花間集 訳注解説  (131)回目韋莊二十五首《巻三-15 思帝鄉二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8354

 韋莊《巻三-15 思帝二首其一》

 

2017316

の紀頌之5つの校注Blog

 

  総合案内

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

744年-068巻161_44 「綠蘿紛葳蕤」詩(古風五十九首之四十四)(卷二(一)一六九)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8351

LiveDoo

rBlog

744年-集10【字解集】 a. 贈郭將軍 b. 贈崔侍御 C.贈參寥子 d.贈盧徵君昆  e.贈薛校書  d。灞陵行送別 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8340

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-34 全唐詩339_ 6 #2送區弘南歸 -#2 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8352

LiveDoo

rBlog

806年-集09- 【字解集】・贈崔立之評事 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8341

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-79#1 雨 #1 卷一九(四)一六七一〔山雨不作埿〕Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8359

LiveDoo

rBlog

767年-集-7 【字解集】 ・a.甘林 ・b.暇日小園散病將種秋菜督勒 杜詩詳注 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8354

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説  (131)回目韋莊二十五首《巻三-15 思帝二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8354 (03/16)

  fc2

Blog

花間-011 字解集128)回目韋莊a.謁金門 b.江城子 c.河傳 d.天仙子五首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8336 (03/14)

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-041§5 古詩 爲焦仲卿妻作§5-#3〔無名氏〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻一ブログ 8355

LiveDoo

rBlog

玉集-09 定情詩一首 【字解集】漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8241

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

●花間集(7

●花間集(8

●花間集(9

●花間集10

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

文選

古詩源

花間集案内

http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/

花間集 訳注解説  (131)回目韋莊二十五首《巻三-15 思帝二首其一》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8354

(帝都の女の郷で思うこと その一:請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている『二人だけの愛の言葉』を思い出せと詠う

寵愛を失って随分経つ、雲型の髷の髻がくずれ落ち掛けている。鳳凰のかんざしはそのまま垂れているが、なおす気になれない。髻が落ち、カンザシがかろうじてついているけれど、何もする気がおこらない、枕の箱からだして、新しい簪に取り換えて気分を変えて、身支度を整えるのもやめた。翡翠の屏風を部屋の奥深い所においているが、月影の動きをずっと見ていたのだが、もう西に落ちかかり、奥まで影を指していて、五更の時をもう間もなく告げるころになった。あれほどまでに、請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている、それでも、「二人だけしか知らないその言葉」を見て元気を出そう。

 

 

 

 

 

花間集 巻三

 

 

 

 

 

思帝二首 其一

雲髻墜,鳳釵垂,

髻墜釵垂無力,枕函欹。

翡翠屏深月落,漏依依。

盡人間天上,兩心知。

 

思帝鄕二首 其二

 春日遊,  杏花吹滿頭。

 陌上誰家年少、 足風流。

 妾擬將身嫁與、 一生休。

 縱被無情棄,  不能羞。

 

 

 

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲『思帝』四首

 

 

溫助教庭筠

巻二06

(改訂版) 思帝一首 

花花、満枝紅似霞。

 

 

韋相莊

巻三15

思帝二首 其一 

雲髻墜,鳳釵垂

 

 

巻三16

思帝鄕二首 其二 

春日遊,杏花吹滿頭

 

 

孫少監光憲

巻八

思帝一首

如何?遣情情更多。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

----------------------------------------------

1. 教坊妓・長安の官妓

宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。

宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。

 

彼女たちの中には、また別に朝臣や外国からの使節が献上した女性も、一部分であるが含まれていた。たとえば、敬宗の時代、浙東(浙江省一帯)から朝廷に飛燕、軽風という二人の舞妓が献上されている。また文宗の時代、回紇に降嫁した太和公主が馬にまたがって弓をひく七人の娘を献上したこともあった(『杜陽雜編』巻中、『旧唐書』文宗紀下)。それ以外に、少数ではあるが、元々官女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘『教坊記箋訂』中華書局、一九六二年)。

 

玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

○梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

○霓裳羽衣 【げいしょううい】開元、天宝時代に盛んに行われた大人数の舞い踊りの楽曲。

 

宮妓は芸術家であり、原則として芸は献じるが身は献じないということになっていたし、一般の宮人に比べれば高い礼遇を受けていたとはいえ、彼女たちも皇帝の慰み物にすぎず、その漁色の対象になった。玄宗の弟の申王は、冬になると宮妓たちに周囲をすき間なく囲ませて暖をとり、これを「妓圃」とよんだ。別の弟の岐王は寒い時妓女の懐に手を入れて暖をとった(『開元天宝達事』巻上)。こうした事例からみると、宮妓たちは芸人ではあったが、結局のところ娼妓との区別は、彼女たちが皇室専用の慰み物であるというにすぎない。

 

 

 

2. 内職、冊封

古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

また、皇太子の東宮にも「内官」があり、太子妃一人、その下に良娣、良媛、承徽、昭訓、奉儀などの品級があった。諸親王の王妃の下にも孺人【じゅじん】等の媵妾【ようしょう】の身分があった。

 

 

后妃たちの生活は優閑かつ安逸なもので、終日飽食し何もしないで遊びくらした。もちろん、時には彼女たちも形ばかりの仕事をしなければならなかった。たとえば恒例となっている皇后の養蚕の儀式や六宮(皇后の宮殿)での繭を献ずる儀式を主催し参加すること〔-これは天下の婦女に率先して養蚕事業の範を示すことを意味していた〕。玄宗の時代、帝は彼女たちに自ら養蚕をするよう命じ、「女が専門にすべき仕事を知らしめようとした」 ことがあった(『資治通鑑』巻二一三、玄宗開元十五年)。しかし、この仕事も当然ながら身分の賎しい宮女たちに押し付けられたはずであり、本当に彼女たちを働かせることにはならなかったに相違ない。この他にも、また祭祀、帝陵参拝、宴会等の儀式にも参加しなければならなかった。

 

形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。彼女らの運命は最高権力者の一時の寵愛にすべて係っていたのであり、それを失えば、いつまでその場、立場いられるかというのは難しいことだった。

 

彼女たちは生前は孤独に苦しんだが、死後はより一層寂しく惨めであった。後宮で一生を終えない人もいたが、その運命は堀川の流れに漂う紅葉よりもさらにあてどのないものであった。天子は気ままに宮人を贈物とし、外洋(臣従してくる異民族)や功臣に褒美として与えたので、彼女たちの結末がどうなるのか、全く運命の流れに身を委ねるはかなかった。老いて天寿を全うできたなら、彼女たちにとってはやはり幸せなことだった。後宮にはいたるところ危険が潜んでおり、宮人たちは常に政治闘争や宮廷の政変に巻きこまれ、身分が下賎であったから、しばしば理由もなく刀刃の露と消えた。

 

唐末でも相変らず「六宮の貴・職の女性は一万人を減らない」という状況であった。その理由は、もともと解放された女性が多くない上に、絶えず新人が選抜されて入って来たので、根本的な問題の解決にはならなかったからである。そしてまた、解放された宮人の大多数は年を取り病弱であって役に立たず、彼女たちの青春はすでに深宮の中に葬り去られていたので、後宮を出でも寄る辺なく、晩年の境遇はじつに哀れで寂しいものであった。これと同時に青春の輝きの絶頂にある乙女たちが次々と絶えることなく後宮に送り込まれ、その紅顔が衰え、青春が空しく費やされるのを待つのであった。だからこの種の仁政の意義などというものは、本当に取るに足りないものだったのである。

 

 --------------------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

花間集 教坊曲《思帝二首其一》韋

 

 

花間集 訳注解説 巻三-15思帝二首其

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8354

 

 

改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》 

思帝二首 其一

(帝都の女の郷で思うこと その一:請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている『二人だけの愛の言葉』を思い出せと詠う

雲髻墜,鳳釵垂,

寵愛を失って随分経つ、雲型の髷の髻がくずれ落ち掛けている。鳳凰のかんざしはそのまま垂れているが、なおす気になれない。

髻墜釵垂無力,枕函欹。

髻が落ち、カンザシがかろうじてついているけれど、何もする気がおこらない、枕の箱からだして、新しい簪に取り換えて気分を変えて、身支度を整えるのもやめた。

翡翠屏深月落,漏依依。

翡翠の屏風を部屋の奥深い所においているが、月影の動きをずっと見ていたのだが、もう西に落ちかかり、奥まで影を指していて、五更の時をもう間もなく告げるころになった。

盡人間天上,兩心知。

あれほどまでに、請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている、それでも、「二人だけしか知らないその言葉」を見て元気を出そう。

(思帝【していきょう】二首 其の一)

雲髻 墜ち,鳳釵 垂る,

髻 墜ち 釵 垂れて力無く,枕函 欹【かたむ】く。

翡翠【ひすい】の屏は深く月落つるも,漏は依依たり。

【い】い盡くす 人間【じんかん】と天上を,「兩心のみ知る」。

 

長安城皇城図
紅梅002
 

改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》 

『思帝』二首 其一 現代語訳と訳註

(本文)

思帝二首 其一

雲髻墜,鳳釵垂,

髻墜釵垂無力,枕函欹。

翡翠屏深月落,漏依依。

盡人間天上,兩心知。

 

(下し文)

(思帝【していきょう】二首 其の一)

雲髻 墜ち,鳳釵 垂る,

髻 墜ち 釵 垂れて力無く,枕函 欹【かたむ】く。

翡翠【ひすい】の屏は深く月落つるも,漏は依依たり。

【い】い盡くす 人間【じんかん】と天上を,「兩心のみ知る」。

 

(現代語訳)

(帝都の女の郷で思うこと その一:請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている『二人だけの愛の言葉』を思い出せと詠う

寵愛を失って随分経つ、雲型の髷の髻がくずれ落ち掛けている。鳳凰のかんざしはそのまま垂れているが、なおす気になれない。

髻が落ち、カンザシがかろうじてついているけれど、何もする気がおこらない、枕の箱からだして、新しい簪に取り換えて気分を変えて、身支度を整えるのもやめた。

翡翠の屏風を部屋の奥深い所においているが、月影の動きをずっと見ていたのだが、もう西に落ちかかり、奥まで影を指していて、五更の時をもう間もなく告げるころになった。

あれほどまでに、請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている、それでも、「二人だけしか知らないその言葉」を見て元気を出そう。

 

 

(訳注) -37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》

思帝二首 其一

3. (帝都の女の郷で思うこと その一:請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている『二人だけの愛の言葉』を思い出せと詠う

4. 【解説】韋荘が、愛妾を蜀王王建に奪われたことを思わせる詩のひとつで、教坊の曲の曲を作る際この題材をよく使っている。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-22韋荘100《巻2-50 望遠行一首》二巻50-〈100〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5702

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-23韋荘101《巻3-01 謁金門二首 其一》三巻1-〈101〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5707

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-24韋荘102《巻3-02 謁金門二首 其二》三巻2-〈102〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5712

5. 【構成】唐の教坊の曲名。花間集に韋荘の詩は二首収められている。単調三十三字、八句五平韻、③③666③の詞形をとる。

改訂版)-37韋荘115《巻3-15 思帝郷二首 其一》

雲髻  鳳釵
髻墜釵垂無力  枕函
翡翠屏深月落  漏依依
盡人間天上  兩心

  
  
  
  

 

雲髻墜,鳳釵垂, 
寵愛を失って随分経つ、雲型の髷の髻がくずれ落ち掛けている。鳳凰のかんざしはそのまま垂れているが、なおす気になれない。

6. ・雲髻 女性の髪が雲の形のように大きなものとしていた。大きいほど高貴であった。これを雲鬢とするテキストがあるが、それでは三国志の「関羽」の顔がイメージされ意味が限定され通らない。756年ウイグルの王女が粛宗の妾になる際に、ウイグル国王に嫁いだ姫君の髪型が有名。

『即事』

聞道花門破,和親事卻非。

人憐漢公主,生得渡河歸。

秋思雲髻,腰肢勝寶衣。

群凶猶索戰,回首意多違。

即事 杜甫 <290> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1337 杜甫詩 700- 410

7. ・鳳釵 鳳凰のかんざし。通常、つがいの物を云い、ここではそのの片方が壊れて垂れ下がっていることを云う。


髻墜釵垂無力,枕函欹。

髻が落ち、カンザシがかろうじてついているけれど、何もする気がおこらない、枕の箱からだして、新しい簪に取り換えて気分を変えて、身支度を整えるのもやめた。

8. ・枕函 箱型のまくら。

9. ・欹 新しい簪に取り換えて気分を変える、身支度を整えるのをやめた。

 

翡翠屏深月落,漏依依。

翡翠の屏風を部屋の奥深い所においているが、月影の動きをずっと見ていたのだが、もう西に落ちかかり、奥まで影を指していて、五更の時をもう間もなく告げるころになった。

10. ・漏 五更の時をつげる

11. ・依依 名残惜しく離れにくいさま。

 

盡人間天上,兩心知。

あれほどまでに、請われて後宮に入り、人間族世界から殿上人となったのに、今は寵愛を失って孤独で暇と戦っている、それでも、「二人だけしか知らないその言葉」を見て元気を出そう。

12. ・盡 このままの退屈な毎日を送るより、尼寺、道観に出家をさせ貰うことを願い出る。解放を願い出る。

13. ・人間天上 世間の中から選抜され、その中からまた選ばれて、妃嬪になった事、世俗の人間が、天上の御殿に生活する。孤独と暇との戦いをしていることをいう。(韋荘の愛妾が蜀王の王建に召されていて、別々の世界で暮らすこと。)

14. ・兩心 二つの心情。寵愛を受けたい、解放されたいという心。白居易《長恨歌》「臨別殷勤重寄詞、詞中有誓兩心知」(別れに臨みて殷勤に重ねて詞を寄す、詞中に誓い有り 両心のみ知る。)別れに際し、ていねいに重ねて言葉を寄せた。その中に、王と彼女の二人だけにわかる誓いの言葉があった。韋荘の愛妾は蜀王の王建に召されている。

スポンサーサイト

0 Comments

Leave a comment

テンプレートに関するご質問・不具合のご報告の際はご自身のブログアドレス記載必須です
ご質問の前に必ずお読みください ↓
FC2テンプレート ご利用時のお願い