花間集 訳注解説 (132)回目 韋莊二十五首《巻三-16 思帝鄉二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8360

韋莊《巻三-16 思帝二首其二》

 

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花間集 訳注解説 (132)回目 韋莊二十五首《巻三-16 思帝二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8360

(帝都の女の郷で思うこと その二:《巻3-15 思帝郷二首 其一》のある「兩心知」〔二人だけの愛の言葉〕の答、「將身嫁與、一生休。縱被無情棄,不能羞。」〔あなたのもとへ、嫁つぎたい、あなたと一緒にすごしたい。もし、棄てられても、恥たりして死ぬようなことはない。〕と詠う)

春の日は「春薪踏青」行楽にでかけ游ぶ。杏園の杏の花びらが科挙合格者を見ようと集まる人々の頭一杯に降りかかってくる。 長安の大道に遊侠するのは、どこの家の貴公子だろうか。無礼講の日であるからこれも充分風流な事なのだ。わたしに「わたしは、あなたのもとへ、嫁つぎたい」といい。そして、「あなたと一緒に一生 おちつき、おわりたい」といった。「たとえ、もし、あなたが愛妾を多く持てる人になって私への愛情がなくなったとしても、悔いたり、愧じたりして死ぬようなことはない。」といっていたのだ。

 

 

 

 

 

花間集 巻三

 

 

 

 

 

思帝二首 其一

雲髻墜,鳳釵垂,

髻墜釵垂無力,枕函欹。

翡翠屏深月落,漏依依。

盡人間天上,兩心知。

 

思帝鄕二首 其二

 春日遊,  杏花吹滿頭。

 陌上誰家年少、 足風流。

 妾擬將身嫁與、 一生休。

 縱被無情棄,  不能羞。

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『思帝』四首

 

 

溫助教庭筠

巻二06

(改訂版) 思帝一首 

花花、満枝紅似霞。

 

 

韋相莊

巻三15

思帝二首 其一 

雲髻墜,鳳釵垂

 

 

巻三16

思帝鄕二首 其二 

春日遊,杏花吹滿頭

 

 

孫少監光憲

巻八

思帝一首

如何?遣情情更多。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女性の家庭内の娯楽と節句の行事には次のようなものがあった。

人日の剪彩

陰暦の正月七日は「人日」 である。この日、宮中でも民間でも、女性は美しい色彩の絹布をとりだして、花、葉、鳥などの図案をはさみで切り抜く。「閏婦は刀を持して坐し、自ら憐む 裁ちて新しきを乗るを。葉は催して情は色を綴り、花は寄せて手は春を成す。燕(燕の模様の努紙)は帖めて敷戸に留め、鶏(鶏の模様の努紙)は謝りて餉う人を待つ。撃ち来って夫婿に問う、何処ぞ真の如からざらん」(徐延寿「人日華麻」)。上手にできれば、それを木に飾ることもあれば、それを空に飛び散らせる人もあった。こうした勢彩は主に節句のめでたさを盛り上げるために行ったのであろうが、また女性たちはこの機会を借りて自分の器用さを人に誇ったのである。

* 人日は一月一日から六日まで各種家畜の成育を占い、七日が人、八日が穀物の占い口であった。これは年頭に豊凶、吉凶を占う習俗であり、古代日本にも伝わった。

 

 

蕩鞦韆(ぶらんこ蕩ぎ)

この女性の遊びは、毎年、寒食(清明節の前二日の節句)と清明節(冬至から一〇六日目、春の到来を祝う)前後に行われた。「天宝年間、宮中では寒食節に至ると、鞦韆を作って宮婦たちを乗せて宴楽とした。これを〝半仙の戯〞(半分仙人気分となる遊び)とよんだ」(『開元天宝遺事』巻下)。民間の女性もぶらんこをして遊んだ。唐詩に、

「少年き児女は鞦韆を重んじ、巾を盤け帯を結んで両辺に分かつ。身は軽く裙薄く 力を生じ易し、双手は空に向き 鳥の翼の如し。下り来り立ち定まりて 重ねて衣を繋ぎ、復た斜めの風の 高きを得ざらしむるを畏る。傍人 上に送る 那ぞ貴ぶに足らん、終に鳴璫を賭け 聞いて自ら起つ。回り回って高樹と斉しかるが若く、頭上の宝釵 従って地に堕つ」(王建「鞦韆詞」)。

また別の詩に、

「五糸もて縄を繋ぎ 墻を出ること遅く、力尽き纔かに瞵りと隣の圃を見る。下り来って矯く喘ぎ末だ調うる能わず、斜めに朱闌に借りて久しく語無し」(韓偓「鞦韆」)とある。これらの詩からみると、少女たちはぶらんこが大好きで大いに勝負を争い、時にアクセサリーまで賭けて、誰が最も高く揚がるか競った。

韓偓《鞦韆》

池塘夜歇清明雨,繞院無塵近花塢。

五絲繩繫出牆遲,力盡才瞵見鄰圃。

下來嬌喘未能調,斜倚朱欄久無語。

無語兼動所思愁,轉眼看天一長吐。

 

王建《鞦韆詞》

長長絲繩紫復碧,裊裊橫枝高百尺。

少年兒女重秋千,盤巾結帶分兩邊。

身輕裙薄易生力,雙手向空如鳥翼。

下來立定重系衣,復畏斜風高不得。

傍人送上那足貴,終賭鳴鬥自起。

回回若與高樹齊,頭上寶釵從墮地。

眼前爭勝難為休,足踏平地看始愁。

 

浣渓沙五首 其二

欲上鞦韆四體傭、擬教人送又心忪、畫堂簾幕月明風。

此夜有情誰不極、隔墻梨雪又玲瓏、玉容憔悴惹微紅。

(浣渓沙五首 其の二)

鞦韆【しゅうせん】に上らんとして四体慵【ものう】し 人をして送らしめんと擬【ほっ】するも又心 忪【おどろ】く、畫堂の簾幕に月明らかに風ふく。

此の夜情有るを誰か極めざらん、墻【かき】を隔てて梨雪又玲瓏【れいろう】たり、玉容憔悴して微紅惹【みだ】る。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-2韋荘80《巻2-30 浣渓沙五首 其二 (欲上鞦韆四體傭)》二巻30-〈80〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5602

 

闘百草(百草を闘わす遊び)

五月五日端午の節に摘み草比べ合って遊んだ風俗

草花を採ってその優劣を競う遊びで、端午の節句の前後、百草の生い茂る頃に行われた。「帰り来って小姑に見え、新たに放って百草を弄しむ」(劉駕「桑婦」)、「閑来に百草を闘わし、日を度るも敗を成さず」(雀顛「王家少婦」)などと詩に詠われでいる。これは主に少女たちの遊びであろう。中宗の時代、安楽公主は五月五日の「闘百草」 の時、出し物を豊富にするために、わざわざ人を南海のある寺院まで派遣して、南朝宋の謝霊運が臨終の時に寺に寄進した美害(ほほひげ)を取り寄せて、百草遊びの賭け物とした(『隋唐裏話』巻下)。この「闘百草」という遊びは、恐らく草の品種で勝ち抜けを競ったものと思う。それで安楽公主は、謝霊運のほほひげを草の一種のように装って賭け草にするという、奥の手を考えついたのであろう。

 

弓子団子

端午の節句に、宮中の女性たちは団子を作り、それを小さな弓で射る遊びもした。「粉団で角黍()を造り、金盤の中に貯く。小さな角で弓子を造るが、うっとりするほど繊細巧妙である。箭を架えて盤中の粉団めがけて射かけ、当たれば食べでもよいが、粉団は滑威して射ぬくのは難しい」(『開元天宝達事』巻上)。この遊びは宮中だけで行われたらしく民間には普及しなかった。

 

七夕の乞巧(針仕事の占い)

旧暦七月七日の夜の針仕事の占いは、一年の中で女性にとって最も重要な祭日だった。この日の晩は宮廷でも民間でも祭壇をつくり、鄭重に線香、果物、酒などをお供えして、香を焚いて牽牛と織女の二神を祭り、音楽を奏して宴会を開き、賑やかに過ごした。女性たちは織女に様々なお願い事 - 針仕事が上手になるように、幸せになるようにと願い、また「困難を乗り越え、手と目がさらによく利き、織りも縫いも心のままにできるよう」お願いした(『柳河東集』巻一八「乞巧文」)。この夜、女性たちは月に向い針に糸を通してみる。うまく通れば上手になると解釈した。宮中の女性たちは、次のような新しい占いもした。「宮女たちは、瓜の花と酒食を庭に並べて牽牛と織女に願いごとをした。また各人が蜘株を捉えて小さな盆の中に入れ、蜘妹がかける巣の糸が粗いか細かいかを見て、自分の針仕事が上手か下手かを占った」(『開元天宝達事』巻下)。

 

拜新月

「幼女綾かに六歳、末だ巧も拙も知らず。向夜堂前に在りて、人に学んで新月を拝む」(施肩吾「幼女詞」)、「東家の阿母も亦た月を拝し、一拝一悲 声断絶す。昔年 月を拝しては容輝を蓮 にし、如今 月を拝しては双すじの涙垂る。衆女の 新月を拝するを回り看て、却って憶う紅閏の年少の時」(張婦人「新月を拝す」)、などと唐詩に歌われている。拝月はもちろん新月が初めて出た時に行う。古代の小説や戯曲の中に家庭の女性が拝月する情景がしばしばでてくる。それらによって、拝月は昔から女性たちがお月様に願いごとをする機会であったことを知るのである。

 

 

蔵鈎(鈎隠し)

「蔵鈎を得て多少を語らん(数を当てん)と欲し、嬢妃官女は相い和すに任す。朋毎に一百人を定(定数)となし、三千匹の森羅を遣勝る」(羅宗涛『教壇変文社会風俗事物考』台北文史哲出版社、一九七四年より引用)。これは双方百人ずつが勝負を競う集団的な遊びで、これは宮中の女性だけに盛んに行われたもののようである。

* 鈎とは、とめ金、帯どめなど、先端が曲っている金属製の小物の総称。

 

 

動物の飼育

「年は二八(十六歳)、久しく香閏に鎖こめられ、禍児(狩)と鶴鵡を相手に戯ぶのが愛き」(『敦煙変文社会風俗事物考』より引用)とあるように、家庭の少女や婦人、それに宮中の女性たちは常に鶴鵡や犬などの小動物を友として飼い、寂しさをまざらわせていた。楊貴妃が飼っていた鶴鵡は雪衣女といい、犬は康国(中央アジアのサマルカンド)から献上されたもので、どちらも高貴な品種であった。宮女や妃妾もまた常に小さな金の龍に蟻蜂を捉えて飼い、夜枕辺に置いて鳴き声を聞き、孤独の苦しみをまざらわせた。後に、この風習を民間が争ってまねるようになり、蟻蜂を飼うのを娯楽とした(『開元天宝遺事』巻上)。

 

 

 

唐代で最も特色のあるのは、女性たちの外出である。

 

元宵節観燈(燈龍の見物)

元宵節(正月十五日)の燈会は、婦人たちが遊びに出かけるのに最もよい時であり、民間の女性ばかりでなく、后妃や宮女たちも観燈のために外出できる機会であった。中宗の時、宮女たちが見物に出かけたところ、多くの宮女が失踪して帰らなかった。容宗の時代、ある年の元宵節に官府は宮女たち数千人を集めた。彼女たちは三日間踏歌(腕を連ね足踏みしながら舞う踊)をして、歓楽の限りを尽したという(『旧唐書』中宗紀、『朝野愈載』巻三)。

 

春薪踏青(ハイキング)

正月十五日以後から三月の清明節の前後にかけて、人々は盛んにハイキングをしたり、野宴を催したりして楽しんだ。女性も春のハイキングに巻き込まれ、一年の内、最も愉快で自由なめ日を楽しんだ。「長安の男女は春の野を遊歩し、名花に遇えば敷物を広げ、紅い 裾を順番に挿し掛けて、宴の幌とする」、「都の男女は、毎年正月半ば過ぎになると、各おの車に乗り馬に跨り、園圃(農園)あるいは郊野(郊外の野原)の中に帳をしつらえて、探春の宴をする」(『開元天宝遺事』巻下)。こう見てくると、春の野に遊宴を催すとは、何と現代的なことかと思う。長安の曲江池、楽游原などの景勝の地は、ひとたび新春が訪れると女性たちがみな押しょせて見物したり笑い合ったりする場所であり、その他の景勝地もみな同様であった。唐詩の中には女性たちが春を楽しむ情景を歌ったものが少なくない。李華の詩「春遊吟」 に、「初春 芳句(春の野)遍く、千里 藷として職に盈つ。美人は新しき英を摘み、歩歩 春緑に玩る」とあり、また施肩吾の詞「少婦遊春詞」 に、「錦を集め花を轢めて勝遊を闘かわせ、万人 行く処 最も風流」とある。杜甫は「麗人の行」 の中で、貴婦人たちの訪春の情景を「三月三日 天気新なり、長安の水辺 麗人多し」と描写した。張萱の 「虢国夫人游春図」は、さらに生々と唐代貴婦人の游春の情景を再現している。

 

芝居見物

劇場で芝居見物することも、唐代の女性たちが最も好む娯楽だった。宣宗の娘万寿公主が慈恩寺の演芸場に行って芝居を見たのも、その一例である(『資治通鑑』巻二四八、宣宗大中二年)。

 

ポロ見物

女性は自らポロに参加したばかりでなく、見物もまた楽しみだった。李潮は桂管(広西省桂林)観察使となった時、名儒の呉武陵を招いて副使にした。彼らが球場で宴会をしていたところ、この孔門の弟子は、女性が観覧席で群れをなしてポロを見物しているのが気に入らず、あろうことか観衆の前でズボンを脱ぎ小便をしていやがらせをした(『太平広記』巻四九七)。結局、この行為によって道学先生が人前で物笑いとなったのか、それとも女性たちが恥ずかしくなって球場から出ていったのか、今は知るよしもない。

種々の節句の祝典や冠婚葬祭などに当ると、女性たちは好んで外出し、大いに遊び騒いだ。そうした記録は少なくない。裏陽公主(高祖李淵の次女)は、「市里を併行する」 のが大好きだった(『旧唐書』李宝臣附李惟簡伝)。また、『集異記』(巻二)に、「憲宗の墓を遷し変えた時、集州司馬の職にあった襲通達の妻、娘などが車に乗って通化門に行って見物し、夜遅くなってやっと帰った」とある。また、『太平広記』(巻二三)に「剣南節度使の張某は、華陽(陳西省洋県)の李尉の美貌の妻を一目見ようと思い、特別に各寺々に宝物などの陳列をするように命じ、女性たちを見物に誘い出そうとした。果して李の妻もその夜見物に現れた」という。

 

外出遊覧という娯楽は、彼女たちの心身をのぴやかにさせたばかりではなく、彼女たちに異性との自由な交際と恋愛の機会をも与えたのである。

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲《思帝二首其二》韋

 

 

花間集 訳注解説 巻三-15思帝二首其

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8354

 

 

-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》 

思帝二首 其一

(帝都の女の郷で思うこと その一:請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている『二人だけの愛の言葉』を思い出せと詠う

雲髻墜,鳳釵垂,

寵愛を失って随分経つ、雲型の髷の髻がくずれ落ち掛けている。鳳凰のかんざしはそのまま垂れているが、なおす気になれない。

髻墜釵垂無力,枕函欹。

髻が落ち、カンザシがかろうじてついているけれど、何もする気がおこらない、枕の箱からだして、新しい簪に取り換えて気分を変えて、身支度を整えるのもやめた。

翡翠屏深月落,漏依依。

翡翠の屏風を部屋の奥深い所においているが、月影の動きをずっと見ていたのだが、もう西に落ちかかり、奥まで影を指していて、五更の時をもう間もなく告げるころになった。

盡人間天上,兩心知。

あれほどまでに、請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている、それでも、「二人だけしか知らないその言葉」を見て元気を出そう。

(思帝【していきょう】二首 其の一)

雲髻 墜ち,鳳釵 垂る,

髻 墜ち 釵 垂れて力無く,枕函 欹【かたむ】く。

翡翠【ひすい】の屏は深く月落つるも,漏は依依たり。

【い】い盡くす 人間【じんかん】と天上を,「兩心のみ知る」。

 

 

-38韋荘116《巻3-16 思帝鄕二首 其二

思帝鄕二首 其二

(帝都の女の郷で思うこと その二:《巻3-15 思帝郷二首 其一》のある「兩心知」〔二人だけの愛の言葉〕の答、「將身嫁與、一生休。縱被無情棄,不能羞。」〔あなたのもとへ、嫁つぎたい、あなたと一緒にすごしたい。もし、棄てられても、恥たりして死ぬようなことはない。〕と詠う)

 春日遊,杏花吹滿頭。

春の日は「春薪踏青」行楽にでかけ游ぶ。杏園の杏の花びらが科挙合格者を見ようと集まる人々の頭一杯に降りかかってくる。 

 陌上誰家年少、足風流。

長安の大道に遊侠するのは、どこの家の貴公子だろうか。無礼講の日であるからこれも充分風流な事なのだ。

 妾擬將身嫁與、一生休。

わたしに「わたしは、あなたのもとへ、嫁つぎたい」といい。そして、「あなたと一緒に一生 おちつき、おわりたい」といった。

 縱被無情棄,不能羞。

「たとえ、もし、あなたが愛妾を多く持てる人になって私への愛情がなくなったとしても、悔いたり、愧じたりして死ぬようなことはない。」といっていたのだ。

 


 
(改訂版)-38韋荘116《巻3-16 思帝鄕二首 其二》

『思帝鄕』 現代語訳と訳註

(本文思帝郷 

思帝鄕二首 其二

 春日遊,  杏花吹滿頭。

 陌上誰家年少、 足風流。

 妾擬將身嫁與、 一生休。

 縱被無情棄,  不能羞。

 

(下し文)

思帝鄕

春日遊ぶ, 杏花 吹きて頭に滿つ。

陌【あぜみち】の上 誰が家の年少か、足【はなは】だ風流なり。

妾【わたし】は擬【おも】う 身を嫁與【かよ】すとしても、 一生の休んぜん。

 縱【たと】い無情に棄てらるるとも, 羞づ能【あた】わず。

 

 

(現代語訳)

(帝都の女の郷で思うこと その二:《巻3-15 思帝郷二首 其一》のある「兩心知」〔二人だけの愛の言葉〕の答、「將身嫁與、一生休。縱被無情棄,不能羞。」〔あなたのもとへ、嫁つぎたい、あなたと一緒にすごしたい。もし、棄てられても、恥たりして死ぬようなことはない。〕と詠う)

春の日は「春薪踏青」行楽にでかけ游ぶ。杏園の杏の花びらが科挙合格者を見ようと集まる人々の頭一杯に降りかかってくる。 

長安の大道に遊侠するのは、どこの家の貴公子だろうか。無礼講の日であるからこれも充分風流な事なのだ。

わたしに「わたしは、あなたのもとへ、嫁つぎたい」といい。そして、「あなたと一緒に一生 おちつき、おわりたい」といった。

「たとえ、もし、あなたが愛妾を多く持てる人になって私への愛情がなくなったとしても、悔いたり、愧じたりして死ぬようなことはない。」といっていたのだ。

 

(訳注) (改訂版)-38韋荘116《巻3-16 思帝鄕二首 其二

思帝郷 思帝鄕二首 其二

15. (帝都の女の郷で思うこと その二:《巻3-15 思帝郷二首 其一》のある「兩心知」〔二人だけの愛の言葉〕の答、「將身嫁與、一生休。縱被無情棄,不能羞。」〔あなたのもとへ、嫁つぎたい、あなたと一緒にすごしたい。もし、棄てられても、恥たりして死ぬようなことはない。〕と詠う)

16. 《巻3-15 思帝郷二首 其一》「雲髻墜,鳳釵垂,髻墜釵垂無力,枕函欹。翡翠屏深月落,漏依依。盡人間天上,兩心知。」と云ったことをその内容を述べた詩である。韋荘が、愛妾を蜀王王建に奪われたことを思わせる詩のひとつで、教坊の曲の曲を作る際この題材をよく使っている。歌会、宴席で披露する詞である、韋荘のことを承知している者の宴席であるから、自慢話、あるいは、自虐ネタを披露したものが花間集に収められているのである。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-22韋荘100《巻2-50 望遠行一首》二巻50-〈100〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5702

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-23韋荘101《巻3-01 謁金門二首 其一》三巻1-〈101〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5707

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-24韋荘102《巻3-02 謁金門二首 其二》三巻2-〈102〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5712

17. 【構成】唐の教坊の曲名。花間集に韋荘の詩は二首収められている。単調三十三字、八句五平韻平声一韻到底。萬斯年曲。③③666③の詞形をとる。

(改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》

雲髻  鳳釵
髻墜釵垂無力  枕函
翡翠屏深月落  漏依依
盡人間天上  兩心

  
  
  
  
(改訂版)-38韋荘116《巻3-16 思帝鄕二首 其二

春日  杏花吹滿
陌上誰家年少  足風
妾擬將身嫁與  一生
縱被無情棄  不能

  
  
  
  

 

春日遊、杏花吹滿頭。

春の日は「春薪踏青」行楽にでかけ游ぶ。杏園の杏の花びらが科挙合格者を見ようと集まる人々の頭一杯に降りかかってくる。 

18. ・杏花:アンズの花。春の情景を表す常套句でもある。長安の遊園地は、楽遊原、曲江とあり、曲江には杏園があり、杏の花を題材にする場合、この曲江をいう場合とされる。

和凝《小重山二首其二》(見初めた男性は科挙試験の合格者、合格すれば曲江の杏園の杏の花のもとで逢いましょうと約束していたが、合格者名簿に載っていたが、約束の場所には来なかったという詩である)【解説】 杏園での宴が終わると一同馬に乗り、牡丹の出処を訪ねて花を観賞して回る。合格前に約束したけれど、その後に会うことはなくなった。

長安の曲江の池の畔(ほとり)にあった杏園で、祝宴を賜り、長安の街を園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。また、貴族は自邸自慢のボタンを庭を開放して鑑賞させ、合格者の無礼を許した。・杏園:官吏登用試験(科挙)に合格した進士たちの祝宴会場。科挙に合格した進士には、曲江の池の畔(ほとり)の杏園で、祝宴を賜り、長安の街で園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。 ・杏園人:科挙に合格し、新たに進士となった人たちを指す。

19. ・吹滿頭:春の象徴である杏の花びらが頭一杯に降りかかっているさま。

20. 杏園芳 杏園から春の科挙祝宴、饗宴での妓優や女妓とのその日の無礼講を連想する。

20.1 ・杏園:官吏登用試験(科挙)に合格した進士たちの祝宴会場。科挙に合格した進士には、曲江の池の畔(ほとり)の杏園で、祝宴を賜り、長安の街で園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。 

20.2 ・杏園人:科挙に合格し、新たに進士となった人たちを指す。

長安曲江 杏園 進士の試験は秋にあり、翌年の春の花が咲き誇る時期に結果発表がある。官吏登用試験(科挙)に合格した進士には、後出・長安の曲江の池の畔(ほとり)にあった杏園で、祝宴を賜り、長安の街を園遊し、咲き誇る牡丹などの花を観賞する慣わしがあった。また、貴族は自邸自慢のボタンを庭を開放して鑑賞させ、合格者の無礼を許した。

20.3 ・長安:唐の首都。現・陝西省・西安。科挙の最終試験会場もここにあり、科挙合格者の祝宴もここで開かれる。

孟郊はそれに落第して、落胆のさまを『再下第』「一夕九起嗟,夢短不到家。兩度長安陌,空將涙見花。」とうたった。この詩もそれと似た感情を詠っていよう。

孟郊は『登科後』で「昔日齷齪不足誇,今朝放蕩思無涯。春風得意馬蹄疾,一日看盡長安花。」と、がらりと変わった詩を作っている。 唐宋詩236 登科後 Ⅶ孟郊(孟東野)<19>紀頌之の漢詩ブログ

 

陌上誰家年少、足風流。

長安の大道に遊侠するのは、どこの家の貴公子だろうか。無礼講の日であるからこれも充分風流な事なのだ。

21. ・陌上:大道。この時代に大道を行き交うことは、通常の芸妓では不可能で、官妓の妓優が長官の命令でどこかにさしむけられての道中であろう。 南京は揚州に次いで交通の要衝で陸水駅の最も大きな拠点で、当時、長安、洛陽、揚州に次いで唐四大歓楽街があった。芸妓の数が一といわれるくらい最も多かった。この南京から揚州に掛けての花街の風習は後世にをもたらした。その代表格が、唐時代からこの街から広まった纏足である。

114 《陌上贈美人【小放歌行】》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <114> Ⅰ李白詩1294 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5018

22. ・誰家:(古白話)だれ。何びと。建物としての家を直接尋ねてはいない。年少を強調するための語で、「家」字の意味は強くない。ここはこのあたりでいつもは見かけない若者であること。みなりが田舎に似合わないということ。

23. ・年少:年が若い。また、年が若い者。少年。若者。

24. ・足風流:風流にたりる。この時期の行楽は、野原・木陰に来て、酒を呑み、男女の交わりをすることにある。そういった女性とピクニックを詩に来ている。ここでの風流はエロティックな様子を云うのである。

 

妾擬將身嫁與、一生休。

わたしに「わたしは、あなたのもとへ、嫁つぎたい」といい。そして、「あなたと一緒に一生 おちつき、おわりたい」といった。

25. ・妾擬將身嫁與 「わたしは、あなたのもとへ、嫁つぎたい」という意。・妾:わたし。わて。あちき。女性の謙譲の自称。 後に、王建に奪われる韋荘と恋仲になった女性をいうのものと考える。

26. ・擬:…したいと思う。擬待。 

27. ・將身:身を…。 

28. ・嫁與:嫁入りする。一夫多妻制の時代、芸妓は一定の地位あるものに身請けをされることがステータスであったので、今で云う嫁入りとは少し異なる。 

29. ・休:いこう。おちつく。やすんじる。

 

縱被無情棄,不能羞。

「たとえ、もし、あなたが愛妾を多く持てる人になって私への愛情がなくなったとしても、悔いたり、愧じたりして死ぬようなことはない。」といっていたのだ。

30. ・縱被無情棄 もし、あなたが愛妾を多く持てる人になって私への愛情がなくなったとしても、

31. ・縱:たとえ…であっても。たとい…とも。仮定の表現の辞。 

32. ・被:…される。受け身の表現の辞。日本語の受け身の助動詞「る、らる」(れる、られる)に働きが似ているが、「被」は明らかに他者より外的な力が加わった場合にのみ使われ、「る、らる」よりも使用の場が限定されている。 

33. ・無情:無情にも。人情をわきまえず。冷たく。 

34. ・棄:ここでは男性にすてられる。男に罪悪感がない時代である。

35. ・不能羞 悔いたり、愧じたりして死ぬようなことはない。

36. ・羞:きまりがわるくて人に顔をあわせられない、という意味のはずかしさ。乙女のはじらい等に使う。恥や辱とは違う。不能:…ということはありえない。…と思わない。…と考えない。 
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