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 薛昭蘊 《巻三-28浣溪紗八首其二》

 

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花間集 訳注解説 巻三-28 (145)回目薛昭蘊十九首浣溪紗八首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8438

(寵愛を失った妃嬪が寒食、清明節のころには行楽の約束をされて心待ちにしていたが、宮殿の自室に迎えることもなく、行楽に出かけるこうとないまま空しく春を過す。)其の二

額に飾る花鈿の飾物を宝飾箱から出し、菱花の鏡をだす、そして、錦の帯を帯びかけに出して垂れさせ用意する。寒食、清明の行楽に迎えにくる約束の数日は髪を頭頂で左右に分け、耳飾りを多く低くつけて毎日同じようにして待つ。それは、しずかに欄干に臨みおむかえし、頭に飾っているものを取り去って褥に入る時を楽しみにしているからなのだ。この季節になると野山に草木が繁茂して、故郷の湘水の岸辺の砂浜に、色とりどりの幔幕が広がっているだろうと、行楽の夢をしっかり見るころに、ひたひたと水時計の音がむなしく響いて現実に戻される。もう二回目の春は終わろうとしていいて春の花が咲きみだれて、やがてその香はなくなって、妃嬪の女としての盛りが過ぎてしまうようで愁いが深くなる。

 

 

唐時代、女性の美の総論

唐代の人々が美しいと感じる女性は、どのような人であったか。玄宗は太子の妃を選ぶ時、はっきりと「背が高くて色の白い」女子を選ぶようにと言ったことがある(『唐語林』巻一)。寧王李憲(容宗の長子)は、隣に住む餅売りの妻を見初めたが、それは彼女が「肌のきめが細かくて白く、目が輝いて美しい」からであった(『本草詩』情感)。これらは、およそ基本的に唐代の人々の女性についての審美観を反映しており、また中国古代の女性美についての一般的な標準とも一致している。つまり、「長、白、美」の三つであった。長とは身長が高いこと、白とは皮膚の色が白いこと、美とは容貌が美しいことである。中国古代の美人の基準は主にこうした点にあり、唐代の人々も例外ではなかった。その他に、「桜桃 焚素(白居易家の歌妓)の口、楊柳 小蛮(同じく歌妓)の腰」(白居易「楊柳枝詞」)というように、唐代の詩詞や著作の中に反復して出てくる、小さい口、細い腰、白い手、細い足などは、秀麗で繊細な美人の特徴であり、だいたい各時代のそれと一致している。

しかし、人々は唐代の女性美には他の時代にはない特色があったことに注目している。唐代の男性は、背が高く色が白く、細くて優雅な女性を好んだが、しかし決して林黛玉(『紅楼夢』の主人公)のような病弱なものは喜ばなかった。彼らは健康で雄々しく、はては豊満でぽっちゃりした美人を大いに尊んだ(これはただこの時代の好みというだけであって、決してあらゆる人々がいつもこうだったわけではない)。この点に関しては、証拠はたいへん多く、すでに人々の周知のことである。

 

《体型》

唐代の絵画、彫像に出てくる女性の姿を見ると、彼女たちはみな確かに顔は満月のようにふくよかであり、からだは豊満でまるまるとしている。そして、あの軍服を着て馬に乗って弓を引く女性は、特に堂々とした勇敢な姿を示しており、痩せて弱々しい姿はほとんど見られない。これはまさに唐代の人々の審美観と現実の生活そのものの反映であった。唐代第一の美人楊玉環(楊貴妃)は豊満型の美人であり、漢代の痩身型の美人趨飛燕と並んで、「燕は痩せ環は肥え」といわれ、美人の二つの典型と称された。

このような美意識は、唐代の社会生活と社会の気風から生れた。というのは、唐代の物質生活は比較的豊かであったから、身体がふっくらとした女性が多くいたのである。また社会の気風は開放的であり、北朝の尚武の遺風を受け継ぎ、女性は家から出て活動することもわりに多く、また常に馬に乗って矢を射る活動にも加わっていた。それで、往々女性は健康的で楓爽たる姿をしていたのである。こうした現実が人々の審美観に影響し、そしてこの審美観と時代の好みとが、逆に女性た

ちにこの種の美しさを極力追求させたのである。少なくとも「楚王、細き腰を好む」ために、食を減らすといったことはなかった。これによって、女性は健康で雄々しくかつ豊満であるといった傾向が助長されたのである。

* 『筍子』等に、昔、楚の霊王は腰の細い美人を好んだ。それで宮中の女性は食を減らし餓死したという故事がある。

審美観と密接な関係がある服装と化粧は、女性の生活の重要な一部分であった。この方面の論文や著書はたいへん多いが、ここでは、すでに発表された著作のうち、主として孫機先生の「唐代婦女の服装と化粧」(『文物』一九八四年第四期)と題する一文によって簡単に紹介し、その後で、唐代女性の服装と化粧について、少しばかり私の意見を述べようと思う。

 

《服装と化粧》

 ―服装

唐代の女性の服装は、貴賎上下の区別なく、だいたいにおいで杉(一重の上着)、裾(スカート)、岐(肩かけ)の三つからなっていた。上着の衫のすそは腰のあたりで裙でとめる。裙はたいていだぶだぶとして大きく、長くて地面をひきずるほどであり、普通六幅(一幅は二尺二寸)の布で作られた。肩に布をかけるが、これを「帔服」といい、腰のあたりまでゆったりと垂れている。また、常に衫の上に「半臂」(袖の短い上着)をはおったが、これはかなり質のよい布で作り、主に装飾のためのものであった。足には靴か草履をはいたが、これらは綿布、麻、錦帛、蒲などで作られていた。

 

―化粧

唐代の女性は、化粧にたいへん気をつかった。普通は、顔、胸、手、唇などに白粉や頬紅をつけ、また肌を白くし、あるいは艶やかにしたが、それ以外に眉を画くことをことのほか重視した。眉毛の画き方はたいへん多く、玄宗は画工に「十眉図」を描かせたことがあり、それらには横雲とか斜月などという美しい名称がつけられていた(『粧楼記』)。ある人は、唐代の女性は眉毛の装飾に凝り、それはいまだかつてなかった水準に達したと述べている。その他、彼女たちは額の上に黄色の粉を塗り、それを「額黄」「花蕊」「蕊黄」といった。また、金箔や色紙を花模様に切り抜いて両眉の間に貼るのが流行り、「花細」、「花子」などと呼んだ。その他、両頬に赤、黄の斑点、あるいは月や銭の図柄を貼るケースもあり、これは「粧靨」靨はえくぼの意)といった。

唐の玄宗皇帝が画工に命じて描かせた《十眉図》に見られるように,鴛鴦眉(八字眉),小山眉(遠山眉),五嶽眉,三峯眉,垂珠眉,月稜眉(却月眉),分稍眉,涵烟眉,払雲眉(横烟眉),倒暈眉の10種類であった。唐の末期には〈血曇粧〉といって目の縁を赤紫に彩った化粧がはやった。

 

 ―髪型

髪型はさらに豊富多彩で、段成式の著作『髻鬟品』 には、多種多様の髪型が列挙されている。たとえば、半翻髻【はんほんけい】、反綰髻【はんわんけい】、楽游髻、双環望仙髻、回鶻髻、愁来髻、帰順髻、倭堕髻など。髻の上に、色々な宝石や花飾りの簪を挿したり、歩揺(歩く度に美しく揺れ光る髪飾り)を着けたり、櫛を挿したりして飾った。それらは、貧富や貴賎によって定まっていた。

衣服、装飾などはきわめて墳末な物ではあるが、かえって一滴の水と同じょうに、往々にして社会の多種多様の情況をよく映し出すことができた。唐代の女性の服飾もその例に漏れない。そこに浮かび上がる特色もまた、まさに唐代という社会の諸相を映し出す映像そのものであった。

 

 

 

 

 

花間集 巻三

 

 

 

 

 

薛侍郎昭蘊十九首:

花間集に薛昭蘊の詞は《小重山二首》《浣溪紗八首》《喜遷鶯三首》《離別難一首》《相見歡一首》《醉公子一首》《女冠子二首》《謁金門一首》の十九首所収している。

 

浣溪沙八首 其一

紅蓼渡頭秋正雨,印沙鷗跡自成行,整鬟飄袖野風香。

不語含嚬深浦裏,幾迴愁煞棹舡郎,鷰歸帆盡水茫茫。

 

其二

鈿匣菱花錦帶垂,靜臨蘭檻卸頭時,約鬟低珥等歸期。

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依依,二年終日損芳菲。

 

其三

粉上依稀有淚痕,郡庭花落欲黃昏,遠情深恨與誰論。

記得去年寒食日,延秋門外卓金輪,日斜人散暗消魂。

 

其四

握手河橋柳似金,蜂鬚輕惹百花心,蕙風蘭思寄清琴。

意滿便同春水滿,情深還似酒盃深,楚煙湘月兩沉沉。

 

其五

簾下三間出寺牆,滿街垂楊綠陰長,嫩紅輕翠間濃粧。

瞥地見時猶可可,卻來閑處暗思量,如今情事隔仙

 

其六

江館清秋纜客舡,故人相送夜開筵,麝煙蘭焰簇花鈿。

正是斷魂迷楚雨,不堪離恨咽湘絃,月高霜白水連天。

 

其七

傾國傾城恨有餘,幾多紅淚泣姑蘇,倚風凝睇雪肌膚。

主山河空落日,越王宮殿半平蕪,藕花菱蔓滿重湖。

 

其八

越女淘金春水上,步搖雲鬢珮鳴璫,渚風江草又清香。

不為遠山凝翠黛,只應含恨向斜陽,碧桃花謝憶劉郎。

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲《浣溪紗八首其二》韋莊

 

 

花間集 訳注解説 巻三-28浣溪紗八首其二

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8438

 

 

 

 (改訂版)《巻三27浣溪紗八首 其一》

浣溪沙八首 其一

(春の清明節のころ、秋の長雨のように降り止まないので、行楽が中止になった。その時の様子を詠ったものである。)

紅蓼渡頭秋正雨,印沙鷗跡自成行,整鬟飄袖野風香。

春の行楽、舟遊びを楽しみいるというのに、渡し場のあたりの紅蓼にもあきのながあめのように雨が降ってくる、砂浜もぬれてカモメの足跡が列をなしてしっかりと残るほどである、舟遊び、野砂浜で宴を催すはずであった女たちがあめのやむのをまっている。髷の髻から髪が垂れ、袖が揺れ、野の風が香りを運んでくる。

不語含嚬深浦裏,幾迴愁煞棹舡郎,鷰歸帆盡水茫茫。

行楽が中止されると誰もが語ることもないし、苦々しさを含んだ顔つきで、船津の裏の奥の方に消えていく、憂い顔の船頭は幾度も廻って舟歌を歌ってかえって行く。ツバメも、女妓たちも帰ってしまい、小雨そぼ降る水面が茫茫として広がっているだけなのだ。

(浣溪沙八首 其の一)

紅蓼【こうじん】渡頭に秋の正ぞ雨なる,鷗跡【おうせき】沙に印して 自ら行を成し,整鬟【せいかん】飄袖【ひょうしゅう】野風 香る。

語らず 嚬【しかめ】るを含んで浦の裏に深くする,幾びか迴って 棹舡郎【とうこうろう】を愁煞【しゅうさつ】せんとし,鷰 歸って 帆は水を茫茫とし盡す。

 

(改訂版)《巻三31浣溪紗八首 其二》

浣溪沙八首其二

(寵愛を失った妃嬪が寒食、清明節のころには行楽の約束をされて心待ちにしていたが、宮殿の自室に迎えることもなく、行楽に出かけるこうとないまま空しく春を過す。)其の二

鈿匣菱花錦帶垂,靜臨蘭檻卸頭時,約鬟低珥等歸期。

額に飾る花鈿の飾物を宝飾箱から出し、菱花の鏡をだす、そして、錦の帯を帯びかけに出して垂れさせ用意する。寒食、清明の行楽に迎えにくる約束の数日は髪を頭頂で左右に分け、耳飾りを多く低くつけて毎日同じようにして待つ。それは、しずかに欄干に臨みおむかえし、頭に飾っているものを取り去って褥に入る時を楽しみにしているからなのだ。

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依依,二年終日損芳菲。

この季節になると野山に草木が繁茂して、故郷の湘水の岸辺の砂浜に、色とりどりの幔幕が広がっているだろうと、行楽の夢をしっかり見るころに、ひたひたと水時計の音がむなしく響いて現実に戻される。もう二回目の春は終わろうとしていいて春の花が咲きみだれて、やがてその香はなくなって、妃嬪の女としての盛りが過ぎてしまうようで愁いが深くなる。

 

 

 

(改訂版)《巻三31浣溪紗八首 其二》

『浣溪沙八首』 現代語訳と訳註

(本文)

浣溪沙八首其二

鈿匣菱花錦帶垂,靜臨蘭檻卸頭時,約鬟低珥等歸期。

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依依,二年終日損芳菲。

 

(下し文)

(浣溪の沙 八首 其の二)

鈿匣【でんこう】菱花【りょうか】錦帶垂れ,靜かに臨む蘭の檻 卸頭【しゃとう】の時,約鬟【やくかん】低珥【ていじ】歸期に等【なお】す。

茂茂として艸青 湘渚【しょうちょ】闊がる,夢餘り 漏は依依とするも空しく有り,二た年 日終り 芳菲も損う。

 

(現代語訳)

(寵愛を失った妃嬪が寒食、清明節のころには行楽の約束をされて心待ちにしていたが、宮殿の自室に迎えることもなく、行楽に出かけるこうとないまま空しく春を過す。)其の二

額に飾る花鈿の飾物を宝飾箱から出し、菱花の鏡をだす、そして、錦の帯を帯びかけに出して垂れさせ用意する。寒食、清明の行楽に迎えにくる約束の数日は髪を頭頂で左右に分け、耳飾りを多く低くつけて毎日同じようにして待つ。それは、しずかに欄干に臨みおむかえし、頭に飾っているものを取り去って褥に入る時を楽しみにしているからなのだ。

この季節になると野山に草木が繁茂して、故郷の湘水の岸辺の砂浜に、色とりどりの幔幕が広がっているだろうと、行楽の夢をしっかり見るころに、ひたひたと水時計の音がむなしく響いて現実に戻される。もう二回目の春は終わろうとしていいて春の花が咲きみだれて、やがてその香はなくなって、妃嬪の女としての盛りが過ぎてしまうようで愁いが深くなる。

 

(訳注) (改訂版)《巻三31浣溪紗八首 其二》

浣溪沙八首其二

1.(寵愛を失った妃嬪が寒食、清明節のころには行楽の約束をされて心待ちにしていたが、宮殿の自室に迎えることもなく、行楽に出かけるこうとないまま空しく春を過す。)其の二

春まだ寒い時期、染め付けた布地を水にさらした後、河原に干す。春になると谷間の美しい光景となる。「浣溪沙」は、寒食、清明節、春の河原に、色とりどりの万幕を張って行楽を楽しむ様子が布地を晒し、乾かす光景と似ているために、春の行楽の恋模様を詠うものである。多くの階層の歌があるが、妃嬪・宮人・妓優のものがほとんどである。

2.【構成】『花間集』には薛昭蘊の作が八首収められている。双調四十二字、前段二十一字三句三平韻、後段二十一字三句二平韻で、⑦⑦⑦/7⑦⑦の詞形をとる。韋荘の浣渓抄の解説参照。

 浣溪沙八首其二

鈿匣菱花錦帶,靜臨蘭檻卸頭,約鬟低珥等歸

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依,二年終日損芳

 

鈿匣菱花錦帶垂,靜臨蘭檻卸頭時,約鬟低珥等歸期。

額に飾る花鈿の飾物を宝飾箱から出し、菱花の鏡をだす、そして、錦の帯を帯びかけに出して垂れさせ用意する。寒食、清明の行楽に迎えにくる約束の数日は髪を頭頂で左右に分け、耳飾りを多く低くつけて毎日同じようにして待つ。それは、しずかに欄干に臨みおむかえし、頭に飾っているものを取り去って褥に入る時を楽しみにしているからなのだ。

3. ・鈿匣 ・鈿:古代婦女の顔面の上に飾物をつけること。匣:はこ。

4. ・菱花 ヒシの花。《裏面に多くヒシの花を鋳るところから》金属製の鏡。菱花鏡。

5. ・蘭檻 蘭のかおる女の閨。

6. ・卸頭 女性の頭に飾っているものを取り去ること。通常は逢瀬で床に入る際に飾り物をとるという意味だが、この詩は帰って来る相手のために飾ったものを、約束を破られたので飾を執ることをいう。卸下頭上的裝飾。唐·韓偓·閨情詩:「輕風滴礫動簾鉤,宿酒猶酣懶卸頭。」

7. ・鬟 鬟:わげ。頭頂で左右に分け,それぞれ耳のわきで輪をつくって束ねた結い方。びずら。びんずら。髻【もとどり】:《「本取り」の意》髪を頭の上に集めて束ねた所。また、その髪。たぶさ。

8. ・珥 1.耳の飾り珠。丸玉。2. 剣の白玉飾りのある柄頭。《楚辭·九歌、東皇太一》撫長兮玉珥,璆鏘鳴兮琳琅。《註》珥,音餌。 又同咡。3.日傘。日傍の雲気。日旁氣也。《前漢·天文志》抱珥𧈫蜺。蜺とは、耳飾りという意味の漢字である。

9. ・等 等しい。整える。階級。階段。順位をあらわす。はかる。待つ。篇海に「等,侯待也。」とある。ここでは帰る約束の寒食清明節のころに毎日同じように待っているというほどの意。

10. ・歸期 帰って來るという約束の日のこと。

 

茂茂艸青湘渚闊,夢餘空有漏依依,二年終日損芳菲。

この季節になると野山に草木が繁茂して、故郷の湘水の岸辺の砂浜に、色とりどりの幔幕が広がっているだろうと、行楽の夢をしっかり見るころに、ひたひたと水時計の音がむなしく響いて現実に戻される。もう二回目の春は終わろうとしていいて春の花が咲きみだれて、やがてその香はなくなって、妃嬪の女としての盛りが過ぎてしまうようで愁いが深くなる。

11. ・茂茂 1茂る,繁茂する.≡懋.⇒繁茂.用例根深叶茂=根は深く葉が茂っている.2豊富ですばらしい.

湘渚【しょうちょ】秋江 靜まり,蕉花 露に泣き 紅に愁う。  湘江は、広西チワン族自治区北部臨桂県の海陽山に発する。海洋圩から流れる海洋河を源流とし、北東方向へ広西チワン族自治区を流れる。湖南省永州市東安県の瀑埠頭で湖南省に入る。永州市では紫水、石期河、瀟水、応水、白水などの支流が、衡陽市では蒸水と耒水が、衡山県では水が、株洲県淥口鎮で淥水が、湘潭市で漣水が流入する。長沙市の中心で瀏陽河と撈刀河が、望城県新康で水が流入し、湘陰県の濠河口で左右に分かれて洞庭湖に注ぐ。湘江には2,157の支流があるとされ、主要な支流のうち、瀟水、耒水、水、淥水、瀏陽河は東岸の支流で、祁水、蒸水、涓水、漣水、水は西岸の支流である。

『臨江仙 一首』

煙收湘渚秋江靜,蕉花露泣愁紅。

五雲雙鶴去無蹤,幾迴魂斷,凝望向長空。

翠竹暗留珠淚怨,閑調寶瑟波中,花鬟月鬢綠雲重。

古祠深殿,香冷雨和風。

臨江仙 一首 張泌【ちょうひつ】  ⅩⅫ唐五代詞・ 「花間集」 Gs-349-7-#11  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3292

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