花間集 訳注解説(141)回目 韋莊二十五首《巻三-25木蘭花一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8414

 韋莊《巻三-25木蘭花一首》

 

2017326

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韓愈 哲学・儒学「五原」

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杜甫詩(1)736~751年  53

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(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

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花間集 訳注解説(141)回目 韋莊二十五首《巻三-25木蘭花一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8414

(一人待つ身の女は、花木蘭のように、男装して自由闊達に野山を翔りたいものと詠う)

春も暮れかかろうとしている物見に、独り上って眺めている女がいる、きっと玉門関からかえってくる道には草草も盛んに生えているのに約束の春に帰ってこないから愁いの顔をしているのだろう。西域や北方の守りに出征した男はみんな、音沙汰も途絶えてしまい、帰って来る人もないという、だから約束の春を幾度も過したものは愁いに眉を曇らせていても閏の戸に入って物見に登ったりしなくなる。約束の春をはじめてまつ者は、次第にただ漫然として散る花を見て、むなしくため息を漏らすことになり、薄絹のたもとは涙で堕ちた頬紅が点々と濡らすことになる。京劇の「花木蘭」は男となっていったのだが、どこの女も、幾千の山を超えることも、万川をわたって行くこともない詞、思いを回らす夢見さえ叶わず、何を知りたく、何を求めていきていくのだろうか。

 

 

 

 

 

花間集 巻三

 

 

 

 

 

木蘭花

獨上小樓春欲暮,愁望玉關芳艸路。

消息斷,不逢人,卻斂細眉歸繡

坐看落花空歎息,羅袂濕斑紅淚滴。

千山萬水不曾行,魂夢欲教何處覓。

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『木蘭花』 三首

 

 

作者

初句7字

 

 

韋相莊

巻三25

木蘭花一首

獨上小樓春欲暮

 

 

魏太尉承班

九巻 02

木蘭花一首

小芙蓉,香旖旎

 

 

毛秘書熙震

十巻 05

木蘭花一首

掩朱扉,鈎翠箔

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲《木蘭花一首》韋莊

 

 

花間集 訳注解説 巻三-25木蘭花一首

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8414

 

 

1.胡装

胡服を着て胡帽を被る ー 「女が胡の婦と為り胡敏を学ぶ」(元横「法曲」)、これは唐代女性の特別の好みの一つであった。唐代の前期には、女性が馬に乗って外出する際に被った「帯解」(頭から全身をおおうスカーフ)は、「戎夷」(周辺の蛮族)から伝わった服装であった。また、彼女たちは袖が細く身体にぴったりした、左襟を折り返した胡服を好んで着た。盛唐時代(開元〜大暦の間)には、馬に乗る時に胡帽をかぶるのが一時流行した。胡服・胡帽の姿は絵画や彫刻、塑像の中で、随所に見ることができる。

彼女たちは、また胡人の化粧をも学んだ。ファッション

「新楽府」「其三十五 時世妝」 白居易

時世妝,時世妝,出自城中傳四方。

時世流行無遠近,腮不施朱面無粉。

烏膏注唇唇似泥,雙眉畫作八字低。

妍媸黑白失本態,妝成盡似含悲啼。

圓鬟無鬢堆髻樣,斜紅不暈赭面狀。

昔聞被發伊川中,辛有見之知有戎。

元和妝梳君記取,髻堆面赭非華風。

 

時世の妝 時世の妝、城中より出でて四方に傳はる。

時世の流行 遠近無し、腮に朱を施さず面に粉無し。

烏膏唇に注(つ)けて唇泥に似たり、雙眉畫きて八字の低を作す。

妍媸 黑白 本態を失し、妝成って盡く悲啼を含めるに似たり。

圓鬟(かん)鬢無く堆髻の樣、斜紅暈せず赭面の狀。

昔聞く 被髪伊川の中、辛有之を見て戎有るを知る。

元和の妝梳 君記取せよ、髻堆面赭は華風に非ず。

 

流行の化粧は、都会から出て四方に伝わる、時勢の流行には近在も遠方もない、頬紅をささず顔に白粉を塗らぬ、黒い油を口に塗って泥を見るようだ、眉を書けば八の字に垂れ下がって見苦しい(時世妝:流行の化粧法、腮:顎から頬にかけて)

美醜と黒白がひっくり返って、化粧した顔は泣きべそ顔だ、丸髷にはふくらみがなくさいづちまげのようだし、頬紅はぼかしてないのでまるで赤ら顔だ(妍媸:美醜、含悲啼:泣きべそ顔、圓鬟:丸髷、堆髻:さいづちまげ、胡人の女が結ぶ、斜紅:斜めに引いた頬紅、赭面:赤ら顔)

昔のことに、髪をふり乱した者たちが伊川で踊っているのを見て、辛有はその地が戎の地だといったというではないか、元和の流行の化粧について記録しておいてほしい、さいづちまげや赤ら顔は華風ではないと(被髪:髪を振り乱す、妝梳:化粧とヘアスタイルのこと)

 

 

2.戎装と男装

唐代の女性、とりわけ宮廷の女性は、常に戎装(軍装)と男装を美しいものと考えていた。高宗の時代、太平公主は武官の服装をして宮中で歌舞を演じたことがある。また、武宗の時代、王才人は武宗と同じ服を着て一緒に馬を駆って狩りをした。それで天子に上奏する人はいつもどちらが天子か見まちがったが、武宗はそれを面白がった。宮女たちが軍服を着たり、男装するのは全く普通のことだった。

男女が同じ服を着て、妻と夫の区別も無いとは、本当に平等な感じがする。こうした風潮が生れたのは、社会の開放性と尚武の気風があったからにはかならない。当時の若干の保守的な人々は、男女の服装に違いがなく、陰陽が逆さまになっている情況に頭を横に振りながら、「婦人が夫の姿になり、夫は妻の飾りとなっている。世の中の顛例でこれより甚だしいものはない」(『全唐文』巻三一五、李華「外孫雀氏二該に与うる書」)と慨嘆した。これぞまさしく、女性が男装する風潮は封建道徳の緩みであると説明する直接的表現ではないか。

 

 

 3.時世粧

唐代の三百年間には、服装、装飾は何度も変化し、各時代にその時代の時世粧があった。「時世赦 時世赦、城中自り出でて四方に伝わる」、「小頭鞋履 窄衣裳……天宝末年の時世赦」(自居易「時世赦」、「上陽白髪人」)などと詩に書かれている。唐代の女性はファッションに大変に凝った。彼女たちはモダンなもの、新奇なものを追うのが大好きで、しばしば宮中から何か新しいファッションが伝わってくると、民間も競ってそれをまねたので、すぐ社会全体の流行になった。

。服装の変化のリズムは非常に速く、女性は目新しいモードを追いかけるのが大好きで、服装が流行に合っているかどうかを気にかけたが、それは何を意味していたのだろうか。人々は次のように言うかもしれない。どうせただ悠々と満ちたりた生活を送っていた貴婦人たちの、賛沢で退屈しのぎの表れであり、また妃嬢・姫妾・娼妓など色気で寵愛を求める者の、男を龍絡する手段にすぎないと。こういう説明は確かに誤りではない。しかし、別の角度から見れば、社会に新鮮な活力がみなぎっていた一つの表現であるとは言えるのである。

 

 

◎ 4.身体を露出するファッション

唐初、女性が騎馬で外出する時には、冪蘺を着用して頭から全身を蔽っていた。後世になると、冪蘺の代りに帷帽(山高帽のつばの左右と後部に首を隠す網が垂れているもの)をかぶった。帷帽から垂れている網は首まで覆うだけで、もう全身を覆うものではない。盛唐の開元年間に至ると、女性は騎馬で外出する時にはただ胡帽をかぶるだけで、顔も、甚だしい場合には頭髪さえも外に露出していた。

唐代の女性の服装は、まさに社会の風気が開放的になるに従って自由となり、益々拘束がなくなっていったのである。家庭での服装については、私たちは唐代の絵画の中に見ることができる。たとえば、有名な永泰公主の墓の壁画の中に見られる女性などは、たいてい上着も下着も太めにゆったり美しいが、しかし胸も乳も露わにされているのである。

 

 

 

 

(改訂版)-47韋荘125《巻3-25 木蘭花一首》

木蘭花

(一人待つ身の女は、花木蘭のように、男装して自由闊達に野山を翔りたいものと詠う)

獨上小樓春欲暮、愁望玉関芳草路。

春も暮れかかろうとしている物見に、独り上って眺めている女がいる、きっと玉門関からかえってくる道には草草も盛んに生えているのに約束の春に帰ってこないから愁いの顔をしているのだろう。

消息断、不逢人。却斂細眉歸繍戸。

西域や北方の守りに出征した男はみんな、音沙汰も途絶えてしまい、帰って来る人もないという、だから約束の春を幾度も過したものは愁いに眉を曇らせていても閏の戸に入って物見に登ったりしなくなる。

坐看落花空歎息、羅袂斑紅涙滴。

約束の春をはじめてまつ者は、次第にただ漫然として散る花を見て、むなしくため息を漏らすことになり、薄絹のたもとは涙で堕ちた頬紅が点々と濡らすことになる。

干山萬水不曾行、魂夢欲教何覓。

京劇の「花木蘭」は男となっていったのだが、どこの女も、幾千の山を超えることも、万川をわたって行くこともない詞、思いを回らす夢見さえ叶わず、何を知りたく、何を求めていきていくのだろうか。

 

 

(改訂版)-47韋荘125《巻3-25 木蘭花一首》 

『木蘭花』 現代語訳と訳註

(本文)

木蘭花

獨上小樓春欲暮、愁望玉関芳草路。

消息断、不逢人。却斂細眉歸繍戸。

坐看落花空歎息、羅袂斑紅涙滴。

干山萬水不曾行、魂夢欲教何覓。

 

(下し文)

(木蘭花)

獨り小樓に上れば春暮れんと欲し、愁望す 玉関芳草の路。

消息 断え、人に逢はず。却って細き眉を斂【ひそ】めて 繍戸に歸る

坐ろに落花を看て 空しく歎息し、羅袂【らべい】湿れて斑【まだら】に紅涙 滴たる。

千山萬水 曾て行かず、魂夢は何處に覓【もと】めしめんと欲す。

  

(現代語訳)

(一人待つ身の女は、花木蘭のように、男装して自由闊達に野山を翔りたいものと詠う)

春も暮れかかろうとしている物見に、独り上って眺めている女がいる、きっと玉門関からかえってくる道には草草も盛んに生えているのに約束の春に帰ってこないから愁いの顔をしているのだろう。

西域や北方の守りに出征した男はみんな、音沙汰も途絶えてしまい、帰って来る人もないという、だから約束の春を幾度も過したものは愁いに眉を曇らせていても閏の戸に入って物見に登ったりしなくなる。

約束の春をはじめてまつ者は、次第にただ漫然として散る花を見て、むなしくため息を漏らすことになり、薄絹のたもとは涙で堕ちた頬紅が点々と濡らすことになる。

京劇の「花木蘭」は男となっていったのだが、どこの女も、幾千の山を超えることも、万川をわたって行くこともない詞、思いを回らす夢見さえ叶わず、何を知りたく、何を求めていきていくのだろうか。

  

(訳注) (改訂版)-47韋荘125《巻3-25 木蘭花一首》 

木蘭花

1. (一人待つ身の女は、花木蘭のように、男装して自由闊達に野山を翔りたいものと詠う)

2. 【解説辺境の守りに出たまま帰らぬ男を待ちわびる女は、次第に何を生きる糧にしていいかわからなくなるという思いを詠う。

前段は、春には帰るということで物見に上って西の玉門関の方を眺めても、春も過ぎようとする。初めの内には物見にあがって待ち望むけれど、何処にいるのかわからない。寡婦は閨でなくしか方法はなく。最後は、京劇の「花木蘭」のように男となることがゆめとなる。男のように山川越えて自由にしてみたいという。

中国における伝承文芸・歌謡文芸で語られた物語上の女性主人公。木蘭の姓は「花」「朱」「木」「魏」など一定していないが、京劇では「花木蘭」とされる。老病の父に代わり、娘の木蘭が男装して従軍。異民族(主に突厥)を相手に各地を転戦し、自軍を勝利に導いて帰郷するというストーリーである。

3. 【構成】唐の教坊の曲名。『花間集』 には三首所収。韋荘の作は一首収められている。双調五十五字、前段二十七字五句三仄韻、後段二十八字四句二仄韻で、❼❼33❼/➐➐7➐の詞形をとる。教坊曲。双調五十五字、前段二十七字五句三仄韻(暮、路。戸。)。後段二十八字四句三仄韻(息、滴。覓。)。

獨上小樓春欲、愁望玉関芳草
消息断、不逢人却斂細眉歸繍

坐看落花空歎、羅袂斑紅涙

干山萬水不曾行、魂夢欲教何


 

獨上小樓春欲暮、愁望玉関芳草路。

春も暮れかかろうとしている物見に、独り上って眺めている女がいる、きっと玉門関からかえってくる道には草草も盛んに生えているのに約束の春に帰ってこないから愁いの顔をしているのだろう。

4. ・小樓  楼閣・楼上/高楼・鐘楼・蜃気楼(しんきろう)・白玉楼・摩天楼」 2 物見やぐら。「望楼」 3 歓楽や飲食のための店。楼主/妓楼

5. ・欲暮 暮れようとしている。欲は今にも~しそうだ、の意。

6. ・玉関 玉門関。中国の甘粛(かんしゅく)省北西部、敦煌(とんこう)(トゥンホワン)市西北約100kmのゴビ砂漠の中にある、唐の時代のシルクロード交易の関所で、河西回廊の防衛拠点の遺跡。玉門関は漢の時代に、南に位置する陽関とともに初めて設けられたが、現在残っているのは唐の時代の遺跡である。玉門関はシルクロード交易の重要な中継地となり、新疆(しんきょう)の和田で算出される玉を中原へ運ぶための中継地ともなったことから、玉門関と名づけられたといわれている。1988年に全国重点文物保護単位に指定された。

李白《子夜呉歌其三 秋》「長安一片月、万戸擣衣声。秋風吹不尽、総是玉関情。何日平胡虜、良人罷遠征。」

李白《關山月》「長風幾萬里、吹度玉門關。」

李白《登邯鄲洪波台置酒觀發兵》「觀兵洪波台。 倚劍望玉關。」 

李白《秋思》「燕支黄葉落、妾望白登台。海上碧雲断、単于秋色来。胡兵沙塞合、漢使玉関囘。征客無帰日、空悲蕙草摧。」

王昌齡 《從軍行》 青海長雲暗雪山, 孤城遙望玉門關。 黄沙百戰穿金甲, 不破樓蘭終不還。

7. ・芳草路 春草の茂る道。旅立った男が旅先で春草(妾)に心奪われて帰って来ないことを暗示する。

 

消息断、不逢人。却斂細眉歸繍戸。

西域や北方の守りに出征した男はみんな、音沙汰も途絶えてしまい、帰って来る人もないという、だから約束の春を幾度も過したものは愁いに眉を曇らせていても閏の戸に入って物見に登ったりしなくなる。

8. ・不逢人 男のいる地からやって来る人もなく、男の消息の得られぬこと。

9. ・繍戸 婦人の部屋。

 

坐看落花空歎息、羅袂斑紅涙滴。

約束の春をはじめてまつ者は、次第にただ漫然として散る花を見て、むなしくため息を漏らすことになり、薄絹のたもとは涙で堕ちた頬紅が点々と濡らすことになる。

10. ・羅袂 帰ってきたら閨で着る薄絹の透けて見える上着の袖口。帰って来ると思って閨で着て涙する。唐代の女性の服装は、まさに社会の風気が開放的になるに従って自由となり、益々拘束がなくなっていったのである。家庭での服装については、私たちは唐代の絵画の中に見ることができる。たとえば、有名な永泰公主の墓の壁画の中に見られる女性などは、たいてい上着も下着も太めにゆったり美しいが、しかし胸も乳も露わにされているのである。

11. ・紅涙 女の悲しみの涙。頬紅が涙で溶けること。

 

干山萬水不曾行、魂夢欲教何覓。

京劇の「花木蘭」は男となっていったのだが、どこの女も、幾千の山を超えることも、万川をわたって行くこともない詞、思いを回らす夢見さえ叶わず、何を知りたく、何を求めていきていくのだろうか。

12. ・不曾行 これまで一度も行ったことがないの意。京劇の「花木蘭」と対比しての女を云う。

13. ・魂夢 夢。夢魂に同じ。あたかも夢の中のようにぼんやりとした心持の状態を云う。

14. 欲教何覓  何を知りたく、何を求めていきていくのだろうか。

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