が北部で増加し、米を使った料理も増えた。

西域から渡ってきた小麦粉で作る麺類と、小麦粉を練り、焼いてつくられたパン類の餅がすでに主食の一部となっていた。他に饅頭、ワンタン、餃子が流行した。現存する餃子の最古のものは唐の高昌王墓から出土した唐代の化石である。[13]また、西域から新たに、ヒツラ(ピラフ)が伝わった。

肉食は、牛、羊、豚、鶏、ラクダなどの家畜や、狩った鹿や猪、兎、熊などが食された。遊牧民族の肉料理の方法も伝わっていた。

また、海洋技術の発達により、蟹、イカ、ナマコや海藻が採られるようになった。

果物は、ブドウ、ザクロ、ミカン、ウリ、ナシ、スモモ、モモが食べられた。特に南方で捕られたライチは貴重で、楊貴妃に好まれたことで知られた。サツマイモ、ナツメは当時は甘み類の1つであった。

富裕層はすでに多用な食事を食べることが可能になり、珍奇な食材を好むグルメ嗜好も生まれてきた。庶民は穀物やウマゴヤシなどの菜食が中心だった。医食同源という考え方も生まれ、食餌療法も広まっていた。

 

 

服飾と化粧

長い戦乱のため、乱れていた冠服制度は初唐になって整えられた。黄色は皇帝専用の色となり、皇帝は黄袍を着て、皇族と百官は紫・緋・緑・青色の袍服を位階により決められ、着ることを定められた。民の衣は、白や黒が基本であった。貴族や官僚の衣は絹が使われ、民は褐と呼ばれるズボン形式の麻の衣を着た。百官はまた位階により定められた冠や魚袋、笏をつけて朝廷に出仕した。

男性の服飾は、従来のゆったりとした服飾に代えて、胡服と呼ばれた北朝で流行していた北方民族の衣を源流とする衣が中心となった。頭には、襆頭という頭巾が流行し、身分に関わらずつけていた。胡服は狭い袖の上着、ズボンで、革帯で締め、長靴で乗馬しやすいものであった。また、丸襟の袍衫が好まれ、布製に代わり、革の履が使用された。また、西域から来た胡服を着ていたという説もある。

女性の服飾は、胡服の流行や外国の服飾が導入され、国家に関係なく自由であり、色とりどりに染色したものが使われ、絶え間なく、移り変わっていった。大多数は、短い襦か長い衫をつけ、下半身に胸や腹まで引き上げる長裙をつける襦裙を着ていた。他に、襦裙の上半身の上に着る半臂という半袖の衣が好まれた。また、披帛という薄く軽い絹の布を肩にかける装飾品も使われ、先の尖った履をはいた。胸元まで露出することがあり、開放的なものであった。襦裙は時代がすすむとともに、ゆるやかなものに変わっていった。

宮廷の女性の間で女性が男装を行い、盛唐以降に民間で流行し、男性用であった服飾を女性が着ることが多くなった。別に流行ったものとして、胡服がある。これは男性のものとは違い、主に西域から入ってきたもので、狭い袖の上着、長ズボン、長靴が特徴的であった。

頭には、顔を見られぬために、冪リ(べきり、『リ』は「よんまがえ」と下部が「離」)と呼ばれる全身を覆う布がついた頭巾をつけた。次第に、帷帽というつばが広い、つばにつけた紗(うすぎぬ)を顔から首まで垂らした帽子をつけるようになった。胡服が流行してからは、西域から入ってきた胡帽が流行り、顔をうすぎぬで遮らなくなった。その後、渾脱帽という頭の先が尖った顔を出す帽子をつけるようになった。

女性の髪型は、多様なものになった。髻は、高髻をはじめとして、100種近くも存在した。まず、宮中の女性で流行り、民間に伝わった。髻には、様々な材質に細工が施された簪を頭につけ、10本以上もつけることもあった。

化粧は胭脂が流行し、額や頬に塗られた。また、顔を飾るための額黄、黛眉、花鈿、斜紅などの工夫がなされ、額黄は額に黄色のパウダーを塗るもので黛眉で眉を描き、多様な眉の描き方が存在した。花鈿は、金箔、紙などを様々な模様に切り、額や頬を飾るもので、粧靨は両頬にえくぼを描くもの、斜紅は顔の両側で紅を斜めに描くものであった。装飾品は、耳飾り、頭飾り、ネックレス、腕輪、香袋などがつけられた。

 

 

(改訂版)-4.薛昭蘊133《巻三36浣溪紗八首 其七》

浣溪沙八首其七

(浣溪紗八首 其の七:呉越戦争に絡んだ、呉と越の地をそれぞれの地に立って思いうかべて歌ったもの。)

傾國傾城恨有餘,幾多紅涙泣姑蘇,倚風凝睇雪肌膚。

男をして国や白を滅ぼして顧みぬまでに心酔させるほど妖艶な美女には、恨みごとが、余りあるほどである。たった200本の立派な黒檀が夫差の警戒心を解き、呉の国庫にダメージを与えることになった豪奢な五層の大宮殿を完成させ、姑蘇台となずけたが、幾多の女性が姑蘇城にあつめられ、涙を流して泣いたことだろう。どれほど多くの女性がここ、姑蘇城で忍び泣き、涙を流したことだろう。若耶溪で風に乗って瞳をこらして見つけ出したのは、越の美しい肌の女性、西施のように雪のようにきめ細かく白い肌だった。  

呉主山河空落日,越王宮殿半平蕪,藕花菱蔓滿重湖。

呉王夫差の領地である呉の国は、むなしく落日に晒されている。 越王の勾践は自らの宮殿に火をつけて、闘う志気を昂揚させ攻めこんだが、その宮殿は、今、半ば雜草に埋もれてしまっている。太湖に、ハスの花がいっぱいに咲いて、ヒシがいっぱいに繁って、「採蓮曲」の歌が響いている。

(浣溪紗八首 浣溪沙その七)

傾國傾城 恨みは餘り有り,幾多の紅涙 姑蘇に泣く,風に倚り 睇【ひとみ】を凝【こ】らせば 雪の 肌膚。

呉主の山河 空しく落日,越王の宮殿 半ば平蕪,藕【はす】 花さき菱【ひし】蔓【の】びて 重湖に滿つ。

 

 

 

(改訂版)-4.薛昭蘊133《巻三36浣溪紗八首 其七》 

『浣溪沙八首』 現代語訳と訳註

(本文)

浣溪沙八首其七

傾國傾城恨有餘,幾多紅涙泣姑蘇,倚風凝睇雪肌膚。

呉主山河空落日,越王宮殿半平蕪,藕花菱蔓滿重湖。

 

(下し文) (改訂版)-4.薛昭蘊133《巻三36浣溪紗八首 其七》

(浣溪紗八首 浣溪沙その七)

傾國傾城 恨みは餘り有り,幾多の紅涙 姑蘇に泣く,風に倚り 睇【ひとみ】を凝【こ】らせば 雪の 肌膚。

呉主の山河 空しく落日,越王の宮殿 半ば平蕪,藕【はす】 花さき菱【ひし】蔓【の】びて 重湖に滿つ。

 

(現代語訳) (改訂版)-4.薛昭蘊133《巻三36浣溪紗八首 其七》

(浣溪紗八首 其の七:呉越戦争に絡んだ、呉と越の地をそれぞれの地に立って思いうかべて歌ったもの。)

男をして国や白を滅ぼして顧みぬまでに心酔させるほど妖艶な美女には、恨みごとが、余りあるほどである。たった200本の立派な黒檀が夫差の警戒心を解き、呉の国庫にダメージを与えることになった豪奢な五層の大宮殿を完成させ、姑蘇台となずけたが、幾多の女性が姑蘇城にあつめられ、涙を流して泣いたことだろう。どれほど多くの女性がここ、姑蘇城で忍び泣き、涙を流したことだろう。若耶溪で風に乗って瞳をこらして見つけ出したのは、越の美しい肌の女性、西施のように雪のようにきめ細かく白い肌だった。  

呉王夫差の領地である呉の国は、むなしく落日に晒されている。 越王の勾践は自らの宮殿に火をつけて、闘う志気を昂揚させ攻めこんだが、その宮殿は、今、半ば雜草に埋もれてしまっている。太湖に、ハスの花がいっぱいに咲いて、ヒシがいっぱいに繁って、「採蓮曲」の歌が響いている。

  

(訳注) (改訂版)-4.薛昭蘊133《巻三36浣溪紗八首 其七》

改訂版)浣溪紗八首其七

58. (浣溪紗八首 其の七:呉越戦争に絡んだ、呉と越の地をそれぞれの地に立って思いうかべて歌ったもの。)

59. 【解説】前段、越の国には雪のような肌の美人が多く呉越戦争では、西施が役割を果たしたが、多くの女性が涙を流したところでもあるといい、後段は、その血には雑草が多い尽くし、かつての面影はなく秋も深まれば、太湖に一杯になっている蓮と菱のみを採る女の歌声が響き渡る。詠懐抒情詩である。

 

・春まだ寒い時期、染め付けた布地を水にさらした後、河原に干す。春になると谷間の美しい光景となる。「浣溪沙」は、寒食、清明節、春の河原に、色とりどりの万幕を張って行楽を楽しむ様子が布地を晒し、乾かす光景と似ているために、春の行楽の恋模様を詠うものである。多くの階層の歌があるが、妃嬪・宮人・妓優のものがほとんどである。

60. 【構成】・『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。韋荘の浣渓抄の解説参照。

『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。

(改訂版)浣溪紗八首 其一

双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、7⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

紅蓼渡頭秋正雨、印沙鷗跡自成整鬟飄袖野風

不語含嚬深浦裏幾迴愁煞棹舡、鷰歸帆盡水茫茫。

双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。

(改訂版)浣溪沙八首其二

鈿匣菱花錦帶,靜臨蘭檻卸頭,約鬟低珥等歸

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依,二年終日損芳

(改訂版)浣溪紗八首 其三

粉上依稀有淚、郡庭花落欲黃昏、遠情深恨與誰論。

記得去年寒食日、延秋門外卓金、日斜人散暗消魂。

(改訂版)《巻三33浣溪紗八首 其四》

握手河橋柳似、蜂鬚輕惹百花心、蕙風蘭思寄清琴。

意滿便同春水滿、情深還似酒盃、楚煙湘月兩沉沉。

 

改訂版)浣溪紗八首 其五

簾下三間出寺、滿街垂楊綠陰長、嫩紅輕翠間濃

瞥地見時猶可可、卻來閑處暗思、如今情事隔仙

○。

(改訂版)浣溪紗八首 其六

江館清秋纜客,故人相送夜開,麝煙蘭焰簇花。【舡:セン】

正是斷魂迷楚雨,不堪離恨咽湘,月高霜白水連

○●○○●●○、●○△●●○○、●○○●●○△。

△●●○○●●、△○△●△○△、●○○●●○○。

(改訂版)浣溪紗八首 其七

傾國傾城恨有、幾多紅涙泣姑倚風凝睇雪肌

呉主山河空落日、越王宮殿半平、藕花菱蔓滿重湖。

『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。韋荘の浣渓抄の解説参照。

  韋荘(韋相莊)        浣溪紗五首

  薛侍郎昭蘊   浣溪紗八首

  牛學士希濟   浣溪紗四首

  (顧太尉     浣溪紗八首

  孫少監光憲   浣溪紗九首

  閻處士選      浣溪紗一首

  毛秘書熙震   浣溪紗七首

  李秀才珣      浣溪紗四首

 

 

 

傾國傾城恨有餘、幾多紅涙泣姑蘇、倚風凝睇雪肌膚。

男をして国や白を滅ぼして顧みぬまでに心酔させるほど妖艶な美女には、恨みごとが、余りあるほどである。たった200本の立派な黒檀が夫差の警戒心を解き、呉の国庫にダメージを与えることになった豪奢な五層の大宮殿を完成させ、姑蘇台となずけたが、幾多の女性が姑蘇城にあつめられ、涙を流して泣いたことだろう。どれほど多くの女性がここ、姑蘇城で忍び泣き、涙を流したことだろう。若耶溪で風に乗って瞳をこらして見つけ出したのは、越の美しい肌の女性、西施のように雪のようにきめ細かく白い肌だった。  

61. ・傾國傾城:男をして国や白を滅ぼして顧みぬまでに心酔させるほど妖艶な美女。《漢書外戚孝武李夫人傳》「北方有佳人,世而獨立,一顧傾人城,再顧傾人國,寧不知傾城與傾國,佳人難再得。」(北方に佳人有り、絶世にして獨立す。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の國を傾く。寧んぞ傾城と傾國とを知らざらんや、佳人は再びは得がたし。)

《史記項羽本紀》「天下辯士所居傾国」

李白 清平調「名花傾国兩相歡長得君王帶笑看解釋春風無限恨沈香亭北倚欄干

白居易 長恨歌 「漢皇重色思傾國,御宇多年求不得。」

62. 傾城傾國 男が心酔して白も、国も顧みないほども絶世の美女。

国を傾け、城を傾けさせるほどの絶世の美女。○傾国 李延年『絶世傾国の歌』「北方有佳人、絶世而獨立。一顧傾人城、再顧傾人國。寧不知傾城與傾國、佳人難再得。」(北方に佳人有り、絶世にして獨立す。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の國を傾く。寧んぞ傾城と傾國とを知らざらんや、佳人は再びは得がたし。)越王・勾踐から献上され、呉王夫差の愛妃となった西施の美貌をいう。ここでは、西施自身のこと。或いは、広く美貌の意。連城の璧とは?〔史記(藺相如伝)〕中国の戦国時代、秦の昭王が一五の城と交換しようといった、趙(ちよう)の恵文王所有の有名な宝玉のこと。転じて、無上の宝の意。

63. ・傾國 国を傾けさせるほどの絶世の美女。

『漢書・列傳・卷九十七上・外戚傳上』「孝武李夫人,本以倡進。初,夫人兄延年性知音,善歌舞,武帝愛之。毎爲新聲變曲,聞者莫不感動。延年侍上起舞,歌曰:『北方有佳人,絶世而獨立,一顧傾人城,再顧傾人國。寧不知傾城與傾國,佳人難再得。』上嘆息曰:『善。世豈有此人乎。』平陽主因言延年有女弟,上乃召見之,實妙麗善舞。由是得幸。」に因る。

64. ・漢武帝 漢の武帝。(前156年~前87年)前漢第七代皇帝。劉徹のこと。漢帝国の基礎を確立させ、匈奴勢力を漠北から駆逐した。 

韓愈『縣齋有懐』

「・・・誰爲傾国媒、自許連城價。・・・」

中唐詩-268 縣齋有懐 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-29 #2

初唐詩人 劉希夷(劉廷芝)『公子行』
天津橋下陽春水,天津橋上繁華子。
馬聲廻合青雲外,人影搖動綠波裏。
綠波蕩漾玉爲砂,青雲離披錦作霞。
可憐楊柳傷心樹,可憐桃李斷腸花。
此日遨遊邀美女,此時歌舞入娼家。
娼家美女鬱金香,飛去飛來公子傍。
的的珠簾白日映,娥娥玉顏紅粉妝。
花際裴回雙蛺蝶,池邊顧歩兩鴛鴦。
傾國傾城漢武帝,爲雲爲雨楚襄王
古來容光人所羨,況復今日遙相見。
願作輕羅著細腰,願爲明鏡分嬌面。
與君相向轉相親,與君雙棲共一身。
願作貞松千歳古,誰論芳槿一朝新。
百年同謝西山日,千秋萬古北邙塵。

公子行  劉希夷(劉廷芝) (1) 初唐

代白頭吟 劉希夷(劉廷芝)(2) 初唐

李商隠『北斉二首其一』 

一笑相傾國便亡、何勞荊棘始堪傷。

小憐玉體横陳夜、己報周師人晋陽。

北斉二首其一 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 44

65.・恨:うらみ。情愛。深く複雑な感情。ここでは、西施ら女性の辿った運命ともとれる。 

66.・有餘:余りある。

67.・幾多:いくたの。多くの。 

68.・紅涙:女性の涙。 

69.・泣:声を出さないで涙を流して泣くこと。 

70.・姑蘇:姑蘇台:木涜に館娃宮という黒檀の大御殿をたてた、蘇州にある。200本の立派な黒檀の柱を贈られ、それにふさわしく全体建設費が莫大にかかる、豪奢な五層の大宮殿を完成させ、姑蘇台と命名する。宮殿造営の予算を大幅に増額させたため、呉の国庫は致命的な打撃を受けた。こうしてたった200本の木材が夫差の警戒心を解き、呉の国庫にダメージを与えたのである。呉の首都。呉王・夫差が姑蘇城にいたが、越王・勾践に攻められ、降ろされたところ。

71.・倚:よる。たのむ。すがる。あわせる。 

72.・風:かぜ。 

73.・凝睇:瞳をこらす。注視する。この語の主語は何になるかによって、意味が微妙に動く。「倚風」の意味も分かりにくい。 

74.・雪:雪のように真っ白な。女性の美しい肌の形容。 

75.・肌膚:はだ。

 

呉主山河空落日、越王宮殿半平蕪、藕花菱蔓滿重湖。

呉王夫差の領地である呉の国は、むなしく落日に晒されている。 越王の勾践は自らの宮殿に火をつけて、闘う志気を昂揚させ攻めこんだが、その宮殿は、今、半ば雜草に埋もれてしまっている。太湖に、ハスの花がいっぱいに咲いて、ヒシがいっぱいに繁って、「採蓮曲」の歌が響いている。

76.・呉主山河:呉王夫差の領地である呉の国は。・呉主:呉王・夫差のこと。

77.・空:むなしく。 

78.・落日:夕日。ここでは、国の滅亡をいう。呉の国が、越の勾踐に滅ぼされたことを指す。

・越王宮殿:越王の勾践は呉を滅ぼした後、やがては、自分も滅んでいき、その宮殿は半分草に埋もれているということ。 ・越王:越王・勾践のこと。 

79.・半:なかばは。 

80.・平蕪:雑草の生い茂った平野。

81.・藕花:ハスに花が咲く。 

82.・菱蔓:ヒシが繁る。 

83.・滿:いっぱいになる。 

84.・重湖:太湖のこと。古代の太湖は東シナ海の一部であったが、長江と銭塘江が運ぶ土砂で沖積平野が形成された結果、海から切り離された潟湖(ラグーン)となり、やがて雨量の多さや流入する無数の河川の淡水によって次第に淡水湖となっていった。

かつて太湖は震澤、具区、笠澤、五湖などと呼ばれるほどであったので、重湖といった。周辺は「魚米の郷」と呼ばれる中国有数の豊かさを誇る穀倉地帯・淡水漁業地帯であり、多くの古代国家や豊かな食文化を支えてきた

 

85.姑蘇台。木涜に館娃宮という大御殿。

あるとき、夫差は宮殿を造営しようとしたが、越はそれを聞きつけ、恐ろしい策略を用いる。越の亀山(きざん)は良木を産することで知られていた。そこで、その中で最も高価な黒檀200本を切り出し、呉に送ったのである。黒檀(こくたん)は、硬くて、耐久性があり、重量感がある(水に入れると沈む)。高級家具や仏壇、高級リコーダーにも使われる高級木材である。

 呉は良材に乏しかったので、この貢ぎ物は、夫差を大いに喜ばせた。宮殿は、黒檀200本にふさわしいものでなければならない。夫差はそう考え、宮殿造営の予算を大幅に増額させたが、その分、呉の国庫は目減りした。こうして、豪奢な五層の大宮殿が完成し、姑蘇台(こそだい)と命名された。たった200本の木材が夫差の警戒心を解き、呉の国庫を減らしたのである。

 

 

86.越王勾践が宮殿を焼いた話

 越王の勾践(こうせん)が、臣下の文種に尋ねた。

 「私は、そろそろ呉に復讐したいと考えているが、用意の方はどうであろう。」

 「よろしいと存じます。私は以前より、兵に対して賞を渡たすときは手厚く間違いなく行い、罰を与えるときは厳しく見逃さないようにしてきました。ですから、皆、一騎当千の兵に育っているはずです。陛下がそのことを確かめたいと思われるのなら、ためしにこの宮殿に火をかけてみられたらいかがでしょうか。」

 そこで勾践は、宮殿に火をつけてみたが、誰も消火に現れなかった。そこで、次のような命令を出した。

 「位階の上下を問わず、消火のために死んだ者には、戦場で死んだ者と同じ恩賞を与える。消火に参加しなかった者は、脱走と同じ罰を与える。」

 これを聞いた者たちは、全身に火傷防止の泥を塗り、濡れた衣をまとって火に飛び込んだ。その数は、左側から3,000人、右側からも3,000人いた。

 これで、勾践は、越軍が必勝の態勢であることがわかった。

 賞の基準を厳格かつ的確に行っていれば、どんな者で使うことができるのである。それが、例え命を落とすことになるようなことでも、人は従うのである。

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