143)回目韋相莊二十五首【字解集】 a喜遷鶯二首 b.思帝鄉二首 c.訴衷情二首 d.上行盃二首 e.女冠子二首 f.更漏子 g.酒泉子 h.木蘭花 i.小重山》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8426

 【字解集】 a喜遷鶯二首 b.思帝二首 c.訴衷情二首 d.上行盃二首 e.女冠子二首 f.更漏子 g.酒泉子 h.木蘭花 i.小重山

 

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花間集 巻三

 

 

 

 

 

喜遷鶯二首 其一

人洶洶,鼓鼕鼕,襟袖五更風。大羅天上月朦朧,騎馬上虛空。

香滿衣,雲滿路,鸞鳳繞身飛舞。霓旌絳節一群群,引見玉華君。

 

喜遷鶯二首 其二

街鼓動,禁城開,天上探人。鳳銜金榜出雲來,平地一聲雷。

鶯已遷,龍已化,一夜滿城車馬。家家樓上簇神仙,爭看鶴沖天。

 

思帝二首 其一

雲髻墜,鳳釵垂,髻墜釵垂無力,枕函欹。

翡翠屏深月落,漏依依。盡人間天上,兩心知。

 

思帝鄕二首 其二

 春日遊,  杏花吹滿頭。 陌上誰家年少、 足風流。

 妾擬將身嫁與、 一生休。 縱被無情棄,  不能羞。

 

訴衷情二首 其一

燭燼香殘簾半卷,夢初驚。花欲謝,深夜,月朧明。

何處按歌聲?輕輕,舞衣塵暗生,負春情。

 

訴衷情二首 其二

碧沼紅芳煙雨靜,倚蘭橈。垂玉佩,交帶,嫋纖腰。

鴛夢隔星橋,迢迢,越羅香暗銷,墜花翹。

 

上行盃二首其一

芳艸灞陵春岸,柳煙深,滿樓弦管,一曲離腸寸寸斷。

今日送君千萬,紅樓玉盤金鏤盞,須勸珍重意,莫辭滿。

 

上行盃二首其二

白馬玉鞭金轡。少年郎,離別容易。迢遞去程千萬裏。

惆悵異雲水,滿酌一杯勸和淚。須愧,珍重意,莫辭醉。

 

女冠子二首其一

四月十七,正是去年今日。別君時,忍淚佯低面,含羞半斂眉。

不知魂已斷,空有夢相隨。除卻天邊月,沒人知。

 

女冠子二首其二

昨夜夜半,枕上分明夢見:語多時,依舊桃花面,頻低柳葉眉。

半羞還半喜,欲去又依依。覺來知是夢,不勝悲。

 

更漏子.

鐘鼓寒,樓閣暝,月照古銅金井。深院閉,小樓空,落花香露紅。

煙柳重,春霧薄,燈背水窗高閣。閑倚,暗沾衣,待郎郎不歸。

 

酒泉子

月落星沉、棲上美人春睡。緑雲傾、金枕膩、畫屏深。

子規啼破相思夢、曙色東方纔動。柳煙軽、花露重、思難任。

 

木蘭花

獨上小樓春欲暮,愁望玉關芳艸路。消息斷,不逢人,卻斂細眉歸繡

坐看落花空歎息,羅袂濕斑紅淚滴。千山萬水不曾行,魂夢欲教何處覓。

 

小重山

一閉昭陽春又春,夜寒宮漏永,夢君恩。臥思陳事暗消魂,羅衣濕,紅袂有啼痕。

歌吹隔重閽,繞庭芳草綠,倚長門。萬般惆悵向誰論?凝情立,宮殿欲黃昏。

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲《【字解集】 a喜遷鶯二首 b.思帝二首 c.訴衷情二首 d.上行盃二首 e.女冠子二首 f.更漏子 g.酒泉子 h.木蘭花 i.小重山》韋莊

 

 

【字解集】 a喜遷鶯二首 b.思帝二首 c.訴衷情二首 d.上行盃二首 e.女冠子二首 f.更漏子 g.酒泉子 h.木蘭花 i.小重山

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8426

 

 

 

 

 

【字解集】 a喜遷鶯二首

喜遷鶯二首 其一

1. (喜遷鶯【きせんのう】二首 其の一:科挙の試験に合格し、心ウキウキ、舞上っていて、天子にお目見えするさまを、これまで経験していないことから、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠う。)

2. 遷鶯 鶯遷のこと。 鶯が谷から出て大きな木に移ること。転じて、立身出世すること。進士の試験に及第することをいう。科挙の試験に合格し、朝まだき、天子にお目見えするさまを、道教の神、玉華君にお目見えするさまを借りて詠うもので率直な表現をしている。前段は、天子に拝謁に向かう騎馬の行列の鳴り物入りの賑やかなさまは他人の騒がしさ、襟や袖を吹き過ぎる夜明けの風の模様、五更の空は自分自身が感じるこれまでと違った感覚などを描写する。後段は、参内する科挙の合格者の騎馬の列、それを導く儀仗隊の盛んなさま、合格者の豪華な着衣などを描写した後、いよいよ天子に拝謁するさまを述べる。韋荘は科挙の試験に幾度も失敗を重ね、晩年、五十九歳になって初めて合格した。この詞には、その歓びのさまが言葉の端々に表れている。後段最後の「玉華君に引見せらる」の句は、科挙の合格者が、天子直々の試験、殿試験を受けることを言ったものである。

『喜遷鶯二首』其一、『題酒家』「酒綠花紅客愛詩,落花春岸酒家旗。尋思避世爲逋客,不醉長醒也是癡。」題酒家 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-278-5-#32  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2937

韋莊 長安の春

長安二月多香塵、六街車馬聲鈴凛。

家家楼上如花人、千枝萬枝紅艶新。

簾間笑語自相問、何人占得長安春。』

長安春色本無主、古来盡屬紅樓女。

如今無奈杏園人、駿馬輕車擁将去。』

長安春 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-269-5-#23  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2892 

薛昭蘊 喜遷鶯三首 其二

金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。

樺煙深處白衫新,認得化龍身。

九陌喧,千啓,滿袖桂香風細。

杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

9 17 喜遷鶯三首 其二 (薛昭蘊)薛侍郎昭蘊ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-394-9-#17  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3517

またの名を《早梅芳》、《春光好》、《烘春桃李》、《喜遷鶯令》、《萬年枝》、《燕歸來》、《鶴沖天》、《鶴冲霽》、《燕帰梁》、などという。

3.【構成】「花間集」には韋荘の詩二首収められている。双調四十七字、前段二十三字五句五平韻、後段二十四字五句二仄韻二平韻で、③③⑤⑦⑤/3❸❻⑦⑤の詞形をとっている。

人洶,鼓鼕,襟袖五更

大羅天上月朦,騎馬上虛

香滿衣,雲滿,鸞鳳繞身飛

霓旌絳節一群,引見玉華

   

 

   
  

 

4. 洶洶 人声の騒がしいさま。車馬の準備で、下男たちが越えろ擧、馬が嘶く、車馬の行き交う音、朝ご飯の支度と唐のことを言う。

5. 鼕鼕 大鼓の音の擬音語。どんどん。

6. 襟袖有更風 襟や袖のあたりを吹き過ぎてゆく明け方の風。五更は夜明け近い時刻。夜明け前に朝廷に整列するためいえをはやくでて、この句からは、受験をしている時と、科挙に合格し、朝礼に参列するようになると、すべて違ってくる。作者の得意満面、颯爽と明け方近くの風を切ってゆくさまが窺える。

 7. 大羅天 道家の説く最高の人。ここでは宮中を喩える。
8.
 上虚空 宮中に上ることをいう。

9. 雲満路 宮中に参内する合格者の騎馬や、それを導く儀仗隊の人々が道に溢れること、雲はお香に加えて彼らの足元から舞い上がる土埃を喩える。なお、道端に居並ぶ宮女のこと、あるいは車馬の盛んなさますべてが、天上、天界ということでもある。

10. 鸞鳳繞身飛舞 天界そのもので、この身のまわりを鳳凰が飛び舞うようであるこという。

11. 霓旌絳節 儀仗隊が手にする五色や紅の旗指物。

12. 玉華君 道教の上帝。ここでは天子を喩える。

13. 羣羣  むれ。ひとかたまりになったあつまり。また、なかま。みうち。もろもろ。。 まるく円陣をなして集まる。仲間たちが一つ所に集まる。

《鄭箋》孔羣,言和調也。 又緹羣,山名。《後漢·五行志》出門,望緹羣。 又羣羣。《李嘉祐詩》荻花寒漫漫,鷗鳥暮羣羣。

(改訂版)-34韋荘112《巻3-12 天仙子五首 其五》

金似衣裳玉似身、眼如秋水鬢如雲、霞裙月帔一羣羣。

來洞口 望煙分、劉阮不歸春日曛。

14. 引見 地位・身分の高い者が、相対的に身分の低い者を、自分のもとへ招いて面会すること。 特に天子が使節などと面会されることを指す際に用いられる。ここでは、科挙の合格者が、天子直々の試験、殿試験を受けることを言ったものである。

喜遷鶯二首 其二

15.(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の二:科挙の試験に合格し、天子にお目見えするさまを、そして、その後街中を無礼講で歩き回り、夜の宮中晩さん会を仙郷に喩えて詠う。)

16. 遷鶯 鶯遷のこと。 鶯が谷から出て大きな木に移ること。転じて、立身出世すること。進士の試験に及第することをいう。またの名を《早梅芳》、《春光好》、《烘春桃李》、《喜遷鶯令》、《萬年枝》、《燕歸來》、《鶴沖天》、《鶴冲霽》、《燕帰梁》、などという。

17.【構成】「花間集」には韋荘の詩二首収められている。双調四十七字、前段二十三字五句五平韻、後段二十四字五句二仄韻二平韻で、③③⑤⑦⑤/3❸❻⑦⑤の詞形をとっている。

-35韋荘113《巻3-13 喜遷鶯二首 其一》

人洶,鼓鼕,襟袖五更

大羅天上月朦,騎馬上虛

香滿衣,雲滿,鸞鳳繞身飛

霓旌絳節一群,引見玉華

   

 

   
  

-36韋荘114《巻3-14 喜遷鶯二首 其二》

街鼓動  禁城開 天上探人

鳳銜金膀出雲來 平地一聲

鶯已遷 龍已化  一夜滿城車馬
家家樓上簇神  爭看鶴冲

   

 

   
  

 

科挙の試験に合格し、喜びを歌にしたもの。『喜遷鶯二首』其一、『題酒家』「酒綠花紅客愛詩,落花春岸酒家旗。尋思避世爲逋客,不醉長醒也是癡。」題酒家 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-278-5-#32  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2937

長安春

長安二月多香塵、六街車馬聲鈴凛。

家家楼上如花人、千枝萬枝紅艶新。

簾間笑語自相問、何人占得長安春。』

長安春色本無主、古来盡屬紅樓女。

如今無奈杏園人、駿馬輕車擁将去。』

長安春 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-269-5-#23  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2892

18. ・鼓動 大鼓の音と人声の騒がしいという其一の言い回しである。『喜遷鶯二首 其一』「人洶洶,鼓鼕鼕,襟袖五更風。」

玉壺吟 :雑言古詩 李白

鳳凰初下紫泥詔、謁帝稱觴登御筵。 
紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅が、初めて下された日、私は皇帝に拝謁し、酒杯を挙げて、御宴に登ったのだ。
鳳凰初下紫泥詔  鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。○稱觴  觴(さかずき)を挙げる。○御筵 皇帝の設けた宴席。

19. ・禁城 天子の居城。皇居。宮城。南朝宋顏延之《拜陵廟作》「夙御嚴清制, 朝駕守禁城。」朱雀門、承天門、大極殿 を開くこと。

*「引見」 地位・身分の高い者が、相対的に身分の低い者を、自分のもとへ招いて面会すること。特に天子が使節などと面会されることを指す際に用いられる。科挙の合格者が、天子直々の試験、殿試験を受けることを言ったものである。ここでは、「引見」の始まりを知らせる「太鼓」が鳴り響くことをいう。

20. ・鳳銜 鳳詔と同じ。 鳳凰が口に銜える。詔勅を木製の鳳凰に銜えさせた故事。鳳詔:《鄴中記》.「石季龍與皇后在觀上為詔書,五色紙著鳳口中,鳳既銜詔,詩人放,數百丈緋繩轆盧回轉,鳳凰飛下,謂之鳳詔。鳳凰以木作之,五色漆畫,皆用金。」

21. ・金膀 金の袋が膨れ上がる。

22. ・雲來 雲のように多く来たりて集まること。蓬莱山の別称。天子のお出まし。

23. ・平地一聲雷 聲名が湧きあがって来ることの比,また舊時常用としてもちいられたのは、科舉中試合格発表の比とされた。

24. ・鶯已遷 鶯が谷から出て大きな木に移ること。転じて、立身出世すること。進士の試験に及第することをいう。

龍已化 「龍化虎變」に基づく。竜や虎のように変化する事、変化が測られえないほど変化すること。 《譚子化書》「龍化虎變、可以蹈虛空,虛空非無也;可以貫金石,金石非有也。」

25. 家家樓上 『長安春』「家家楼上如花人、千枝萬枝紅艶新。」では楼上から長安に咲いた花を詠うもので、この詩では神仙を宮中に喩えている。

簇神仙 神仙の者たちが集まること。

毛文錫 《巻五 戀情深二首其二》

玉殿春濃花爛熳,簇神仙伴。

羅裙窣地縷黃金,奏清音。

酒闌歌罷兩沉沉,一笑動君心。

永作鴛鴦伴,戀情深。

冲天 天にのぼること。空高くあがること。多く,人の勢いなどが非常に強いことにいう。

 

当時、長安は人口120万にを超す世界最大級の都市であった。

7世紀に建立された大雁塔は古き良き長安の姿を今も残す。

この詩の杏園は大雁塔の皆々あった庭園である。

春、都では官僚になるための試験、科挙に合格した者たちの祝宴が開かれる。

貴族たちの家々は合格者に解放され、無礼講。

庭の花を競い、酒を競い、華やかな歌舞に宮廷料理、宴は賑やかに行われる。

科挙に合格した者だけがわが世の春を謳歌するのだ。

この日だけは、華やかな高殿の若き乙女たちも主役の座を譲ってくれる。

この試験のために全国から若者が集まってくる。

何年もかかってやっと合格するもの、どうしても及第しないもの悲喜こもごもの日なのだが、この詩は長安のにぎわいを詠った有名な詩である。

作者韋荘も合格した一人だが、合格後しばらくして唐王朝は滅亡している。

この詩は、絢爛たる輝きを見せた長安最後の姿かもしれない。

 

 

参考

喜遷鶯三首  薛昭蘊

其一

殘蟾落,曉鐘鳴,羽化覺身輕。

乍無春睡有餘酲,杏苑雪初晴。

紫陌長,襟袖冷,不是人間風景。

看塵土似前生,休羨穀中鶯。

 

其二

金門曉,玉京春,駿馬驟輕塵。

樺煙深處白衫新,認得化龍身。

九陌喧,千戶啟,滿袖桂香風細。

杏園歡宴曲江濱,自此占芳辰。

 

其三

清明節,雨晴天,得意正當年。

馬驕泥軟錦連乾,香袖半籠鞭。

花色融,人竟賞,儘是繡鞍朱鞅。

日斜無計更留連,歸路草和煙。

 

毛司徒文錫

喜遷鶯一首

芳春景,曖晴煙,喬木見鶯遷。

傳枝偎葉語關關,飛過綺叢間。

錦翼鮮,金毳軟,百囀千嬌相喚。

碧紗曉怕聞聲,驚破鴛鴦暖。

 

 

 

【字解集】b.思帝二首

 

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1. 教坊妓・長安の官妓

宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。

宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。

 

彼女たちの中には、また別に朝臣や外国からの使節が献上した女性も、一部分であるが含まれていた。たとえば、敬宗の時代、浙東(浙江省一帯)から朝廷に飛燕、軽風という二人の舞妓が献上されている。また文宗の時代、回紇に降嫁した太和公主が馬にまたがって弓をひく七人の娘を献上したこともあった(『杜陽雜編』巻中、『旧唐書』文宗紀下)。それ以外に、少数ではあるが、元々官女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘『教坊記箋訂』中華書局、一九六二年)。

 

玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

○梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

○霓裳羽衣 【げいしょううい】開元、天宝時代に盛んに行われた大人数の舞い踊りの楽曲。

 

宮妓は芸術家であり、原則として芸は献じるが身は献じないということになっていたし、一般の宮人に比べれば高い礼遇を受けていたとはいえ、彼女たちも皇帝の慰み物にすぎず、その漁色の対象になった。玄宗の弟の申王は、冬になると宮妓たちに周囲をすき間なく囲ませて暖をとり、これを「妓圃」とよんだ。別の弟の岐王は寒い時妓女の懐に手を入れて暖をとった(『開元天宝達事』巻上)。こうした事例からみると、宮妓たちは芸人ではあったが、結局のところ娼妓との区別は、彼女たちが皇室専用の慰み物であるというにすぎない。

 

2. 内職、冊封

古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

また、皇太子の東宮にも「内官」があり、太子妃一人、その下に良娣、良媛、承徽、昭訓、奉儀などの品級があった。諸親王の王妃の下にも孺人【じゅじん】等の媵妾【ようしょう】の身分があった。

 

 

后妃たちの生活は優閑かつ安逸なもので、終日飽食し何もしないで遊びくらした。もちろん、時には彼女たちも形ばかりの仕事をしなければならなかった。たとえば恒例となっている皇后の養蚕の儀式や六宮(皇后の宮殿)での繭を献ずる儀式を主催し参加すること〔-これは天下の婦女に率先して養蚕事業の範を示すことを意味していた〕。玄宗の時代、帝は彼女たちに自ら養蚕をするよう命じ、「女が専門にすべき仕事を知らしめようとした」 ことがあった(『資治通鑑』巻二一三、玄宗開元十五年)。しかし、この仕事も当然ながら身分の賎しい宮女たちに押し付けられたはずであり、本当に彼女たちを働かせることにはならなかったに相違ない。この他にも、また祭祀、帝陵参拝、宴会等の儀式にも参加しなければならなかった。

 

形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。彼女らの運命は最高権力者の一時の寵愛にすべて係っていたのであり、それを失えば、いつまでその場、立場いられるかというのは難しいことだった。

 

彼女たちは生前は孤独に苦しんだが、死後はより一層寂しく惨めであった。後宮で一生を終えない人もいたが、その運命は堀川の流れに漂う紅葉よりもさらにあてどのないものであった。天子は気ままに宮人を贈物とし、外洋(臣従してくる異民族)や功臣に褒美として与えたので、彼女たちの結末がどうなるのか、全く運命の流れに身を委ねるはかなかった。老いて天寿を全うできたなら、彼女たちにとってはやはり幸せなことだった。後宮にはいたるところ危険が潜んでおり、宮人たちは常に政治闘争や宮廷の政変に巻きこまれ、身分が下賎であったから、しばしば理由もなく刀刃の露と消えた。

 

唐末でも相変らず「六宮の貴・職の女性は一万人を減らない」という状況であった。その理由は、もともと解放された女性が多くない上に、絶えず新人が選抜されて入って来たので、根本的な問題の解決にはならなかったからである。そしてまた、解放された宮人の大多数は年を取り病弱であって役に立たず、彼女たちの青春はすでに深宮の中に葬り去られていたので、後宮を出でも寄る辺なく、晩年の境遇はじつに哀れで寂しいものであった。これと同時に青春の輝きの絶頂にある乙女たちが次々と絶えることなく後宮に送り込まれ、その紅顔が衰え、青春が空しく費やされるのを待つのであった。だからこの種の仁政の意義などというものは、本当に取るに足りないものだったのである。

 

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思帝二首 其一

3. (帝都の女の郷で思うこと その一:請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている『二人だけの愛の言葉』を思い出せと詠う

4. 【解説】韋荘が、愛妾を蜀王王建に奪われたことを思わせる詩のひとつで、教坊の曲の曲を作る際この題材をよく使っている。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-22韋荘100《巻2-50 望遠行一首》二巻50-〈100〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5702

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-23韋荘101《巻3-01 謁金門二首 其一》三巻1-〈101〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5707

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-24韋荘102《巻3-02 謁金門二首 其二》三巻2-〈102〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5712

5. 【構成】唐の教坊の曲名。花間集に韋荘の詩は二首収められている。単調三十三字、八句五平韻、③③666③の詞形をとる。

改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》

雲髻  鳳釵
髻墜釵垂無力  枕函
翡翠屏深月落  漏依依
盡人間天上  兩心

  
  
  
  

 

6. ・雲髻 女性の髪が雲の形のように大きなものとしていた。大きいほど高貴であった。これを雲鬢とするテキストがあるが、それでは三国志の「関羽」の顔がイメージされ意味が限定され通らない。756年ウイグルの王女が粛宗の妾になる際に、ウイグル国王に嫁いだ姫君の髪型が有名。

『即事』

聞道花門破,和親事卻非。

人憐漢公主,生得渡河歸。

秋思雲髻,腰肢勝寶衣。

群凶猶索戰,回首意多違。

即事 杜甫 <290> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410

7. ・鳳釵 鳳凰のかんざし。通常、つがいの物を云い、ここではそのの片方が壊れて垂れ下がっていることを云う。

8. ・枕函 箱型のまくら。

9. ・欹 新しい簪に取り換えて気分を変える、身支度を整えるのをやめた。

10. ・漏 五更の時をつげる

11. ・依依 名残惜しく離れにくいさま。

12. ・盡 このままの退屈な毎日を送るより、尼寺、道観に出家をさせ貰うことを願い出る。解放を願い出る。

13. ・人間天上 世間の中から選抜され、その中からまた選ばれて、妃嬪になった事、世俗の人間が、天上の御殿に生活する。孤独と暇との戦いをしていることをいう。(韋荘の愛妾が蜀王の王建に召されていて、別々の世界で暮らすこと。)

14. ・兩心 二つの心情。寵愛を受けたい、解放されたいという心。白居易《長恨歌》「臨別殷勤重寄詞、詞中有誓兩心知」(別れに臨みて殷勤に重ねて詞を寄す、詞中に誓い有り 両心のみ知る。)別れに際し、ていねいに重ねて言葉を寄せた。その中に、王と彼女の二人だけにわかる誓いの言葉があった。韋荘の愛妾は蜀王の王建に召されている。

思帝郷 思帝鄕二首 其二

15. (帝都の女の郷で思うこと その二:《巻3-15 思帝郷二首 其一》のある「兩心知」〔二人だけの愛の言葉〕の答、「將身嫁與、一生休。縱被無情棄,不能羞。」〔あなたのもとへ、嫁つぎたい、あなたと一緒にすごしたい。もし、棄てられても、恥たりして死ぬようなことはない。〕と詠う)

16. 《巻3-15 思帝郷二首 其一》「雲髻墜,鳳釵垂,髻墜釵垂無力,枕函欹。翡翠屏深月落,漏依依。盡人間天上,兩心知。」と云ったことをその内容を述べた詩である。韋荘が、愛妾を蜀王王建に奪われたことを思わせる詩のひとつで、教坊の曲の曲を作る際この題材をよく使っている。歌会、宴席で披露する詞である、韋荘のことを承知している者の宴席であるから、自慢話、あるいは、自虐ネタを披露したものが花間集に収められているのである。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-22韋荘100《巻2-50 望遠行一首》二巻50-〈100〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5702

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-23韋荘101巻3-01 謁金門二首 其一》三巻1-〈101〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5707

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-24韋荘102《巻3-02 謁金門二首 其二》三巻2-〈102〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5712

17. 【構成】唐の教坊の曲名。花間集に韋荘の詩は二首収められている。単調三十三字、八句五平韻平声一韻到底。萬斯年曲。③③666③の詞形をとる。

(改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》

雲髻  鳳釵
髻墜釵垂無力  枕函
翡翠屏深月落  漏依依
盡人間天上  兩心

  
  
  
  
(改訂版)-38韋荘116《巻3-16 思帝鄕二首 其二

春日  杏花吹滿
陌上誰家年少  足風
妾擬將身嫁與  一生
縱被無情棄  不能

  
  
  
  

18. ・杏花:アンズの花。春の情景を表す常套句でもある。長安の遊園地は、楽遊原、曲江とあり、曲江には杏園があり、杏の花を題材にする場合、この曲江をいう場合とされる。

和凝《小重山二首其二》(見初めた男性は科挙試験の合格者、合格すれば曲江の杏園の杏の花のもとで逢いましょうと約束していたが、合格者名簿に載っていたが、約束の場所には来なかったという詩である)【解説】 杏園での宴が終わると一同馬に乗り、牡丹の出処を訪ねて花を観賞して回る。合格前に約束したけれど、その後に会うことはなくなった。

長安の曲江の池の畔(ほとり)にあった杏園で、祝宴を賜り、長安の街を園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。また、貴族は自邸自慢のボタンを庭を開放して鑑賞させ、合格者の無礼を許した。・杏園:官吏登用試験(科挙)に合格した進士たちの祝宴会場。科挙に合格した進士には、曲江の池の畔(ほとり)の杏園で、祝宴を賜り、長安の街で園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。 ・杏園人:科挙に合格し、新たに進士となった人たちを指す。

19. ・吹滿頭:春の象徴である杏の花びらが頭一杯に降りかかっているさま。

20. 杏園芳 杏園から春の科挙祝宴、饗宴での妓優や女妓とのその日の無礼講を連想する。

20.1 ・杏園:官吏登用試験(科挙)に合格した進士たちの祝宴会場。科挙に合格した進士には、曲江の池の畔(ほとり)の杏園で、祝宴を賜り、長安の街で園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。 

20.2 ・杏園人:科挙に合格し、新たに進士となった人たちを指す。

長安曲江 杏園 進士の試験は秋にあり、翌年の春の花が咲き誇る時期に結果発表がある。官吏登用試験(科挙)に合格した進士には、後出・長安の曲江の池の畔(ほとり)にあった杏園で、祝宴を賜り、長安の街を園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。また、貴族は自邸自慢のボタンを庭を開放して鑑賞させ、合格者の無礼を許した。

20.3 ・長安:唐の首都。現・陝西省・西安。科挙の最終試験会場もここにあり、科挙合格者の祝宴もここで開かれる。

孟郊はそれに落第して、落胆のさまを『再下第』「一夕九起嗟,夢短不到家。兩度長安陌,空將涙見花。」とうたった。この詩もそれと似た感情を詠っていよう。

孟郊は『登科後』で「昔日齷齪不足誇,今朝放蕩思無涯。春風得意馬蹄疾,一日看盡長安花。」と、がらりと変わった詩を作っている。 唐宋詩236 登科後 Ⅶ孟郊(孟東野)<19>紀頌之の漢詩ブログ

21. ・陌上:大道。この時代に大道を行き交うことは、通常の芸妓では不可能で、官妓の妓優が長官の命令でどこかにさしむけられての道中であろう。 南京は揚州に次いで交通の要衝で陸水駅の最も大きな拠点で、当時、長安、洛陽、揚州に次いで唐四大歓楽街があった。芸妓の数が一といわれるくらい最も多かった。この南京から揚州に掛けての花街の風習は後世にをもたらした。その代表格が、唐時代からこの街から広まった纏足である。

114 《陌上贈美人【小放歌行】》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <114> Ⅰ李白詩1294 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5018

22. ・誰家:(古白話)だれ。何びと。建物としての家を直接尋ねてはいない。年少を強調するための語で、「家」字の意味は強くない。ここはこのあたりでいつもは見かけない若者であること。みなりが田舎に似合わないということ。

23. ・年少:年が若い。また、年が若い者。少年。若者。

24. ・足風流:風流にたりる。この時期の行楽は、野原・木陰に来て、酒を呑み、男女の交わりをすることにある。そういった女性とピクニックを詩に来ている。ここでの風流はエロティックな様子を云うのである。

25. ・妾擬將身嫁與 「わたしは、あなたのもとへ、嫁つぎたい」という意。・妾:わたし。わて。あちき。女性の謙譲の自称。 後に、王建に奪われる韋荘と恋仲になった女性をいうのものと考える。

26. ・擬:…したいと思う。擬待。 

27. ・將身:身を…。 

28. ・嫁與:嫁入りする。一夫多妻制の時代、芸妓は一定の地位あるものに身請けをされることがステータスであったので、今で云う嫁入りとは少し異なる。 

29. ・休:いこう。おちつく。やすんじる。

 

30. ・縱被無情棄 もし、あなたが愛妾を多く持てる人になって私への愛情がなくなったとしても、

31. ・縱:たとえ…であっても。たとい…とも。仮定の表現の辞。 

32. ・被:…される。受け身の表現の辞。日本語の受け身の助動詞「る、らる」(れる、られる)に働きが似ているが、「被」は明らかに他者より外的な力が加わった場合にのみ使われ、「る、らる」よりも使用の場が限定されている。 

33. ・無情:無情にも。人情をわきまえず。冷たく。 

34. ・棄:ここでは男性にすてられる。男に罪悪感がない時代である。

35. ・不能羞 悔いたり、愧じたりして死ぬようなことはない。

36. ・羞:きまりがわるくて人に顔をあわせられない、という意味のはずかしさ。乙女のはじらい等に使う。恥や辱とは違う。不能:…ということはありえない。…と思わない。…と考えない。

 

 

【字解集】c.訴衷情二首

訴衷情二首 其一

1.(女盛りを過ぎた女の孤独な心情を詠う二首の其の一:踊りと美しさにより妃嬪となったが、毎年新しい女性が後宮に選ばれて後宮に入って来次第に忘れ去られる寵愛を失った踊りの得意であった妃賓を詠う。)

2. 【解説】夜半、夢より覚めた後の女盛りを過ぎた妃嬪の孤独な心情を詠うが、韋莊の愛妾は王建に奪われ妃嬪として後宮に入ったが、歳を重ねて次第に忘れられ孤独な日々を送っている。夜ふけにはっと夢から覚めると、どこからか楽の音に合わせて歌う軽やかな声が流れてくる。そういえば、毎年新しい踊り手が後宮に入って来る、近頃は舞を舞ったり歌を歌ったりすることはまったくなくなった、舞の衣裳にはいつしか塵が積もってしまった。

 

3. 【構成】唐教坊曲、『花間集』には韋荘の作が二首収められている。単調三十三字、九句六平韻二仄韻で、7③❸❷③⑤②⑤③の詞形をとる。

燭燼香殘簾半卷  夢初
花欲   月朧

何處按歌  舞衣塵暗  負春

  
   

    

4. 燭燼香殘 蝋燭が燃え尽き、香炉の香が消えた。残は損なわれる、さびれる。

5. 夢初驚 今夢が覚めたばかり。

6. 欲謝 今にも散りそうだ。欲は今にも~しそうだ、の意。謝の字、底本では樹に作るが四部叢刊本に拠って改めた。

7. 按歌聲 楽器に合わせて歌う歌声。按はリズムに合わせて楽器を弾く

8. 舞衣塵暗生 舞衣に知らぬ問に塵が積もる。本句は舞を舞うことのない月日が久しく続いている。後宮には、常時、各地から、技能を持った1518歳の者が選抜されてくる。それもながくて2~3年しか踊る期間はない。教坊の曲の妓優であれば、民間の宴席で踊ることはできる。妃嬪であれば、解放されない限り、この詩のように、孤独な毎日を送ることになる。

9. 負春情 美しい春に背く。誰に声を掛けられることもなく無為のうちに春を過ごすことを言う。春の心情は忘れないし、寵愛を受ける準備も、踊りの準備も毎日している、それに負けたら生きていけないのだと思っても、心は折れそうになる、ということである。

訴衷情二首 其二

10. (妃嬪の孤独な心情を詠う二首の其の二。妃嬪の夢をくだく、雨による舟遊びの中止の様子を詠う。)

11. 唐教坊曲、『花間集』には韋荘の作が二首収められている。単調三十三字、九句六平韻二仄韻で、7③❸❷③⑤②⑤③の詞形をとる。

03-38 訴衷情二首 其一》

燭燼香殘簾半卷  夢初
花欲   月朧

何處按歌  舞衣塵暗  負春

  
   

    

《巻3-18 訴衷情二首 其二》  

訴衷情二首 其二

碧沼紅芳煙雨靜、倚蘭橈。
垂玉、交、嫋纖

鴛夢隔星橋、、越羅香暗銷、墜花


 

12. ・蘭橈 蘭の棹。楚辞九歌、湘君「薜茘柏兮蕙綢、蓀橈兮蘭旌。」(薜茘【へいれい】の柏、蕙の綢。蓀の橈【かじ】、蘭の旌。)湘君が行くのをためらっている様子をうたうもの。・橈:くじく。よわまった蘭の花。しなやか。みだす。くじく。ちらす。かい。さかえる。蘭の曲った木。

13. ・玉佩【ぎょくはい】礼服(らいふく)の付属具の一。即位・大嘗会・朝賀の儀式に、三位以上の臣下が腰に帯びた装身具。5色の玉を貫いた5本の組糸を金銅の花形の金具につないで足先に垂らし、沓(くつ)先にあたって鳴るようにしたもの。佩()び物。

交帶 せいれつしたものがこうさする。

14. 嫋纖腰 見目麗しくしなやかなか細い腰。

15. ・鴛夢 鴛鴦のように過すことを夢におもう。

16. ・星橋 七夕のように牽牛と織姫のカササギの橋。年に一度は銀河をわたって夜を過ごすというものである。李商隱『七夕』詩「鸞扇斜分鳳幄開,星橋橫過雀飛。」

17. ・羅 羅は絡み織を用いた、目の粗い絹織物の一種。もともと羅とは鳥や小動物などを捕獲するための網を意味する言葉だったが、絹で織った網のような薄物を指す言葉にもなった。宮妓が夜天子が閨に來るのを待つ時の上に着る体のラインが透けて見える衣服を云う。

18. ・翹 ①鳥の尾羽のように、高くかかげる。つまだてる。つま先だって背を高くする。②特に秀でた人。また、特にすぐれているさま。ぬきんでる。翹楚【ぎょうそ】大勢の中でとびぬけてすぐれていること。また、その人。

「楚」は、特に丈の高い木。『詩経、周南・漢広』「翹翹錯薪、言刈其楚(翹翹と錯れる薪の、言は其の楚を刈らん)」とある。

 

 

 

【字解集】d.上行盃二首

上行杯二首 其一

1. (妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の一:長安の東㶚橋の駅亭の高樓において、春の配置転換の部下の送別の宴を催す。部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになる。だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの

2. 上行 上に進む。上の人が行う。上座。上の列。上の人の指図。下級の者が上級の者に差しだす杯。妓楼の亭主のさしだす杯。送別の歌のお手本というべき詞である。

3. 【構成】唐の教坊の曲名。『花間集』には四首所収。韋荘の作は二首収められている。双調四十一字、前段二十字四句三仄韻、後段二十一字四句三仄韻で、❻3❹❼/❻❼5❸の詞形をとる。

《巻3-19 上行杯二首 其一》

芳艸灞陵春柳煙深、滿樓弦一曲離腸寸寸
今日送君千紅樓玉盤金鏤珍重意莫辭滿 

 
 

 

4. 灞陵 朝陵とも記す。漢の文帝の陵墓。唐の都長安の東にあり、近くを滻水が流れ、川には滻が架かり、古来から送別の地とされてきた。

5. ・灞陵亭 長安東の正門たる春明門からここまでに滻水に架かる橋をわたってくるのであるが、㶚水にかかる橋のたもとにあった亭までが30里である。ここを東に洛陽に向い、南に行くと漢水へ出る。人棭言って送別するのが習わしである。の別れを惜しみ、一夜、酒を酌み交わすのである。また、娼屋の様なものもあったようだ。

6. 㶚水の堤には楊柳があり、柳を折って旅の安全を願ったのである。 

7. ・灞水流 長安の東を流れる川は終南山を水源にした滻水と驪山、藍田の方角から流れてくるこの㶚水が北流して合流し渭水に灌ぐのである。㶚水、滻水の二俣川。

李白『灞陵行送別』

送君灞陵亭。 灞水流浩浩。

上有無花之古樹。 下有傷心之春草。

我向秦人問路歧。 云是王粲南登之古道。

古道連綿走西京。 紫闕落日浮云生。

正當今夕斷腸處。 驪歌愁不忍聽。

灞陵亭で君を送る、灞水の流れはひろびろとうららかにながれている。

まだ早春で、頭上には花のない古木がある、足元には心を痛めるような芽生え始めた春草が生えている

土地の人に向かって東洛陽方面と南はどこへと分かれ道のことを尋ねた。こちらの道は建安の七子の王粲が「南登」と歌った古道はこれで漢水まで続くのだといった。

もう一方の古道は、洛陽から連綿と続いて長安にはしっている。その紫の天子の御門のうちでは夕日が落ちて宮女たちのよろこびが生じているのだろう。

まさに今夜わたしは別れてひとりの夜、断腸のもだえ聲のあるところ、女が主人恋しさに唄う歌は、聞くに堪えない。

灞陵行送別 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白139

8. 離声 別離の曲、歌。驪歌 古歌で妾の女が主人を恋しくて歌う詩。「驪駒の歌」というものがあり、客が主人に向って別れ卯を告げる時に歌ったもの。” 驪駒門に在り,僕夫具に存す。驪駒 路に在り,僕夫 駕を整う。“とある。

〈驪歌〉原來叫做〈驪駒歌〉,是不見於《詩經》的佚詩。《曲禮》:「客欲去,歌之。」歌詞是:「驪駒在門,僕夫具存。驪駒在路,僕夫整駕。」歸客要離去時,唱出〈驪駒歌〉,表達自己別離的心意。

9. 腸寸寸斷 「腸斷寸寸」 一寸ごとに。ずたずたに。すこしづつ。

10. 千万 千山里。

11. 紅樓 頬紅を紅く染めた妓女の舞にそまる高樓。

12. 金鏤盞 金鏤:きんをちりばめる。盞:玉の盃。こさかずき。ともしびのあぶらざら。

13. 珍重意 私の心を酌んで。私を愛してくれる気持ち。

14. 参考 (10)4-1

(王室の七陵)-1 

若乃觀其四郊,浮遊近縣,

さて、できるなら、長安四方の郊外をとくと眺めていただき、近県を周遊してみる。

則南望杜㶚,北眺五陵。

南に杜陵と㶚陵の二陵をはるかに望み見て、北に長陵・安陵・陽陵・茂陵・平陵の五陵が見わたされる。

班孟堅(班固)《西都賦》(10)4-1 文選 賦<11210 

 春を善く表すものとして謝靈運《登池上樓》詩「池塘生春草」を紹介する。

登池上樓    謝靈運
潛虯媚幽姿,飛鴻響遠音。
薄霄愧雲浮,棲川怍淵沉。
進德智所拙,退耕力不任。」
徇祿反窮海,臥痾對空林。
衾枕昧節候,褰開暫窺臨。
傾耳聆波瀾,舉目眺嶇嶔。』
 

初景革緒風,新陽改故陰。
池塘生春草,園柳變鳴禽。」
祁祁傷豳歌,萋萋感楚吟。
索居易永久,離群難處心。
持操豈獨古,無悶徵在今。』

池塘生春草,園柳變鳴禽。」

祁祁傷豳歌,萋萋感楚吟。

索居易永久,離群難處心。

持操豈獨古,無悶徵在今。』

 池の塘【つつみ】は春の草生じ、園の柳に鳴く禽【とり】も変りぬ。

祁祁【ひとおお】きに豳【ひん】の歌に傷【いた】み、萋萋【せいせい】たる楚吟【そぎん】に感ず。

索居【ひとりい】は永久なり易く、群れを離れては心を處【しょ】し難し。

操を持するは豈ひとり古【いにしえ】のみ成らんや、悶【うれ】い無きの徵【しる】しは今に在り。

池の堤防にびっしり春の草が生えている、庭園の柳の梢に鳴いている小鳥たちも冬のものと違って聞こえてくる。

春の日あしはのどかにあるとした『詩経』の豳歌に心を痛め、さわさわとした草の茂りに『楚辞、招隠士』の「王孫遊びて帰らず、春草生じて萋萋たり。」ということに感動するのである。

登池上樓 #2 謝靈運<25>#2  詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005

 

上行杯二首 其二

15.(妓楼において送別の主人が差し出す杯の詞、其の二:其の一で部下の歌う驪歌に腸が寸断されるおもいになった、上司のものが、部下の遊侠の貴公子の者に、別れの歌を返して激励し、だから、今日は心行くまで大いに飲もうというもの【其一と其二はセットになっている連歌のようである】

○上行 上に進む。上の人が行う。上座。上の列。上の人の指図。下級の者が上級の者に差しだす杯。妓楼の亭主のさしだす杯。送別の歌のお手本というべき詞である。

16.【構成】唐の教坊の曲名。『花間集』には四首所収。韋荘の作は二首収められている。その二は双調四十一字、前段二十字四句三仄韻、後段二十一字四句三仄韻で、❻3❹❼/6❼❺❸の詞形をとる。

《巻3-19 上行杯二首 其一》

芳艸灞陵春柳煙深、滿樓弦一曲離腸寸寸
今日送君千紅樓玉盤金鏤須勸珍重意莫辭滿 

 
 

《巻3-20 上行杯二首 其二》

白馬玉鞭金、少年郎、離別容、迢遞去程千萬
惆悵異雲水、滿酌一盃勸和須愧珍重、莫辭


 

17. ・迢遞 遙遠的樣子。指路途遙遠。遙かに遠い。遠くに隔たる。遙か高く遠くに。

18. ・惆悵 恨み嘆くこと。うらめしい。うらみがましい。

19. ・雲水 雲が定めなく行き、水が流れてやまないように、一所にとどまらない自由な人。また、そのような境涯。行方を定めないで諸国を行脚する修行の僧。雲水僧。雲衲(うんのう)

20. 珍重意 私の心を酌んで。

 

上行盃二首其二

白馬玉鞭金轡,少年郎,離別容易,迢遞去程千萬里。

惆悵異雲水,滿酌一盃勸和淚,須愧珍重意,莫辭醉。

 21. この詩の参考(白馬)

『詩経、小雅、白駒篇』に「皎皎たる白馬、我が場苗を食まば、之か繋ぎ之を維【つな】ぎて、以て今朝を永うせん」と。白馬がわが畑の苗を食ってくれるならば、繋いで今朝だかでも永く止めておきたい。賢人の留まるのを願う詩。二君にまみえることを恥じてみせる。

『詩経、小雅、白駒篇』

大夫刺宣王也.

皎皎白駒.食我場苗.縶之維之.以永今朝.所謂伊人.於焉逍遙。

皎皎白駒.食我場藿.縶之維之.以永今夕.所謂伊人.於焉嘉客。

皎皎白駒.賁然來思.爾公爾侯.逸豫無期.慎爾優游.勉爾遁思。

皎皎白駒.在彼空谷.生芻一束.其人如玉.毋金玉爾音.而有遐心

 

曹植《白馬篇》

白馬飾金羈,連翩西北馳。

借問誰家子?幽幷遊俠兒。

少小去邑,揚名沙漠垂。

宿昔秉良弓,楛矢何參差。

#2

控弦破左的,右發摧月支。

仰手接飛猱,俯身散馬蹄。

狡捷過猴猿,勇剽若豹螭。

邊城多驚急,虜騎數遷移。

羽檄從北來,厲馬登高堤。

#3

長驅蹈匈奴,左顧陵鮮卑。

棄身鋒刃端,性命安可懷。

父母且不顧,何言子與妻。

名在壯士籍,不得中顧私。

捐軀赴國難,視死忽如歸。

 

(白馬篇)

白馬 金羈を飾り、連翩として西北に翩す。

借問す 誰が家の子ぞ、幽幷の遊侠児。

少小にして郷邑を去り、声を沙漠の垂に揚ぐ。

宿昔 良弓を秉り、楛矢 何んぞ参差たる。

 

#2

弦を控きて左的を破り、右に発して月支を摧く。

手を仰げて飛猱を接ち、身を俯して馬蹄を散ず。

狡捷なる 猴猿に過ぎ、勇別なる 豹螭の若し。

邊城 驚急多く,虜騎 數ば遷移す。

羽檄 北從り來り,馬を厲まして高堤に登る。

 

#3

長驅して匈奴を蹈み,左顧して鮮卑を陵がん。

身を鋒刃の端に棄つ,性命 安んぞ懷う可けん。

父母すら且つ顧みず,何んぞ子と妻に言わん。

名は壯士の籍に在り,中に私を顧みるを得ず。

軀を捐てて國難に赴むく,死を視ること忽ち歸するが如し。

 

曹植《白馬篇》

白馬には黄金の鞚を飾り、馬を連ねての早く軽やかにかけ、西北の戦地をめざして疾駆する。
あの勇士の若者はどこの家のものかと問うてみた、勇士の名門の幽州、幷州出身の遊侠のものだという。
小さい頃に郷里を離れたものであり、年若くして辺境の砂漠においてその名をあげているという。
彼はその昔、良弓を手に、箙にさした矢が取りやすくして背にさしたという。

 

弦をひけば、まず、左のぶら下がっているまとを破り、右に矢を放てば、月支の板のまとをくだいた。
また手を高くあげて合図して、飛び上がっている猿を迎え射ち、身を低くして、馬蹄のまとをコナゴナにした。
(紙の「左的」,板の「月支」、飛び上がっている「猿」、
ロープの「馬蹄」ここまで次第に難しくなる4つの的をことごとく射抜いた。)
その敏捷さたるや、猴、猿をもはるかにしのぎ、勇敢であり俊敏・軽快なることは、まるで豹かミズチかと見紛うばかりである。
国境の城塞では非常事態がしばしばおこるものであるが、それは、遊牧の異民族どもが不意に移動してくるに対処するためである。
兵を緊急召集する文書が北からくると、さんざん馬にむちうち、敵兵を食い止めるための防塁のところまで駆けつけるのである。

 

長駆して匈奴の軍を踏みくだき、左にかえして鮮卑の兵を踏みしだいてやる。
この身を鋒や兵刃のあいだにすてさるのは覚悟していることである。善悪・道徳・生命など、どうしておしいとおもうものか。
そして、父母さえ顧みないのである。ましてや、なんで子や妻のことを口にしようものか。
名前が勇士の名簿につらねているからには、心中に私事を思うべきではないのである。
また身命をなげうって、国難におもむく上のことである。戦死ということに見合われた時には「帰るべきところに帰ることになるだけだ」(帰る時は死ぬ時だけだ)と考えている。

 

侯音・衛開らが宛城で叛逆すると、龐悳は配下を率いて、曹仁とともに宛城を攻め落として侯音・衛開を斬り、そのまま南に進んで樊城に屯し、関羽を討伐した。樊城にいた諸将は龐悳の兄が漢中にいたので、彼をすこぶる疑った。龐悳はつねづね言っていた。「我は国恩を受けており、義は死を顕すことにある。我は自ら関羽を撃ちたいと思う。今年中に我が関羽を殺さなければ、関羽が我を殺すだろう」のちに自ら関羽と交戦し、関羽を弓で狙って額に射当てた。そのころ龐悳はいつも白馬に乗っていて、関羽の軍中では彼を白馬将軍と呼んで、みな恐れ憚った。

 

古風,五十九首之四十五

八荒馳驚飆,萬物盡凋落。

浮雲蔽陽,洪波振大壑。

龍鳳罔罟,飄颻將安託。

去去乘白駒,空山詠場藿。

(古風,五十九首之四十五)

八荒 驚飆を馳せ,萬物 盡く凋落す。

浮雲 陽を蔽い,洪波 大壑を振う。

龍鳳 罔罟【もうこ】をし,飄颻として將に安にか託せんとす。

去去 白駒に乘じ,空山 場藿を詠ず。 

(この詩は、李白が安史の乱に遭遇して、超然高踏の志を述べたものである。)

暴風、颯然として、一度天地の間を吹くめくれば、ありとあらゆるものが、ことごとく枯れて、凋んでしまう。

仰いで望めば浮雲とび迷うて、落日を蔽い、伏してみれば、大波が東海をふるいうごかして、万象すべて惨澹、逆臣一たび起って、四海兵戈にくるしむもようも、やはり、これとおなじである。

こうして、龍や鳳凰が幸いに網をのがれたところで、飄々として何処へ行ってよいかわからない。自分も幸いに難を遁れたが、如何にしようか。

もし明君が自分を用いてくれるのなら、留まってやっても良いと思うのだが、そうでなければ白い馬に跨って、則世界を離れ、そして、空山に往って、「わが場藿を食わん。」という詩でも詠ってやろうとおもう。

 

 

 

【字解集】e.女冠子二首

女冠子二首其一

1. (道女になると別れた女性を思い偲ぶ情を詠う。)

2.【解説】この作品は、女冠子(二)と聯章詞(聯章体=同一の事柄を複数の詞で詠むもの)になっている。男が女性の側に立って描いているが、発想はあくまで男性である。

3. ・女冠 ①道教の門中に在って修道している女道士をいう。②宮中の妃嬪・女官が位階を与えられること。

【解説】 冒頭、今日、四月十七日は、まさに去年、王建に韋荘の愛妾はうばわれた。まず道女となり、その道女として後宮に入り、妃嬪となった。彼女と別れた日であると、具体的な日を延べて、別れの悲しさ、切なさ、恨みを強調する。単刀直入な言葉に始まる。温庭筠と比べると、韋荘は単刀直入な言葉を多く用いる。本詞は、その作風を顕著に表していると言えよう。

4. 【構成】唐の教坊の曲。『花問集』には韋荘の作が二首収められて心る。双調四十.字、前段二十三字五句二仄韻二平韻、後段十八字四句二平韻で、❹❻③5⑤/5⑤5③の詞形をとる。

詞牌の一。双調(単調、異体もある) 四十一字。換韻。

《巻3-21 女冠子二首 其一》

四月十,正是去年今

別君,忍淚佯低面,含羞半斂

不知魂已斷,空有夢相

除卻天邊月,沒人


5. ・四月十七:初夏の四月十七日。一年前のこの日に、恋人と別れて、ちょうど再びその日が巡ってきた。

6. ・正是:ちょうど。是は今日の火を強調するもの。特に意味はない。 

7. ・忍涙:涙を流すのをこらえる。 

8. ・佯:いつわる。ふりをする。まねをする。涙を見られるのが嫌で、偽ってうつむくこと。 

9. ・低面:顔を伏せる。とても恥かしいことと思い下を向いたのです。

10. ・含羞:恥じらいの表情を見せて。 

11. ・半斂眉:少し眉根を寄せて、つらそうな表情をする。

12. ・不知:知らない。気づかない。わからない。…かもしれない。ここでは前者。 

13. ・魂已斷:こころは、既に(冷え、愛しい人を慕う思いは)断ち切られてしまった。魂:こころ。たましい。肉体に対して使う。肉体に宿る精気。

14. ・空有:むなしく…だけがある。 

15. ・夢相隨:夢の世界では逢っている。 

16. ・相:逢う対象となるものがある(いる)ことを表すもので、一方的なものである。また、言葉のリズムを取るために使うもので、ここでは「相互に」の意味はないのである。 

17. ・随:人についていく。付き従う。

18. ・除卻:除く。 ・卻=却:…し去る。…し捨てる。動詞の後ろに付き、強調する。滅却、破却、忘却などの却と同様の用法。 

19. ・天邊月:空にある月。月は女性をあらわす。

20. ・沒人知:「一般の人でさえわたしのことを知ろうとする気持ちが没してなくなってしう。 ・沒:(白話)打ち消し。…が没してなくなった。

 

女冠子二首其二

21. (一年前に別れたというのに、夢に女性が出てきて逢瀬を楽しみ歓び、離れがたいという夢だが、夢だということがわかると、もっとつらくなるのだと詠う。)

22.  【解説】この作品は、女冠子(二)と聯章詞(聯章体=同一の事柄を複数の詞で詠むもの)になっている。男が女性の側に立って描いているが、発想はあくまで男性である。

・女冠 ①道教の門中に在って修道している女道士をいう。②宮中の妃嬪・女官が位階を与えられること。

 其一で、去年の四月十七日に、王建に韋荘の愛妾はうばわれた。まず道女となり、その道女として後宮に入り、妃嬪となった。 夢に恋い慕う女を見た男の情を詠う。その夢が覚め、そこで初めて夢だと知り、悲しみに堪えることができないことを語る。

23. 【構成】唐の教坊の曲。『花問集』には韋荘の作が二首収められて心る。双調四十.字、前段二十三字五句二仄韻二平韻、後段十八字四句二平韻で、❹❻③5⑤/5⑤5③の詞形をとる。

詞牌の一。双調(単調、異体もある) 四十一字。換韻。

《巻3-21 女冠子二首 其一》

四月十,正是去年今

別君,忍淚佯低面,含羞半斂

不知魂已斷,空有夢相

除卻天邊月,沒人


(改訂版)《巻3-22 女冠子二首 其二》

昨夜夜,枕上分明夢:語多,依舊桃花面,頻低柳葉

半羞還半喜,欲去又依

覺來知是夢,不勝


  
  

 

24. ・分明:はっきりと明らかなこと。

25. ・夢見:夢で会う。見:会う。ここは、夢を見る、ではない。

26. ・語多時:(想いを)語ることが長時間に亘る。多くの時間、(情愛を)語った。

27. ・依舊:昔ながらの。以前と同じで。

28. ・桃花面:桃の花のように麗しい女性の容貌。美貌。面:かお。

29. ・頻低柳葉眉:しきりとほほえんでくれるので美しい眉尻を下げる。柳眉:女性の美しい眉。

30. ・半羞還半喜:半ばは恥じらい、半ばは喜ぶ。

31. ・還:なおも。また。

32. ・欲去又依依:行こうとしても、名残が尽きなくて離れがたい。依依:名残惜しく離れにくいさま。・依依 後に心がひかれるさま。 顔延之《秋胡詩》(7)  (「遲遲前途盡,依依造門基。」(遲遲【ちち】として前途【ぜんと】盡【つ】き,依依【いい】として門基【もんき】に造【いた】る。)秋湖の足どりは遅れがちながらも行く道を尽くしてしまう、後に心を引かれながらも家の門の土台に行き着いた。

秋胡詩 (7) 顔延之(延年) 詩<9>Ⅱ李白に影響を与えた詩478 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1251

33. ・門基 わが家の門の土台。

34. ・覺來:夢から覚める。

35. ・知是夢:夢であるということがやっと分かった。知ったことは、夢である。

36. ・不勝悲:悲しみに勝(た)えない。とても悲しい。 

 

 

 

【字解集】f.更漏子 

 

更漏子

1.(寵愛を失った妃嬪が夜の時間経過の気にする:秋の夜長に時を告げる、女の侘しさを詠う。)

2. 【解説】更は五更、夕方から、夜明けまで時を告げることを示す。詞の意味から初三句/中六句/終三句となる。寵愛を失った妃嬪が夜の時間経過の気にするいがいにすることはない。特に秋の夜長は、待ち侘びる夜が長い。初めの三句は、寵愛を失っても、秋には砧を打ち、夜なべ仕事で刺繍か、機織りをして、暇をつぶした。すべて寵愛を取り戻そうとする一心からである。中の六句は。次の春が来て、更に次の春が来て夏のすぎる。終わり三句は、もう全く何もする気にならないただ涕で衣はいつも濡れている。

秋の語 井戸端 砧 擣衣 落花 露 霜 月  鐘鼓 角笛 胡笛

春・晩春の語 落花 香露紅 ,春霧薄

初夏・夏の語 煙柳重 燈背水窗 

3. 【構成】《花間集》には韋荘の作が一首収められている。双調四十六字、前段二十三字六句二仄韻二平韻、後段二十三字六句二仄韻二平韻で、3❸❻3③⑤/3➌➏3③⑤の詞形をとる。

韋荘123《巻3-23 更漏子一首》 

鐘鼓寒,樓閣,月照古銅金

深院閉,小樓,落花香露

煙柳重,春霧,燈背水窗高

閑倚,暗沾,待郎郎不


4. ・鍾鼓 時を告げる鐘や太鼓。後宮の妃嬪・宮女の部屋に聞こえてくる。織姫と考えられる。寒 ただ寒いではなく、秋の夜、鐘が響いて寂しさの中での寒さ。「越渓の寒女」をイメージさせる語である。

5. ・樓閣暝 蝋燭の光が、織姫の旗のまわりだけを照らしている、外の御殿のように多くの燭灯をともしていないことをいう。

6. ・古銅 屋根や水回りを腐食を防ぐために銅板を張ってあることをいう。新しいうちは、金色に光るが、磨いていないか、露天状態であることをいう。

7. ・金井 井戸の井桁の木枠に腐食を防ぐために鋼板を張った井戸。また井戸の美称。

8. ・深院閉 古代女性は、いろんなことをさせてはもらえず、一つの仕事を突き詰めてすることがっ美徳とされていたから、幽閉状態が当たり前である。

9. ・小樓空 その幽閉状態であるから、廣い空ではない限られた場所からの空出ること。

10. ・落花香露紅 地面に散り落ちた紅い花に、残った花に晩春の春雨に濡れて香りを放っていること。この三句から季節は晩春に変わり初夏に変わる。

11. ・煙柳重 また次の春が来て盛春、柳の緑は色濃くなる。

12. ・春霧薄 春雨が降って初夏へと変わる。

13. ・水窓 池などの水辺に面した窓。夏の季節。

14. ・閑倚 何もすることなく戸口に身を寄せる。人との接触がほとんどないから、せめて戸口に立って人の動きを感じる。

15. ・暗沾衣 心は暗く、楽しいことが全くないことをいう。しかし、こんなに何もしないでどうして生活ができるのか、単に男に捨てられた女、妓女、では生活はできない。男を待っていることができる妃賓という地位の者だけがそれができる。

16. ・待郎 阮郎、劉郎、檀郎・・・他の多くの女のもとへ行って帰ってこない男を待つ。長い時間待てる環境にあることをいう。

17. ・郎不歸 網でかき集めた女性であっても、その時期を過ぎれば、飼い殺しになってしまうことをいう。韋荘は蜀王王建に愛妾を奪われたので、その奪われた元の愛妾もしばらくたてば、寵愛を失っていることだろうと思った。

 

 

【字解集】g.酒泉子

 

酒泉子

1.(祭礼接客、宴会、寝所の世話を司る役割の妃嬪が寵愛を受けていたが次の年の春が来ると寵愛を失っていた、それでも寵愛を受ける気持ちでいないといけない自由な考えはできないと詠う)

2. ・酒泉子 『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。

唐以降の中国王朝における宮廷に仕える楽人や妓女たちに宮廷音楽を教習させるための機関をさす。楽曲や歌舞の習得を主な目的とするが、官妓にあたる妓女を統括する役割もあった。その後の王朝に引き継がれ、清代まで続いたが、雍正帝の時に廃止された。

『酒泉子』は宮廷で歌われたこの教坊曲である。 

 

3. 【構成】唐教坊曲名。雙調四十一字、前段十九字五句二平韻二仄韻、後段二十二字五句二平韻二仄韻で、④❻3❸③/⑦❻3❸③の詞形をとる。

(改訂版)-46韋荘124《巻3-24 酒泉子一首》 

月落星沉、樓上美人春

綠雲、金枕、畫屏深。
子規啼破相思、曙色東方纔
柳煙輕、花露、思難

4. ・月落星沉 上弦の月から十八夜くらいの期間の夜明けの様子。

5. ・美人 宮中の妃嬪の宴会を担当するもの。

6. ・緑雲 雲型のみどりの黒髪。緑の黒髪は年齢の若い十代後半のことをいう。

7. ・膩 二つ並ぶ。

8. ・畫屏深 綺麗に画かれた屏風であるが、それが閨のまわりに立てられていることをいう。寵愛を失ってはいない絶好の状況。

9. ・子規啼 望帝が百余歳のころ、楚(そ)の国で鼈霊(べつれい)という男が死んだ。ところが、その死体は長江を遡(さかのぼ)り、蜀の都に流れ着いて生き返り、望帝に会いに来た。そこで、望帝は鼈霊を宰相に任命した。おりしも、蜀で大洪水が起こり、鼈霊がまるで禹と同じように活躍し、それを治めた。ところが、この後、望帝は鼈霊の妻と密通してしまい、良心の呵責(かしゃく)にさいなまれて鼈霊に位を譲った。王となった鼈霊は開明帝と称したが、望帝の方は退位後に修行を積んでホトトギスとなり、毎年春が来るたびに鳴いた。蜀の人々はその鳴き声を聞いて望帝をしのんだという。

それを知った杜宇ホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。帰ることが出来ない。)と鳴きながら血を吐いた。ホトトギスの口が赤いのはそのためだ。

 以上がホトトギスを不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄などと表記するゆえんだ。

杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500

10. ・東方纔動 彼岸の中日に太陽が真東になることを云う、早春も終わり盛春になりはじことを示す。南向きの窓に朝日が日ごとに入り始めたことでわかる。

11. ・柳煙軽 この柳は男の性分を云うもので柳絮の綿も、春霞もどこへでも行くことをいう。

12. ・花露重 この句は女の身を云う。春になって花の蕊に露があふれて重くなる、春になれば男が恋しくなるというもの。

 

 

【字解集】h.木蘭花

 

木蘭花

1. (一人待つ身の女は、花木蘭のように、男装して自由闊達に野山を翔りたいものと詠う)

2. 【解説辺境の守りに出たまま帰らぬ男を待ちわびる女は、次第に何を生きる糧にしていいかわからなくなるという思いを詠う。

前段は、春には帰るということで物見に上って西の玉門関の方を眺めても、春も過ぎようとする。初めの内には物見にあがって待ち望むけれど、何処にいるのかわからない。寡婦は閨でなくしか方法はなく。最後は、京劇の「花木蘭」のように男となることがゆめとなる。男のように山川越えて自由にしてみたいという。

中国における伝承文芸・歌謡文芸で語られた物語上の女性主人公。木蘭の姓は「花」「朱」「木」「魏」など一定していないが、京劇では「花木蘭」とされる。老病の父に代わり、娘の木蘭が男装して従軍。異民族(主に突厥)を相手に各地を転戦し、自軍を勝利に導いて帰郷するというストーリーである。

3. 【構成】唐の教坊の曲名。『花間集』 には三首所収。韋荘の作は一首収められている。双調五十五字、前段二十七字五句三仄韻、後段二十八字四句二仄韻で、❼❼33❼/➐➐7➐の詞形をとる。教坊曲。双調五十五字、前段二十七字五句三仄韻(暮、路。戸。)。後段二十八字四句三仄韻(息、滴。覓。)。

獨上小樓春欲、愁望玉関芳草
消息断、不逢人却斂細眉歸繍

坐看落花空歎、羅袂斑紅涙

干山萬水不曾行、魂夢欲教何


 

4. ・小樓  楼閣・楼上/高楼・鐘楼・蜃気楼(しんきろう)・白玉楼・摩天楼」 2 物見やぐら。「望楼」 3 歓楽や飲食のための店。楼主/妓楼

5. ・欲暮 暮れようとしている。欲は今にも~しそうだ、の意。

6. ・玉関 玉門関。中国の甘粛(かんしゅく)省北西部、敦煌(とんこう)(トゥンホワン)市西北約100kmのゴビ砂漠の中にある、唐の時代のシルクロード交易の関所で、河西回廊の防衛拠点の遺跡。玉門関は漢の時代に、南に位置する陽関とともに初めて設けられたが、現在残っているのは唐の時代の遺跡である。玉門関はシルクロード交易の重要な中継地となり、新疆(しんきょう)の和田で算出される玉を中原へ運ぶための中継地ともなったことから、玉門関と名づけられたといわれている。1988年に全国重点文物保護単位に指定された。

李白《子夜呉歌其三 秋》「長安一片月、万戸擣衣声。秋風吹不尽、総是玉関情。何日平胡虜、良人罷遠征。」

李白《關山月》「長風幾萬里、吹度玉門關。」

李白《登邯鄲洪波台置酒觀發兵》「觀兵洪波台。 倚劍望玉關。」 

李白《秋思》「燕支黄葉落、妾望白登台。海上碧雲断、単于秋色来。胡兵沙塞合、漢使玉関囘。征客無帰日、空悲蕙草摧。」

王昌齡 《從軍行》 青海長雲暗雪山, 孤城遙望玉門關。 黄沙百戰穿金甲,