花間-011 字解集128)回目韋莊a.謁金門 b.江城子 c.河傳 d.天仙子五首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8336

 【字解集】韋莊a.謁金門 b.江城子 c.河傳 d.天仙子五首

 

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花間-011 字解集128)回目韋莊a.謁金門 b.江城子 c.河傳 d.天仙子五首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8336

【字解集】 a.謁金門

謁金門二首 其一

1. (寵愛を失っても、寵愛を受けるため努力をかかすことが無く、王昭君のように美しいのに、異国に嫁がされてはいないが、見る目が無くて寵愛を受けることが無いことを詠う)

2. 【解説】  天子の周りにいるものの見る目がなくて、美しい妃嬪は、寵愛を受けることが無い。前段三、四句「一夜簾前風撼竹,夢魂相斷續。」は、晩中、待ち侘びて浅い眠りの中、風が窓辺の竹をざわざわと揺らしていたために目覚め、夢を見ては覚め、見ては覚めていたことを述べる。後段の前半「有個嬌嬈如玉,夜夜繡屏孤宿。」は、この詞の主人公が、閨で待つ独り寝の夜を送る艶やかな妃嬪であることを言い、後半二句は、女は無聊なるままに、伝説の曲『王昭君』の曲を聞かせる人もなく奏でるさまを描く。

「閒抱琵琶尋舊曲,遠山眉黛綠。」美しい中の美人であるのに、しかも、「遠山眉黛綠」まだ若い美人である。若い絶世の美人であった王昭君は、醜い女であると寵愛を受けす、匈奴に嫁いだが、ここの妃嬪は、寵愛を受けることもなく、捨て置かれている。後宮の者は何をしているのか。韋荘は自分の愛婕が蜀王王建に召されたというのに、後宮にあがれば、寵愛を受けるとは限らないということである。

 

作品中では、女の孤独の理由を明確に説明する言葉はなく、状況の羅列である。「春漏促」待ち侘びての毎日,過ぎ去る春の世は日ごとに短くなっていく。寵愛を受ける気持ちを募らせる句である。「金燼暗挑殘燭。」蝋燭の芯と、自分の若さを詠うもので侘しさを云うものである。「一夜簾前風撼竹,夢魂相斷續。」浅い眠り、夢も、断片、断片でしかない。諦めるしかないというせつな感をあらわす。「有個嬌嬈如玉,夜夜繡屏孤宿。」美しいうえに色香、妖艶である。「閒抱琵琶尋舊曲」寂しく伝説の琴曲をひく王昭君を連想させる。「遠山眉黛綠。」このくは、美人の中の美人ということであり、王昭君の逸話と考え併せて、片や、絶世の美人であって、異国へ嫁ぎ、片や、絶世の美人が高級の奥深い所でひっそりとせておかれている。

 

3. 【構成】 唐の教坊の曲『花間集』には五首所収。韋莊の作は二首収められている。双調四十五字、前段二十一字四句四灰韻、後段二十四字四句四仄韻で、詞形である。

春漏  金燼暗挑殘
一夜簾前風撼  夢魂相斷
有個嬌嬈如  夜夜繡屏孤宿
閒抱琵琶尋舊  遠山眉黛 

  
  
  
  

4. ・春漏促 春の夜は日ごとに短くなってゆく。寵愛を受けることだけで生きる妃賓にとって、夜は眠れない。うとうとしていると夜がしらけて來る。漏は水時計で、妃嬪という地位にしかないということ。ここでは時間のこと。春の夜なのに蝋燭の芯を斬らねばならない無情感。

5. ・金慮暗挑残燭 灯火の芯が燃え尽き暗くなり、明るくするために残りの芯をかき立てること。:損なわれる、さびれる。

6. ・夢魂 夢。魂夢とも言ぅ。あたかも夢のようにぼんやりとした心持を云う。

7. ・撼 揺さぶる,揺らす撼揺さぶる.「蚍蜉撼大」羽アリが大木を揺さぶろうとする

8. ・個/ 一箇に同じ。俗語。人を数える単位。一人。謙遜語。

9. ・嬌嬈 艶やかなさま。若さだけで、覚悟もしていない頃に、寵愛を受けた、今は、妖艶になり、覚悟もできているのに、寵愛を受けることが無い女性、しかし、寵愛を受けるための努力をしている姿を連想させる。

10. ・閒抱琵琶 寂しさに堪えしずかに琵琶を抱いて爪弾く。閑は他にすることがなく、まともに引くのではなく、ツン、ツンとはじくというほどの意。「琵琶抱き、舊曲」というと、王昭君を連想させる。

11. ・尋旧曲 昔から伝わった音楽の曲、また聞いた曲。南朝陳徐陵《折楊柳》詩「江陵有舊曲,洛下作新聲。」宋 姜夔 《琵琶仙》詞「雙槳來時,有人似舊曲桃根 桃葉 。」韋莊『荷葉杯 其一』「絶代佳人難得、傾国。花下見無期。一雙愁黛遠山眉、不忍更思惟。  閒掩翠屏金鳳、残夢。羅幕畫堂空。碧天無路信難通、惆悵舊房櫳。」。

12. ・遠山眉 女性の美しい眉を言う。

・遠山黛 女性の美しい眉を言う。

13. ・黛綠 黛の色が青い。美人の形容。韓愈《八讀巻四09 送李愿歸盤谷序》「粉白黛綠者,列屋而閒居。」

謁金門 二首其二

14.(別れて後宮にあがり、妃嬪となったが、もう連絡を取ることも取れることもない、妃嬪としても、寵愛を受けることに汲々とするけれど春も過ぎようとしている悩む心を詠う。)

15. 詞牌の一。詞の形式名。双調。四十六字。換韻。『花間集』第三の第二首めになる。この作品は、作者の愛妾が、才媛であるということを聞きつけた蜀王の王建に、奪われてしまった悲しみと追憶に浸って作ったもの。彼女は、この韋莊の詞を見て、食を断って死んだという。

・金門:・金門 唐代では文学の翰林院の門の金馬門のこと。漢代の未央宮(びおうきゅう)の門の一。側臣が出仕して下問を待つ所。金馬。金門。

 

16. 唐の教坊の曲『花間集』には五首所収。韋莊の作は二首収められている。双調四十五字、前段二十一字四句四灰韻、後段二十四字四句四仄韻で、詞形である。

謁金門二首 其一

春漏  金燼暗挑殘
一夜簾前風撼  夢魂相斷
有個嬌嬈如  夜夜繡屏孤宿
閒抱琵琶尋舊  遠山眉黛 

  
  
  
  

謁金門二首 其二

空相,無計得傳消

天上嫦娥不,寄書何處

新睡覺來無,不忍把伊書

滿院落花春寂,斷腸芳草

  
  
  
  

17. ・空:むなしく。かいなく。 

18. ・相憶:思い遣る。「相」動作を対象に及ぼす働きをする。

19. ・無計:方法がない。図りようがない。 

20. ・消息:たより。しらせ。

21. ・天上:天の上の。天上界の。 

22. ・嫦娥:月世界に棲むといわれる仙女。姮娥 『准南子』に「翠、不死の薬を西王母に請ふ。その妻檀紙、これを病みて月官に奔る」とみえる。・誇蛾 恒蛾、嫦娥、常娥、娥娥 蛾娥など 神話中の女性。神話の英雄、羿(がい)が西方極遠の地に存在する理想国西王母の国の仙女にお願いしてもらった不死の霊薬を、その妻の嫦娥がぬすみ飲み、急に身軽くなって月世界まで飛びあがり月姫となった。漢の劉安の「淮南子」覧冥訓に登場する。なお、魯迅(1881l936)にこの神話を小説化した「羿月」がいげつと題する小説がある。常蛾の詩1. 道教の影響 2. 芸妓について 3. 李商隠 12 嫦娥 神話中の女性。神話の英雄、羿(がい)が西方極遠の地に存在する理想国西王母の国の仙女にお願いしてもらった不死の霊薬を、その妻の嫦娥がぬすみ飲み、急に身軽くなって月世界まで飛びあがり月姫となった。漢の劉安の「淮南子」覧冥訓に登場する。○嬋娟 艶めかしく姿あでやかなるさま。顔や容姿があでやかで美しい。魏の阮籍(210263年)の詠懐詩に「秋月復た嬋娟たり。」とブログ阮籍 詠懐詩、白眼視 嵆康 幽憤詩 

23. ・不識:知らない。分からない。

24. ・寄書何處覓 何処に出したらよいか宛先を決めることができない。手紙を出して今の気持ちを伝えることが、「不遜」と逆に取られたら、今の地位を保つことが危うくなるかもしれないので、手紙を出すことをためらう。(寵愛を受けている時は、何をしても許されるということあるが、心が離れ、寵愛を失えば、当たり前のことが、「不遜」「罪魁」「殉死」などの証拠になってしまう。通常は、刺繍の作品、書、演奏、演舞などを極めることを努力するだけで、それも、妃嬪が主張すると、「不遜」ということで貶められる。)

・寄書:手紙を出す。・何處:どこ。・覓:もとめる。

 

25. ・新睡:(午睡の)一眠り。 

26. ・覺來:目覚めて。「來」…に なって。 

27. ・無力:ぐったりとして。

28. ・不忍:我慢できない。忍ぶことができない。 

30. ・把:手に取り持つ。 

31. ・伊書跡 彼女の書いた物 ・伊:これ。かれ。この。代詞。ここでは、彼女の意になる。・書跡:書いた物。手跡。筆跡。

32. ・滿院:庭一杯。庭一面。「院」中庭。周りに建物がある庭。 ・落花:花びらが散っている。落花(の跡)。 *春は過ぎ去った、素晴らしい気節は過ぎ去った、ということ。 ・春寂寂:春は寂しげである。

33. ・斷腸:下半身の疼きを基本にした非常な悲しみであることをいう。相手と過去に情交をしたことを前提にした悲しみを云う。

34. ・芳草:春草。 

35. ・碧:あおい。みどり。

 11.宮中に入る

このように多くの女性はどこから来たのか。またどのようにして宮廷に入ったのか。彼女たちはだいたい次の四種類に分けられる。

 

第一種は、礼をもって宮廷に迎え入れられた場合である。この種の人々の大部分は名門貴顕の出身である。たとえば高宗の王皇后、中宗の趨皇后、粛宗の張皇后等の場合、みな皇室の親戚であった。また唐朝の権力者の娘もいた。たとえば意宗の郭貴妃は尚父郭子儀の孫娘であった。また名門大族の子孫もいた。

 

第二種は、選抜されて宮廷に入った場合である。この種の女性は必ずしも高貴な家柄の出ではなかったが、しかし大多数は「良家」の出身、つまり一般の官僚あるいは士人の家の出であった。

 

第三種は、宮中に献上された女性である。この種の人々には様々なタイプがあったが、大半は美貌か技芸の才によって献上された女性であった。いくらかの朝臣は自分の出世のために妻や娘を宮中に入れることを常に願った。たとえば、秘書官の鄭普息は、娘を中宗の後宮に献上したので弾劾を受けたことがあった(『資治通鑑』巻二〇八、中宗神龍二年)。雀堤はさらに恥知らずにも美貌の妻と娘を一緒に皇太子の宮中に献上し、高官になることができた。

 

第四種は、罪人の家の女性で宮廷の稗にされたものである。これらの大多数は、官僚士大夫層の女性であった。唐律の規定では、「籍没」といって謀反および大逆罪を犯した官僚士大夫層の家族(母、娘、妻、妾、子孫を含む)と奴稗は、みな後宮に入れて官奴婦にすることになっていた。つまり「技芸に巧みな者は後宮に入れる」(『唐六典』巻六、刑部都官)と定めていた。そして、無能な者は司農寺(銭穀のことを司る官庁)等の官庁に配属して官奴稗とし、後宮に入れられた者の一部分は官女とした。著名な宮廷の才女となった上官娩児は、祖父の罪に連坐し、まだおむつを着けている時、母とともに宮廷に没収された女性である。 

 

以上をまとめてみると、唐の宮廷女性は四種の主な方法1招聴、選抜、献上、連坐によって調達されていたことが分かる。彼女たちの中には、名門貴族、官僚士大夫層の娘のみならず、また少数ながら娼妓、俳優、脾妾など下賎な身分に属する者もいた。罪没される者は比較的特殊な例であったが、これ以外の女性たちはあるいは家柄、あるいは才智と徳行、あるいは容姿、あるいは技芸によって宮中に選抜された人々であり、以上の四つが彼女たちが宮廷に入る主要な道であった。そして彼女たちの大半は十三、四歳の少女であった。

 

 

 

 

【字解集】 b.江城子

江城子二首 其一

1.(女が愛する男と床をともにするさまを詠う。)

2. 愛情が深ければ別れた時の心の痛みは大きいが、その愛情を受けている時のよろこびは表現しきれないほどの大きいものである。

寵愛の表現を俗世間の男、晋の潘郎がするように腕枕をして抱かれて眠ることを表現している。それがまだ、少女を少し過ぎたというくらいの娘であったのに。

後宮に入るのは十五歳になる前であり、選ばれて妃嬪になるには、その前に教育もされる。そうして数多い難関を経て妃嬪になり、そして寵愛を受けるのは、その中のただ一人のものである。国家予算の30%40%にもなった後宮はその時代の文化を作り上げていた。

3. 【構成】 江城子は、またの名を「江神子」、「春意遠」、「水晶簾」と言う。『花間集』 には七首所収されおり、韋荘の作は二首収められている。単調三十五字、八句五平韻で、⑦③③473③の詞形をとる。

恩重嬌多情易  漏更長 解鴛

朱唇未動 先覺口脂

緩揭繡衾抽皓腕 移鳳枕  枕潘 

   

 

   

韋荘の単調の詞からやがて、双七十字,前后格式相同,各五平韵と変化した。

4. 恩重 女にかける男の愛情が深いこと。

5. 嬌多 女が艶めかしく男に接すること。女が男に甘える形で男の愛に応えることを言う。

6. 漏更長 更漏長に同じ。秋の夜の時間の長いことを言う。更漏は水時計。

7. 解鴛駕 オシドリたちは帯を解く。ここは、詩の内容から鴛鴦の刺繍の帯ではなく、鴛鴦の男女が衣服を脱ぐと解すべきである。

 

 

朱唇未動,先覺口脂香。

お化粧も知らないで後宮に入ったので、若くて紅い唇はそのままで口紅など塗らずに、動かず、されるがままにしているものだが、直ぐにしはじめたのが、口紅の香りをおぼえてしまったことなのだ。

8. 口脂香 口紅が香る。若い女をいう。

 

緩揭繡衾抽皓腕,移鳳枕,枕潘郎。

そして、刺繍の掛け布団を静かにめくり白い腕出し、鳳凰の枕をはずして、愛しき晋の潘岳のように愛してもらうため、その腕を枕にするのである。

9. 潘郎 晋の詩人潘岳。潘岳は美男子であったために、後に美男子の代名詞、女性にとっての愛人を意味するようになった。薛濤『別李郎中』「花落梧桐鳳別凰,想登秦嶺更淒涼。安仁縱有詩將賦,一半音詞雜悼亡。」

別李郎中 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-214-80-#74  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617

では潘岳の安仁と呼んでいる。

潘岳:安仁。滎陽(けいよう)中牟(河南省)の人。陸機と並ぶ美文の文学の大家で,錦を敷きのべたような絢爛(けんらん)たる趣をたたえられた。ことに人の死を悼む哀傷の詩文を得意とし,亡妻への尽きぬ思いをうたった〈悼亡詩(とうぼうし)〉3首はよく知られる。絶世の美男として,また権門の間を巧みに泳ぎまわる軽薄才子として,とかく話題にこと欠かなかった。八王の乱の渦中で悲劇的な刑死を遂げた。
魚玄機『和新及第悼亡詩二首 其一 
仙籍人間不久留,片時已過十經秋。
鴛鴦帳下香猶暖,鸚鵡籠中語未休。
朝露綴花如臉恨,晚風欹柳似眉愁。
彩雲一去無消息,潘嶽多情欲白頭。

和新及第悼亡詩二首 其一 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-87-23-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1982

和新及第悼亡詩二首 其二 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-88-24-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1987

 

魚玄機『迎李近仁員外

今日喜時聞喜鵲,昨宵燈下拜燈花。

焚香出迎潘嶽,不羨牽牛織女家。

李近仁員外 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-115-50-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2122

 

 

10. 内職制度 (後宮のしきたり)

古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

また、皇太子の東宮にも「内官」があり、太子妃一人、その下に良娣、良媛、承徽、昭訓、奉儀などの品級があった。諸親王の王妃の下にも孺人【じゅじん】等の媵妾【ようしょう】の身分があった。

江城子二首 其二

12. (春から秋まで寵愛されたけれど、子供の出来る兆候はなく、秋には寵愛を失った。別れを告げられ、上陽宮か離宮か、陵墓仕えにかわるというその悲しさを詠う。)

13. 皇后、妃嬪たちは、その地位を脅かされる

后妃、妃嬪たちにとって、最も恐ろしいことはまず第一に政治権力をめぐる闘争であった。彼女たちはしばしば全く理由もなく政治事件の被害に遭ったり、家族の罪に連坐させられたり、甚だしい場合には殺害されるという災難にあった。ここで人々はまず楊貴妃のことを最初に想い浮かべることであろう。複雑な政治闘争、権力闘争の角逐の中で、いまだ政治に関与したことのなかったこの女性は、玄宗皇帝が彼女に夢中になり、また彼女の家族を特別に厚遇したということだけで、君主を迷わし国を誤らせ禍をもたらした罪魁となり、最後には無残にも締め殺されたうえ、千古に残る悪名を背負わされ、正真正銘の生け贅の小羊となった。

 

第二の脅威は、皇帝の寵愛を失うことに外ならない。大多数の后妃と皇帝との結婚は、事実上政略結婚であり、もともと皇帝の愛情を得たのではなかった。何人かの后妃は容姿と技芸の才能によって、あるいは皇帝と艱難を共にしたことによって寵愛を受けた。しかし、いったん時が移り状況が変化したり、また年をとってくると、容色が衰えて寵愛が薄れるという例えどおり、佳人、麗人が無数にいる宮廷で自分の地位を保持することはきわめて難しかった。

 

后妃、妃嬪にとって、最後の第三の脅威は皇帝の死去である。これは皇帝の付属品である后妃たちが、いっさいの地位と栄誉の拠り所を失うことを意味した。一つだけ例外がある。つまり子が皇帝に即位した場合で、「やんごとなき夫の妻」から、「やんごとなき子の母」 へと転じることができた。少なくとも子のある妃嬪はちょっとした地位を保つことができたが、子のない妃嬢たちは武則天のように仏寺に送られて尼にされるか、あるいは寂しく落ちぶれて後宮の中で生涯を終えた。たとえ太后といぅ至尊の地位に登っても、新皇帝の顔色を窺わねばならなかった。

 

このほか、妃嬪間の嫉妬、妬み、宦官と共謀して、讒言、ねつ造、など寵愛を受ける妃賓に攻撃を仕掛けた。

この詩では、「檀郎」という語があるから、死を連想させる。本来は、妻を追悼するよき夫というイメージがあるが、第三の脅威「天子の死」という設定でこの詩を読むと意味が深くなる。
 

14. 【構成】 江城子は、またの名を「江神子」、「春意遠」、「水晶簾」と言う。『花間集』 には七首所収されおり、韋荘の作は二首収められている。単調三十五字、八句五平韻で、⑦③③473③の詞形をとる。

江城子二首 其一

恩重嬌多情易  漏更長 解鴛

朱唇未動 先覺口脂

緩揭繡衾抽皓腕 移鳳枕  枕潘 

   

 

   

髻鬟狼藉黛眉  出蘭房 別檀

角聲嗚咽 星斗漸微

露冷月殘人未起 留不住  淚千

  
  
  
  

韋荘の単調の詞からやがて、双七十字,前后格式相同,各五平韵と変化した。

15. ・髻鬟 髻【もとどり】:《「本取り」の意》髪を頭の上に集めて束ねた所。また、その髪。たぶさ。鬟:頭頂で左右に分け,それぞれ耳のわきで輪をつくって束ねた結い方。びずら。びんずら。

16. ・狼藉 通史『史記 滑稽列伝』による漢語である。 「藉」には「敷く」や「踏む」「雑」などの意味があり、狼藉は狼が寝るために敷いた草の乱れた様子から、物が散らかっている様子を意味した。

17. ・蘭房 蘭のお香を焚いた女性の美しい寝室。また、美人の閨房(けいぼう)

18. ・檀郎/安仁/潘郎 晋の潘岳のあざな。彼は美男子であり、詩人であったが、妻の死にあい「悼亡」の詩三首を作った。後世、妻の死をなげいた模擬作が多く作られた。潘岳の幼名が檀奴だったので、「檀郎」は夫や恋い慕う男を意味する。・潘岳:安仁。滎陽(けいよう)中牟(河南省)の人。陸機と並ぶ美文の文学の大家で,錦を敷きのべたような絢爛(けんらん)たる趣をたたえられた。ことに人の死を悼む哀傷の詩文を得意とし,亡妻への尽きぬ思いをうたった〈悼亡詩(とうぼうし)〉3首はよく知られる。絶世の美男として,また権門の間を巧みに泳ぎまわる軽薄才子として,とかく話題にこと欠かなかった。八王の乱の渦中で悲劇的な刑死を遂げた。

『和新及第悼亡詩二首 其一』

仙籍人間不久留,片時已過十經秋。

鴛鴦帳下香猶暖,鸚鵡籠中語未休。

朝露綴花如臉恨,晚風欹柳似眉愁。

彩雲一去無消息,潘嶽多情欲白頭。

和新及第悼亡詩二首 其一 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-87-23-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1982

和新及第悼亡詩二首 其二 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-88-24-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1987

 

角聲嗚咽,星斗漸微茫。

その別れを知ってか、朝廷警備隊が吹き鳴らす胡笳の角笛も声を出して嗚咽するようである。そんな運命を知らせる星も涙でぼんやりとしか見えない。

19. ・角聲 胡笳の角笛

20. ・星斗 星辰(せいしん)

21. ・漸 ① しだいに。だんだん。「漸減・漸次・漸進・漸漸・漸増」  少しずつ進む。

22. ・微茫 景色などがぼんやりしてはっきりしないさま。

23. ・月殘 月がまだ上にあるが少し傾き始めたくらいであるから、真夜中過ぎというところか。名残があるということを示す語。

24. ・留不住 妃嬪としての地位にはとどまるけれども、この御殿から、上陽宮か離宮か、陵墓仕えにかわるということ。

25. ・淚千行 涙がとめどなく流れることを云う。この場合百行といわない。

 

江城子二首 其の二

髻鬟 狼藉たりて 黛眉 長く,蘭房より出でて,檀郎と別る。

角聲 嗚咽し,星斗 漸く微茫たり。

露冷やかに 月殘りて 人未だ起きず,留まりて住まわず,淚 千行す。

 

 

 

 

【字解集】  c.河傳

河傳三首其一

1. (河を題材にした悲しい逸話 其の一:運河建設が人民に負担を強いたものであり、隋末の反乱の原因となった隋堤、現実から逃避して酒色にふける生活を送った「迷楼」を訪れての懐古の情を詠う。)

2.【解説】隋の煬帝が開いた運河の堤について詠う。京杭大運河(けいこうだいうんが)は、中国の北京から杭州までを結ぶ、総延長2500キロメートルに及ぶ大運河である。途中で、黄河と揚子江を横断している。戦国時代より部分的には開削されてきたが、隋の文帝と煬帝がこれを整備した。完成は610年。運河建設は人民に負担を強いて隋末の反乱の原因となったが、運河によって政治の中心地華北と経済の中心地江南、さらに軍事上の要地涿郡が結合して、中国統一の基盤が整備された。この運河は、その後の歴代王朝でもおおいに活用され、現在も中国の大動脈として利用されている。煬帝は暴君として描写され、その業績は否定的に評価される傾向にある。大運河に関しては女性までも動員した急工事でこれを開鑿し、開通のデモンストレーションとして自ら龍船に乗って行幸したために、「自らの奢侈のために多数の人民を徴発した」などと後世に評されることになる。しかし大運河の建設は長期間分裂していた中国を統一するための大事業でもあった。また共に次子でありクーデターによって帝位に就くなど、環境や行動に類似点の多い唐太宗の正統性を主張するため、煬帝(ようだい)と言う貶字を謚号に用い、『隋書』にも暴君であるように編纂したとするのが正当のようだ。

『隋書・帝紀・煬帝下』に「六軍不息,百役繁興,行者不歸,居者失業。人飢相食,邑落爲墟,上不之恤也。東西遊幸,靡有定居,毎以供費不給,逆收數年之賦。所至唯與後宮流連耽湎,惟日不足,招迎姥媼,朝夕共肆醜言,又引少年,令與宮人穢亂,不軌不遜,以爲娯樂。」

皇帝の軍隊は、休む閑が無く、数多くの仕事が次から次に起こり、出て行った者は帰ってくることがなく、留まっている者は失業している。(煬帝は)各地を遊び回り、定まった住所が無く、お金を渡すことはなく、逆に数年分の税金を取り立てる。ただ、後宮の女性の所に居続け、それでもの足らないときは、熟年の老女を呼び込み、朝夕に亘って、醜い言葉をほしいままにしていた。その上、若者に対して宮人に穢らわしいことをさせて、むちゃくちゃなことをさせ、それを楽しみとしていた。)とある。

 

この詩は、運河建設が人民に負担を強いたものであり、隋末の反乱の原因となった隋堤、現実から逃避して酒色にふける生活を送った「迷楼」を訪れての懐古の情を詠う。前段は、「何処ぞ」と問いを発して煬帝の暴君であることをしめす遺跡のありかを尋ねることで連想を起こし、第二句以下は、煬帝が開通の船団を仕立て、そこに江南の少女たち、花を手にした司花の宮女、女官をならべて江都揚州に向かうさまを述べる。現実逃避、奢侈にふけった行宮、迷樓は今も江淮の清らかな月の光に包まれ、人を愁いに誘わずにはいないと言い、権力者の滅亡につながった、民への負担、強引な手法の象徴としての「青娥」「殿」「春妝媚」「司花妓」というものを並び立て憐れを誘っている。この詩は、煬帝が、現実から逃避して酒色にふける生活を送り、皇帝としての統治能力は失われたことを連想させ、批判めいたことを一切述べているわけではないが充分に理解させるものである。

 

3. 【構成】『花間集』には韋莊の作が三首収められていて双調五十三字、前段二十五字七句三仄韻三平韻、後段二十八字六句三仄韻二平韻で❷❷❹④4⑥③/❼❸❺4⑥③詞形をとる。

韋荘105《巻3-05 河傳三首 其一》
   隋堤春  柳色蔥
畫橈金縷  翠旗高颭香 水光

青娥殿春妝 輕雲  綽約司花
江都宮闕  清淮月映迷 古今

     
    

   
   

温庭筠に『河傳』がある。双調五十五字、前段二十七字七句二仄韻五平韻、後段二十八字六句三仄韻四平韻で❷❷③⑥⑦⑤/❼❸❺③③②⑤

河傳

湖上、閑望。
雨蕭蕭 煙浦花橋路遙。
謝娘翠蛾愁不消、朝、夢魂迷潮。

蕩子天涯歸棹遠、春已語空腸斷。
若耶溪、溪水西。
堤、不聞郎馬嘶。

  
  
   

   
  
  

(河傳)

湖の上り,閑かに望む。

雨 蕭蕭として,煙める浦に花橋の路遙なり。

娘 翠蛾を謝するは愁い消さず,終に朝なり,夢魂はの潮に迷う。

蕩子は天涯にあり棹して歸るは遠く,春 已にく,鶯語 空しく腸斷す。

若耶溪,溪水の西。

柳の堤,郎の馬嘶くも聞えず。

『河傳』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-49-2-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1812

4. 隋堤 隋の煬帝が、黄河と長江を結ぶために開いた運河の堤。煬帝はこの堤に柳を植えさせた。

5. 葱寵 草木の青々と茂るさま。

その時煬帝は、自ら龍船に乗って行幸し、絵塗りの擢などの船具には黄金の糸の房飾りがあり、高く掲げた翠の旗は香しき風にはためいていて、水面に映る光を和らぎ溶けこませたという。

6. 畫橈 彩色を施した棹や櫂、楫などの船具。

7. 金縷 ここではの金糸の房飾りを指す。

 

8. 青娥 靑は若く美しい、娥は艶めかしい女。選ばれた女。

9. 殿/殿脚 殿脚女。煬帝が船で江都に向かう際、船を引くために選び集めた女性。煬帝は詔を出して大型の船を造らせ、江に浮かべて淮河に沿って下り、呉や越で民間の十五、六歳の少女五百人を選び殿女と呼んで、羊とともに引き船をさせたと言う。

 

10. 雲裏 朝廷、後宮にかかる雲がこの隋堤につながってかかっている。

戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕

雲裡不聞雙雁過,掌中貪見一珠新。

秋風嫋嫋吹江漢,祗在他何處人。 

702 《戲作寄上漢中王,二首之一〔自注:王新誕明珠。〕  蜀中転々 杜甫 <609  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3355 杜甫詩1000-609-865/1500

11. 綽約 たおやかなさま。

12. 司花妓 煬帝は江都に向かう際、洛陽の人から迎輦花を献じられたので、御者の袁宝児にそれを持たせて司花女と呼んだと言う。・玉輦 ぎょくれん天子の鳳輦(れん)。天子の乗り物。ここでは、隋・煬帝を指している。煬帝〔ようだい〕569~618年(義寧二年)隋の第二代皇帝。楊広。英。宮殿の造営や大運河の建設、また、外征のため、莫大な国費を費やし、やがては、隋末農民叛乱を招き、軍内の叛乱で縊(くび)り殺された。

13. 江都 今の江蘇省揚州に煬帝の行在所宮を置いた。。

14. 宮闕 宮城の門の両側に建てられた楼門。ここでは宮殿全体をあらわす意。

15. 清淮 江淮地帯。長江と淮河に挟まれた地帯。ここで揚州一帯を指す。地図参照。

16. 迷樓 煬帝は行宮に楼閣を建て、仙人をこの楼閣に遊ばせたならば真の仙人でもきっと迷うことであろうと言い、迷倭と名付けたと言われている。

煬帝は反乱の鎮圧に努める中で次第に現実から逃避して酒色にふける生活を送り、皇帝としての統治能力は失われた。ある日、煬帝は眠れなかったので天を仰ぐと、帝星が勢いを失い傍らにあった大星が妖しげな光を放っているのを見て、不吉なものを感じて天文官に聞いてみると、「近頃、賊星が帝星の座をおかしています。また日光は四散してあたかも流血のごとき模様を描いております。このまま時が過ぎますと、恐らくは近々に不測の禍が起こりましょうから、陛下には直ちに徳をおさめられてこの凶兆を払う事が肝要と存じます」と述べた。この日から煬帝は国事の奏上を受け付けなくなり、奏上する者は斬罪に処すという命令を出した。618年、江都で煬帝は故郷への帰還を望む近衛兵を率いた宇文化及・宇文智及兄弟や裴虔通らによって、末子の趙王楊杲(13歳)と共に50歳にして殺害された。

河傳其二

17.(錦江のほとり錦官城を題材にした恋愛の逸話 其の二:成都は古い蜀の都で、貴族の長い歴史があり、我が物顔で飲み歩く遊侠の司馬相如の様な貴公子の若者と卓文君のような娼妓について詠う。)

18. 【解説】錦江が美しく流れる、成都錦官城、そこには、任侠の士であった司馬相如と、卓文君の恋が生まれたところである。そこに遊び貴公子と卓文君と思える娼妓を見て詠ったもので、前半は、成都の春が無礼講を許してしまものであるとし、杜甫の「少年行」を思わせる貴公子が飲み歩いている。後半はそこに、娼妓が卓文君を思わせるように酒の相手をしてくれて朝間で夜通し飲み続け、そのまま寝て、夕方起きだして、また飲み始める。

19.【構成】『花間集』には韋莊の作が三首収められていて双調五十三字、前段二十五字七句三仄韻三平韻、後段二十八字六句三仄韻二平韻で❷❷❹④4⑥③/❼❸❺4⑥③詞形をとる。

韋荘105《巻3-05 河傳三首 其一》
   隋堤春  柳色蔥
畫橈金縷  翠旗高颭香 水光

青娥殿春妝 輕雲  綽約司花
江都宮闕  清淮月映迷 古今

     
    

   
   

双調五十三字、前段二十五字七句三仄韻三平韻、後段二十八字六句三仄韻二平韻で❷❷❹④4⑥③/❼❸❺4⑥③詞形をとる。

韋荘106《巻3-06 河傳三首 其二》

,風,錦城花滿,狂殺遊

玉鞭金勒,尋勝馳驟輕,惜良

翠娥爭勸邛,纖纖,拂面垂絲

歸時煙裏,鐘鼓正是黃,暗銷

     
    

   
    



20. 錦城 錦江ぞいの城、錦官城:成都城をいう。

21. 遊人 野山に出て遊ぶ人。ばくち打ち。風来坊。

22. 狂殺 こんなにひどく狂ったように定まりなく動く。 狂:①狂う。②むやみに人にぶっつかる。③さだまりのなく動き廻る。④あわただしい、あわてる。⑤おごる。⑥ならぶ。⑦勢いが盛んなこと。⑧愚か。⑨もっぱら一事に進んで他を顧みぬもの。⑩志が高く小事を事とせぬもの。  

23. 殺:①ころす。②そこなう。③滅ぼす。④かつ。⑧狩る、とる。⑨さびしい。⑩殺気。陰気。⑪意味を強めるために用いる。

24. 玉鞭:天子から賜ったような立派な乗馬用のむち。人が乗馬したことを表すが、ここでは貴公子の姿を表す。 

韋莊『古別離』

晴煙漠漠柳毿毿,不那離情酒半酣。

更把玉鞭雲外指,斷腸春色在江南。

古別離 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-277-5-#31  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2932

25. 金勒 勒はくつわ。上に玉字を使ったので、こちらでは金字を用いたもの。

薛濤『贈段校書』

公子翩翩校書,玉弓金勒紫綃裾。 

玄成莫便驕名譽,文采風流定不知。

26. 尋勝 好き勝手にする。

27. 馳驟 はせあつまること。馬に乗って駆けまわる。早足で走り抜ける。

贈段校書 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-220-86-#80  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2647

28. 良晨 太陽がふるいたってのぼるあさ。生気に満ちた早朝の意に用いる。 とき。早朝、鶏がときを告げること。ここでは、前日の夜に逢瀬を過ごしたことを前提に良い夜明けを迎えたことを云う。

29. 翠娥 翠は若く美しい娥は艶めかしい女。選ばれた女。青娥 靑は若く美しい、娥は艶めかしい女。選ばれた女。・嫦娥:月世界に棲むといわれる仙女。姮娥 『准南子』に「翠、不死の薬を西王母に請ふ。その妻檀紙、これを病みて月官に奔る」とみえる。・誇蛾 恒蛾、嫦娥、常娥、娥娥 蛾娥など 神話中の女性。神話の英雄、羿(がい)が西方極遠の地に存在する理想国西王母の国の仙女にお願いしてもらった不死の霊薬を、その妻の嫦娥がぬすみ飲み、急に身軽くなって月世界まで飛びあがり月姫となった。漢の劉安の「淮南子」覧冥訓に登場する。なお、魯迅(1881l936)にこの神話を小説化した「羿月」がいげつと題する小説がある。常蛾の詩1. 道教の影響 2. 芸妓について 3. 李商隠 12 嫦娥 神話中の女性。神話の英雄、羿(がい)が西方極遠の地に存在する理想国西王母の国の仙女にお願いしてもらった不死の霊薬を、その妻の嫦娥がぬすみ飲み、急に身軽くなって月世界まで飛びあがり月姫となった。漢の劉安の「淮南子」覧冥訓に登場する。

30. 邛酒 酒場で献身的に働く女性が注いでくれるお酒うぃうが司馬相如と卓文君の逸話に基づく。駆け落ちした司馬相如とてした卓文君は自分の所有物を売り払い、臨卭の街に酒場を開いた。そこで、卓文君は自らホステスとして働き、司馬相如は上半身裸で召使いのようにして働いた。

31. 纖纖 ほっそりとしているさま。かぼそいさま。 「纖纖たる細腰に軽綺の長裾を曳き/佳人之奇遇)」 

杜甫『句漫興九首』其八 

舍西柔桑葉可拈,江畔細麥複纖纖

人生幾何春已夏,不放香醪如蜜甜。

絶句漫興九首 其八 成都浣花渓 杜甫 <452>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2205 杜甫詩1000-452-635/1500

32. 鐘鼓 時を告げる鐘や太鼓。

韋莊『更漏子』.

鐘鼓寒,樓閣暝,月照古銅金井。

深院閉,小樓空,落花香露紅。

煙柳重,春霧薄,燈背水窗高閣。

閑倚,暗沾衣,待郎郎不歸。

韋莊『更漏子』2

星鬥稀,鍾鼓歇,簾外曉殘月。
蘭露重,柳風斜,滿庭堆落花。
虛閣上,倚欄望,還似去年惆

春欲暮,思無窮,舊歡如夢中。

123 更漏子 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-282-5-#36  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2957

33. 銷魂 ①驚きや悲しみのために気力が失せること。 ②夢中になること。我を忘れること。

杜甫『送裴五赴東川』 

故人亦流落,高義動乾坤。

何日通燕塞,相看老蜀門。

東行應暫別,北望苦銷魂

凜凜悲秋意,非君誰與論?

送裴五赴東川 成都5-(9) 杜甫 <462>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2255 杜甫詩1000-462-645/1500

 

河傳三首其三

34. (錦江のほとり望江樓に官妓として詩を作り、恋愛をした逸話から 其の三;海棠の花いっぱいの錦江のほとりに薛濤は春の歌を多くの詩人たちと和した、高官の男たちは、やがて去っていったが、官妓の薛濤は、いつまでも望江樓で春を詠った

35. 【解説】蜀の春は海棠の花がいっぱい咲く、杜甫も蜀の春の花が咲き乱れる様子をたくさん詩にしている。作者の韋荘は、その杜甫の浣花渓草堂を改築して澄んだとされる。杜甫は75912月に嫁浣花渓に仮住まいし、760年三月に「卜居」として草堂暮らしを開始して、765年に「旅夜書懐」と初句を後にした5年間、(内弟に留守させ1.5年蜀中転々)4たび春を歌い上げる作品を残している。薛濤は杜甫の5・60年後に、官妓として成都南の望江樓にいた。薛濤は西川節度使が管轄する官妓であった。「韋皐から李德裕までの歴代十一人の節度使に仕えて、詩によって知遇を受けている。その間に元稹・白居易・牛僧孺・令狐楚・裴度・嚴綬・張籍・杜牧・劉禹錫等、凡そ二十人の名士とも詩を唱和したとされる。

36. 【構成】『花間集』には韋莊の作が三首収められていて双調五十三字、前段二十五字七句三仄韻三平韻、後段二十八字六句三仄韻二平韻で❷❷❹④4⑥③/❼❸❺4⑥③詞形をとる。

韋荘105《巻3-05 河傳三首 其一》
   隋堤春  柳色蔥
畫橈金縷  翠旗高颭香 水光

青娥殿春妝 輕雲  綽約司花
江都宮闕  清淮月映迷 古今

     
    

   
   

双調五十三字、前段二十五字七句三仄韻三平韻、後段二十八字六句三灰韻二平韻で❷❷❹④4⑥③/❼❸❺4⑥③詞形をとる。

韋荘106《巻3-06 河傳三首 其二》

,風,錦城花滿,狂殺遊

玉鞭金勒,尋勝馳驟輕,惜良

翠娥爭勸邛,纖纖,拂面垂絲

歸時煙裏,鐘鼓正是黃,暗銷

     
    

   
    

韋荘107《巻3-06 河傳三首 其三》

,春,繡衣金,霧薄雲

花深柳暗,時節正是清,雨初

玉鞭魂斷煙霞鶯鶯,一望巫山

香塵隱映,遙見翠檻紅,黛眉

●●  ○● ●△○●  △●○△

○△●●  ○●△●○○ ●○○

●○○●○○● ○○●  ●△○○●

○○●●  ○●●●○○

●○○

 

温庭筠に『河傳』がある。双調五十五字、前段二十七字七句二仄韻五平韻、後段二十八字六句三灰韻四平韻で❷❷③⑥⑦⑤/❼❸❺③③②⑤

河傳

湖上、閑望。
雨蕭 煙浦花橋路
謝娘翠蛾愁不夢魂迷

蕩子天涯歸棹遠、春已語空腸斷。
若耶溪水西
不聞郎馬

  
  
   

   
  
  

(河傳)

湖の上り,閑かに望む。

雨 蕭蕭として,煙める浦に花橋の路遙なり。

娘 翠蛾を謝するは愁い消さず,終に朝なり,夢魂はの潮に迷う。

蕩子は天涯にあり棹して歸るは遠く,春 已にく,鶯語 空しく腸斷す。

若耶溪,溪水の西。

柳の堤,郎の馬嘶くも聞えず。

『河傳』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-49-2-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1812

37. 錦浦 錦江のほとり。錦江は錦城(今の四川省成都)を流れる川の名であり、流れが緩やかであり、淵が多くあり、その有名な場所が成都南の万里橋の船着き場である。この近くに住んでいたのが、薛濤である。杜甫《野望》「西山白雪三城戍,南浦清江萬裡橋。」

野望 七言律詩 成都5-(35) 杜甫 <460  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2385 杜甫詩1000-460-671/1500

38. 繍衣金線 金糸で刺繍された衣服。

39. 霧薄雲軽 霧や雲が薄く淡く懸かる。本四字は、いずれの注釈書も衣服を形容すると解しているが、「繡衣」の形容をする意味がないのであり、誤りである。ここは「錦浦,春女」いる場所の状況をいうものである。錦江のほとりに立つ望江樓の形容であろうと考える。

40. 錦浦,春女「百花譜」 に「海棠は蜀に盛んにして、秦中これに次ぐ」とあり、海棠について詠ったものに薛濤の詞があり、蜀の春を詠っている。ここに云う春女は薛濤であろう。

薛濤《春望詞四首其一》

花開不同賞,花落不同悲。

欲問相思處,花開花落時。

春望詞四首 其一 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-142-14-#7  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2257

 

41. 清明 春分から数えて十五日目。二十四節気の一つ。現在の四月四、五日頃。

花深柳暗 成都の西に浣花渓・百花潭があり、そこに行くまでに、官が植えた柳の道がある。

42. 玉鞭 玉で飾った鞭。ここではその鞭を手にした馬上の男を指す。元稹・白居易・牛僧孺・令狐楚・裴度・嚴綬・張籍・杜牧・劉禹錫等、凡そ二十人の名士とも詩を唱和したということ。

43. 巫山雨 男女の情交を指す。楚の懐王が高唐に遊び夢の中で巫山の神女と情空父わした故事にか基つく。

『望遠行』「欲別無言倚畫屏、含恨暗傷情。謝家庭樹錦鶏鳴、残月落邊城。人欲別、馬頻噺、綠槐千里長堤。出門芳草路萋萋、雲雨別來易東西。不忍別君後、却入旧香閏。」雲雨は男女の情交を指す。宋玉の「高唐の賦」の序に拠れば、楚の懐王は高唐に遊び、巫山の神女と夢の中で情を交わした。神女は別れに当たり 「私は巫山の南、高く険しい所におり、朝には雲となり暮れには雨となって、朝な朝な夕な夕なに、陽台の下におります」と言い残し去ったと言う。以来、雲.雨の語は男女の情交を指すようになった。

44. 香塵 一般的には春になって、表土が溶け乾燥し、行き交う車馬、人の動きが冬と違う様子を云うが、ここでは行楽に①お香をたく。②春霞。③花がちり、④柳絮が飛ぶ様子をいうものである。そこにはやがて道路も乾燥し砂塵が舞い立つようになるのが春である。

45.  韋莊

836―910)、字は端己、京兆の杜陵(陝西省西安市の南郊)の人。中唐の詩人韋応物の玄孫で、宰相韋見素の孫。父母を早く失い、家は没落、貧に苦しんだ。五十代に入ってから、数年間、広く長江の中、下流域を渡り歩き、何度も科挙に落第した末、昭宗の乾寧元年(894年)、59歳でようやく進士に及第(高等文官試験)に合格し、校書郎に任じられた。66歳で四川省にいた王建が叛乱を起こしたので、朝廷では李詢を正使、韋荘を補佐として宣撫に赴かせたが、ほどなくして唐が亡び、王建が前蜀の帝を称えると、韋荘はそのまま王建に仕え、王建が前蜀王朝を建てるのに協力して、吏部侍郎・同平章事に任ぜられた。宰相にまで昇進している。前蜀の都は成都にあり、韋荘はその郊外の、かつて杜甫が住んでいた浣花草堂を修復して、自分の庵にした。温庭筠と並んで温韋と併称され、晩唐期を代表する詞人である。韋莊の詞は率直明快さを特色とし、『花問集』 には48首の詞が収められている。

 

46. 薛濤

768 - 831年)は中国・唐代の伎女・詩人。魚玄機とならび詩妓の双璧と称される。長安の出身(一説では成都とも)。父の赴任とともに蜀へ移り、145歳の頃に任地で父が亡くなり178歳頃までに楽籍に入った(伎女となること)。

薛濤は西川節度使が管轄する官妓であった。「韋皐から李德裕までの歴代十一人の節度使に仕えて、詩によって知遇を受けている。その間に元稹・白居易・牛僧孺・令狐楚・裴度・嚴綬・張籍・杜牧・劉禹錫等、凡そ二十人の名士とも詩を唱和したとされる。また薛濤が詠じた詩は、『稿簡贅筆』には「有詩五百首」とあるが、現存しているのは約九十首である。

 

47. 薛濤井について
唐代の女流詩人薛涛にちなんで清代のはじめに造られ、成都の南部を流れている錦江のほとりに位置している。
薛涛は西暦770年に成都で誕生し、この地で父をなくし、楽妓に身を落すことになりました。しかし、詩才に富んでいる彼女は数多くの名詩を残して唐代一の女流詩人と称えられました。晩年彼女が水を汲み、詩箋(しせん)を作ったといわれる井戸が公園内にあります。詩箋が美しく明代に皇帝への貢物ともなったことから「薛涛井」としての名も広まりました。
薛涛は生涯を通じて竹を愛し、竹を広く植えることで竹を敬う気持ちを表した。彼女だけではなく、竹は昔から文人墨客が欠かしてはいけないものとして珍重されてきたものである。常緑植物として一年中生気に満ちていることから、中国では頑強なことのシンボルとなっている。常に天に向かい聳えたっているので、粘り強く向上心のあることに喩えられ、根がしっかりはっていることも自制心を持っている喩えとして賛美されている。
現在の望江楼は竹の公園として国内外の観光客を引き付けている。正門に入り、まず目に入るのは道の両側にびっしりと植え込まれている各種の竹である。130余りの種類があり、中国内で竹の品種の一番多い公園となっている。
公園の南西に立っている四層の建物が望江楼で、「崇麗閣」ともいい、下の二層が四角、上の二層が八角の楼閣で、そりかえった屋根は実に優美さを感じさせている。

 

 

春望詞四首  

〔一〕 
花開不同賞,花落不同悲。
欲問相思處,花開花落時。
花さく季節が来ました。でもこの同じ場所で同じときに観賞することはないのです。花が落ちる季節になってもその悲しみを一緒にすることはないのですお聞きしたいことがあります。あなたがわたしのことを思ってくださる場所のことを。それがわかったら私がその場所に飛んで行って花さくときから花が散る時まで一緒に過ごしたいと思います。
 〔二〕 
草結同心,將以遺知音。
春愁正斷,春鳥復哀吟。
行楽を愉しむ中、二人で声を上げてたくさん草をとり、それを愛のあかしとして「同心むすび」にむすぶ。
まさに客とそれをしたことで恋しい人への思いをふと忘れ得たような思いがするのです。女の春の愁いというものはそんなことでも断ちることになるのです。春に盛んな鳥が啼くと、おんなにとってはまた悲しそうな聲でさえずっているように聞こえてきます。
 〔三〕 

風花日將老,佳期猶渺渺。
不結同心人,空結同心草。
春の日は終わろうとしている。風流な風も、行楽の花も、女もおいてゆく。又逢うことのお約束今なお、遠いぼんやりしたままなのです。心が通い合っているあの人とは結ばれることはなかった。でも、空しいことは、あのとき、誓い合って結んだ「同心むすび」の草を今一人で結んでいることなのです。
 〔四〕 
那堪花滿枝,翻作兩相思。
玉箸垂朝鏡,春風知不知。
枝もたわわに咲いている春の盛りの花を見るのはもうとてもたえきれない。だから、花は見たくないと背を向ける。まだきっと両方で恋しあっているはずなのです。鏡にあの人からもらったきれいなカンザシが鏡の中で光っている。春風は知ってか知らずか、カンザシをそっと揺らしてゆくのです。

 

 

 

【字解集】 d.天仙子五首 

 

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『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」とある。
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天仙子 其一

 1.天にある仙郷にいる人の詩。 其の一:去年の春の行楽で美男子と楽しく過ごし、その後も、逢瀬を約束したのに、それっきりになり、今年も行楽の季節となり、同じように、貴族の遊侠好色男に弄ばれる若い女が多いことだろうと詠う。)

2. 【解説】後宮は天上界、仙郷に喩えられ、一旦はいれば二度と出ることはできないとまで言われたが、娯楽、遊戯を愉しんでは致し、自由な性倫理もそこには在った。

原始時代の母権制がその歴史的使命を果し、その寿命が尽きた時、「男尊女卑」一夫多妻は誰も疑うことのない人の世の道徳的規範となった。人口の半分を占める女性たちは、未来永劫にわたって回復不可能な二等人となり、ごく最近まで、二度と再び他の半分である男性と平等になることはなかった。(形態の違いこそあれ、未だに真の平等までにいたっていないのかもしれない。)

そうした中で、彼女たちは積極的に恋愛をし、貞節の観念は稀薄であった。未婚の娘が秘かに男と情を通じ、また既婚の婦人が別に愛人をつくることも少なくなかった。女帝(武則天)が一群の男寵(男妾)をもっていたのみならず、公主(皇女)、貴婦人から、はては皇后、妃嬢にさえよく愛人がいた。離婚、再婚もきわめて普通であり、唐朝公主の再婚や三度目の結婚もあたりまえで珍しいことではなかった。こうした風習に、後世の道学先生、ごりごりの儒学者たちはしきりに首をふり嫌悪の情を示した。これは、世界的にも同時期に同じような婚姻制度、性倫理が存在した、日本での万葉集から、源氏物語と六朝文学から花間集の時期、全く同じということではないが、中世封建制の儒教的性倫理の前の自由な文学と共に興味深いものである。

この詩は、韋荘は、宋玉の《登徒子好色賦》の民間逸話に基づいて、春の行楽というものに、貴族の男女が期待を持ち、自由な恋愛を行った結果、それがあまりに楽しかったために、「後日悲しみ恨むことになってしまう」と分かっていてもそれに流されてしまうものだ、というものである。

3.【構成】『花間集』には韋莊の作が五首収められている。単調三十四字、六句五平韻で、⑦⑦⑦3③⑦の詞形をとる。

(改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一》

悵望前回夢裏  看花不語苦尋
露桃花裏小腰  眉眼細 鬢雲  唯有多情宋玉

  
     

 

惆望前回夢裏期、看花不語苦尋思。

前回の逢瀬で約束した次の逢瀬は約束を守ってもらえず今では、うらむ気持ちをもってこの夢の中で逢瀬を見る事は恨み痛んで後宮を出て行楽を楽しんだ方を望む。そこには春の花を見るのであり、観賞しても語りかけるきにもならないし、尋ねることも、思いをうちあけることも苦しい。

4. ・惆望 うらむ、いたむ、気落ちするなどの気持ちをもって遠くを眺める。

前回 前回の逢瀬。

夢裏期 前回の逢瀬の逢瀬で次回の逢瀬の日を約束したことが夢のこととなり、夢でしか逢瀬できないこと。

 

5. 露桃花裏小腰肢 春の行楽の様子。

細くてしなやかな腰。多く、美人のたとえ。李商隠『楚宮』「楚管蠻弦愁一概,空城罷舞腰支在。」楚宮詩でいう「腰支在」は妖艶な腰の体つきで舞い姿をみせた。「宮妓」詩に「披香新殿に腰支を闘わす」というように、踊り子の動きの際立つ部位。薄絹をつけて舞う宮廷での踊りは、頽廃的に性欲に訴えるものであった。

楚宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 55

また、同様に細腰について、女性の細い腰。楚の霊王が細い腰を好んだという。『漢書・馬寥傳』の「呉王好劍客,百姓多瘡瘢。楚王好細腰,宮中多餓死。」、『荀子・君道』「楚莊王好細腰,故朝有餓人。」や『韓非子』「越王好勇,而民多輕死。楚靈王好細腰,而國中多餓人。」「楚の霊王は細腰を好み、国中餓する人多し」。

6. 眉眼細 若い美人、美男子をいう。

7. 鬢雲垂 艶めかしさを形容する語。

8. 唯有多情 好色であることをいう。

9. 宋玉知 楚の文学者、美男子「宋玉」は好色男であることを知っている。《登徒子好色賦》・宋玉 中国,戦国時代末期、楚の文学者。屈原の弟子とされる。屈原にならって主として辞賦作品を作ったが,その批判精神は受け継げず,主君の好悪のままに作品を作る宮廷作家の最も早い例ともされる。宋玉の作品として,《文選》には〈風の賦〉〈高唐の賦〉〈神女の賦〉〈登徒子好色の賦〉など,《楚辞章句》には〈九弁〉〈招魂〉などが収められるほか,《古文苑》にも幾編かの宋玉作と称する作品が収められている。しかし彼の伝記に確実なよりどころのないこととあわせて,それぞれの作品の来歴にも多くの問題のあることが指摘されている。

 

10. 《登徒子好色賦》

宋玉と登徒子はともに楚国の大夫であり、楚の王とは親しい関係にある。だが登徒子は宋玉の才能を妬み、楚王の前で彼の悪口を言い続けた。ある日、登徒子は「宋玉は美男子であり、才能もありますが、好色な人間ですから、陛下は後宮に行かれるときは決して彼をともにしてはなりませんぞ。後宮には美しい妃たちがいらっしゃるので、宋玉に会ってしまえばあとで面倒なことが起こりかねますから」と楚王に助言した。

 

それを聞いた楚王は宋玉を謁見し、登徒子の言葉を確認しようとした。そこで宋玉は「わたしの外見がいいのは、生まれつきであり、学問が豊富なのは、学問に励んだからです。しかし、わたしのことを好色というのは、まったくありもしないデタラメでございます」と答えた。すると楚王は「ならば証拠を見せよ」という。そこで宋玉は「天下の美人は、楚の国に最も多くいて、なかでも美人が最も多いのはわたしの故郷の臣里です。さらに臣里で一番の美人はわたしの隣に住んでおります。この美人の背丈が高くも低くもなく、なんの化粧もする必要はありません。彼女の歯、髪とその仕草などは美そのものであり、彼女は一つの笑顔を見せるだけで多くの貴公子を酔わせることができましょう。しかし彼女は三年の間、壁の隙間を通してわたしを覗きましたが、わたしの心は動きませんでした。わたしは好色な人物ではありません。実は、登徒子こそが好色な人間なのです」と答えた。

 

楚王がその理由を聞くと、宋玉は「登徒子の妻は決して美しい人ではありませんが、登徒子は彼女に一目惚れし、今ではすでに五人の子供が出来ているのですよ。」というので、これには楚王も言葉を失ったのである。これが“隣の女が壁に窺う”という故事である。

 

韋莊

836―910)、字は端己、京兆の杜陵(陝西省西安市の南郊)の人。中唐の詩人韋応物の玄孫で、宰相韋見素の孫。父母を早く失い、家は没落、貧に苦しんだ。五十代に入ってから、数年間、広く長江の中、下流域を渡り歩き、何度も科挙に落第した末、昭宗の乾寧元年(894年)、59歳でようやく進士に及第(高等文官試験)に合格し、校書郎に任じられた。66歳で四川省にいた王建が叛乱を起こしたので、朝廷では李詢を正使、韋荘を補佐として宣撫に赴かせたが、ほどなくして唐が亡び、王建が前蜀の帝を称えると、韋荘はそのまま王建に仕え、王建が前蜀王朝を建てるのに協力して、吏部侍郎・同平章事に任ぜられた。宰相にまで昇進している。前蜀の都は成都にあり、韋荘はその郊外の、かつて杜甫が住んでいた浣花草堂を修復して、自分の庵にした。温庭筠と並んで温韋と併称され、晩唐期を代表する詞人である。韋莊の詞は率直明快さを特色とし、『花問集』 には48首の詞が収められている。

 

天仙子五首其二

11.(天にある仙郷にいる人の詩。 其の二:春行楽の酒は無礼講であっても、楽しく愉快な酒でなければいけない、「人生百年、それがどれほどのものか。」だからいまのこの時を愉しまないでどうするのかと詠う)

12. 【解説】呑めば無礼講。呑兵衛の言い訳の詩。ただ、どんなに酔っても、この詩で女性の登場は、「扶入流蘇」だけである、妃嬪の中の宴席係の髪に流蘇を飾った「才人」が歩くのを助けてくれたのであろうこの詩は、韋莊 《0237 菩薩蠻五首其四》の続編であろう。

13. 【構成】『花間集』には韋莊の作が五首収められている。単調三十四字、六句五平韻で、⑦⑦⑦3③⑦の詞形をとる。

(改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一

悵望前回夢裏  看花不語苦尋
露桃花裏小腰  眉眼細 鬢雲  唯有多情宋玉

  
     

(改訂版)-31韋荘109《巻3-09 天仙子五首 其二単調三十四字、六句五仄韻で、❼❼❼3❸❼の詞形をとる。

深夜歸來長酩,扶入流蘇猶未

醺醺酒氣麝蘭,驚睡覺,笑呵,長道人生能幾

  

    

 

14. ・長酩酊 愛妾を蜀王王建にとられてやけ酒を飲んで、酩酊してしまったと解釈すると面白い。この語が「人生能幾何」にかかる。

15. ・流蘇 1.五彩色の絲を雜えたふさで、車馬、樓臺、帳幕、旌旗などにつける。宴席の幔幕に房が付いている高貴な宴席。2.冨宅の女子の結髪の一種で髻を高く結い余髪を左右に結束して両肩に垂れ、珠翠で飾る。3.流蘇樹科名:木犀科(Oleaceae)、落葉小喬木。 別名:鐵樹、流疏樹、茶葉樹、六月雪. 春の季節は庭園の中に万幕を張って行楽をした。

16. ・醺醺 酒に酔ってにこにこしている状態。

17. ・麝蘭 野生蘭。ここでは性対象の芸妓を示す。

18. ・呵呵 大声で笑う。しかる。

 

 19. 【解説】

この詞は、呉越の絶世の佳人、四大美人の西施を詠懐したうようにして、韋莊が蜀主王建に奪われた愛妾を偲んで、詠んだものとわれている。前段は、絶世の美女愛妾とは二度と会えない非痛な思いを述べているとされ、後段は、その愛妾の閏には昔のままに調度品が置かれていることを言う。ものがたりとして、中国人らしいこじつけである。詞では通常、別れ去った男を女が遙かに偲ぶ形を、男の目から見るものが一般である。ここではどちらからの眼というのではなく、客観的にみて、男女、たがいを偲ぶものとおもう。韋莊のもとの愛妾は、後にこの詞を耳にして、自ら食を絶って命を終えたと伝えられている。しかし、韋莊の愛妾は、彼が蜀に入る前に既に亡くなっており、この詞を王建に奪われた愛妾を思っての作とするのは無理なこじつけにすぎないのである。詩の内容も全くこじつけそのものである。閨怨詩というのは机上の詩で現実感はなく、教坊曲であること、韋荘の女とはいえ通っていた娼屋がそのままに部屋を置いておくわけもなく宴席での皮肉ということである。  

 

韋莊 《0237 菩薩蠻五首其四》

勸君今夜須沈醉,樽前莫話明朝事。

珍重主人心,酒深情亦深。

須愁春漏短,莫訴金杯滿。

遇酒且呵呵,人生能幾何?

(菩薩蠻五首其の四)

君に勸む 今夜 須【すべか】らく沈醉すべし,樽を前にして話す莫れ 明朝の事。

珍重すべきは 主人の心, 酒深くすれば 情 亦た 深しを。

須【すべか)らく愁ふ 春漏の短きを,訴ふること莫れ 金の杯は滿ちるべし。

酒に遇すれば 且【しば】らく呵呵【かか】たらん,人生 能【よ】く幾何【いくばく】かあらん?

(理想に思うは半官半隠で、その一番な事は、春の短い夜の酒宴に遭遇して、愉快に、陽気に、心行くまで酒を飲むことだけであると詠う。)

酒宴の主人は「今夜の酒宴では思いきり飲んで酔っぱらうべきである。大盃を前にしては、お酒をのむことだけすれよいのであって、あしたのことなど一切考えない、はなさないで、今のこのときをたのしむべきである。」といって酒をすすめてくれる。

酒宴の主人の思いやりのこころはまことに感謝するところだ。酔えば酔い、酔いが深まれば深まるほど、主人の情が深く感じられる。

こんなに楽しく、万物が成長する春夜の時が短いことをなげくべきで、金に輝く大盃にはいっぱいに酒をつぐものであり、もう飲めないなどと訴えてはいけない。

酒宴に出会ったのなら、愉快に、大いに笑い、陽気にのむものであり、人生百年というもののそれがどれほどのものか。このみじかい時を、酒こそ大いにのもうとおもうのだ。

・呵呵:大声で笑う。笑い声。ハハハハ。擬声語。

・幾何:いくばく。どれほど。

魏・曹操の『短歌行』に「對酒當歌,人生幾何。譬如朝露,去日苦多。慨當以慷,憂思難忘。何以解憂,唯有杜康。」とある。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-9韋荘87《巻2-37 菩薩蠻五首其四》二巻37-87〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5637
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20. 三百年間も続いた大唐帝国は、まさに輝ける封建時代の盛世にへり、封建道徳も後世のように厳格で過酷な段階にまでは発展していなかったからである。封建支配者が人々の肉体と精神を禁縛する手段としての封建道徳は、もともと支配者の必要に従って一歩一歩発展してきたものである。支配者というものは、いつだって世も末になればなるほど、人々の頭脳、身体、七情六欲を、女性の足とともに取り締まる必要があると感じるようになり、封建道徳もまた彼らのこうした感覚が日ましに強まるにつれ、いよいよ厳格に、かつ周到になっていった。

 

七情六欲

『礼記』 の記載にある喜、怒、哀、催、愛、悪、欲の七情と、生、死、耳、目、口、鼻の六つから発する欲。

 

先秦時代(秦の始皇帝以前の時代)から唐代以前まで、どの時代にも常に女道徳を称揚する人がいたけれども、大体において支配者たちはまだそれほど切迫した危機感がなかったので、女性に対する束縛もそれほど厳重ではなく、彼女たちもまだ一定の地位と自由をもっていた。ただ宋代以降になると、支配者たちは種々の困難に遭遇し、自分に対して日ごとに自信を喪失したので、道徳家たちはそこで始めて女性に対するしつけを厳格にするようになった。明、清という封建時代の末期になると、封建道徳はますます厳格になり、完備して厳密になり、残酷になり、ついには女性を十八界の地獄の世界に投げ込むことになった。まさに封建社会の最盛期にあった唐朝は、非常に繁栄し強盛であったから、支配者たちは充分な自信と実力を持っており、人々の肉体と精神をさらに強く束縛する必要を感じなかったため、唐朝は各方面でかなり開明的、開放的な政策を実施したのである。

 

 

彼女たちはいつも外出して活動し、人前に顔をさらしたまま郊外、市街、娯楽場に遊びに行き、芝居やポロを見物した。毎年春には、男たちと一緒に風光明媚な景勝地に遊びに行き、思うぞんぶん楽しむことさえできた。「錦を集め花を潜めて 勝游を闘わせ、万人行く処 最も風流」(施肩吾「少婦遊寿詞」)、「三月三日 天気新なり、長安の水辺 麗人多し」(杜甫「麗人行」)などの詩句は、みな上流階級の男女が春に遊ぶさまを詠んだものである。

彼女たちは公然とあるいは単独で男たちと知り合い交際し、甚だしくは同席して談笑したり、一緒に酒を飲んだり、あるいは手紙のやりとりや詩詞の贈答をしたりして、貞節を疑われることも意に介さなかった。白居易の「琵琶行」という詩に出てくる、夫の帰りを待つ商人の妻は夜半に見知らぬ男たちと同船し、話をしたり琵琶を演奏しあったりしている。それで、宋代の文人洪遇は、慨嘆して「瓜田李下の疑い、唐人は譏らず」(『容斎三筆』巻六)といった。

瓜田李下の疑い、唐人はらず。「瓜田李下之疑, 唐人不譏也。」

「瓜田に履を入れず、李下(すももの木の下)に冠を正さず」 の格言に基づく、疑われやすい状況のたとえ。

宋洪邁《容齋三筆‧白公夜聞歌者》: “然鄂州所見, 亦一女子獨處, 夫不在焉。 瓜田李下之疑, 唐人不譏也。”

 

彼女たちは「胡服騎射」を好む気風があり、胡服戎装(北方民族の軍装)をしたり、男装したりすることを楽しみ、雄々しく馬を走らせ鞭を振い、「撃を露わにして〔馬を〕馳験せた」(『新唐書』車服志)。

またポロや狩猟などの活動に加わることもできた。

杜甫の《哀江頭》詩に「輦前才人帶弓箭,白馬嚼齧黄金勒。翻身向天仰射雲,一笑正墜雙飛翼。」(輦前の才人 弓箭【きゅうせん】を 帶び,白馬 嚼噛【しゃくげつ】す 黄金の勒【くつわ】。身を翻して天に向ひ 仰ぎて雲を射れば,一笑 正に堕つ 雙飛翼。)と描写されている。馬上で矢を射る女たちの何と雄々しき姿であることか。彼女たちは勇敢かつ大胆で、よく愛し、よく恨み、また、よく怒りよく罵り、古来女性に押しつけられてきた柔順、謙恭、忍耐などの「美徳」とはほとんど無縁のようだった。誰にも馴れない荒馬を前にして、武則天は公衆に言った。「私はこの馬を制することができる。それには三つの物が必要だ。一つめは鉄鞭、二つめは鉄樋(鉄杖、武器の一種)、三つめは短剣である。鉄鞭で撃っても服さなければ馬首を鉄樋でたたき、それでもなお服さなければ剣でその喉を断つ」(『資治通鑑』巻二〇六、則天后久視元年)と。この話は唐代の女性たちに特有の勇敢で、剛毅な性格をじつに生々と表わしている。

彼女たちは積極的に恋愛をし、貞節の観念は稀薄であった。未婚の娘が秘かに男と情を通じ、また既婚の婦人が別に愛人をつくることも少なくなかった。女帝(武則天)が一群の男寵(男妾)をもっていたのみならず、公主(皇女)、貴婦人から、はては皇后、妃嬢にさえよく愛人がいた。離婚、再婚もきわめて普通であり、唐朝公主の再婚や三度目の結婚もあたりまえで珍しいことではなかった。こうした風習に、後世の道学先生たちはしきりに首をふり嫌悪の情を示した。『西廟記』『人面桃花』『侍女離魂』『蘭橋遇仙』『柳毅伝書』等の、儒教道徳に反した恋愛物語が、どれも唐朝に誕生したことは、この常よい証拠である。

 

『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。形式的な「公職」以外で、妃嬪たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまざらわすかということに尽きる。「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、「毎年秋になると、宮中の妃嬪たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。

 

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天仙子五首其二

21. (天にある仙郷にいる人の詩。 其の三:孤独と退屈を紛らわす毎日である、時に秋の夜長を過す寵愛を失った日日のことを詠う。

22. 【解説】王仁裕『開元天宝遺事』巻上によると、毎年秋になると、宮中の妃嬪たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」、そうしていると、南に帰る雁が空を飛んで行って見えなくなった。深夜を過ぎ、蟋蟀も鳴きやむと枯葉の音だけが明け方まで続く。寵愛を受けることの準備を常にしておくことは義務であっても、お香を焚き、部屋を暖めるため、炉に火を入れるのも億劫になってしまった。夢を見たくても眠れないから見る事も出来ないという究極の閑暇を詠うものである。

23. 【構成】『花間集』には韋莊の作が五首収められている。単調三十四字、六句五平韻で、⑦⑦⑦3③⑦の詞形をとる。

(改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一

悵望前回夢裏  看花不語苦尋
露桃花裏小腰  眉眼細 鬢雲  唯有多情宋玉

  
     

(改訂版)-31韋荘109《巻3-09 天仙子五首 其二》単調三十四字、六句五仄韻で、❼❼❼3❸❼の詞形をとる。

深夜歸來長酩,扶入流蘇猶未

醺醺酒氣麝蘭,驚睡覺,笑呵,長道人生能幾

  

    

(改訂版)-32韋荘110《巻3-10 天仙子五首 其三》 単調三十四字、六句五平韻で、⑦⑦⑦3③⑦の詞形をとる。

蟾彩霜華夜不  天外鴻聲枕上 繡衾香冷嬾重

人寂寂 葉紛  才睡依前夢見

   

   

24. ・蟾 1動物名。 ヒキガエルのこと。2 《西王母(せいおうぼ)の秘薬を盗んだ姮娥(嫦娥)が月に逃げてヒキガエルになったという「後漢書」の伝説から》月の中にいるというヒキガエル。転じて、月のこと。

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李商隠 『嫦娥』 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集約130首 詩の背景1.道教 2.芸妓 3.嫦娥と李商隠

月は女性の姿をいい、妓女、美人のこという。

25. ・綉衾 錦の豪華な夜具。

26. ・霜華 霜。白い美しさを花に喩えて云う。霜の結晶。

27. ・寂寂 さびしくしずかなさま。

28. ・紛紛 みだれるさま。ごたつくさま。みだれおこるさま。わずらわしいさま。おおいさま。

29. ・纔睡 わずかな眠り。やっと眠りに就く。纔:栗色の帛。わずか、わずかに。一度染めの絹。はじめて、ひじょうに、ようやく、それこそ。浅い眠り。うとうととする。毎日待ち侘び、寂しい思いをしている。そこには、秋の夜のいろんな音が聞こえてくることなどから悶々として眠れないということの表現をしている。

30. ・依前 以前、寵愛を受けた愉しかった思い出をいう。この語は、見たい夢の事で、見たいと思ってもみられないから、徳に見たいものということで強調している。したがって、訓読みは、「前に依りて」ではなく、「依前のこと」とした。

 

天仙子五首其四

31. (寵愛を受けたころの迹片を残して、毎日寵愛を受けるべく準備をする、又春を過ぎようとしているが夢がかなうことはない、縁起を担いだ跡形も消えかけ、毎日泣き腫らすと詠う。)

32. 【解説】六朝から唐宋時代まで、貴族、上流社会から民間に至るまで自由な風俗であった。

人前に顔をさらしたまま郊外、市街、娯楽場に遊びに行き、芝居やポロを見物した。毎年春には、男たちと一緒に風光明媚な景勝地に遊びに行き、思うぞんぶん楽しむことさえできた。「錦を集め花を潜めて 勝游を闘わせ、万人行く処 最も風流」(施肩吾「少婦遊寿詞」)、「三月三日 天気新なり、長安の水辺 麗人多し」(杜甫「麗人行」)などの詩句は、みな上流階級の男女が春に遊ぶさまを詠んだものである。

彼女たちは公然とあるいは単独で男たちと知り合い交際し、甚だしくは同席して談笑したり、一緒に酒を飲んだり、あるいは手紙のやりとりや詩詞の贈答をしたりして、貞節を疑われることも意に介さなかった。白居易の「琵琶行」という詩に出てくる、夫の帰りを待つ商人の妻は夜半に見知らぬ男たちと同船し、話をしたり琵琶を演奏しあったりしている。それで、宋代の文人洪遇は、慨嘆して「瓜田李下の疑い、唐人は譏らず」(『容斎三筆』巻六)といった。こうした自由な風俗の中で、それを全く許されないのが後宮、妃嬪である。太子を生んだ皇后の場合には、比較的自由に恋愛をしている史実があるが、その地位を保証されない妃嬪は、この時代最も厳しい監視の中で過ごさねばならなかった。したがって、数多くいる妃賓、芸妓のように扱われるので、花間集に最も多く詠われたのである。

33. 【構成】『花間集』には韋莊の作が五首収められている。単調三十四字、六句五平韻で、⑦⑦⑦3③⑦の詞形をとる。

(改訂版)-30韋荘108《巻3-08 天仙子五首 其一

悵望前回夢裏  看花不語苦尋
露桃花裏小腰  眉眼細 鬢雲  唯有多情宋玉

  
     

(改訂版)-31韋荘109《巻3-09 天仙子五首 其二》単調三十四字、六句五仄韻で、❼❼❼3❸❼の詞形をとる。

深夜歸來長酩,扶入流蘇猶未

醺醺酒氣麝蘭,驚睡覺,笑呵,長道人生能幾

  

    

(改訂版)-32韋荘110《巻3-10 天仙子五首 其三》 単調三十四字、六句五平韻で、⑦⑦⑦3③⑦の詞形をとる。

蟾彩霜華夜不  天外鴻聲枕上 繡衾香冷嬾重

人寂寂 葉紛  才睡依前夢見

   

   

(改訂版)-33韋荘111《巻3-11 天仙子五首 其四》

夢覺雲屏依舊  杜鵑聲咽隔簾櫳 玉郎薄倖去無

一日日 恨重  淚界蓮腮兩線

   

   



34. 雲屏 雲母を散らした屏風。

李商隠『嫦娥』 

雲母屏風燭影深、長河漸落暁星沈。

嫦娥應悔倫塞薬、碧海青天夜夜心。

李商隠 『嫦娥』 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集約130首 詩の背景1.道教 2.芸妓 3.嫦娥と李商隠

 

35. 依旧空 以前は一緒に過ごしたのに相い変わらず空しい。

36. 杜鵑 ホトトギス。杜鵑  ほととぎす。蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
不如帰、杜宇、杜鵑、蜀魂、蜀鳥、杜魄、蜀魄、子規、躑躅。李白【宣城見杜鵑花】. 蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑
成都に着いた翌年、760年上元元年夏に『杜鵑行』を作っている。

杜鵑行 杜甫 成都(2)浣花渓の草堂(2 -16-1)  <379 1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1831 杜甫詩1000-379-557/1500

杜鵑行 杜甫 成都(2)浣花渓の草堂(2 -16-2)  <379 2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1835 杜甫詩1000-379-558/1500

子規啼 男を求めて泣くけれど、啼いて血を吐くホトトギス。ツツジの花は初夏であるから時間の経過も示している。

温庭筠『菩薩蠻 七』 

玉樓明月長相憶,柳絲裊娜春無力。

門外草萋萋,送君聞馬嘶。

畫羅金翡翠,香燭銷成淚。

花落子規啼,綠窗殘夢迷。

玉樓明月長へに相ひ憶ふ、柳絲裊娜【じょうや】春力無し。

門外草萋萋たり、君を送れば馬の嘶くを聞けり。

畫【いろうつくしき】羅【うすぎぬ】金の翡翠、香【かぐはしき】燭消【とけ】て涙を成す。

花落ちて子規啼けば、綠窗【ろくそう】に殘夢迷ふ。

『菩薩蠻 七』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-7-1-#7 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1644

・子規 ホトトギス杜鵑。血を吐きながら、悲しげに、鳴くことから鳴き声が読み方と類似しているため不如歸とも書き表す。

宣城見杜鵑花 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-244-350

法鏡寺 杜甫
洩雲蒙清晨,初日翳複吐。
朱甍半光炯,戸牖粲可數。
拄策忘前期,出蘿已亭午。
冥冥子規叫,微徑不複取。

“同谷紀行