花間集 訳注解説(140)回目 韋莊二十五首《巻三-24 酒泉子一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8408

 韋莊二十五首《巻三-24 酒泉子一首》

 

 

花間集 訳注解説(140)回目 韋莊二十五首《巻三-24 酒泉子一首》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8408

(祭礼接客、宴会、寝所の世話を司る役割の妃嬪が寵愛を受けていたが次の年の春が来ると寵愛を失っていた、それでも寵愛を受ける気持ちでいないといけない自由な考えはできないと詠う)

月は西に落ちて星も沈み、朝未だ来のころ、閣樓辺りの閨で宴会を仕切った妃嬪が春暁の眠りについている。そこには絶頂の寵愛を受けていることがそこにあり、若い妃嬪は雲型のみどりの黒髪が少し傾いている。金の飾りの枕、二つに並ぶ。そしてそれは綺麗に画かれた屏風の奥のことである。春がきて、眠りに付けないでうとうとすると子規が啼いて目が覚める、思い続けていた夢も破れてつらい。朝焼けは今日も東に動いて春の盛に移り変わろうとしている。柳絮の綿が春霞のなかかろやかに飛び、花ビラには春雨が降りかかり、蕊の露は重たく、色濃くする。それでも、寵愛をうけると思い、準備しなくてはいけないけれど、思いに任すのは難しいことなのです。自由に考えられないのは当たり前のことだ。

 

 

 

 

 

花間集 巻三

 

 

 

 

 

 

1. 後宮での酒泉子

后妃たちの生活は優閑かつ安逸なもので、終日飽食し何もしないで遊びくらした。もちろん、時には彼女たちも形ばかりの仕事をしなければならなかった。たとえば恒例となっている皇后の養蚕の儀式六宮(皇后の宮殿)での繭を献ずる儀式を主催し参加すること〔-これは天下の婦女に率先して養蚕事業の範を示すことを意味していた〕。玄宗の時代、帝は彼女たちに自ら養蚕をするよう命じ、「女が専門にすべき仕事を知らしめようとした」 ことがあった(『資治通鑑』巻二一三、玄宗開元十五年)。しかし、この仕事も当然ながら身分の賎しい宮女たちに押し付けられたはずであり、本当に彼女たちを働かせることにはならなかったに相違ない。この他にも、また祭祀、帝陵参拝、宴会等の儀式にも参加しなければならなかった。

 

『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。

妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」。

六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」。

美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」。

才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。

 

しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。

形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲《酒泉子一首》韋莊

 

 

花間集 訳注解説 巻三-24酒泉子一首

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8408

 

 

 (改訂版)-46韋荘124《巻3-24 酒泉子一首

(祭礼接客、宴会、寝所の世話を司る役割の妃嬪が寵愛を受けていたが次の年の春が来ると寵愛を失っていた、それでも寵愛を受ける気持ちでいないといけない自由な考えはできないと詠う)

月落星沉、棲上美人春睡。

月は西に落ちて星も沈み、朝未だ来のころ、閣樓辺りの閨で宴会を仕切った妃嬪が春暁の眠りについている。

緑雲傾、金枕膩、畫屏深。

そこには絶頂の寵愛を受けていることがそこにあり、若い妃嬪は雲型のみどりの黒髪が少し傾いている。金の飾りの枕、二つに並ぶ。そしてそれは綺麗に画かれた屏風の奥のことである。

子規啼破相思夢、曙色東方纔動。

春がきて、眠りに付けないでうとうとすると子規が啼いて目が覚める、思い続けていた夢も破れてつらい。朝焼けは今日も東に動いて春の盛に移り変わろうとしている。

柳煙軽、花露重、思難任。

柳絮の綿が春霞のなかかろやかに飛び、花ビラには春雨が降りかかり、蕊の露は重たく、色濃くする。それでも、寵愛をうけると思い、準備しなくてはいけないけれど、思いに任すのは難しいことなのです。自由に考えられないのは当たり前のことだ。

(酒泉子)

月落ち星沉む、樓上 美人の春睡。

綠雲 傾き、金枕 膩【ふたつ】、畫屏 深なり。

子規 破れる啼く 相思の夢むも、曙色 東方にわずか動く。 

柳煙は軽やかに、花露は重く、思うは 任せ難し。

 

 

(改訂版)-46韋荘124《巻3-24 酒泉子一首》 

《酒泉子》 現代語訳と訳註

(本文)

酒泉子

月落星沉、棲上美人春睡。

緑雲傾、金枕膩、畫屏深。

子規啼破相思夢、曙色東方纔動。

柳煙軽、花露重、思難任。

 

(下し文) (改訂版)-46韋荘124《巻3-24 酒泉子一首》

(酒泉子)

月落ち星沉む、樓上 美人の春睡。

綠雲 傾き、金枕 膩【ふたつ】、畫屏 深なり。

子規 破れる啼く 相思の夢むも、曙色 東方にわずか動く。 

柳煙は軽やかに、花露は重く、思うは 任せ難し。

 

(現代語訳) (改訂版)-46韋荘124《巻3-24 酒泉子一首》

(祭礼接客、宴会、寝所の世話を司る役割の妃嬪が寵愛を受けていたが次の年の春が来ると寵愛を失っていた、それでも寵愛を受ける気持ちでいないといけない自由な考えはできないと詠う)

月は西に落ちて星も沈み、朝未だ来のころ、閣樓辺りの閨で宴会を仕切った妃嬪が春暁の眠りについている。

そこには絶頂の寵愛を受けていることがそこにあり、若い妃嬪は雲型のみどりの黒髪が少し傾いている。金の飾りの枕、二つに並ぶ。そしてそれは綺麗に画かれた屏風の奥のことである。

春がきて、眠りに付けないでうとうとすると子規が啼いて目が覚める、思い続けていた夢も破れてつらい。朝焼けは今日も東に動いて春の盛に移り変わろうとしている。

柳絮の綿が春霞のなかかろやかに飛び、花ビラには春雨が降りかかり、蕊の露は重たく、色濃くする。それでも、寵愛をうけると思い、準備しなくてはいけないけれど、思いに任すのは難しいことなのです。自由に考えられないのは当たり前のことだ。

 

(訳注) (改訂版)-46韋荘124《巻3-24 酒泉子一首》

酒泉子

1.(祭礼接客、宴会、寝所の世話を司る役割の妃嬪が寵愛を受けていたが次の年の春が来ると寵愛を失っていた、それでも寵愛を受ける気持ちでいないといけない自由な考えはできないと詠う)

2. ・酒泉子 『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。

唐以降の中国王朝における宮廷に仕える楽人や妓女たちに宮廷音楽を教習させるための機関をさす。楽曲や歌舞の習得を主な目的とするが、官妓にあたる妓女を統括する役割もあった。その後の王朝に引き継がれ、清代まで続いたが、雍正帝の時に廃止された。

『酒泉子』は宮廷で歌われたこの教坊曲である。 

 

3. 【構成】唐教坊曲名。雙調四十一字、前段十九字五句二平韻二仄韻、後段二十二字五句二平韻二仄韻で、④❻3❸③/⑦❻3❸③の詞形をとる。

(改訂版)-46韋荘124《巻3-24 酒泉子一首》 

月落星沉、樓上美人春

綠雲、金枕、畫屏深。
子規啼破相思、曙色東方纔
柳煙輕、花露、思難

 

月落星沉、棲上美人春睡。

月は西に落ちて星も沈み、朝未だ来のころ、閣樓辺りの閨で宴会を仕切った妃嬪が春暁の眠りについている。

4. ・月落星沉 上弦の月から十八夜くらいの期間の夜明けの様子。

5. ・美人 宮中の妃嬪の宴会を担当するもの。

 

緑雲傾、金枕膩、畫屏深。

そこには絶頂の寵愛を受けていることがそこにあり、若い妃嬪は雲型のみどりの黒髪が少し傾いている。金の飾りの枕、二つに並ぶ。そしてそれは綺麗に画かれた屏風の奥のことである。

6. ・緑雲 雲型のみどりの黒髪。緑の黒髪は年齢の若い十代後半のことをいう。

7. ・膩 二つ並ぶ。

8. ・畫屏深 綺麗に画かれた屏風であるが、それが閨のまわりに立てられていることをいう。寵愛を失ってはいない絶好の状況。

 

子規啼破相思夢、曙色東方纔動。

春がきて、眠りに付けないでうとうとすると子規が啼いて目が覚める、思い続けていた夢も破れてつらい。朝焼けは今日も東に動いて春の盛に移り変わろうとしている。

9. ・子規啼 望帝が百余歳のころ、楚(そ)の国で鼈霊(べつれい)という男が死んだ。ところが、その死体は長江を遡(さかのぼ)り、蜀の都に流れ着いて生き返り、望帝に会いに来た。そこで、望帝は鼈霊を宰相に任命した。おりしも、蜀で大洪水が起こり、鼈霊がまるで禹と同じように活躍し、それを治めた。ところが、この後、望帝は鼈霊の妻と密通してしまい、良心の呵責(かしゃく)にさいなまれて鼈霊に位を譲った。王となった鼈霊は開明帝と称したが、望帝の方は退位後に修行を積んでホトトギスとなり、毎年春が来るたびに鳴いた。蜀の人々はその鳴き声を聞いて望帝をしのんだという。

それを知った杜宇ホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。帰ることが出来ない。)と鳴きながら血を吐いた。ホトトギスの口が赤いのはそのためだ。

 以上がホトトギスを不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄などと表記するゆえんだ。

杜鵑行 杜甫 成都(2部)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379> 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500

10. ・東方纔動 彼岸の中日に太陽が真東になることを云う、早春も終わり盛春になりはじことを示す。南向きの窓に朝日が日ごとに入り始めたことでわかる。

 

柳煙軽、花露重、思難任。

柳絮の綿が春霞のなかかろやかに飛び、花ビラには春雨が降りかかり、蕊の露は重たく、色濃くする。それでも、寵愛をうけると思い、準備しなくてはいけないけれど、思いに任すのは難しいことなのです。自由に考えられないのは当たり前のことだ。

11. ・柳煙軽 この柳は男の性分を云うもので柳絮の綿も、春霞もどこへでも行くことをいう。

12. ・花露重 この句は女の身を云う。春になって花の蕊に露があふれて重くなる、春になれば男が恋しくなるというもの。

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